隆生の独り言日記(24年7月~)

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平成24年7月から

12月31日(月)
 とうとう大晦日。本当は部屋の掃除が山積みになっているが、結局は中途半端で終わる。洗車、家の照明器具の掃除などでごまかす。あとは返信が必要なメールを送信する。
 夜は伊吹嶺HPの新年用に切替アップ作業で、切替が終わったのは、丁度12時ぎりぎり。

12月30日(日)
 昨日から、完全に冬休みモードに入ったが、怠け心のため、やっと年賀状を少し書いておしまい。あとは年末のうちに少しでもN社の審査結果報告書を書こうと、TVを見ながらのろのろと書き出す。それでも正月中に書いておきたい。
 今日の朝日新聞で子どもの俳句指導している先生の記事があった。大垣市の小学校の西田拓郎さんで、作り方は「うれしいな」を入れて俳句を作らせ、その「うれしいな」を季語とすることで、楽しい俳句が出来るというものである。例えば、「うれしいな友だち一人ふえました」を作らせ、「うれしいな」を季語の「年賀状」に変えると、「年賀状友だち一人ふえました」となり、名句に変わる。なるほどと眼からうろこが落ちる印象だった。この方法だと孫にも俳句を教えることが出来そうだ。

12月28日(金)   『俳句で綴る変哲半生記』(小沢昭一著)
 ようやく原稿を書き上げ、行数調整して送る。これで今年の俳句関係、ISOの仕事は全て終わる。あとは本、書類置き場がゴミ屋敷になっているので、その整理、そして年賀状書きが残っている。
 ネット予約していた小沢昭一こと、変哲の『俳句で綴る変哲半生記』が届き、流し読みする。実は小沢昭一の訃報を聞いたのは、12月10日で、翌日早速、この本を予約した。ただその時はまだこの本が出版になっていなくて、12月20日が発行日となっている。と言うことはこの本を書いた時は、まだ生存中で、この出版を見ないで亡くなったことになる。この句集の最後の句が7月の句で、
   オイそこはガラスじゃないか夏の蝶   変哲
となっており、8月以降の句は掲載されていない。また死を考えた句もあるが、昭一らしいユーモアで詠んでいる。
   まだ生きている一服や春隣        変哲
   芭蕉忌に寄り添うごとく変哲忌       〃
   あと二日生きて香典帳見たし         〃

 特に最後の句など死の予感をユーモアでまぶした佳句である。(87469)

12月27日(木)
 今年最後の定期診察。それに合わせて煤逃げを兼ねて早めに家を出る。そして喫茶店でK誌の同人作品月評の下書きを行う。ほぼ7割方書き上げ、あとは夜書き上げる。明日あたりwordに打ち込んで、早速送りたい。

12月25日(火)
 いぶきネット句会の京都吟行。いぶきネット句会から今年、2名の新同人が生まれたお祝いも兼ねる。吟行先は北野天満宮のしまい天神と知恩院の法然上人のお身拭い行事。「お身拭い」というと、歳時記では清涼寺の「お身拭い」が春の季語にあるので、今日の季語として、「お身拭い」を使うのは一寸問題ありそう。しかし現実の行事はお身拭いなので、難しいところ。「しまい天神」も季語としては長いので、「「年の市」「ぼろ市」として使うしかない。句会ではとぢらの行事も皆さんうまく使われていた。
 右の写真は知恩院のレストランでのティータイム。

12月24日(月)
 N社の審査結果報告書、1個所間違いがあったので、N社に聞こうとしたが3連休のため、とりあえず昨日メールだけ送っておいたところ、今日間違い修正の返信メールが届いていたので、無事今日報告書を発送することが出来た。年末ともなれば工場は休むわけには行かないと言うことだろう。私にとってはラッキーだったが。
 あと1社の審査結果報告書は正月に書くことでやめにする。それより、K誌の同人月評が書き上げていないので、こちらを優先。しかし明日の吟行にも行きたいしと、優柔不断の決断。

12月23日(日)
 N社の審査結果報告書を書き上げようとしたが、夕方から二男一家が来たため、仕事はまた中断。孫達の相手をしているうちに、一晩がつぶれてしまう。それにしても孫はしばらく見ぬうちに大きくなるものだ。また下の孫は1年生であるが、夏休みに作らせた俳句を名古屋市民文芸祭に応募したら、3席の「市教育委員会賞」に入選されていたのを見せたら、まんざらでもない様子。選者の評は「取るに足りないようなことに着眼点を持ちました。こういうことも俳句になりますよと呈示しています。」その俳句は、
   きょねんよりかかとでているサンダルよ   国枝咲和
 今日もクリスマスの俳句を作らせたら、なんとか形になっている。やはり子どもの俳句を自然のままがよい。

12月22日(土)
 伊吹嶺編集会議。私は今月で最後の編集会議となる。あとは若い人へバトンタッチ。今日は2月号の編集と4月号の企画。15周年記念号が終わり、今日から新しく20周年記念に向けた活動となる。
 今後はインターネット部の活動に専念することとなる。来年はインターネット部としても15周年記念号で今後の10年先に目指すもの、その10年先を見据えて、5年後に何を展開するかを書いたので、その1年目として、1月から何をなすべきかネット部の皆さんの知恵を借りて、1月1日の伊吹嶺落書に抱負と実行すべきものを書く予定でいる。言わば来年はネオ・インターネット部元年となるようなことをしたい。
 夜は忘年会を兼ねて、皆さんと食事会を行う。最近は家でもあまり飲まないようにしているので、久しぶりに飲んだ気がした。特に栗田先生持参の泡盛が格別おいしかった。

12月20日(木)  草津市のダイオキシンはどうなったか(京都新聞12.12.19)
 昨日の京都新聞で、7月に草津市の3個所でダイオキシンが発生した問題で、追加調査の発表があり、問題の3個所の周辺の井戸水(6個所調査)からは、基準(1pg-TEQ/L)に対して、0.046~0.076pg検出だったと言うことで問題ないと滋賀県が発表したというニュースである。実は私は7月に草津市で基準の1.3倍のダイオキシンが発生していたことを知らなかった。なお問題の3個所は現在もまだ基準値をオーバーしていると言うことである。
 ところでダイオキシンというと、どんな影響があるがよく知らないで、猛毒というニュースが流れている。ダイオキシンの発生源はほとんどが農薬合成時などの不純物としてできる他、塩素を含む化合物を燃やすことによっても生成するという。またダイオキシンによる人間への影響はまだデータが多くなく、よく分かっていないところがあるが、一般的に、発ガン性・催奇形性・内分泌攪乱作用などを持つ環境ホルモンの1種である。従って人間への影響は長期間の経過を見ないと分からない。また動物実験では一定量を与えると致死に至っているという報告がある。
 なお廃棄物処理法で野焼きを禁止しているのは、塩素の入ったポリエチレンなども含めて燃やすとダイオキシンが発生するからである。ちなみにWHO(世界保健機構)の分類では、ダイオキシンはそれまで「発ガンの可能性あり」だったものが、1997年に「発ガン性物質」へと変更されている事に留意しておきたい。
 なお京都新聞のダイオキシンのニュースは次のHPで見ることが出来ます。
   http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121219-00000021-kyt-l25

12月19日(水)
 俳句公民館講座。講座の半ばも過ぎると、皆さん写生の句が多くなりつつある。講座の最初の時間に見たままをもので作る必要性を何度も言っていると、少しは講座の効果が出たのかなと思う。あと3ヶ月になってしまったが、以降は自主サークルを結成したいが、果たして何人参加してもらえるかは、私自身の力量次第。(87257)

12月17日(月)
 久しぶりに岐阜同人句会に出席。案の定、一夜漬けの俳句ではろくな成績を出すことが出来ない。しかし皆さんの俳句を見て刺激を受けることは間違いない。この句会の席に澤田さんがいないことがさびしい。

12月16日(日)
 ようやくT社の審査結果報告書を書き上げ、明日発送することにする。
 夜はいぶきネット句会の合評会。今夜も20名近くの参加で賑わう。実は今月がいぶきネット句会が99回目となる。と言うことは来月が第100回目のいぶきネット句会となる。と言うことは平成15年秋にスタートしたことになる。丁度この頃、HPのレイアウトを抜本的に見直した時で、その時にいぶきネット句会をメニューに入れたことになる。これまでの先輩はじめ、多くのネット部の皆さんのおかげで、100回目を迎えることになる。
 今はまだ未定だが、いぶきネット句会100回目を記念して新しい企画を予定している。伊吹嶺HPの新年の挨拶のときに皆さんに具体的な計画をお知らせすることを考えている。
 合評会が終わってから、あわてて明日の句会の俳句を作る。最近は吟行に出かける余裕もなく、回想句が多くなってしまう。

12月15日(土)
 一連の行事が終わったが、今年最後に残った審査結果報告書が3社分ある。さしあたり今日、明日は仕事に集中することにして、T社の審査結果報告書を書き始める。今日であらかた、7割ぐらい終わる。明日には仕上げたい。
 夜はいぶきネット句会の合評会。今年最後の合評会で活発に意見が出る。飛び入り同人も入って盛り上がる。

12月14日(金)
 ISCでの審査員研修。午後からは津市にある井村屋本社工場の見学。井村屋が津市にあるとは知らなかった。井村屋は肉まんや羊羹が有名で、肉まん、あんまんなどは主にコンビニに出荷しているが、それぞれコンビニ毎に種類を変え、コンビニブランドとして出荷しているという。まずここでは、ISO9001、,ISO14001、ISO22000などの認証取得をしている。
 工場の中で、見学したのは、包あん機、カップアイスの工程、排水処理施設、ボイラー室など。省エネを行っていること、カーボンフットプリントの実践によりLCA日本フォーラムで奨励賞を受賞したこと、廃棄物として発生する食物残渣は以前は焼却処分やRDFとして燃料に使用していたが、現在は徹底した分別により、おから、食物残渣部分は鶏の飼料用として売却していることなど、多くのことを説明された。一般の消費者はここまでの情報は知らないで肉まんなどを購入しているのではないか。
 見学後は工場内売店に案内され、あまりの安さに甘い物を買ってしまい、妻に怒られそう。と言っても1個500円ぐらいの小さい羊羹が規格外品として、6個300円で売っているためつい買ってしまう。他にスポーツ羊羹が人気だそうだ。
 我が家に帰ってから、あまり食べ過ぎないように要注意。

12月13日(木)
 N社の品質審査。日帰りで吉良町まで出かけるため、朝早いのがつらい。2時間以上かかって事業所までやっと着く。審査は、ここのISO事務局がしっかりしているため、やりやすい。

12月12日(水)  佐村河内 守 交響曲第1番(HIROSHIMA)
 たまたまNHKTVを見ていたら、佐村河内守の交響曲第1番のことが話題になっていた。この交響曲を聴いた聴衆は一様に涙して、感動したと放映されていた。総演奏時間は75分で、演奏時間だけでなく、内容もマーラー、ブルックナーにも負けないものを持っているという。ただ佐村河内自身がそう言われるのが嫌いと言っているが、話題性のある作曲家であり、内容のある交響曲である。
 佐村河内は被爆2世で、全く音が聞こえない作曲家である。ただ青年時代に聞こえていた絶対音感だけで作曲しているという。レコード会社のコロンビアによれば、「全ての聴力を失う絶望を経た作曲家、佐村河内の1番は、中世以来の西洋音楽の歴史を包含し、・・・ロマン派シンフォニストの系譜を継ぐこの交響曲は佐村河内の出自(被爆2世)が反映された自伝的作品でありながら、「闇が深ければ深いほど、祈りの灯下は強く輝く」・・・東日本大震災の惨禍をを経験した私たち日本人の心にも深く通じる。・・・最終楽章、苦しみと闇の彼方に、希望の暁光が降りそそぐ。・・・」等々とコロンビアは宣伝している。現在、若者のポップスを抜いて、オリコンチャート1位となっている。クラシックの交響曲がオリコンチャート1位になるなんて、聞いたことがない。私も衝動的にネット購入することにした。なおこの交響曲の案内は次のHPを見て下さい。
  http://www.hmv.co.jp/news/article/1106060068/

12月11日(火)  小沢昭一の俳句(朝日新聞「天声人語」2012.12.11)
 今年最後の愛知同人句会。いつものように句会後、懇親忘年会が行われたが、毎年12月は忙しい上に、1月に新年俳句大会も行われることから、懇親忘年会は今年限りとなる。何かにつけて句会、大会、総会などで飲み会ばかりでは女性陣も賛成しかねることだろう。櫻井愛知支部長の考えでよいのではないか。写真は愛知支部の今年の新同人の皆さん。
 句会後、今年最後のインターネット部での打合せ。結構決める議題が多く時間がかかって申し訳ない。来年はHPのリニューアル、「伊吹嶺」誌のibukinet記事の見直し。来年の自然と親しむ吟行会、オフ句会などの計画について、皆さんいろいろ意見を出して頂いて感謝。来年はこの方針通り進むことを願いたい。
 俳優小沢昭一の訃報ニュースが昨日の新聞に出ていたが、俳句を作ることでも有名であった。時々NHK俳句に出演していたことがあった。今日の朝日新聞のコラム欄「天声人語」に少し俳句が紹介されていた。そのコラム欄から、俳句を抜き書きしてみる。
   夕刊をかぶり小走り初時雨       変哲
   竹とんぼ握りたるまま昼寝の子     〃
   手のなかの散歩の土産てんとう虫   〃

 など巧まざるユーモアの中に心の優しさがにじみ出ている。俳優がよく俳句を作っているのはよく知られていることだが、小沢昭一が一番まともな俳句を作っていると思っていた。俳句を作る私にとっても惜しい人が亡くなったという印象。一度じっくりと小沢昭一の俳句を読んでみたい。(87045)

12月10日(月)
 今日は「伊吹嶺」1月号の15周年記念号の校正。ところが朝窓を開けると一面雪で真っ白な世界。出かける時は積雪が10cmぐらいになり、名古屋都市高速が全面ストップで、桑名経由で出かけたが、いつもは桑名駅まで30分で着くところが、既に1時間半ほどかかってしまう。名古屋までたった1区間のところを特急列車を使っても、女性会館に着いたのが10時になってしまう。
 校正は新旧の校正グループ、編集グループが集まって、20人弱の方が熱心に行って、全体的に順調に進む。
 帰りはもう名古屋都市高速が動いているかと思ったら、まだ全面運休。名古屋都市高速は日本で一番高い料金でありながら、日本一脆弱な高速道路ではないか。

12月9日(日)
 今日は1ヶ月前に実施したS社の審査結果報告書作成に入る。今週はまた俳句と仕事ですべて日程が詰まっているので、少しも散歩や運動する暇がない。しかしどうしても1日中家にいると、だらだらとした生活になってしまう。結局、今日は1日中家に閉じ籠もりきり。それでなんとかS社の参加結果報告書の本文はなんとか仕上げる。あとは付属資料や連絡関係の資料を作成、添付するだけで、これは12日になりそう。
 今日は漱石忌。何か今日にちなんで1句作りたいもの。
   髭を剃る鏡くもれり漱石忌  栗田やすし

12月8日(土)
 名古屋句会。いつものように年末なので、昼食会を兼ねる。しかし現在の忙しさを考えると年末を迎える実感がしない。句会では最近、病気の句や友人の亡くなった句が多く、気が滅入る。
 句会後、来週実施するN社の審査前に行うチェックリストの作成を行い、もう1人のメンバーの送信すると、深夜になる。

12月6日(木)-7日(金)
 S社の統合審査(品質+環境)。始めて審査する会社だが、スタートして3年目にしてはシステムがよく出来ている。2日間とも伊勢市にしては寒い日で、工事現場では寒さにふるえた審査。2日間連続の審査は疲れる。早めにかえってきたので、K社の審査結果報告書の修正をあわててやる。

12月5日(水)
 昨日の審査と明日から2日間の審査の狭間で、いろいろな雑用をこなしている間に、1日が過ぎてしまう。(86877)

12月4日(火)
 N社の品質審査。美濃市まで車を走らせていくため、時間がかかった。この会社の工場は鋳物工場であるが、まだ新しいせいもあるが、粉じんが全然出ていない。鋳物製造では、製品を取り出す時、砂が舞い散るがそれが全然ない。4Sがよく効いている証拠である。

12月3日(月)
 今週は仕事ウィーク。まずK社の審査報告書作成と発送。明日のN社の審査準備。6日~7日のS社の審査とその準備。結果的には1日も余裕のない日々が続くことになる。

12月2日(日)
 伊吹嶺運営委員会。議題がほとんど今年の行事の報告事項。「伊吹嶺季寄せ」は好評でほとんど売り切れの状況で増刷が必要となった。
 インターネット部からは1月16日の「第2回自然と親しむ吟行会」を紹介したが、まだ若干名の余裕があるので、決めかねている方は参加してほしい。参加申込みは「伊吹嶺」11月号案内にある武藤光晴さんに申し込んでほしい。

12月1日(土)
 いつの間にか12月に入ってしまった。11月に仕事を入れすぎたせいか、まさに「やらんならんことをやらんならんときやらんと・・・・やらんでもええときにやらんならんようになる」の状態である。しかし今日は仕事を忘れて、俳句モードでチングルマ句会。その前にせっかくに機会のため、ボストン美術館の「日本美術の至宝」の後期展示を見に行く。前期は曽我蕭白の「雲龍図」が目玉だったので、今回は伊藤若冲を期待していたのだが、結局は「鸚鵡図」の1枚のみで、あとはほとんど前期と同じ。でも鸚鵡図はさすが透きとおるような白が絶品である。他に「群鶏図」なども所蔵しているとあるが、展示されなかったのは残念。その他の有名な鶏の絵などは京都あたりの美術館にあるのだろうか。
 午後から、チングルマ句会。久しぶりに多くの出席者で賑わう。私は澤田正子さんの追悼句をなんとかしようと思いで投句。なんとか皆さんの共感を得た。
 夜は妻と久しぶりにやや贅沢な夕食。でも根が貧乏性なので、それほどでもない食事。アルコールも久しぶりで帰りのバスではすっかり寝込む。

11月29日(木)   俳句文学館紀要
 今日、忘れた頃に今年の「俳句文学館紀要」が届いた。この論文は2年に1回に、発行されているもので、今回は環境小特集があると言うことで、応募したが、採用連絡は半年以前にあった。しかし今日やっと届いたということである。開いてみると、環境関係の論文は私のものを入れて、2編だけで、他に茨木和生さんの俳人協会講演録が収録されていた。今俳人協会では、茨木さんが一番、環境問題に取り組んでいるのではないか。私も早く仕事を辞めて、環境関係の俳句論文を考えてみたいものである。右の写真は表紙だけで、中味は分からなく、申し訳ありません。ちなみに私の文章のタイトルは「環境問題と季語」です。

 今日は久しぶりに私のHPや伊吹嶺HPをアップした。内容は栗田先生の『碧梧桐百句』が発刊されたので、その紹介文をアップした。平成12年に俳人協会評論賞を受賞された『河東碧梧桐の基礎的研究』の続編というべきもので、碧梧桐俳句のうち、100句を選んで、出典紹介や鑑賞を行ったもので、一時「伊吹嶺」誌に「この道一筋」として連載された記事に大幅な書き下ろし部分を加えた労作である。まだ私もよく読んでいないので、申し訳ない。
 『碧梧桐百句』の案内は【こちら】に書きました。クリックして入って下さい。

11月28日(水)
 先週末の編集会議以来、てんてこ舞いのため、この日記は今日まとめて書いている。今日は昨夜作成したN社の審査計画書を作成したと思ったら、今日は別のN社のチェックリスト作成で1日つぶれる。この会社は来週リーダーを担当するため、相当読み込んだため、ますます運動不足となり、最近また体重が1kg元に戻る。この日記を書き終わったら、今夜は「K」誌の同人俳句月評の原稿でまた深夜までかかりそう。(86698)

11月26日(月)-27日(火)
 朝起きた時、昨夜、相当冷え込んだと思ったら、今朝も鈴鹿連峰が冠雪していた。しばらく暖かい日が続いて、すっかり雪が溶けたところ再び、冠雪鈴鹿となる。
 今日から2日間、D社の統合審査。ただメンバーでの参加であったので、少しは気分的にリラックスできる。最近は審査予定が詰まっており、2日目の審査終了後、夜はN社の審査計画書作成に深夜を回る。

11月25日(日)
 昨日まで、伊吹嶺編集の原稿、写真整理で時間が取られたので、ようやく今日から仕事モードに戻る。今日は明日からの審査準備で統合マニュアル(品質+環境)の膨大な書類を読み込んで、1日がつぶれる。しかも緊急で長男の孫からヘルプの電話が来て、1日がつぶれたので、結局、明日の審査準備は夜遅くまでかかる。

11月24日(土)
 伊吹嶺編集会議。今月は1月号の15周年記念号の編集を行う日だが、すでに相当数の原稿が届いているので、ほとんど整理で済む。最初のカラーページ8ページにこの5年間の伊吹嶺の歩みを掲載するが、あまりの写真の多さに絞り込むのに、苦労する。

11月23日(金)
 以前から予定していた名古屋句会メンバーでみや子さんに会いに行く。思ったよりお元気で、昔話に花が咲く。ただあまり外出されていないとかで、これからもお元気でいてほしい。写真は名古屋句会、蒲郡句会と一緒に。

11月22日(木)
 毎月の定期診察。最近減量に努めていたが、少したるむとすぐ元に戻ってしまう。来週前半まで身体が空かないので、しばらく運動も出来ない。
 今週の編集会議を控えて15周年記念号の写真整理で時間がつぶれてしまう。一方、社の審査計画書作成の時間もほしい。

11月21日(水)
 俳句公民館講座。本来先月行う予定だったミニ吟行を今日行う。吟行とはどんなものかを経験する意味で、近くの公園を40分ほど歩く。そこから毎月の投句に合わせて、1,2句交えて投句して貰う。事前に作ってくる句には、観念句を作る方がいるが、いざ吟行となると、見たままを作るので、素直な句もある。今日はよく晴れて、風もなく、まさに小春日和の中の吟行。毎月、少しずつ新しいことを勉強して貰うことはやりがいがある。(86511)

11月20日(火)   世界の主要温室効果ガス濃度は過去最高値(12.11.20気象庁発表)
 T社の品質審査。この会社とはもう長いつきあいで、本当は同じ会社ばかりを審査していると、よくない。長いつきあいでもなかなか品質がよくならない会社もあるため、どのように審査したらよいか、思い切った審査が出来ない。しかし今日は1件の不適合事項を出して終わる。

 気象庁が今日、「世界の主要温室効果ガス濃度は過去最高値」と発表した。温室効果ガスというと、二酸化炭素、メタン、一酸化二窒素だろうが、圧倒的にCO2の影響が大きい。日本がなんとか頑張っているが、アメリカ、中国の影響で過去最高値を出したのだろう。今日の発表では「これまで人類が大気中に排出してきたCO2のうち、大気中に残留しているのはその約半分で、海洋や陸域生物圏による吸収量が着実に増加していることから、海洋の酸性化の進行と、海の食物連鎖への影響の可能性が指摘されています。 」と言っている。CO2の増加から温暖化への影響が大きいと思うが、今日の発表で、海水の酸性化にも影響しているという。酸性化によりサンゴの死滅を初め、海の生態系の破壊も進むことになるだろう。人間が温暖化で騒いでいるが、ものを言えない海の動物が泣いているのが見えてくる。
 なおこの気象庁の発表は次のHPに掲載されています。
   http://www.jma.go.jp/jma/press/1211/20a/GHG_Bulletin_8.html

11月19日(月)
 母の忌日も近くなったことから、お取り越しとともに、岐阜の家で、お経を上げて貰う。帰りには、毎年のように大野町まで出かけ、富有柿を親戚に送ったり、我が家用に買い込む。私は富有柿が大好きで、毎年岐阜の柿でないと食べた気がしない。これでしばらくは柿を堪能できる。

11月18日(日)
 先週の同人句会には、審査の仕事のため、出席できなかったので、久しぶりに伊吹嶺句会に出席。合わせてそのままカリンカ句会にも出席。
 カリンカ句会も久しぶりで、同じ仲間で食事しながらの句会は楽しい。

11月17日(土)
 「伊吹嶺」の原稿、切羽詰まって、いつものように喫茶店に閉じ籠もって、一気に書き上げる。本当はもっと余裕を持って書くべきだが、土壇場にならないと書けないのは悪い癖。
 一寸古写真だが、14日の夜、雨が降り、相当冷えたため、翌日、鈴鹿山系が冠雪状態になっていた。実はその2,3日前に初冠雪があったが、写真に残したのが、15日の朝であったので、15日をもって、今年の鈴鹿の初冠雪としたい。写真を見るとまだほんの頂上近くのみの冠雪。見える山は左が竜ヶ岳、右が藤原岳。

11月16日(金)
 「伊吹嶺」原稿も迫っているが、K社の審査結果報告書の作成に1日がつぶれてしまう。最近、俳句の詩心が湧かず焦っている。(86350)

11月14日(水)
 今年の人間ドックの結果、高脂肪、コレステロールが悪くて診察を受ける。しかし大したアドバイスもなくて、コレステロールをへらしなさいしか言われなかった。

11月13日(火)
 今月は審査が立て込んで、S社の品質審査のリーダーを担当。メンバーの方がISCの方なので、気楽に進める。結局、今日は不適合事項なしで終わる。ただ豊橋の先の二川から奥に入ったところなので、家を出るのが早く、連日の旅行、外泊なので、一寸おっくうになる。

11月12日(月)
 同窓会から帰ったが、昨夜は相当飲んだらしく、家ではボケーとする。明日の審査の準備程度しかできなかった。明日の同人句会は欠席せざるを得ないが、俳句がないので、欠席投句もパス。

11月11日(日)
 高校の同窓会。以前、私は引っ越しの度に行方不明になっていたらしくて、ここ10数年ぐらい同窓会の案内を貰ったことがなかった。しかし前回からいつも年賀状をやり取りしている友人が、幹事に連絡先を伝えて貰い、やっと行方不明から解消された。今回は母校がモダンな校舎に新築された記念に当時の恩師の特別授業というセレモニーが行われた。3人の先生が2科目ずつ担当して授業をして頂いた。私は英語と数学の授業の班であった。一気に50年以上の昔に戻る。英語では赤尾の豆単がなつかしい。その詳細版で、「英語単語熟語の総合的研究」や「山﨑貞英文解釈研究」のさわりを講義して貰う。当時、前者の本を毎日2ページずつ単語テストがあったことも思い出したり、後者の本はすごく難しくて、大変だったが、教科書はすっ飛ばしてこの本ばかりで授業を受けたことも思い出す。数学は「有理数は無限にある。また無理数も無限にある。その両方の無限も無理数の無限は上位の無限である。」とその証明をされたりして、数学の授業か禅問答か訳が分からなくなってきた。
 懇親会では楽しい会話が続いていたが、男性はそれなりに年を取っているのに、女性は何故年を取らないでいつまでも美人なのか、これも禅問答と同じで訳が分からない。
 皆さんには私が俳句をやっていることが知れ渡っていたが、中には岐阜のS誌に今年同人になったとか、ある人のいとこが丁度同じS誌の同人だったことが分かった奇遇もあった。後者の同人の方は昨年の俳人協会東海俳句大会で一寸話を交わしたことがある方である。
 後日談であるが、この同期会で特別授業が行われたことはめずらしかったのか、中日新聞の岐阜版に掲載されたようである。その縮小版が右の写真です。

11月10日(土)  現代俳句評(11月号)、「俳句を考える-綾子と牡丹」(8月号、11月号)
 名古屋句会。今日は臨時で、土曜日に行う。たったの6名で寂しいが、親しみ、気楽に行う。句会の度、みや子さんはどうしているだろうかと心配する。もうあの感性豊かな句に出会うことがないと思うとさびしい。
 今までなかなか私のHP整理が出来なかったが、最近、私が発表した文章を【こちら】に掲載しました。トップページからも入ることが出来ます。原稿は「現在俳句評」と「俳句を考える-綾子と牡丹」。(86144)

11月7日(水)ー9日(金)  編集部合同吟行会
 今まで年1回、校正Gで吟行会に出かけていたが、今年は編集、校正、発送の3グループ合同で栃木県に吟行会に出かける。行き先は室の八嶋、下野国分寺跡、鹿子畑翠桃の墓、黒羽、雲巌寺、殺生石、遊行柳など芭蕉が歩いた奥の細道のルートを辿る。総勢14名で、写真も相当撮ったが、整理しきれないので、とりあえずパソコンに取り入れただけ。吟行の感想は後日にしたい。

11月6日(火)
 明日からの旅行のため、T社の審査計画書、チェックリストの作成を必死に行い、発送する。あと伊吹嶺新年大会の投句締切も間近なので、これもわずか2句を必死になって作る。

11月5日(月)
 突然の訃報。かねてから体調が思わしくないと、聞いていたが、丁度伊吹嶺15周年記念俳句大会が行われた夜、澤田正子さんが亡くなられた。澤田さんとは、チングルマ句会や岐阜同人句会でご一緒していたが、今から思うと最後にお会いしたのは、6月2日にチングルマ句会吟行の時で、あまり歩けないにもかかわらず、車で参加して、句会などもご一緒した。また岐阜同人句会で、今年は欠席投句が多かったが、6月の岐阜同人句会の欠席投句が最後であった。Mさんが作成している伊吹嶺岐阜句会報では次の句が最後であった。5月の句を見ると、まだ外出していたことが分かる。  合掌
   万緑へ踏み出す一歩ためらはず  正子(5月)
   玉を解く芭蕉に一日雨伝ふ     正子(6月)

 葬儀が終わった後、栗田先生他のメンバーで犬山ホテルの師弟句碑を見に行った。澤田さんを偲ぶかのように、雪蛍が盛んに飛んでいた。

11月3日(土)  伊吹嶺15周年記念俳句大会
 伊吹嶺15周年記念俳句大会。多くの皆さんの早めの準備により、無事終わる。当日は私はカメラマンに徹、それも来賓の皆様の写真の取りこぼしのないように気をつかっていたので、ほとんど会員の皆さんのテーブルを回ることが出来なかった。詳しい大会模様はTさんに書いて頂いた。伊吹嶺HPの【こちら】に書いてあります。写真は伊吹嶺HPに掲載しなかった大会模様、懇親会模様を少し掲載します。そしてカメラマンの役得で、ヴァシリユークさんとの2ショットも入れてあります。


大会会場

懇親会会場

インターネット部の皆さん

役得の2ショット

11月1日(木)
 とうとう11月に入ってしまった。もう年末に近いという感じである。今日はK社の品質審査。この会社では管理責任者がよくやっているので、審査もやりやすい。ただ1件の不適合事項を出して終わる。

10月31日(水)  ドヴォルザーク交響曲第8番(名フィル名曲シリーズ)
 久しぶりに名フィルを聴きに行く。超有名なドヴォルザークの8番。この曲はドヴォルザーク特有のボヘミア的であるが、総じて明るい曲想である。特にワルツ風の第3楽章の甘いメロディは、ラブストーリーのTVドラマのバックミュージックで使われたことを記憶している。もうその記憶は20~30年ぐらい前の話である。その頃からこの曲が好きだったということになる。全曲で40分足らずで、短いが至福の時間を過ごすことが出来た。

10月30日(火)  
 最近、俳句が出来ない。というより俳句を作る余裕がない。俳句の作り方を忘れてしまったのかもしれない。今年の日記を読み返してみると、妻と二人で吟行に出かけたのは、たったの2回で、3月に明日香に出かけたきりである。毎年出かける秋の彼岸の案山子祭、曼珠沙華も見ることが出来なかった。ということで今年の2回目の「困ったときの明日香」と言うことで、明日香に出かけた。「困ったときの明日香」であったが、やはり俳句が出来なくて「困った。」今日見た主な植物はほとんど木の実で、楝の実、雀瓜、ミゾソバ、蕎麦の花(明日香のは赤い蕎麦の花でまだ咲き初めであった)、ツツジの返り花、合歓の花の実など。紅葉はとりわけ欅の紅葉が真っ赤になっていた。以下の写真はそのうちの楝の実、雀瓜を紹介します。


鈴なりの楝の実(金鈴子となるほど金色に
なっていなかった)

雀瓜(こちらももう少しすると真っ白になる)

10月29日(月)  ダム湖を覆うウキクサが消えた・・・景観回復の意外な功労者(読売新聞2012.10.23)
 一寸古いニュースだが、「兵庫県川西市の一庫(ひとくら)ダムで、水面を覆っていた外来雑種の水生シダ植物「アイオオアカウキクサ」(アカウキクサ科)が今夏、突然消えてなくなり、元の美しい景観を取り戻した。」というニュースである。このアイオオアカウキクサを食い尽くしたのが、大量発生した蛾の幼虫で、ダム一面に覆っていた浮く草を食い尽くすなんて、すさまじいものである。そして蛾の幼虫は足場となっていたウキクサがなくなってしまって、水中に沈み、すべて魚の餌になって、これも絶滅。こういうめずらしい食物連鎖があるかといって、外来雑種のアイオオアカウキクサがあるところに、蛾の幼虫を持ってくればよいものと考え勝ちなのが、人間のエゴと言うべきか。こういう食物連鎖があるかといって、人間が勝手なことをすると、自然からしっぺ返しを食らうため、自然界の生態系に任せるのが最適だと思う。この面白い記事は、次のHPに掲載されています。ここに掲載されているダム湖のbefore と after を見てほしい。めずらしい写真である。(85721)
   http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20121023-OYT1T00662.htm

10月28日(日)
 1週間さぼったつけがいろいろなところに現れる。S社の審査計画書作成。一番時間がかかるのが、品質マニュアルを読んで、問題点の確認とチェックリストの作成。このチェックリストを基に、審査での質問をあらかじめ決めておく重要なリストである。結局散歩を除いて、ほとんど家に閉じ籠もり。

10月27日(土)  今夜は十三夜
 編集会議。15周年記念号の原稿もそろそろ最終段階。私もこの1週間悩みながら書いてきたが、あと少し見直してページ数を減らすことにする。
 この日記も1週間ほど休んでしまった。会う人からは、生きていたのですね、とか1週間原稿に苦労したのでしょうとか、言われる。またそろそろ元の自分に戻りたい。
 今夜は十三夜。曇りがちで夕食後に空をみたらほとんど雲に覆われていた。写真は瞬間の晴れ間に撮した。なんとか十三夜らしく撮すことが出来た。

10月20日(土) 土地開発事業に代償ミディゲーションを(COP11で大村知事が発表へ)(毎日新聞2012.10.17)
 今毎日、憂鬱な日が過ぎていく。伊吹嶺15周年記念号のインターネット部の10年後の夢を描くテーマに悩んでいる。全体の論理の進め方の構想がうまく描けず、毎日進んでいない。しかしあと1週間の期限に対して覚悟を決める必要がある。
 一寸古いニュースだが、2010年の生物多様性の名古屋COP10に引き続き、今年はインドでCOP11が10月8日~19日にかけて開催される事になっている。COP10と言えば、愛知目標が生物多様性維持の目標となっている。この中で10月17日のニュースで、愛知県の大村知事はCOP11で土地開発事業などにおいて、生態系破壊の恐れがある開発については、代償ミディゲーションを求めることを発表するとしている。まだニュースとして結果は伝わっていないが、この大村知事の考えは期待したい。そもそも生態系を破壊する恐れのある開発は本来禁止すべきだが、せめて代償ミディゲーションを求めるというものである。
 一般に建設工事などで発生する自然環境への影響を最小限にとどめるためのミディゲーションの考え方は欧米では普通である。ミディゲーションという意味は環境への悪影響を緩和する方法のことで、これまで日本ではあまり考慮されていなかった。ミディゲーションにはまず事業の回避、縮小が普通であるが、せめて最低限代償ミディゲーションを行おうというものである。
 一例を言うと、名古屋市天白区の相生山の緑地を道路でぶち抜くという計画に開発許可を出したという問題がある。まず開発の回避が一番であるが、そのまま開発許可を出したという。この影響はロードキルと言って、生態系を完全に真っ二つに切ってしまう開発の結果が見えている。せめて代償ミディゲーションぐらいは義務づけてもよいのではないか。
 なお大村知事の発表についての結果については今日現在まだ結果の報道がない。なおこの大村知事のニュースは次のホームページを参照して下さい。
   http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121017-00000012-mai-soci

10月18日(木)
 東員町では30講座ぐらいの公民館講座が行われているが、その講師が集まって打合せ。私は今年始めて公民館講座を開設したが、来年以降のことが気になる。小さな町に過ぎないところであるが、公民館講座は1回しか受講できないルールだとか。毎年新たに俳句をしたい人を集めるのは大変だ。名古屋市ような大都市と市にもなれない小さな町では全然規模が違う。いずれ公民館講座の応募に希望者がいなくなる恐れがある。さらに来年から町に委託された文化協会では講師登録料を取りたいという。やはり田舎の町の感覚。

10月17日(水)
 公民館俳句講座。本来は一番清々しい今月に吟行体験を行おうと思っていたが、大雨のため普通の講座にする。句会に出てくる句も少しずつ進歩しているように思える。さらに分かったことは、いつまでも観念的で、主観の句を作っている方と、写生に忠実な方に分かれている状態が見えてくるようだ。またたった一年の俳句講座のため、来年からどうするか考慮中に、受講生から、1年ではもったいない、来年もやってもらえないかの意見が出てきて心強く感じた。そろそろ来年も続けてもらう対策を考える時期に入るつつあると思った。(85374)

10月16日(火)
 たまに名古屋に出かけると、諸々の要件が重なる。午前からは15周年記念大会の資料の袋詰め。私としては急いでくれと言うことで、既に出席者の袋に貼るシール、不在投句者の宛名書きシール、出席者の名札(今後すべての会合に使えるように作成)などは既に発送済みであるので、本来の所用は終わっている。出席者名簿の再作成のためのハッチキスの針外しぐらい。
 午後になってあわてて、病院に直行。毎月の定期診察。9月に町の人間ドックの結果を報告。再検査が4件も指摘。主治医はこの程度ならドックを受けた病院で見て貰った方が経過観察できるのではないかとのこと。
 夜はいぶきネット句会の合評会。今夜も18名ぐらいの出席者で、盛んに意見交換がされる。特に男性陣の発言が多く、頼もしい。これで今月は個別添削で終わる。

10月15日(月)
 夜、いぶきネット句会の合評会。50句あまりを順に感想を述べると、あっという間に、1時間が過ぎてしまう。しかし皆さんから多くの感想を出して貰う。

10月14日(日)
 名古屋句会。最近、句会の成績もよくない。中川さんから、「風」時代の男性の句集を少し頂く。
 夜、久しぶりに晩酌で気を紛らす。今月中にやらなければならないことが山ほどある。

10月13日(土)
 1日中、他結社誌の同人評を書き上げる。あとはワープロ原稿にして字数調整。こういう原稿は毎日少しずつ書くのではなく、気分が乗ったときに一気に書き上げることが必要。しかし最近はドライアイのせいか、すぐ目が疲れ、眠くなる。能率が悪いことこの上なし。

10月12日(金)
 来週の公民館講座で始めて吟行を体験する講座を行うこととしているが、どのように教えたらよいか、下見を兼ねて散歩。丁度今頃がコスモスの花盛り。また次々と公園の木の実がつける時期。受講生に木の実の名前を教えるよい機会。
 昨夜まで必死になって作成したM社の審査結果報告書、今日発送。

10月10日(水)  ラムサール条約登録の矢並湿地
 今日から、豊田市にある矢並湿地の公開日に合わせ、観察会に参加する。ここは今年、ラムサール条約の保存登録地に認定された「東海丘陵湧水湿地群」のうちの1つである矢並湿地に出かける。今日が初日のためか、非常に多くの参加者で溢れかえる。池が出来るほどの湿地ではないが、手つかずの自然そのまま。強いて言うと、一番手前が昔田んぼだった廃耕田。その奥は自然のまま。従って奥の方が希少植物が多かった。今日見た主なものは白玉星草、ミカワシオガマ、サワヒヨドリ、小蒲の穂、梅鉢草、沢桔梗、キセル薊、ツリバナ、蔓竜胆、ミゾソバなど。そして動物ではヒメタイコウチ。特にヒメタイコウチは準絶滅危惧種に指定されているが、案内人の方に見せてもらえ、感激。植物では白玉星草、ミツバシオガマが目玉。そのうちミカワシオガマは愛知県のレッドデータブックに絶滅危惧IB類に指定されている。いずれも群落を見ることが出来てラッキー。春はまた春特有の植物が見られるとか。また訪れてみたいものだが、今後は管理が厳しくなり、特定の公開日しか見ることが出来なさそう。
 なお今回の公開日は10月14日までの10:00~15:00の間に、鞍ヶ池公園の虹のかけ橋駐車場に集合すれば、シャトルバスで矢並湿地まで案内して頂けます。但し最終は15:00に終わりますので、午後から行かれる方は14:00までに集合した方がよいと思われます。
 以下は今日見た主な植物、動物。(85196)


白玉星草

ミカワシオガマ

ヒメタイコウチ

10月9日(火)
 愛知同人句会。その前の午前中に愛知のネット部の皆さんに集まって頂き、来年の伊吹嶺HPの新企画、HPのレイアウトなどの構成の打合せを行う。今、予定しているのは1月16日の第2回自然と親しむ吟行会、「伊吹嶺」誌のibukinet欄に今年から始めた「いぶきネットの四季」を掲載すること、担当の役割分担の見直しなど。今後の検討課題としていぶきネット句会第100回記念にWeb句集発刊の検討、添削コーナーの見直し、さらに次回のオフ句会の検討など考えなければならないことは山積している。幸い皆さん積極的に取り組んで頂いていることに感謝。来年もよく読まれるHPにしたいと思っている。
 午後からの愛知同人句会では、皆さんの佳句に出会って勉強になる。

10月7日(日)
 夕方、栗田先生より電話。15周年記念賞の受賞者が決まったことの連絡。なんと文章の部で妻が記念賞。本人は作文みたいなものと言っていたが、実体験を淡々と素直に書いたのが皆さんに評価されたのだろう。妻の幼い頃の話はよく聞いて知っているが、それをそのまま文章にするところに力が入っていない。とこんな風に自分の妻を誉めるのは何となく面はゆい。その結果を伊吹嶺HPの落書欄に書いた。早速、メールが入り、今頃妻を祝して、私がメタボを忘れて乾杯しているだろうとのこと。残念ながら最近は特に医者からきつく言われているので、晩酌は週1~2回程度。一度レストランで2人だけのお祝い会をすることで、今夜はヤメ。

10月6日(土)  「伊吹嶺」10月号
 チングルマ句会。今日は出席者が少なく、12名。しかし欠席投句も入れて佳句が多かった。また以前から度々指摘されていた文法上の間違いもほとんどなくなった。
 「伊吹嶺」10月号が届く。例によって感想を述べたい。最初に栗田先生、
   むかご飯炭火熾して炊きくれし   栗田やすし
 綾子忌にちなんだ回想句。丁度「綾子・やすし師弟句碑吟行会」に出された句で、講評のあとで、綾子先生の思い出をいろいろ語って頂いた。その中で、東京に下宿していた時、足繁く「風」発行所に立ち寄って、夕飯をご一緒させて頂いたそうだ。秋になると、綾子先生にむかご飯を炊いて頂いたそうで、その時は炭火を熾して、釜で炊くという昔ながらのむかご飯だったという。〈ふだん着の師より給はる零余子飯  やすし〉は昭和60年の時の作。

次に秀峰集より、
   弥陀ヶ原めぐりしことも立秋忌     中川 幸子
   五月尽拭き上げ捨つる登山靴    山下 智子
   断層に西日貼りつく陶土谷      梅田 葵
   腕の蚊を打ち損ねたり敗戦忌     丹羽 康碩
   廃校の子らの慰霊碑灼けゐたり   近藤 文子

 中川さんの句、戦後、富山で仕事に就いていらっしゃったとき、立山へもよく行かれたと思う。弥陀ヶ原は立山の麓一帯。「立秋忌」は前田普羅の忌日で8月8日で富山で「辛夷」を発刊。富山に住んでいらっしゃったことから、普羅には特別な思いがあったのだろう。立秋忌の当日に思い出した回想句が的確。
 山下さん、以前はよく山歩きをなさっていた。その時は重い革靴で縦走などなさったのだろう。それだけ体力があったと言うこと。しかしもうこのような革靴では歩かないことから、捨てようと決心したのだろう。しかし捨てるにあたって、懇ろに靴を磨いてから捨てるという儀式のようなことは自分のけじめとしていらしゃるのだろう。
 葵さん、いつも積極的に地元を歩いて俳句工房としていらっしゃる。陶土谷は垂直に土が削られているところは断層がはっきりしている。その断層に「西日が貼りつく」の写生が力強い。
 丹羽さんの句、上5,中7の諧謔を伴った俳諧味と「敗戦忌」という重い季語との取り合わせが丹羽さんの実感であろう。
 近藤さんの句を読むと、つい深読みして震災のことを思い出してしまう。この慰霊碑は震災のためのものではなかろうが、私は震災で学校は流され、亡くなった子供も多かったのであろう。学校はとうとう廃校となり、残されたのは慰霊碑のみである。「灼けゐたり」の下5が何ともやりきれない。

 次に本来は遠峰集の感想を述べるべきかもしれないが、今月は伊吹集から好きな句を選ぶ作業があるので、とりあえず好きな句を書きだしてみた。4句欄はもちろん、2句欄にも好きな句が多い。書きだしてみたら、膨大な句数になってしまったが、せっかくのことだから書きだした全部の句を紹介します。
  三度息かけて形代納めけり          儀間千恵子
  背丈越す蓮の中より媼出づ          山本 法子
  糸引きてうすずみいろに蛹透く        金原 峰子
  アカシアの花一山を埋めつくす        山本 玲子
  竹皮を脱ぐ音に猫立ち止まる         河村 惠光
  苦瓜の蔓繕つて出勤す            大島 知津
  夏旱被爆マリアの頬にすす          玉井美智子
  兄逝くや畳む喪服の梅雨湿り         前田 史江
  被爆樹をしかと抱きをり蝉の殻        松原 英明
  灼くる道時をり潮の匂ひして         菊池 佳子
  紫陽花のまだどの色と定まらず        吉田 明美
  水打ちて夕暮れの風待ちゐたり        渋谷さと江
  梅雨晴の空を回して観覧車          二村満里子
  父逝きて母と二人の初の蝉          梶田 遊子
  鵜の喉輪指一本の緩み入れ          長谷川久恵
  妻いつも座りしベンチ日脚伸ぶ        山口耕太郎
  水滴に空を映して四葩かな          荒深美和子
  国境を二つ越え行く麦の秋          井上 靖代
  蝉の殻今朝もふえをり子の机         相澤 勝子
  天道虫見つけて園児列乱す          河合 彰子
  今日よりは五分粥となる半夏生        市川 克代
  炎昼や窓一つなき潮煮小屋          松永 敏枝
  小流れの堰に逆らふあめんばう        前田 昌子
  闇の川ただよふごとく螢飛ぶ         桐山久美子
  尺蠖の石段さぐり渡りきる          村上ミチル
  捩花のねぢれの先に小さき風         笹邉 基子
  羊羹の切り口にある涼気かな         和田 郁江
  青田風湖の広さの干拓地           東口 哲半
  栴檀の花降る川面婚の船           岡田 佳子
  雨粒に孑孑浮沈繰りかえす          今里 美幸
  紫陽花の花の盛りを義父逝けり        福田 則子
  眼帯のとれて飛び込む夏の雲         加藤 百世
  風渡り蓮の花托は揺れもせず         加来 雅子
  トコロ天ゆらりと流るガラス鉢        川村 鎭野
  透析を十年受けて夏逝けり          木全 一子
  校庭に雲の影のみ夏休み           与後 玲子

10月5日(金)
 M社の品質審査。公共交通機関の不便なところのため、マイカーで出かけたが、片道100km以上の遠距離で、運転するだけでも疲れた。この会社はごく小さな会社であるが、担当の総務部長がISO規格をよくマスターしており、審査しやすかった。
 審査の依頼は季節によって、あまり変化がなかったが、今年はやけに10月~12月に集中して依頼が飛び込んでいる。しかしこの頃は15周年記念号の原稿が終わっていなければならない時であるので、今が一番忙しい時。11月の審査のピークが過ぎたら、どこか一人旅でもしてみたい鬱な気分である。
 「雉」の10月号から雉同人評を書いた結果がが掲載されることになり、今月最初の鑑賞が掲載された。どのような反応が出るか気にかかるところである。

10月3日(水)
 昨日の続きで、パソコンの遅さ、重さの対策のため、⑤のテンポラリーメモリ削除からやり直す。順調に進み、⑥の不要メール削除からOutlook Expressの最適化に進もうと思ったが、削除対象のメールを見ながら削除作業をしていたら、あまりに膨大で眠くなってしまい、今日もここでストップ。とりあえず今日の段階で目に見えるほどの早さを取り戻せなかったが、なんとか我慢が出来る段階まで行く。あと最後のデフラグまで行けばなんとかならないものか。「やらなんならんことをやらんならんときに」近づいているので、あとはまた一段落してからにする。もうこのノートパソコンは数年以上使っているうえに、2.7~8kgもあり、相当重いので、買い替え時か。
 1日中家の閉じこもりのため、身体が硬くなり夕方になってから散歩に出かけたが、10月に入ったものの、まだ曼珠沙華が咲いている。やはり今年の曼珠沙華は遅いことが確実であった。新聞を見ると、半田の曼珠沙華も今頃が見頃とか。例年より10日以上遅く咲いていることになる。(85000)

10月2日(月)
 「伊吹嶺」10月号が届く。速報で、玉井美智子さんが15周年記念の伊吹嶺賞を受賞したとの文字が躍っている。新人賞と伊吹嶺賞のダブル受賞。おめでたいことである。どんどん若い方の俳句が伸びている。本気になって俳句に取り組んだ結果であろう。
 1ヶ月あまり前にパソコン修理を出して、今まで順調に動いたいたが、昨日あたりから以前と同じ不調の兆候が現れ始めた。また故障になる可能性があるが、今のパソコンを修理に出していた時、古いノートパソコンを使用していたが、超遅くていらいらしたことがあったので、今回は万一のことを考えて、ノートパソコンのメモリのゴミをなくしたいと思い立ち、急遽パソコンの遅さを直すために、雑誌の記事に従っていろいろ試してみることにした。試したいことは①起動時間を遅くしているプログラムの削除、②アップデート履歴の削除、③視覚効果のオフ、④不要ソフトの削除、⑤テンポラリーメモリ(ゴミファイルも)の削除、⑥レジストリーの削除、⑦不要メールの削除とその最適化、そして最後に⑧デフラグなどを行うことにした。ところが最初の①の起動時間を遅くしているプログラムの削除でつまずいてしまう。この段階で2~3時間かかり、ギブアップ。次に②から⑤のテンポラリーメモリの削除の段階に飛んで始めたが、延々とパソコンがうなりだして終わる様子が見えない。深夜3時頃までかかり、これもギブアップ。こうして無駄な夜を過ごしてしまう。

9月30日(日) 今日は中秋の名月
 台風17号が直撃しそうな今日が中秋の名月。例年だと、9月中旬ぐらいかなと思っていたが、今年は旧暦の8月15日である中秋の名月が9月尽となった。こんなに遅いのはめずらしいと思い調べてみたら、大体3年に1回には閏月がある年では大抵遅く、2009年の中秋の名月は10月3日となったこともあった。
 ただ今日は台風が東海地方を直撃しそうな勢いであったので、名月を見るのは諦めて、雨戸を閉め切って晩酌をしていた。そして台風が過ぎた頃、寝る前に雨戸を開けたところ、まぶしいくらいの名月を見ることが出来た。感動的である。なお伊吹嶺HPの「いぶきネットの四季」にこのお二人の俳句鑑賞を掲載する予定である。添付された月の写真がまたきれいで幽玄な世界を撮している。なお10月の「いぶきネットの四季」に入るには【こちら】をクリックして下さい。

   無月なり畳にこぼす独り酒     栗田やすし
   門を出て五十歩月に近づけり   細見綾子

9月28日(金)
 例によって、喫茶店で、来週審査に出かけるM社の審査準備のチェックリスト作成。ついでに週刊誌も読むので、無為な時間で1日がつぶれる。

9月27日(木)
 とことこ恵ちゃんのバスハイクに出かける。すっきりと晴れて恵那山も丸見え。それこそ「恵那山の裾まで晴れて・・・・」とやれば何でも俳句に出来そう。今日の元々の目玉は栗拾い。私は要領が悪く、すでに毬のなくなった栗を拾ったため、虫食いだらけ。それでもたっぷりと拾うことが出来た。他に坂折棚田、笠置山の光苔、楽器工場などを見て、ボランティアで作った案山子を見て楽しむ。このとことこ恵ちゃんは安くて、1日遊べるのが魅力的。以下はほんの一部の写真。


坂折棚田(ほとんど稲刈りが終わっていた)

酒盛りをしている案山子(約1名本物)

9月25日(火)  今年の彼岸花の開花は遅れていないか
 1日中閉じ籠もって、他誌の俳句鑑賞を書く。じっくり読むと、同じ「風」僚誌でもずいぶんと作品の傾向が違うのがよく分かる。如何に今まで表面的にしか読んでいなかったかが分かる。明日の締切まで仕上げなければならないが、なかなかペンが進まない。
 気分転換に散歩に出かけたが、やはり今年の暑さは以上だったのか、もう彼岸明けというのに、彼岸花がまだ咲ききっていない。わずかに咲いているだけで花芽を出しているのもわずかである。最近の温暖化に伴う彼岸花の開花の影響はどうか、一寸調べてみた。いろいろ実験結果が出ているが、総体的に夏の早期に高温下状態が続くと、開花時期は早くなり、9月上旬になってから高温状態が続くと、開花時期が遅くなるとのことである。今年は夏の早期はもちろん高温下状態であったが、9月以降も高温下状態が続いたので、開花時期が遅れたのではないかと思う。皆さんの地域ではどうでしょうか。写真はまだ蕾ばかりの今日の彼岸花。なお私が調べた彼岸花と開花時期の影響についてのHPは次のとおりです。
  http://www.city.chiba.jp/toshi/koenryokuchi/kanri/chuo-inage/higanbana2012.html  

9月24日(月)
 久しぶりに岐阜同人句会に出席。各務原までは車を使えば名古屋へ出るより便利で早いので、もっと参加しなければならないと思うのだが、つい目先のやることがあると後回しになってしまう。清水さんとも久しぶりにお会いしたが、元気そうで何より。
 今日の席題のうち、Tさんの句で、「秋彼岸」の句で取り合わせとして、「白団子」を詠んだ句があったが、これを読んで直ぐ「立春のまだ垂れつけぬ白だんご」という中山純子先生の句を思い出した。純子先生の句は今読んでも実に「ことば」を大事にしている句が多い。時々「風港」などに発表している句を読むと純子先生の感性に感心する。

9月23日(日)  目高とカダヤシ
 15周年記念俳句大会の打合せ。今回は河原地さんを中心に行っているため、綿密に行われている。私は大会の名簿作り、ネームプレートの作成、大会参加者用の封筒の名前シールの作成が担当。名簿の原案が出来次第、直ぐ印刷の予定。
 一寸古い話だが、先日第2回自然と親しむ吟行会の下見に東京港野鳥公園に出かけた折の話だが、西の淡水池にビオトープの稲田があり、ほとんど刈り取りの時期に入っていた。それはよいのだが、その池に引き込む小川にいっぱいカダヤシが泳いでいた。何も知らない人はメダカが泳いでいるという俳句を作ると思われるほど、そっくりだ。目玉が上を向いているだけかの違いで、横から見るとグッピーに似ている。カダヤシは外来生物法では、特定外来生物に指定されており、駆除対象になっている。昔はボウフラを食べるというので、人為で輸入され、「蚊を絶やす」という意味で、「カダヤシ」という名前がつけられた。結局は広い池に繁殖し、そんなところにはボウフラもいない。それよりカダヤシは小さい魚の魚卵の食べるので、特に在来のメダカが絶滅危惧種になってしまっている。野鳥公園の学芸員の方に聞いたところ、やはりカダヤシで、公園でも困っているとのことである。
 茨木和生さんもこのカダヤシについて懸念を持っていらっしゃるが、あえてこれを逆手にとって、「『目高』に準じて、『蚊だやし』を季語に定着させようと思っている。」と発言し、カダヤシの句を作っている。
   蚊だやしの地渋崩して泳ぎけり  和生
 一方、目高は現在環境省の「レッドリスト」では、絶滅危惧Ⅱ類(VU)に入っている。これがますます絶滅度が高くなることが心配だ。ちなみにカダヤシについては次のHPを参照して下さい。(84725)
   http://www.env.go.jp/nature/intro/1outline/list/L-sa-04.html

9月22日(土)
 伊吹嶺編集会議。15周年記念号の編集も山場にさしかかっている。皆さんから続々と原稿が届いている。肝心の私の担当のインターネット部については、これまで1回のアンケートと2回の座談会を行い、いよいよ10月に原稿を書きたい。またこの5年間の伊吹嶺の歩みの写真集めも10月には行いたい。

9月21日(金)
 久しぶりの審査員研修。今日は国際認定フォーラム(IAF)で検討した「QMS審査のベストプラクティス」の翻訳版から、各グループに1テーマずつ割り当てられて、グループ討議と発表。私達のグループは「監視・測定機器管理の審査」がテーマで、翻訳版で改めて気付いたことの整理とこの翻訳版に抜けているところで審査に重要な留意点を掘り出して、まとめた。発表はいつも間にか、しゃべりすぎた私が行う羽目になった。しかし時にはこういう研修で言いたいことを言うのもストレス解消になる。

9月20日(木)  モーツアルトピアノ協奏曲第20番(仲道郁代)、チャイコフスキー交響曲第5番(名フィル冠コンサート)
 最近、落ち込む日が続いており、一寸鬱状態。こういう時は元気のあるクラシック音楽を大音量で聴くに限る。今夜は1つは美人の仲道郁代を見たさに、1つはチャイコフスキーの大音量を聞くために出かけた。
 モーツアルトのピアノ協奏曲20番は、22番とともに、後期の有名な協奏曲である。第1楽章の重苦しい序奏、第2楽章の明るく穏やかなピアノソロ、そして激しく攻撃的な第3楽章と変化に富んでいる。同じピアニストでも中村紘子の場合、ピアノが悲鳴を上げるくらい激しい演奏である。一方、今夜の仲道郁代は柔らかいピアノタッチであるが、第3楽章は結構気分が乗り乗りであった。
 チャイコフスキーの第5番は後期交響曲の中で一番親しみやすい。そして第4楽章は勝利のごとき、さながら凱旋行進曲のようである。またその前の第3楽章のワルツとが対比的で、余計に第4楽章が印象的に聞こえる。特にこの曲は第2楽章と第4楽章がホルンの主役である。いつも思うことは名フィルの場合、管楽器、特にホルンに難点があると思っていたが、今日は女性が首席ホルンを勤めており、違和感なく聞けた。これが今日楽しめたもう1つの収穫である。これは今日の指揮者である尾高忠明の抜擢かもしれない。
 アンコールの時間になって、尾高忠明がつい先月から今月の初め、中国の北京、上海、天津などに演奏ツアーに出かけたが、こういう時代でも穏やかな観客風景で、音楽を通じて心が通えたという。今こんなに中国といがみ合っているのは、やはり日本の政治の貧困さから来ているためかと、余計なことを考えてしまった。

9月19日(水)
 今月の俳句公民館講座。句会としては3回目になるが、ぐんぐん伸びる方と相変わらず小主観の世界に閉じ籠もっている方がいる。今後もっと差が開きそうな感じ。講座が終わってから、妻の応援も得て、全員にポイントと添削を行うのが大変だが、やりがいがある。来月は吟行の実践を行うため、今日は吟行とは何かを説明。このための教材を書いているうちに、昔鈴木みや子さんが「吟行の心得」という数箇条を頂いたことを思い出して読んでみた。これらの実践は公民館講座の皆さんには難しいが、今の自分の態度に大いに参考になる。この頃は何事につけ、みや子さんのことが気にかかる。
 今日は子規忌。毎年この日は1句は作ってきたが、今年は何も出来ず。忌日に関心を持つことは俳句に関心を持つことにつながる。これも反省材料の1つ。

9月18日(火)
 愛知同人句会。先月が休みだったせいか、久しぶりの印象。それだけ秀句に目がつき、選ぶに困る。披講を聞いていると、何故自分はこの句の良さが分からなかったのか、反省しきり。また新しい同人の新しい感覚にも惹かれる。その狭間にあって、私の存在はいったい何なのか、あまりの成績の悪さに反省以前の問題。
 句会後、ネット仲間、環境仲間が集まって、来年1月に行う「自然と親しむ吟行会」の詰め。これから関東支部との連絡を密にして行う必要がある。
 またネット関係の役割分担が大分乱れてきているし、新しい企画も考えなければならないので、大まかな方向のみ決める。それにしても年々、インターネット部の仕事が増え、皆さんに負担が掛かる。特にHPのメンテナンスを担当できる方が少ないので、人材育成が急がれる。新しいアイデアも力量のある人材とスタッフ不足がネックになっている。

9月16日(日)
 3日間連続で出かけたので、山ほど残っている伊吹嶺、他誌の原稿、審査計画書の準備、公民館講座の講義資料作り、伊吹嶺HPのアップなどに向かったが、ほとんど何も出来なかった。(84541)

9月15日(土)  木曾川の源流を訪ねて
 当初3日間も出かけるつもりはなかったが、以前から申し込んでいた木曾川の源流を訪ねて、水木沢天然林のトレッキングに出かけた。正味3時間のコーズであるが、ハイキングに出かけるのは数年ぶりのため、体力が心配だったが、なんとか歩くことが出来た。ここは木曽川の源流の1つである笹川のそのまた1つの支流を歩く。コースはよく整備されていて、私のような老人にも歩くことが出来る。太古の森コースでは樹齢300年前後の木曾5木の大木が並んでいる。中でも樹齢550年の大サワラには圧倒される。また橅の大木では水の吸い上げる音を聞こうと耳を当てて聞いたところ確かに水の流れる音が聞こえた。木が水を吸い上げるのは事実で、浸透圧の力で導管を何10mも吸い上げるのは確かであるが、ネットで調べたところ、「水を通す導管は0.1㎜よりも細いので、聴診器では水の流れる音は聴こえません。聴こえてくるのは、風で木が揺れる音と、木がアンテナとして拾った遠くの音だと思われます。」とあり、夢を壊されてしまった。
 今日のハイキングで見た花は、蕎麦の花、萩、葛、女郎花、男郎花、弟切草、山母子、ゲンノショウコ、秋のキリンソウ、釣舟草、アケボノソウ、ハシカグサ(?)。木の実では木天蓼の実、栃の実、椎の実、団栗(橅、櫟等)、ナナカマドなど季語はたっぷりだが、どこまで俳句に出来るか疑問。以下は今日見た花など。


巨大すぎて根元しか撮せなかったヒノキ

ところどころに熊除けの鈴

展望台から木曽駒ヶ岳は見えなかった

源流の1つの小さな滝

アケボノソウ

ハシカグサ
(自信がないのでどなたか知っている方はいませんか)

9月13日(木)-14日(金)
 この2日間、妻と矢野さんの3人で、東京に出かける。目的は2つ。1月に予定している「自然と親しむ吟行会」の下見と伊吹嶺15周年記念号に書く予定の「10年後の伊吹嶺インターネット部の夢と展望」のため、関東支部の皆さんとの座談会。
 最初に大森の東京港野鳥公園に出かける。今は夏であるため、川鵜、鷺、わずかな鴫しかいなかったが、もう初の鴨も来ていた。ここの野鳥公園は渡り鳥の中継地であるので、1月ともなれば、多くの野鳥が見られることを期待したい。その後、昼夕食を兼ねて、吟行計画のスケジュールなどを詰める。あと泊会場の予約。
 次に「10年後の伊吹嶺インターネット部の夢と展望」の座談会であるが、これまで名古屋で1回行っており、あわせて関東支部からの意見も吸い上げて、企画をまとめたい。次々と意見が出てきて、とても時間が足りなかったが、なんとか皆さんの意見を聞くことが出来た。終わった時は既に銀座は華やかな夜の街になっていた。若い頃の東京勤務時代とすっかり変わってしまい、田舎者の目で銀座を散歩する。

 2日目の14日は午後から菊坂句会があるとのことで、午前中は向島の百花園を訪れる。ここは私の8月11日の日記に書いてある波郷の「江東歳時記」と「スカイツリーの見える『三丁目の夕日』を訪ねて」というTV番組に惹かれて、一度訪れてみたかったところ。まだ残暑が厳しい午前であったが、園内は至るところ季節の花を見ることが出来るようになっている。今は萩の時期に入っているが、まだ走りの時であった。他にナンバンギセルが咲いており、そろそろ終わりの時期となっていた。ところどころ休みつつ、ゆったりとした午前を過ごした。
 午後からは菊坂句会に参加。全員で15名の充実した句会。ただ名古屋と違って、講評後の意見交換が活発で意見・異論が続出で、非常に活性化されている。総体的に若い句会だからだろうか。この様子を見ていると、昔、金子兜太が子供の頃の金子伊昔紅の句会がもっとすごかったと言うが、現代は紳士的に激論を交わしている。これで終わりかと思ったら、席を変えて反省会とまた次はアルコール入りの反省会となる。
 この2日間、ずいぶんとアルコールを飲んだため、しばらくダイエットに励んできてようやく効果が出始めた時になって、あっという間にリバンウドしてしまう。この2日間の写真は伊吹嶺HPの落書に掲載したので、ほとんど写真がないため、百花園でみた仙人草とスカリツリーを載せます。伊吹嶺HPの落書は9月16日欄を見て下さい。


仙人草

百花園からのスカイツリー

9月12日(水)
 少し暇があると、TVを見ながらだらだらと過ごしている。今月は雑誌の文章を3つ書く予定であるのに、このていたらくである。とりあえず一番簡単な文章だけ書いた。あとはまだ気分が乗っていない。その代わりビオトープの勉強を少しした。

9月10日(月)
 先日の「綾子・やすし師弟句碑吟行会」で栗田先生から、〈天然の風吹きゐたりかきつばた〉の句を例題に綾子先生の推敲の推移を話していただいたが、綾子先生の牡丹の句を見ていたら、やはり推敲の跡がよく見える句を発見した。
  
 老ゆことを牡丹のゆるしくるるなり  「風」昭和62年5月号
  老ゆることを牡丹のゆるしくるるなり  句集『虹立つ』昭和62年

  鑑真と母に終りの牡丹かな       句集『虹立つ』平成元年
  鑑真と母に最後の牡丹挿す       句集『牡丹』平成6年


 最初の句、「風」誌では〈老ゆことを〉で発表され、句集では〈老ゆることを〉とあえて字余りにして発表なさっている。たとえ字余りとなっても綾子先生は〈老ゆることを〉が最もふさわしいと考えられて、推敲されたと思った。リズム感も少しも崩れていない。
また2句目は一旦平成元年の『虹立つ』では〈母に終りの牡丹かな〉と発表されており、平成6年の『牡丹』では〈母に最後の牡丹挿す〉
と発表されている。これは全然別の句とも考えられるが、私は綾子先生はご自分の最後のことも考えられて、〈母に最後の牡丹挿す〉として推敲の上、再発表されたのではないかと思った。どちらも最後まで推敲を諦められなかった綾子先生の心中を思いやると、せつないと思った。

9月9日(日)  「伊吹嶺」9月号
 名古屋句会。いつものメンバーでささやかに行う。今日の中川さんの句で綾子忌の句で、秋日と芝生を取り合わせた句を見せて頂き、私だけが採らせて頂いたが、この句は綾子先生の〈過去は今満ち来芝生に秋日透き〉を踏まえて詠まれたとか。いつまでも綾子先生のことを思い続けることは一つの財産ではないかと思う。また先日、中川幸子さんに「いぶきネットの四季」で細見先生の〈秋空の限り背にあるいのちかな〉の文章を書いて頂いたが、その時の細見先生の短冊を見せて頂いた。もう50数年前の短冊だが、細見先生がそこにいるような感じをした。まさに中川さんにとって、宝ものに違いない。
 「伊吹嶺」9月号が届いて数日過ぎてしまったが、いつものように感想を述べたい。まず栗田先生の句から、
   地下涼しワイン酒蔵迷路なす   やすし
   夜の雷ドナウ河畔の城照らす    〃

 2句ともプラハなど東ヨーロッパの旅行吟である。外国詠であっても即物具象の基本に沿った句である。雷の明るさに城が浮かび上がる様子が一目で分かる。次に秀峰集から、
   捩花の天に行きつく小虫かな   中川幸子
   螢狩り戻りて放つ蚊帳の中     山下智子
   義元がジュースを飲めり桶狭間  片山浮葉
   淡竹煮て夕べ安けき一人膳    梅田 葵
   手洗ひに螢袋の花の影       清水弓月

 中川さんの句、捩花の特性の一つを鋭く着いている。虫が捩花を上る句はよくあるが、〈天に行きつく〉の写生に類型がない。
 山下さんの句、最近は回想句を積極的に作っていらっしゃるとか。螢を蚊帳の中に放つと言うことは子供の頃の思い出か。私は町の中に住んでいたので、螢狩りの経験はないが、皆さんこういう経験はよくあるとか。昔懐かしい句である。
 浮葉さんの句はユニークである。いきなり〈義元がジュース飲めり〉と来るとびっくりさせられるが、下5の種明かしでこの句は一段と精彩を放つ。
 葵さんの句、どの句もよいので、どれを選ぶかに迷った。この句ご主人を亡くされてから相当過ぎたにもかかわらず、、一人住まいの中で、〈夕べ安けき〉と言える心境に感心した。上5は何でもよさそうだが、「淡竹」のような庶民的な食材だからこそ、「一人膳」が活きてくる。
 弓月さんの句、相変わらず手堅い詠み口である。〈螢袋の花の影〉とは何という繊細な感覚だろうと思った。次は遠峰集から、
   夜濯ぎやスカイツリーに灯のともる    関根切子
   モルダウの谷に涼しき弥撤の鐘      中野一灯
   炎天に重機の唸り瓦礫積む        佐藤とみお
   さくらんぼ熟るるを待たず逝きにけり   磯田なつえ
   均されて土俵四隅に蚊遣香        内田陽子
   だまし絵のキリストの目や西日さす    栗田せつ子
   歩く度沈む畳や梅雨長き          熊澤和代
   弾かるるやうに四方へあめんばう     小原米子
   しろがねの鋸で切り出す氷室雪      福田邦子
   梅雨の闇児を乗せて発つ救急車     伊藤範子
   御田牛磨く葉桜映るほど          都合ナルミ
   薔薇満ちて息づくやうに闇深む      利行小波
   母卒寿胸に真白き胡蝶蘭         下里美恵子
   ピカソの国地平線まで麦の秋       矢野孝子
   尺取虫原発事故の誌面這ふ       山本光江
   口開けて鴉の歩く沖縄忌          坪野洋子
   納得のゆかぬ訳文明け易し        河原地英武

 以上、17句を抜き書きしたが、どれも鑑賞しきれないくらいの佳句である。強いて言えば、切子さんの句、最近のTV番組で、スカイツリーの見える近傍で、「三丁目の夕日を探して」の番組があったが、その一コマのような情景である。以前も書いたが、石田波郷の「江東歳時記」が思い出されて仕方ない。近々、東京へ出かける用があるが、一度、「江東歳時記」を携えて、波郷の撮した写真を求めて、江東周辺を歩いてみたい。その他、触れてみたい句が多いが、時間切れでご勘弁願いたい。

 なお遅くなりましたが、「伊吹嶺」9月号に掲載の「現代俳句評」を載せました。興味のある方は【こちら】から入って下さい。

9月7日(金)  モーツアルトピアノ協奏曲第26番、ブラームス交響曲第1番(名フィル定期コンサート)
 今日は白露。日中は猛暑日とはならないものの、32~33℃となる。今年の処暑は猛暑日となったと書いたが、まさか本当になるとは思っていなかった。ところが今日の暑さを考えると、今後は白露の日でも猛暑日になる可能性が出てきた。とても露が結ぶ頃とは思えない。今夜も熱帯夜一歩手前になりそう。白露というと結構好きな季語で過去2,3句は作っていると思う。
   泥の好きな燕見送る白露かな  沢木欣一
   本棚に古白遺稿や白露の夜   栗田やすし

 沢木先生の句は綾子先生が亡くなられた時の句で、客観的に詠んでいるものの〈泥の好きな燕見送る〉の中には綾子先生への万感の思いがこもっていると思う。同時作の〈秋ゆふやけ一生いのち輝けり 欣一〉はまさに沢木先生の思いそのままであると思う。

 夜は名フィル定期コンサート。この頃は毎月出かけるのもおっくうになってきたので、好きな曲の時のみ申し込んで出かけている。今日のお目当てはブラームスの1番。しかしその前の小菅優のモーツアルトのピアノ協奏曲第26番。モーツアルトが亡くなったのは1791年であり、この曲が上演されたのは1790年であるから最晩年のピアノ協奏曲である。その割には結構明るくて、、様式的にはウィーン時代以前の古いスタイルも見られる。皇帝レオポルト2世の戴冠式に演奏されたと言うことから、明るい曲想になったのだろう。ピアノの小菅優は輝いている若手のピアニストである。最近では2007年に第17回出光音楽賞を受賞している。TVでの演奏をDVDに録画しているが、本人を見たのは始めてである。軽いタッチの音楽で楽しめた。
 お目当てのブラームスの1番は4つの交響曲のうち、一番好きで、本来の重厚な響きを期待していたが、前半は案外軽い演奏で一寸期待はずれ。それでもフィナーレの部分は迫力満点で、こういう生演奏が体中に響いてくる。こういうのは自宅で大音量で聞こうとすると、近所迷惑だと叱られるので、こういう生演奏を期待するしかない。(84281)

9月5日(水)  綾子・やすし師弟句碑吟行会
 明日は綾子忌。その前日である今日、綾子・やすし師弟句碑吟行会が名鉄犬山ホテルで行われました。今日も猛暑日の予想の中、80名近くの連中が集まって熱心に吟行されていた。私はただ句碑の近くの石に座っていただけ。それで何か句が出来ないかと思っていたが、次々と句碑に来ている方とのおしゃべりで終わってしまった。
 栗田先生のお話しの中で、有名な〈天然の風吹きゐたりかきつばた 綾子〉は当初、「俳句」には「吹き過ぎる」と詠まれていたそうでその後の推敲に感心された経緯を分かり易く説明していただいた。このお話しは伊吹嶺HP落書に詳しく書きましたので、【こちら】をクリックして下さい。
 今日もいろいろ写真を撮りましたが、伊吹嶺HP落書に掲載しなかった栗田先生と綾子句碑の写真を添付します。

9月4日(火)  第4次レッドリストの公表(読売新聞12.8.28)
 毎年、町の人間ドックを受診している。しばらく節酒に努め、ダイエットに努めていたためか、ウエストが3cmほど細くなり、メタボラインを切った。しかし今日以降、また晩酌を行うと、元の木阿弥になることは目に見えているが、少なくとも今夜はじっくりと酒を飲みたい。
 人間ドックのあとはいつものように、直ぐそばの温泉に浸かる。真昼間から温泉に浸かると、身体の箍が外れる感じで極楽気分。しかし家に帰ると、またやることが残っているので、すぐに家に帰る気がせず、さらに喫茶店でボケーとした時間を過ごす。自分で勝手にメリハリの生活が必要だと決めつける。

 1泊で出かけた編集会議の間、 新聞を読んでいなかったため、今頃気付いた話題ですが、28日に環境省がレッドリスト(絶滅の恐れのある野生生物のリスト)の第4次見直し結果が公表されていました。その結果は生物9分類合計で、3430種となったとのこと。(第3次レッドリストの平成18~19年では3011種)
 レッドリストはおおむね5年ごとに見直しており、公表されているが、今回のデータだけでも200ページを超える厚さである。そこにはただ無味乾燥なレッドリストの該当種や新旧の絶滅程度の一覧表があるだけである。ただ新聞はコンパクトにまとめており、新聞のタイトルとなったため、皆さんもご存じのことと思うが、新たにニホンカワウソが絶滅(EX)と判断されている。ニホンカワウソが最後に確認されたのが、1979年でそれ以来確認されていないことから、絶滅に指定された次第である。
 その他、気になるのは、ハマグリが新規に絶滅危惧Ⅱ類(VU)に指定されていることである。現在桑名の赤須賀漁港では、桑名さんが取れているが、極めて高い。他の地域ではほとんどが中国などからの「シナハマグリ」だと言うことである。桑名近くに住んでいるからには、桑名産のハマグリを食べたい。
なお新聞では少し古いのですが、28日付の読売新聞が見つかりました。
   http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20120828-OYT1T00594.htm
 ちなみにこのレッドリストが出版物として「レッドデータブック」が発行されるのは2年後らしいです。

9月2日(日)
 伊吹嶺運営委員会。15周年記念大会も間近になり、運営委員会としての最後の詰め。
 運営委員会終了後、櫻井さんが現在、「2012一宮美術作家協会展」に特別展示されており、元岐阜の俳句仲間で櫻井幹郎さんの展示を見に出かけた。櫻井さんのは、特別展示で10数点が展示されており、テーマはすべて「まんだら」。ただ私は抽象画はよく分からないが、毎年「まんだら」を描き続けることは相当の信念がないと出来ないだろうと、変なところで感心した。以下は今日のメンバーと櫻井夫婦。そしてもう1枚は櫻井さんの「まんだら」シリーズ。こうしてみると壮観である。

9月1日(土)
 チングルマ句会。指導者の山下さんの都合が悪く、進行役を務める。最近のチングルマ句会のメンバーはずいぶんと熱心に取り組んでいる。これも玲子さんが秀句賞を受賞したため、刺激を受けたのだろうか。うれしいことである。
 今日は震災忌。例年だと、震災忌、二百十日、厄日などの季語は一致しているが、今年は閏年のため、二百十日、厄日は昨日であった。震災忌の季語も本来は関東大震災であるが、その後、阪神淡路大震災、東日本大震災が続いているので、むしろ本当の震災忌は3・11の東日本震災忌かもしれないし、フクシマ忌かもしれない。これも毎年俳句の実作で定着させるしかないだろう。(84094)
   マネキンを担架で運ぶ震災忌   栗田やすし
   震災忌置く箸の音匙の音      三橋敏雄
   江東にまた帰り住み震災忌     大橋越央子
 
ちなみに越央子はホトトギス同人で、私が電電公社に入社したときの総裁である。

8月31日(金)
 烏瓜の花の咲く期間は長い。まだ咲いているようで、妻が烏瓜の押し花を作った。下紙を黒にすると花がよく浮き出る。その烏瓜の押し花を紹介します。もう花の時期はおしまいなので、これが最後になるかもしれない。



8月28日(火)ー29日(水)
 例年、8月の編集会議は1泊で行う。10月の編集と12月の企画。またこのところ毎月、1月号の15周年記念号の企画を続けている。今回は大まかなページの割り付けを行う。
 編集会議の前後に彦根と沖島を吟行。2日間とも残暑が厳しく、間の悪いことに帽子を忘れて、熱中症間際になってしまう。
 写真は彦根城と沖島での鮒寿司準備の様子。


彦根城の天秤櫓の入口

沖島で鮒を捌いているところ

8月26日(日)-27日(月)
 長男の孫が夏休みの宿題をどっさり与えられながら、全然やっていないため、三重の自宅に連れてきて、特訓。しかし基礎が出来ていないので、なかなか進まないし、根気力がなく、不十分なままで終わる。このままでは駄目なのでなんとか方策を考えなければならない。しかし本人はまだ言うことを聞いて、勉強するというのを信じるしかない。

8月25日(土)
 今日は名古屋周辺のインターネット部とそれ以外に伊吹嶺の将来を担う若手3名に集まって頂き、10年後の伊吹嶺のインターネット部はどうあるべきかという大きなテーマであるが、皆さんにそれぞれ夢を語って頂いた。その前に皆さんに事前アンケートを書いて頂き、議論のたたき台として、1ペーパーにまとめて話し合って頂いた(いわゆるタートル分析図という手法があるが、そのミニチュア版である。)。インターネット部の現実にある課題、5年後の課題、そして10年後の夢というステップになるが、どうしても現実にある課題、問題点に話が流れる。これはやむ得ないことだろう。今日の座談会を元になんとか文章にまとめたい。(83908)

8月24日(金)  処暑の続き(「俳句」8月号、『日本の七十二候を楽しむ』)
 昨日は処暑について、特に処暑の季語と季節感がずれていることを書いたが、これは何も処暑に限ったことではない。最近読んだ雑誌、本で気の付いたことを書きたい。
 まず一寸月遅れになったが、皆さんも読まれたことと思うが、「俳句」の今年の8月号に緊急座談会として「どうなる二十四節気」の記事があった。宇多喜代子、長谷川櫂それに暦の会会長の岡田芳朗の3名の座談会である。
 ことの発端は、昨年日本気象協会が従来の二十四節気を見直して、「日本版二十四節気」を作ると言い出したことから始まった。メンバーとして気象協会の肝煎りのメンバーの他、俳句界から唯一長谷川櫂が参加している。要は暦はお上(政府)が決めるものだから、日本気象協会に決めさせようというものである。結論的には、新しい二十四節気を作ることは「日本文化の土台にかかわる。これを動かすとなると影響が大きすぎて、例えば過去の文学が分からなくなって、文化の断絶も起きてしまうという認識になった。それで二十四節気はそのままにして日本人の季節感を表すいろいろな言葉を・・・月ごとに選んではどうかという話になっている。」というものである。宇多喜代子はこの話を聞いて腰が抜けるほどびっくりしたと言い、「二十四節気を動かしたら、何かがぐちゃぐちゃになる。そう直感しました。私が俳人であろうとなかろうと、違う日本になるんじゃないかって、大げさに言うと、そう思いました。」と極めて正当な意見である。私達俳人は皆、宇多喜代子の発言どおりの意見を持っていると思った。さらに実態を読むと、国の法律で「国立天文台で毎年暦を作れ、中味は・・・と言い、そのための教授、助教授、職員も入っている。」ここは独立行政法人であり、そのため、組織としても何かをしなければならない。そこで二十四節気を作り直すというとんでもない発想が出たのだろう。いわば官僚の天下りポストのためにある組織ではないのか。
 次に最近読んだ本では『日本の七十二候を楽しむ』とある旧暦のある暮らしの紹介本である。ここでは二十四節気から、七十二候まで詳しく書いてある。こういう本が出ること自身望ましいことであるが、私の考えではこの本は最近の温暖化現象の問題は横に置いて、旧暦の暮らしの良さを書いている。もう少し現実の季節感とのずれが発生していることも書いてほしかった。

8月23日(木)  今日は処暑
 今日は処暑。TVでも盛んに解説されていたが、処暑は二十四節気の1つで、暑さが治まる頃の意。と言っても予報どおり、今日は日本全国真夏日となり、猛暑日となった地域もあった。今年は特別太平洋高気圧が日本全土を覆ったため、と解説されていたが、もう少し長いスパンで見れば間違いなく今後とも処暑に猛暑日を記録することは間違いない。地球温暖化の影響で、どんどん日本は熱帯化しつつある。今の日本では「処暑」を感じるのは10月頃になってからではないか。季節感が2ヶ月ほどずれている感じである。
 本来、歳時記には「処暑」は旧暦では7月中旬、太陽暦では8月23日頃となっている。明治時代に暦が太陽暦に移行したときは多分これで季節感と一致していたのであろう。また二十四節気をそれぞれ三候に分けているが、処暑は「鷹鳥を祭る」「天地始めて粛す」「禾すなはち登る(みのる)」とあり、このうち初候は中国の行事であるが、二候は「天地に粛殺の気が満ちる」とあり、やはり中国の行事であるが、日本では「ようやく暑さが収まり、夏の気が落ち着き、万物が改まる時期」とある。全然こんな印象はない。
 以前から「処暑」の句を作ってみたいと思っていたが、猛暑日の中で作る自分を想像すると、違和感を感じる。
   目薬の処暑の一滴頬伝ふ  長村雄作

8月22日(水)
 俳句の公民館講座。ほとんど全員が初心者のため、余り難しいことも言えないので、どのレベルにあわせるかが問題。句会は今日で2回目になるが、まだまだ丁寧に説明していく必要がある。

8月21日(火)
 「やらんならんことをやらんならんときにやらずにおくと・・・」の言葉のとおり、最近の私はぎりぎりにならないと取りかかれない。とりあえず今日は、明日の公民館講座の教材作りで終わってしまう。あと今週中に2件程「やらんならんことが」溜まっている。

8月20日(月)
 再修理に出していたパソコンがやっと戻ってきた。2回目の修理に出した結果は、異常なし。間違いなく2回目の修理の時は直ぐフリーズしたのだが、異常なしとのこと。本当に以上がなかったのかにわかに信じられない。今のところ正常に動いているので、いろいろな初期設定に時間がかかる。あわせて無線LANも不調になっていたので、こちらは新たに購入して、こちらも初期設定に時間がかかる。それでも最低限の1台のノートパソコンのみの設定しかできなかった。まだモバイルノートと無線プリンタの設定が残っている。
 故障中、全ての仕事、私用は古くて、超遅いノートパソコンを使っていたので、効率が上がらなく、いぶきネット句会のチャットも最初は全然動かなく、共生切断後やっと動くようになった。少しは暇が出来たら、ノートパソコンを軽くするために、不要ファイルの削除、ディスククリーン、テンポラリメモリの削除、そしてデフラグなどで軽くしてみたい。

8月19日(日)
 3週間続いたビオトープ講座の最終日。何となくビオトープ管理士の役割が分かったような気がする。
 夜はカリンカ句会。めずらしく10名が集まり、狭い部屋が満員。欠席投句のTさんの句が一番の評判。

8月18日(土)
 いぶきネット句会の添削、全国大会の選句、ibukinet原稿の作成、同人月評の宿題など毎日細々とやるべきことが多いが、面倒なことはつい先延ばしになってしまう。俳句以外のことでも書類を作ることが多く残っており、いったい毎日自分は何をしているか反省だらけである。
 このところ毎日烏瓜の花が咲いている。夜出かけるのも面倒なので、昼間、妻に摘んできて貰って夜鑑賞している。部屋の中ではフラッシュのため、ほとんどハレーションを起こしてしまうのでうまく撮せないが、一応載せます。抱瓶ばかりが目立つ写真です。(83739)

8月17日(金)
 N社の審査結果報告書を提出。こういう報告書はやり出せばスムーズに進めることが出来るが、細切れの時間で書き足すことは難しい。集中して一気に書くしかない。その後諸々の添付資料を整理するのも時間が掛かるがこれは2日目以降になる。すべてで20~30ページの報告書となる。

8月16日(木)
 田舎の東員町でもようやくガスが天然ガスに転換された。今日、明日とその工事が続き、在宅してくれとのことで、身動き出来なかった。最初、天然ガス切替の話があったとき、いっそのことガスレンジをIHクッキングヒーターに変え、家全体もエコキュートに切り替えてオール電化にしようと思ったことがあった。しかし結局は耐用年数と収支の見通しが分からなかったので、止めたことがあった。その後、東日本大震災が発生して、今から思うと信用出来なくなった電力会社に踊らされず、オール電化にしなくてよかった。人生すぐ先のことは何も分からないものである。
 夜、いぶきネット句会の合評会の2日目。今夜も20名近く参加して頂き、次第に定着しつつある。

8月15日(水)
 今日は終戦日。いつものように正午の全国戦没者追悼式を見る。毎年のことながらこの日は特別の日である。私の父は幸いに昭和20年を待たず、満州、中国から退役になり、戦災遺児にならずに済んだ。今から思うと本当に紙一重の生還であった。
 毎年この日の俳句はおびただしい句が作られているが、昨年の8月15日の日記を見ると、10句程度終戦日の句を書きだしている。少し選句を替えて、再度書きだしてみる。
   父の碑に真水供ふる敗戦日    栗田やすし
   亡き父の母への便り敗戦忌       〃
   靖国の靖はわが名敗戦忌        〃
   土熱く焼けゐし記憶終戦日      沢木欣一
   生きのこり黒き句集や終戦日       〃
   木々のこゑ石ころのこゑ終戦日   鷹羽狩行
   敗戦か終戦かかの氷水       宇多喜代子
   敗戦日空が容れざるものあらず   石田波郷
   生き延びし学徒兵われ敗戦忌    木暮剛平
   裸寝の覚めて出歩く終戦    林 徹
   敗戦日少年に川いまも流れ     矢島渚男
   終戦忌杉山に夜のざんざ降り   森 澄雄
   吊り皮のみな手錠めく敗戦日    木田千女
   敗戦日人を上目に豚が見る     川口重美
   終戦日妻子入れむと風呂洗ふ   秋元不死男
   終戦日黙禱すべく家にあり      鈴木みや子
   珊瑚積む墓標八月十五日      関根切子
   野仏に石の火照りや終戦忌     宇佐美こころ
   終戦の夜も満月の月なりき      夏目悦江
   紐つけて豚の散歩や終戦日     栗田せつ子
   螺子捲いて動く時計や終戦日    熊澤和代

   苦瓜の爆ぜて真つ赤や終戦日   都合ナルミ
   叩いても鳴らぬラジオや終戦日   牧野一古
  
(なお一部「ムーさんの徘徊歳時記より引用させて頂きました。)

 
ところでみや子さんはお元気だろうか。電話では元気そうだとの句が見られたが、もう一度お会いしたい。
 夜はいぶきネット句会句会の合評会。隔月に進行役を担当していると、進行のやり方を忘れてしまうこともある。今夜は20名が参加して、賑やかに意見が飛び交った。特に男性の会員の皆さんからの発言が多く感謝。

8月14日(火)
 朝起きたら、名古屋は豪雨で雷も鳴っている。茶臼山高原に出かける予定で、躊躇していたが、思い切って出かける。幸いに青空はわずかであるが、雨もなく、涼しい高原をゆっくりと歩く。道のりは結構長く、結局、我が家に帰ったときは夕方の7時になってしまう。
 この2日間のブランクを明日から取り戻す必要がある。写真は茶臼山で全員集合。

8月13日(月)
 長男の義父のSさんのところへ一度ゆっくりと飲みたいと約束していたが、なかなか機会がなかったが、今日やっと義理が果たせた。Sさんは奥さんが50歳代で亡くなって、もう8年も過ぎる。今は一人ですべての家事、料理をこなしている。夜は長男一家と賑やかに夕食。最近はダイエットのため、アルコールを控えていたが、今夜は久しぶりにたがが外れるくらい飲んでしまう。話はどうしても成績の悪い下の孫の話になってしまう。

8月12日(日)
 今年もお盆のため、お寺さんにお経を上げて貰う。その帰りの足で名古屋句会。人数は少ないが毎月全員出席でありがたいことだ。明日から2日間留守にするので、あわてて今月の遠峰集の投句。

8月11日(土)  「江東歳時記」(石田波郷)
 現在、TVで「三丁目の夕日を探して」の番組がある。これはアニメ「三丁目の夕日」の舞台となった昭和30年代の東京下町を探し歩くもので、スカイツリーオープンに合わせた番組である。実は知らなかったのだが、既に5月に放送された番組で、今は15分番組での再放送。その再放送ももう終わる予定である。
 何故こんなことを書いたかというと、番組は石田波郷が書いた「江東歳時記」に掲載されている写真と「三丁目の夕日」を重ね合わせて、東京の下町を探すもので、久しぶりに波郷の「江東歳時記」が出て来て懐かしくなったためである。早速段ボールから「江東歳時記」を出してみると懐かしい。出版は昭和41年で、もとは讀賣新聞に昭和32年より115回連載されたのが出版されたものである。内容は写真と随筆の見開きとなっており、おびただしい写真が並んでいる。写真の舞台は住んでいた砂町の江東区から、足立区、葛飾区、墨田区、江戸川区などで、今ではこれらからすべてスカイツリーが見える場所であろう。また波郷はカメラと椿が好きで、カメラは当時最高級の二眼レフや一眼レフを使用していたらしい。
 この歳時記を購入した当時の印象は覚えていないが、写真が豊富で今から思うと句材もたくさん並んでいたことだろう。ただ1回、この歳時記の範囲外の浦安港へ出かけたことがあった。その頃はまだこの「江東歳時記」の舞台と同じ海苔舟が並んでいた。まさかここが東京ディズニーランドになるとは思いもつかなかった。
 この「江東歳時記」を検索したところ、amazonなどでは扱っていないようだ。古書検索すると8000円から特装本で18900円とあった。なお講談社文芸文庫から文庫本で2000年に発売されているが、これも在庫なしと出ていた。
 以下、「江東歳時記」に出ていた俳句を二十句程度を抜き出してみる。

   用もなく乗る渡舟なり猫柳 (矢切の渡し)
   かげらふや千の影おく植木鉢 (西小松川)
   抽んでて辛夷の白や植木市 (小岩 善養寺)
   河岸も狭(せ)に海苔網干せりうららかに (深川 古石場)
   土くれに下りて影もつ春の蝶 (西小松川)
   襤褸市や羽影すぎゆく春の鳶 (葛西 昇覚寺)
   灯入れて葭戸透くなりどぜう鍋 (深川「伊せ喜」)
   氷庫出て現し世の雨嘆くかな (千住橋戸)
   萩に風立ちやすし百花園 (向島百花園)
   干し煎餅蜻蛉の朱を点しけり (足立区島根町)
   ひたすらの熊手作りやはや暮るゝ (葛飾区 青戸)
   乾き反る和本表紙や百舌猛る (水元小合上町)
   稲架とれて京菜のみどりにほひけり (江戸川区一之江)
   猪吊れば夜風川風吹きさらし (両国橋畔ももんじゃ)
   行く年やしづかに乾く兎皮 (葛飾区 青戸)
   湯気あげて小部屋めでたしちゃんこ鍋 (東両国 錦島部屋)
   牡蠣剥くやかげらふばかり海苔干場 (葛西二丁目)
   日は低し葦刈舟の水尾を染め (江戸川四丁目)
   曇りつゝ薄日映えつゝ達磨市 (西新井大師)
   前髪にちらつく雪や初不動 (深川不動尊)
   葛飾に歳時記を閉づ野火煙 (葛飾区水元小合町)


 そして最後の句を以て、砂町から練馬区へ引っ越しした。

8月10日(金)
 めっきり朝晩が涼しくなった。今年は暦通り、秋が訪れた印象。緑のカーテンとして使っている朝顔もそろそろおしまい。今朝咲いた朝顔の写真を載せます。
 最近ダイエットに心がけて一時は1.5kg程度下がったが、ある程度過ぎると身体が慣れてしまい、また元に戻りそうで、これからもせっせせっせとウォーキングに励むしかない。
   朝顔でなければ見られぬ紫と桃色  細見綾子

8月9日(木)
 今日は長崎原爆忌。昨年初めて長崎を訪れたが、改めて長崎での原爆禍も悲惨なものと知った。今日の長崎市長の平和宣言では福島原発事故に触れ、「長崎市民はこれからも福島に寄り添い、応援し続けます。」と述べ、日本政府へ、「放射能に脅かされることのない新しいエネルギー政策の目標とそこに至る明確な具体策を示して下さい。」と締めくくっている。本当に日本中が長崎市長の宣言のとおり、福島だけでなく、宮城、岩手に対しても瓦礫の広域処理など、東北3県に寄り添い応援することが大事ではないか。
 首相挨拶では当たり障りのない挨拶になっているが、次は生活と安全を守るために、泊原発(既に試験運転とストレステストを行っている)を再稼働させたいと言うのではないか。
  七夕竹弔旗のごとし原爆地  沢木欣一

8月8日(水)
 昨日よりもさらに明け方は涼しくなってきた。そろそろ歳時記も秋に切り替え時か。ようやく「紀要」のゲラ原稿が届いたので、やっと実感が湧いてくる。すぐに校正を行い、明日返送することにする。(83484)

8月7日(火)
 今日は立秋。日中は相変わらず猛暑日に近い気温になるが、明け方は少し涼しくなる。昨年、1昨年に比べて、少し秋が早く来たような気がする。夕方涼しくなったので、1時間ほど散歩したが、やはり相当暑く、汗びっしょりになって帰る。 昨日からのU社の審査結果報告書をほぼ完成させたが、書き上げたとき、日本男子のサッカー準々決勝戦が始まってしまったが、これを見てしまうと睡眠不足になってしまうので、見ないで寝る。
   急ぐ雲急がぬ雲に秋立てり  細見綾子

8月6日(月)
 今日は広島の原爆忌。平和記念式典で、広島市長の平和宣言では福島原発事故を踏まえて次のように発言している。
 我が国のエネルギー政策について、「核と人類は共存できない」という訴えのほかさまざまな声を反映した国民的議論が進められています。日本政府は、市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立してください。
 ただこの市長の発言が果たして野田内閣にはどのように届くのか。「市民のくらしと安全を守るために、大飯原発を再稼働する。」という論法を使われてはかなわない。
 8月になってから何となくだらだらと過ぎてしまい、そろそろ本業のU社の審査結果報告書作成に取りかかる。これに取りかかるとほぼ3日間つぶれるので、なるべく効率的に仕上げたい。
   浮袋赤肌重ねヒロシマ忌     沢木欣一
   子を抱いて川に泳ぐや原爆忌  林 徹

8月5日(日)
 そろそろ「伊吹嶺」15周年記念号の編集に入る時期になりつつあるが、インターネット部として、「10年後の伊吹嶺のインターネット」というタイトルで、何か文章を書かなければならないが、その前にネット部の皆さんに数項目についてのアンケートを取り、その後一度打合せを行って、方向性が間違っていないか確認しながら、書いていくことになるだろう。その準備で結構時間がかかってしまう。

8月4日(土)
 チングルマ句会。毎月、17,8名は出席で、結構選び甲斐がある。今日は新人のM子さんに一番好きな句があった。
 句会後、Yさん、Sさんに誘われて瀬戸市の山椒魚の観察会に参加。瀬戸市のオオサンショウウオは蛇ヶ洞川のわずか数キロの間に約数10匹生息しているという。そしてこのオオサンショウウオは日本の生息の東限地にあたるという。最初30分ぐらい説明を受けている間に無線トーキーが入り、1匹見つかったということで、早速捕獲された川沿いに出かける。こんなにはっきりとオオサンショウウオを見たのは始めて。大きさは41cm、1.1kgぐらいと言い、比較的小さいが、一応成体。そしてこの蛇ヶ洞川で捕獲したものはすべてマイクロチップを埋め込んで、放流していると言うが、今日の成体はチップが入っていないため、新しい個体として発見したものという。寿命はうまく行けば100年というから、私達の時代を超えて生きていくことを願いたい。触ってもよいと言うことで、触ってみると予想通り柔らかい身体だが、蛸に触っている印象であった。珍しい体験をさせて頂いたが、これがそのまま句になるかどうかは別問題。

8月2日(木)  「俳句四季」8月号
 今日はいつものように、毎月の定期診察。ただ今週末に句会が予定されているので、思い切って一人で東山植物園に出かける。案の定、猛暑日の中、入場客はほとんどいない。特に一番奥のビオトープでは誰も会う人がいなかった。ただビオトープはほとんど自然生態が復元されて、うっそうとしていた。ビオトープが作られたのは平成21年の3年前である。私はそのオープン前に出かけたが、その時の池などは防水シートで作られていたのを思い出す。今は池の水は自然の湧水で満たされている。ビオトープは何もないところから人工的に自然生態形を作るのも一つだが、元々あった自然が荒廃されたところを再生するのもビオトープである。なお右の写真は東山植物園で見つけた鹿の子百合。ただ鹿の子百合は元々は野の百合だったのが、最近は栽培種として、普通の民家にも見られる。本来は自然の中にあってほしい百合である。

 皆さん、「俳句四季」の8月号を見られましたか。今月は矢野孝子さんが下里さんの特選に選ばれています。
   セザンヌの果実転がりさうな春  孝子
 さすが絵画が好きな孝子さんらしい句です。このセザンヌの「果物籠のある静物」の絵を見たことがあります。セザンヌはあえて構造的に安定していない果物を描いて当時の印象派から新しい時代への開拓した画家です。そう言えば、ピカソもそうですね。
 この他に何度も引き合いに出しますが、
   ローランサンその桃色の春ショール   孝子
   ゴッホの黄ゴーギャンの赤もみぢ照る   孝子

 どちらも色彩豊かで、感性にも素晴らしいものを持っています。特に「ゴッホの黄」の句が同人句会で投句されたときは、私はもちろん選びましたし、当日の最高の句だと思っていました。その句に続いて「セザンヌの果物」も同様な色彩感覚と、「転がりそうな春」の断定がよかったと思いました。(83346)

8月1日(水)
 修理されて戻ってきたパソコンも満足に動いたのはわずか2日程度。昨夜から起動をかけて2,3分でフリーズしてしまう。今日は何度強制立ち上げしてもフリーズしてしまうので、また修理に出す。たぶん今回も半月以上もパソコンも使えない。この日記を書いているのは古いノートパソコンで、今までのメモリーのゴミが溜まって、動作が遅いことこの上ない。またHPのアップで写真を入れると、写真化けしてしまい。再度当分の間、孝子さんに伊吹嶺HPの維持をお願いすることになる。

7月31日(火)
 今年の暑さもピークに近づきつつあるが、一昨年はもっと暑かったそうだが、良く覚えていない。この頃は毎年、今年が最高の暑さだと思うようになった。
 この頃は夜明けとともに、クマゼミの喧噪でゆっくりと朝寝坊も出来ない。元々夜型の私にとって、この頃は寝不足ではや午前10時頃になると、眠くなる。そして正午頃になると、クマゼミも昼休みなのか、ぴたっと鳴き声が止む。午後1時過ぎになると、次はアブラゼミの声に変わる。最近はそんな毎日だったのが、今日初めて、蜩の声を聞いた。もう秋かと勘違いしたのか、それともこの頃の日本というか、地球は温暖化で狂ってきたのか。蜩は8月も終わり頃の夕方にしみじみとした鳴き声を聞くからこそ、季節の移り変わりを感じる。

7月30日(月)  「伊吹嶺」8月号
 ようやく伊吹嶺賞の応募文章を発送。戻ってきたパソコンにいろいろな設定やソフトのインストール、この半月間、やり残してきた事などをやろうとしたら、またパソコンがフリーズしてしまう。5回に1回ぐらいは調子のよいときがあるので、集中的に伊吹嶺HPのまとめてアップやメールの整理を行う。
 「伊吹嶺」8月号が届いたので、早めに感想を述べたい。まず栗田先生の句、
   梅雨寒やかくもかぼそき翁杖   やすし
 6月20日に大津市で行われた「風」の会に出かけたとき、義仲寺に寄ったときの句。芭蕉が最後に持っていた杖だろうか。椿で作った杖であるが、いかにも細くて折れそうな杖だったことが思い出す。こういう些細な物を発見して句になす態度を見習わなければならない。次に秀峰集から、
   大地震の話しも少しうなぎ丼    近藤文子
   久に聞く張りのある声青葉風    中川幸子
   友思ふ深むらさきの花通草     山下智子
   青空へさざ波なせる山若葉     梅田 葵
   おぼろ夜の神に窯変ゆだねけり  櫻井幹郎

 近藤さんの句、相変わらず俳諧味のある句を作られる。自身の深刻な話なのに、「うなぎ丼」が出てくると、俄然近藤さんらしさが出てくる。
 中川さんと山下さんの句はいずれも鈴木みや子さんの句。私もかれこれ1年近くお会いしていない。1年前はずいぶんと痩せられていたが、最近は未だ元気が出てきているとか。〈久に聞く電話の声の涼しかり 一古〉の句もあることから、少しは元気になられたのだろう。いつまでもお元気でいてほしい。私が初心者時代にずいぶんと教えて頂いたものである。
 葵さんの句、相変わらず感性は若い。新緑の山に風が吹いたとき、さざ波が走るように見えるのは普通だが、そのさざ波が「青空へ」ということは単に風が抜けたのではなく、青空にも風のさざ波が見えたように詠まれたのではなかろうか。写生を超えた写生である。
 櫻井さんにしてはめずらしく常滑へ出かけた吟行句。しかしこの句は眼前に見た句でなく、帰宅してから推敲しているうちに窯に作られる陶器はまさに人間の業では出来るものではなく、神にゆだねるかもしれない。やはり櫻井さんらしい発想である。
 遠峰集は今月の皆さんの句を読んで特に感じたことだが、比較的新人の感性の鋭い句とベテランの即物具象のそのものの句に分かれているのに気付いた。
   木洩れ日に日食の影楠若葉     関根切子
   通し矢の利き目に風を捉へけり   宇佐美こころ
   影尖る防塵マスク灼けゐたり     中野一灯
   指で診る出刃の切れ味初鰹     渡辺慢房
   舌先にかすかな苦味草の笛     小田二三枝
   万緑や鍵を手首に露天風呂     熊澤和代
   五月野のうねりの果てに観覧車   伊藤範子
   新緑に指の先まで染まりけり     利行小波
   桜桃忌縹の空に一つ星        矢野孝子
   虹色の光走れり蜘蛛の糸       八尋樹炎

 これらの句はいずれも感性が鋭い句である。ここにはもちろん若い人もいるが、年齢に関係なく若さがある。こういう句は「風」で育った同人のようにひたすら即物具象を守ってきた方とは違う物を持っている。一方、ベテラン同人には私達がお手本にしなければならない句が多い。
   草引きて春雷句碑と真向かへり    松本恵子
   磨崖仏仰げば瑠璃の声降れり     磯田なつえ
   牡丹にかがめば遠き師の声す     栗田せつ子
   一山を明るくしたり楠若葉        田畑 龍
   かきつばた躙口まで水匂ふ       森 靖子
   初夏の青き風受く観覧車        平松公代
   山車の木偶布かぶされて出番待つ  福田邦子
   田水張る雀の鉄砲隠すほど       都合ナルミ
   夏菊や膝丈ほどの巴塚         下里美恵子
   花屑に乗りそこねたり水馬       長江克江
   川渡りきってくちなは耀けり       坪野洋子

 これらの句はいずれも即物具象が身になじんでいる。
 こういう句を並べてみると、我が身の感性、写生力のなさを嘆かざるを得ない。

7月29日(日)
 相変わらず暑い毎日で、名古屋に出かけると、クマゼミが殊にうるさい。近年ますます暑さがひどくなってきているのではないか。
 今日はビオトープ講座。3週連続で日曜日がつぶれる。ただ少しずつビオトープとは何で、生態系の保全、復元、創生は何かなどが分かり始めてきた。
 故障のため、修理に出してあったパソコンが戻ってきた。とりあえずインターネット、メール機能だけを復旧させる。

7月28日(土)
 「伊吹嶺」編集会議。9月号の編集と11月号の企画。15周年記念号を控えているため、9月号は通常編集。来年からは一部執筆者の変更などを予定している。
 インターネット部としては、来年から「伊吹嶺」のカラーページの部分、ホームページなどの構成も抜本的に見直したい。そろそろネット部の皆さんと相談して決めていきたい。

7月24日(火)-26日(水)
 今日から3日間連続で品質+環境審査。連日の猛暑で、3日間連続の審査はさすが疲れた。やはり年齢の衰えを感じる。久しぶりにメタボ対策を忘れて、ストレス解消にビール、日本酒などを飲む。
 夜暫定報告書を送付する作業に入ったが、今度はノートパソコンの無線LANが故障してしまい。このノートパソコンを本来のデスクトップの机を片づけて、直結でつないでなんとか暫定報告書を送付したときは、日付が越えようとした。
 また明日から俳句モードに移りたいところだが、これで審査結果報告書作成が3件溜まる。そのうち1件は本来は明日が締切だが、来週に延ばして貰うよう交渉する。(83200)

7月23日(月)
 伊吹嶺賞の文章の部をどうしようかと思っていたが、今頃になって途方に暮れている。とにかく書くだけ書くことにした。
 一方今週は明日から3日間、環境+品質審査を控えているので、残り時間は少ない。

7月22日(日)
 名古屋に着いたとたんクマゼミの喧噪に覆われる。東員町はまだアブラゼミが鳴き始めたばかりなのに、名古屋はやはり乾燥して、暑いことが分かる。
 ビオトープ講座の2日目。今日はビオトープ関係の環境法令、ビオトープの施工方法。環境法令と言っても日頃審査で必要な法・規制と違っているが、生物に関することなので、一度覚えると分かり易いのではないか。ビオトープの施工方法と言っても、実務をやっていないので、頭の中で理解するしかない。ただ生物に優しい土木工事と一般の土木工事の要求事項とは違っているので、実際に生物に優しい工事の理念は分かるが、現実問題として、国交省、地方自治体の意識を変えないと実現は難しいのではないか。

7月20日(金)   ベートーベン交響曲第6番(コバケンスペシャルファイナル)
 2004年から足かけ9年掛けて演奏されてきたコバケンスペシャルも今日で最後の演奏会。名フィルの演奏技術がいまいちでもコバケンが指揮を執ると、見違えるような演奏になることもある。特にいつもホルンの不協和音のような音に違和感を感じたものだが、コバケンの時はそんなに感じなかった。シリーズとして一番思い出に残っているのが、「マイ・フェイヴァリット・ナンバーズ」で、各作曲家のそれぞれ第1番から9番までの一番有名な交響曲を演奏するもので、一番楽しめた。またチャイコフスキー・シリーズ、ベートーベンシリーズ、ロシアン・シリーズ等々テーマを持って聞けたのも面白かった。
 今日はベートーベンの『田園』。この曲は第5番の運命とほとんど同時に作曲された交響曲で、当時の古典派時代にあって、各省に標題が付けられているのが珍しい時代であった。後のロマン派になると、交響詩というジャンルで標題音楽が盛んになった。スメタナ、リヒャルト・シュトラウス、サン・サーンス、リムスキー・コルサコフ、シベリウス、ストラビンスキーとロシア派音楽まで続く。
 最後の『田園』を聞いている間、これまでのシリーズで演奏された交響曲を思い出しているうちに、あっという間に最後を迎えた。定番の「ダニーボーイ」のアンコールを聞いていると、少し感傷的な思いにとらわれた。またいつか名古屋に帰ってくることもあろう。

7月18日(水)
 2回目の「俳句入門」の公民館講座。今月から俳句の講義を極力少なくして、実践の句会を中心に行うこととする。始めて俳句を作ったというメンバーがほとんどのため、投句された句を見ると主観的で、感情をもろに表わした句が多いのはやむ得ないだろう。これから「写生」という基本ワードを中心に指導していくしかない。それでも中には今後期待できそうな句も多かった。講義では特に「俳句で何を詠むか」をテーマの中で、写生の重要性を強調したので、さらに来月に期待したい。
 句会の実践は始めてということで戸惑った面もあったが、こちらはすぐに慣れそうな印象。一度に多くのことを教えないで、1ヵ月に1テーマなどと少しずつ教えていきたい。

7月17日(火)
 3連休のあと、S社の審査で指摘した是正処置回答について相談を受けたり、N社の審査計画書について次々と相談の電話が入る。審査での指摘事項については是正処置回答書の答を言うわけにはいかないが、ある程度規格要求事項の本意を説明しながら、回答の参考になればと、抽象的なやりとりで是正処置回答書を考えて貰うしかない。このあたりが審査員としてつらいところである。
 今日はニュースでも梅雨明け宣言があったという。やはり昨日の蝉の声は梅雨明けを感じていたのだろう。今日の蝉の声は元気いっぱいである。しかしこれがもう少し暑くなって猛暑日となると、今度はクマゼミが鳴き出して団地中がうるさくなる。(82986)

7月16日(月)
 相変わらずの梅雨模様であるが、一寸気温が上がったせいか、散歩していると油蝉がよく鳴き出した。普通蝉は梅雨明けと同時に一斉に鳴き出すのだが、もう鳴いているのは、蝉は待ちきれないのか、蝉としては梅雨明けの気温となったことを知っているのではない。

7月15日(日)  ビオトープの勉強
 そろそろISO審査員を卒業したいのだが、あとの人材がいないと、適当な理由を言われて、なかなかやめさせて貰えない。そのためにも審査員生活が終ったら、何か環境に関したボランティア活動もしてみたいとの考えから、「ビオトープ」について勉強したいと思い、講習会に参加する。よくビオトープというと、学校や荒れ地に人工池や人工湿地などを作って、疑似自然を作ることだと思われているが、本当のビオトープの定義は「生き物が住んでいるところで、生態系があること」と言われている。ウィキペディアの定義によると、「生物の住息環境を意味する生物学の用語」で発祥地のドイツでは、「有機的に結びついた生物群。すなわち生物社会(一定の組み合わせの種によって構成される生物群集)の生息空間」と位置付けている。
 こんな理屈をつけて数回のビオトープ講習会に参加することにした。その後はどうなるか分からないが、この理由で審査員生活を辞めますと、ISCに頼もうと思っている。
 今回は初めての講習であるが、いわゆる生態系一般であると考えると、今までの知識でなんとか分かるのではないかと思う。いつまで続くか分からないが、今日がスタート点である。
 そのあといつものようにカリンカ句会。今日は全然句の準備がなかったので、さんざんの成績。

7月11日(水)-12日(木)  現代俳句評(「伊吹嶺」7月号)
 U社の品質審査。今回は更新審査のため、2日間コースで、一寸大変。なんとか終えたが、丁度強い雨が降っているときだったが、工場内の審査のため、幸い。帰りに大垣駅前の店で今頃おいしい水まんじゅうを買うのが楽しみ。これで1句が出来れば、さらに言うことないのだが。
 なお「伊吹嶺」7月号に「現代俳句評」を掲載していただいたので、【こちら】から入って下さい。

7月10日(火)
 今日は愛知同人句会。その前にネット部の愛知メンバーが集まって、今年後半のネット部の行事の打合せを行う。「いぶきネットの四季」は軌道に乗りつつあり、今後の執筆者の検討、オフ句会の計画、今後のインターネット部の抱負の原稿など、いろいろ課題がある。喫茶店でなく、小さな会議室を借りて打合せを行う。今後の課題は多い。

7月9日(月)
 ずっと調子が悪かったデスクトップパソコンがとうとう使えなくなった。今はやむ得ず古くて、超遅いノートパソコンでメール、仕事などをこなしている。HPは文字情報だけだとなんとか動くが、伊吹嶺落書などの写真入りだと写真が化けてしまい、ダウンロードできない。そのため当然アップロードも出来ない。
 もう1台審査専用に持参している携帯ノートがあるが、これは振動を与えても好いように、HDDを機械的な円盤方式でなく、フラッシュメモリによるSSDを使用しているため、HDD容量が極めて少ない。しかし試しにこの携帯ノートでホームページビルダーをインストールして、動かしてみた。するとなんとか正常に動いた。そうすると他のアプリケーションのための使用容量が少なくなるので、とりあえずUSBメモリにホームページビルダーにソフトを入れたりした。そのため使いづらいことこの上ない。これは緊急事態用とすることにして、当面ノートパソコンでなんとか過ごすこととする。
 当面、伊吹嶺HPや落書には関われない。またこの私のHPも文字情報だけの日記となります。
 今日一日中あれこれとパソコンにかかり切って、夕方には修理に持ち込む。パソコンはメーカー送りになるので、修理されて戻ってくるときは、いつのことか。(82802)

7月8日(日)  化学物質管理の落とし穴(日経エコロジー 8月号)
 名古屋句会。いつもと同じ成績。
 今年5月、関東地方の利根川水系でホルムアルデヒド検出さわぎがあったが、それ以降の経緯、問題点が日経エコロジーに特集で掲載されていた。事の発端は首都圏約36万世帯がホルムアルデヒド検出による断水さわぎからである。このホルムアルデヒド濃度が基準値の2倍になっていたためである。原因はDOWAハイテックが産業廃棄物処理業者に処理を依頼したヘキサメチレンテトラミン(HMT)の中和処理した後、利根川水系に放流していたためである。
 ・これらを規制しているものとして、実に多くの法令がからんでいる。
 ・廃棄物処理法--排水の中和処理段階での違法性がなかったか。
 ・水質汚濁規制法--組織から外部へ各物質を含んだ排水(この場合はHMT)に規制された物質を放流していないか。
 ・化学物質排出把握管理促進法(化管法)--生態系に有害な恐れがある化学物質の排出、事業所外への移動などについて国への届け制度(これをPRTR制度という)

 結論的にはどの法令にも違反していなかったが、結果的に有害なホルムアルデヒドが検出されたことである。
・HMTの排出は水質汚濁規制法、化管法に対して違法な物質でなかった。
・産廃業者に中和処理を委託した過程に違法性はなかった。
・ただ結果的に、HMTが水道水に使用する際に注入する塩素と反応して、ホルムアルデヒドが発生してしまったことである。

 ということで現在の化学物質の排出について現行法に抜け穴があったと言うことである。
 問題は今後どうするかであるが、根本原因は「廃棄物規制と化学物質規制の間に連携が取れていない」こととなる。そのためには有害物質が発生させる前のリスク管理を法令にどのように取り入れることが必要である。単にHMTの排出に水質汚濁規制法、化管法に追加するだけだと、また次のリスクが発生する。
 既に東芝、セイコーエプソン、ソニーなどは法令順守の先を読んで、次の「標的」を予測して先手を打ってリスク管理を行っている。
 また明治大学教授の北野大氏は”化学物質のリスク管理は「規制」と「自主管理」の組合せで成り立つ。今後化学物質のリスクの自主管理がいかに大切かということを示された例である。”と述べている。先ほどの東芝、セイコーエプソン、ソニーなどはリスク管理を大事にしていることになる。ただこれは先進的であるのではなく、既に欧州で規制されているREACH規制、RoHS規制に適応させないと輸出が出来ないからである。
 
 ということで今日は一寸難しいことを書きすぎた。

7月7日(土)  「伊吹嶺」7月号
 チングルマ句会。これまで勉強してきた下里美恵子集の勉強は終ったので、今月から毎月の「伊吹嶺」の伊吹集の4句欄の1句鑑賞をすることになった。今月は6月号からで、私は櫻井勝子さんの〈遺作展どの能面も春愁ふ〉を鑑賞した。
 毎月「伊吹嶺」が届くと、主な同人の句を鑑賞しているが、先月は忙しさからパスしてしまった。7月号を読んだところ栗田先生の句に惹かれるものが多かったので、主宰の句から、
   流し雛石につまづき列乱す        やすし
   ウィスキーは湯割りが好しと春炬燵    〃
   アカシアの花嗅げば来る山の蜂      〃
   松蝉や万博あとの池よどむ         〃


 1句目、前後の句から、吉野の流し雛のようである。〈石につまづき列乱す〉はじっと写生した結果であろう。いかにも田舎の流し雛の様子がよく見えてくる。
 2句目、「風」の会に投句した1句で、千田一路さんの特選となった句である。いつも沢木先生宅を訪れていたときの様子が浮かんでくる。私も一度風木舎を訪れたことがあったが、丁度「風」の編集会議を行っているときで、沢木先生、細見先生が炬燵に入って休んでいらっしゃった。この時はまだ日中で酒は飲まれていなかったが、まさにこの情景そのものであった。私は青梅マラソンの前日で青梅市に行くときにお寄りした時の思い出である。
 3,4句目、自然と親しむ吟行会の時の句で、2句とも自然のみを写生した句で、まさに「自然と親しむ」を忠実に反映していただいた。

 今月は栗田先生の句を鑑賞したので、秀峰集、遠峰集から特に惹かれた1句ずつを書き出します。
   楠新樹ひねもす風のうねりかな   梅田葵
   しろがねの雨こぼしけり白牡丹    平松公代

 葵さんの句、「風のうねり」に対して、「ひねもす」という一寸離れた言い方が逆に新鮮さを感じる。一日中、楠の揺れを眺めているうちに、それは風がうねっているせいだと判断したのだろう。
 公代さんの句、現実にはありえない描写であるが、白牡丹を見ていると、「しろがねの雨」が真実だと断定したところがいさぎよい。  

7月5日(木)
 N社の審査計画書作成に一段落ついて、近くの田んぼ道を散歩。一寸見ぬ間に咲いている花もすぐ変わる。今日は萱草の花が盛り。そしてもう露草が咲いている。また夏薊、烏柄杓なども見る。雉の一声聞こえたが、丁度田んぼの畦を歩いていたのが見えたが、遠すぎてデジカメには収められない。梅雨の合間にもどんどん自然は進んでいる。せめて1枚の写真ということで萱草の花をお見せします。

7月3日(火)
 朝から土砂降りの雨で家に籠りっきり。夕方になって雨も止んだので、近くの池に散歩。しばらく散歩に来ていないと、花もずいぶんと変わっている。合歓の花はすっかり終っている。紫陽花もそろそろ終りに近づきつつある。ただ日陰ではまだ咲き始めの紫陽花もある。また捩花は丁度今が盛り。以下はガクアジサイと捩花の写真。

7月2日(月)
 今日から今年の後半に入る。ページも新しくしました。6月までは上記の平成24年1月~6月をクリックして下さい。
今年上半期を思い出しても相変わらず忙しそうに過ぎていって、何が残ったのだろうか。そろそろ残りの人生を考えながら過ごす必要がありそう。
 毎月の定期診察。先月の診察の時、相当肝機能、コレステロール値が悪いと脅され、今日また血液検査。この1ヵ月かなり節制したと思うが、それぞれの数値は改善されていた。あと少しですべての数値が正常値に入ると言われる。今日は久しぶりにアルコールを解禁する。
 伊吹嶺HPでは、7月に入って「いぶきねっとのしき」を新しくアップする。今回の俳句と写真は「蜥蜴這ふ砲火に焦げし洞窟(ガマ)の口  やすし」で、文章は牧野一古さんに書いていただいた。私もその作句の現場に立ち会ったが、沖縄慰霊の日を翌々日に控えたときで、このガマで奇跡的に生還した日比野勝廣さんと出会ったことであった。この部分について伊吹嶺落書に書いたので、以下その引用部分を書き出します。

 牧野一古さんが栗田主宰らと、平成20年6月の沖縄慰霊の日に合わせて、沖縄を旅行したときの思い出を綴っていらっしゃいます。丁度ここを訪問した時、、沖縄戦でこのガマで奇跡的に生還した日比野勝廣さんが車椅子でいらっしゃっていたのを目撃しました。翌々日の慰霊の日に出席するためにこのガマにもひと目見に来られたのでしょう。忘れられない出会いでした。また栗田主宰はこの時に作られた一連の沖縄の句が評価されて、俳人協会賞を受賞されたインパクトになったと思います。是非皆さん、一古さんの思いのこもった鑑賞文をお読み下さい。

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 なおトップページの写真を7月らしい蓮の花にしました。(82617)