俳句についての独り言(平成24年)

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現代俳句評(11月号) 2012.11.1
綾子と牡丹 2012.8.1、11.1
現代俳句評(9月号) 2012.9.1
現代俳句評(7月号) 2012.7.1
現代俳句評(5月号) 2012.5.1
現代俳句評(3月号) 2012.3.1
誓子が浜 2012.2.1
現代俳句評(1月号) 2012.1.1

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   現代俳句評 (「伊吹嶺」24年11月号)

  弓なりに磯波笑ふ薄暑かな       千田 一路
  豆腐たべことば涼しくつかひけり    中山 純子

                  (「風港」[千田一路主宰]八月号)

千田氏の句、〈弓なりの磯〉とはどこか。特定の場所でなくても弓なり状に反っている磯の波が〈笑ふ〉と断定した感性に注目した。「薄暑」という穏やかな季語を配することにより、やさしく白濁した波が〈笑ふ〉の措辞にふさわしい。またこの句から先師の〈夕月夜乙女の歯の波寄する 欣一〉〈弓張りの湾春潮の交響す 欣一〉の二句が連想される。言わば千田氏の句は、欣一俳句への相聞歌であると思った。それをやさしく〈笑ふ〉と言い止めたのである。

中山氏の句、いつも「ことば」使いに感心する。特に日常生活の中で、「ことば」を詩の根源として大事に斡旋している。今、作者は歯ざわりのよい豆腐を食べているところである。これにあわせて言葉探しをしているうちに、「言葉が涼しい」という表現を発見した。この発見は偶然であるかもしれないが、中山氏が日常生活で常に言葉の一語一語を大事にしているからである。そして中七、下五のリズムが滑らかなように、この豆腐は滑らかな冷や奴に違いないと判断した。
 句集『水鏡』に、〈鳩に豆ことばが育つ小六月 純子〉の句があるが、〈鳩に豆〉という眼前の情景から〈ことばが育つ〉という表現を発見した作句への態度は掲出句と同じである。

  白日傘平和公園出て開く        田島 和生
           (「雉」[田島和生主宰]八月号)

 田島氏は毎年のように夏になると、原爆の俳句を作り続けている。掲出句、平和公園でのある女性の動きをじっくりと見ており、その女性の原爆に対する思いを読み取った句である。平和公園にいる間、亡くなった人々を偲んでいるのであろう。日傘は決してさそうとはしていない。そして思い尽くしたように、公園を出る時、始めて「白日傘」を開いたのである。そこから自ずと、作者の原爆で亡くなった人びとへの思いを共有していることに気付く。

  星からか天文台の落し文        山崎ひさを
                 (「青山」[山崎ひさを主宰]八月号)

 掲出句、前後の句から、天文台に出かけた折に見つけた落し文である。作者は丁度天文台から出てきた時に、落し文を見つけた。きっと今見たばかりの星座の一つから落ちてきた落し文に違いないと判断して、星から落ちてきた落し文は天からの授かりものであると認識したのである。「星」と「落し文」の意外な取り合わせが新鮮な「落し文」の俳句となった。

桐の花細見綾子の言おもふ       宮田 正和
    じやがいもの花好きになる耳順かな   北村  保

                     (「山繭」[宮田正和主宰]八月号)

 宮田氏の句、極めてシンプルな句である。細見綾子は牡丹の句とともに、桐の花の句も多い。作者が桐の花を見て、綾子のどんな言葉を思ったのであろうか。それは作者にとって、綾子の極めて個人的な言葉であったかもしれないが、桐の花を見ることによって、作者自身の心の中から出てきた言葉である。もしかすると〈伊賀盆地植田に落つる桐の花 綾子〉の句が作られた時に、綾子師と出会ったときのひと言がいつまでも心の中に残っていたのではないか。

 北村氏の句、「耳順」とは孔子の言葉で「六十にして耳順ふ」による。掲出句は還暦を迎えた誕生日吟である。六十才になってじゃがいもの花が好きになる境地を感慨深く詠んでいる。じゃがいもの花は遠くからは、明るい白や紫の印象を持つが、一つ一つの花は地味であり、謙虚な北村氏らしい。六十才からは「耳順」の気持ちで過ごしたいという心境をじゃがいもの花で代弁しているところに共感した。

  花菖蒲に触るるや蝶は一枚に      檜山 哲彦
                      (「りいの」[檜山哲彦主宰]八月号)

 この句は「花菖蒲」と「蝶」のどちらが主人公であろうか。「花菖蒲」は強い季語であるが、主人公は「蝶」であると判断した。蝶が花に止まることは、自然の摂理であるが、この句の眼目は〈蝶は一枚に〉である。花菖蒲は近年、色彩豊かになってきた。一方、蝶も様々な種類がある。今、蝶が花菖蒲に触れた瞬間、蝶は花菖蒲の花びらそのものとなった。それが〈蝶は一枚に〉の措辞に至ったのである。この句の主人公は「蝶」であると言ったが、蝶を前面に出しながら、花菖蒲の豊かな色彩にも触れている。

  ねぢ花や高きところに薬師堂      野崎ゆり香
         (「堅香子」[野崎ゆり香主宰]八月号)

 捩花は見れば見るほど、自然の造型に驚かざるを得ない花である。掲出句は「ねぢ花」と「薬師堂」の取り合わせで、この二つには関連はないと読めるが、作者の視線の位置とその動きに感心した。捩花はせいぜい二十センチほどであるので、作者は腹這うほどの低い姿勢で捩花を見ている。螺旋状の花を見ながら、その視線を上げていき、ついにその天辺に至ったとき、遠くの薬師堂が視線に入ったのである。大と小、遠と近の取り合わせが見事に活きている。
   

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俳句を考えるー綾子と牡丹 (「伊吹嶺」8月号、11月号)

 毎年、牡丹の季節になると、細見綾子先生の牡丹の句が思い出される。試しに綾子句集から牡丹の句数を整理してみると次のとおりである。
 『桃は八重』『冬薔薇』『雉子』『和語』『技藝天』などではいずれも、一、二句しか詠まれていない。しかしそれ以降、『曼陀羅』(十五句)、『存問』(十五句)、『天然の風』(十二句)、『虹立つ』(二十五句)、『牡丹』(二十七句)となっており、おびただしい句数である。
 風木舎の庭の牡丹は昭和三十一年に東京に移転した時、丹波の実家から移植したものであるから、『和語』時代から牡丹の句が多く登場してもよさそうなものだが、『曼陀羅』の昭和四十九年を境に急に句数が増えている。そのきっかけとなったのが松瀬青々に「むらぎもの心牡丹に似たるかな」の句あり」の前書きを付した次の句である。

むらぎもの牡丹数えて二十あまり    昭49
   むらぎもの牡丹を七日見つづけて    昭49
    むらぎもの牡丹ほつれを見せそむる   昭49

 青々の詠んでいる「むらぎも」は「群肝」とも書き、心にかかる枕詞であり、万葉集に四例ほどある。いずれも悲しみ、苦しみなどの痛切な心を詠む時の枕詞として使っている。また良寛も「むらぎもの心」の歌を作っており、万葉集にはない心穏やかなやすらぎの感じとして「むらきもの心」を捉えている。
 綾子は青々の句について、『武蔵野歳時記』でむらぎもは心の枕詞として使われるが、わけの分らない心というものを牡丹に似ているのではないかという作者の感慨は言い得ざるものを言い得ている。」と紹介している。
 これに対して綾子の「むらぎもの句」を読むと、これはもはや枕詞でなく、自分の愛する牡丹は自分の心そのものであるとして詠んでいる。ここには悲しみ、やすらぎ、わけの分らないとかの意味を越えて牡丹と綾子が一体となった心に昇華している。
 ちなみに林徹は綾子の「むらぎもの句」の二句目について、「『むらぎもの牡丹』は青々句からヒントを得た綾子の造語。我が心の象徴のごとき牡丹を毎日七日間見つづけたことだ。」と鑑賞している。
 このように綾子は青々の「むらぎもの句」に触発されて、以降おびただしい牡丹の句を作るきっかけとなっている。また最晩年の句として、

  鑑真と母へ最後の牡丹挿す    平6

があり鑑真と母の写真に対して、牡丹を飾らざるを得ない気持ちが伝わってくる。さらに綾子の牡丹の句の特徴については以下に触れる。


 前回は句集『曼荼羅』の「むらぎもの牡丹」の三句がきっかけでおびただしい牡丹の句を詠むようになったことを述べたが、以降、『曼荼羅』『存問』『天然の風』『虹立つ』『牡丹』の各句集から、その特徴を探ってみたい。
 一つ目は綾子が毎年牡丹の句を詠むにあたって、「牡丹の十日」「牡丹日々」という意識で作られていることである。

  牡丹七日いまだ全容くづさざる    昭和50
  牡丹に領せられたる七日かな     昭和58
  牡丹咲きどこへも行かず十日あまり  平成2
  朝の牡丹夕べの牡丹十日かな     平成3
  牡丹十日母にもの言ふ如きかな    平成3

 当初は七日にこだわった句が多いが、『虹立つ』以降は圧倒的に「牡丹十日」のこだわりが多い。綾子は随筆『花の色』において次のように述べている。
  咲き始めて散るまで十日間、この開花期、牡丹のために戸を開け、牡丹のために夕方戸を閉ざすのを惜しんだ。
  ・・・十日間、何と牡丹は私の心を引き立ててくれたことか。

 
 また「牡丹日々」については、
   「牡丹日々」、これはある日思いついた言葉だ。手帖に書き付けたこの言葉はいつとなく私の中に居り場所を
   見つけたようだ。

とあるように、綾子にとって牡丹の開花時期は、ひたすら牡丹との会話を毎年、句にしている。それこそ牡丹の時期は「牡丹日々」というメモのとおりの生活であったと思う。

 二つ目は、綾子の牡丹は次第に内面的な心情を述べるように変化していることである。
  何といふ風か牡丹にのみ吹きて    昭和57
  老ゆることを牡丹のゆるしくるるなり 昭和62
  何故の牡丹なるかと人問へり     平成4
   鑑真と母へ最後の牡丹挿す      平成6

 一句目、林徹が『細見綾子秀句』でも述べているが、日本人は繊細な感性で、「木の芽流し」「茅花流し」「筍流し」などのような名前をつけているが、牡丹のみに吹く風はこれらのような風雅な名前はないかと自問自答している。言わば綾子と牡丹の存問である。
 また二句目のように丹波から移植した牡丹はほとんど綾子と同じ年数、咲かせてくれた牡丹に対して、自分は老いてゆくことに対して、牡丹は許してくれるだろうかと、これも自問自答の存問である。
 そして最後の句のように、毎年最後に咲いた牡丹を鑑真の写真と仏壇に供えるのを綾子の行事としている。いかに牡丹を愛していたか、時代をたどっていくとよく分かる。

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  現代俳句評(「伊吹嶺」9月号)

  居酒屋は彼岸の善男善女かな      大坪 景章
  白鳥の頷き合ふは引く兆し       原田しずえ

                      (「万象」[大坪景章主宰]六月号)

大坪氏の句、洒脱なユーモアに溢れた句である。〈彼岸の善男善女〉となると、彼岸における信心深い人たちのことを指すのは当然のこととして、普通は「彼岸」と言えば〈善男善女かな〉と九音まで費やして、言わなくても良さそうなものだが、ここに大坪氏独自の洒脱で、半分は皮肉を込めた言い方となっている。そしてその種明かしが〈居酒屋は〉の上五であろう。言わば逆説的に、この居酒屋にいる客こそ人生を楽しんでいる善男善女であることを言いたかったのであろう。

最近は、生態系保存のため、冬期の田んぼに水を張ったり、刈り取った稲穂を少し残すことにより、随所で白鳥に出会うことが多くなった。喜ばしいことである。原田氏の句、白鳥をじっと観察していると、つがいらしき二羽が互いに首を振っているのを見た。作者は、これをそろそろ日本から帰る時期を相談し合っているのではないかと感じたのであろう。表記的には〈頷き合ふは〉という写生しかしていないが、その写生に鳥が帰る時期の白鳥に思いを述べている寄物陳思のお手本のような句である。

  夕ざくら鏝絵の天女空に舞ふ       大串 章
                 「百鳥」[大串章主宰]六月号)

 掲出句などに「松崎へ」の前書きがある。西伊豆の松崎町は鏝絵で有名な入江長八の出身地で、長八の鏝絵が楽しめる。その代表作に「飛天」という天女の絵が浄感寺で見られる。この「飛天」は色彩鮮やかで、鏝絵を忘れさせるほどの精緻さである。この句では、〈鏝絵の天女〉に対し、〈夕ざくら〉という季節感がぴったりである。夕暮れ時のなまめかしく、朦朧とした天女が浮かんでくる。

武蔵野の余り風来る昼寝覚       鍵和田秞子
                    (「未来図」[鍵和田秞子主宰]六月号)

 掲出句は、「余り風」の斡旋がポイントである。折しも作者は昼寝の至福な時を過ごしていた。そして昼寝から目覚めさせたのは、かすかで優しい風であったのであろう。こんな優しい風は何であろうかと考えた時、武蔵野に吹いている風のほんのお裾分け程度の「余り風」であると認識したのである。「余り風」の斡旋と固有名詞の「武蔵野」の取り合わせにより、いにしえの世界に引き込まれるような懐かしさに満ちた句である。

花ふぶく土に還りしものの上      角川 春樹
            (「河」[角川春樹主宰]六月号)

 掲出句は前後の句から、「吉野山」で詠んだ句であろう。よく桜が一番美しい時は、散る時であると言われる。その最も美しい花吹雪を見ていると、不意に〈土に還りしもの〉に思い至った。それは〈花あれば西行の日とおもふべし〉と詠んだ父であり師である源義かもしれないし、西行であるかもしれない。あるいはその吉野山で亡くなった人やもろもろの物とも解釈できる。それら土に還ったすべての魂と断定したのである。そのようなことに思い至ると、散っている桜がますます美しいと感じたのである。
 以上のような解釈に対して、さらに発表された俳句に一人歩きが許されるなら、私はこの句の場面を大震災の被害を受けたみちのくの桜に思いやった。震災で、人も街も自然も破壊し尽くし、すべてが土に還ったものとなってしまった。その地に今年も桜が咲き、散っているのを見ると、桜はすべて土に還ってしまったものに対する鎮魂の意志を持っているかのように吹雪いているように思えてならない。このように解釈したのは、同時作に「東日本大震災より一年」の一連の句もあることからこのような印象を持った。

  はるかなる日をみな持てり桜貝     島谷 征良
                   (「一葦」[島谷征良主宰]六月号)

 掲出句、誰もがかって若かりし頃のロマンチックな思い出がよみがえるような印象である。ただこの句の〈はるかなる日〉とはどういう思い出の日であろうか。それは作者もそうだが、読む人にとって思い出は様々である。そのような若い日のことを心に持ち続けていることと「桜貝」の取り合わせから、〈はるかなる日〉は希望に満ちていた日であることを連想させてくれる。

  放射能の土削り取る木の芽どき     石川 義介
             (「圓」[石川義介主宰]六月号)

 大震災一周忌を迎えるにあたり、俳人にとって今後震災体験をどのように詠み残していくかが、震災の歴史を語る上で必要なことであろう。掲出句、福島県における句であろうか。震災後の一年が過ぎた時になって、いよいよ生活再開の時である。そのような春に真っ先にやらねばならぬことが除染のために田や畑の土を削り取ることは実に悲しい作業である。しかしこのようなことを繰り返して、少しでも元の生活に戻る希望を持たざるを得ないのが現状である。「木の芽どき」という明日へ向かう希望を連想させる季語とこのような作業との取り合せが厳しいのが現実である。早く「木の芽どき」を未来の明るい季語として詠むことができる時代が待たれる。

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      現代俳句評(「伊吹嶺」7月号)

  雪割りて出でし紫雪割草        後藤比奈夫
  ぽつぺんの中に詰まってをりし音    後藤 立夫
  ぽつぺんの音にありたる周波数       〃

                     (「諷詠」[後藤立夫主宰]四月号)

「諷詠」の主宰は今年から立夫氏に交代した。 
 
比奈夫氏の句、小磯記念美術館のまえがきがあり、展示の一枚であろう。雪割草は白をはじめ、紫のものもある。この絵は雪の白から割って咲いた紫とのコントラストが鮮明である。比奈夫氏にとっては、現実に登山できない身でありながら、絵画から「雪割草」の美しさを引き出すことにも挑戦しているのであろう。

立夫氏の句、「ぽっぺん」というと懐かしい響きを持ったおもちゃである。ぽっぺんはガラスで作られ、底が極めて薄くできており、吹く度に底が鳴るのである。一句目、ぽっぺんは吹くことにより鳴るのではなく、ぽっぺんの中にはもともと音が詰まっており、それを吹くことにより、音を外へ出したと作者は認識した。そして二句目のように、ぽっぺんはメロディを奏でるものではなく、同じ音程である。それをぽっぺんの中に「周波数」があるという現代的な用語との組合せが意表を突いている。この句を読んでいるうちに、浮世絵の「ビードロを吹く女」が思い出された。

  二列車を通過待ちせる駅朧       能村 研三
                     (「沖」[能村研三主宰]四月号)

 新幹線でも在来線でもそうだが、駅で特急などの通過待ちをする経験が多い。特に真冬などの通過待ちにはわびしさがつのる。しかし掲出句は花時を迎えた比較的のどかな夜の駅の情景であろう。二列車も続けて通過待ちをしているのである。それでも朧夜の駘蕩とした雰囲気の中で、作者は待ち時間が気にならないのである。それは「駅朧」というあたり一面、朦朧としていることを詠んだ季語の効果である。印象派時代の夜の風景を見るようだ。

津波去りし海へと向けて松飾      柏原 眠雨
                  (「きたごち」[柏原民雨主宰]四月号)
 筆者は昨年末、津波ですべて流された宮城県の海岸を訪れたことがあった。この句によりその時見た情景が眼裏に呼び起こされた。この句は「松飾」の解釈により情景が変わってくる。素直に解釈すれば海岸近くの一軒家に今年も松飾りを海側に向けて、津波禍から新しい希望を願って掛けたものと解釈できる。
 さらに深読みが許されるなら、眼前の風景は津波により何もかも流された海岸である。そして作者はある松飾りに出会った。この松飾りは本来は有るべき自宅または漁船に毎年掛けるべき松飾りかもしれないのである。津波禍以前と同じ気持ちで松飾りを掛けることが出来ないだろうと、作者は思んばかっているのである。それは次句にある〈神木の太きを撫でて初詣〉のように、作者が見たのは神木に掛けられた注連縄だったかもしれないからである。

雪吊に風の広ごり二天門        斎藤 夏風
             (「屋根」[斎藤夏風主宰]四月号)
 掲出句は二天門(仁王門)のあるような大きな寺の庭園で雪吊の松を詠んだもので、写生のよく行き届いた句である。この雪吊はまだ雪の降っていない時の情景であろう。雪吊の縄が風に波打っている様子を〈風の広ごり〉と的確な言葉を斡旋することにより、雪吊の中に風を孕んであたかも生きている様を発見した類想感のない佳句である。

しやぼん玉凸なるところにて爆ぜる   島津余史衣
             (「松籟」[島津余史衣代表]四月号)
 掲出句は凝視することによってしゃぼん玉の真実を発見した句である。私達は単にしゃぼん玉は膨らんだ後、爆ぜるものだと理解している。しかし作者は凝視により、しゃぼん玉は真円でなくて、いびつになって膨らんでいき、爆ぜる瞬間の割れ目は一番膨らんでいるところからであると発見した。このような認識によりしゃぼん玉は凸なるところから爆ぜるのが真実であると確信したのである。

  祈る手のままに眠れる妻の冬      今津 大天
                  (「つちくれ」[今津大天主宰]四月号)
 掲出句は奥様を亡くされた時の句である。亡くなった妻は今も祈るように両手を組んだままである。作者は、妻は亡くなったのではなく、単に祈りのままに眠っているのであると思った。それは〈妻の冬〉と詠んだことから分かる。冬である今は妻は眠っているだけで、その次につながる「妻の春」ともなればまた一緒に生活できるというはかない願望を込めた〈妻の冬〉なのである。

  窓へ舞う雪に電話を聞き漏らす     増田河郎子
           (「南風」[増田河郎子主宰]四月号)
 掲出句は「雪」と「電話」の取り合わせの句であるが、ここに微妙な関係を含んだ句である。作者は部屋で電話している時、窓の外の雪に気づいた。その雪の様子に引きつられて、つい電話は上の空になってしまい、相手の話を聞き漏らしてしまった。〈窓に舞う雪〉が電話を聞き漏らす一つのきっかけとなったのであるが、この異質な取り合わせが詩となったのである。

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      現代俳句評(「伊吹嶺」5月号)

  空の端めくりて初日出でにけり     鷹羽 狩行
  水仙の香や決せねばならぬこと     片山由美子

                      (「狩」[鷹羽狩行主宰]二月号)

新年の句は難しく、類型に陥りやすい。あくまで物に即していかに新年の意を込めるかが重要であろう。鷹羽氏の句、今初日が見えた瞬間、作者は空の端をめくることによって、初日が顔を出したと認識したのである。〈空の端めくりて〉とは何という大胆な詠みぶりであろうか。空の端をめくることが出来るのは、ひょっとしたら神の仕業かもしれない。初日に畏敬の念を持つことからこのような発想に広がっていく。
 人は時に、重要な岐路に立って、人生の行き先を決めなければならないことがある。過去を振り返ると、あの時が岐路を決めた時であったと、思い当たることがある。片山氏の句、作者は今何かを決断しなければならないことがあった。決しかねている時に、たまたま水仙が匂ってきた。そのとき自分の判断は決まったのである。〈決せねばならぬこと〉の抽象表現に対して、〈水仙の香〉という物を持ってきて、この句は引き締まった。

  ランナーは一閃の風ねむる山      徳田千鶴子
  炉話の猫も胡坐の中にをり       水原 春郎

                (「馬醉木」[徳田千鶴子主宰]二月号)

 昨秋の馬醉木九十周年記念大会より、徳田氏が新主宰となった。徳田氏の句、駅伝の情景であろう。それは〈一閃の風〉から分かる。マラソンと違って、駅伝のスピード感は断然違う。まさにランナーは一閃の風のように走り過ぎていく。新春の風は春を呼ぶ風である。しかし下五の〈ねむる山〉の取り合わせで詠むと、人間界の駅伝と違って、自然界は悠然たる眠りの世界のままである。この句ではこの対比が成功した。
 水原氏の句、穏やかで懐かしい匂いのする句である。作者はひなびた温泉宿にでも出かけたのであろう。炉話から宿泊客同士だけでなく、宿の主人も参加して話がはずんでいる様子がうかがえる。その炉話にいつの間にか猫も主人の胡坐の中に加わっている。〈猫も胡坐の中にをり〉には時間がゆったりと流れ、楽しげな炉話の内容が見えてくる。

水澄めり一語一語の意を深め      加藤 耕子
                        (「耕」[加藤耕子主宰]二月号)

 掲出句は、〈一語一語の意を深め〉をどのように解釈するかにかかっている。この一語一語は会話の言葉であるかもしれないが、作者自身の内面の言葉であると解釈した。作者は今言葉にどのような意味を込めて、さらにその意をどのように深めていくことが出来るかを考えている。そして澄んだ水の玲瓏さを見ていると、ふつふつと一語一語が沸いてきた。例えば作者は俳句を作るにあたって、意を深めた一語一語が澄んだ水から触発されて出来たと解釈することが出来る。

黄落の静かに息を吐く木なり      今瀬 剛一
           (「対岸」[今瀬剛一主宰]一月号)

 紅葉とか黄葉は秋になると、光合成能力が落ち、自らの植物体を維持するため、葉は紅葉、黄葉させ、気孔からの水分蒸発を防ぎ、いずれ散り紅葉、黄落となる。このようなことは周知のことであるが、掲出句は〈静かに息を吐く木〉がポイントである。黄葉の一片ずつが落ちていく様は銀杏が静かに呼吸していると感じたのである。即ち黄落の一片がひと呼吸に呼応しているのである。黄落の一面の原理を突いた句であると共感する。簡明な詠みぶりから黄落の本質に迫った句である。

  福てふは草の断片七日粥        辻田 克巳
                   (「幡」[辻田克巳主宰]二月号)

 七日粥はいわゆる七種を細かく刻んで粥に炊き込み、一年の健康を願う行事である。掲出句は、七日粥を見ていると、つくづく粥は単なる〈草の断片〉から作られるものだと認識した。ただ草の断片と言ってもそれは福をもたらす断片であると断定したところが潔い。

  一輪の日に一山の雪しづり       鈴木 貞雄
            (「若葉」[鈴木貞雄主宰]二月号)

 掲出句、〈一輪の日〉〈一山の雪〉と重ね言葉により、リズムを整えている。作者は雲間から覗かせた一輪の日が一山を照らしているのを見ている。そしてその一輪の日が雪しづりを起こした力を持っていると感じたのである。わずかな日差しにも大いなる力を持っていると実感した句である。

曼珠沙華手折るとき胸火傷せり     岡崎 光魚
             (「年輪」[岡崎光魚主宰]二月号)

 曼珠沙華と火のイメージを重ね合わせた句は見るが、掲出句は実に激しい句である。曼珠沙華一本一本は実に繊細は花であり、つい手折りたくなる。作者もその美しさについ手折ったのであろう。折った曼珠沙華を胸にした時、火傷してしまったと実感した句である。〈胸火傷せり〉が強烈な比喩の断定である。

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   現代俳句評(「伊吹嶺」3月号)

  大木の裏側ことに秋の声       棚山 波朗
                 (「春耕」[棚山波朗主宰]十二月号)

 「秋の声」は歳時記には、「秋になると雨風の音、物の音などの響きが敏感に感じられる声、または秋の気配に感じて、心の耳に聞こえる声のこと。」とある。
 掲出句はどちらの声とも理解することが出来るが、私は後者の心象的な声と解釈した。この句の場所は、鎮守の森または自然林の大木などが考えられるが、そのような大木に出会った作者は秋の気配の声を感じとった。そしてその気配を確かめるべく裏側に回ったが、一層秋の声を感じ、しみじみとした心象的な声を確信したのである。物に即しながら、人の心情を表現した佳句である。

  石蕗の黄をもて灯台の四方囲む     森田 峠
                    (「かつらぎ」[森田峠主宰]十二月号)

 石蕗は海岸沿いに多い。掲出句は、半島の灯台に発見した石蕗の花を詠んでいる。ただ留意すべきことは、もともと黄色い石蕗の花をあえて〈石蕗の黄もて〉と黄を強調したことである。〈灯台の四方囲む〉という写生により、一面石蕗の黄に白い灯台が孤高のように立っているコントラストが印象的である。

畏れ多くも死ぬなら石田波郷の忌    鈴木 鷹夫
                    (「門」[鈴木鷹夫主宰]十一月号)

 鈴木氏は石田波郷、能村登四郎に師事し、『現代俳句大事典』に「含羞を背景とした洒脱さと技術の高さを特徴としている。」と紹介されている。
 掲出句の波郷忌は十一月二十一日であり、〈畏れ多くも死ぬなら〉には、まさに師に対する含羞を含んだ句である。〈畏れ多くも〉は波郷師に対する敬愛の念を最大限に俳諧味で表現した愛情句である。

  岩燕金鈴こぼし舞ひ上がる       岡田 日郎
                   (「山火」[岡田日郎主宰]十一月号)

 岩燕は「ジュリジュリ」とか「ピリピリッジュリ」とか鳴くが、飛翔しながら囀るのでよく分かる。掲出句の他に、〈雲上に朝日漲り岩燕〉とあるので、この句は舞い上がる時、金鈴のような声をこぼすとともに、朝日に照らされた岩燕が金鈴そのものをこぼすように、舞い上がったとも解釈される。いずれにしても朝日に輝く岩燕に感動したのである。

  雨音のすぐに定まる草の花       加藤かな文
           (「家」[加藤かな文代表]十一月号)

 加藤氏の師である児玉輝代が昨秋亡くなられたが、「家」の代表を引き継いでいる。
 掲出句は〈すぐに定まる〉がポイントである。情景は秋雨が草の花に降っているが、雨脚はそんなに強くなく、その雨音が草の花に吸われている。ただ雨音を〈すぐに定まる〉と捉えていることは、吸われるだけでなく、雨音がいつも聞く音に落ち着いたと作者は感じている。さらに〈定まる〉には、雨音の心地よさに心が定まったと、この句には「心」が省略されているのである。

水打ちしところこより暮れ始めたる   伊藤 政美
          (「菜の花」[伊藤政美主宰]十一月号)

 掲出句、表題にあるように郡上への一連の吟行句。日中の町に打ち水をしているのであろう。打ち水は涼しさを演出する行為であるが、さらに作者は〈水打ちしところより〉と詠むことにより、そこから涼しさだけでなく、夕暮れが始まるという時間の認識も捉え、その要因を打ち水に求めているところが、郡上の穏やかな城下町にふさわしい。

木犀や母ゐるやうな姉の家      雨宮きぬよ
          (「百磴」[雨宮きぬよ主宰]十二月号)

 母親の思い出は時々、不意によみがえる。生前の母と同じ場所、同じ体験などの思い出は潜在意識として残っている。
 掲出句、上五の〈木犀や〉と切れを入れていることに留意する必要があるが、姉の家にある木犀の香から母の思い出につながった句である。〈母ゐるやうな姉の家〉は、かって母と暮らした思い出が木犀の咲いている姉の家から呼び起こされたのである。そしてそれを〈母ゐるやうな〉という措辞によって、俳句として結実したのである。

虎落笛阿修羅の眉の動きけり      大嶽 青児
              (「瀝」[大嶽青児代表]冬号)

 阿修羅像は額に眉根を寄せて祈りとも悲しみとも感じられる表情を湛えている仏像である。
 掲出句、作者は今、阿修羅像の前に立っていると、その瞬間、阿修羅の眉が動いたように感じた。それは虎落笛のせいであると認識したのである。虎落笛は現実に聞こえたか、作者の心の中に聞こえたのかは確かではないが、阿修羅の眉を動かせたのは虎落笛でなくてはならないと感じたのは作者の感性である。「虎落笛」と「阿修羅」の取り合わせが意表を突いて効果的である。

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     ネット仲間の俳句散歩(「伊吹嶺」2月号)

        誓子が浜

若い頃、「風」に入会する前は、山口誓子の俳句に惹かれていた。また誓子は戦中戦後、三重県に住んでいた関連で、三重県には、誓子になじみのある場所が多い。当時誓子が住んでいたのは、四日市市富田海岸、同市天ヶ須賀海岸そして最後は鈴鹿市鼓が浦海岸であった。
 そのうち天ヶ須賀旧居は今もなお残っているが、私の最もお気に入りの吟行地は鼓が浦海岸である。ここは誓子が浜とも呼ばれている。夏は海水浴場で賑わい、冬は海苔粗朶が林立する海岸である。
 私は契約先のM環境保全事業団へ出かけた帰りによくここに立ち寄る。海水浴場時期を除けば、ただ砂浜だけの静かな海岸で、誓子を偲ぶには最もふさわしい時期だと思っている。また近くには舞子ヴィラ、子安観音寺、西方寺などに誓子句碑を見ることも出来る。
 そして吟行の最後には、伝統産業会館に立ち寄ることをお薦めしたい。ここには平安時代から伝えられた鈴鹿墨、伊勢型紙などが展示され、毎月第二日曜日には墨作り、型紙彫りの実演も見ることが出来る。さらに栗田主宰著の『山口誓子』(桜楓社)を手にして吟行することは最高である。

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  現代俳句評(「伊吹嶺」1月号)  

    似島へ海真つ直ぐに盆の道       田島 和生
                       (「雉」[田島和生主宰]十月号)

掲出句のまえがきに(にの)(しま)戦前は原爆による多数の死傷者が収容されたと述べている。作者がこの島に出向いたのは旧盆近くの頃で、一度は現場を見たいとの気持で出向いたのであろう。言わば似島への道のりは盆供養の道である。この句の眼目は盆の道を〈海真つ直ぐに〉と認識したことである。島へ渡る道は目に見えない海であるが、作者には海上に盆の道が真っ直ぐにあるのを見たのである。そして作者にとってその海の道は鎮魂の道である。

  かたちなきものを形に秋立たす     中山 純子
                   (風港」[千田一路主宰]十月号)

 この句は不思議な句である。この句で留意すべきことは下五を〈秋立たす〉と意志を持った言葉にした作者の心情に思いやることである。作者には夏にはかたちとして見えないものが、秋に近づくにつれ、形として見え始めるなにかを感じとったのだろう。それは雲、風、水などが秋になって形として見ることが出来るものであってもよいし、心象風景であってもよい。ただこれら形として見えるようになるためには、〈秋立たす〉という意志を持った表現でないと、形として見えないと認識したのであろう。この句は〈冬になり冬になりきってしまはずに 綾子〉と同様に季節の移ろいの微妙さを捉えた繊細な句である。

滝の前吾が全身のひびくなり      辻 恵美子
                    (「栴檀」[辻恵美子主宰]十月号)

 滝の前に立つと飛沫にまみれて涼を感じるが、掲出句はそれだけでなく、滝にふさわしい言葉として、〈吾が全身のひびくなり〉と断定することで、滝の大きさを表現した。ここには飛沫だけでなく、全身がひびくほどの勢いを持つ自然の大きさに対峙している作者も見えてくる。

  初潮のもつとも凪ぎしときの紺     福島せいぎ
              (「なると」[福島せいぎ主宰]十月号)

 掲出句、タイトルに「土佐」とあるから、その時の旅吟であろう。初潮は旧八月十五日の大潮をいう。最も干満の差が大きいとき、潮が膨れあがって引き潮となる瞬間に潮の動きが止まる。作者はその瞬間に海の色が鮮やかな紺色となっているのを見た。その瞬間の紺色を見届けた後、また潮の動きが始まって、怒濤のような潮となることも予感している。

  天平のみどりを背負ふこがね虫     伊藤 敬子
            (「笹」[伊藤敬子主宰]十月号)

 「天平」という言葉を聞くと、毎年秋に行われる正倉院展を連想する。そこには天平時代の玉虫色の螺鈿細工の宝物も見ることが出来る。掲出句は「こがね虫」を見たとき、そのみどりの翅に天平の色を感じとったのである。しかしそれだけでなく、現実の「こがね虫」があたかも天平の時代から「みどり」を背負って飛んできたものとして捉えることにより、この「こがね虫」が鮮明になった。

深悼と結ぶ一文夜の秋         山崎ひさを
           (「青山」[山崎ひさを主宰]十月号)

 今年の東日本大震災、それに伴う原発事故は今なお後遺症を残している。この震災以降、作者は手紙を書く度に、結びに「深悼」と書くことを習いとしている。いわばこの文字によりいつまでも被災者を思い、忘れてはいけないという覚悟を持っているのである。「夜の秋」という秋を待つ爽やかさを予感させる季語が東北の人にも早くなじむことを祈らざるを得ない気持がこもった句であると思った。

野を行けば風に声あり立秋忌      中坪 達哉
           (「辛夷」[中坪達哉主宰]十月号)

 「立秋忌」は前田普羅の忌日で八月八日である。掲出句、丁度師の忌日である立秋の頃、散歩でもしているのであろうか、野原に出て、〈風に声あり〉と詠んだ。それは微妙な初秋の肌触りを感じとったからである。遮るもののない野原の風の中に、「秋の声」を聞いたのである。その声は具体的な声でないかもしれないが、風が作者の心の中にはいり込み、先師普羅の声を聞いたのではなかろうか。

炎天へ昇るきざはし草田男忌      藤田 直子
           (「秋麗」[藤田直子主宰]十月号)

 「草田男忌」は八月五日で、「炎熱忌」とも言われている。草田男の師系につながる作者にとって、草田男は遠い存在であるが、心の中では身近に感じていることだろう。掲出句、〈炎天へ昇るきざはし〉は実景であろう。例えば丘の展望台のようなものを想像してもよい。その階段は少しでも炎天に近づく階段である。そして昇りきった後、その炎天にさらされた暑さの中で草田男を偲んでいる。草田男忌が「炎熱忌」とも言われている〈炎熱や勝利の如き地の明るさ 草田男〉の句は高いところから地上を見ている視点であるが、掲出句は高いところを見上げている視点で、対極的であるが、通じているものは同じ夏の強さである。

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