隆生の独り言日記(23年7月~)


平成23年7月から

12月31日(土)
 大晦日の今日、もっぱら書類整理で終わってしまう。仕事関係は一通り整理できたが、俳句などの本の整理は出来ず仕舞いで、俳句雑誌は山積みのままである。明日やればよいものを新年になると何もしなくなるのがいつもの癖。
 東日本大震災、原発事故などのニュースで悲しい1年ももう終わろうとしている。その間、政府、官僚、東電の動きを見ていると、情けなくなる。来年こそは希望の持てる年であってほしい。(77200)
 
12月30日(金)
 年末の仕事がたっぷり残っているが、今年1年の身の回りの整理が何もしないで残っているので、31日までに終わりそうにない。とりあえず今日は玄関掃除、室内の照明器具の掃除などを行う。明日1日で仕事、俳句関係の本整理が残っているが、昨年もそうだったが終わらず、1年間本が山積みのままであった。今年は少しでも片付けたい。あと伊吹嶺HP、私のHPの年度更新が大仕事である。

12月29日(木)
 今日、やっと年賀状書きが終わる。今日発送となると、元旦に届くかどうか心配になるが仕方ない。自業自得である。最近は年のせいか一気に年賀状書きが出来なく、書き上げたときはぐったりと来る。

12月28日(水)  NHKTVワイルドライフ(沖縄のケナガネズミ)
 朝食が終わった頃、NHKTVのワイルドライフで、沖縄の山原に生息しているケナガネズミの生態を根気よく撮影した番組を見た。元々ここには天敵がいなかったため、ケナガネズミはヤンバルクイナと同様に絶滅危惧種に仲間入りしている。原因は、捨てられた飼い猫が野生化して、ケナガネズミを襲うようになり、生態系が崩れて、ケナガネズミにとって楽園でなくなった。これも人間の何気ない環境破壊が絶滅危惧種のケナガネズミがますます絶滅への道をたどっている。これも人間のエゴが導いた結果である。
 
 本来は昨日で仕事は終わったつもりだったが、急遽H社から、審査で不適合に指摘した是正処置回答書案が届いたので、回答案がよいか検討、書き直しを指示する文書を作っているうちに、1日が終わってしまった。結局年賀状を書くことが出来なかった。

12月27日(火)
 ISCが明日で仕事納めになるので、今日中に提出しなければならないN社の審査結果報告書を作成し、発送する。これでようやく今年最後の仕事が終わったので、明日からは年賀状書き。家の掃除、洗車、書類整理など延々とやるべきことが溜まっている。また「煤逃げ」と言われないようにしないと。

12月26日(月)
 今年最後の岐阜同人句会。今朝起きたら、一面の雪世界のため、やむ得ずバス、電車などを乗り継いで各務原まで2時間以上かかって出かける。石崎さんの句集『徒遍路』案内の了承を得て、伊吹嶺HPに購入案内を掲載する。またまた丹羽さんから、誓子関係の古書を頂く。誓子の本はずいぶんと買ったが、私の知らない本が多いのに改めて知った。

12月25日(日)  石崎宗敏句集『徒遍路』
 先週は審査の仕事、今月の「伊吹嶺」原稿の作成、編集会議で時間が取られていたので、HPの更新を怠っていたので、1日かかって伊吹嶺HP、私のHPなど一斉に更新を行った。特に二,三日前に石崎さんから句集『徒遍路』を頂いたので、伊吹嶺HPに句集紹介を行った。詳しいことは伊吹嶺HPのトップページの句集写真をクリックするか、【こちら】をクリックして下さい。
 そうこうしているうちに、全日本女子フィギャーの競技が終わり、最終的に真央ちゃんが優勝した。母親の死去を乗り越えてよく頑張ったと思う。この若さでのがんばりはすごい。

12月24日(土) 
 今年最後の伊吹嶺編集会議。2月号の編集と4月号の企画。一段落してから、このところ毎月検討している15周年記念号の企画。だんだんと骨格が見えてくる。15周年記念号も相当ぶ厚くなりそう。なるべく多くの同人、会員の皆さんに参加してもらえるような記念号にしたいとの主宰の意気込みも伝わってくる。編集会議後の年1回の夕食会を行う。(77026)

12月23日(金)
 年1回の家族そろってのクリスマス会。なかなか子供達の日程が合わず、今日ぐらいしか集まることが出来ない。3人の子供達の家族を入れると、総勢12名がわずか8畳間に詰めて食事、ゲーム。写真はカメラに写りたくない妻を除いて、11名。

12月21日(水)ー22日(木)
 H社の統合(品質、環境)審査。伊勢市まで2日間往復することになり、最近早起きがつらくなってきているので、伊勢市で宿泊する。本来私の環境の資格は審査員止まりであるが、今回はリーダーを担当するので、訓練される立場のリーダー。最近やっとモバイルノートに必要なソフトをインストールしたので、仕事の時は持ち歩くことにしている。A4サイズでわずか900gの重さなので、持ち歩くのに便利になった。夜の間にメールチェック、1日目の指摘事項を書いてしまう。
 2日目は工事現場の確認で、雨もよいのところ、早々と切り上げて、2日間のまとめを行い、審査を終える。

12月20日(火)
 毎月に定期診察。先月の人間ドックの結果を見せたところ、ひどく怒られるというかおどされる。特に肝機能数値がほとんど悪く、減量しかないと言われる。早速帰りに血液検査をする。多分先週の旅行などでもっと悪いと予想される。
 夜はついでにカリンカ句会に出席する。主に先週の旅行先の被災地、、伊豆沼の句を出す。まずまずの反応。これから少しずつ整理していきたい。

12月18日(日)
 今年最後の愛知同人句会。圧倒的に矢野孝子さんの句が大評判。栗田先生も普通は特選をつけないが今日は特別に孝子さんの句が特選。さすが画家を目指したこともあるためか、色彩感覚が優れた句。ゴッホ、ゴーギャン、紅葉の取り合わせが句に出来るとは考えもしなかった。(76849)

12月17日(土)
 先日の伊吹嶺運営委員会で、決定した「自然観察会をかねた万博記念公園吟行会」のための下見に、出かける。2005年の万博以来の公園で、様変わりしている。しかし結構自然が残っており、環境を考える吟行会としては格好の場所だと思う。どこを吟行し、どこを句会場にするか結構面倒で、こちらは県の縦割り組織を相手に交渉するので、何度も手戻りがある。写真は残されたサツキとメイの家。

12月14日(水)-16日(金)   仙台旅行
 一度、本物の日本雁を見たいと思っていたので、妻と宮城県伊豆沼に出かける。「宮城吟行案内」を見るとまさに万の雁が一斉に飛び立つ写真は壮観で、それに惹かれてはるばる出かける。初日はまだ明るい時間で雁は近くの田んぼで餌をついばんでいるのが見られる。日没となり、暗くとなるとひとかたまりずつの群れ(家族か?)芦に茂みに次々と舞い降りるのが見られる。ただ対岸の方のねぐらへ降りるのが多く、遠くから点のように見える程度。しかし確かに棹になり、鍵になって、降りるのがよく見える。
 翌日は薄明かりになってから出かけようと思い、日の出少し前に出かけたが、沼に着いたときは既に次々と飛び立つのが見られる。まだ沼にいる雁の鳴き声が地鳴りのように響いてくる。まさに万の雁である。群れをなして飛び立つときの様子は壮観である。残念ながら、私のカメラではどの写真も点にしか見られなかった。
 仙台にもどって妻の思い出の地であり、私もよく海水浴に出かけた菖蒲田海岸を見に行く。海水浴場の砂浜はきれいに瓦礫処理はされていたが、近くの漁港は土台だけを残して、何もない恐ろしい情景がまだ残っていた。震災直後の海岸線はいかばかりか、多分見るに堪えられなかったであろう。
 3日目は妻の姉と一緒に、仙台市内を一周できる「ルーブル仙台」という観光バスに乗り、好きなところで乗り降りをして半日つぶす。
 仕事の隙間をぬって今年最後の旅行であとは年末まで1日も余裕のない日々を過ごすことになる。
 以下はこの3日間の主な写真である。

日中は白鳥、鴨が群れをなしている

近くの田んぼでは白鳥、雁がたむろしている

鉤となった雁

2日目の沼は血の色した朝焼け

点にしか見えないが無数の雁が飛び立つ

菖蒲田海岸で「祈復興」と書いて去る

「ルーブル仙台」という観光バス

青葉城の外堀にオシドリがいる

12月13日(火)
 今日は丁度、京都の事始のある日であり、六波羅蜜寺の空也念仏踊りが今日から始まるので、7名で出かける。また今日は火曜日で哲半さんの定休日であるので、一緒に吟行に参加して頂く。
 事始は京都の芸妓、舞妓さんの今年1年の仕事納めみたいなもので、京舞井上流家元・五世井上八千代さん方にご挨拶する様子が見られる。井上八千代さん方にはすごいカメラマンの人だかりで、ちらっとしか見ることが出来ない。それでも祇園に舞妓さん等が歩くのを見るのは年の瀬を感じる。昼食は小倉山を借景にしたレストランで日本料理を楽しむ。
 最後に六波羅蜜寺の空也踊りは一風変わった念仏踊りであるが、なかなか俳句にするには難しい。最後は、八坂神社前の「いづ重」で明日師の夕食で締める。
 始めて見る行事ばかりであったが、俳句を作ることは出来なかった。右の写真はまだ肩上げしている舞妓さん。


12月11日(日)   「伊吹嶺」12月号
 この頃忙しくて「伊吹嶺」をじっくり鑑賞する余裕がない。明日は何もないので、少々夜更かししてこの日記を書いている次第。
 12月号の感想として、まず栗田先生の句、
    ゆるやかに影より落つる朴落葉     やすし
 朴落葉は大きいので、印象として、ゆっくりと落ちる実感がある。この句はただそれだけでなく、〈影より落つる〉の発見が鋭い。「風」の基本である即物具象に忠実な句である。次に秀峰集から、
   天界より見下ろす今日の月如何に     梅田 葵
   捨て舟が貰ひ火しさう曼珠沙華       櫻井幹郎
   もどり来る踊りのあともをどり足        山 たけし
   みちのくの萩のトンネルくぐりけり      近藤文子
   冬の海月光太き柱なす            鈴木みや子
   けふ一と日よく歩きたり獺祭忌        中川幸子

 葵さんの句、まえがきに「亡き母に」とある。作者が地上から見ている月と、母が天界から見ている月は違って見えるのだろうかと、自問しているが、ここには作者が見る月も母が見る月も同じくらい美しい月であってほしいとの願望も見えてくる。しかし悲しい句である。
 櫻井さんの句、曼珠沙華の赤が野火のように走っているのを見た。それはあたかも捨て舟に飛び火しそうな恐ろしい赤である。曼珠沙華としてはこれ以上ない比喩である。
 山さんの句、何でもないかもしれないが人の習性をうまく捉えている。踊りから帰る足も「をどり足」であると認識したのが、面白い。
 近藤さんの句、仙台の野草苑の句であろう。ここでは宮城野萩をアーチ型に咲かせている。懐かしい情景の句を見せて貰った。
 久しぶりにみや子さんの句を見せて頂いた。この句を読んで私はムンクの「月光」や「生命のダンス」などの絵を思い出した。ムンクの月は必ず太い月柱が描かれている。「冬の海」の季語からますますムンクの北欧の景色が見えてきた。
 中川さんの句、腰の手術から回復されてからずいぶんと歩くことが出来ているようなご様子である。晩年、歩くことも出来なかった子規に比べて作者は歩くことが出来、しかも今日1日はよく歩いたという実感が素直に出ている。健康のありがたみをかみしめている。
 以下は遠峰集からの共感した句を並べる。
   出刃の背で飛ばす鱗や秋の雲      関根切子
   草の実や父に似てきし酒の癖       宇佐美こころ
   白ワイン酌みて二人の良夜かな     鈴木みすず
   月今宵余生といふを賜はれり       夏目悦江
   蛇穴へ一すぢの蔦もみづれり       栗田せつ子
   川幅を使い切つたる秋出水        小原米子
   花よりも茎のさみどり曼珠沙華      下里美恵子
   仕舞湯に肩先冷ゆる十三夜        矢野孝子
   休め窯罅にくひ込む灸花          武田稜子
   新涼や木の葉の影のさざなみす     石崎宗敏
   真四角に月の影さす長廊下        河原地英武

 特にみすずさんの新婚生活にはおめでとうと言いたい。

12月10日(土)
 残った審査結果報告書のうち、T社の報告書をやっと完成。結局宅配便に依頼したのが夕方になってしまう。あと1社分は来週中と行きたいところだが、来週はすべて予定が詰まっているので、20日頃となりそう。
 今夜は皆既月食。丁度皆既状態になる午後11時頃は雲が多く少ししか見られなかった。寝る前にもう一度ベランダで見たら、もう皓々とした三日月になっていた。めったに見られない月蝕、1句にしたいものと考えたが、私の詩情が枯渇していた。

12月8日(木)
 N社のISO審査(品質)。。ここはもうISO導入後、10年目に入るので、システムが成熟している。それにしてもこの会社に行くまで、西尾市の外れまで出かけなければならないので、朝早く出かけなければならないのがつらい。審査報告書作成が2つたまっているが、これで2週間ほどISOから離れることが出来るので、しばらくは俳句に戻りたい。さしあたり俳句関係で読もうと買った本が多いので、まずこれらから読む必要がある。

12月7日(水)
 タイムリミットが来ているので、今日、慌ててH社の統合審査(品質+環境)関係資料を読んで、チェクリスと作成後、審査計画書を発送する。審査に環境が入ると、法令の根拠を知らないと審査できないので、調べるのに、思った以上時間がかかる。
 伊吹嶺新年俳句大会の投句一覧が届くが、あまりに多い投句のため、入選句5句に絞るのがとても難しく困る。

12月5日(月)
 今月は母の忌日のため、岐阜へ出かけ、お経をあげて貰う。我が家の宗教は極めて質素で、あとは何もない。三重に帰る途中、温泉に浸かってゆったりした1日を過ごす。家に帰ると何となく眠くなってしまい、夜までぐずぐずしてしまう。これから7日までに提出する審査計画書作成に取りかかる。(76573)

12月3日(土)
 チングルマ句会。今月も『下里美恵子集』の鑑賞を行う。皆さん、それぞれ好きな鑑賞を続けいているが、最近鑑賞文を書くのも慣れてきたようである。私の鑑賞句は、〈しゃぼん玉影もろとも毀れけり〉。いずれまとまったら、下里さんに届くと思う。

12月2日(金)   ブルックナー交響曲第7番(名フィル定期公演)
 昨日、妻の恩師であるM先生の写真を貼り付けたが、最近の団地内の紅葉も映えるようになってきた。右に色の濃い紅葉を紹介しますが、今が一番の紅葉時かと思う。と言うことは紅葉は冬の季語となってしまったのが現実となった。
 今日は名フィル定期公演で、ブルックナーの交響曲第7番。今年から定期会員は止めて、好きな公演のみ聴くようにしている。その好きなブルックナーの7番が聴けるため、出かけた。演奏時間68分の大曲を聴いていると、じっくり堪能できる。特に今日は前から4列目の席であったので、大音響の音の波が私に押し寄せてくる。特に第3楽章のスケルツォ、第4楽章のフィナーレなどは体中がびんびんと響いてくる。
 またブルックナーは直ぐ改訂するのが習わしで、この曲もマイナーであるが、どんどん改訂している。今日聴いたのは、ハース版であるが、あまり改訂の印象はない。我が家にはこの7番だけでも原典版、ノバーク版、シャルク版の3枚を持っている。
 話は変わるが、ブルックナーが一番改訂を行ったのは第4番で、この時は他の批評家をずいぶん気にしていたらしく、何度も改訂を行ううち、原典とすっかり異なってしまった。私の持っているのはまだアナログレコードで、原典版とノバーク版を持っているのを聞くと、まるっきり別の交響曲と言ってもよいくらいである。しかしこの4番に限って言えば、ノバーク版が一番好きである。

12月1日(木)
 今日から12月。妻の高校の恩師でM先生が最近定期的に、自分で撮した写真を送って貰っているが、了解を得てトップページの写真に貼り付けた。この写真は京都の善峯寺。ついでに右にも貼り付けておきます。
 審査に出かけるのも一段落したので、溜まっていたS社の審査結果報告書をやっと作成。あと1社の審査結果報告書を仕上げたらまた1週間後に、審査に入る。

11月30日(水)   小松亮太タンゴコンサート
 久しぶりにタンゴを聴く。最近はタンゴブームも下がってきたのか、あまりコンサート情報がない。今日は小松亮太で、初めて聞くが、前々から聞きたかったバンドネオン奏者。わずか14才でデビューして以来、今年はまだ38才。まだまだ伸びる演奏家である。
 今日はキンテートで聞かせて貰う。いわゆる外国から来るタンゴコンサートとは違って、ダンスなし、歌なしのすべて演奏ばかりである。曲目は当然のことながら、ピアソラの曲が多く、よほどのタンゴファンでない限りなじみのない曲が多い。それでも会場を見ると中年のおばちゃん連中が多く、私のような老人は少なかった。
 キンテートはわずか5人だけで演奏を行い、会場はナディアパークのアートピアホールのため、相当音量を上げていたため、当初は5人それぞれの楽器が一人歩きしているような印象であったが、後半になると聞き慣れてきたせいもあるか、全体に調和の取れた演奏に聞こえた。久しぶりに2時間の至福の時間を過ごすことが出来た。
 小松亮太を知って貰うため、当日買ったCDのレーベルを紹介してもよいのだが、著作権の問題もあるので、表示できない。以下にYou Tubeの今日聴いた曲のうち、「リベルタンゴ」の試聴版を見つけたので、これを皆さんにもご紹介したい。
 http://www.youtube.com/watch?v=DuVjwVsDTs8&feature=related

11月29日(火)
 今日と明日の2日間行程で、D社の品質と環境の統合審査。この会社はこれまで品質についてはずっとリーダーを担当してきたが、緩急翁は2度目。統合審査というのは品質、環境を同時に審査するので、質問の切替が難しく、タイミングよくしなければならない。

11月28日(月)
 東員町の人間ドック。血液検査だけは当日に結果が分かり、案の定、肝機能(中性脂肪、LDL)が悪かった。脂肪肝に近づいているという。もっと運動をせよと言われる。昨年のように、ドックが終わってから近くの阿下喜温泉に入って久しぶりに体中がリラックスする。
 我が家に帰ってから早々に明日の審査の準備を行う。会社によってはぎりぎりにしか審査資料を送らないところもあり、結局審査準備が終わるのが真夜中になる。

11月26日(土)
 今年最後の伊吹嶺運営委員会。この内容は伊吹嶺HPにダブって書いているので、以下その部分を貼り付けます。
 今日、伊吹嶺運営委員会が行われました。今年の伊吹嶺行事はほぼ滞りなく終わりました。今年は特に栗田主宰句碑の建立という大きな行事があり、全国俳句大会も成功裡に終わりました。
 来年に向けて、「伊吹嶺季寄せ」が順調に進んでおり、既に春の部について校正も終わりました。さらに来年はいよいよ15周年記念俳句大会が予定されています。また来年は15周年行事の1つである俳句及び文章の募集が行われるなど、15周年記念行事が目白押しです。15周年記念号は平成25年1月号に発行されますが、その前触れとして24年1月号には伊吹嶺名誉会員の5名の方に集まって頂いて行われた「伊吹嶺」の今後についての座談会記事も掲載する予定です。皆さん、楽しみにして下さい。


11月25日(金)
 ISO審査員研修。午前中はいろいろな情報で最近の動きを知る。午後は液晶パネルで有名なS社の亀山工場の見学で、主に環境の取組状況を聞く。一番の目玉は日本最大の太陽電池パネルの大きさである。屋上は厚膜ソーラーの太陽電池パネル。そして工場の壁面は薄膜ソーラーのパネルで覆っている。工場内はほとんど無人化状態でパネル製造を行っている。時たま検査や点検のために工場に入るときは10レベルのクリーンルーム(甲子園の広さの中に杉花粉が4,5個しかない状態までクリーン化を図る)に入るだけ。従って見学も窓越しに見るだけ。そして最後にはしっかりとAQUOSの宣伝を見せられる。

11月24日(木)
 富有柿の熟れ頃になったので、いつものように岐阜県の大野町の出荷組合に出かけて、親戚に富有柿を送る手続きをしてきた。私も富有柿が大好きで、我が家用には笊盛と道ばたの無人売り場ですます。それでも我が家に帰って食べるといつものようにおいしい。昨年は猛暑であまり出荷されなかったが、今年は順調に売られており、しかもおいしい。
 岐阜へ出かけて1日つぶれてしまったが、明日の審査員研修のついでに提出するK社の審査結果報告書とN社の審査計画書を作成したら日付が変わってしまった。ただ明日は早く出かけなければならないので、もう寝ることにしたい。というのもこの1週間HPのアップがなかなか出来なくてようやく今日になって、「伊吹嶺オフ句会」の吟行記をアップしたためで遅くなってしまった。(76300)

11月23日(水)
 伊吹嶺編集会議。1月号の編集と3月号の企画。1月号は名誉会員による座談会記事があるので、相当の増ページ。また平成25年1月号の15周年記念号の企画も少しずつ進んでいる。

11月21日(月)  都会から雀がいなくなる(朝日新聞11.11.16)
 一寸古い記事であるが、朝日新聞に都会から雀が少なくなっているとの記事があった。この20年間で6割の雀が減少した。理由は主に都会を中心とした新しい屋根のためだという。記事では「スズメは、屋根瓦の下など人工物を利用して巣作りをすることが多いが、住宅の構造が変わり、巣を作れる場所が減ってきた。」と書いてある。そういえば名古屋に住んでいる句友に聞くと、確かに雀が少なくなったと言っていた。またまた都会では雀が最近人を恐れなくなったとの記事もあった。元々雀は非常に臆病な鳥であるが、都会では餌もなくなってきたのだろうか。この記事は同じ朝日新聞の7月26日に書いてある。以下11月16日の記事と7月26日の記事を紹介します。
   http://www.asahi.com/eco/news/TKY201111160153.html(都会から雀が少なくなった)
   http://www.asahi.com/science/update/0726/TKY201107260579.html?ref=reca(餌をねだる雀)

11月20日(日)
 愛知同人句会。今日は欣一忌の句を出したが、沢木先生は大変原稿を書くのが遅かったことを初めて聞く。私の詠んだ句と全然違っていた。こういう機会に沢木先生のことを聞くのも一つの勉強になる。

11月18日(金)-19日(土)    インターネット部オフ句会
 静岡で2日間のインターネット部のオフ句会。1日目は宇津ノ谷、柴屋寺吐月峰、丸子宿の丁字屋。曇り空ながら雨も降らず、落ち着いた天候。10年以上前このあたりを歩いたことがあるが、その時もあまり句が出来なかったような気がする。丁字屋のうまいとろろ汁を食べながらの句会。
 夜、ホテルに着いてから2回目の句会。というより静岡の方から日本酒の差し入れがあって、もっぱらそのための句会。
 2日目は土砂降りの雨。従って久能山東照宮は予定どおり訪れたが、三保の松原は変更して登呂遺跡で雨宿り兼室内吟行。それでも遺跡の家の中で赤米を炊く実演があり、試食もさせて貰う。駅前に戻って2日目の句会。
 今回は静岡の皆さんに大変お世話になった。また関東勢に多く参加して頂いて、延べ39名の参加で、これまでのオフ句会で最大の参加となった。ありがたいことである。なお詳しい吟行記、写真、参加者の一句は伊吹嶺HPに掲載したので、【こちら】から入って下さい。

11月17日(木)
 溜まっている仕事を少しでも消化するため、K社の審査結果報告書の骨格を仕上げる。あとは添付資料などをチェックして製本するだけにしておく。明日からオフ句会のため、細々とした用件はなるべく今日中に収める。(76094)

11月16日(水)
 T社のISO審査。長年この会社の審査をしているが、なかなか効果が上がらない会社もある。この会社がまさにそれに該当する。それでも少しでも会社の品質をよくしたいという気持ちは変わらない。これで審査結果報告書が3つ溜まってしまう。「伊吹嶺」の文章の合間に書かなければならないので、焦るばかり。
 昨日に引き続き、いぶきネット句会の合評会。今日はIさんに進行役をお願いしているので、少しは気分的に楽。今日も活発に意見が飛び交う。最近男性会員が増えたため、それだけ発言が多くなり、好ましいことである。

11月15日(火)
 本当はこんなにのんびりしている暇はないが、毎月の定期診察のあと、カリンカ句会に出席。今日は一寸淋しく6名。
 帰ってからいぶきネット句会の合評会。先月、Tさんに進行役を代わってもらったので、今日は私が担当。20名ほどの参加の上、結構発言が多くて、一斉に発言が集中すると発言の整理に苦労する。このような活発な意見が出ることは成功と言ってよいだろう。最近いぶきネット句会も活性化してきたような気がする。

11月13日(日)   俳人協会東海俳句大会
 俳人協会の5年に一度の俳句大会。伊吹嶺の連衆が多く集まり、盛況。今日は一番前に座らされたので、会場の雰囲気がよく分からなかった。俳句大会の成績は相変わらず伊吹嶺の皆さんが好成績。特に当日句の「賞品の山羊持て余す秋祭  せつ子」笑いを誘うとともに好評でした。詳しい内容は伊吹嶺HPの13日欄を見て下さい。【こちら】をクリックすると入ることが出来ます。なお写真は大会賞の鏡子さんとせつ子さん。

事前投句の大会賞受賞の服部鏡子さん

当日大会賞受賞の栗田せつ子さん

11月12日(土)
 名古屋句会。1人欠席すると、さみしい。中川さんの腰の状態は大分よくなったようだが、まだまだゆっくり歩き。
 今月は結構予定が詰まっており、編集会議までやらなければならないことが多い。また仕事では2つの審査結果報告書、2つの審査ガイドラインを書き上げる必要がある。これからは時間の合間を縫って少しずつこなしていく必要である。

11月11日(金)
 妻から近くの池の遊歩道に雪蛍が飛び始めたと言われたので、早速散歩に出かけたが、残念ながら見つけることが出来なかった。
 11月も中頃になると、新年の欠礼葉書が届くようになる。仙台にはいまだ数人年賀状のやり取りしている友人がいるが、その中で兄弟が3月11日になくなったという葉書を頂いた。親しくしている友人にも大震災に遭われた方が多いということを改めて知り、お慰めする言葉も見つからない。幸い妻の友人には震災で亡くなられた方はいないが、その家族、親戚となると、多くの方が亡くなっているだろうと考えるとせつない。(75930)

11月10日(木)
 3日間この日記を書かないうちに、立冬も過ぎてしまった。この3日間、自分は何をして過ごしたか思い出せない。これも認知症にはまり込んだせいか。昨日まで俳句の文章を仕上げるのに精一杯で終わってしまった。
 また今月の18日、19日のオフ句会のスケジュール作成に皆さんのご協力によりやっと今日参加者に送信した。今回は宿泊組、日帰り組を入れて延べ39名の参加を得て、これまでの最高参加者数となった。ありがたいことである。特に静岡勢の皆さんのご協力、関東勢の大量参加など感謝、感謝である。来週のオフ句会が楽しみになった。
 今日はS社のISO審査。この会社は今回で連続5回のリーダーを務めることになり、様子は分かるもののいつも緊張する。S社は豊橋の二川駅まで出かけるため、いつも自宅にいるときは朝寝坊しているせいか、たまに朝早く出かけるとつらい。審査はまずまずの結果。
 これで俳句と審査の山場は過ぎたので一安心したいところであるが、これからは現代俳句評と審査結果報告書作りが待っている。その他、2週間以内に自分の専門分野の審査ガイドラインを2つ作ることも待っている。となると惚ける余裕がないのか。

11月6日(日)  ドラゴンズCS突破おめでとう
 文章書きが一段落したので、久しぶりにスポーツクラブで汗を流す。また滞っていた伊吹嶺HPに兼松秀さんの句集『独酌』の紹介ページをアップする。
 夜は中日-ヤクルト戦のTVをはらはらしながら見る。案の定最後に出てきた岩瀬が打たれて、最後は浅尾を出さざるを得なくなって、やっと勝つ。ここまで来たから日本シリーズは心の余裕を持って、TV観戦をしたい。

11月5日(土)
 しばらく毎日出かけたり、家に閉じ籠もりづめのため、久しぶりに庭を見ると、もう石蕗の花が終わりになりつつある。かろうじてましな写真を右にに載せます。
 今日はチングルマ句会。今月から下里さんの自註句集『下里美恵子集』を勉強する。毎月一句鑑賞を行ってあとでまとめる。
 句会後、妻の句集『蕗の薹』の上梓のお祝い会をしていただく。全員から一句鑑賞して頂き、ありがたいことである。ただその中で「ひと言を胸にをさめて心太」の句を鑑賞されると、私としてはつらい。右の写真は全員集合の写真。

11月4日  「現代俳句評」と「二物照合と一句一章」
 とっくに審査計画書を提出しなければならない時期が過ぎているが、T社から品質マニュアルが届かない。ISCに聞いたところ丁度今届いたとの返事で、やむ得ずISCに出かけて審査計画書を作成。最初から品質マニュアルを見ながら、チェックリストに要点を書き込んでおくと、審査当日スムーズに進む。結局計画書を書き上げて提出して、我が家に帰ったときは夕方。挙げ句の果てにドラゴンズが負けてしまい、1日損したような気分。明日からのヤクルト戦を見るのが怖いくらい。
 なお「伊吹嶺」10,11月号の「俳句を考える(二物照合と一句一章)」と11月号の「現代俳句評」を載せました。興味のある方はそれぞれのタイトルのところをクリックして下さい。

11月3日()  名フィル名曲シリーズ(チャイコフスキー交響曲第6番)
 名フィルで、チャイコフスキー交響曲第6番を聴く。有名な曲で何度も聴いており、CD、DVDなども多く持っている。今日の指揮はブルガリア生まれの若いロッセン・ゲルゴフ。指揮も休止符のところが普通で聞くより長く、次のモチーフへの期待感を高めていた。パンフレットによれば、「この6番は「悲愴」という題名があるように、ベルリオーズの表題音楽、ワグナーのオペラの世界を横に見た作品に見えるが、実際に古典派とロマン派の流れに沿ったものだ。」と解説している。標題はついている者の、やはり古典派の流れにある正統派の音楽であろう。よく文章や音楽では起承転結が必要だと言われているが、この6番は、「起、転1、転2、結」の構成のように感じた。と言うのも第1楽章は「アレグロ」で苦悩の印象を与えるイメージであるのに対して、第2楽章はワルツ風、第3楽章はヴィヴァーチェとテンポが早い構成で、最後の4楽章がアダージョで第1楽章からの主題が「悲愴」感につながっている。つまり「承」がなくて、テーマの違った「転」が2つ並んでいる印象を受けた。こんな印象を書いた解説書は1つもないので、私だけの勝手な思い込みか。(75707)

11月2日()
 K社のISO審査。今日はリーダーを担当のため、神経を使ったが、この会社は管理責任者がしっかりしており、きちっとQMSを運用していた。碧南市まで車で出かけたが、最近は湾岸道路が便利で1時間半で着く。ずいぶんと便利になったものである。

11月1日()
 引き続き、1日中パソコンで文章の校正を行っていると、妻からたまには散歩に出かけて、身体を動かさないと、ますます太るときついひと言。

10月31日()
 先週からの審査での出張、全国大会、伊賀上野吟行などで毎日で歩いていたので、やらなければならない諸々の仕事が溜まって、1日中パソコンに向かっていると、終わってしまった。

10月30日() 伊賀上野吟行
 全国大会に出席した関東勢を歓迎する意味もあって、伊賀上野に吟行。関東勢が7名、地元が6名の総勢13名の参加。あいにく途中から雨が降ってきたが、それでも精力的に伊賀上野市内を回る。芭蕉生家、俳聖殿、芭蕉記念館、鍵屋の辻などを回る。俳聖殿では10月12日に行われた芭蕉際の特選を取られた豊田紀久子さんの扁額が飾ってあった。
 食事、句会は鍵屋の辻の「数馬茶屋」。短い時間であったが、皆さん心のこもった句を作られる。吟行中、いぶきネット句会の戸田さんが、あちこちと道案内や芭蕉記念館の説明員ともお知り合いのおかげで懇切丁寧な説明をしていただく。写真は俳聖殿の前での全員集合写真は伊吹嶺HPに掲載されているので、数馬茶屋での句会模様。

10月29日(土)  「伊吹嶺」全国俳句大会
 「伊吹嶺」全国俳句大会。特に私の担当はないので、もっぱら写真を撮るだけ。詳しい内容は伊吹嶺HPに掲載したので、【こちら】から入って下さい。

 特に興味のあったのは、加藤かな文氏の講演で「綾子の俳句」。我々が当然と思っている綾子先生の俳句を結社外部の方が読むと面白い発見がある。
 かな文氏は、綾子の句を①ただごとの輝き、②ん?、③虚ろな断定、④何も言わない の4分類に分けて鑑賞なさる。またその鑑賞がユニークであった。
 特に好きな句として、「何も言わない」に分類した〈冬になり冬になりきってしまはずに〉をあげられた。この鑑賞として「冬の中にある冬であり、また冬でないことを詠み、実感の中にずれを感じている。」ということを発言された。今まで私達「風」を経験した者にとって、思いもつかない鑑賞であった。そういえば、以前かな文氏の『家』を詠んだときも、こういう言いさした句が多かったことを思い出した。懇親会でお聞きしたところ、師である岡井省二の影響だと言うことが分かった。写真はかな文氏と河原地さんと3ショット。

10月28日(金)
 ISC主催の情報交換会。主に受審事業所のためのISOの新しい動向、最近の環境法規の動向を知らせるとともに、今日はJABからの雌ねじ面とシステムの有効活用の講演、マネジメントシステムを使った運営管理のある会社の事例発表。そして我々審査員と受審事業所との交換会。
 夜は大学の現役とOBとの飲み会。

10月27日(木)
 N社の審査2日目。2日間とも素晴らしい天候だったが、審査に入ると、吟行も出来ないのが残念。

帰宅早々、明日までに提出するS社の審査計画書の作成に夜遅くまでかかる。結局夜更かしする日常に戻ってしまう。

10月26日()
 N社のISO審査。一寸遠方のため、宿泊出張となる。今朝は相当冷え込んだが、早く出かけるとき、鈴鹿山系を見たら、初冠雪になっていた。受審事業所の近くの美濃市ではトウカエデがすっかり紅葉していた。
 最近やっとモバイルノートの設定が全部終えて、出先でもネット環境のあるホテルでは使えるようになった。ただ夜ホテルでメール確認したが、飲み屋に行った帰りのため、眠くなって早く寝てしまう。
 あとまだ出先でHPの作成、発信できないのでもう少し設定しなければならないが、モバイルノートにはDVDコンポがないので、その設定に時間がなくて出来ていない。

10月25日(火)
 明日から2日間審査に出かけるための準備と来月半ばのS社の審査計画書を作成のため、1日中家に籠もってしまう。おかげでこの頃万歩計の数値が全然記録されず、ますますメタボが進みそう。

10月24日(月) ライチョウの縄張りを荒らすイノシシ(読売新聞11.10.24)
 もともと雷鳥は高山帯に棲んでいることから、他の高山地帯へ移動出来ない。乗鞍の雷鳥は終生乗鞍で一生を暮らす。そういう意味でそれぞれの地帯で固有種が残り、氷河期のままの生態が残っている貴重種である。
 新聞によると、その乗鞍でライチョウの縄張りである高山地帯までイノシシがタカネヨモギやシラネニンジンを食い荒らしているという。イノシシはセリ科の球根類を好んでいるためである。このままだと雷鳥だけでなく、高山植物も絶滅の危機に陥る。
 この理由は温暖化により、高山帯までイノシシが立ち入ることが出来るようになったためである。詳しい内容は次のアドレスから見て下さい。
    http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20111024-OYT1T00219.htm

10月22日(土)
 伊吹嶺編集会議。今日は栗田先生は徳島へのご講演で欠席、河原地さんも仕事で欠席のため、さみしいメンバー。幸い今日はメンバーが少ないことが分かっていたため、先月にある程度準備しておいたので、スムーズに編集、企画が進む。岳人さんの畑は今年も豊作のようで、サツマイモ、里芋、ヤツガシラを頂く。我が家では当分芋に事欠かない。

10月21日(金)
 予定していた俳句の文章はようやく原案が出来る。これから推敲が続く。

10月19日(水)
 K社の審査計画書を仕上げて、郵送と電子媒体でも発送。発送後にK社の品質マニュアルがやっと届いて、それを読みながらチェックリストに書き込むのに、1日つぶれてしまう。その後、少しでも俳句の文章を書きたい。(75250)

10月18日(火)  ドラゴンズ優勝おめでとう
 毎月の定期診察のあと、カリンカ句会。昨日までの句を慌てて揃えたが、その他の日常吟がなかなか出来なくて困る。 我が家に帰ったとき、中日―横浜戦が3対3のままであった。仕事も俳句の文章も放り投げて、そのままTV中継に釘付け。はらはらしながら10回まで浅尾が押さえて、ようやく優勝。そのあとは各TV局のスポーツニュースをはしごして見て、寝たのは深夜1時を過ぎていた。

10月15日()~17日(月)
 伊吹嶺校正担当の皆さんにまぎれて、唐津方面を旅行。15日は魏志倭人伝に出てくる金印が発掘された志賀島(しかのしま)。
16日は宝くじが当たるという宝くじ神社がある高島。17日は太宰府とその周辺の国分寺跡。3日間とも天候に恵まれたが、最近は体力が衰えて、疲れた。それでも他の皆さんは身体も俳句も元気。
 また15日、16日は本来、今月のいぶきネット句会の合評会の進行役をしなければならないのだが、Tさんに代わってもらい、申し訳ない。


10月13日(木)   『碧梧桐俳句集』
 K社の審査結果の判定委員会。小規模ながら地道にQMSを実践しているので、問題なく登録更新となる。
 その足で帰りに栗田先生谷お寄りして私の書いた文章を見ていただく。あわせて『碧梧桐俳句集』を手渡され、伊吹嶺HPに掲載を依頼される夜早速HPにアップする。『碧梧桐俳句集』の案内は【こちら】を参照して下さい。(75150)

10月12日(水)
 句友の一灯さんは、相変わらず登山に出かけるようだ。奥穂高へ出かけたときの写真を頂いた。梓川から見た穂高は冠雪しており、落葉松はすっかり黄葉しており、水面に映った落葉松の揺らぎも最高の時期のようだ。トップページの写真は紅葉の涸沢で、右の写真は梓川です。
 今日の中日新聞の「中部の文芸ー俳句」で加藤かな文氏が下里美恵子さんの自註句集『下里美恵子集』が紹介されていた。その中で「微妙な明暗や色彩、かすかな音や匂いを描き分けることにより、移りゆく季節の瞬間を言葉に書きとめる。」の評は的確である。広く『下里美恵子集』が愛読されるのを望みたい。
 またこのところ、4日間連続でドラゴンズのことばかり書いているが、とうとうヤクルトに3連勝して、マジック4が点灯してしまった。もう優勝は間違いないと言ってよいのだろうか。あまり先走ると思わぬ落とし穴があるかもしれない。

10月11日(火)
 このところ俄然ドラゴンズに優勝の可能性が出てくると、毎日の野球中継が楽しみであるとともに、ひやひやしながら見ている。昨日の試合が終わった段階で、この4連戦が3勝1敗で乗り切れば、優勝の可能性が出てくると書いたが、今夜はその通りの展開になった。ただ最近は岩瀬が9回の押さえに出てくると、ひやひやもので心臓に悪い。岩瀬は今年で押さえを卒業ではないかと思う。この日記を書いているのを皆さんが読んでいると思うと、ヤクルト、巨人、阪神ファンの皆さんには気分を悪くして読んでいるのではないかと思う。

10月10日(月)
 昨夜、栗田先生から電話があって、急遽「伊吹嶺」11月号の校正を頼まれる。栗田先生は今月は特にお忙しく大変らしい。栗田先生が校正に出席するときは、全体を見回していらっしゃるそうだが、私はそんな芸当は出来ず、皆さんと一緒に校正を行うのみである。私は主に、伊吹集に多い文法間違いを見ることにしている。
 プロ野球も大詰めになり、TVから目が離せない。今日からヤクルトと4連戦の直接対決。ここを3勝1敗で乗り切れば、今年の優勝が見えてくる。この日記を書いているうちにドラゴンズが勝ったのを見届けた。あとなんとか2勝1敗でヤクルト戦を終えてほしい。優勝の乾杯の日が待ち遠しい。

10月9日(日)
 しばらく忙しくて、この日記も更新することが出来なかった。今夜書かなくてはいけない文章をとりあえず書き終えた。
 今日は寒露で十三夜が重なった。俳句を作るには絶好の日であるが、1句も出来なかった。しかし十三夜の月はよく見えた。今夜の月を記憶に入れて、いずれ俳句に残したい。
 ところで一時は今年のドラゴンズはもう終わったと思ったが、ここ数日で俄然望みが出てきた。本来は昨日までもっと成績を上げるべきだが、5日のように突然の崩れで引き分けてしまった。今日はなんとか勝ったが、明日からヤクルトと直接対決となるが、ここで優勝できるかの目安が見えるだろう。頑張れ、ドラゴンズ。
    手を拍つて鯉をはげます十三夜    沢木欣一
    
10月6日(木)   コバケンスペシャル(ベートーベンの2つの5番『皇帝』と『運命』)
 コバケンスペシャルはいつも欠かさずに聴きに行っている。今夜はベートーベンの2つの5番、と言うことはピアノ協奏曲第5番と交響曲5番である。共に超有名な曲である。また『皇帝』の方はピアノが仲道郁代ときている。
 最初の『皇帝』はいきなり勇壮なカデンツァから始まるので、覚えやすい。ただ仲道郁代はどちらかというと、ピアニッシモなどの軽やかな旋律のタッチがふさわしいと思った。しかし第3楽章のフィナーレも勇壮でよかった。いつも座っている席が仲道郁代の斜め前で美人顔がよく見え、曲を聴いていたのでなく、ピアノを弾いている仲道郁代の顔ばかり見ていたような気がする。
 2番目の『運命』はあまりにも有名すぎて我が家ではあまり聴いていない。それでも第4楽章のスケルツォに近いアレグロであるが、勝利を喜ぶ凱歌のようなフィナーレは感動的であった。(74946)

10月5日(水)   「伊吹嶺」10月号
 今月は少し遅れて「伊吹嶺」誌が届く。いつものように感想を書いてみたい。まず栗田主宰、
    流燈の列先頭は父ならむ   やすし
 私の家系ではお盆に燈籠を流して送り盆をする風習はない。栗田先生の句碑も「流燈会我も流るる舟にゐて」で流燈会の句である。栗田先生は毎年灯籠流しの行事に参加しているのだろう。この句、数多くの流燈のうち、先頭にいるのが父の流燈だと認識した思い入れのある句である。「父ならむ」と断定したところがいさぎよい。次は秀峰集から、
    墨香る硯の海や秋立てり        神尾朴水
    遠雷や夕爾句集を閉ざしたる      中川幸子
    はんざきの川てふ風はすでに秋    梅田 葵
    風鈴の澄む夜生死の間を看取る    櫻井幹郎
    おのが葉を打ちて落ちたり沙羅の花  清水弓月
    片蔭の地に棒で書く方程式       丹羽康碩
    七夕竹弔旗となりし震災地        近藤文子

 朴水さんの句、硯に墨を満たしたのを「硯の海」と詠んだ比喩は私には発想できない。しかも立秋の気分のよいときに墨を擦る安らぎが伝わってくる。
 中川さんの句、木下夕爾が名市大(旧制名古屋薬専)を卒業しているとは知らなかった。中川さんは夕爾が最後に住んでいて薬局を開いていた福山市にも在住していたことがあった。その関連で夕爾の句が好きだといつもおっしゃっていた。私も夕爾の句が好きでよく読んだ。この句は素直な句であるが、夕爾の句集『遠雷』を踏まえて作っている。
 葵さんの句、瀬戸市ではよく山椒魚の観察会があるという。瀬戸の句友も山椒魚の句を多く作っている。この句ははんざきが棲んでいる川風に秋を感じたという繊細な句である。
 櫻井さんの句、句会で拝見した句である。櫻井さんは生死の境という厳しい現実にお見舞いに行ったのであろう。「風鈴の澄む夜」の言葉涼しげだが、せつない風鈴である。
 清水さんの句、よく写生している句である。こういう一物をよく観察して作った句が好きで、このような句は沢木先生のおっしゃっていた一点主義の成果である。
 丹羽さんの句、方程式を説明しているのは作者か第三者的に見ているか分からないが、面白い素材である。このような情景でも詩になることに感心させられた。「地に棒で書く」が現実であり、迫力がある。
 近藤さんの句、沢木先生は「七夕竹弔旗のごとし原爆地」と詠まれたが、この句は比喩でなく、現実の弔旗である。「弔旗となりし」と断定したところが力強い。 以下遠峰集から共感した句を並べる。
    よく動くものから買はれ兜虫     関根切子
    朝顔の初花小さき海の色       宇佐美こころ
    グラス打つ銀のマドラー夜半の秋   中野一灯
    老鶯や隠れ十字の水神碑       栗田せつ子
    落蝉の翔たんとしては裏返る     田畑 龍
    釣り鐘の下に数多や蟻地獄      熊澤和代
    屋上の稲荷へビールジョッキごと   森 靖子
    一瞬は宙に留まり滝落花        伊藤旅遊
    どこからも城山見えて町涼し      下里美恵子
    大瑠璃の光を引いて巣へ戻る     矢野孝子
    青田風同姓並ぶ戦没碑         山本光江


10月4日(火)
 毎日、書かなければと思っている原稿がなかなか進まない。家に閉じ籠もっているとつい気が緩む。結局今日は何をやって過ごしたのだろうか。妻は毎日、句集のお祝いに届いた手紙の返事にせっせと書いている。この夫婦の違いは何であろうか。

10月3日(月)   オゾンホールが北極にも(11.10.03)
 今日の朝品新聞の1面に北極にもオゾンホールが発生したとの記事があった。規模は南極に匹敵するくらい大きく、オゾンの80%が失われたという。元々オゾンホールが何故南極にだけ発生するのか、よく調べていないので分からなかった。現在のうろ覚えの知識によると、「オゾンは南極などにある極成層圏雲が低温ほど発生しやすく、これがまた冬の間に急激にエアロゾルが増加することによって、反応してオゾンを破壊して、オゾンホールが発生する。それではいままで南極のみに発生して、北極に発生しなかったのは何故か。ネット情報では、それは「北極でもオゾンホールの存在は確認されているが、南極ほど大きくない。南半球は陸地が少なく、起伏の大きな地形も少ないが、北半球の場合、チベット高原ロッキー山脈のような大規模山塊があり、陸地と海洋のコントラストも大きい。このため、北半球では大規模山塊や海陸のコントラストで励起されたロスビー波が成層圏に伝播して極渦を弱め、南極に比べて気温が低下せず、極成層圏雲が生成されにくい。」とある。ところが今年はその北極でオゾンホールが発生したという。何故北極に発生したのかは新聞では詳しく書いていない。これから原因が追及されると思う。
 ところでところでオゾンホールの基となるフロンなどは規制されているが、既に大気中に放出されたフロンの影響が未だ数10年残ると思われているので、今後とも要注意である。なお朝日新聞のWeb情報は次のアドレスを覗いて下さい。
  http://www.asahi.com/eco/news/TKY201110020407.htmlhttp://www.asahi.com/eco/news/TKY201110020407.html

10月2日(日)
 名古屋句会。今月は少しさみしい。1人でも欠席すると途端に少なくなる。

10月1日(土)   温暖感化対策の京都議定書とCOP17の先行き(中日新聞11.10.1)
 チングルマ句会。毎月栗田先生の講話を旅遊さんが筆録した『実作への手引』を勉強しているが、来月から下里さんの自註句集『下里美恵子集』をしばらく勉強することにした。従って今日は『実作への手引』に掲載される前の栗田先生が講義されたメモをまとめて説明する。
 今日の中日新聞に今年のCOP17の作業部会が始まることと、京都議定書の約束年である12年に90年対比マイナス6%の記事が出ていた。もともとは排出取引による目標達成が見えていたが、予想どおり今年の原発事故で達成は不透明になってきた。例えばCO2削減が12年度は90年比で15%増となるという。このような状態で、新興国は相変わらず削減は京都議定書の延長で先進国だけでやれと言う。中国、アメリカが参加しない温暖化対策はありえない。まもなく南アフリカで行われる始まる今年のCOP17の見通しが不透明になってくる。
9月30日(金)
 ISCの審査員研修。いろいろな連絡事項の他、今日のメインはそれぞれ審査員が最低1つは審査ガイドラインを作る宿題が与えられたことである。私の場合は一番の専門である電気工事・電気通信工事の審査ガイドラインを作成することである。これが終わったら情報技術(ソフトウエア開発)の審査ガイドラインを作成することである。11月末に中間まとめ、来年の初めには最終ガイドラインを作成することになる。やや長丁場の仕事になりそうだ。(74805)

9月29日(木)   フラガール帰る
 K社の審査結果報告書は更新審査のため、判定委員会に諮る必要があるが、10月の判定委員会で発表するには今日がタイムリミットのため、あわててISCに出かけて、報告書の作成、提出を行う。
 今夜TVを見ていたら、スパリゾートハワイアンズのフラガールが全国公演を終えて、いわき市に帰ってきた。10月から再びいわき市でフラガールが見られる。どの程度集客が出来るか分からないが、せめて遠くから応援するしかない。
 「フラガール」の映画については数年前の日記に書いたことがあったが、彼女たちの篤い心に感動した。フラガールも含めたスパリゾートハワイアンズは徹底的な品質管理により、言わば品質管理オリンピックの金メダルを取ったようなものだ。映画はまだ品質管理を実践する前の苦しみを描いたものであったが、皆さんに是非見ていただきたい映画である。今はレンタルビデオ店で借りることが出来るのではないか。

9月28日(水)   チャイコフスキー交響曲第5番(名フィル名曲シリーズ)
 今年から名フィル会員はやめたので、好きなときのみ聴きに行く。今日はチャイコフスキー交響曲第5番。出だしから荘厳で暗い交響曲の印象。プログラムの解説によると、「運命、神の摂理への完全な服従」とあり、ベートーベンの荒々しい「運命」とは全然印象が違う。強いて言えば、受動的に運命を受け入れるのが神の摂理という印象か。第4楽章のフィナーレ以外はずっと陰鬱な印象を受けた。ただ第3楽章にワルツを使ったのはめずらしく、ここで少し和める。
 以前コバケンでこの曲を聴いたことがあったが、コバケンの場合はもっと高揚感があったように思った。

9月27日(火)
 このところよい天気が続き、明日から予定が詰まり、天候も下り坂とのことで、思い立って奈良へ出かける。新薬師寺は10年ぐらい前に行ったときは改修工事中だったと思うが、妻が数年前に出かけたときは工事は完了していたとのことで、完成してから見ていないので、ここにした。ただ工事中の時、扉を外してステンドグラスがはめてあって、興ざめしたものである。今日見たときは外部から見たときステンドグラスは残っていたが、扉で遮って光が入らないようにしてあった。ネット検索すると、このステンドグラスは相当不評のようである。十二神将の近くに大きな音でビデオを流していたのも興ざめである。
 あとは萩の盛りだろうと思い、白毫寺にも足を伸ばす。萩は盛りであったが、今年は台風のせいか、花はどれも小ぶりであった。今日は久しぶりにしっかりと歩いたので、疲れた。やはり年齢のせいか。写真は白毫寺の参道の萩です。ただ白萩が多かったので、この写真では萩はよく見えない。


参道の萩(白萩が多いためよく見えない)

拡大した萩

9月25日(日)
 最近、家に閉じ籠もり気味なので、夕方妻と散歩。いつの間にか世の中は晩秋の気配。田んぼの畦を歩いていると、桜蓼がきれいに咲いている。また曼珠沙華は台風前に咲いたのはすっかりしおれていたが、まだ蕾が続々と出てきている。これから曼珠沙華の季節が訪れることだろう。右の写真は畦の桜蓼。



9月24日(土)
 11月号の編集と1月号の企画。企画では10月の全国大会の記事が中心となるので、結構執筆依頼が多くなる。また少しずつ15周年記念号の企画を続けているが、毎月新しいよい案が出てくるので、なかなかかたまらない。今年中には企画案を決定して次のステップに入る必要がある。どんな記念号になるか楽しみである。(74649)

9月23日(金)
 今日栗田主宰ご夫婦から、妻の句集『蕗の薹』上梓のお祝いに立派な胡蝶蘭が届いた。妻はすっかり感激して、お礼の電話もうわずっていた。記念となる胡蝶蘭を残しておくため、写真に残しておくとにした。右の写真がその胡蝶蘭です。

9月22日(木)
 昨日台風が過ぎてから、一気に秋の風になり、半袖では寒いくらい。
 妻の句集『蕗の薹』が出来たので、今日発送する。夫としては句の中味はすべて分かっているが、皆さんの反応が気になるところ。

9月21日(水)
 昨夜から雨がひどく、1日中降り続ける。ようやく台風が過ぎ、2010年豪雨ほどにはならなくてほっとする。栗田先生はまたまたお忙しく、10月2日の敦賀での講演に引き続き、10月23日には「碧梧桐の俳句」の演題で、ご講演の予定。今日は「碧梧桐の書と俳句展」の案内を伊吹嶺落書にアップする。

9月20日(火)
 毎月の定期診察。その後、カリンカ句会に出かけようとしたが、台風接近で中止。私の住んでいる東員町ではそんなに雨、風がひどくなかったが、名古屋では天白川、庄内川が決壊しそうだということで、相当数を対象に避難指示、避難勧告などが出て、一時は東京都千代田区満二体して出たという。2010年豪雨の再来と同じ進行をたどっている。この時は丁度津市でISO審査を受けている最中で、帰りは近鉄がストップしてしまい、タクシーで帰ったが、途中での大渋滞、また員弁川など堤防を越えるようなところまで水位が上がり、タクシーの運転手さんが堤防が緩んでいることが分かるほどだと、怖い経験をしたことがあった。今回は無事に過ぎてほしい。

9月19日(月)   とことこ恵ちゃん
 台風が近づく予報だったが、前から予約していた「とことこ恵ちゃん」でバスツアー。ただ恵那地域だけののんびりしたツアー。今日は坂折棚田と飯地町・五毛座の子供歌舞伎、千畝記念館。
 恵那駅の集合場所に着いてびっくり。「伊吹嶺」の仲間がそれぞれ予約したらしく、総勢13名となる。おかげで途中の話し相手に退屈しない。棚田では丁度刈り入れ直前で稲穂が一面色づいている。子供歌舞伎は敬老会での臨時公演だったらしく、2階の桟敷席から見る。
 今日1日は雨が心配だったが、むしろ暑くて大変なくらい。せっかく仲間が多く集まったので、恵那駅前で句会。以下は多くの写真から2枚だけ紹介します。

坂折棚田

子供歌舞伎

9月18日(日)
 愛知同人句会。今日今年の新同人、伊吹嶺賞の発表がある。
 新同人は次の皆さん。
   長崎真由美さん、横森今日子さん、高橋幸子さん、利行小波さん
 伊吹嶺賞は 山本光江さん。
 次点は国枝洋子。佳作は内田陽子さん、、若山智子さん、長江克江さん、市原美幸さん。

 また下里美恵子さんが10月より、『俳句四季』の選者となられた。
 今日はおめでたいニュースばかりである。(77467)

9月17日(土)
 一日中、家の閉じ籠もっていると、身体の調子にもよくない。今日は気分転換をかねて、K社の審査結果報告書の下書きを行う。あとは指摘した1件の回答書が届いたら、すぐ仕上げたい。

9月16日(金)
 毎日ぶらぶらしていると、いつの間にか日が過ぎてゆく。この日記も久しぶりで、この日記を続けることが私がまだ生きている証拠。今一寸長い文章を書くのに取りかかっているため、なかなか心が落ち着かない。そのために今月に書くべき「伊吹嶺」誌の2つの記事を早めに書き終えた。
 今日の妻の句集『蕗の薹』が豊文社から届く。一部の方からはまだ発行されないうちに句集の購入要望があり、ありがたいことである。

9月12日(月)
 「伊吹嶺」10月号の校正の応援に出かける。校正担当の皆さんが毎月神経を使いながらゲラから間違いを探すのはいつものことながら大変だ。たまに応援する私でも相当疲れる。皆さんの熱意には頭が下がる。
 今日は中秋の名月で、満月と重なる。旧8月15日と満月が重なるのは数年に1回とのことで、今年は久しぶりに重なり、しかも雲ひとつない夜に恵まれ、星もびっしりと出ている。今夜は玄関に吾亦紅、萩、水引草など飾るが、我が家の近くには芒が見あたらず、一寸さみしい。オミナエシは庭にびっしりと咲いているが、切り花にして飾ると悪臭を放つのでやめ。せっかくの名月だが、今まで名月で句を作ったことがないので、今夜も出来るかどうか?
   今日の月バナナと牛乳喜の祝ひ  沢木欣一
   門を出て五十歩月に近づけり    細見綾子
   月明に鵜磧の石裏返す        栗田やすし


9月11日(日)
 名古屋句会。手術後の中川さんは大分よくなったようである。最近皆さん、日常吟しか作れないようであるが、卒寿になるMさんだけは元気にあちこち旅行に出かけられている。いつまでもお元気でいてほしい。
 今日、妻から聞いたことだが、日曜礼拝で桑名市から市会議員と一般のボランティアで宮城県へ出かけたときの報告会があったそうだ。市会議員もボランティア活動に出かけたが、写真を撮すために視察という形態で出かけたそうだ。市会議員は石巻、塩釜、仙台などの現状を見に行き、一般のボランティアの方は仙台市若林区の荒浜、閖上などで数人でグループを組んで、被災した家屋の撤去作業をしたそうだが、1日で1軒の撤去も出来ないくらい大変だったという。その他、いろいろな報告があったが、被災者の状況を聞くにつれ、涙なしでは聞けなかったそうだ。私はその妻からの話を聞いてもらい泣きをした。東北3県の復旧状況はまだまだであろうし、復旧対象規模も大きく大変なことを知った。さらに福島原発事故を受けた地区ももっと悲惨であろう。これに対して東電の対応にはまだまだ誠意が感じられない。

9月10日(土)   自註句集『下里美恵子集』の感想
 また残暑が戻ってきて、1日怠けてばかり。明日の句会だけはなんとか句を揃える。
 下里さんの自註句集『下里美恵子集』を読んで、改めて下里さんの豊かな感性に感銘を受ける。自註を読むことにより、下里さんの心情が分かり、その心情が俳句となって現れた技量に感心する。始めて読んだ『三姉妹』時の感想と全然違っているの気付くと、以前の私自身の鑑賞力の貧しさを感じる。今回の感想が当を得たものではないが、今時点で思った感想を書いてみた。興味のある方は【こちら】から入って下さい。
 またこの自註句集『下里美恵子集』を購入されたい方は次のアドレスをクリックして下さい。
    http://www.ibukinet.jp/book4.html

9月9日(金)
 やらなければならないことはいっぱいあるが、怠けてしまいだらだらと過ごす。今日は俳句関係の文章2つ書いて終わる。

9月8日(木)  「伊吹嶺」9月号
 今日は白露。今年はめずらしく白露にふさわしい朝はひんやりとする。昨日の審査で確認しきれなかった記録を整理する。
 「伊吹嶺」9月号が届いたが、今月はやすし句碑の句が多かった。まず栗田先生の句から、
    炎帝や火口の底のエメラルド     やすし
 私は阿蘇山に出かけたことがないが、頂上は火口湖になっているのだろう。炎帝という赤のイメージと火口湖のエメラルド色の対比が印象的。次に秀峰集から、
    珈琲にミルクの輪崩れ今朝の秋    山たけし
    綱張ればただちに掴む糸瓜蔓     近藤文子
    手術後の氷のかけらうまかりき     中川幸子
    五月雨傘幾重も囲む句碑ひらき    山下智子
    あはあはと月出て涼しやすし句碑    梅田 葵

 山さんの句、いつも喫茶店で見慣れた光景であるが、改めて句として読むと、しっかりした写生と「今朝の秋」の季語がぴったりだ。さらにここにはユーモアも含まれている。
 近藤さんの句、今年は我が家でもゴーヤや朝顔を植えたが、まさにこの句のとおりである。朝顔でなく、糸瓜蔓であるところが実感である。
 中川さんは最近腰を手術されて、名古屋句会でもそろそろと歩きながらも出席していただいている。よく手術後は水を飲んではいけない場合があるが、水でなく氷を舐めていると救われた気持ちになる。そこに共感した。
 山下さんの句、確かに句碑開きの最中は土砂降りの雨であったが、「幾重も囲む」の写生は実感である。
 葵さんの句、最近自在な境地で詠まれているように感じた。この月は昼の月と認識した。それを「あはあはと月出て」に昼の月らしさが出ていると思った。次に遠峰集は先月に続き、今月もやすし句碑の句が多かった。
    藪蚊打つ手の合掌に似たるかな   宇佐美こころ
    蓴菜や手にひんやりと江戸切子    渡辺慢房
    洞窟に滴りの音沖縄忌         鈴木みすず
    句碑の背に林立したる今年竹     夏目悦江
    曳舟のうねりに寄する夜光虫      内田陽子
    利休梅活けし旅籠の足盥        栗田せつ子
    風涼し句碑までの道川に沿ふ     森 靖子
    ほととぎす一声高くそれきつり     伊藤旅遊
    被爆者を運びし鉄路灼けてゐし    都合ナルミ
    軋みつつ電車止まれり麦の秋     下里美恵子
    除幕待つ五月雨の傘重ね合ひ     矢野孝子
    竜天に登り師の句碑青み増す     長江克江
    若竹の光こぼるるやすし句碑      山本光江
    母がりへ一本道や螢の夜        石崎宗敏
    荒滝のもんどり打つて迫り来し     八尋樹炎


 なお今月は現代俳句評が掲載されましたので、【こちら】から入って下さい。(74200)

9月7日(水)
 K社のISO更新審査。1人審査のため、マイペースで出来たが、工事現場まで遠いところへ出かけたため、時間調整がうまく行かなくて、帰りの列車にぎりぎり間に合う。駅に着いたら、駅弁も売り切れで仕方なく、ビールとつまみで我慢する。
 本来、今日は綾子忌吟行会だったが、吟行記は孝子さんにお願いした。孝子さんに感謝したい。

9月6日(火)
 今日は綾子忌。丁度明日が高山でISO審査のため、前泊。毎年1回は高山で審査があるため、ついでに高山の街を散策しているが、毎年のことでもう見るべき吟行地はなくなってしまった。今月3日まで風の盆があった越中八尾を思い出し、八尾まで足を伸ばす。風の盆の時は町中大混雑するところ、今日は極めて静かな田舎町になっている。駅に着いたときコインロッカーすらなくて、観光会館までキャリーバックを引きながら歩き、そこから町を散策する。今日はかなり涼しいが歩くと結構暑い。写真を少し写したが、トップページにある沢木先生の風の盆の句の井田川は台風の影響はなく澄みきっていた。以下はひっそりとした八尾の写真。
    街裏に瀬波の白さ風の盆   欣一
    膳運ぶ長き袂や風の盆    綾子


八尾は坂の町

酔芙蓉はかろうじて1軒のみ咲いていた

沢木先生が詠んだ井田川


9月4日(日)
 母が亡くなって既に3年以上過ぎたが、今日は台風がまだひどいところ、納骨に京都へ出かける。我が家の宗派は本願寺派で、お世話になっているお寺の門徒が集まって3年に一度程度に亡くなった肉親の骨納めに出かけている。母の遺骨はまだ仏壇に供えているので、これで一区切りできる。納骨は大谷本廟で行い、その後西本願寺に参拝する。今年は親鸞750回大遠忌の年で現在は御影堂で3000人が同時に法要に参加できるようになっている。丁度現在は休止中と共に台風の影響で、静かそのもの。結局今日は1日中、雨、風がひどい中で疲れた。

9月3日(土)
 チングルマ句会。台風の動きがおそく、一番近づいている状態で、名古屋へ出かけられるか心配だったが、風だけだったので、出席。名古屋は東員町より風も弱く、雨も降っていない。毎月勉強している「実作への手引」では今月は物か事かのテーマだったが、本来は物にこと寄せた即物具象で作るのがよいと思うが、今日の句会でも圧倒的に事柄俳句が多い。作りやすいかもしれないが、やはり栗田先生が言うように物に即した句を作ることから始めるのがよいと思った。
 今日帰ったら、「伊吹嶺」9月号が届いていた。これからじっくり読みたい。

9月1日(木)  自註句集『下里美恵子集』(俳人協会)
 既に「俳句文学館」に予告のあった下里さんの自註現代俳句シリーズとして『下里美恵子集』が俳人協会より発刊された。下里さんとは親しくさせていただくようになったのは、私が編集部のお手伝いをするようになってからである。毎月の編集企画、編集割付などてきぱきとなさり、私はただそばにいるだけで役立たずである。俳句も丁度この頃から同人句会に出席したり、「伊吹嶺」の遠峰集を読ませていただくようになり、常々下里さんの感性には敬服していた。今日届いて早速、さらっと読んでみて気付いたのは、初期の句から一環して下里さんの感覚、物の把握に独特のものがあり、それが現在に至るまで変わらずに持ち続けている。これは当初から既に感性が優れていることと初心を忘れない俳句に真面目に取り組んでいることに他ならない。またじっくりと読んで感想でも述べてみたい。
   ふるさとの草の混じりて栗届く   昭和53年(巻頭句)
   松手入松ゆさぶって終わりけり  平成14年(物を凝視した私の好きな句)
   辺戸岬まで一筋の道灼けて    平成20年(沖縄へご一緒したときの句)


8月31日(水)   「俳句研究」休刊
 岐阜へ出かけ、母の後始末。母が亡くなった翌年から、急に仕事が忙しくなり、そのままにしたまま。昨年後半からようやく仕事も少なくなり、いつまでもそのままにしておけないので、今日は司法書士さんと相談。これから必要な書類の作成、集める準備。
 夜、我が家に帰ってくると、「俳句研究 秋の号」が届いていたが、本号をもって休刊とするお知らせが入っていた。季刊として再出発した「俳句研究」も書店購入できず、定期購読しかできない販売では経営的に難しいと思っていた。石井編集長にお会いする度に頑張っていらっしゃる姿に共感を頂いていたが、ついに限界に来たのかと思うと残念とした言いようがない。特に石井編集長には「伊吹嶺」を心情的にも応援していただいて来たことに感謝したい。また別の形で復刊を祈りたい。なお以下は「秋の号」の栗田主宰ご夫婦の2句、
    兄と鮒釣りゐし八月十五日   栗田やすし
    鵜篝の火を消してより月蒼し  栗田せつ子


8月30日(火)
 このところ毎日出かけているので、今日まとめて私のHPを書き溜めしている。文章の方もそろそろ本気になって書かなければならない。(73932)

8月29日(月)
 岐阜同人句会。ただ出がけに昨日痛めた足の小指の状態を見て貰うため、整形外科に出かける。やはり爪の部分はすっかり浮いてしまい、根本だけがくっついている状態。爪が伸びるまで指を固定しておく必要がある。整形外科を予約なして出かけたため、岐阜同人句会には30分ぐらいの遅刻。それでも最近句会がないので、ここで句を作っておかないと9月までが心許ない。

8月28日(日)
 今日も予想どおり暑そうなので、先日出かけた赤目48滝に孫を連れて涼みに出かける。今日は先日以降の雨ですこしは滝の水量が多かったようだ。孫達は滝を見るより、河原で食事をしながら、川遊び。好きなだけ疲れるまで遊ばせる。私も図に乗って、一緒に遊んでいるうちに、岩角に足の小指を強くぶつけて、爪が剥がれそうになる。夜は車で長男の家近くまで帰り、みんなで食事。この2日間も孫に振り回されて疲れは倍増した。写真は昨日の多度峡の天然プールと、今日の赤目の写真。

多度の天然プール

千手滝

8月27日(土)
 毎年、今夜は団地の城山祭。長男の孫達は毎年楽しみにして、1泊で東員町に来る。もう中学生になったが、こういう祭が好きなのは幼い感じがする。日中は近くの多度峡の天然プールで遊び、夜は好きなだけ祭のゲームに夢中になる。昔妻は〈子等去りて祭の金魚持て余す〉という句があったが、今年も同じで金魚が残る。

8月26日(金)
 午前中は近くの万葉の小径を歩きながら、時間をつぶす。午後からは編集部の皆さんと別れて、インターネット部の役割分担の見直しに関連して、UさんにもHPBを使用してHP作成、アップをお願いするための勉強会を行う。レクチャーは順調にいったので、来月から期待できる。
 今日は一色町の大提灯祭のため、ネット仲間の数人で出かける。諏訪神社に立てられた大提灯は全部で12張り、一番大きいのは長さ4.6m、直径2.6mほどの巨大な提灯である。提灯を見ながら、提灯への火入れ儀式の始まる午後7時からを待ち受ける。その頃はすごい人出身動きも出来ない。ただ提灯にろうそくを入れたあと、本来は提灯を透かせた蝋燭火が見えるはずが、境内の露店の明かりのため、見ることが出来なかった。せめて火入れの時ぐらいは一斉に露店の明かりを消したらと思った。句材としてただ提灯を見ているだけのため、句が出来そうにない。右の写真は夕暮れの大提灯。
 昨日の編集会議から、大提灯祭まで暑さもあってすっかり疲れた。

8月25日(木)
 伊吹嶺編集会議。毎年夏休みは1泊で出かける。今年は蒲郡でまず竹島を一古さんにご案内して貰う。何度も来ているところだが、竹島橋を渡っているとき、無数の鱏(エイ)が泳いでいるのを見た。初めての経験でびっくりする。潮の流れの関係で外洋から入り込んだのだろうか。
 蒲郡市内で編集会議が終わってから、西浦温泉「南風荘」に泊まる。実はこのホテルは私の大学の同級生が経営していたが、3年前に若くして亡くなった。それまでは大学の同窓会はいつもこのホテルで行っていた。現在社長である奥様にお悔やみがてら挨拶をしたが、現在は息子さんが専務として頑張っているとのこと。しかし同級生が亡くなりつつある現在、私も老いを感じざるを得ない。

8月23日(火)
 1ヶ月毎の定期診察。これで半日がつぶれてしまう。
 昨日まで今年のインターネット部主催によるオフ句会の案内の作成と配信、HP掲載などやっと終わったが、今週に控えている編集会議までのibukinet記事の作成そしてHP句会の臨時選句、HP句会の講評などをこなしていると、他に何も出来ない。そろそろ大きな文章に取りかからなければならないが、なかなかそのきっかけが出来ない。すこしづつでも取り組んでいきたい。

8月22日(月)  高利でも支店続々のメダカ銀行(読売新聞11.8.19)
 面白いタイトルの新聞記事があったので紹介したい。その名はメダカ銀行。新聞では、
 「山口県周南市に本店を置く「メダカの銀行」では、絶滅危惧種のクロメダカを貸し出して増やしてもらおうという取り組みが始まって10年。今月、県内20店目として開業した和木町の支店では「小さな命を育てて、自然や環境の大切さを学んで」と、積極的な“融資”を展開している。システムは、1家族あたり10匹程度を貸し出し、配布年月日や育て方を記した通帳を発行。繁殖させてもらい“利息約10匹”を加えた20匹を返済してもらう。戻ったメダカは、銀行が捕獲した川などに放流する。
とあり、そのため支店がどんどん増えているという。こういう銀行なら高利でも誰でも利用しやすいだろう。しかもメダカを20匹以上返した人には地元野菜と交換するシステムもある。このような活動で今や絶滅危惧種となったメダカの増殖が続くことを願いたい。詳しい記事は次のアドレスから入って下さい。  http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20110819-OYT1T00029.htmhttp://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20110819-OYT1T00029.htm


8月21日(日)
 愛知同人句会。暑い8月に45名もの参加で盛況。今日は流燈会の句が多かったが、私の家の宗派では全然関係ないので、見たことがなく、選ぶのに苦労する。流燈会などは実際に身内に関係する人なら心がこもった句となるであろう。全体で今日一番で採ったのはNさんの原爆忌の句である。自分の影がもっとも縮んだときと原爆忌を配したのは秀逸である。Nさんの感性に脱帽。
 句会後、インターネット部の名古屋勢で、今後のインターネット部の体制、今年のオフ句会の打合せを行う。話し込んで帰りのバスが遅くなってしまう。

8月20日(土)
 OHSAS18001(労働安全衛生マネジメントシステム)の研修。ISCでは労働安全衛生マネジメントシステムを厚労省の告示113号に基づき、審査業務を始めているが、顧客の要望が多いため、OHSAS18001の国際規格でも審査業務を行うため、そのための規格の研修。もともと私が以前いた会社はOHSAS18001で認証登録をしていたため、こちらの方がなじみがある。ただ私はOHSAS18001の1999年版で勉強していたので、現在は2007年版が最新版のため、改めて規格の改訂部分を旧規格を思い出しながら、2007年版を勉強する。
 夜は二男一家が久しぶりに三重に来る。孫はいつの間にか成長している。

8月19日(金)  『十七音の履歴書』(正木ゆう子)
 日頃、俳句を読むとき、環境のことを頭の片隅に入れながら読んでいるせいか、気になる俳句に出くわすと、作者はどんな気持ちで作ったのか知りたくなる。大分前のことだが、TVで正木ゆう子の「水の地球すこしはなれて春の月」はどんな気持ちで詠んだのか気になっていたところ、つい最近本屋で『十七音の履歴書』という随筆を読んだ。この句は第三句集『静かな水』の巻頭句に掲載されている。この随筆で「私はこの句集で一巻を宇宙と水のイメージで構成しようと思った。」とあり、私の知りたかった環境との関わりの答えは出なかったが、この句は地球環境を前向きに捉えた句だと思っていた。宇宙と水のイメージを考えるとすこしは環境につながってくるのかと思う。そんなことを考えながら一気に読んだが、「沖」の能村登四郎は弟子に俳句に対して随分と柔軟な考えで接していたと思った。それは今年4月の俳人協会愛知県支部総会での能村研三の講演においても感じたことであった。(73656)

8月17日(水)
 毎日暑い日が続いている。明日から天気が下り坂というので、少しでも涼しいところはないかと思っていたところ、昨日のTVで赤目四十八滝の紹介があったので、思いついたように出かける。滝の散策コースに入った途端、涼しさを感じる。確か昨年もここを訪れたことがあると思い、日記で探すと、昨年は8月3日に来ている。既に昨年もそうだったが、今年も一段と水量が少なくなってきている。山椒魚が棲んででいた茶店は今年はもう閉鎖してしまった。もう少し上流の河原で足を浸しながら、おにぎりを食べていると下界の暑さは忘れてしまう。至福の時間である。今日は妻も頑張って上流の荷担滝まで足を伸ばす。
 残念ながら今日はデジカメを持って行くのを忘れてしまった。今頃見る岩煙草は盛りであったが、意外にも狐の剃刀の花を見つける。もう秋も近づいてきている証拠か。蝉の声もいろいろ聞くことが出来る。ミンミンゼミ、アブラゼミ、法師蝉、蜩などすべても蝉を聞くことが出来た。写真は昨年撮した荷担滝をもう一度掲載します。いかにも涼しそうな写真。ただし水量はもう少し少なかった。

8月16日(月)  イネ科外来種・生態系を脅かす強い繁殖力(読売新聞 11..8.14)
 読売新聞始め各紙で、スパルティナ アルテルニフロラという舌を噛みそうな名前のイネ科の外来植物が豊橋で発見され繁殖していることが分かったという。新聞では「米国やニュージーランドなどで深刻な外来生物問題を引き起こしているイネ科植物の一種「スパルティナ・アルテルニフロラ」が、愛知県豊橋市で繁殖していることが分かった。原産地は北米東部。アルテルニフロラを含むスパルティナ属が侵入した米国西部ワシントン州では、干潟が草地に変わり、魚や鳥の餌場や生息地が失われたという。」とあり、一番怖いのは日本の干潟を草地など陸地化させて、干潟に住む動物も絶滅することだ。原因は車の輸入港の三河湾で放水するバラスト水に種子が混入している可能性が高いという。今後この行方に目が離せない。なお読売新聞の記事は次のアドレスから見て下さい。その他、朝日新聞、中日新聞にも掲載されているが、Webページには掲載されていないようだ。
   http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20110814-OYT1T00076.htm
 
 13日に我が家のIP電話、メール、インターネットが使えなくなった故障があったが、今日NTTから連絡があり、当日はとりあえずリセットで復旧したが、念のため、加入者パッケージを取り替えたという。今のIP電話網の構造はよく知らないが、さしづめデジタルネットワークのルーターの加入者側のパッケージが故障でもしたのだろう。ここは各お客さん毎の装置で、数が多い分故障の確率も高いのだろう。
 夜はいぶきネット句会合評会の2日目。今夜も20名ほど参加して皆さん活発に発言して貰い、合評会を行うのに、張りあいがある。

8月15日(月)
 今日は終戦記念日。いつものように戦没者追悼式をTVで見る。いつも今日の終戦日の句を作りたいと思っているのだが、出来ない。昨年も伊吹嶺落書で終戦日の句を紹介したことがあるが、昨年と同じになるが、書きだしてみる。

   父の碑に真水供ふる敗戦日    栗田やすし
   亡き父の母への便り敗戦忌       〃
   靖国の靖はわが名敗戦忌        〃

   土熱く焼けゐし記憶終戦日      沢木欣一
   生きのこり黒き句集や終戦日       〃
   木々のこゑ石ころのこゑ終戦日   鷹羽狩行
   濡縁のとことん乾く敗戦日       宇多喜代子
   川を見て老人立てり終戦日      林 徹
   敗戦忌熱き茶を呑む暑き日よ     夏目悦江
   花氷のなかに人の手終戦日      田川飛旅子
   敗戦日少年に川いまも流れ      矢島渚男
   終戦日妻子入れむと風呂洗ふ     秋元不死男

 以上の句を書きだしてみたが、今日の追悼式で思いだした句が1句ある。
   終戦日黙禱すべく家にあり     鈴木みや子
 この句を名古屋句会で見たときはみや子さんの感性と人柄に打たれたことを覚えている。みや子さんの句を見ることが出来なくなったが、今年ならどんな句を詠まれるだろうかと思いつつ、元気になってほしいと願う。
 
 夜はいぶきネット句会の合評会。20名あまりの参加で、会員の皆さんの発言が多く、時間が足りないくらい。擬態語の質問、季重なりの質問などが出るが、とても短い時間で説明することは難しい。しかし少しでも説明できることはリアルタイムの合評会のおかげかと思う。

8月14日(日)
 毎日、35℃を超える猛暑日が続いており、外出するのも面倒な日々、家でごろごろしており、以前からやらなくてはならない用件を思い切ってすます。その他、まだまだ日常の整理など多く残っている。
 夜は、明日からのいぶきネット句会の合評会のためのコメント事項をあらかじめ準備もする。

8月13日(土)
 いぶきネット句会では、今月の選の結果が出たので、投句のコメントを書いてMLで配信しようとしたら、光ケーブルの故郷でIP電話、メール、インターネットなどすべて使えなくなった。せっかく書いたコメントを配信できなくて、最後はコンビニからネット仲間にFAXで送信して、PDF配信して貰おうと、丁度コンビニに着いたときにNTTから電話があってリセットしたら直ったという。いざというときにはネットカフェなどを利用してインターネット利用が出来るが、東員町ではネットカフェもなくて使えない。今後万一の時のために、何らかの対策を考えなければならない。(73507)

8月12日(金)
 お盆も近くなってきたので、早めに盆供養を行う。我が家の宗派では極めて単純でお経を上げて貰うだけである。久しぶりに実家に帰って、早く終わったので、何処か涼しいところへ行きたかったが、思いつくところがなかったので、金華山にロープウエィで登り、岐阜市内を見渡す。そうすると母校がよく見えて工事中とは違って、幾棟の校舎が並んで見えたので、帰りに母校の高校に寄る。今はすっかり新しくなり、以前の工事中とは違っており、素晴らしく豪華に学年棟が並んでいた。丁度玄関に先生らしき方がいたので、写真をお願いしたところ、その方は事務長さんで、せっかく来ていただいたなら、校舎の中を案内すると言われ、各教室を見せていただく。事務棟の他、各学年ごとの3棟、各4Fとなっており、学生は各学年360名でゆったり。廊下はピカピカ、共通フロアには、図書室、OA教室、視聴覚教室などが充実しており、2F,3Fは吹き抜けになっている。学生の教室はエアコンまで入っている念の入りようである。以前見に行ったときは事務棟の玄関だけが見えて、印象では失礼なことを言ったが、その時は他の棟は工事で見えなかっためで、改めての立派さにびっくり。今母校の学生がこんなに恵まれた環境で勉強できるのに、レベルが低くなるような評価を受けないように頑張ってほしい。以下は事務棟、学年棟、吹き抜けの廊下などの写真。

正門から事務棟

各学年棟

広々とした廊下(右は図書室)

8月9日(火)
 今日は長崎原爆忌。長崎では明け方雨が降ったそうであるが、祈念式典にはすっかり夏の空になっているようだ。長崎は今年始めて訪れたが、爆心地が思ったより都心にあるのを知らなかった。長崎はキリシタンの殉教の地であり、被爆地である。二重の苦しみを背負っている。さらに日本全体が福島原発の放射能に苦しめられている。原子力発電を推し進めてきた東電を始め、政治家、官僚、御用学者、マスコミなどの罪は深い。最近読んだ現役官僚である古賀茂明氏の『日本中枢の崩壊』を読むと、これらの罪深さがよく分かる。
 なお右の写真は6月に長崎を訪れたときの平和祈念像。

8月8日(月)  「伊吹嶺」8月号
 今日は立秋。しかしけたたましいクマゼミの声で起こされる。いつも今頃が一番暑い時期だが、今後は8月いっぱいが一番暑い時期であり、場合によっては9月にその年の最高気温を記録しかねない温暖化の進展である。
 今月の「伊吹嶺」8月号が届いたのでいつものように惹かれた句を書きだしてみたい。まず栗田先生、
   誓子亡しいま鵜篝の早瀬過ぐ  やすし
 「俳句研究 夏の号」に発表された長良川の5句である。この句は山下鵜匠さんの庭先に立てられている多佳子との師弟句碑のうちの「鵜篝の早瀬を過ぐる大炎上 誓子」を踏まえた句である。誓子の生前、親しくされていた栗田先生の心の中の「誓子亡し」であろう。次に秀峰集から、
   鋭角に塗り光らせて棚田畦       山たけし
   み仏の木切れを祀る花の寺      山下智子
   大字辞書に法会の半券五月果つ   梅田 葵
   生と死のさかひを看取る螢の夜    櫻井幹郎
   天守閣若葉の底にやすし句碑     清水弓月

 山さんの句、相変わらず感覚が若い。畦塗りの畦を「鋭角に塗り光らせて」という写生は感覚を常にとぎすませていないと出来ない。私も含めて最近、「伊吹嶺」遠峰集は表現が類型的になっているのではないか。
 山下さんの句、丹波の細見先生生家近くにあるお寺の木っ端仏である。切れ切れになった仏像それぞれに仏の心がこもっているのを端的に詠んでいる。
 葵さんの句、最近俳句を詠むとき、だんだん活字の大きい辞書が手放せない。その辞書からどこかの法要に出かけた折の半券が落ちた。何でもない日常に詩情を見つけている。
 櫻井さんの句、友人の最後のお見舞いの句であろう。「生と死のさかひの看取り」とは友に対する慰めの言葉も出ない気持ちを代弁している。
 弓月さんの句、今月はやすし句碑の句が多かったが、弓月さんの句に一番感銘を受けた。犬山城から丁度やすし句碑がよく見える。「若葉の底に」の写生がよい。その写真を伊吹嶺HPで見たが、まさに「若葉の底に」という表現がぴったりである。
 次に遠峰集から、感銘句を挙げる。
   毟るごと外すネクタイ冷奴      渡辺慢房
   凹みたる飯盒の蓋昭和の日    中野一灯
   師弟句碑つなぐ白砂や風薫る   栗田せつ子
   水打つて鱗光りの石畳       熊澤和代
   緑蔭に語り合ふごと師弟句碑   下里美恵子
   初夏の奈良一望にして子規語る  矢野孝子
   麦秋や変色著き文庫本       石崎宗敏

 今月は俳SCHOOLで次の句に感心した。 
   ねじばなは小さい虫のかいだんだ  渡辺来可
 どんぐり句会では課題句でも作らせているようだ。もちろん現物の前で作っていると思う。この句では捩花のねじれを虫の階段と把握したのが、新鮮で子供らしい。子供のうちからこのような感性をつけることは大事だと思う。

8月7日(日)  五山の送り火で陸前高田の松を使用中止(朝日新聞11.8.7)
 名古屋句会。今月はお盆を控えているため、第1日曜日に開催。皆さん、真夏ともなれば吟行に出かけるには暑すぎるので、日常吟が多い。私も日頃日常吟を作りなれていないので、句数を揃えるに苦労する。
 今日の朝日新聞で「東日本大震災で津波になぎ倒された陸前高田市の景勝地「高田松原」の松で作った薪を、京都の「五山送り火」の大文字山で燃やす計画が中止になった。」という。理由は放射能汚染を心配する声が京都に押し寄せたという。しかも大文字保存会では薪にはすべて放射能物質が含まれていないことを確認したであるのに。京都の人間はなんとむごいことをするものだと思う。陸前高田ではこの行事のためにわざわざ薪を集め、震災で亡くなった家族や復興への思いを書いた薪であるという。大文字保存会の理事長は頭を丸めて陸前高田に謝りに行ったという。今は日本中力を合わせて東北を支援するときであるのに何という行動に出たのか。このニュースですべて一元お客はことわるという京都気質から出たかもしれないが、傲慢である。一気に京都の人間が嫌いになった。
 この日記を書いている最中、NHKスペシャルでは「東北夏祭り~鎮魂と絆と」という番組が放映されていた。陸前高田の皆さんはどんな気持ちで、この新聞ニュースを読み、NHKTVを合わせて見ていたかと思うとせつない気持ちがする。
 また昨日から明日まで仙台七夕祭りが行われている。仙台の皆さんもどのような気持ちで七夕祭りを迎えたか、知りたいところであるが、とても観光気分では出かけられないのが私の現在の心情である。(73346)

8月6日(土)
 今日は原爆忌。いつも朝寝坊しているが、今朝は早くからTVの中継を見る。今年はいつもの年と印象が違う。被爆と被曝、意味は違っても同じ放射能の影響は恐怖感を感じさせる。そういう意味で広島市長の挨拶に切迫感がないように思えたし、菅首相の官僚の作った文章をそのまま棒読みする姿に、既に元の名が付いた首相のイメージがあるだけ。どちらも日本のこれからの進むべき道が見えなかった。それでもTVに促されて、妻と起立、黙禱をする。
 午後はチングルマ句会。先月は欠席したので、久しぶりに新鮮な気持ちで参加した。今日も原爆忌の句が出たが、わずか2句のみはさみしい。もっと日本人としてこういう忌日の句を詠んでもよいのではないか。もうすぐ長崎忌、終戦忌が近づいてくる。

8月4日(木)
 昨日作成した審査結果報告書、審査計画書の提出。S社の判定委員会での発表に対するコメントは否定的なものはなく、あっけなく終わる。
 帰りいつものように白子海岸に寄る。今は丁度海水浴シーズンのため、駐車場は有料のため、車を少し離れた田んぼ道において海岸に出る。台風が近づいているわりには、波がおだやかであった。真夏にこの海岸に来たのは初めてあるが、俳句の方は特に浮かばなかった。
   炎天の遠き帆やわがこころの帆  誓子
 今日は台風を避けるためか、いつものタンカーも見えなかったし、もちろんヨットも見えなかった。

8月3日(水)
 明日を控えて、1日中家に閉じ籠もって、U社の審査結果報告書、K社の審査計画書の作成、S社の判定委員会に発表のための事前勉強など。ただ夜、血圧が上がることがあり、夜は興奮して寝つかれなかった。

8月2日(火)  『環境外交の裏舞台(大臣が語るCOP10の真実)』(松本龍)
 ネット注文していた『環境外交の裏舞台(大臣が語るCOP10の真実)』が届いた。タイトルは大げさだが、筆者は松本龍元環境大臣である。もちろん長期インタビューを元に日経記者がまとめたものである。松本龍と言えば、復興担当大臣をわずか9日間でやめた大臣である。ただこの時の松本龍の上から視線からの発言でマスコミの袋だたきにあって、自ら意図するように大臣を辞めた経緯には若干違和感を感じていた。就任会見からして不自然であった。「私は3.11以降、民主党も自民党も公明党も嫌いである。被災地の方を思って引き受けた。これからチームドラゴンで働いていく。」と言いながら、本人にとっては筋書きどおりの展開で大臣を辞めた。(私は本人としては他の意図があったのではないかと勘ぐっている。)その後のTVのワイドショー(例えばサンデーモーニング)では、本人を知る人は一様に「こんな人ではない。非常に仲間を重んじる温厚な人物である。」と発言しているコメンテーターが多かった。
 私は昨年の名古屋議定書、愛知ターゲットを採択したときの大臣の写真だけしか記憶になかったが、当時の私の日記では抽象的ではあるが、議定書の採択まで行ったのは成功であると書いたことがある。私自身の予想外の進展であった。今回の辞任劇を通じて、当時のCOP10の動きを知りたくてこの本を買った。
 インタービューであるが、本人の言葉を書いているため、非常に読みやすかった。ここで昨年のCOP10の一番の難関はABS(遺伝資源へのアクセスと利益配分)であり、これまで先進国と途上国が激しくぶつかり合っていた。こういう状況で私は議定書の採択は悲観的であった。しかし結果的には会議の最終日を越えて、翌日の午前3時になって成功で終わった。その要因はこの本を読んで改めてこの松本龍大臣の人柄が成功の1つの要因であったと思う。もちろんこの本はサクセスストーリーとして書いているので当然であるが、その行間にも成功は大臣の人柄のおかげであり、官僚の省庁を越えた協力(環境省、外務省、経産省、農水省)のあると思った。特に会期中の松本大臣が各国の閣僚級、NGO団体など身体が続く限り、訪問して協力を要請したことも成果に結びついたと思う。
 半分眉唾でも良いから、一読する価値があると思う。

7月31日(日) 
 俳人協会沖縄支部俳句大会の案内文を書き上げ、HPにアップする。締切が近いため、「伊吹嶺」の仲間でメールアドレスが分かっている方だけ伊吹嶺HPを見て下さいと、メールする。随分多くの方にメールしたので、不達メッセージのエラーが多かった。
 この頃日中は暑いので、朝早くはクマゼミがうるさく鳴き、眼をさます。夕方になると、アブラゼミがやっと鳴き出す。日中はクマゼミに押しやられているようだ。また我が家周辺もやっとヒグラシも鳴き出した。気温は高いが秋の気配が近づいてきている。夜はまさに「夜の秋」の気温になった。ちまたでは熱中症のニューズが多いが、昨年より秋が早そうだ。(73157)

7月30日(土)
 今日は最後に俳人協会大賞の投句を行う。しばらくは仕事にシフトする。K社からの資料が届いたので、これからじっくりと読んで、審査計画書を作成する。
 夜、栗田先生からの依頼で俳人協会沖縄支部俳句大会の案内を伊吹嶺HPに書き出す。結構書く量が多く、結局今夜では終わらない。

7月29日(金)
 ようやく伊吹嶺賞応募の句を整理する。大体20句以上出来てから、1ヶ月ほど寝かせたが、結局は最初のままから全然進歩しないまま。しかし短い吟行旅行で、最終的に20句まとめることが出来たのは、応募を決めた結果だと思う。

7月26日(火)ー27日(水)
 N社の環境審査、品質審査の連続。審査する事業所の所属などは同じ人と審査することになるが、環境と品質を使い分けて審査することは、一寸頭の切替が必要となる。該当する法令も違うし、審査する改善方向も違う。しかしこういう審査も自分の勉強になる。
 毎月皆さんから好評だった中日俳句教室講義録は旅遊さんの眼が思わしくないため、先月の6月で終わりました。あとは左のメニューの「隆生の倉庫」から引き出して過去の講義録を参照して下さい。内容的にはいつまでも新鮮さがあると思います。この倉庫には約6年半分の講義録が入っています。ちなみに一番古い講義録は【こちら】から見ることが出来ます。

7月25日(月)
 年2回ほど血液検査を行っているが、半年ぶりに診察に合わせて血液検査を行う。前回の検査結果があまりに悪いため、今回は心配したが、もともと悪いγGTPの他、GPTのみ基準値オーバー。前回悪かった中性脂肪やLDLが正常値にはいる。さらに減量化が必要のようだ。
 午後から岐阜同人句会。病院で思わぬ時間がかかり、句会ぎりぎりに間に合う。

7月24日(日)
 伊吹嶺編集会議が終わって、一息つきたいところだが、26日、27日のN社の環境審査、品質審査の準備で1日つぶれる。最近環境と品質システムの統合システムを構築する企業や環境、品質それぞれ別システムであるが、同時審査してほしいとの企業が増えている。一通り、準備が終わったところで、明日の句会の俳句を夜遅くかかって作る。

7月23日(土)  セミの鳴かない大暑(朝日新聞2011.7.23)
 伊吹嶺編集会議。9月号の編集と11月号の企画。今日は栗田先生が友人が亡くなられた方の喪中訪問のため、午前中は編集部員のみで行う。
 今日は大暑。今日の夕刊で今年は梅雨が明けても蝉が鳴かないという。原因は福島原発のせいではないかとの噂があるが、実際は今年の春先の低温状況が続いたせいであると書いてある。
 我が家周辺では梅雨が明けてもアブラゼミが弱々しく鳴いているだけであった。しかし今日あたりからようやくうるさいクマゼミが鳴きだした。ただ今年は弱々しいのか、地上に出てきた幼虫がしっかり木に止まることが出来なくて、幼虫のまま死んでいる蝉が多い。たまたま夜、庭で妻がまだ死んでいない幼虫を見つけて来たので、部屋のカーテンに止まらせた。そうするとやっと元気が出たのか羽化を始めた。羽化の様子を見ると、クマゼミのようだ。以下はクマゼミの羽化の様子。

セミ殻を割って出る

水平になるまで身を乗り出す

羽化が終わって後は羽を乾かす

7月22日(金)
 先日、Nさんから立田村の蓮の花の写真を送ってもらいました。Nさんは毎年蓮の花を見に行っているのだろうか。以前伊吹嶺俳句全国大会で「蓮ひらく祈りの十指解くやうに」という素晴らしい句を作られたことがあった。それ以上の句は出来ないと思うものの、そろそろ蓮の花の時期も終わるので、思いついて立田村に出かけた。立田村は我が家からわずか30分で着くことが出来る。妻は一所懸命メモしていたが、私は写真ばかり撮っていたため、俳句の収穫はゼロ。以下は今日見た紅蓮と白蓮。(72919)

7月21日(木)
 昨日は台風の余波で気温が上がらず、蝉はアブラゼミだけだったが、今日の気温急上昇により、いよいようるさいクマゼミが鳴きだした。これから猛暑日が続く限り、クマゼミに悩まされることになる。
 一段落したので、来週のN社の審査準備、U社の審査結果報告書の作成に取りかからなければならないが、なかなか踏ん切りが付かない。

7月20日(水)
 今日が一番台風に近づき、雨、風とも強いはずだが、三重県では早々におさまってくる。やっと「伊吹嶺」原稿のすべて書き上げたり、届いた原稿の修正、割付、整理などを行う。
 夜は今月から担当するHP句会の講評を書く。どんどん書いているうちに、切りがつかなくて書き上げたのが深夜になってしまう。

7月19日(火)
 台風の前触れで朝から大雨。いなべ地方には大雨警報も出た。1日中閉じ籠もって、伊吹嶺原稿、俳人協会大会の投句の句を作る。今回は各結社誌で震災の句が多かったので、これを中心にまとめてみたいと思った。問題は俳句の方で、俳人協会の東海大会、全国大会、「伊吹嶺」の全国大会、そして最後に伊吹嶺賞応募などどんどん尻に火がついている。最後は時間切れでどうしょうもない句を投句することになる。毎年同じことばかりの繰り返しで反省ばかりしている。反省は猿でも出来るので、もう一歩前に出なければならないのだが。

7月18日(月)  おめでとう なでしこジャパン!!
 女子ワールドカップ決勝。深夜から早朝まで見る自信がないので、昨夜は普通どおり寝る。朝トイレに起きたとき、妻から優勝したと聞いてから、TVばかり見ている。ハイライトを何度も見ていると、生中継を見たかったのはいつもの負け惜しみ。それにしても頂点まで届くとは思っていなかった。イングランド線で負けてから、日本はがらりと変わったと思ったし、ドイツ戦以降は日本のスタイルを見つけたのではないか。祝福の意味で、我が家の庭のナデシコの写真を載せます。本当におめでとう。

7月17日(日)
 愛知同人句会。その前に昼食を取りながら、インターネット部の担当見直しの打合せ。Rさんにはこれまで大いに助けていただいてきたが、眼の調子が思わしくなく、ドクターストップがかかったということでの体制の見直し。これからインターネット部の皆さんと相談の予定。

7月16日(土)  ベートーベン交響曲第3番(コバケンスペシャル)
 コバケンスペシャルでベートーベンの交響曲第3番(英雄)を聴く。英雄はあまりにも有名でコンサートではあまり聴かない。この曲はナポレオンに捧げようという気持で作曲したが、ナポレオンが皇帝となったため、怒りにまかせて自筆総譜の表紙を破り捨てたというが、実際は表紙を消しゴムで消して「一人の偉大な人間の思い出として」書き改めた。プログラムには消しゴムで消して楽譜に穴が空いた表紙が載っていた。曲は改めて聴くと、第2楽章の長い葬送行進曲が身にしみた。丁度作曲前に完全に聴覚が効かなくなり、ベートーベン自身の苦悩から乗り越えようという意図が見えた気がした。そして第3楽所のスケルツォ、第4楽章のフィナーレまでは一気に勝利への凱歌として書き上げている。
 この曲のレコードを初めて買ったのは、フルトベングラーの指揮で、原曲は当然モノラルであるが、戦後疑似ステレオとしてプレスしたものを買った。フルトベングラー版を今見ると、1964年頃発売のもので、まだ私が入社したばかりの頃のようである。もともとフルトベングラーはゆったりとした指揮が多く、この曲は52、3分ぐらいの曲であるが、今日のコバケンはさらに60分ぐらいの長さで演奏していた。コバケンは第2楽章の葬送行進曲に相当思い入れがあるように感じた。(72761)

7月15日(金)  伊吹山
 毎日この暑さで出かける気もしない。しかし毎日言えでボケーとしているのももったいないので、思い切って伊吹山に出かける。伊吹山は数年ぶりのような気がする。真夏の一番のお花畑は7月下旬頃であるので、花盛りには一寸早い。しかし結構いろいろな花に出会う。イブキトラノオ、下野草、ヤマアジサイ、トリアシショウマ、クサフジ、あかざ、螢袋、エゾフウロ、カワラナデシコ、キバナレンリソウ、ミヤマコアザミ、シシウド、ニッコウキスゲ、キンバイソウ、ウツボグサ、伊吹麝香草等々。鳥の声を聞いたのはホトトギス、鶯、郭公、便追等。もっと見たかったのは、下野草の群落、ルリトラノオ、クガイソウ など。花の写真を撮りながらゆっくりと頂上を目指す。おかげで俳句は出来ず。以下は中腹から見た伊吹山、その他の花。

中腹から見た伊吹山

イブキトラノオの群落

エゾフウロ

伊吹麝香草

7月14日(木)  太古のメダカ、栃木県内で単独生息地を発見(読売新聞 11.7.14)
 しばらく暑さが続いたためか、梅雨明け時期となり、うるさい蝉も鳴きだした。アブラゼミの鳴き声をかき消すように、クマゼミまで合唱に加わる。いよいよ暑苦しい夏である。毎年だと今頃が梅雨明けであるので、今日あたりから鳴き出すのだろう。結局ニイニイゼミは1日しか聞くことが出来なかった。
 今日の読売新聞で太古のメダカが単独で生息しているのを発見したという。メダカは自然界にはほとんどいなくなってきている。池では外来種のカダヤシに駆逐されてしまっているし、田んぼなどでは冬には完全に干上がるので、生息できない。時々田んぼのメダカを詠んでいる俳句に出会うが、私は見たことがない。今では観賞魚として緋目高などを飼うことしかできない。それにしても単独種の目高を発見したことは大ニュースである。
 読売新聞の記事は次のアドレスから入って下さい。
   http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20110714-OYT1T00271.htm

7月13日(水)   月桃の花の写真
 大垣でU社のISO審査。毎年今頃この会社を訪れるが、いつも暑さの強くなる時期である。帰りには大垣駅前で名物の水まんじゅうをみやげに買う。甘みを抑え、つるっとした喉ごしは涼しさを感じる。まさに水都にふさわしい名物である。
 トップページと右のの写真は沖縄の砂川紀子さんから頂いた月桃の花の写真の1つである。1つは伊吹嶺HPのトップページに掲載させていただき、残りの中から1つを私のHPに掲載させていただいた。見ている分には非常に清楚な色の花である。ただ沖縄の方にとって月桃の花は、先の沖縄戦で多くの住民が犠牲になったときに咲いている花である。月桃の花は6月の花であり、映画「GAMA-月桃の花」に描かれているように、唯一の地上戦が行われた沖縄戦のいまわしい惨劇の合間に月桃の花とそのテーマ曲が流れていたのを思い出す。この花が平和を願う象徴の花である。それを知って栗田先生の〈海光やこぼれて白き花月桃〉の句を味わいたい。

7月12日(火)
 暑さのため、散歩はいつも夕方にしている。梅雨明けとともに蝉が鳴き出すが、今日、我が家の周辺でニイニイゼミの初鳴きを聞いた。未だ弱々しい鳴き声だが、真夏のクマゼミが鳴く前の一服の涼しさを感じる。

7月11日(月)  現代俳句評(7月号)と即物具象への展開(栗田主宰講演)
 今月の句会が一段落したので、審査準備を少し行う。
 1週間ぐらい前から、立ち膝するときなど、膝が猛烈に痛んでいたが、1週間過ぎても傷みは全然引かないので、整形外科で見て貰ったら、膝の骨の上を走っている神経を痛めているという。どおりで痛いはず。神経を痛めると直るのに相当時間がかかるという。ただ膝立ちしない限り、日常生活には問題ないが、完治するにはいつまでかかるか?

 なお遅くなりましたが、「伊吹嶺」7月号の現代俳句評と5月22日に栗田先生が俳人協会50周年偉功作家特集としての講演記録の筆耕も掲載します。現代俳句評は【こちら】から、また栗田先生の講演は【こちら】から入って下さい。(72635)

7月10日(日)
 名古屋句会。1名欠席すると随分とさみしい。最近はこの暑さのため、吟行に出かけることが出来ず、日常吟で投句するが、日常吟はなかなか難しい。今日は帰りに喫茶店に寄らないで、まっすぐ帰る。

7月9日(土)  なごや環境大学(世界の森林の状況)
 なごや環境大学で、今日はCI(コンサベーション・インターナショナル)の日本プログラム代表の日比保史氏による「世界の森林の状況」CIとは開発途上国での生物多様性保全活動を推進する国際環境NGOで、日比さんは日本国内での政策提言、企業との連携、広報・啓発活動などをなさっている。生物多様性保護を森林の視点から講義をしていただく。昨年名古屋で開催されたCOP10などで活躍され、俳優のハリソン・フォードが来日されたときのサポートもなさったとか。講義の内容を要約するのは、大変なので、講義で気のついたキーワードのみ書き出す。

①現在、世界で毎年1400万haの森林が失われている。
②世界の森林減少・劣化の原因は、農地への転換(焼き畑農業も含む)、森林伐採、都市、インフラ開発など。
③生物多様性が損なわれている地域と森林減少の地域は重なっている。
④森林消失は全温室効果ガス(CO2など)15%を占めている。しかも途上国からのCO2排出の主原因は森林破壊。
⑤生物多様性の恩恵の1つである生態系サービスは人間生活に大きな幸福を与えている。
⑥水の大循環(雲→雨→雪渓、雪解け、地下浸透→淡水、地下水としての人間への恩恵→海洋水→蒸発→雲)は森林があるからこそ、この循環サイクルが働いている。(逆に森林がないと水の確保が出来ない)
⑦生物多様性のうち、生態系サービスの経済価値で森林は約4.7兆ドルもある。
⑧世界地図を面積、人口、バイオキャパシティ、エコロジカルフットプリント、木材輸入量、森林減少量などの数値で表すと日本は異常に木材輸入量が多いことが分かる。
⑨途上国での森林事業は世界でのパートナーシップが重要である。
⑩あまり効果のない例で、日本の各企業がCSR活動を行っている際、植林何本を行ったというのはあまり意味がない。
⑪途上国での植林の最終目的は単に苗木を植えることではない。→地元コミュニティとともに森をはぐくみ、守ることである。→そのためには数十年以上森林管理が出来ることである。→植林は活動でなく、事業である。→地元に植林の問題と解決を知って貰う。  以上の過程を経て植林の目的が達成できる。
⑫植林などによる森林保護の評価はREDO+(内容は難しいので省略)で行う。
⑬植林など、森林保護のためには、持続可能な森林プロジェクトモデルを作成して行う。
⑭例として、コーヒーによるプロジェクトモデルには「コンサベーション・コーヒー」があり、スターバックスやUCCコーヒーで実施している。


 以上であるが、日本では森林は輸入さえすればよいとの認識で、十分な重要性を感じていないのではないか。また⑥で述べた水の大循環は日本で言えば、里山保全もこれにつながるのではないか。ただ里山だけでは十分ではなく、自然林による効果が圧倒的に高いと言えよう。

7月8日(金)  視界不良のCOP17(日経エコロジー8月号)
 山藤句会。『実作への手引』の勉強は順調に進んでいる。先月から皆さんからの感想を最初にするのでなく、最初に本書の内容の意図を話し、それから皆さんの意見を聞くことにして時間を有効に使うことにしている。今月は特に「黒板に繭玉の影受験塾」で誓子がこれこそものの俳句だと誉めたところを補足説明した。

 先週の9日のなごや環境大学で聴いた気候変動枠組み条約締結国会議(COP17)について、今年のダーバン会議に向けて動きがあるだろうと書いたが、今日読んだ『日経エコロジー』ではCOP17は視界不良との記事があった。
①まず枠組条約となるような法的合意は絶望的である。②先進国と途上国との対立となっている京都議定書の第2約束期間を設定することに、日本、EUは猛烈な反対の態度であり、合意に至らないだろう。(CO2排出量は京都議定書締結国だけでは世界でわずか27%しか占めていない。)③世界最大のCO2排出国である中国、京都議定書から下りたアメリカが枠組条約に加わらなければ温暖化防止の意味がない。
 以上からCOP17のダーバン会議では大きく2つの選択肢しかない。①すべての国が枠組条約締結またはCOP合意、②京都議定書第2約束期間+途上国の枠組条約締結またはCOP合意 の2つである。

 これまでダーバン会議の準備会議として今年4月のバンコク会議、6月のボン会議などが行われたが、昨年のカンクンCOP合意から一歩も進んでいない。上で書いた①~③の問題が全然解決されていないからである。
 しかし絶望ばかりでなく、一歩でも進むようなCOP17でありたい。もしこの時期まで菅首相が続投しているようだと日本はますます信用されないだろう。

7月7日(木)
 最近、俳句を作っていないため、仕事の方までおろそかになっている。いよいよ締切が近づいているので、雨で家に籠もっている今日大体仕上げる。今夜中には完全にS社の審査結果報告書を仕上げたい。そして明日と週末の句会のために句作りに専念したい。

7月6日(水)
 今日はナゴヤドームで中日ー阪神戦の観戦。息子と孫の3人で応援、ドラキチ3代のそろい踏み。シートは外野席のライトポール近くのため、他の応援団と一緒に応援で声を張り上げる。外野席にいると中日が攻撃の時は立ちっぱなしのため、結構疲れる。しかし孫は各選手の応援歌をすっかり覚えて張り切っている。私のドラキチの遺伝子が孫までに伝染した次第。試合は中盤でエラーを3つも出し、こういうときは普通負けるものだが、小池の奇跡の逆転満塁ホームランで快勝。おかげで試合が終わってもヒーローインタビューそして外野席では延々と全選手の応援歌が続き、我が家に帰ったときは午後11時過ぎになる。

7月5日(火)   「伊吹嶺」7月号
 「伊吹嶺」7月号が届く。いつものように同人作品から感銘句を抜き出す。まず栗田先生の句から、
   汐待ちの港自在に夏つばめ  やすし
 まえがきに「御手洗・汐待ち港」とある。瀬戸内海の島々には汐待ち港や風待ち港が多い。潮待ちとは潮流を利用して航行する船が潮流の向きが変わるのを待つこと。そんな1つの港で、現代は漁船が多く並んでいることだろう。ただ燕は自由自在に飛んでいる対比が見事。固有名詞をうまく使い、夏燕の明るさがよい。また〈風待ちの港に月を待ちゐたり 片山由美子〉の句もある。秀峰集からは、
   一夜城花のあはひに遠花火    清水弓月
   人と行き人と離るる桜かな     山 たけし
   白椿落ちて余震のしづまりぬ    近藤文子
   地震ありや壷の白薔薇崩れをり  梅田 葵
   ご遺体は亀鳴く闇に潜みしか    櫻井幹郎

 弓月さんの句、「花のあはひに」の万葉語が見事に遠景と近景つなぎ合わせている。
 山さんの句、この句は現実の花見の写生と見てよいだろう。花見の人出がよく見える。しかし季語の桜から人の一生はいろいろな人との出会い、また人との別離を山さんの内に秘めているとも感じた。
 文子さんの句、もう仙台はすっかり落ち着いただろうか。余震は未だ続いているが、もう大きな余震はないという。この句、また余震が来たが、白椿が落ちることにより、余震が静まったという情景描写がうまい。
 葵さんの句、文子さんと同様の句で、地震と白椿、白薔薇などの白との組合せである。この句は「地震ありや」の上5の疑問形、または小さなつぶやきが「白薔薇崩れをり」の写生のつなげている。これも地震に対する情景描写の取り合わせがうまい。
 櫻井さんの句、上5の「ご遺体は」と唐突に持ってきたところに驚かされる。そして「亀鳴く闇に」との捉え方に櫻井さん独自の感覚が働いている。一寸我々には手の届かない句である。
 遠峰集からは次の句に感銘した。
   桜散る運河に海の匂ひして      関根切子
   野火止に名ばかりの橋杉菜生ふ  宇佐美こころ
   桜狩遺影の夫に留守頼み      安藤幸子
   母逝けり此の世の花を見納めて   上田博子
   木の芽晴箸となる木を重ね干す   岸本典子
   穴掘つて手紙燃やせり三鬼の忌   栗田せつ子
   行く春やラップの端を見失ふ      熊澤和代
   子等去りし余白蕗煮て埋めむか   下里美恵子
   がらがらの箪笥三棹や更衣      山下 護
   春光へ拳差し出し鷹呼べり      矢野孝子
   師の句碑と聞く竹秋の風の音     山本光江

 とても全部の感想は言えないが、特に家族を詠んだ句に惹かれた。安藤さんの心はもう癒えただろうか。花見に出かける際にご主人に「行ってきます」と声をかけたのだろう。上田さんの句の「此の世の花を見納めて」の写生がせつない。下里さんの句、震災が落ち着いたため、娘さんが帰ったあとの余白とも言うべき心に空いた切なさをせめて日常の廚事で埋めようという気持が伝わってくる。綾子先生の〈わが余白雄島の蝉の鳴き埋む 綾子〉を思い出す。山下さんの句、奥さんをなくされた後の気持をがらがらになった箪笥に引き寄せて詠んでいる。どの句も写生の中に家族を思う心がにじみ出ている。(72479)

7月4日(月)
 今日、やっと新しいTVが配達されてきた。電器店にそそのかされたかもしれないが、TVメーカーとDVDメーカーの異なる組合せになった。相性が問題であるが、間にルーターを入れることでなんとかなるという。しかし今日の配達会社はそこまでの知識がないようで、仕方ないので独力で接続することにした。今日は時間がないので、後日にする。

7月3日(日) 
 伊吹嶺運営委員会。栗田先生の句碑除幕式・祝賀会が終わったばかりで、特に大きな議題はなし。句碑除幕式・祝賀会の記録のため、栗田先生、名誉会員の皆さんのためにフォトブックを作成した。カメラのおかげで結構鮮明に写っている。また昨年の俳人協会賞に栗田先生への記念品の1つとしてデジタルフォトフレームを差し上げたが、そのフレームに今回の句碑除幕式・祝賀会の写真50数枚をインストールして、見ていただいた。
 また他の議題として現在俳人協会で東日本大震災義援活動を行っており、伊吹嶺俳句会としてもこれに協賛したいとの発議があって、運営委員会として、各句会に義援募金をお願いすることとなった。具体的な内容は次のHPを見て下さい。
  http://www.ibukinet.jp/book3.html

7月2日(土) 地球温暖化の最前線ー国際交渉の現状(なごや環境大学)
 久しぶりのなごや環境大学。今日の講師はWWF(世界自然保護基金)ジャパンの気候変動プロジェクトリーダーの小西雅子氏で、IPCC(気候変動に関する政府間パネル」での国際会議に出席された方。演題は「地球温暖化の最前線」ということで、IPCCの第4次評価報告(2007年)からWWFでの活動内容の紹介。
 講演内容そのものは特に目新しい内容はなかったが、IPCCなどの国際交渉にあった体験談を聞くと、各国の利害関係とそのすりあわせなど大変だなと思う。最近では2009年のコペンハーゲンで行われたCOP15は完全に失敗に終わり、議定書採択まで行かず留意に終わっている。また次に2010年にカンクンで行われたCOP16では包括的ではあるが、京都議定書の次の温暖化対策の枠組み交渉であったが、網羅的な中味であったが、カンクン合意まで行った。その3つのポイントはアメリカも含めた先進国全体の削減約束を確保すること、主要な途上国の削減行動を確保すること、負担能力のある先進国が途上国に対して資金、技術援助をするしくみを確保すること、である。そして今年、南アフリカのダーバンで行われるCOP17を迎える。課題はCOP16で包括的ながら合意を得た3つのポイントを議定書までの国際的合意までを議論することになるが、これから事前の動きがあると思う。
 以上が今日の講演内容であるが、以下私の考えとしてはについてなんとしもアメリカが具体的な数値を出すことが必要である。つぎに今や世界最大CO2排出国となった中国のCO2排出削減を出させることである。
 日本の場合、COP15で当時の鳩山首相がことばは軽いと言われるが、2020年までにCO2削減20%を宣言したこと自身は評価できると思う。しかし昨年のCOP16では菅首相は逃げて、国際会議に出席しなかった。そういう首相が自然再生エネルギー法案成立まで退陣しないというのはどう見てもおかしい。今年のCOP17ではたぶん新しい首相が出席することになると思うが、日本は脱原発の中で方向性すら出せるのだろうか。
 なおWWFジャパンのホームページは次のとおりです。
  http://www.wwf.or.jp/

今日のなごや環境大学が終わった後、ついでにすぐそばの名古屋市美術館で開催されている「レンブラント展」を見た。レンブラントは光と影の芸術家と言われているが、今日の出展のほとんどである版画についてもこのことが言える。よく版画だけでこれだけ光の陰影を出せるものだと感心する。またレンブラントは圧倒的に多くの版画を制作しているが、私なりに考えると、レンブラントの生活そのものが相当放蕩的出会ったことから、収入のために版画が多くなったのではないか。また今日は見られなかったが、集団肖像画もその一環ではないかと思えてくる。本当はオランダまでの海外旅行をして、本物の「夜警」を見たいものである。

7月1日(金)
 今日から今年の後半にさしかかり、ページを新しくする。今年は3.11から日本中世の中ががらりと変わる。いまだに被災地の人、福島原発周辺の人にとって先の見えない悲惨な生活を過ごされていることだろう。せめて福島原発事故さえなければ、被災地の復旧、復興に目指すという希望に向かって行けるはずが、福島原発の人災がすべての先行きを暗くしている。あとから続々と出てくる情報隠しの実態、何も出来ない政府、東電を見ていると、原発関係のニュースを見たくないという忌避症候群があるという。