隆生の独り言日記(23年1月~)

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平成23年1月から

6月30日(木)
 今日で今年上半期が終わる。この半年間でのアクセス数は約4900回。少しずつでも読んで貰えるだけでも感謝。いよいよ伊吹嶺賞応募にあと1ヵ月。そろそろまとめに入らないといけないと思うが、なかなかその気にならない。参加だけでもしないと思うのだが。
 今日、新聞の原稿料が入ったので、妻と一緒に外食。ささやかに「歌行灯」で食事すればおしまい。(72331)

6月29日(水)
 ぎっくり腰はようやく治まったようだが、まだ無理をするのが怖い。
 毎年、東員町で各種検診を行っているが、今年始めて前立腺ガンの検査を受ける。事前の問診票では心当たりは何もないが、血液検査で癌の兆候が分かるらしい。もうそんなことを心配しなければならない年齢になったことを実感する。
 まで時期的には余裕があるが、S社の審査結果報告書の作成に取りかかる。しかし連日の暑さにはやる気が出なく、少しずつの書き出し。本当は締切間際になると一気に書くのだが。

6月26日(日)  中日俳句教室講義録(6.21)
 今月も中日俳句教室が行われました。いつものように旅遊さんから、講義録を送っていただきました。講義録はトップページの「中日俳句教室講義録」をクリックするか、【こちら】から入って下さい。今月のテーマは例句を基に俳句のキーワードである「ことば」についての講義です。皆さんの実作への参考にして下さい。
 昨日の編集会議で、「伊吹嶺」8月号に掲載する写真を整理したが、再整理してデジタルフォトフレーム用に編集して、栗田先生にお渡しする予定。

6月25日(土)
 伊吹嶺編集会議。今日は栗田先生の句碑除幕式の記事が多く、相当な増ページ。また写真も多く、満遍なく写真を揃えるため、苦労する。写真を並べてみていると、当日の感慨が蘇ってくる。
 夜、二男一家がやってくる。丁度蛍の時期のため、夕食後、多度峡に出かける。最近ここは年々蛍が多くなってきているようだ。水質浄化に努めている影響か。孫達が結構よろこんで、なかなか帰ろうとしない。子供心にも蛍に感動したのだろうか。(72177)

6月24日(金)
 地デジ化を1ヵ月を控えた今日、やっとTV、DVDを買う。TVキャビネットも含めると結構な値段で、出費が大きい。TVは3D対応は買わなかったが、DVDは今すべて3D対応になっている。いらない機能もどんどんつけて売るのか。DVDもブルーレイ対応はいらないのにすべてついてくる。

6月23日(木)
 伊吹嶺HPのの不具合により、各ファイルの更新が出来なかった状態だったが、伊吹嶺HPの基礎を作っていただき、サーバー管理をお願いしているAさんのおかげで、ようやく復旧した。結局にサーバーネームが変更されていたが、我々伊吹嶺側やAさんのところにも連絡が来ていなかったのが原因。
 TVの地デジ化もあと1ヵ月たらずになってしまい、ようやくTV、DVDを買う決断をし、とりあえずそのテレビ台キャビネットを買い、明日届くので、今日居間の家具などの置き場所を大幅に変えるため、力仕事をした。おかげでようやくぎっくり腰が治まってきたところがまたぶり返してしまい、中途半端で終わってしまう。あと明日家電店に出かけ、TV、DVDを買いに出かける。

6月22日(水)
 久しぶりにH社の環境審査。私の専門は品質審査であるが、久しぶりの環境審査。環境審査の場合、環境関連法規の動向をよく理解している必要がある。今日も最近の動向に対応していない部分があった。そして何より環境改善のテーマを見つけ実行することが重要である。
 我が家に帰って伊吹嶺HPを確認したところ、まだ新しいファイルをアップしようとしても更新できない状況は変わっていない。もうしばらくお待ち下さい。

6月21日(火)
 いつものように病院へ毎月の定期診察に出かける。そしてそのままカリンカ句会に出席する。Kさんがアメリカ出張から帰ったばかりという。昨年度はロータリークラブの愛知地区ガバナーとして超多忙の1年を過ごされたそうだが、まだ後進指導の関係でお忙しいようだ。早く俳句に専念していただけると余裕が出来るだろう。

6月20日(月)   現在、伊吹嶺HPが更新できません
 1昨日に痛めたぎっくり腰、少し傷みが和らいだが、整形外科に出かけ、薬を貰う。初診のため、午前の最後の診察になってしまい、リハビリは終わってしまった。
 伊吹嶺HPはほとんど毎日更新しているが、今日、サーバーへのアップは正常に出来るのだが、HPが更新できなくなった。私のHPを見ている方で、伊吹嶺HPも見ている方へお知らせします。しばらく伊吹嶺HPが更新できませんので、しばらくお待ち下さい。

6月19日(日)
 愛知同人句会。今日は栗田先生が俳人協会の仕事で欠席。句評を聞けないのが残念だが、栗田先生随分お忙しい様子。句会後、今年のインターネット部オフ句会の打合せ。大分先の話だが、今のうちに決めておいて参加しやすくしたい。

6月18日(土)   シベリウス交響曲第2番(名フィル定期公演)
 プリンタはパソコンラックの上に置いてある。いつものようにプリントした紙を取ろうとして一寸背伸びした途端、ぎっくり腰を起こしてしまった。ここ10年ぐらいはなかったのに。特に今回は痛く、歩く度にずきんずきんと傷む。それでも今日は名フィル定期公演なので栄まで出かける。
 今年の講演プログラムにはなじみのない曲が多かったので、年間会員はやめてしまったが、今日のシベリウスはどうしても聴きたかったので、1回券で聴きに行く。この交響曲は何度も聴いており、好きな曲である。ロシアからの独立に対する国民の希望の曲となったという。特に第4楽章は北欧の大地の力強さを思わせる高まりのある曲である。フィナーレに近づくにつれ、身体に響くほどの楽器の音の固まりが押し寄せ、その高まりにはいつもながら感動した。この曲は好きなため、CDも相当多く持っており、今日もついアシュケナージ指揮のCDを衝動買いした。(72006)

6月17日(金)
 3ヵ月ぶりの審査員研修。今日は模擬審査的に審査の場で出された状態を基にそのシステムが適合か不適合か自己演習が中心。時にはこのような演習で頭を柔軟にしておく必要がある。
 また定期的に環境関連法規の最新動向の説明があるが、特徴的なことに、今の菅内閣になってから、この1年間環境関連法規が1件も改正や制定がなかった。こんなことは今まで一度もなかった。1年間もすると相当多くの法規制の改正があるのが普通である。そういう視点から見ても今の菅内閣は環境に真面目に取り組んでいるのだろうか。また政治主導ということで官僚が法規制を行いたくても行えない状況があるのか。環境関連法規の動向からみても今の状況は異常である。新聞紙上では濱岡原発の停止要請や再生可能なエネルギーを促進したいとの発言はあるが、これは菅首相のパフォーマンスか、官僚の問題かいささか心配である。震災復興の遅れと合わせて見ていると、菅内閣の1年間は何であったのだろうか。

6月16日(木)
 いぶきネット句会の合評会2日目。今日も20人近くの会員が集合して、1時間あまりチャットを行う。まだまだ初心者が多く、「伊吹嶺」の基本の即物具象になれていないメンバーもいる。また季語の使い方を勉強する必要がある句もある。

6月15日(水)
 いぶきネット句会の合評会。最近いぶきネット句会会員が増えたため、合評する句数が多くなり、時間が足りなくなり、スピード上げてチャットを進めるので、ついて行けない方もあることと思うが、申し訳ない。ただ会員にはパソコンのキータッチが早くできない方でも、チャット状況を聞いているだけで俳句の勉強になると発言していただけることは励みになる。

6月14日(火)
 2ヵ月ぶりにS社のISO審査。日頃朝寝坊の癖がついているので、朝早く起きるのがつらい。審査は順調にいったが、蒲郡駅で帰りの列車を待っていると車輌故障で30分以上の遅れの上、せっかくの快速も岡崎まで各駅停車で我が家に帰るのが大幅に遅れた。

6月12日(日)
 名古屋句会。少人数ながら毎月落ち着いた雰囲気で続いている。今月は栗田先生の句碑除幕式の句が多かった。これらを読んでいると、もう新しい句材がなくなってしまう印象。どうしてもよく見る平凡な句になってしまう。
 あと14日に審査を控えているため、最終チェック。(71796)

6月10日(金)
 山藤句会。いつもように『実作への手引』を2章ごとの勉強会。テキスト以外にAさんは既に中日俳句教室で頂いた栗田先生のメモをまとめたものを見せていただいたところ、分かり易く系統立ててあったので、こちらも勉強の材料にする。またTさんは既に「伊吹嶺」誌に出ている「やすし俳句教室」の記事をコピーして文法なら文法だけをまとめて、それを頼りに勉強している。皆さんの勉強の態度に感心する。今日はこのAさんのまとめたメモを頼りに遠峰集、雪嶺集などの俳句を事例に勉強するとメモ書きの内容がよく分かった。

6月8日(水)
 年々、ホトトギスの声を聞くことが出来なくなっていく。毎年今頃、山の辺ではホトトギスを聞くことが出来るので、期待して出かける。一番のスポットは桧原神社から穴師の里あたり。今日は逆方向の崇神、景行天皇陵から歩き始めたが、どこまで歩いても聞くことが出来ない。少し山の辺を外れて、巻向山に歩き始めてところ、いきなり鳴き出した。一度鳴くともう続けざまに聞くことが出来る。今年のホトトギスはこれで満足。写真は今日見つけたナルコユリと桧原神社から見た夕暮れの二上山。


ホトトギスを聞いたあたりのナルコユリ

桧原神社からの二上山

6月7日(火)  「伊吹嶺」6月号
 「伊吹嶺」6月号が届いた。いつものように感想を述べてみたい。まず主宰作品から、
   黄砂降る濃尾平野のどん詰まり   やすし
 栗田先生は時々句材を探しに岐阜に出かける。一連の句は谷汲寺。その第1句目。谷汲寺は確かに濃尾平野の一番奥にある。その一寸手前が私の父のふるさとである。「どん詰まり」という言葉で谷汲寺の位置を示し、その平野の奥にも黄砂が押し寄せている一寸した驚きが見える。次に秀峰集から、
   草餅の筋のみどりや伊吹晴        清水弓月
   春の地震書架を鳴らして止みにけり   近藤文子
   納屋の戸の浮き釘を打つ寒の明け    山下智子
   鳥声を包みふくらむ花の山         梅田 葵

 弓月さんの句、草餅の蓬は春らしい色である。その餅に蓬が一筋残っているのを発見した。「伊吹晴」とともに、明るい句である。
 文子さんの句、もう落ち着かれただろうか。この句、大震災とは思えない深刻さはない。余震であろうか。文子さんのひょうひょうとして顔が見えてくる。
 智子さんの句、ご自分でも家の手入れをするのだろうか。古くなった納屋には釘も緩んでくるのだろう。しっかり釘を打つことにより春を迎える明るい気分が見えてくる。
 葵さんの句、山桜であろうか。桜が咲くと暖色で山全体がふくらんで見える。とここまでは誰でも詠めるが、そのふくらみに鳥の声も包んでいると感じた発見が素晴らしい。遠峰集では次の句に惹かれた。
   春寒の地震の夜に聞く母の声     関根切子
   陽炎や形の崩れし電車来る      武藤光晴
   下萌や列なして待つ給水車      渡辺慢房
   茹卵黄味真ん中に春の朝       奥山ひろ子
   雪かけて消すえんぶりの篝の火    栗田せつ子
   手のばせば事足一日春炬燵      田畑 龍
   母よりも姑との月日花桜桃       服部鏡子
   もの言はぬ母とふたりや牡丹雪    倉田信子
   雪に足深く沈めて師の句碑へ     都合ナルミ
   剪定の農夫脚立を横抱きに      下里美恵子
   津軽三味聴く春泥の路地を来て    矢野孝子
   余震なほ続くふるさと彼岸寒      山本光江

6月5日(日)   栗田主宰句碑除幕式・祝賀会模様(11.5.22)
 今まで東京や旅行に出かけたり、風邪気味であったことから、やっと今日まとまった時間が取れたので、5月22日の栗田主宰句碑除幕式・祝賀会模様をアップした。今回は随分と写真が多くなった。来賓が多かったこともある。その分伊吹嶺会員の皆さんの写真がなかったのは申し訳ない。この模様は【こちら】から入って下さい。このHPを作成しているうちに当日のことを思い出した。(71530)

6月4日(土)
 チングルマ句会。毎回『実作への手引』で勉強しているが、今日は「即物具象」の一番大事なところ。ただ各章とも同じような記述が続いているので、一寸視点を変えて説明する。

6月3日(金)
 旅行中、風邪気味なところ出かけたので、疲れて薬を飲んで寝たら、朝9時まで目が醒めなかった。少し運動のため、ウォーキングしただけで何もしないで1日が終わる。

5月31日(火)-6月2日(木)   長崎旅行
 誕生祝いをかねて、長崎へ旅行。今回は出来るだけのんびりしようということで、3日間過ごす。
 1日目は遠藤周作にちなんで、『沈黙』の舞台となった外海地区。ただここはどのガイドブックにも出ていないため、ネット検索したところ、『沈黙』の舞台である黒崎教会も、明治以降の功労者であるド・ロ神父にちなんだ出津教会、周作記念館など点在しているため、観光タクシーで回る。
 2日目は、長崎市内の原爆関係をのんびりと回る。平和公園はもちろんだが、一度訪れてみたかったのは、永井博士の記念館、如己堂。随分昔に読んだ『この子を残して』がいつまでも思い出に残っていた。
 3日目は、あらかた回ってしまったが、遠くに出かけるまで面倒なので、もう一度市内をのんびりとする。
 3日間回って思ったことは、よくキリシタン関係の俳句を作るとき、「耶蘇」という言葉ですます句を多く見る。「耶蘇」ということばは「イエス」の中国語がなまった言い方でそれ自身にはもともとカタカナを使っていなかった時代では問題なかったのであろう。ただ江戸時代や最近の戦中時代では敵性宗教の軽蔑語として「耶蘇」を使っていた。確かに俳句ではイエスのこと、あるいは「キリシタン」のことを「耶蘇」といった方が2文字で済むので、使われている例が多い。今回の旅行でも関連書には、一切そのような言葉はなかったし、地元のタクシーの運転手さんも、住民は決して耶蘇ということばは使わないという。私は少々言葉が長くても「耶蘇」を使った俳句は作りたくない。
 次に気付いたことは天主堂や聖堂にあるマリア像にはすべて蛇を踏んでいることに気付いた。丁度司祭館から司祭さんが出てきたので、恥ずかしいが聞いたところ、予想どおり、、「聖母マリア無原罪」を象徴したもので、旧約聖書の「創世記」に出てくる「蛇は悪である」から、「無原罪のマリアは人を原罪を持つものに誘ったヘビを踏みつけている。」とのことである。
 以下は旅行中のわずかながらの写真。


黒崎天主堂

出津救助院で92歳のシスターにオルガンを弾いて貰う

『沈黙』の海
(そばに周作記念館がある)

大浦天主堂のマリア像
(確かに蛇を踏んでいる)

電気通信労働者原爆慰霊碑

平和祈念像

永井博士終焉の2畳間(如己堂)

日本二十六聖人殉教地

5月29日(日)
 今日は誕生日。今までアラコキだったものが、今日からジャスコキとなる。まさかこの年になるまで仕事をやっているとは思わなかった。もうそろそろ引退してもよいのだが、この4月、5月は失業状態であり、6月も7月も審査業務が2件あるだけなので、まずまずと言うことか。誕生日に合わせて妻と食事に出かけたかったが、台風で取りやめ。また一寸風邪気味のせいもある。明日調子がよくなれば出かけることにする。

5月28日(土)
 「伊吹嶺」の編集会議。今日は栗田先生が「松籟」の俳句大会に招待されているので、我々のみのメンバーで行う。
 話は変わるが、10月2日に「奥の細道」つるが芭蕉紀行第8回全国俳句大会が行われる予定であるので、この大会案内・事前投句要領などを【こちら】に掲載した。興味のある人はクリックして一度応募を考えて下さい。

5月27日(金)
 一日中雨で、春に戻ったような寒さ。今さら炬燵や半纏は出せないので、毛布を膝掛けにして、ひたすら原稿書き。俳人協会での春期俳句講座の講義録をなんとかまとめる。あとは明日の「伊吹嶺」誌原稿もまとめる。栗田先生の句碑除幕式が終わってからまだ1週間過ぎていないのに、もうずいぶん前のような気がする。明日の編集会議が終わってから、句碑除幕式・祝賀会の写真の整理が待っている。

5月26日(木)
 句碑除幕式から、東京で出かけたため、疲れがたまっているが、原稿書きと仕事の審査計画書作成が待っている。今日は家に閉じ籠もり。(71212)

5月25日(水)  平林寺吟行
 昨日の俳句講座の余韻の中で関東の4名の方と平林寺に吟行。当初参加予定のMさんは足をくじいたとのことで残念。
 平林寺は30数年前に訪れたことがあり、いまだに武蔵野の面影が残っていることは貴重なことである。野火止用水あとも保存されており、四十雀などの鳥も多く聞こえる。ここは自然林が残されているため、落葉樹系が多く、野草はあまり見られなかったが、えごの花が盛りであった。また桜、楓が多く、春の桜、秋の紅葉が一段と華やかな印象で、また来たいところであった。以下はわずかな今日の写真。


本殿の前で

野火止用水あと

5月24日(火)   俳人協会春期俳句講座(栗田主宰による沢木欣一)
 以前から今日、栗田先生が俳句文学館で、春期俳句講座で沢木欣一について講義をなさるとのことを聞いていたので、久しぶりに関東の皆さんとの久闊をかねて出かけた。栗田先生の講義内容は伊吹嶺落書の25日欄に書いたので、それをそのまま以下に貼り付けます。また写真は伊吹嶺落書を参照して下さい。なお伊吹嶺落書の25日欄は【こちら】をクリックしていただいても結構です。


俳人協会の俳句文学館で、春期俳句講座「沢木欣一」が行われました。栗田主宰が沢木欣一先生の思い出を交えながら、欣一が目指した俳句を主に『雪白』『塩田』『沖縄吟遊集』を中心に話された。その引用も句集のあとがき、各氏の評などに基づき、分かり易く話された。例えば
『雪白』--「青年沢木欣一の天稟とでも言うほかない、実によいものが畳み込まれていた。そのままの姿で時代を語り、読むものに深い感銘を与える。(川崎展宏)」
『塩田』--「僕はこの句集に私小説的なテーマと社会的なテーマの2つが共存し、絡み合っていることに気付いた。(『塩田』あとがき)」 
『沖縄吟遊集』--「吟遊集の沖縄は日本のなつかしくも遠い古代のおもかげと、日本が戦後におかれた酷烈な現実の集約図とが絡み合った、比類のない世界である。(志城柏)」

のように各氏の評がその時々の句集の特色をよく現していると思う。

 私は『塩田』はいわゆる世間で言われている社会性俳句を体現した句だけではないことに留意したい。また句集『地声』は丁度私が俳句を始めた頃の句が並んでいるが、山口誓子の言っている「地声は物自体の声なのだ。・・・現実の物に即しているから・・・」を理解していれば、また私の俳句のスタートも変わっていたような気がする。

 また栗田主宰は丹念に各氏の発言を整理されながら、さらに欣一の特色として「欣一は故郷喪失感を持っており、そこから旅への志向は故郷回復への志向であり、具体的には『塩田』に亡びゆくものの姿に一掬いの涙を注ぎ、風土を重層した社会性、あるいは歴史的社会でのある俳句を意図している。」と指摘なさっている。そして『沖縄吟遊集』には志城柏氏の発言に付け加え、「欣一は沖縄に『日本の自然と人間、その関わり方の原型をかいま見た。」と説明なさっている。そして結びとして栗田主宰は「欣一の『個を含みながら群を表現する。』という志向は『塩田』から『沖縄吟遊集』へと展開されていく過程で、即物具象に徹することによって一層明確化した。」と話されたのが今日の結論であろう。

と長々と書きましたが、少しは栗田主宰がどのように沢木先生を見ておられ、尊敬していたがよく分かった講義でした。(隆生)


栗田先生の講義が終わってから、近くの中華料理店で関東支部の皆さんと懇談を行う。いつも関東の皆さんの歓迎には恐縮するが、楽しい。俳句という共通面があるので、すぐ話題が盛り上がる。またせつ子さんと小百合さんともご一緒で一層賑やかになる。
 今日のハプニングはMさんが栗田先生に勧められて俳号を本名から新しい名前に変えるとのこと。どんな俳号になるかはいずれ「伊吹嶺」誌に出るのでそれまでのお楽しみ。

5月23日(月)   中日俳句教室講義録(11.5.18)
 栗田主宰の句碑除幕式に引き続き、今日は岐阜同人句会。清水さん、丹羽さんが勢力を出して疲れていると思われるが、出席。ただ今日は少し参加者が少ない。席題はもちろん、「やすし句碑」。
 遅くなりましたが、今月の中日俳句教室講義録が届きましたので、【こちら】に掲載しました。またはトップページの「中日俳句教室講義録」をクリックして下さい。

5月22日(日)  栗田主宰句碑除幕式・祝賀会
 今日は待ちに待った句碑除幕式。朝はなんとか雨が降らないで済みそうな印象だったが、除幕式になると大雨となったが、無事終わる。その後の祝賀会はもっぱらカメラマンに徹して、アルコール、食事ともあまり取れないうちに終わる。
 祝賀会終了後は今日出席していただいた名誉会員の先生方の座談会。こちらは各先生が自由奔放に発言が出て、時間がいくらあっても足りない。
 今日はもう疲れてしまったので、この祝賀会模様等は別途伊吹嶺HPに掲載したいと思う。

5月21日(土)  伊吹嶺同人総会
 栗田先生の句碑除幕式を明日に控え、今日は同人総会。と言っても句会はわずか2句の投句。懇親会はさしずめ句碑除幕式の前夜祭の印象。
 同人総会が終わった後、ネット仲間で今年のオフ句会の打合せ。昨年は京都で行ったため、今年は名古屋と東京の間のどこかでやりたいとの提案で、ほど候補地は決まる。まず宿舎、吟行コースを決めることが大事で、それが決まったあとで、ネット仲間に周知することにしたい。
 なお今年の新人賞は利行小波さんと高橋幸子さんに決まる。高橋さんはいぶきネット句会の会員でまだ一度もお会いしたことがないが、いつもいぶきネット句会、チャットルームで意見交換しているので、身近に感じる。今年はお会いできるだろう。
 また秀句賞は山本正枝さんの「息一つ吐いて残暑へ踏み出せり」であった。

5月20日(金)
 明日から同人総会、栗田主宰句碑除幕式・祝賀会が行われるし、来週も出かける予定があるので、今日中に伊吹嶺原稿の「現代俳句評」を書き上げる。あとは明日を待つのみ。

5月19日(木)  
 そろそろ「伊吹嶺」の原稿を書かなければならないが、今月はなかなか気乗りがしない。栗田先生の句碑除幕式が一区切りしてからになるが、来週も結構出かける予定があるため、今のうちに骨格だけでも書いておきたい。
 毎日、福島原発の深刻な状況が続き、次々と隠された重大な事実が現れてくる。以前環境問題としての福島原発の問題点を考えたことがあったが、もう一つの問題としてリスクマネジメント面から見た福島原発事故を考える必要があろう。リスクマネジメントについてISO31000という国際規格があり、ISO31000としては2009年11月に、日本では2010年9月にJISQ31000としてJIS化されている。ただこの規格の名前が「リスクマネジメント-原則及び指針」となっており、認証取得するものではなく、各組織が自社のリスクマネジメントに取り入れてほしいという国際規格である。原発を持っている企業は真っ先に取り組むことが必要であろう。
 ちなみに東京電力の原発事業所は「原子力発電所における安全のための品質保証規程(JEAC4111-2009)」「原子力発電所の保守管理規程(JEAC4209-2007) 」は当然のことながら、全原発がこれに従って運用している。他に、ISO9001(品質マネジメントシステム)、ISO14001(環境マネジメントシステム)はわずか柏崎刈羽原子力発電所が認証取得しているのみで、福島原発は取得していない。ということは福島原発は原子力安全・保安院が立ち入り調査するJEAC4111とJEAC4209のみを対象にしているだけである。さらに東京電力としてはJISQ31000を取り入れているかどうかは分からない。
 リスクマネジメント面から見た福島原発事故については時間の余裕が出来たら、考えてみたい。(71011)

5月18日(水)
 今日は黄砂もなく、鈴鹿嶺までよく晴れている。妻と散歩。今は庭石菖の花盛り。庭石菖には紫と白があることは知っていたが、青色の庭石菖があるのを始めて知った。紫と白の混合種かもしれない。花の大きさは随分と小さく1cmぐらい。また苦菜も丁度今頃咲いている。また苦菜が真っ盛り。沖縄ではホソバワダンを苦菜と呼んでいるらしく、沖縄では秋の季語となっている。ところがそれに影響されてか本土でも苦菜を秋の季語と勘違いしている人がいる。図鑑によれば苦菜は5月7月に日本全土で咲くとあるし、春の季語となっている。その他、今日は狐薊、都草、ヒルザキモモイロツキミソウなども見た。以下に各色の庭石菖、苦菜などを紹介する。


紫の庭石菖

白の庭石菖

青の庭石菖

苦菜

都草

5月17日(火)
 日頃田舎に引っ込んでいると、なかなか名古屋へ出かける機会もないが、たった1件の用で出かけるのももったいので、用件をまとめて出かける。今日は父の命日のお経をあげて貰うため、まず岐阜へ出かける。途中犬山の栗田先生の句碑を見に行く。まだ当然ブルーシートがかかったままであったが、丁度句碑の前のナンジャモンジャの花が満開。
 あと名古屋へ出かけ、毎月の定期診察。時間が中途半端に余ったので、来年の娘の確定申告のため、会計事務所で一寸した打合せと出納帳に追加記入して貰った記録をメモリで貰う。そして最後にカリンカ句会に参加。都合1日で5個所を回ったのは始めて。
 カリンカ句会ではYさんの牡丹の句に感心する。

5月15日(日)
 妻が留守のため、洗濯物を取り込んでいたとき、今年初めてのホトトギスの声を聞いた。ただ最近ははるか彼方からの声でよく耳を澄まさないと聞こえない。最近、ホトトギスが聞こえる方向に工業団地を造成しており、多くの緑が失われている。以前は朝寝坊していると、寝ている部屋からも聞こえたものだ。今日聞いたホトトギスも今年が最後かもしれない。
 それに反して我が家に巣作りし始めた鵯はどうも3日間の土砂降りの雨の間に諦めたらしく、わずかにビーニール紐が残っているだけでこちらもさみしい話だ。

5月14日(土)   なごや環境大学(映画「THE AGE OF STUPID」)
 今年もなごや環境大学の地球環境学が始まった。今年は土曜日の午後となったため、都合の悪い日が多く、半数ぐらいの講義しか出席できそうにない。今日は近未来のドキュメンタリー映画「THE AGE OF STUPID」で、日本語で言うと、「愚か者の時代」とでも言える。この映画は2009年に英国で作成され、国連気候サミットに合わせて上映されたものである。
 映画を見ている間、暗くてメモも取れなかったし、場面変化が早く、字幕もあっという間に変わってしまうので、目が疲れてうまく見ることが出来なかった。それでも記憶にある程度で紹介すると、 
 映画は2055年に破滅した地球で生き残った人間が過去の映像を見ているところから始まる。その過去とは2009年のことで、ここには①インドの格安航空会社の経営者、②アルプスの山岳ガイドの老人、③英国の風車プロジェクトの家族、④ナイジェリアの石油採掘現場の村の女性、⑤イラク難民の子ども、⑥アメリカのハリケーン被害にあった石油企業従業員などの様々な人々の生き様が紹介される。そして映画は地球温暖化対策をしないで、石油を使い続けた結果、気候変動の問題、石油に頼った経済が生み出した富の不公平配分、新興国の爆発的な成長(ここではインドを意識している)等様々な現象が絡み合って人類は自ら地球を破滅させてしまう。その時代(2010年代)に地球を救うやるべきことをやっていなかった愚か者の時代を描いている。まさに今の私達のことを指している。しかもこの時代にやるべき回答があったにもかかわらずにやっていなかったことをこの映画は告発している。
 ひるがえって原発に頼りすぎた日本の今の環境政策を告発しているようである。今から再生可能なエネルギーによる温暖化対策を行っていればと思う。原子力エネルギーはコストが安いと思われている(東電、政府の安全神話を基にしたコスト計算)が、本当にそうか、私達には何も真実を知らされていないので、反論のしようがない。最悪の状態に対処するためのコスト、原発振興のための補助金などのコストを計算すると、とても安いとは思えない。地道に再生可能エネルギーの開発すべきだと思う。日本人も「愚か者」といわれないために。
 なおこの映画の公式HPは次のとおりである。
    http://www.spannerfilms.net/films/ageofstupid

5月13日(金)
 山藤句会。3日間続いた土砂降りの雨、今日はすっきりと晴れたので、鈴鹿山系がよく見えるかと思ったが、黄砂のため、何も見えない。
 先月から栗田先生の「実作への手引き」を教材に勉強。毎月2章ずつ勉強することにしているので、今日は即物具象について。先月の写生に続き、即物具象について詳しく書いてあるが、日頃栗田先生がおっしゃっているまず感動が第1であって、その後の写生であり、即物具象であることに留意することが必要であることを説明したところ、Tさんが中日俳句教室で頂いたプリントに注意事項として、①まず感動を、②次に写生を(ここに即物具象が必要)、③文法的に正しいか確認、④最後にリズムをよくする、などが書いてあるのを持っており、これが「伊吹嶺」の俳句を作る基本であろう。些細なプリントであるが、これを座右にもって俳句を作る態度には敬服した。(70857)

5月12日(木)  名古屋議定書署名(読売新聞11.5.12)
 名古屋で行われたCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)の結果は、大震災のニューズにかき消されたような感じであるが、ささやかにニュースの片隅に、アメリカの国連本部で現地時間の11日に、「遺伝資源の利用などに関する「名古屋議定書」の署名式が11日、国連本部で開かれ、日本の西田恒夫国連大使ら8か国の代表が署名した。」とある。これで名古屋議定書に署名した国は21カ国で、先進国では日本が一番最初だという。ただこれから日本の国会で批准を行うことが必要である。名古屋議定書と言ってももう半年以上前のことで、内容が分からない方もいると思うが、まとめてみると、「生物遺伝資源の利用から生ずる利益を校正かつ衡平に配分することとこれによって生物の多様性の保全、その構成要素の持続可能な利用に貢献する。」ことを目的とされている。今福島原発事故の影響で2020年までに温暖化対策としてCO2を25%削減することがどこかへ追いやられているが、一歩一歩進めていくことが必要であると思う。なお読売新聞記事と名古屋議定書の内容を以下に紹介します。
   http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20110512-OYT1T00376.htm(読売新聞)
   http://www.env.go.jp/press/file_view.php?serial=17473&hou_id=13763(名古屋議定書の概要)

5月10日(火)
 今日は土砂降りの雨。その中を今年もまた鵯が巣作りをはじめた。昨年は眼白だったが、今年は久しぶりに鵯。眼白の方がかわいいが、鵯であっても我が家に巣作りを行うことは心が和む。ただ今年の巣の場所が写真がうまく撮せるところでないのがやや残念。今年もうまく巣立ちまで見届けることが出来るか心配だが、しばらくは楽しんで観察したい。

5月9日(月)
 俳人協会賞の予選委員をつとめている方3名が名古屋にいらっしゃるとのことで、「伊吹嶺」側から、同じく予選委員をつとめている下里さんを入れて4名が合流して、吟行を行った。名古屋に来ていただいたのは「対岸」の岡崎桂子さん、「馬酔木」の徳田千鶴子さん、「未来図」の藤田直子さんである。吟行地は有松、知立の無量寿寺など。私はどちらも吟行に出かけた経験がなく、俳句が出来るかどうか心配であった。幸い天候に恵まれてよい吟行日和となった。知立の杜若は今年、若干咲くのが遅れていたが、まずまずの咲き具合で、ラッキー。吟行後、ホテルで句会を行うとともに、夕食もご一緒させていただき、結社を越えた交流は楽しいものであると感じた。以下は有松と杜若の写真。トップページの写真も杜若に変更した。


有松絞り会館の前で

無量寿寺のかきつばた

5月8日(日)
 名古屋句会。最近句会メンバーが少なくなり、さみしいが皆さん一生懸命に句を作ってこられる。私は2日間連続で句の在庫が少なくなり、作りだめが必要となる。今日も丹波吟行の句を中心に出句。

5月7日(土)
 チングルマ句会。今日は先月吟行した綾子生家の句が多かった。結構いろいろな句が出て、視点が違っていることがかえって個性が出てよかった。その時は東風句会の皆さんに随分とお世話になった。

5月6日(金)   写真でたどる近代文学の奈良展
 「伊吹嶺」の名誉会員で奈良大学の浅田名誉教授の企画・編集・写真による「写真でたどる近代文学の奈良展」を見に行く。栗田先生はじめ7名で参加。写真展のテーマは「子規と虚子 いかるがあたり」「「森鴎外『夢の国』のひととき」「和辻哲郎 堀辰雄 第二の自然」「司馬遼太郎 井上靖 それぞれの奈良」「谷崎潤一郎 吉野のロマン」「会津八一 幻視の古代」の6テーマ。浅田先生よりそれぞれのテーマについて懇切丁寧に説明していただく。各作家の作品に出てくる奈良の風景に対する写真を浅田先生自ら撮ったものである。作品を知らないでただ写真を見ているだけでは単なる奈良の風景に過ぎない。ところが作品に出てくるところの原典やコピーなどを見てから、浅田先生から説明を受けると俄然写真が生き生きと伝わってくるし、懐かしい思い出も蘇ってくる。どれも選りすぐったテーマで、学生や一般の人も親しめる。
 昼食は今日説明していただいた子規が奈良で泊まった旅館対山楼跡のレストランに入る。このレストランの裏庭は「子規の庭」と称して当時の雰囲気を味わうことが出来、ゆっくりと食後の時間を過ごす。子規はこの旅籠で御所柿を貰って東大寺の鐘を聞いた。これが後に「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の句となる。浅田先生には1日お忙しいところをおつきあいいただき感謝、感謝。帰りは近くの正倉院から東大寺過ぎて近鉄駅へ帰る。今日見た花も紹介したいが、子規の庭は人工的に作られたものであるため、花の種類は少なかった。八重の桜が残花として残っていた。他にハルジオン、母子草など。ただ蜷がびっしりといたため、夏はさぞかし螢が群舞しているのではないか。正倉院を見たとき、遠くてよく見えないが都草があったようである。
以下は今日のほんの少しの写真。


各展示物(子規と虚子)

説明していただく浅田先生

会場内での皆さん

レストランの裏から東大寺はすぐ近く
「秋暮るる奈良の旅籠や柿の味 子規」

5月4日(水)
 今日はみどりの日で、OO年目の結婚記念日。近場で緑を見に行こうと、東山植物園へ出かける。あまり行ったことがない一番奥のビオトープへ行く。妻は始めて。ここのビオトープは2000年頃の構想からスタートして少しずつ整備されてきた。普通ビオトープが機能するには10年ぐらいかかるそうで、私は2年ぐらい前に出かけたが、その頃はまだ池の下に張る防水シートが見えている状態でまだまだの感じだったが、今日はすっかり里山らしい風景になっていた。そこに座ると周りを新緑に囲まれている実感がする。今日見た主な樹木の花、野草は朴の花、アズキナシ、椎の花、かまつか、クロバイ、接骨木の花、卯の花、てまり花、石楠花、著莪の花、山吹、花筏、藤の花、紫雲英草、華鬘草、宝鐸草などなど。
 とりわけ感動したのが、花筏で10年ぶりぐらいで見る。本当に花筏とはよく付けた名前である。ところが今日はデジカメを持って行くのを忘れたため、肝心の花筏をお見せすることが出来ない。
 また紫雲英草も久しぶりに見ることが出来たが、本来は岐阜県の県花なのだが、今では岐阜県ではほとんど見ることが出来ない。岐阜県は箱物行政には熱心だが、県花を増やそうという意志はないのだろうか。昔子供の頃田んぼが一面紫雲英草に覆われていた思い出は幻か。
 またビオトープの一寸下の池に目高も泳いでいた。今や目高は絶滅危惧種で田んぼはもちろん、普通の池では見ることが出来ない。これはカダヤシという目高によく似た外来魚が目高を駆逐したせいである。せいぜい緋目高を家庭で飼うぐらい。せめて今日のビオトープで目高を見ることが出来たのはラッキーと言うべきか。
 夜は結婚記念日のため、ささやかに贅沢な食事をする。(70596)

5月3日(火)   「伊吹嶺」5月号
 「伊吹嶺」5月号が届いた。いつものように感想を述べてみたい。まず栗田主宰の句、
   はくれんの白極まれば銹び兆す   やすし
 白木蓮の本情を1句1章で力強く詠んでいる。木蓮の白は咲き始めこそ清々しい。そして満開になると、その清々しさは頂点に立つ。しかしその途端に錆色が始まる。この句は中7,下5の写生が命である。次に秀峰集、
   雪掻きの雪積む下を水流れ     梅田 葵
   畑打つや土の匂ひを顔に受け    清水弓月
   下萌の庭へ飛び出す震度六     近藤文子
   鮎雑炊水かげろふを身ほとりに   鈴木みや子
   二月尽ピアノのくもり拭ひたる    中川幸子

 上記にあげた句はいずれも忠実な写生、自分の感性に忠実な感覚などいろいろ味わえた。葵さんの句、同人句会で採らせていただいた句。ただ確か、私しか採らなかったような気がするが、葵さんはこの句を句会報の一句に残したことを知ってうれしい。雪掻きした雪は側溝などに積むのだろう。その下の側溝には力強い春が近づく音が聞こえてくる。雪の重ね言葉による写生により力強さがついた。なおこの句を読んであとで「その下に小流れをきき春の雪 中山純子」に気付いた。純子先生の句はより単純化され、一種の心象を詠んでいる。感覚は似ているが、葵さんの句は具体的なものを捉えた即物具象に忠実な句である。
 弓月さんの句、最近は畑仕事もするほど体力が回復したのであろうか。早春の湿りを持った土は確かによく匂う。その匂いを顔で受けとめたことに新鮮さと弓月さんらしい繊細さを感じることが出来る。
 近藤さんの句、震災当日は、句会の真っ最中だったことが「伊吹山房雑記」で栗田先生が紹介したお便りから分かる。大変な経験をなさったことにお見舞いの意を表したい。震災当日は電話がつながらなかったが、翌日近藤さんから特設公衆電話で我が家に電話があり、無事であったことでほっとしたことを思い出した。この句、大震災にもかかわらず飛び出した庭が既に下萌になっていたことを発見した「下萌の庭に飛び出す」と落ち着いた写生に救われる。
 みや子さんの句、久しぶりに見せていただいた。この現場は岐阜の山下鵜匠さんが経営している喫茶店である。窓際に座ると鵜小屋にある池が日光に反射して喫茶店の天井に映る。その水かげろうを身ほとりに感じたとは、みや子さんらしい繊細な感覚である。
 幸子さんの句、「二月尽」という冬の名残と春の端境期に、「ピアノのくもり」を発見したこと取り合わせが素直な句であると思った。この句を読むと誰しも「蕗の薹のせてピアノの蓋くもる 林徹」を思い出すが、幸子さんの句は実体験の句である。遠峰集では次の句に惹かれた。
   縄張は自転車置き場猫の恋    関根切子
   早春の海に単車を横付けに     渡辺慢房
   まち針をジャムの小瓶に針納    鈴木みすず
   啓蟄の地に濃くなりぬ物の影   上田博子
   足裏より春の寒さよ余震なほ    栗田せつ子
   滝凍てて飛沫の形そのままに    平松公代
   如月の夜を重ね来し醪の香     伊藤範子
   梧桐の冬芽まつかや被爆の地   都合ナルミ
   一言で電話切れたる余寒かな   下里美恵子
   ペン皿に白き貝殻春立てり      矢野孝子
   切り株に湯気の揺らぎや残り雪   石崎宗敏


 なお5月号に現代俳句評も掲載されているので、【こちら】に載せてあります。

5月2日(月)  環境問題としての福島原発(日経エコロジー5月号、他)
 東日本大震災が発生してから、そろそろ50日過ぎるが、一向に福島原発事故の目処がついていない。地震、津波災害だけであれば、前を向いて復興に歩けるのだが、福島原発事故がいつまでも棘として刺さっている。福島原発事故は明らかに人災である。未曾有の地震、津波は想定外であるが、原発事故は決して想定外ではない。経営的にも科学的にもリスクマネジメント問題の範疇である。ところで「日経エコロジー」は純粋に環境関連の雑誌である。その5月号では、特集として5項目の記事が掲載されている。ここにすべての記事に間して書く余裕はないので、以下記事からの思いついたことのみ書き出す。
1.エネルギー政策の見直し
 ①今後は脱原発のあり方に議論が百出するだろう。
 ②福島以降の原発政策は浜岡原発をどうするかが今後を左右する。
 ③識者の大方はエネルギー政策の見直しは必至で、その方向は脱原発であろうが、それを再生可能エネルギー(太陽光発電、風力発電、バイオマスエネルギーなど)で埋めるのは不可能である。
 ④ある識者は「再生可能エネルギー以外の選択肢はない。」と発言している。
2.環境側面から見たエネルギー政策
 ①京都議定書及び今後のCO2排出量削減は再生可能エネルギーによる達成は不可能であるが、原発は事故がない前提で行けばもっとも安価で、CO2削減にも効果がある。
 ②エネルギーは社会的受容性に富んだものでなければならない。原発のような巨大施設はそもそも社会的受容性を低下しやすい構造になっている。しかも今回の事故で社会的受容性に追い打ちをかけた。
 ③1項で述べたように、「再生可能エネルギー以外の選択肢はない。」と発言した識者の今後の見通しは、原発の新増設は中断・既存の原発は40年では色する、再生可能エネルギーコストは高いという意見はあるが、小規模分散型技術の特徴として普及すればするほどコストは下がる。
 ④エネルギー政策は3つのセキュリティーを考慮する必要がある。1つは地球温暖化、2つは資源枯渇、3つは有事災害がありこれらのバランスをとる必要がある。このうち原発は有事災害に対してセキュリティーが欠けている。従ってこれからは3つのセキュリティー考慮しながら、再生可能エネルギーエネルギーを含めて広く薄く配分する分散型にシフトせざるを得ない。
 ⑤さらに電力エネルギーの効率化のために地域に閉じた送電網であるマイクログリッドの発想が必要である。マイクログリッドはエネルギーの地産地消であり、
(これらをさらに広域に広げていく電力網が今盛んに言われているスマートグリッドにつながっていく。) (注)括弧内は私の考え。
3.今すぐ出来る節電対策
 今すぐ出来る節電の鉄則として15項目が紹介されている。
4.福島原発事故に対して、EU内の各国の政策を世論が揺るがせている。(脱原発か新設の強行か)
 ①脱原発はドイツに既に現れている。ドイツ内の17基の原発のうち7基を停止した。
 ②後者の典型的な国としてはフランスで、電力の78%を原発に依存しているため、国内の58基の原発について強気の姿勢を崩していない。(ちなみに日本には54基の原発があり、現在24基が稼働している。)


以上であるが、ただランダムに抜き書きしたので、今後これと言った方向性は決まっていない。ここで思い出すのは三重県の原発建設の構想、推進から白紙撤回に至るまでの歴史である。
 三重県では1963年に中電が芦浜原発の構想を出したことからはじまる。当然長島事件のような反対運動が起こったが、国は1977年に芦浜地区を要対策重要電源に指定した。そして北川知事時代になって、1997年には県議会で冷却期間を置くことを全会一致で採択した。最終的に2000年に芦浜原発建設を白紙撤回させた。私個人的には丁度この頃、北川知事が社長となっていた国際規格審査登録センターに環境審査員と契約した頃である。そのころはこのような原発建設問題が起こっていたことは詳しくは知らなかった。その北川知事が社長時代に環境審査員となったのも何かのめぐり合わせであろう。
 今福島原発事故を目の当たりにして、その当時の三重県の芦浜原発は国策としての原発建設の最初の曲がり角に立っていたのではないかと思う。
 また福島原発事故を純科学的に解説している雑誌に「Newton」6月号がある。これについてはまた機会があればコメントしてみたいと思う。

4月30日(土)  中山純子句集『水鏡』
 もうこの年になると毎年の大型連休は関係なくなってくる。毎日が日常生活になる。今夜、二男一家が来る。そしていつものように来週の連休中は嫁の実家に行くことになる。下の孫は昼間遊びすぎてからか、夕食時もずっと寝たまま、帰り際になってやっと目を覚まして、食事だけして帰る。
 「風」の大先輩の中山純子先生より、句集『水鏡』が届く。句歴60年ということは想像も出来ない。最近の純子先生の句はますますつぶやきのような自在な句になってきたと思う。こういう句を鑑賞するには、私はあまりに句歴がなさ過ぎる。時々「伊吹嶺」の現代俳句評で純子先生の句を鑑賞させていただくが、これでよいのか自信がない。
 句集のタイトルとなった句は、「水鏡八月六日夢も見ず」で解釈が難しい。原爆忌と水鏡の取り合わせをどのように解釈してよいか、答は持っていない。これからじっくりと読んでまた感想でも述べてみたい。

4月28日(木)
 妻と蕨採り。昔は毎年、蕨の季節になると春が来た実感を感じ、わくわくしたものであるが、最近は高齢化してきて、斜面の土手を上り下りしながら、蕨を摘むのが苦痛になってきた。年齢とともに衰えを感じる。例年だとすっかり蕨も伸びきっている時期であるが、今年はまだ早い感じでこれから伸びる様子。まだ十分に伸びていなかったが、しばらくの食卓を飾ることが出来るくらいは取れた。今日の疲れから、今年の2回目の蕨採りが出来るかどうかは疑問。

4月27日(水)  ドナルド・キーン日本永住(NHKTV他11.4.27)
 数日前からドナルド・キーン氏の日本帰化などのニュースが流れていたが、今日のNHKTVでコロンビア大学で最終講義を行い、まもなく日本永住し、日本人への帰化手続きを行うことを知った。NHKのインタビューでキーン氏は「日本は危ないからと、(外資系の)会社が日本にいる社員を呼び戻したり、野球の外国人選手が辞めたりしているが、そういうときに、私の日本に対する信念を見せるのは意味がある。」と語ったのは、日本を愛するとともに、自分自身の覚悟を行動で表したものと感動した。日本経済新聞では「私は日本という女性と結婚した。」という発言に象徴されるように日本を愛している研究者だと思う。
 キーン氏は西行、世阿弥、芭蕉などを研究し、『おくのほそ道』を4回も翻訳したのはよく知られている。丁度手元にある角川の「俳句」4月号に、村上護氏と「詩歌に詠まれた桜たち」と題して16ページに亘って対談が掲載されている。この対談を読むと、キーン氏がいかに日本、そして日本の古典を愛しているかがよく分かる。この対談では「桜」がテーマであるので、西行、芭蕉を中心に語られており、私達俳句を作る者にとって非常に示唆に富んだ対談である。
 今後大震災を受けた日本に永住してどのような発言、行動するか興味ある話題であり、今後キーン氏の発言に注目していきたい。
 なお日本永住のニュースのうち、産経ニュースの記事を以下に紹介します。
    http://sankei.jp.msn.com/life/news/110417/art11041711580005-n1.htm

4月25日(月)
 岐阜同人句会。今月、来月は一種の失業状態のため、句会などにフル参加できる。今月は今日で6回目の句会。Mさんも最近体調を回復されたので、ほぼ全員参加。今日私が頂いた句は皆さんがほとんど採らない句ばかり。しかし自信持って選ばせていただいた。特にあまり使われていない季語「佐保姫」「逃げ水」そして席題の「亀鳴く」などをどのように詠まれたか興味持って選んだ。どの句も実態のない季語のため、どのような物と配合するか、どのような情景を詠むかが難しい。いずれ作者は「伊吹嶺」などに発表されるだろうから、ここに書き出せないのが残念。(70355)

4月24日(日)  中日俳句教室講義録(11.4.19)
 いつものように旅遊さんから、中日俳句教室講義録を頂いた。今月は助詞の「に」と「へ」の違い。文法的にはそんなに難しい話でなく、作句の場合、どんな場合に「に」または「へ」を使うかのお話しで、実作を通じて経験するしかない。出来上がった句などを見ると、自分では分からない。他の人に読んで貰って使い方がまずい経験がよくある。今月の講義録はすんなりと読めると思う。講義録は【こちら】からまたはトップページの中日俳句教室講義録をクリックして入って下さい。

4月23日(土)
 「伊吹嶺」編集会議。6月号の編集と8月号の企画。8月号では栗田先生の句碑除幕式模様をお伝えできると思う。従って結構依頼原稿が多く、予定時間ぎりぎりまでかかる。
 今日、栗田先生に聞いたところ、「松籟」の高橋克郎主宰が亡くなられ、今日が葬儀だったという。来月の5月が創刊50周年になるという。その直前に亡くなられたことは悼みに耐えない。高橋主宰とは8,9年前に俳人協会の『愛知吟行案内』を発刊するに当たりご一緒に仕事をさせていただき、随分とお世話になった。また前主宰の加藤燕雨氏を継いで、主宰になってまだ数年ではなかったかと思う。もう少し活躍していただきたかった。 合掌

4月22日(金)  釣り大会にやはり外来魚の名称を使う(滋賀県)(読売新聞11.4.21)
 以前この日記(3月7日)で、今年6月に、外来魚駆除のための釣り大会を日本釣振興会と共催するにあたって、日本釣振興会の要求に応じて、外来魚という言葉を使わないで単なる「釣り大会」を行うこととしていたが、全国ブラックバス防除市民ネットワークの抗議に対して、昨日の読売新聞では、最終的に、「外来魚(有効利用)釣り大会」という名称を使うこととなった。外来魚という名称を使った釣り大会を行うことは一歩前進であるが、有効利用とは一体どういうことか。いかにも外来魚が有効に使えるメリットのある魚と誤解してしまう。
 一方折しも今夜のNHK新日本風土記で、琵琶湖では「追いさで漁」による鮎漁やえり漁のつぼ網を使った鮎の稚魚漁も紹介されていた。この鮎の稚魚は氷魚(ひうお)と言われ、平安時代から宮中に献上されていたという。こういう伝統漁に対して、NHKではブラックバスやブルーギルによる既存種の魚が壊滅状態になっていることはひと言も触れていない。いかにも外来魚による被害はないような放映である。
 長良川の鵜飼では、河口堰による鮎の遡上もなくなり、琵琶湖から取り寄せている稚鮎もいなくなると、一体鵜飼はどうなるのだろうか。いまなら琵琶湖の外来魚を徹底的に駆除すれば間に合う段階なのに、一体どうすればよいのか。もっと滋賀県の賀田知事に頑張って貰いたい。
 なおこの読売新聞の記事は次のHPアドレスに掲載されています。
    http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20110421-OYT1T00071.htm

4月20日(水)
 ネット仲間で瀬戸吟行に出かけた。陶土を掘る谷、通称瀬戸のグランドキャニオンそして鷹匠さんの家。どちらも始めて見るところで瀬戸勢に感謝。瀬戸の陶土はきめが細かく、瓦礫もないので、陶器に適しているとか。よく晴れていたが、風があり少し寒かった。また鷹匠さんの家も始めて見る体験。近くの公園で飛ばして貰ったが、今日は鷹の少林君(鷹の名前)は空腹でなかったためか、そのうちに近くの森に散歩に出かけてしまう。
 最後に沢木先生が「登り窯虎杖は木となりゐたり」と詠んだ登り窯も見せて貰った。よい体験をしたが、俳句が出来るかどうかはこれから次第。
 以下は陶土谷と鷹の松林君の写真。


陶土谷(遠くの名古屋駅前のビルがよく見える)

鷹の少林君

4月19日(火)
 ISC主催で、品質、環境マネジメントシステム認証事業所、審査員などを対象にした情報交換会。ここでいつも最新の話題をテーマに講演が行われる。
 今日は昨年規格改定されたJISQ9004(組織の持続的成功のための運営管理-品質マネジメントアプローチ)の解釈と説明が中心。ただタイトルを見ただけでは中味が分からない。いわゆる私達が審査している根拠はJISQ9001(品質マネジメントシステムー要求事項)に基づいて行っており、今日のJISQ9004は「組織が品質マネジメントアプローチによって持続的成功を達成するための支援の手引き」である。即ち組織(受審事業所)が自らマネジメント経営において持続的成功(改善、革新、学習)を収めるための手法を各要求項目ごとに手引き書として書いてある。一度聞いただけでは分からないので、規格書とその解説書の2冊買って、折々に勉強することとした。2冊で締めて6000円の投資。

4月18日(月)   俳人協会愛知支部総会(続き)
 俳人協会愛知支部総会で、昨日はせつ子さんの句のことしか書かなかったので、今日は能村研三氏の講演内容を書く。演題は「師系の山脈・水脈」で主に師であり、父親である登四郎のことから始まった。研三氏の講演は穏やかな語り口で、温厚な氏であることが伝わってきた。
 まず「馬酔木」で巻頭となった「ぬばたまの黒飴さはに良寛忌」のことにまつわる『咀嚼音』で波郷が書いた跋文のいきさつについて、我々は本に書かれた内容以外のことは知らないので、当時の登四郎の考えを聞きたかったが、そのあたりはさらりと触れただけであった。私は秋桜子が巻頭句として激賞したのも、波郷がこのような句を作るのは趣味的に過ぎるという意見のどちらも肯うことが出来る。しかし定本『咀嚼音』でこの句を入れたのは登四郎自身この句への愛着が深いことが分かる。
 次の『合掌部落』は大野林火の構想により、沢木先生の『塩田』と競作させた企画が見事に当たった句集である。『合掌部落』『塩田』とも歴史に残る名句集だと思う。ただ研三氏によると、登四郎はこの句集が当時の社会性俳句の範疇に入れられたことはあまり好まなかったという。以前この句集が入っている全集を図書館から借りて、『合掌部落』をコピーして勉強したことを思い出した。この『合掌部落』を読むと、確かに社会性俳句の範疇に入れるのは気の毒のような気がする。『塩田』でも社会性俳句の範疇と言われているが、私は能登という風土性を強くメッセージした句集であると思っている。
 『枯野の沖』には愛称句が多い。「火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ」「春ひとり槍投げて槍に歩み寄る」など好きな句である。
 登四郎山脈として、林翔から福永耕二、今瀬剛一、鈴木鷹夫、正木ゆう子まで随分と幅が広いことが分かる。それは研三氏自身の句である「父の日の父に弟子てふ子沢山」「父に無き破門除名や炭を継ぐ」から、登四郎氏の心の広さを感じることが出来る。
 講演のまとめとして、「師の継承には時代の変化がある。そうしないと俳句の進歩はない。今「沖」は「ルネサンス沖」を考えており、自分なりの雑誌を作りたい。」との決意で締めくくられた。
 最後に今年は登四郎生誕100年に合わせて、全句集を発行することを聞いて、同時代に活躍した沢木先生の全句集発刊の目処がいまだに立っていないことは「風」の末席にいた私としては寂しい限りである。(70155)

4月17日(日)  俳人協会愛知支部総会
 午前中に愛知同人句会。午前のため、参加者は少なかったが、よい句が多かった。私が真っ先に選んだのは次の句である。
    穴掘つて手紙を燃やす三鬼の忌  栗田せつ子
 この句は当然、三鬼の「穴掘りの脳天が見え雪ちらつく 三鬼」を踏まえて「三鬼の忌」を詠んだものと思った。そしてこの句は「炎天の犬捕りの低く唄ひ出す 三鬼」の句につながる。昔読んだ山本健吉の『現代俳句』にこの句の鑑賞文が出ており、ともにシェクスピアの『ハムレット』の墓掘りの一場面を連想させる。後句は『ハムレット』の場面で、墓掘り役の道化が唄っている場面の本歌取りである。そして前句は明らかに墓掘り場面そのものである。これらを踏まえて、せつ子さんが詠んだものと思っていた。ただ句会の時はこの三鬼の句が思い出せなく、自信がなかったが、3句選に選んだのは正解であった。またこの句は作者が男性か女性かによって解釈が変わるので、本来は作者が分かった状態で正しい解釈が必要であろう。
 午後は俳人協会愛知支部総会で、句会の時、この句は大会賞を受賞した。午前中に選んでおいてよかった。ただ今日の講演の講師で、選者も務めていただいた能村研三氏は「穴を掘って手紙を燃やさなければならない事情があることに、一寸屈折のある句である。」と、句そのものから作者の心情を感じとっていらっしゃった。こういう解釈もあるかと感心した。総会が終わった後、みんなで喫茶店で雑談をしていたとき、せつ子さんはこれは沢木先生宅での現実にあった情景だと聞かされたときは、解釈はいろいろあり、作者の思惑とは別に、俳句は一人歩きするものだと感心した。今日はこの1句に出会っただけで収穫があった。

4月16日(土)  綾子生家吟行
 以前から計画していた東風・チングルマ句会合同吟行会で細見綾子先生生家、でで虫句碑、雉子句碑などを回る。総勢約30名で賑やかな吟行となった。今回は東風句会の皆さんにすっかりお世話になり、東風句会の皆さんの心の籠もったおもてなしに感謝。当日3句投句の句会を行ったが、どれだけ句が出来るかは今後次第。以下はわずかばかりの写真。


綾子生家の前で

綾子生家の蔵2つ

でで虫句碑の前で

雉子句碑(雉子鳴けり少年の朝少女の朝)

4月14日(木)
 N社の審査結果報告書を書き上げる。これでしばらく審査関係の仕事から離れられる。しかし日常の雑用が山のように残っており、いつまでもストレスから解消されない。

4月13日(水)
 今日はよく晴れるとの予報で、根尾能郷の猿楽を見に行く。前回は確か数年前で、南山大学の安田文吉さんにお会いしたことがあった。薄墨桜はまだ咲き始めというためか、途中の渋滞には遭わないで、予定より早めに着いたので、周辺の蕗の薹採り。と言ってももう呆けたものばかり。しかし毎回見ることが出来る花が待っていた。エンゴサク、キクサキイチゲ(白と紫がある)、黄華鬘、猫の目草、木五倍子の花、カタクリなど。その中で野生のカタクリは10数年ぶり。鈴鹿山系の御池岳以来。
 猿楽はいつもと同じような演目。もともと世襲制で引き継がれてきたが、最近はそれも困難になり、今では先人が守り続けた文化遺産を後世に伝えていきたいとの思いで、地域全体で協力して保存に努めているという。
 帰りに念のため薄墨桜を見に寄ったが、五分咲きまでになっていた。ただ訪れたのが夕方のため、一番よく見えるところが逆光でうまく撮すことが出来なかった。以下は主な写真で野生のカタクリはトップページに掲載しました。

   笛の音の一気に春を呼びにけり   沢木欣一
   雪解風吹きぬく組立て能舞台       〃

 
 そう言えば昔は平常時は能舞台を倉庫に入れておいて、レールで舞台を回して作っていたのを思い出した。


能郷白山と芽吹きの始まっている雪解川

キクサキイチゲ

演目は能の「屋島」

夕日に照らされた薄墨桜

4月11日(月)
 昨夜、栗田先生から連絡があり、今日は急遽、「伊吹嶺」5月号の校正の代理応援。新しい名古屋環状2号を使うと、我が家から1時間以内に着くことが出来る。早めに着いたので、天白公園の散り始めている桜を見ながら、にぎりめしの昼食。東員町ではやっと満開になったばかりで、桜の開花進度が随分と違う。またアズキナシの花も満開。梨の花類は真っ白で清楚。9日に散歩したとき、東員町のイヌナシはまだ蕾状態で、これもまた開花状況が随分と違う。

4月10日(日)
 名古屋句会。今月はこれで4回目の句会。4回目ともなると、俳句の在庫がなくなってくるが、名古屋へ出かけるバスの中で最後の5句目を揃えて滑り込みセーフ。そのまたバスの中で作ったのが一番よいとなると、毎日一体何を作っているか反省。日常生活には季語はどこにでも転がっているが、なかなか句にならない。緊張感が足りないのか。

4月9日(土)
 2,3日前に妻が近くの池の歩道にコゲラが巣作りしているのを見かけたというので、一緒に見に行く。着いたときはかすかな音を立てていたが、巣穴は空いたまま。しばらく粘っていると、親鳥が顔を出したので、写真を撮る。ただ遠くからの撮影なので、顔がよく見えない。それでもやっと右の写真を撮ることが出来た。現在は巣穴を掘っている段階と思われるので、雛が生まれるのは大分先のことだろう。木の根本には巣穴をつついた木屑が散らばっている。しばらくは散歩がてらに見ることが楽しみ。(69908)

4月8日(金)  山藤句会
 昨夜、寝際に仙台で震度6強の大きな余震のニュース。心配して妻が姉に電話したところ、今回の余震の方が3.11の本震より揺れが大きかったそうだ。家中の家具、物が一斉に散乱し、風呂に水を張ってあったところ、地震で水が溢れ、家中水浸しになったという。今回は津波はなかったものの地震の揺れがひどかった。自然のこととはいえ、いつまで被災地を痛めつけるのか、早く余震もなくなってほしい。
 以前、義弟からの手紙で私が勤めていたNTT五橋ビルが危険で立ち入り禁止になっていたと聞いたが、今回の余震をひょっとしたらさらに崩壊の恐れがあるかもしれない。このビルは私が東北通信局に転勤した2年目に新築されたもので、もう築後40年になる。事務棟のため、耐震強度がなくなっていたかもしれない。また現場に勤めていたNTT青葉ビルは外壁のコンクリートが剥がれたが、通信設備の中枢が入っているため、耐震強度も十分で、中は大丈夫のようだ。
 午後から山藤句会。丁度先月の句会が3.11で句会のあった日。もう1ヵ月になったという感慨。今月から『実作への手引き』の勉強会を行う。毎月2章ずつ事前勉強してきて、自由に意見を出して貰う方式で行う。このように単行本になっているのを読むと栗田先生の言うことはよく分かるが、実作に如何に反映させるかは各個人の勉強次第ということになるのだろう。

4月7日(木)  蒲郡句会
 しばらくお会いしていない鈴木みや子さんにご機嫌伺いに蒲郡を訪れた。名古屋句会では昨年、忘年会をかねてお別れ会を行ったが、私は欠席してしまった。今日はその穴埋めに妻と一緒に蒲郡句会に参加。昼食前に有志と一緒に竹島に渡って吟行。その後、みや子さんと一緒に昼食。句会には多くの方に出席いただき恐縮する。私にとってはみや子さんは「風」愛知支部に入会したときの初めての指導者。今日の句会ではいつものような厳しい講評を期待したが、一寸遠慮なさっている感じ。会員のGさんの畑で栽培している苺を頂いて感謝。申し訳ない気がする。今日はご機嫌伺いということでまた今後、時々にはお会いしたいものである。右の写真は竹島。今日はよく晴れて浅蜊業者が馬鍬(マンガと聞こえる)を使った浅蜊掻きを見ることが出来た。

4月6日(水)  「伊吹嶺」4月号
 「伊吹嶺」4月号が届いたが、一通り読んだ感想。いつものように主宰の句から。
    春の夢われより若き父たりし   やすし
 栗田先生はよく夢を見るそうだ。しかもその夢をよく覚えているという。私は夢を見た実感はあるが、目が覚めた瞬間、夢の内容はすべて忘れてしまう。
 この句、栗田先生は父上の記憶がないというが、夢の中で見たこの父上は写真の父上であろう。その記憶が夢に出てきたのであろう。栗田先生が夢で会う父上はすべて若いときのままである。そこに自分自身の年齢も感じているのである。また沢木先生も夢のある句が多いのが特徴。沢木先生も父上の夢を詠んでいる。
    薔薇開く母の日に見し父の夢   欣一
秀峰集からは、
    また雪が漱石書簡集膝に     梅田 葵
    佐保姫と五人の乙女露天湯に  櫻井幹郎
    雪掻きやスコップ幅の庭に道   丹羽康碩
    寒昴眠り続ける友の上に     中川幸子

 葵さんの句、上5で切れる。漱石書簡集を読んでいるとき、一寸目を庭に移したとき、雪が降っているのに気付いた。それを「また雪が」とつぶやきのような上5の切れによって、静かな雪の夜が伝わってくる。芭蕉は48文字すべてが切れ字になりうると言っているが、この句はまさに何でもないところで切れることにより、句に叙情性が出てきた。
 櫻井さんの句、まさに櫻井さんらしい句である。ひとつの幻想句であるが、佐保姫と露天湯の取り合わせはユニークである。ひょっとしたらこの句は櫻井さんの願望の句か。
 丹羽さんの句、面白いところに着眼した句である。問題は「スコップ幅の」がどこにつながるかである。意味からして、道につながると思った。作者は庭の雪掻きをしているのであるが、その庭に丁度スコップ幅の道が現れたところに俳諧味を感じたのである。
 中川さんの句、中山ユキさんを詠んだ句。まだユキさんは意識が戻らないという。ユキさんを思う心が寒昴を見ることにより、触発された。早く意識が戻ってほしいと願うのは誰しも同じ思いだろう。
 同人の句では、今月もネット仲間から選んでみた。
   針供養豆腐の角に釣りの針      武藤光晴
   コッヘルで沸かす珈琲冬菫       渡辺慢房
   風なりに撓りて氷柱耀へり       鈴木みすず
   春や立つ痰切の粉浴びし子に     内田陽子
   投函の音かろやかに春立てり     伊藤範子
   風に舞ふ落葉と地下へジャズライブ  矢野孝子
   若菜摘む流れの光顔に受け      坪野洋子

 光晴さんの句、針供養の豆腐に釣り針を見つけたという男ならでは作れない視線である。慢房さんの句、相変わらず句が新鮮である。バイクでどこかへ遠出したのだろうか。コッヘルと冬菫の取り合わせが抜群である。みすずさんの句、風が吹くにつれ氷柱が撓っている小さなところに写生の目が行き届いている。その氷柱が輝いているのを発見したことにより、明るい氷柱の句となった。
 今月の陽子さんの句に一番惹かれた。上5が普通の「春立つや」ではない。「春や立つ」なのである。「春」を強調して、ここに春が来た喜びが見える。もちろん上5で切れるが、「や」は強調、感動の「や」である。普通の二物照合の「や」ではない。春が来た喜びは極端に言うと、何でもよいが、痰切飴の粉を浴びた子がよいのであろう。今月の最高の句ではないだろうか。
 範子さんの句、それこそ軽やかな心地がする句である。一物俳句の良さである。「かろやか」「立てり」の用言が言葉を滑らかにしている。よく二物照合の句で、動詞のない名詞だけの取り合わせの句が最高だと言われているが、まずは沢木先生が発言なさっている一点主義で作り、焦点を絞ってそこに感動を入れることであろう。孝子さんの句、落葉と一緒に地下のジャズライブに入っていったのが面白い。相変わらず若々しい句である。俳句に向かうとき、心が若くなくては出来ない。洋子さんの句、岐阜支部新年俳句大会で栗田主宰の特選句になったというだけで十分良さが分かる。万葉集に出てくるような春の明るさのある句である。   

4月4日(月)
 最近、仕事を少なくして貰っている関係、逆に時間を無駄に使っている感じ。
 久しぶりに近くを1時間ほど散歩。ようやく東員町も桜がほころび始め、池に迫り出している山桜は満開に近い。ソメイヨシノは丁度開花宣言する段階。町指定記念物のトウインヤエヤマザクラはまだ蕾が固い。イヌナシも葉が芽吹きだした段階で花の蕾は固い。たんぼ道から見る鈴鹿山系もほとんど雪がなくなり、今日ははるか彼方の伊吹山も見えたが、もう斑雪嶺になっていた。

4月3日(日)
 東日本大震災発生後、「伊吹嶺」のネット仲間として義援金活動を行い、義援金も一段落したので、今日、伊吹嶺落書に義援金の結果をアップした。わずかな期間、わずかな人数でスタートしたところ、ネット仲間の輪が広がって、最後には義援金は47件、439,020円に達した。思いがけず多くの方に協力していただいた。ささやかながらネット仲間の絆を感じた期間であった。明日あたりNさんから振り込んで貰う予定。その間、いろいろ気をつかう場面もあり、心配して、ストレスから血圧が上がったこともあったが、最後は無事に終わってよかった。(69761)

4月2日(土)
 チングルマ句会。今月から「実作への手引き」を1章ずつ勉強していく。事前に予習して貰って、それぞれ感想を述べ合う方式。このようなやり方でも少しでもこの勉強が実作に役立てればと思う。

4月1日(金)
 今日は暖かく天気もよいので、近場のなばなの里に出かける。東員町はまだ桜の芽が固く、春が来た感じがしないので、少しでも春らしさを探しに行くことにした。丁度いろいろな桜が見ることが出来た。河津桜は満開を過ぎたばかり。枝垂桜、緋寒桜は満開。ソメイヨシノはちらほら。またチューリップも順に時期を調節して常に満開のチューリップも見ることが出来た。久しぶりに足湯にも入って春を楽しむ。少しでも震災のことを忘れたい気持。右の写真はチューリップ、トップページの写真は満開の緋寒桜。 

3月31日(木)   「よい川の条件・生物多様性と川の再生」(グラフィケーション3月号)
 隔月に富士ゼロックスからの広報誌「グラフィケーション」が届く。今月は「川・水辺の再生」の特集が掲載されており、その中で「よい川の条件・生物多様性と川の再生」に注目した。昨年の名古屋COP10以降、生物多様性問題が隅に押しやられている印象があったが、改めて川の視点からの生物多様性問題が掲載されたことは好ましいことと思った。執筆者は淡水生物研究所所長の森下郁子さん。
 例によってこのエッセイの概要をまとめることは面倒なので、この記事からのキーワードのみを抜き書きしてみたい。
 「日本の水辺では、そこに本来生息していることが当たり前の生物と共生する水文化があった。その結果、生態系の多様性が無意識のうちに保存されていた。」「生物の多様性が持続的に保全され、生態系からの恩恵を受ける(生態系サービス)ことから文化的多様性の持続が可能になる。」「21世紀の共生の時代はすべてのキーワードに生物多様性のイデオロギーが求められているのであろう。」「日本の気候帯が同じであっても、湖・ため池や用水路など水域の構成する条件が違えば違った生態系があり、それが広い範囲で日本の多様性を支えてきた。」「日本で生物の多様性が失われてきた直接的な原因は、水辺の面積が減少したことである。」「洪水と渇水を繰り返す日本の川の特性は洪水や渇水の起こるパターンにうまく付き合える生物が生き延びて日本にあった生態系を構成している。」「20世紀は、ダムを築き河道を整備し、水利用を均一化してきた。季節変化で増水したり、水温の変化の幅が狭くなった。」「日本では水質も回復したし、水辺も整備されて生物がすんでもおかしくないようになったのに、急激に生物多様性が損なわれるようになったのは、川が本来持っているはずのリズムが失われ、野生生物の本性も目覚めさせないからだ。」「自然再生の目標は、生物多様性を保全し健全な生態系を維持することで、持続可能な社会を築くことにある。」「日本の野生生物はしたたかに生きている。風土のリズムさえ回復させれば後は彼ら(野生生物)が調整しながら、生きていくだろう。」
 と随分長く引用したので、理解しづらいと思うが、最後の段落が結論だと思うし、あえて私が強引な結論を言うと、「20世紀はダムの造成、河川の整備、水利用の均一化等による水質回復などを行ってきたが、これが生物多様性を損なってきた。21世紀は風土のリズムを回復させることであり、そうすれば後は生物が自分達のしたたかさで多様性を保っていくだろう。」ではなかろうか。

3月30日(水)  コバケンスペシャル(ムソルグスキー 展覧会の絵)
 久しぶりにISO品質審査。リーダーを務めるのも久しぶり。このぐらいの間隔で行う審査はストレスがたまらない。
 帰るその足で、コバケンスペシャルを聴きに行く。今日はコバケン親子競演(娘さんは小林亜矢乃)のラフマニノフピアノ協奏曲第2番と、ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵」。特に『展覧会の絵』はよくCD、TVではよく聞く曲であるが、生演奏で聞くのは始めてと思うくらい、聞いていない。
 この曲は最初にピアノ曲として作曲されたものだが、今日聞くのは当然ラヴェル編曲のオーケストラ版。画家のガルトマンの死を悼んで作曲されたもので、それぞれの絵をモチーフにして作曲されたもの。冒頭のトランペットのプロムナードに始まって、それぞれの絵を順に見ていく組曲である。その合間にはさんだプロムナードは、最初はトランペット、引き続いてホルン、金管楽器、木管楽器などと曲の繋ぎが絶妙である。そして最後のキエフの大門の絵を見たことがあるが、私は落日のキエフの大門の印象を持っていたが、今日聞いたところでは、荘厳な終局であると思った。ちなみにキエフの大門の絵は次のHPで見ることが出来る。今この絵を見ながら今日のフィナーレを楽しんでいる。
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Hartmann_--_Plan_for_a_City_Gate.jpg
 なお今日は入場口で東日本大震災のチャリティ募金を行っていた。最近はレストランでのおつりを寄付したり、いろいろなところで寄付している。今日も小銭をはたいて寄付したが、今日のアンコールは震災を悼んだレクエイムとしてコバケンさんが自らピアノを弾いて、モーツアルトピアノ協奏曲第23番第2楽章を弾いていただいた。これこそモーツアルトの鎮魂歌のような印象を受けた。モーツアルトは時に神からの声としか言い様のない透きとおったしみじみとした曲がある。この23番には鎮魂のイメージはないのだが、アンコールで聞くと、まさに鎮魂歌のイメージにぴったりであった。帰りにはそのお礼に2回目の義援金を出して帰ったが、この時は紙幣でなくてはならないと思った。楽しいコンサートの一夜であったが、被災された方を思うと、こうしてクラシック音楽を楽しめる幸せを感じた。

3月28日(月)
 久しぶりに岐阜同人句会。Sさんが厳しい講評。「伊吹嶺」ではいつもの言葉で、いつものように俳句を作り、同じような俳句を作るひとから、いつものように選ばれている。」と言われ、私達類型、類想のコレステロールが着いたまま俳句を作っているのではないかと思った。最近の例でいうと、「俳句研究 春の号」で栗田先生が30句競作で選んだ入選作品を読むと、写生を基本とした結社の方であるが、栗田先生の講評では「句の中に作者が入るということで、大変共感を覚えた。・・・情景がしっかり捉えられており、揺るぎのない写生句である。」とおっしゃっている。私はこの入選作品を読んで、「入選作品の句は我々に持っていない感覚を感じさせる。作者の思いを主観的でなく、言葉の斡旋に共感する。・・・いずれも言葉の選択に類型がなく、相当推敲されている経緯が分かる。」と感想を述べていた。類型のない言葉の選択を行い、句の中に作者が見える句を作ることが必要であると思った。これは25日の日記に書いたように斎藤夏風氏の『辻俳諧』を読んでも同じような印象を受けた。「日常的な言葉を使った写生であっても言葉の奥行きがあるような表現が必要であると思うし、俳句に作者の心が籠もっているような俳句が必要である。」と思う。今日のSさんの言葉に目が覚めるような思いであった。

3月27日(日)
 「伊吹嶺」運営委員会。主な議題は5月に行われる栗田先生の句碑除幕式。およそ330名以上参加の見込みでめでたい限りである。楽しい除幕式、祝賀会であってほしい。他に「伊吹嶺」15周年記念行事に向けての諸々の進行状況が発表される。今日は各県支部長にも参加して貰ったので賑やかな運営委員会となった。帰りに久しぶりにお会いした3人の支部長さんと喫茶店でおしゃべり。(69552)

3月26日(土)
 「伊吹嶺」の編集会議。5月号の編集と7月号の企画。7月号は栗田先生の句碑除幕式の記事で相当増頁の予定。
 なお編集はいつも栗田先生のご自宅の近くである小坂コミュニティセンターで行っているが、昼食に出かけた折、滝ノ水の川沿いの桜が随分と咲いていた。たぶん彼岸桜だと思うが、我が家の東員町はまだ花芽が固くまだまだの感である。編集している部屋からは山茱萸の花が満開で、幣辛夷も咲いていた。今日は寒かったが、春は確実にやってくる。しかし東員町の桜は一体いつになったら、開花するのだろうか。

3月25日(金)  斎藤夏風句集『辻俳諧』
 昨日から、血圧が高いとの自覚があったが、今日測ったとき、相当高かった。あまりかっかしないでおとなしくすることが肝心。
 本年度の第50回俳人協会賞を受賞した斎藤夏風氏の句集『辻俳諧』をお借りして読んだ。選考委員の全員一致で決まったという。選考委員を務めた栗田先生の発言に「確かな描写力による叙情的な作品が精選されて収められていて、特に奥様を亡くされた後の句にふくらみが出てきたとは委員の一致した意見であった。」とあり、続いて「今回の選考委員の共通した感想として、1冊の句集に纏めるに当たり、自選の難しさを言われたのが強く印象に残った。」前半の発言から斎藤氏の力量からして当然の受賞に至ったのであろう。ただ後半の発言は、私達日常の句会、「伊吹嶺」の投句においても常に難しい思いで投句しており、自選を客観的に見ることは私には無理なような気がする。
 ただ『辻俳諧』を読んだ感想としては描写が日常的な言葉を使った写生であっても言葉の奥行きがあるように思ったし、心が籠もっているような印象を受けた。時々俳誌「屋根」を読ませていただいているが、俳誌を読むのと句集となって凝縮された俳句を読むのでは全然印象が違うことが分かった。また確かに奥様をなくされた後の句には本当に作者の心情がよく伝わってきた。感銘した主な句を以下に抜き書きする。
   雉子鳴く田水のたつる波頭
   小瀬螢穂尖りほどの光にて
   蒲団干すそこに兎追ひし山
   その畝の葱の切先お降りす
   春大根洗ふや左右に水別れ
   榛の花垂心といふ清しさに
   余花に浮く月の暗さや眠り妻
   葭簀巻く櫟の風もその影も
   妻の恋ふ阿修羅に逢はむ冬の鷹
   看取の灯一つ烏瓜も一つ
   母の日の妻が磯辺の夢枕
   身ぐるみの毛布に木の影車椅子
   形代に妻の名書けばやや滲み
   雨流すひとすぢのいろ種茄子
   何故の黒髪の艶百合の花
   眉毛なほ濃ゆきねむりや薫風裡
   はつなつの阿修羅身ひとつ妻もまた
   新盆の雨吾ひとり僧ひとり
   亡妻に似る佛はるけし障子の日
   泣き足らぬ男をりけり除夜の鐘
   迎え火を遊びせむとて魂に焚く
   竹節虫(ななふし)はおとなしき虫螢草

と書き出すときりがない。

3月24日(木)
 また寒の戻りが来たが、今日ようやく我が家の杏が満開になった。ただまだ気温が低く、蝶、蜂、眼白などが来ておらず、受粉できていないので、今年は実がならないかもしれない。また李、ゆすらうめなどはまだ花芽が固く、今年の春は遅い。杏の写真は右側とトップページに掲載しました。

3月22日(火)  「写真でたどる近代文学の奈良」の写真展の紹介
 相変わらず福島原発事故は復旧の進展があるのか、ないのか分からない報道、政府発表を行っている。ただ被災地は少しずつ復興しつつある。今日の中日新聞で懐かしい写真を見た。仙台市市内の一番の繁華街である一番丁のにぎわいを見た。アーケード街にテントによる露店が開かれており、懐かしくもほっとした。こういう写真は救われる。
 ただ毎日家に閉じ籠もっていると、ストレスがたまるばかりである。丁度今日か暖かく、明日から寒気が戻るとの予報だったので、思い切ってストレスから逃れるため、急遽、奈良の平城宮址から秋篠寺まで散歩することにした。あくまで吟行でなく、ストレスから逃れることが目的である。
 平城宮址では大極殿を建造中の内覧会以降のことである。朱雀門に比べ、一寸けばけばしい印象を受けた。それよりもがっかりしたことは大極殿前の芝生、草むらがすっかりなくなって一部舗装されたり、砂利が敷きつめられて、自然がなくなってしまった。自然より遷都祭の観光の方が重要だと思っているのか。ここで詠んだことがある雲雀や草紅葉がどこへ行ったのであろうか。ただ大極殿の東側の宮址はまだそのまま自然が残されており、雲雀が盛んに鳴いていた。
 ここからゆっくりと秋篠寺まで天皇陵、皇后陵などを見ながら歩くつもりが道に迷ってしまい、結局町の中を歩いて秋篠寺に着いた。楽しみにしていた木蓮はまだほとんどが蕾でわずかに少し開いていただけであった。技藝天は昔のままの御姿であったが、出入り口が開けっ放しのためか、埃まみれで綾子先生が詠んだ裳裾の朱色がほとんど見られなかった。さらに淡い色合いを与えてくれる春障子も破れたままで繕いもしていない。せめて障子ぐらいはきれいにしてほしかった。以下の写真は大極殿と秋篠寺の木蓮。


大極殿(立ち入り禁止のところは芝があったが、
それ以外はすべて砂利ばかり)

わずかに咲いていた秋篠寺の木蓮

夜、我が家に帰ってきたら、奈良大学の浅田先生が企画・編集・写真をすべてなさった「写真でたどる 近代文学の奈良」の写真展のパンフレットを栗田先生から頂いたので早速伊吹嶺HPに紹介記事を書いた。「伊吹嶺」誌での浅田先生の「奈良の綾子さん」の連載記事は毎月楽しみであった。またそれをまとめて「伊吹嶺」新年俳句大会で写真付きでご講演いただいたことも楽しい思い出である。今回の写真展では綾子先生ゆかりの写真を多く展示されているというので、是非一度は見に行きたいと思う。詳しい案内は次のホームページに掲載しました。「伊吹嶺」の皆さんは一人でも多く見に行ってほしい。
    http://www.ibukinet.jp/tenji.html

3月21日(月)  中日俳句教室講義録(3月分)
 今日も喫茶店で現代俳句評のつづきを書く。原稿量的には予定量となったので、あとはワープロで仕上げ、校正と文字数調整。
 先週来からいぶきネット句会のMLでのやり取りで、皆さんからネット句会として何か行動したいとの提起を受けて、自然発生的に東日本大震災の義援金受付を始めた。そのうち関東支部の皆さんからこの活動に賛同したいとのメッセージを頂き、ネット仲間の義援の輪が広がっている。さらに皆さんから外部発信して広くネット仲間の活動を広げたいとの提案を頂き、感謝、感謝である。今日の伊吹嶺落書に始めて外部発信してネット仲間に支援のお願いをした。これまでもそうだったが、これからもネット仲間のつながりを大事にしたいと思う。
 今月も旅遊さんから、中日俳句教室講義録を頂いたので、【こちら】に掲載します。今月は栗田先生が担当している中日俳壇の入選句の解説。

3月20日(日)
 今朝、始めて我が家で初音を聞いた。妻は昨日、近くの池で初めて聞いたというが、1日遅れでやっと我が家にも春が来た。
 午後から愛知同人句会。今日は予想していたことだが、東日本大震災の句が多かった。特にその中で多くの共感を得たのが、
    余震なほ続くふるさと彼岸寒  山本光江
 光江さんのふるさとは栃木だそうだ。思いのこもったよい句だ。私も当然採らせていただいた。それにしてもこういう震災の句は難しい。ややもすればTV俳句になり易い。自分の体験に引きつけて詠むことが大事であろう。そういう意味では我が家では妻の兄弟、親戚が皆さん仙台在住である。それについて思いを込めることが必要であろう。(69400)

3月19日(土)
 今月の現代俳句評を書き始める。これを書き始めてから他の結社の俳句と「伊吹嶺」の俳句の違いが見えるようになった。これは私自身の俳句を読む態度として随分と変わってきたような気がする。俳人協会賞を受賞した斎藤夏風氏の『辻俳諧』などを読むと、写生に徹しながら、そこに叙情性も持ち合わせている。また配合の妙も無理がない。自然体で読んでいるようで、細やかな配慮が行き届いている。好きな句だけ抜き書きしたので、これからもじっくりと読んでいきたい。

3月18日(金)
 毎日、福島原発事後のTVを見ていると、胸が苦しい思いがするので、2,3日前からあまり見ないようにしている。とりあえずあまり頭を使わない細切れの仕事を行っている。
 今日はISO審査ガイドラインのうち、「ビルメンテナンス業審査ガイドライン」の中で頼まれていた部分を追補して仕上げる。最近は審査に必要な情報はインターネットから自由に取れる。今回はビル設備管理に関する業務内容、関連法規、必要な公的資格、審査対象となるインフラストラクチャー、法規制に基づく定期点検、検査などの情報を集めて、ガイドラインを作成した。このようなことは左脳を使うだけであるので問題ないが、俳句を作るような感受性が必要な脳の部分は震災のことを考えると全然出来ない。

3月17日(木)
 今日も日中、風花が舞う寒さ。妻の友人で仙台在住の友人は建物は大丈夫で、電気の復旧につれ、電話が通じて皆さん無事であることが分かったが、最後まで分からなかった多賀城市に住んでいる友人が今日無事であるとの電話があった。家から歩いて2分ぐらいのところまで津波が押し寄せてきたという。電気は復旧したが、相変わらず断水で、雨水を溜めて湯を沸かし、身体を拭いたり、洗い物をしているという。被災地の皆さんはもっとつらい避難生活をなさったいる方も多いと思う。福島原発も大きな心配だが、避難者への厚い手がさしのべられることを祈っている。

3月16日(水)
 今日はまた一段と寒くなり、日中でも風花が舞う。そろそろ今月の現代俳句評を書かなければならないが、毎日胸が塞がる状態で書く気分になれない。仕方ないので脳を使わないパソコン業務だけこなす。またこの頃はTVをあまりつけないで、パソコンにCDをかけて景気のよいタンゴを聴いて、気分転換を図る。

3月15日(火)
 TVをつければ、福島原発事故のニュースばかり。現実を直視しなければならないが、TVを見ていると、ますます不安に駆られ、苦しい思いがのしかかって来てついTVを消してしまう。しかし被災地の安否、救出状況、支援状況、医療状況も気にかかる。
 今日、久しぶりにカリンカ句会に出席しようと思ったが、家にいると震災のことが気にかかり、集中できない。気分転換に近くの池まで散歩に出かけたが、寒いものの、季節は確実に春になっている。牡丹の芽が相当伸びてきており、山茱萸、榛の花なども咲いている。また今年は随分遅かったが、初蝶も見る。我が家では日向水木も咲いてきた。これらを材料に俳句を作ろうとしたが、感受性が枯渇してきていて出来なかった。それでも夜、久しぶりにカリンカ句会に出席する。話題は震災の話に集中。句会でも震災を詠んだSさんの句に集中する。(69282)

3月14日(月)
 このところ胸の塞がる毎日が続いている。新聞、TVでの被災地の皆さんを見ると、このまま何もしないでもよいかと思う。一方、私は毎日目先のことをこなすだけの生活が続いている。
 16日までにN社のISO審査計画書の作成する必要があり、1日つぶれてしまった。
 伊吹嶺HPのHP句会の担当をお願いしているMさんは被災地に近いところに住んでおり、申し訳ない気持であるが、連絡したところ電気も復旧したとのことで、今月もHP句会をアップしていただけることとなり、感謝している次第。

3月13日(日)  現代俳句評(3月号)
 名古屋句会。今日は結構良い句に出会えた。
 早めに我が家に帰って、そろそろ仙台も固定電話は繋がるような気がして、近藤さんに電話したところ、自宅にいらっしゃるところに繋がった。元気そうな声で安心した。ただ電力も水道もストップしており、近くの避難所で食料など貰って自宅に籠もっているという。
 また妻の弟、姉の娘、息子の家族など全員無事だと言うことが分かり妻もほっとして一安心。お互いの連絡で電話、携帯電話とも繋がらないため、それぞれ車、バイクなどで一人住まいの姉に家に来てくれたと言うことだ。また姉の家は電気も水道とも復旧しており、同じ仙台でも随分違うことが分かった。
 親戚や句友の無事が確認できたことから、一安心したところ、「伊吹嶺」3月号に掲載の「現代俳句評」をアップするのを忘れていたことに気付いた。「現代俳句評」の内容は【こちら】から入って下さい。

3月12日(土)
 朝起きてからもTVは地震のニュースばかり。その後、姉に聞くと、姉の弟、子供たちとの連絡が取れないという。固定電話も携帯電話とも輻輳でかからない。たぶん無事だと思うが、連絡がつかないのが気がかり。また近藤さんにも電話してみるが、相変わらずの輻輳でかからない。近藤さんはマンション住まいのため、建物的には大丈夫だと思うし、今は避難所にいると思う。昨夜、姉もある年齢以上は強制的に避難所へ移動させられて、夜を過ごしたという。

 今日午後、近藤さんは特設公衆電話から無事だという情報が入り、本当に良かった。地震になると固定電話も携帯電話も一般の通話は規制される。公衆電話などは接続の優先順位が高いため、つながる。そこから近藤さんは電話してきていただいたと言うことである。

3月11日(金)  東日本巨大地震
 山藤句会。句会の最中にゆっくりとした長周期の揺れを感じた。句会はそのまま進め、終わって我が家に帰ったとき、その地震の大きさに驚く。
今日は名フィルの今年度最後のコンサートで、そのまま出かける。今日の曲目はブルックナーの交響曲第3番、通称ワグナー。今日はコンサートの感想を書く余裕もない。
 自宅に早めに帰って仙台在住の妻の姉の状況を聞いたところ、午後6時頃に無事であることを確認した。ニュースでは名取川沿岸が大津波で壊滅的な被害、若林区の荒浜では200~300人の遺体が確認されたという。同様に句友の近藤さんも住所が若林区であるが、海岸からはるか離れ、姉の家からも近いため、大丈夫だと思う。
 他の句友では、茨城県のMさんは停電であったが、ノートPCで無事を知らせて頂いた。また関東支部の皆さんの安否も心配であったが、丁度句会の最中で全員無事であることが分かり、一安心。これらは皆さん自主的にibukinetのメーリングリストでやり取りしたため、すぐ様子が分かり、Yさんはその一部を伊吹嶺HPの落書にその模様を掲載していただいたため、他の皆さんにも無事を配信できた。Yさんの配慮に感謝。
 そのままずっとTVに釘付けであったが、午前2時頃まで、次々と壊滅的な被害のニュースばかり。福島原発のエンジンストップのため冷却水を送れないことが一番の心配。

3月9日(水)
 今日は天候がよいとの予報で、春を探しに出かける。昨夜インターネットを見たところ、名古屋市農業センターの枝垂梅が満開に近いと書いてあったので、昼近く出かける。農業センター近くの交差点に近づくと、駐車場の待ち時間が2時間と言われ、一寸行き過ぎて適当なところで車を止めて20分かけて入場。枝垂梅は丁度満開で、すごい人出。しかし牛の牧場に近づくと急に雪交じりの春嵐。30分近く雨宿りしてからもう全部見る気がしなくて、帰る。結局春を探しに来て、嵐にあった。トップページに今日の枝垂梅を紹介します。たぶん今週末が最高の見頃だと思うが、車で出かける人は駐車待ちを覚悟すること。

3月8日(火)  「伊吹嶺」3月号
 久しぶりにゆっくりと朝寝坊する。「伊吹嶺」3月号もよく読んでいなかったが、いつものように同人作品を読む。まず栗田主宰、
    枯れきつて影の失せたる烏瓜   やすし
 前後の句から静岡支部新年俳句大会の前に谷津の教会周辺を吟行されたもの。その吟行途中、枯れきった烏瓜を見つけた。先生はその烏瓜には影がなくなっていると把握した。実際に秋の烏瓜の盛りでも影があるかどうか分からないが、冬の烏瓜だからこそ影を失った実感が強いのだろう。中七の写生が秀抜である。次に秀峰集から、
   閉山祭河童橋より四方祓ふ    山下智子
   去年今年天眼鏡の塵払ふ     梅田 葵
   子へ渡す風の手応へやつこ凧   櫻井幹郎
   貼り薬剥ぎて手につく霜夜かな   山 たけし
   初笑赤子笑へばみな笑ふ      中川幸子

 山下さんの句、上高地はウエストン祭で本格的な夏を迎え、11月15日に河童橋で閉山祭が行われる。閉山祭では鏡割りなどが行われるが、この句、河童橋から四方にお祓いを行ったことに山への感謝の気持ちが伝わってくる。
 梅田さんの句、1年も終わり、新年を迎えた作者がまず行ったことは天眼鏡を磨いたことである。年を取るにつれて天眼鏡は手放せない。その天眼鏡に感謝を込めながら、新年を迎えた気持を代弁した。
 櫻井さんの句、最近は写生に忠実な句も作られ、本来の力量があることを見せていただいた句である。この句の眼目は「風の手応へ」を子供に渡した感覚的な写生に共感した。
 山さんの句、私もよく経験する句である。季語の霜夜からひんやりとした貼り薬の感覚を感じる。
 中川さんの句、新年になって一家が全員集合したのであろう。その時の主人公は赤子である。「笑ふ」の言葉を3回使っても気にならない。むしろ新年の様子がにふさわしい重ね言葉である。
 次に本来なら遠峰集から好きな句を抽出すべきであるが、毎月、ネット関係の同人句がHPに抽出されているので、そこから好きな句を鑑賞してみた。
   スカイツリー見上ぐる路地に布団干す  関根切子
   秋の蝶風にさらはれさうに飛ぶ      八尋樹炎
   冬空へ納め達磨を放り投ぐ        鈴木みすず
   お互ひの皺よ白髪よ初笑         渡辺慢房
   口ずさむ旧制寮歌欣一忌         中野一灯
   セーターに箒持つ手の隠れをり      河原地英武
   伊吹嶺を桟に透かして障子干す     坪野洋子
   ユトリロもフジタの白も冬めける      矢野孝子

 ネット仲間の俳句は実にバラエティに富んでいる。切子さんの新鮮な感覚、樹炎さんの個性、みすずさんの写生に忠実な句、慢房さんの俳諧味に富んだ個性、一灯さんの博識、英武さんの盲点をついた着眼点、洋子さんの正統派的な写生、孝子さんの好きな絵には他の追従を許さない感覚と写生などと書いてくると、インターネット部には様々な個性を持った集団であり、チームワークも良い。なおHPのネット仲間の俳句の抽出を切子さんに、HPへのアップを玉井美智子さんにお願いしている。その他のページ、いぶきネット句会の運営など全員のご協力でこのHPは成り立っている。感謝する次第である。
(69078)

3月7日(月)  外来魚駆除の看板を下ろした滋賀県(読売新聞11.3.2-3.3)
 今日を最終的な確定申告と会計事務所と約束した日のため、昨日は1日中、1歩も外出しないで頑張ってやっと仕上げる。会計事務所の所長さん(若いが父上の前所長を引き継いで、会計事務所の法人化を行うなど新しい試みを行っている熱血社長)に説明して10分ほどで資料は完璧と誉められる。そのまま帰ろうとしたら、半月ほど前にお願いした娘の確定申告資料が問題だと言われ、それから2時間ほど指導を受けて今年の改善策を相談する。この年になっていつまで娘の面倒を見なければならないか、がっくりとくる。

 ニュースは古くなりますが、滋賀県が変節したニュースを読む。タイトルにあるように「外来魚駆除の看板を下ろした滋賀県」で、内容はこれまで行ってきた「外来魚駆除釣り大会」の看板を単なる「釣り大会」としたことだ。外来魚再放流を主導し続けてきた「日本釣振興会」の圧力に負けて、①「外来魚」「駆除」という言葉を使わない。②釣り愛好家の多いブラックバスではなく、ブルーギル釣りを強調する。などの方針で合意して、6月に釣り大会を行うものである。
 この計画に対して「全国ブラックバス防除市民ネットワーク(ノーバスネット)は「外来魚駆除を明確にうたうべきだ。」とする要望書を滋賀県に出した。こちらの主張は「外来魚駆除という用語を使わないのは駆除に協力しようとする集まる多くの人を欺く」そして①外来魚は駆除すべき、②釣り大会は駆除を行う行為、③外来魚の再放流と禁じる県条例ーの2点の明確な方向を求めているものである。

 
 私はこのニュースを聞いてがっくりと来た。今や国際語となった「もったいない」をスローガンで当選した賀田知事の環境政策に共感していた。そして外来魚再放流禁止条例が成立したことを喜んでいたのに。これでは知事自らが変節したというしかない。数年前大津市で「伊吹嶺」全国俳句大会が行われたとき、ホテルの前で無数の釣り人がブラックバス、ブルーギルを釣っている異様な光景は忘れられない。それ以降全然改善されていないと言うことは「日本釣振興会」などの政治圧力が強いとしか言いようがない。私の日記では少しでも環境保全につながる記事を書きたいのに、今日のような記事を書かざるを得ないのは悲しい。
 なおこの読売新聞は次のHPに掲載されています。
   http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20110302-OYT1T00287.htm (3月2日号)
   http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20110303-OYT1T00557.htm (3月3日号)

3月5日(土)
 チングルマ句会。皆さん、京都、瀬戸、韓国とあちこち意欲的に吟行に出かけている。ただ私が行ったことのない土地であると、どうしても固有名詞が分からない。今日、「やすし俳句教室」を配付したので、来月から1章ずつゆっくりと勉強することにする。

3月4日(金)   「俳句研究 春の号」30句競作第9回入選作品
 ISCの審査員研修。午前の各種連絡事項の他、午後はGDでビルメンテナンス業、警備業の品質マネジメントシステムの審査ガイドラインの作成。前回の研修は欠席してしまったが、2回目のGDで今日中に仕上げる予定であったが、私達のグループは完了せず、それぞれ宿題を貰って追加で関連法規、インフラストラクチャーなどを調べる必要がある。
 夜、やっと「俳句研究 春の号」を開いて30句競作第9回入選作品を読む。「伊吹嶺」では平松公代さんが次席に、石崎宗敏さんが佳作に選ばれる。その感想は本来は私のこのページに書くべきであるが、Yさんに頼まれて、「伊吹嶺」落書に書いた。ここでその内容を別の視点で書くのも面倒なので、「伊吹嶺」落書をそのまま以下に貼り付けます。


2日の出張先で、伊吹嶺落書を開いたところ、孝子さんの「俳句研究 春の号」で30句競作第9回入選作品が発表されていました。この中で平松公代さんが次席に、石崎宗敏さんが寡作に選ばれたとの記事を詠みました。
 出張から帰り、引き続き今日は審査員研修があり、今夜、30句競作の記事を読みました。平松さん、石崎さんおめでとうございます。
 平松さんの次席は「岩戸神楽」でさすが「伊吹嶺」のベテランの味です。写生に忠実で分かり易い句作品です。この中から私の共感した句は、
   霜枯の棚田伝ひに渡御の列   平松公代
   白足袋の爪先拍子神楽舞
   麻の髪麻の衣や神楽舞
   夜神楽や毛臑覗かせ鬼舞へり
   神楽果て布の大蛇の畳まるる

で、いずれも細かく写生しており、しかもその中に感動の中心が捉えられている。2句目の「爪先拍子」の写生に白足袋の白さが浮き立って見える。最後の句は大蛇は実は布だったと言うことが分かる意外性が淡々と詠んでいる。また石崎さんの佳作はわずか7句しか抄出されていないが、いずれも俳句の完成度は高い。写生の中に技巧も見える。
   はだれ野に石と紛るる遍路墓   石崎宗敏
   杖をまづ泉に濡らし腰下ろす
   杖を拭く手拭白し夜の秋

1句目の斑雪に遍路墓を石と対比している取り合わせが妙である。2句目の実際に遍路として歩かない限りこのような実感は浮かばない。遍路に必要な杖に対する愛情が見えてくる。
 「伊吹嶺」の皆さんが頑張った様子が見えるが、入選作品の糸井芳子さんの「何か待つ」の句は我々に持っていない感覚を感じさせる。作者の思いを主観的でなく、言葉の斡旋で共感する。
   何せむと摘む秋草か丈短く    糸井芳子
   川に沿ひ来てまなうらの露けかり 
   何か待つ思ひに落葉焚きをりぬ
   声にせぬ言葉の数や枇杷の花
   冬さうび空をさみしと思ふ日の
   探梅の人恋ふ心地ありやあり

 いずれも言葉の選択に類型がなく、相当推敲されている経緯が分かる。もしこのような作者の持ち味が自然体であればうらやましい限りである。(隆生)


3月3日(木)
 S社の統合審査の2日目。現場確認など、半日で終わる。審査で宿泊した方が楽であるが、さすが疲れた。今日はあとはだらだらで終わる。ただ明日の審査員研修の準備を少し行う。

3月2日(水)
 S社の統合審査。日帰りは可能であるが、一寸遠く、面倒なので近くのビジネスホテルに宿泊する。
夜、妻から連絡があったが、「俳句研究 春号」が届き、「俳句研究」30句競作第9回入選作品に、平松公代さんの「岩戸神楽」が次席に、石埼宗敏さんの「歩き遍路」が佳作に入選されたことを知りました。今は出張先のためには、作品そのものは分かりませんが、平松さん、石崎さんおめでとうございます。

3月1日(火)
 今日から3月。しかし確定申告を控えているが、今日は明日からの審査準備。統合システムであるので、品質と環境の両方を準備しなければならない。私はどちらかと言えば、品質が専門であるので、今日の準備が大変。明日の事業所の特徴であるフロン回収破壊法、建設副産物適正処理推進要綱、浄化槽法などの法規を頭に入れ込んでおく必要がある。(68894)

2月28日(月)
 久しぶりの雨らしい雨。これまでなかなかまとまった時間がなかったが、今日から私の確定申告作業。と思ったが、2日からの審査資料がやっと届いたので、こちらを優先。毎日中途半端な時間しか余らない。

2月27日(日)  ブラームス交響曲第4番(名フィル名曲シリーズ)
 今年の名フィル名曲シリーズは今日のブラームス交響曲第4番で最後。ブラームスの4つの交響曲で好きなのは第1番と今日の第4番。第4番の第1楽章は出だしのむせび泣くような主題がよい。これをヴァイオリンから始まり、チェロと続いてこの主題を何度も演奏する。管楽器にも主題が移り、そして最後に弦楽器の主題に戻り、12分ぐらいがあっという間に終わる。そして次に好きなのは第3楽章。私はあまり音程がよく分からないが、この第3楽章の出だしがド・シ・ラ・ソ・ドの繰り返しのように聞こえ、これが次々と繰り返す。普通一般的な交響曲の第3楽章は3拍子のスケルツオだが、2/4拍子のスケルツオで力強い主題である。これを聞いているだけでも心が浮き立つようである。
 今まで名フィル名曲シリーズは一度も聞いたことがなかったが、今年初めて聞いたが、一人の作曲家に絞った演奏が聴けるので結構楽しい。2011年はチャイコフスキーシリーズなので、また聞きたい。

2月26日(土)
 伊吹嶺編集会議。4月号の編集と6月号の企画。編集が終わった後、以前主に若手の同人、会員を対象「伊吹嶺」誌の企画要望をアンケート、座談会などを行ったが、その結果を2枚の資料にまとめたものを中心に今後の企画を打ち合わせする。意見をお聞きした座談会では積極的によいご意見を頂いたが、すぐに実施できるもの、当面現状で推移を見るもの、実施が困難なものがあり、そこに財政上の問題などがからむので、結構難しい3次元方程式を解くようなことになる。しかし今日決めたことを早速実施するような記事企画も決まり、しばらくした後、「伊吹嶺」誌に反映されると思いますので、よく見ていただきたい。

2月25日(金)
 毎月の定期診察。今日は久しぶりに黄斑変性についても検査して貰う。今のところ進行はしていないとのことだが、今のNTT病院の先生は3月末で終わり、全員医師が変わってしまうし、4月から週2回の診察しかなくなってしまう。またNTT病院も相当年数がたってしまっているし、設備も古くなってきているので、他の病院を勧められる。黄斑変性を始め、眼の検査には今OCT(光干渉断層計)が必要だという。従来の眼底検査しかなかった時代に対してこのOCTは網膜の断面写真や黄斑部の厚さの異常なども分かるという。我が家近くのJA厚生連のI病院にはその設備があることが分かったので、今日すぐ紹介状を書いて貰う。

2月24日(木)
 昨日に引き続き、N社のISO審査の2日目。昨日から4カ所の営業所を回って移動に時間がかかって疲れた。

2月23日(水)  ブラームス交響曲第3番(名フィル名曲シリーズ)
 N社のISO審査。ここの会社はずっとリーダーを担当してきた審査であるが、前回からメンバーを担当することになり、少し負担が軽くなる。 
 審査が1日かかったが、名フィル名曲コンサートがあるため、帰りは自宅に帰らず、名古屋に直行。今日の曲はブラームス交響曲第3番。この曲は第3楽章が映画「さようならをもう一度」のスクリーンミュージックとして有名である。映画はイブ・モンタンとイングリット・バーグマンの主演で、中年の夫婦の不倫がからんだ映画でいかにもフランス映画らしい。映画の全編にこの第3楽章が流されるが、映画の出来は中程度である。
 今日の演奏では、管楽器のもたつきが気になったが、第3楽章のチェロの主題から、バイオリンの主題が交互に流されるのを聞いていると、この主題を聴く度に、中年のイングリット・バーグマンの映像が離れない。他の楽章での感動は今一である。
 なお今回の名曲シリーズではブラームスで構成され、もう次の27日にブラームスの第4番が待っている。

2月22日(火)  中日俳句教室講義録(2011.2.15)
 今週末の編集会議のための資料作り。早くこのような作業は片付けて、私自身の確定申告資料を作らなければならないのだが。
 しかし今日もうららかな1日であったので、1時間ほど妻と散歩。田んぼの畦には犬ふぐり、はこべの花、ホトケノザ、白たんぽぽなど一寸散歩しないうちに随分と春が進んでいることが分かる。鳥ではカワセミ、ツグミ、椋鳥、雲雀など。鴨はもうほとんどいない。
 毎月、旅遊さんから配信していただいている中日俳句教室講義録を頂いたので、【こちら】に掲載しました。折しも「やすし俳句教室『実作の手引』」の発刊されたので、その続編として読んでいただきたい。今月は自選の難しさがよく理解できた。(68722)

2月21日(月)
 23日、24日の審査資料が届いたので、喫茶店で集中的に事前勉強、チェックリストに記入など行う。喫茶店で仕事をする場合、一通り新聞を読んだ後、仕事に没頭できるので、もっぱら書斎代わりに使っている。
 夜、TVを見ていたら、四国八十八カ所巡りの遍路道にゴミを始め、TV、洗濯機、冷蔵庫など粗大ゴミなどの不法投棄が多いという。徳島県ではボランティアによる清掃活動を放映されていたが、大変な作業である。本来は信仰の道であるのに、そこに不法投棄するのでは、信仰心を疑わざるを得ない。

2月20日(日)  やすし俳句教室『実作への手引』
 愛知同人句会。今年から会場を愛知県産業労働会館に変わり、日曜日開催になったので、ようやく出席できることになった。同人句会は半年ぶりの出席。成績は悪い句の例で取り上げられる。それでも客観的に見ることが出来、勉強になる。句会後、皆さんとは久しぶりに会うので、喫茶店で長いおしゃべり。
 これまでの中日俳句教室での講義録をまとめた「やすし俳句教室『実作の手引』」が発刊された。私はまだ注文していなかったが、持っている人からお借りして、伊吹嶺HPに購入して貰うための紹介文を書く。その内容は【こちら】に掲載していますので、これを読んだ方は是非購入していただきたい。不明な点は私にメールしていただいても結構です。
 コンパクトな冊子としてまとめ、句会の勉強会に最適だと思います。私の句会でもこれから少しずつ勉強していきたい。

2月17日(木)-19日(土)
 今日から、八戸に旅行。目的はえんぶり見物と十和田湖。
 1日目は午後に到着後、蕪島の海猫を見たあと、街中の流しえんぶりとえんぶりが説明されている会館で休憩。夕食後、お庭えんぶりを見物。始めて見るため、新鮮な感動を受ける。
 2日目は十和田湖まで出かける。途中、奥入瀬で見る滝は氷結して見事。氷柱の中が青白く光っており、幻想的。十和田湖は雪の中だったが、風がないためそんなに寒さを感じない。
 3日目は八戸の市場で買い物ツアー。午後から新幹線に乗って名古屋へ。この3日間、よく見、よく食べ、よく飲んだため、また体重が増えた。

2月16日(水)
 春になれば山も霞がかかるが、今日は最高の晴れ。朝冷え込んだため、本来は寒晴れや四温晴の季語がふさわしい。今日はうんと遠い伊吹山もかすかに見えた。トップページと本欄に鈴鹿嶺、遠伊吹の写真を掲載します。
 明日から青森に旅行のため、今日は名古屋駅に前泊。


御在所岳(左)と国見岳(間の奥に雨乞岳)

東員町から見た伊吹山

2月15日(火)
 娘の確定申告のため、会計事務所で長時間打合せ。やむ得ずカリンカ句会欠席。
 夜はいぶきネット句会の合評会。今日は参加者が多く、23名。最近は会員さんの発言が多くて進行役をやってもやりがいがある。明日は欠席する予定であるので、今夜中に半数以上進める。新人のレベルが高いため、佳句が多い。

2月14日(月)
 このところまた毎日雪模様。娘の確定申告の最終修正で家に閉じ籠もり。ただ春籠りという季語はないので俳句にもならない。

2月13日(日)
 名古屋句会。みや子さんが欠席してから少人数となり、さみしくなる。今日は大失敗する。午前中に仕事のメールが届き、いろいろ調べているうちにバスの時刻に乗り遅れてしまう。1時間に1本のバスしかないので、急遽、桑名までは車で、名古屋までは近鉄で出かける。それでも20分ぐらい遅刻。余裕を持った段取りが必要なことを痛感。これを本番の仕事でやってはもう審査員失格。
 夜、娘が外国出張から帰ってきて、三重に来て貰って、確定申告の分からないところ、おかしいところを聞いて、資料の修正。

2月11日(金)
 山藤句会。昨日までの暖かさとうってかわって、朝から雪が降り続ける。今日は南の方が雪が多く、久居では道路も積もって駅まで歩くのが危険ということで1名欠席。いつものように「伊吹嶺」2月号をじっくりと勉強。「俳句四季」1月号の記事を基にした「伊吹山房雑記」の「ウソー」の意味が分からない「風」世代がいなくなったことを実感。(68488)

2月9日(水)
 いつもNHK俳句は朝早く放映されるので、録画で見ている。そこに速報としてNHK全国俳句大会のうち、NHK俳句選者の特選句が紹介されていたが、その中でまさに今の私の気持ちそのままの句があった。片山由美子特選の「諦めに費やす一日白障子」である。今年から娘の確定申告の資料作りを頼まれ、すぐ終わるだろうと先週から始めたが、膨大な領収書、収入の請求書、入金確認、通帳の記録すべてなどやっているうちに、間違えて何度もやり直している。まさにあきらめの境地で毎日続けている。部屋は障子のある和室で資料をいちめんに散らかしてやっている。特選句にならって「諦めに費やす日々や白障子」が私の実感である。
 なおNHK全国俳句大会模様は2月12日に放映される。諦めの境地で見ることにする。

2月8日(火)
 毎日、娘の確定申告資料作り。たまたま今月は2回の審査が中止、延期のおかげで時間の余裕があるが、初めての資料作りのため、何度もやり直しをしていつになったら終わるか予想つかない。昨日も1日中家に籠もりきりだったため、今日は少しはウオーキングで気分転換。今は1日1日に春が近づいている様子が見える。これから季語の豊富な季節になると、少しは気分も春らしくなるのだが、我が家に帰ってくると憂鬱になる。
 今月のいぶきネット句会の選句を行ったが、最近は皆さんの投句がよくなってきたような気がする。新入会員でも今まで他の結社で勉強しているような雰囲気を感じる句がある。

2月6日(日)
 日曜日でものんびり出来ないが、何となく気分が乗らず、何もしないうちに夜になってしまう。せめてこれからひと仕事。

2月5日(土)
 チングルマ句会。句会前の連絡事項をやめてから、句会がスムーズに進み、会員の皆さんも選評が出来るようになり、少しは勉強に役立つと思う。
 句会後、日展を見に行く。櫻井真理さん、森怜華さんの作品を見るのが目的。櫻井さんの彫刻は一昨年からモデルさんが若い人に代わり、立春にふさわしい裸婦像。怜華さんの書は中国の字体をすっかりご自分のものとして書かれている。
 ところで最近の日本画と洋画の境目がなくなりつつあるように思う。絵の具が膠と油の違いがあるものの、最近の日本画は画面の一部を具象化して描いているが、全体にイメージで書いているような印象を受ける。一方洋画は画布全体を具象化して描いている作品が多いように思える。抽象画はほとんど見られない。
 句会、日展観覧ですぐ帰っても夜遅くなるので、栄で久しぶりに豆腐料理。

2月4日(金)
 今日は立春。春を探そうと近くのたんぼ道を歩いたが、気温は高いものの春らしい花はまだまだ。ただ畦焼をしている田んぼを一つ出会う。これだけでは明日の句会に持って行く句がない。(26284)
   万燈のまたたき合ひて春立てり    沢木欣一
   笛の音の一気に春を呼びにけり      〃
   春立つとまづは水にも思ふべし     細見綾子
   立春のまだ垂れのつけぬ白だんご  中山純子
   立春の富士よぎりたり大鴉       栗田やすし

2月3日(木)
 一時の強い寒気も緩んだため、どこかへ出かけようと思い、一寸遅いかもしれないが、長谷寺の寒牡丹を見に行こうと、急遽妻と一緒に出かける。風もなく、暖かい春隣の1日。残念ながら寒牡丹はほとんどが終わり、しおれていた。長谷寺の舞台に立ったところ、もう春の風が吹き上げていた。俳句は出来るかどうかは分からないが、なんとかしなければならない。途中句帳を持って歩いていた女性がいたが、「山繭」の会員さんだった。この方も句会を控え句がないので、出かけてきたという。誰も事情は同じだった。右の写真は長谷寺の寒牡丹。

2月2日(水)  「伊吹嶺」2月号
 今日あたりから暖かくなるという。今日も妻と散歩。一昨日と違い、すぐ近くの山田池。ここではカワセミ、青鷺、ジョウビタキ、わずかな鴨で、万助溜とは棲んでいる鳥が違う。
 「伊吹嶺」2月号を愛知支部新年俳句大会で頂いてから、まだ十分読み込んでいなかった。今月も感銘を受けた句を紹介したい。まず栗田主宰、
    己が影踏めば音する寒さかな  やすし
 寒さの音がする発想が私には出来ない。実際には落葉道かもしれないが、それは何も言わないで、「音する寒さ」だけでその情景が分かる。あたかも踏まれた影が音を立てているようである。秀峰集では、
    燐寸の火ほどに木の間の冬没日  梅田 葵
    また一人減りて静かや年忘      櫻井幹郎
    野にこぼす列車のあかり冬めける  清水弓月
    落葉松を透き通りくる冬日かな    山 たけし
    雪嶺に向きシャドーボクシング    近藤文子
    ユキさんと歩きし冬の海を見に    鈴木みや子

 葵さんの句、木の間から透けて見える夕日が燐寸の火と捉えた感覚がよいと思った。季語の「冬没日」がいかにも燐寸の火ほどの頼りないものとした比喩がよいと思った。
 櫻井さんの句、事柄俳句から櫻井さんらしいの人柄がうかがえる。
 清水さんの句、相変わらず繊細な詠みぶりである。列車のあかりを野にこぼすと発見した結果が繊細な情景になった。
 山さんの句、葵さんの句とよく似ているが、冬日の取り合わせとしての「落葉松」がよいと思った。葉をすべて落とした細かいすき間からの冬日がはかなげである。
 近藤さんの句、シャドーボクシングを題材にしたのがユニークであり、「雪嶺に向き」の写生が背景として若さを感じる。この句だけを読むと作者も若い人だと感じるから不思議である。
 みや子さんの句、ユキさんと一緒に歩いた海に来たが、「冬の海」を詠んだのがせつない。ユキさんの回復を祈るばかりである。遠峰集では、
    凍雲や両手で包む紙コップ     渡辺慢房
    友祝ふ紅葉もっとも色づく日    栗田せつ子
    薄墨の筆ペン握る霜夜かな    伊藤範子
    古稀楽し時雨の砂丘駆け上る   都合ナルミ
    白鳥の切手貼り足す欣一忌       〃
    柚子風呂に母わらべ唄口ずさむ  下里美恵子
    子の徴兵語る落葉を掃きながら   矢野孝子
    着ぶくれて星の形の赤子かな    河原地英武

 慢房さんの句、両手を温めたのが紙コップであることが面白く、平常心が伝わってくる。せつ子さんの句はHさんと吟行に出かけたときの句だろうか。綾子先生の句を思い出す。範子さんの句、薄墨の筆ペンだけで友への弔意がよく分かる。省略が効いて、心を抑えているのが伝わってくる。ナルミさんの「古稀楽し」の句、栗田先生の「古稀過ぎて蟻のごとくに砂丘攀づ」をすぐ連想したが、栗田先生の句とは対極的な句である。下里さんの句、母はいつまでも昔から変わらないものだろうか。心あたたまる句である。孝子さんの句、韓国での句とあるが、外国では徴兵制がある現実を痛感する。この母親はどんな気持で落葉を掃いていたのだろうか。河原地さんの句、着ぶくれた赤子の比喩としては意表をついた把握である。

2月1日(火)
 昨日に引き続き、娘の確定申告資料作り。1日中胡坐で仕事していると、疲れる。あと数日間はたっぷりとかかりそう。

1月31日(月)
 相変わらず寒いが少しは散歩も必要ということで、近くの池(山田池)の探梅に出かける。白梅が1本のみ咲き出した。別の池(万助溜)では紅梅が少し咲いていたが、その後の雪にやられてしぼんでいる。白梅の咲き染めを紹介します。またジョウビタキを見つけたが、あまり近く寄ることが出来ないので、画面を拡大すると画質が粗くなってしまう。今日は寒いが、日差しがあったため、ジョウビタキのほか、コゲラ、メジロ、ヤマガラ、シジュウカラ、カワラヒワなど多く見られた。
 なかなか気乗りがしなかったが、今年の確定申告の準備を行うことにした。私の分はそんなに時間がかからないが、昨年から娘の分の出納簿の記録を頼まれていたが、これが結構面倒。夕方から始めたが、2ヵ月分ぐらいしか出来なかったが、結構やり直しが出てくる。初めてのソフトで初めての帳簿付けはなかなか慣れない。


わずかに咲いた寒梅

ジョウビタキ

1月29日(土)  愛知支部新年俳句大会
 一連の各支部の新年俳句大会の最後に、愛知支部が終わった。私は結局関西支部、岐阜支部、愛知支部と3回出席したことになる。今日は出席者180名で、一番の盛況。今日の栗田先生の講演は「師系を語る」で「伊吹嶺」のルーツは子規から始まっている。「風」時代には毎月子規の写生について連載されていたが、平成13年に『子規・写生』が発刊されている。ここで栗田先生は子規の言葉を引用して「結果たる感情を直叙せずして原因たる客観の事物のみを描写し観る者をして之により感情を動かさしむること恰も実際の客観が人を動かすがごとくならしむ」で説明なさっている。このルーツから「風」「伊吹嶺」とつながっていることを分かり易く説明していただいた。そして若いとき「天狼」「寒雷」に入選された句も紹介して頂いた。私もそうだったが、「天狼」時代はまさにガチガチの物を描写した俳句であったことが分かった。ちなみに栗田先生が紹介された私の「天狼」入選句は「青信号点滅そこに霧が混む 隆生」です。
 俳句大会では私はいつもの通り、全く駄目だったが、私が特選に頂いた句は今日披講されて、やはりこの句は特選にとってよかったと思う。その句は、
   鰡飛んで被爆ドームの影崩す  都合ナルミ
 しっかりした写生と、原爆ドームから伝わってくる感動の原点が確かである。確か、ナルミさんは俳人協会全国俳句大会で「母と子の同じ命日原爆忌  ナルミ」の句もあったことから度々広島へ出かけて勉強なさっていたことがよく分かる。その熱心さに頭が下がる。よい句を特選に選ばせていただいた。
 今日のカメラマンの仕事としては各テーブルでの全員写真はヤメとなったので、あまり歩き回ることは不要であった。下の写真2枚は山藤句会のメンバーと今日出席のインターネット部メンバーである。なおさらに詳しい写真は伊吹嶺HPの落書に掲載したので【こちら】から入って下さい。(68117)

1月27日(木)-28日(金)
 H社の統合システムの審査。伊勢市まで出かけるため、まだ朝暗いうちの出発で、身体が朝寝坊になれているため、起きるのがつらかった。審査はまだ昨年認証取得したばかりであるので、まだまだ未完成。それにしても今年一番寒いときに工事現場に出かけるのはつらい。

1月25日(火)
 今日から、確定申告の資料の打ち込み。最初は娘の出納簿で膨大にある。
 今日、昔のNTT勤務時代の春日井市在住の原科一隆さんから、写真展の展示作品集を頂いた。若いときから写真に熱中しており、各写真展や個展で多くの作品を発表なさっている。あまりにきれいな写真なので、ご本人に了解を得てトップページと右に写真集の裏表紙の「厳冬の美ヶ原」からトリミングして掲載します。こんな寒そうなところへは出かけたことがないが、ここには本当の自然がある。

1月24日(月)  中日俳句教室講義録(1.18)
 今週、H社の統合システム(環境+品質)の審査があるため、そろそろ統合マニュアルの文書レビューを行い、チェックリストの作成に取りかかる。
 今月の中日俳句教室は1月18日に行われました。旅遊さんから講義録を転送していただいたので【こちら】に掲載しました。興味のある方は是非勉強していただきたい。

1月23日(日)  俳句は一点主義
 昨日の編集会議で話題になったことの1つに沢木先生が強調されていた「一点主義」のことであった。
 「雉」12月号の「風鳥園雑記」で田島主宰が「一点主義と草の芽俳句」について書かれており、沢木先生の『俳句の基本』の中にある「一点主義」を紹介なさっている。そのうち沢木先生の書いている一部を紹介すると、

 俳句の上で二物配合ということが昔から言われているが、初めは一物重点主義がよい。そのためには雑多なものの中から一つを選択する決断が大切である。これは実際にやってみると、容易なことではない。大変忍耐をようすることであるが、一度はくぐらなければならない関門である。まずは多くの事象の中から一点を選び、一句に仕上げることから始めるのがよい。

 そして田島さんは〈鶏頭の影地に倒れ壁に立つ 林徹〉の句も一点主義の凝視から生まれたに違いない。とおっしゃっている。
 この意見には私も全く同感で、一物で如何に写生することが大事で、しかも難しいことを実感している。沢木先生の『俳句の基本』をもう一度読み直すことが必要だと思う。
 今日は岐阜の町内会の新年食事会で、我が家に帰ったのは最終バスぎりぎりであった。

1月22日(土)
 「伊吹嶺」編集会議。今日は栗田先生は俳人協会賞の選考会に出かけて不在の上、せつ子さん、岳人さんも欠席のため、少人数で編集、企画を行う。先月、比較的若い同人、会員の皆さんに今後の企画案について聞く意見交換会が行われたが、いずれ来月栗田先生と交えて結論づけることにして、今日はフリーディスカッションだけを行った。とにかくせっかく皆さんからの貴重な意見を大事にして反映したい。
 なお夜、新聞のweb版を見たところ、今年の俳人協会賞は斎藤夏風氏の『辻俳諧』に決定したとのニュースを見た。丁度1年前このようにして栗田先生の俳人協会賞受賞記事を読んだことを思い出した。もうはるか昔のように思えた。(67959)

1月21日(金)  ドヴォルザーク交響曲第9番(名フィル定期コンサート)
 J社の環境審査の2日目。今日は午後2時半に終わったので、あわてて帰ってそれから名古屋に出かける。名フィルコンサートはドヴォルザークの交響曲第9番。超有名曲でじっくり楽しめた。この曲は「新世界より」との副題があるのは皆さんのご存じのことと思う。 ドヴォルザークがアメリカのナショナル音楽院の院長に派遣されたとき、黒人霊歌をよく聞いてその感銘をこの曲に仕立て上げたと言われている。黒人霊歌の民族性をボヘミア音楽の民族性に同様のものを見出していると言われている。しかし今日改めてこの曲を生演奏で聴くと、私はむしろアメリカに滞在して作曲したこの曲は、ボヘミアへの郷愁が漂っていると感じて作曲したように思えた。いわばアメリカでボヘミアへの思い出を作曲すると、こういう音楽になると思った。特に第2、3楽章にそれが強いと感じた。そんなことを考えながら聴いていると、いつの間にか、演奏は終わっていた。
 帰りのバスで今日のパンフレットを読んでいると、「創作と盗作のはざまで」というコラムを読んでいると、ブラームスのハンガリー舞曲がジプシーの曲を聴きながら、その着想を元にこの曲を発表したため、この曲は盗作であると訴訟を起こされたという記事があった。結局はブラームス側の勝訴になったが、ドヴォルザークはこの事件の記憶があったのか、第9番には、「アメリカの旋律の精神に従って書いたが、黒人の主題を使っていない。」と発言している。そういう背景があったとしても私はどの部分が黒人霊歌の旋律があるのか分からない。ただ全体のメロディからボヘミアへの郷愁交響曲と感じた。聴衆がそれぞれ自分の感性に従ってこの曲を聴き、感動すればよいことだと思った。
 なお帰りにカラヤン演奏のCDがあったので、衝動買いして帰った。

1月20日(木)
 今日と明日で、J社の環境審査。環境審査は久しぶりなので、少し緊張する。しかし午後から慣れる。

1月19日(水)
 こんなに寒い日は1日中炬燵のお守りがふさわしい。「伊吹嶺」原稿の仕上げ。また明日のJ社の審査のための環境マニュアルがやっと届いたので、事前チェックとチェックリストへの書き込みで夜遅くまでかかってしまう。

1月18日(火)
 毎月の定期診察。これに合わせてカリンカ句会に出席。診察の先生が救急患者を診ていたため、診察が大幅に遅れ、カリンカ句会にはタクシーでぎりぎりに間に合う。俳句の在庫がないため、診察の待ち合わせ時間で作ったため、成績はさんざん。

1月17日(月)  阪神忌
 今朝、起きるとまた一段と雪が降ったらしい。午前中に測ったら、積雪量35cmとなっていた。こういうときは田舎に住んでいる実感がする。道路は車はもちろん歩くことも出来ないので、1日中家に閉じ籠もる。また今日は阪神淡路震災の16年目。はや16年の過ぎたかと思うと、感慨深いものがある。当時はまだNTT現役時代で、関西支社の隣である名古屋支店からも通信設備の復興のため、毎週メンバーを入れ替えて1週間単位で、若い社員を派遣させたことを思い出す。彼らにとって1週間は相当きつい仕事で夜は電話局の機械室で雑魚寝しては、また翌朝復旧に出かけていたとのことであった。また復旧地へ出かけるときは道路も遮断状態のところも多く、バイクが一番便利な乗り物であったが、これに通信線路を担いで出かけるのも体力の限界を超えていた。
 
 昨日で、一連の俳句関係の行事が終わったので、いよいよ今月の「伊吹嶺」原稿に取りかかる必要が出てきた。だらだらとやっているため、結局今日は下原稿を書くだけに終わってしまった。
  何いそぐことなき雪の日暮れなり  綾子
  雪止んで日差しを給ふ技藝天     〃

1月16日(日)  岐阜支部新年俳句大会
 2日間連続で今日は岐阜支部新年俳句大会に参加。こちらは気楽参加できる。ただ朝起きたとき大雪で15cmの積雪で、高速道路に出るまでのチェーンタイヤによるのろのろ運転などで岐阜駅に着いたときは集合時間ぎりぎり。俳句大会では坪野さんが当然のごとく、栗田主宰の特選。ちなみに私が特選に選んだ句は、栗田主宰の句であった。
 会場の大野町ではそんなに雪が降っていなかったが、名古屋駅に着くと東名阪道は大雪のため、道路閉鎖、近鉄ダイアは大幅な遅れ、桑名から東員町まではどんどん雪が降り積もり、結局は岐阜駅から我が家まで4時間近くかかる。最後のバス停から我が家まではすっかり雪に覆われ、人の足跡も見ることが出来なく、記憶を頼りに歩道を歩く。先ほど積雪を図ったら、30cmを越えていた。次の句は坪野さんの主宰特選の句。
   若菜摘む流れの光顔に受け  坪野洋子

1月15日(土)  関西支部新年俳句大会
 関西支部新年俳句大会に出席。今年から新年大会は支部ごとにするとの取り決めで一番小さな支部でも単独でしなければならないのがお気の毒。せめて少しでも関西支部の皆さんに喜んで貰えるよう、講演依頼を引き受けて参加した。支部長の巽さんとはチングルマ句会での山行きで始めてお会いした依頼のおつきあいである。
 講演内容はとりあえず「『海光』と沖縄」として、栗田主宰の全句集『伊吹嶺』『遠方』『霜華』『海光』そして『海光』以降における沖縄を詠んだ句の中から、栗田先生が沖縄をどのように詠み、どのように変わっていったかを雑談風に話した。この話の下地となった『海光』鑑賞やこの独り言日記の記録が随分と役に立った。反応はお世辞かもしれないが、よく分かり、沖縄の花のことをもっと知りたいなどを感想に言われた。少しでも役立ててよかったと思う。
 講演、句会の後、隣のホテルでの夕食、歓談して皆さんとお別れした。我が家に帰ったときは夜の9時半過ぎであった。

1月14日(金)
 山藤句会。今年初めてで、恒例の昼食しながら雑談とゲームで新年らしい雰囲気で始める。勉強は「伊吹嶺」1月号と「俳句四季」の下里さんの綾子先生の鑑賞文章で行う。ただ寒くて、会場は暖房もなく、電気ヒーター2台で暖をとる。それでも熱心に勉強して時間を忘れて行った。(67757

1月13日(木)
 ISO審査の判定委員会。T社とN社の2件の審査結果を報告し、審議して貰う。2件とも問題なく承認される。これでしばらく私がリーダーを担当する審査がない。メンバーとしての審査は毎月、2,3件は続くが、一休みといったところ。
 判定委員会の帰り、いつものように白子の海岸に寄る。今日は寒いが、波がなく穏やかな寒の海。1句でも作ろうと思って寄ったのだが、あまり穏やかすぎて収穫はなし。しかし誓子は自宅から白子の海を見、そして散歩の毎日だったと思うが、こういう単調な生活の中で毎日俳句を作る覚悟がすごいと思う。『激浪』『遠星』時代の句は、毎日の日付が前書きになっている。それを読むとほとんど毎日数句並んでいる。また『激浪』は桂信子が詳しい分析をしているので、もう一度読む必要があるかもしれない。それに引き替え、私のようにあまり穏やかな海だったので、1句も出来なかったでは言い訳にならない。
 以下、どの句集の時代か分からないが、誓子が三重に在住時代らしき冬の句を抜き書きしてみた。
   冬浜にひとりのわが身紛れたる   誓子
   冬浜の満天星に昴の綬        
   雪片の高きより地に殺到す 
   海に出て木枯帰るところなし
   暗闇に雪が降るなり身のまはり
   土手を外れ枯野の犬となりにけり
   投函の後ぞ寒星夥し

 など書ききれない。

1月12日(水)
 今日は何もないが、明日の判定委員会の発表の下準備。

1月11日(火)
 O社のISO更新審査。この会社は2年ぶりの審査だが、QMSの改善が見えなかった。寒い1日で、こういう時の工事現場確認はつらい。

1月10日(月)
 栗田先生が所用で不在のため、「伊吹嶺」校正のお手伝い。いつも伊吹集の俳句を校正することにしているが、最近は随分と文法の誤りがなくって来た。電子辞書を見て、俳句を作れば間違いがなくなることを知ってほしい。

1月9日(日)
 名古屋句会。みや子さんが出席されないのはさみしい。ユキさんの容態も気になる。ささやかなメンバーで行う。

1月8日(土)
 チングルマ句会。新年とあってほとんどのメンバーが出席。今年から幹事、編集も代わり、今年に期待したい。特に今年から、なるべく句会の勉強を多くしたいとの趣旨で進める。これまで同人だけの講評だったのを会員さんにも講評をしていただく。それにより真剣に選句することにもつながることになると思う。
 句会の勉強方法はいろいろあるが、チングルマ句会のようにメンバーが多いとこういう勉強方法で当分続けることになるだろう。(67620)

1月7日(金)
 本来なら、今日審査に出かける予定であったが、受審事業所の都合で延期。1日空振りに終わってしまう。その埋め合わせとして、孫たちが来たため出来なかった妻の誕生日として、ゆっくり温泉に浸かり、寿司屋で夕食。本来はもっと豪華にやりたかったが、妻の希望でこんな簡単なことで済ます。ただ二人で出かけてもなかなか日常から抜け出した1日を過ごすことは出来ない。

1月5日(水)
 今日、1日中引きこもって先月欠席した審査員研修の欠席レポートを書き上げる。たとえ欠席しても審査員資格維持のためのCPD記録が必要となるので、必ず書かなければならない。そのため、当日の資料を頼りに自分の理解したことを書く。これがまた時間がかかることこの上ない。

 「伊吹嶺」1月号が届いていたが、なかなか読み切ることが出来なかった。共感した句などの感想を書いてみたい。
   みはるかす白き炎の甘蔗の花   やすし
   花甘蔗の風に死霊のささやける    〃

 栗田主宰の句、沖縄へ同行させていただいたときの句である。この頃は甘蔗の花が満開の時で、よく晴れた日差しの中で白く輝いた甘蔗の花が印象に残っている。それを「白き炎の」と捉えた感覚が真似できないと思った。また「甘蔗の花の風に死霊がささやく」などと言える感覚が私のように表面的にしかものを見ない者には詠めない。秀峰集では次の句に惹かれた。
   身籠もりの土偶に雲母(きら)や晩夏光   山下智子
   キリストの釘の手に触れ秋の蝶        梅田 葵
   きり出せしあとの沈黙みかん剥く          〃
   そぞろ寒ことりと手紙落つる音         清水弓月
   ふるさとの風の音なりひょんの笛       近藤文子

 山下さんの句、尖石遺跡にご一緒させていただいたときの句。縄文時代は女性の妊娠は敬われていた。土偶に見えた雲母のような光に神々しさを感じたのであろう。
 梅田さんの句、最初の句はどういう情景でキリスト像に触れることが出来たか分からないが、キリストの釘の手に触れた蝶に畏敬の念を感じたのであろう。秋の蝶との取り合わせが哀れである。この句を読むと「万緑や我が掌に釘の痕もなし  誓子」を思い出す。誓子の釘の痕は硬質な哀しみであるが、葵さんの釘の手はしみじみとした哀しみである。2句目はまさに実感のある句である。特に私のような口べたは話し始めたはよいが、後が続かなくて、蜜柑を剥くことしかできない感覚に共感した。この句は一寸つらいことを話さなければならない場面であるが、やはり後が続かない情景を蜜柑を剥くことで表現する味わいのある句である。
 清水さんの句、手紙が落ちることにも秋の暮れを感じた感性に感心するとともに、句材はどこにもあることを教えてくれる。
 近藤さんの句、今年から秀峰集で発表なさることになったが、適任である。近藤さんのふるさとは三河地方であると聞いているが、愛知県にはどこにもひょんの実が取れる。仙台に住んでみると、ふるさとが思い出される。それはやはりひょんの笛を吹いているからだろう。それをただふるさとと言わないで、「ふるさとの風の音」と把握したところが秀抜である。 遠峰集では次の句に惹かれた。
   喫水の草に花咲くむすびの地    宇佐美こころ
   歳時記の師の名辿れり欣一忌   夏目悦江
   陣場野は現の証拠の花浄土    栗田せつ子
   菊日和金の茶釜に湯が沸いて   森 靖子
   師の句碑をすべる紅葉を栞とす   都合ナルミ
   墨捏ねる一人一畳時雨来る        〃
   窓越しに遠き秋空見て病める    下里美恵子
   一本の茶杓観に行く神の留守    矢野孝子
   志士駈けし伏見の路地に酔芙蓉  巽恵津子

1月4日(火)
 いつものことだが、二男は毎年奥さんの実家に帰って長居をしているが、いきなり今日名古屋に帰る途中我が家によるという電話。急なことなので、まず我が家でゲームで楽しみ、夕食は外食。これでやっと一連の正月行事は終わる。いよいよ本格的に、俳句、仕事モードに切り替える必要がある。

1月3日(月)
 年末年始ともどこへも出かけず、TV漬けに毎日。特に箱根駅伝はついつい最後まで見入ってしまう。18年ぶりの早稲田大学の優勝。18年前は渡辺監督が1年生の時の優勝で、私もマラソンをやっている最中でよく覚えている。午後から妻と一緒に近くの池まで散歩。少し池を一周して歩数を稼ぐ。
 宿題となっていた前回欠席した審査員研修の欠席レポートを書くため、一通り読むが、ついついTVを見てしまう。
 そろそろ今週末の句会のために俳句も揃えないと駄目。

1月2日(日)
 昨日は、伊吹嶺HPのリニューアルのため、1日がつぶれてしまった。今日は私のHPのリニューアルに取りかかる。今夜は長男一家が来るので、今のうちに片付けておきたい。
 HPの切替が終わってから、中途半端に時間が余ってしまったので、今週のO社の審査準備、チェックリストの書き込みをして、丁度終わったときに長男一家と娘が来る。孫と延々とゲームに付き合って夜遅くになってやっと帰った。

1月1日(土)
 このHPを読んでいただいている皆さん、あけましておめでとうございます。
 この2,3年前から、私のHPと伊吹嶺HPの掛け持ちをしているため、なかなか自分のHPに話題を入れることが出来なくて申し訳ないと思っている。しかし自分のテーマとして決めた俳句と環境については出来る限り書いていきたい。
 昨年の大きな動きとして、名古屋で行われたCOP10(生物多様性条約締結国会議)はある程度日本の役割を果たしたのではないかと思う。その一方、COP16(気候変動枠組み条約締結国会議)では結局何も前進がなかった。京都議定書の延長問題、新しい枠組みの方向など何も決められなかった。
 
 朝起きたとき、うっすらと雪が積もっていたが、朝日が差して穏やかな新年。午前中は伊吹嶺HPの新年用に切り替えるのに、時間がかかってしまった。そのあと年賀状の返事を書いているうちに、ほぼ1日が終わってしまう。
 毎年、1月1日の各新聞を購入して読んでいるが、各社の社説を読むとあまり明るい話題はない。中日新聞(歴史の智恵、平和の糧に)、朝日新聞(今年こそ改革をー与野党の妥協を)、毎日新聞(2011 扉を開こう 底力に自信持ち挑戦を)、日本経済新聞(世界でもまれて競争力を再び)などと今の閉塞感をスタートにした社説で明るい話題はない。身内の争いばかりに目を付けるのでなく、毎日新聞のように自信を持つことが必要かもしれない。ただその具体的な方策については観念論だけで済ませているのが、今の日本にその力がないかもしれない。このままの日本に大きな不安を感じるのは私だけではないと思うのだが。(67434)