中日俳句教室講義録(05年〜08年)

毎月、中日ビルで「伊吹嶺」中日俳句教室が行われており、最初に栗田やすし先生による30分の講義がある。これまで伊藤旅遊さんが俳句談話室4号館やいぶきネット句会メンバーに講義録が配信されていたが、栗田先生、伊藤旅遊さんの了解を得てこのページに再録することにした。伊藤旅遊さんありがとうございます。
 一応このページはずっと格納しておく予定であるので、いつでもご覧下さい。

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08年分 07年分
12 08.12.16 俳句のポイント 12 07.12.18 先師の言葉
11 08.11.18 詩とふるさと 11 07.11.22 前回の講評
10 08.10.21 一句のポイント 10 休会
08.9.16 わが師沢木欣一を語る 07.9.18 助詞の〈の〉
08.8.19 『沖縄吟遊集』を読む 07.8.21 音便について
08.7.15 俳句の推敲10箇条(続) 07.7.17 推敲
08.6.17 忌日を読む 07.6.19 写生と説明(助詞の働き)
08.5.20 助動詞「けり」を考える 07.5.15 軽率に俳句を作るな
08.4.15 作句の文法(上・下2段活用) 07.4.17 即物ということ
08.3.18 作句の3つの原則 07.3.20 碧梧桐の句
08.2.19 写生 07.2.20 選句
休会 07.1.15 先達の言葉から
06年分 05年分
12 06.12.19 推敲のポイント 12 05.12.20 物か事か
11 06.11.21 「風」系俳句の現状と未来 11 05.11.15 季語は1つか
10 06.10.17 川柳と俳句 10 05.10.18 俳句の推敲10箇条
06.9.19 切れはあるかU 05.9.20 俳句の基本とスランプ
06.8.8 選評特集U 05.8.16 俳句の基本
06.7.18 選評特集 05.7.12 即物具象
06.6.20 俳句の基本再読 05.6.21 作句のポイント
06.5.16 切れのある俳句 05.5.17 伊吹嶺俳句の基本
06.4.18 選句テストと文法 05.4.19 月並みを脱せよ
06.3.15 芭蕉の言葉について 05.3.16 日本の言葉
06.2.14 言葉は適切か 05.2.15 文語文法 完了の助動詞「り」
06.1.17 切れはあるか  05.1.18 偶然をつかむ力


2008年分

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      2008年12月

12月16日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。本日の講義のテーマは「俳句のポイント」です。
 本日は「俳句のポイント―――確かな把握」というテーマでお話をしてみたいと思います。本日のプリントとして、俳句の一部に空欄を作ったものを用意しましたのでそれを見てください。
  @   踏切番の灯より□□□□春の月
  A   黒土にひかり□□□□冬の蜂
  B   デパートに□□□□□□□めざし買ふ
  C   □□のごと紅葉を描く戦後の子
  D   七夕竹□□□のごとし原爆地
  E   鬼灯を□□□袋に里帰り
  F   病む人へ□□□□□□□□肉と炭
  G   蕗の葉を□□□粘土の指拭ふ
  H   刈り伏せて光□□□□麦畑
  I   西日中□□□□金魚つひに死す
  J   冬の雨しみの□□□□土の壁
  K   □□□□□秋吉台の帰燕かな
  L   □□□□□桜榾焚く白毫寺
  M   花ゆうな□□□転がる祝女(のろ)の島
  N   蛍飛ぶ□□□□□□□千枚田
  O   露けしや□□□□小さし納戸神
  P   紙漉女□□□□紅葉漉き込めり

 さて、このプリントは、□の中に適切なことばを入れよという問題ではありません。これらの句の□の中にことばを入れるというのは、非常に難しいと思います。この場で、ことばを入れながら、俳句のポイントということを考えてみようと言うのです。
 俳句の写生というのは、その場にあるものをそのまま詠めば良いとは言いますが、しかし、それだけでは充分ではなく、俳句にはポイントが必要なのであって、ものを見てはっと驚くものがないと面白い俳句とは言えません。俳句の上達のためには、先人の名句を沢山覚えることだと言われていますが、単に覚えただけでは駄目で、その句のポイントは何かを考えてみないといけません。
 今からプリントを見て行きますが、このプリントの11番までは沢木先生の句です。それぞれの句のポイントは何か考えることにします。まず@から考えてみましょう。
@   踏切番の灯より□□□□春の月(踏切番の灯より明るき春の月)
「踏切番の灯より」ですから、「春の月」とその「踏切番の灯」との対比がされていることは読み取れるでしょう。沢木先生は、ここを「明るく」とされました。これによって、その場の情景がたいへんにはっきりと分ります。即ち、それがこの句のポイントです。
A   黒土にひかり□□□□冬の蜂(黒土にひかり集めて冬の蜂)
 次の句はたいへん難しいと思います。ここは「集めて」ですが、このところを「集めて」とは、なかなか言えないだろうと思います。しかし、「集めて」がこの句のポイントで、読者の目はその一点に集中するのです。
B   デパートに□□□□□□□めざし買ふ(デパートに乾ききつたるめざし買ふ)
 これはなんでもない日常風景の一齣ですが、めざしを「乾ききつたる」とはっきり描写したのがこの句の優れたところです。対象をよく見て、それを正確にことばに置き換えることが大切であると言いますが、この句はまさにそのお手本となる句です。
C   □□のごと紅葉を描く戦後の子(火事のごと紅葉を描く戦後の子)
 この前の大戦の後のことで、現在ではわかりづらいかもしれませんが、その時代の子供のことを素材とした句です。「火事」ということに先生のおもいが託されているのです。
D   七夕竹□□□のごとし原爆地(七夕竹弔旗のごとし原爆地)
 これは有名な句ですので、知っているという人もみえるでしょう。「弔旗」に先生の原爆被害者へのおもいがこもっており、この句のポイントとなっています。CとDは比喩の句です。沢木先生の句には、「〜のごと」という喩えの句がよくあります。比喩は詩を生む一つの方法ですが、これは一つ間違えるとまったく理解されないということにもなります。比喩を読者に納得させるのが大変に難しいのです。「林檎のほっぺ」とか「鈴を振るような声」では、手垢が付きすぎて誰にも相手にはされませんし、あまりに離れすぎているとその比喩が何のことなのか分ってもらえないことになります。誓子は飛躍が大きいほど詩になると言っていますが、余りにも大きすぎると独りよがりになるということも承知しておくべきことです。
E   鬼灯を□□□袋に里帰り(鬼灯を紙の袋に里帰り)
F   病む人へ□□□□□□□□肉と炭(病む人へ風呂敷包の肉と炭)
 日常の句です。正確に対象をとらえている句です。Fでは、これも戦後の貧しい時代の句ですので、少し分りづらいかもしれません。
G   蕗の葉を□□□粘土の指拭ふ(蕗の葉をちぎり粘土の指拭ふ)
 この句ならわかるかも知れませんが、どうでしょうか。「蕗の葉」ですから、そのものの大きさを考えると、ここはどうしても「ちぎる」です。「摘む」では「蕗の葉」の質感が出ません。蕗より小さな葉では「ちぎる」とは言えないでしょう。
H   刈り伏せて光□□□□麦畑(刈り伏せて光失ふ麦畑)
 「失ふ」は素晴らしいと思います。刈られる前の麦と刈られた麦との違いが、この一語によって実にはっきりと分り、その情景が目に浮かびます。この句のポイントとなる一語です。
I   西日中□□□□金魚つひに死す(西日中片目の金魚つひに死す)
 これは意外かもしれませんが、「片目の」です。片目でも元気よく泳いでいた金魚が死んでしまったということですが、この「片目の」に先生の金魚に対するおもいがこもっています。
J   冬の雨しみの□□□□土の壁(冬の雨しみの拡がる土の壁)
 この句も有名な句ですので、知っている人もいるでしょう。私は、この句は即物具象のお手本のような句と思います。写生の極みとでも言いましょうか、ものの本質、即ち土の壁をきっちりと捉えた表現です。普通には「染み込む」などとやってしまうと思いますが、それを更に一歩突っ込んで、「拡がる」と見たのは優れた俳人の目です。このような句は、たいへんに地味な句で、句会に出されるとこうした句を採る人は多くはないだろうと思います。
 さて、ここまでが沢木先生の句でして、次からは私の句になります。
K   □□□□□秋吉台の帰燕かな(低く飛ぶ秋吉台の帰燕かな)
L   □□□□□桜榾焚く白毫寺(穴掘つて桜榾焚く白毫寺)
 この二句は、それぞれ□のところにポイントがあります。
M   花ゆうな□□□転がる祝女(のろ)の島(花ゆうな錆びて転がる祝女の島)
 これは沖縄の句ですので、分らないという人もみえるでしょう。 
N   蛍飛ぶ□□□□□□□千枚田(蛍飛ぶ闇の底なる千枚田)
 闇に覆われた千枚田を詠んだ句です。
O   露けしや□□□□小さし納戸神(露けしや煤けて小さし納戸神)
P   紙漉女□□□□紅葉漉き込めり(紙漉女今年の紅葉漉き込めり)
 去年の紅葉では色を失ってしまっているので、ここは「今年の」として、紅葉の色をはっきりとさせたわけで、これがこの句のポイントです。

 今日の初めの方で申し上げたことですが、俳句の勉強のために、先達の句集を読むことは非常に大切なことで、これはみなさんにも是非実行してほしいことです。しかし、ただ単にその句集を読み流してしまっては、ほんとうに読んだことにはなりません。それぞれの句にあたって、その句のポイントはどこか考えながら読まねばなりません。句を自分なりの把握し、理解しなければなりません。このように句集を読む習慣を身につけるならば、今度は、自分の句の自己診断が出来るようになると思います。

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    2008年11月

  11月18日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。本日の講義のテーマは「詩とふるさと」です。
先週、西尾で「詩(うた)とふるさと」というテーマで講演をしたのですが、本日は、いつもの俳句の話とは少し離れるとは思いますが、その講演の概要をお話しようと思います。ここで「詩」と言いましたが、この「詩」は、「詩、短歌、俳句」をすべて含んだ意味としてお話をしてゆきます。
さて、ふるさとを詠んだ詩人、俳人はたくさんいます。

ふるさとに帰りてくれば庭隅の鋸屑の上にも霜ふりにけり  斉藤茂吉
茂吉はふるさとを懐かしく思ってこの短歌を詠んだのでしょう。

旧里や臍の緒に泣くとしの暮  芭蕉
古郷は蠅迄人をさしにけり   一茶
詩人によって、ふるさとの表記はいろいろとなっています。また、必ずしも懐かしいばかりの所ではないということは、一茶の句をみればわかります。
ところで、「ふるさと」と言うときに、次の四つの概念でまとめてみることが出来るかもしれません。

@ 《 望 郷 》
ふるさとの春の入日を思ひつつこの平原のわか草に立つ  金子薫園
 まさしくこの短歌は望郷の歌です。
   望郷五月歌   佐藤春夫
塵まみれなる街路樹に
哀れなる五月来にけり
石だたみ都大路を歩みつつ
恋しきや何ぞわが古郷
あさもよし紀の国の
牟婁の海山
夏みかんたわわに実り
橘の花咲くなべに
とよもして啼くほととぎす
心してな散らしそかのよき花を
朝霧か若かりし日の
わが夢ぞ
  ・・・・・・・・・
 佐藤春夫の生まれは、この詩でわかるように和歌山県です。彼は都にあって、遠く故郷への思いを詠っているのです。

 A 《 故 郷 喪 失 》
   小景異情 その二   室生犀星
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしやうらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
 犀星は、どんなことがあっても故郷は帰るところではないと詠っています。言わば、彼には故郷はないということで、この詩は故郷喪失の詩と言ってもよいでしょう。

 もう一人の故郷喪失者は石川啄木です。『一握の砂』の中には、そのような短歌が数々あります。
かにかくに渋民村は恋しかり
おもひでの山
おもひでの川

石をもて追はるるごとく
ふるさとを出しかなしみ
消ゆる時なし

ふるさとの土をわが踏めば
何がなしに足軽くなり
心重れり

ふるさとの
村医の妻のつつましき櫛巻なども
なつかしきかな
 上記「ふるさとの土」の歌はこの間の屈折した心情がよく出ています。故郷へ帰れば、身体は何か軽やかな感じをするのだが、心はたいへんに重くなると言っているのです。

   『自嘲』   種田山頭火
うしろすがたのしぐれてゆくか
うまれた家はあとかたもないほうたる
おもひでがそれからそれへ酒のこぼれて
 「昭和六年、熊本に落ち着くべく務めたけれども、どうしても落ちつけなかった。またもや、旅から旅しつづけるばかりである」と、山頭火は記しています。

B 《 家 郷 》
「家郷」という言葉で、ふるさとを言う場合がありますが、この場合は、ふるさとと言っても、それは自分が生まれた土地という意味ではありません。
郭公や韃靼の日の没るなべに
ひとり膝を抱けば秋風また秋風
妻とあればいづこも家郷梅雨青し
 これは山口誓子の句です。彼は京都の生まれですが、幼い時から事情があって祖父に引き取られ、樺太で育っています。成長して、学生時代には生まれた京都へ戻って三高に入るのですが、京都を故郷とは考えていないのです。彼には、母の味の記憶がないのです。そして、故郷の記憶もありません。それ故に、妻といるこの家がすなわち家郷であるという句を詠んでいます。家郷という言葉には誓子なりの思いがあるわけです。

 C 《 母 郷 》
ふる里の雨しづかなり母も吾も悲しきことは今日はかたらず  小泉千樫
いがら饅頭黄なり雪降る母の国   加藤楸邨
桜の実垂れて暮れざり母の町    大野林火
母いつも手庇をして青嶺見し    長谷川双魚
冬霧の鷺の白さを母郷とす     橋本鶏二
雪の底眼を病む母や雛祭      沢木欣一
北国の桜色濃し母の家       沢木欣一
 私は、母郷という言葉が「故郷」の本質を突いている言葉と思います。即ち、生まれ故郷というよりは、母親との最も深い思い出のある場所が母郷なのです。沢木先生の場合でも、金沢はお生まれになった場所ではありませんが、先生は金沢が故郷であると言われていました。私の場合も同じように岐阜を故郷と思っています。上記Bで取り上げた誓子の場合には、故郷も母郷もなかったわけです。上の俳句で、橋本鶏二さんは「母郷」という言葉を使ってみえますが、この言葉を使った人はほとんどいません。しかし、故郷と言うときに、母との思い出の最も深い場所、すなわち、母郷が最も心に残る故郷と私は思います。

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   2008年10月

10月21日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。本日の講義のテーマは「一句のポイント」です。
本日は「一句のポイント」という題でお話をしてゆこうと思います。そのポイントをごく簡単に要約すれば次のようになります。
◎物を良く見ることによって感動が生まれる。その感動を引き起こしたもとの物のありようを言葉にしたものがポイントである
ここで、感動というのは、発見による驚きのことです、嗚呼という驚きです、別の言い方をすれば、心にときめきを覚えることです。大人になりますと、常識の世界に住み慣れてときめきの心を失ってしまいます。花を見ても、花がきれいなのは当たり前のこととして、何ら感動をしません。この感動を失った心では俳句は出来ません。しかし、そうは言っても、俳句ではその感動を生のまま出せば良いというのではありません。承知しておいて欲しいことは、俳句は感動そのものを詠むのではないということです。感動した物のありようを言葉に置き換えるというのが、俳句のポイントなのです。先日、長谷川櫂さんの講演会があって、そこで、櫂さんは、「感情を生に出すのは俳句ではない。生に出したかったら、短歌へ移れば良い」と冗談めかして話してみえました。要すれば、物を通して、その物のありようを通して感動を表現するのが、俳句なのです。短歌では、「白鳥は哀しからずや」と言えますが、「哀しからずや」と言わないのが俳句なのです。
 沢木先生とはよく吟行にご一緒したものです。そんなある時、蓮華の花を細見先生にお見せになりながら、「蓮華とはこんなに美しい花なのか」とおっしゃっているのを耳にしたことがあります。このように感動してみえる沢木先生を、吟行の場でよく見かけたものです。先生の句はこうした感動から生まれているのです。伊吹嶺の俳句は写生を基本としていると言っていますが、単に見ただけでは駄目で、見たものをもう一度突っ込んで見てみるという姿勢が大切なのです。それを忘れないでください。
今日の話のテーマは「一句のポイント」ですので、沢木先生が『風作品の佳句』の中で、風会員の句の選評で「ポイント」という言葉を使ってみえる句を例にとって話を進めます。鉤括弧内が先生のことばです。

左義長の芯青竹を組み合はせ
「左義長を作る芯に青竹を用いた。その竹の青さがすがすがしい。ポイントの把握が確かである。」
左義長の芯が竹であるというのは誰でも見ることです。ところが、青竹と捉える人は数少ないでしょう。ここでは、青竹と捉えたことで良い句となったのです。
素足にて誕生餅を背負ひけり
「この句の「素足にて」がポイント。赤子のふっくらと柔らかい素足が餅と対応して祝福の気持がすっきりと表れている。」
赤子が誕生餅を背負うという事実はその場で見れば分ります。しかし、「素足で」ということをしっかりとみとめるかどうか。見たことを、もう一度突っ込んで見ることが必要なのです。
野葡萄の色づく前の象牙色
「粒の集まった小さな野ぶどうの実は野趣がある。紅を経て赤になるが、その前の艶のある白い実をとらえたのがこの句のポイントである。」
ぼんやりと見ておれば、葡萄はみな同じ色をしています。それを「象牙色」と捉えられるかどうかがポイントなのです。

 次は、私が伊吹嶺集の選句評で、「ポイント」ということばを使って選評を書いたものを幾つか紹介します。鉤括弧内が伊吹嶺集の選評です。
風に干す俎板にふれ秋の蝶(米元 ひとみ)
 「秋の蝶が姿も弱々しく飛んできて庭先に干した俎に触れていったというのである。この句、<風に干す>がポイント。秋風に舞うはかなげな蝶の命にふれている。」
  蝶が「俎にふれ」だけなら、なんでもない句ですが、「風に干す」ということで、蝶の命にふれる佳句となりました。
孕み牛ひくく鳴きたる冬の朝(関亜弥美)
 「腹の大きくなった牛は動作が鈍くなりどことなく哀れな姿になる。それが冬の朝ともなればなおさらである。この句、<ひくく鳴きたる>がポイント。」  孕み牛が鳴いたという事実から、更に一歩進んで、低く鳴いたという孕み牛のありようを把握したのが良い。
仕舞湯の窓ゆるがせて冬の雷(松原香)
 「仕舞湯に入っていて冬の雷がなったというのが事実。それを、<窓ゆるがせて>と捉えたのがポイント。」
  単に冬の雷が鳴って窓越しにそれが聞こえたというのなら平凡そのものです。しかし、そこを突っ込んで、<窓ゆるがせて>と見とめたのがこの句の良いところです。

伊吹嶺集の選をしていて、私が採るか採らないかの決め手となるのは、句に感動があり、その感動が読み取れるかどうかです。このような基準で選句をしています。写生だと言って、単なる事実だけが並べてあるだけではいけません。感動があるかどうかです。本日のテーマで言えば、ポイントがあるかないかが問題なのです。
 最近の句の選をしていて感ずることですが、この頃はどうも甘い句が多くなったような気がします。俳句を作ることは出来るが、どこかで基本に外れてしまっているような句が多くなったという感想を持っています。
 伊吹嶺集の選後評には、やはりポイントがあると思います。評のポイントと句のポイントとを比較してみてください。漠然と句評を読むのではなく、句評を通して俳句を学ぶという姿勢を持ってほしいと思うのです。しっかりと読むことで、その句のどこが良いのかを掴むことが出来ます。自分だけの判断で、自分だけの殻に閉じこもっていて、句を作っていたのではとても上達は望めません。指導者があれば、その指導者の助言を受け入れて句を作ってほしいのです。以前にお話したことがあると思いますが、私の勉強法は、沢木先生の句評をいろいろな項目別に分類して、それをまとめていったことです。先生の句評を数多く集積して、そこから俳句を学んだのです。これが、私には一番身に付いた勉強法であったと思っています。
  ここで、吟行のことに少し触れてみます。皆さんはよく吟行に行かれるようですが、吟行に行けば良い句が生まれると思ってはいませんか。吟行句を見てみますと、同じような句の山が積み上がることになります。何か一つが珍しいというと、全員がそこに集まって、結果的には同じような句を詠むことになります。一度きりの、それも数時間の吟行で、その土地の長い歴史を知り、その土地の風土や生活を認識することなどはとても出来ません。その土地を、そしてその土地の風物をしっかり把握出来るとはとても考えられません。
  それよりも、自分の俳句工房を持つことです。ここにお見えの皆さんの中でも、牛のことならAさん、金魚ならBさんと、自分の俳句工房を持っている方もみえます。これが一番確かな場所で、そこへ行けばいつでも対象と語ることが出来るからです。俳句とは、対象を写生することなのですが、その対象を通して自分を詠むことなのです。吟行に行くなとは言いませんが、吟行吟行とばかり言わないで、是非自分の俳句工房を持つようにしてください。

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      2008年9月

九月十六日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。本日の講義のテーマは「我が師沢木欣一を語る」です。

この九月二十三日に、俳人協会の富山での集会で講演をするように依頼されているのですが、その際の演題は「我が師沢木欣一を語る」ということにしました。そこで、現在、沢木先生の句集から、演題にふさわしい句をピックアップしているところです。沢木先生のお人柄を中心に話をまとめてみたいと思い、それは先生の句の中に辿れるのではないかと考えたからです。本日のプリントとして持参しましたものは、まだ途中の段階のものでして、これからも選び続けるつもりではいますが、ここまでの所でのことを今日は少しお話ししてみたいと思っています。
まず、「父・母・妻・子への想い」ということでまとめることが出来そうです。先生の句には、この部類の入る句がかなりあります。

先生には、お父さんを詠まれた句はわりに少ないのです。
 父と佇つ流れに蟇の踊り出づ(この句は若い頃の句です)
 父の忌の町に出初めし蛍烏賊
 越中に父幼くて成木責め
(お父さんは富山の中学の国語の先生でした)

お母さんを詠んだ句はかなりあります。
 残暑見舞の母の電話の声若し
 雪国の握れば熱き母の指
 電話より雪の底なる母の声
 いてふ紅葉の隙の青空母癒えよ
 母の骨拝む卯辰の山の冬霞
 毛糸編む母の手若し枕上
 晩年の唇赤き母冬座敷
 初旅のえりまき母の手編みなる

綾子先生を詠んだ句はたくさんあります。
 わが妻に永き青春桜餅(これは有名な句でみなさん御存知でしょう)
 古妻の面はなやぐ雛の酒
 栗の皮むいてくれよと妻言へり
 治聾酒やうすくなりたつ妻の眉
 春眠の妻に声かけ朝の稿
 わが天女栗むきながら童女かな
(こんな風に詠まれてみたいと思うでしょう)
 (次の三句は故綾子先生の思い出の句です)
 こでまりをコップに挿して供花とせり
 丹波栗三つを墓のてのひらに
 妻の筆ますらをぶりや花石榴

先生には夢の句がわりに多くあります
 長き夜の夢にマリアの綾子かも(この句もすごい句ですね)
 短夜の死刑宣告夢の中
 悪漢に追ひつめられし春の夢
 初夢に白鳥の頸なでてゐし
 初夢や屋根這ふ高所恐怖症
(先生の恐怖症はかなりひどかったようです)

太郎さんを詠んだ句も幾つもあります。
 栗の花子に叱られてばかりゐる
 額の花やさしと言へり綾子の子


次からは先生の身辺雑記とでもいう句です
 焦げくさきほどの栗飯好みたり
 いのししのいきほふを身に年迎ふ
 独り酒よし肉じやがとさくらんぼ
 治聾酒に酔うて怒りを発したる
 乱雑に年とるばかり根深汁
 納豆のねばりが好きで夜の霜
 戦争の砂漠が写り蜆汁
(湾岸戦争の際の句と思います)
 ひきがへるバブルバベルと鳴き合へる
 初日記われに戦後のまだ残る
 セルを着て心か弱くなりゐたる
 大国てふ嫌な言葉や毛虫焼く
 冷奴老いの証拠はしやべり過ぎ
 敬老とは気持悪き日穴まどひ
 ドラマ嫌ひ実録好きで春の夜

 こうして見てきますと、何やら先生の姿が少し浮かんでくるような気がします。このような句を中心に先生の思い出を話してみようと思っていますが、これはまだ途中の段階でして、もう少しまとまったものにしようと考えているのです。

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    2008年8月

8月19日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。本日の講義のテーマは沢木欣一先生の「『沖縄吟遊集』を読む」です。

伊吹嶺八月号に、「主宰と行こう 沖縄吟遊の旅」の予告を出しておきましが、正式には伊吹嶺の九月号をご覧ください。この旅では、沢木先生の句集『沖縄吟遊集』の詠まれた地を巡ることを考えているわけで、普通の沖縄観光では寄ることのない土地が多く含まれています。この旅行に参加される場合には、『沖縄吟遊集』を知らないといけないなどとは言いませんが、この句集についての知識が少しでもあると、更に面白い旅になるだろうと思います。そこで、本日は、『沖縄吟遊集』の中の句を少し紹介してみようと思います。そのプリントを用意してきていますので、それを見ながら話をしてゆきます。

『沖縄吟遊集』は、沖縄が返還される前のことで、沢木先生が文部省派遣の講師として沖縄へ行かれた時(昭和43年)に詠まれた句を集めたものです。講義で忙しい合間をぬって沖縄を歩かれ、精力的に三百句以上の句を詠まれています。

 赤土(あかんちゃ)に夏草戦闘機の迷彩(那覇)
 この『沖縄吟遊集』には、沖縄の言葉がそのまま使われていまして、仮名を付けないととても読めない言葉が使われています。それが、この句集が大きな話題にならなかったことの原因であろうと言われています。この句は、アメリカ軍の基地の戦闘機を詠んだものであり、沖縄の人々に対する深い同情の念がこの句にはあります。

 泡盛は鏡色なり夜の秋
 自註現代俳句シリーズ『沢木欣一集』(以下、自註句集)に、「泡盛が透き通って鏡のように冴えた光を放つと秋の気配をにわかに感じる。旅も終りに近づいた秋」との自註があります。泡盛は無色透明の液体ですが、それを鏡色というように例えられたのは、実に鋭い感覚と思います。

 がじゅまるの一樹かぶさる登り窯(壷屋)
 壷屋は沖縄の古い焼物の町です。この句が詠まれた時代には、焼物の町として活動していたのでしょうが、今では公害問題も起きて郊外へ出ていってしまって焼物の町の姿はなくなってしまったということです。「がじゅまる」は漢字では「榕樹」と書きます。沖縄で普通に見られる樹木です。

 黒揚羽ばかり修羅場の仏桑華(姫百合の塔)
 姫百合の塔で詠われた句で、沖縄戦で犠牲になった少女達への鎮魂の句です。「仏桑華」とは「ハイビスカス」のことですが、漢字で書いてみると、沖縄の悲劇にふさわしい感がします。

 砲弾に耕されたり骨いづこ(摩文仁の丘)
 沖縄戦最後の戦場となったのが、この摩文仁の丘です。悲劇の丘ですが、この句も、この丘で亡くなった沖縄の多くの人への鎮魂の句です。今度の旅では、この地も訪れることになるでしょう。

   辺戸岬甘藷蔓たぐりゐし女(辺戸岬)
 この岬は、沖縄本島の北端にある岬で、普通の観光ツアーではまず寄ることのない場所です。今回はここへも寄ることになっています。自註句集には「岬に近く甘藷畠や山田があり、一人黙々と甘藷を掘っている女がいた」とあります。

夕月夜乙女(みやらび)の歯の波寄する
 辺戸岬にはこの句の句碑が立っています。お盆の時期にここへ行かれた沢木先生は、この岬に白い波が打ち寄せるのを見られたのです。自註句集には「海の白波は乙女の歯にたぐえられ、美人の形容になっている。健康な美的感覚。沖縄の月は明るい。月下の波の穂の鮮やかな白さ」とあります。

今帰仁(なきじん)の拝所(いべ)射玉(ぬばたま)の実を見たり
 自註句集には「今帰仁は沖縄で有数の古城、荒廃していたが、石垣が復興されていた。城の一隅に天地の霊を祀る斎場がある」とあります。これも、仮名を振らないと読めない句です。

夏山に露出の母胎拝むなる(亀甲墓)
  自註句集に「亀甲墓。曲線を生かした逞しい造型。女性が脚を開いた姿であると案内の人が話してくれた」とあります。

  虹よりも静かに浮かぶ久高島(斎場御嶽)
  「斎場御嶽」は「せいふあうたき」と読みます。この島はノロと呼ばれる沖縄独特の女性の司祭者が住んでいる島です。古い歴史のある島です。

  走水(はいんず)の青田に久高よりの風
  受水(うきんず)に稲穂落せし鶴一羽
 稲作発祥の地といわれている場所に、聖なる泉があり、走水
(はいんず)と受水(うきんず)という名で呼ばれています。海に近く昼なお暗い断崖の裾に古代より清水が湧き続けているのです。

  芭蕉剥ぐ象牙の肌の痛々し(芭蕉布の里)
  芭蕉を根元から伐って幹を剥ぎ、繊維を干して布とするのですが、芭蕉布は沖縄の名産として知られています。

  夏に彫る鶴の羽衣鱗まで(紅型)
  牡丹をぼかし隈どる一少女
  「紅型」は「びんがた」と読みます。沖縄名産の染め物ですが、この二句には紅型の作業の工程が詠われています。

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     2008年7月

    7月15日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。

最近の名古屋は猛烈な暑さで、実は本日の参加者はいつもの半分くらいかと思っていましたが、それがどうして、四十名もの出席者があります。さて、その暑い日々が続いていますので、今日の講義は、何か軽いお話のほうが良いのかと思っています。
 そこで、古書市の話ですが、若い頃には古書市が開かれると聞くと、真っ先に駆けつけたものですが、最近はそんなこともしなくなりました。が、しかし、今年は久しぶりに古書市へ出掛けてみました。その古書市では有名な人の短冊が随分出品されていまして、そこで、沢木先生の短冊と句稿とを見つけました。これは、私が買わねばならないと買ってきましたが、現物はこれです。この短冊は、「三等車神父目覚める谷の雪」という先生の若い頃の句です。今では「三等車」などというものはありませんが、国鉄の車両で庶民が乗った客車のことです。俳句は感動を詠うものだといつも言っているのですが、では、先生は何に感動されてこの句を作られたのか考えてみましょう。先生の自註句集にこの句が取り上げられており、そこで次のように簡単に書かれています。「北陸線夜行列車、今庄あたり。神父と乗り合わせた」
  神父と乗り合わせた三等車で、朝の目覚めを迎えた。外を見ると純白の雪が積もった谷が見える。谷の雪で、それも朝のことだから、誰にも踏まれていない汚れを知らない雪が積もっているわけで、目の前の神父の汚れ無き姿というものが、この「谷の雪」という「もの」を通して的確に表現されており、そこに先生の感動が籠められているわけです。庶民の乗る三等車であるから良いので、これが一等車ではこのような感動が感じられたかどうか疑問です。それに、朝の谷の雪だから句になるのであって、これが汚れてしまった残雪では、感動はどこにもなくなってしまうことでしょう。
  ところで、三年ほど前のことになりますが、この中日俳句教室で「俳句の推敲十個条」ということで話をしたことがあります。それを振り返ってみましょう。最初に、その十個条を列挙します。
1「感動」の中心は何か
2「季語」は一つか
3「物」か「事」か
4「切れ」はあるか
5「ことば」は適切か
6「調べ」はよいか
7「季語」は効いているか
8「感動」に嘘はないか
9「類句」「類想句」はないか
10「誤字」「仮名遣いの誤り」はないか

  もう一度簡単にこの十箇条を説明してみます。この十箇条は、思いついた順序に並べたというものではありません。まず一番目に持ってきたのは、「感動の中心は何か」といことですが、感動があって初めて句になるということなのです。言葉を上手に並べればそれで句にならないことはないのですが、作者の感動が籠められていない句に読者は感動するはずはないのです。
 句が出来上がったら、「感動の中心は何か」ということをしっかり考えてほしいのです。それがはっきりしない句は作者の感動を呼びません。
  二番目は「季語は一つか」ということです。これは当然のことを言っているだけのようなのですが、うっかりと見過ごしてしまうことがあるのです。ただ、「季重なり」はいつも駄目ということではありません。季語が二つ入っているようにみえても、一方が「もの」として使われているような場合は「季重なり」であるとは言えません。
  三番目は「物か事か」です。伊吹嶺の俳句は「即物具象」といつも言っていますが、「物」を核とした俳句を標榜しています。しかし、決して「事」俳句を否としているわけではありません。気を付けねばならないのは、「事」俳句は「事」の説明になってしまう恐れがあるということなのです。
  第四は「切れはあるか」です。俳句は切れがあるから俳句になると言ってもよいでしょう。
  五番目は「ことばは適切か」です。俳句はことばの文芸ですから、どのようなことばを選ぶかは慎重に考えねばなりません。私は類語辞典を使っていますが、一つのことを言い表すにもいろいろな表現があり、そのどれを選択するかは、十七音しか使えない俳句には重要な事なのです。
  第六は「調べはよいか」です。俳句は韻文です。韻文のもっとも大切な要件は調べです。調べの良し悪しこそが俳句の良し悪しを決めるものと思ってください。
  七番目は、二番と関係のあることなのですが、句中に確かに季語があっても、その季語が果たして絶対に必要なものかどうかは再考してみる必要があります。季語が動くということをよく言いますが、どの季語を使っても大した代わりはないというのでは、その季語が本当に絶対的なものとは言えません。たまたまその季語を使っただけでは駄目なのです。
  八番目は、一番目の確認とでも言いましょうか。感動に嘘があれば、読者がそれを鋭敏に読みとります。嘘があっては、俳句は成り立ちません。作者のほんものの感動が読者の胸を打つものと承知しておいてください。
  第九は「類句、類想句はないか」ですが、これは本当に難しい問題です。これを防ぐには沢山の句を読めと言われますが、それにも限度があります。類句を恐れて句作が出来ないというのではよくありません。自分の句が類想句であると分ったら潔く取り下げることです。
  最後の十番目は、「誤字、仮名遣いの誤りはないか」ということです。これを防ぐには、辞書を丹念にひくという習慣を身につけることです。それ以外に方法はありません。現在は、幸いにも電子辞書という便利なものがありますので、この辞書に親しむことです。
  さて、沢木先生の短冊の話から、推敲の話に飛んでしまったのですが、実は今回、俳人協会の仕事で、富山へ行って講演をすることになりました。演題を連絡してほしいということで、「我が師沢木欣一」という題をとどけておきました。私にとって沢木先生は父親のような存在でして、簡単には語り尽くせない思い出があります。
 ところで、俳句で先生のことをどのように詠んでいるかということを考えてみたいと思います。私の句集『霜華』には、沢木先生・細見先生を詠んだ句が幾つもあります。問題はそのような句に感動をどのように籠めるかということになります。
 そこへ進む前に、今年の伊吹嶺の四月号に、林徹先生を広島に見舞ったときの句が出ていて記憶してみえる方もあると思います。その句とは、「大いなる掌の温もりよ病みたまふ」です。この句では、「大いなる掌の温もり」で林先生への思いを表しているわけで、ここに私の感動を籠めたのです。どこどこへ行ってきました、これこれのことをしましたと言うだけのことでは、単なる報告に過ぎません。俳句とは感動を詠むもの、作者の思いを詠むものです。感動の中心が何かが明らかになっている必要があります。季語が効いているかということが大切なことになります。感動と季語とが連動していることが重要なことです。表現の上手下手は、勿論上手に越したことは無いのですが、それよりも感動を表現すること、「もの」によって感動を表現することが最も大切だということです。
 さて、『霜華』へ戻りますが、細見先生を偲んで詠んだ句は幾つもあります。
「みまかりし師と語りゐる良夜かな」
 これは自宅で先生を偲んで詠みました。「良夜」に思いを託した句です。
「スカーフの綾子先生春の夢」
 綾子先生はとてもお洒落で、絞りで作った洋服を着てみえました。その先生を夢に見たという句です。
「綾子師の風呂吹大根甘かりし」
 先生のお宅に伺って、風呂吹大根をいただいたという思い出です。
「寒の富士見る病棟の十二階」
  沢木先生を新宿の病院に見舞った時の句です。この病室から富士がよく見えるよと先生に言われて富士を見た時のことを句にしました。
「師はみまかれり秋冷の十二階」
 沢木先生の死を悼んだ句。入院されたその病室で先生は亡くなられました。先生を悼む思いを秋冷という季語に籠めた句です。
 あちらへ飛んだり、こちらへ戻ったりで、まとまりのない話でしたが、まとめとして言いたいことは、感動が詠み込まれていない俳句は駄目だということですし、その感動は「もの」を通して表さなければならないということです。「もの」が詠みこまれていないと、読者の共感を得ることは極めて難しいでしょう。その際、感動と季語とが連動していれば申し分ないことになります。本日のお話はここまでとします。

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     2008年6月

六月十七日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義で、テーマは「忌日を詠む」です。第二部は句会です。
 10年ほど前の「俳句朝日」に、「忌日を使った句の作りかた」という特集記事があり、本日はそのことを主題に話をしてみようと思います。
 忌日の句を詠む際には、その個人への追慕の情がもっとも大切と思います。それが無くては、単に歳時記にあるからという理由で句を詠んだとしても、良い句が生まれるはずはありません。また、一つ注意しなければならないのは、一般に忌日俳句からは季節感が淡くなるということがあります。それは、例えば「茂吉忌」と言っても、斉藤茂吉の命日がすぐに思い浮かぶことは普通にはないからです。
 さて、本日は忌日の句から、人の名前を抜いた句を並べたプリントを用意しましたので、そのプリントの「○○忌」という所へ、後の方に記載してあるものから選んで入れてみてください。

1硝子戸の中の句会や○○忌    滝井孝作
2○○忌は男やさしき日なりけり  山田みづえ
3その時は鳩も翔ちけむ○○忌    山口青邨
4花あれば○○の日とおもふべし  角川源義
5廻されて電球ともる○○忌    鷹羽狩行
6濡れ靴に新聞を詰め○○の忌   皆川盤水
7叱られしものばかりなり○○忌  山口青邨
8取出す遺愛の鼓○○忌      松本つや女  
9長良川一気通過や○○の忌    人見郁 
10夜学生教へ○○忌に触れず    沢木欣一
11○○忌の石もて落す桜の実    細見綾子
12風呂敷を教卓で解く○○忌    栗田やすし
13鶏頭に音なき雨や○○忌     栗田やすし

@実朝忌(陰1・27)A茂吉忌(2・25)B多佳子忌(5・29)Cたかし忌・牡丹忌(5・11)D西行忌(陰2・15)E河童忌(7・24)F漱石忌(12・9)G一葉忌(11・23)H桜桃忌・太宰忌(6・19)I子規忌・獺祭忌(9・19)

 10分ほどでこの問題を解いてみてください。

 さて、10分経ちましたので問題の答をみてゆきましょう。
1硝子戸の中の句会や(漱石忌)    滝井孝作
 漱石に『硝子戸の中』という短編があり、この句はそのことが念頭にあって出来た句であろう。
2(太宰忌)は男やさしき日なりけり  山田みづえ
 太宰治の人となりを詠んでいる句。
3その時は鳩も翔ちけむ(実朝忌)    山口青邨
 「その時」とは、実朝が暗殺された時で、その時には鳩も驚いて翔び立ったであろうという句。
4花あれば(西行)の日とおもふべし  角川源義
 西行忌の中ではもっとも有名な句。桜の花にあこがれた西行への真摯な思いが伝わって、それが読者に感動を与えるのであろう。
5廻されて電球ともる(一葉忌)    鷹羽狩行
 これは、昔の電灯が点灯される時のことを言った句。一葉忌の句はよく見かける。
6濡れ靴に新聞を詰め(茂吉)の忌   皆川盤水
 茂吉が東北に住んでいた時に、自分のみなりのことなど構わずに生活していたということを詠んでいる。
7叱られしものばかりなり(漱石忌)  山口青邨
 実際に漱石にかかわりのあった人たちだから詠める句であろう。 
8取出す遺愛の鼓(牡丹忌)      松本つや女
 能楽を愛した松本たかしを偲んだ句。
9長良川一気通過や(多佳子)の忌    人見郁 
 多佳子が鵜船に乗って遊んだ時のことを詠んだもの。
10夜学生教へ(桜桃忌)に触れず    沢木欣一
11(太宰忌)の石もて落す桜の実    細見綾子
12風呂敷を教卓で解く(獺祭忌)    栗田やすし
13鶏頭に音なき雨や(綾子)の忌    栗田やすし

 私の句集「霜華」を調べてみると、わりに忌日の句が多いのに気付きます。その例を出してみます。
 ○妻の愚痴聞き流しゐる漱石忌
  漱石の妻が悪妻であったということから発想した句。
 ○くわりんの実机に一つ綾子の忌
  綾子先生の家へ行くと、机の上にはいつも何か木の実が置いてあったものです。この句は、そのことを思い出して、私の机にくわりんが置いてあったときに出来た句です。
 ○抽斗に千枚通し子規忌来る
    私の机の中にあった千枚通しを見ていて、ああもうじき子規忌だなと思って出来た句です。子規は、病気がひどくなったときに、死んでしまいたいと思ったということです。しかし、自分のそばには鋭利な刃物などは置いてあるはずもなく、せいぜい千枚通しくらいだ、その千枚通しを使ってでも死んでしまいたいと思ったと言っています。そのことが頭にあって出来た句です。
  ○綾子師の風呂吹大根甘かりし
    これは忌日の句ではありませんが、我が家で風呂吹大根を食べていて、ふと先生の手造りの風呂吹大根を思い出して作ったくです。
  ○暗やみに木の実落つ音一葉忌
    直接に一葉とは関係はありませんが、その音を聞いていて、今日は一葉忌かと思ったのです。

  棚山波朗さんに、「空仰ぎ燕の去りしこと思ふ」という句があります。この句は忌日というとばは使っていませんが、綾子先生のことを詠んだ句なのです。綾子先生に近かった人には、この句が綾子忌の句と同じだということがわかるのです。それは、綾子先生に「つばめつばめ泥が好きなる燕かな」という句があるからです。
  この句のように、忌日の句というのは、故人とのかかわりが大きな比重をしめるものも多いのです。何らかの関係のあった人の場合はそれなりの思い入れがあるのですが、そうで無い人には、季題としての関心から句を作るということになるのでしょう。棚山さんはこのことに関して次のように言っています。「一般的には、忌日も他の季題を詠むときと同じようなスタンスで取り組んだほうが、成功する場合が多い。あまり故人を意識せず、一定の距離を保って作るようにしたい」
  中拓夫さんは「忌日の句は、詠む対象の人物のことをよく理解して作ることが大切である」と言っておられます。そして「読者をあまり意識せずに詠むのが良いだろう」と言われています。意識すると作意があらわになるということです。
  さて、忌日の句は皆さん方も一度作ってみてはどうかと思うのですが、どうでしょうか。私の考えでは、その人のことをよく知っていて、その人に対する思いを詠み込んだ方が無難と思います。芭蕉忌、漱石忌、子規忌などは作りやすいかもしれません。それに、欣一忌や綾子忌にも挑戦してみてください。

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      2008年5月

五月二十日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義で、テーマは「助動詞〈けり〉を考える」です。第二部は句会です。
 過去の助動詞「けり」を学ぶことにします。まず、この助動詞の活用形を示します。

   未然  連用  終止  連体  已然  命令
   けり (けら)          けり    ける    けれ   

  俳句が文語を遣い、定型に従って表現をしようとしていますので、「切字」を積極的に使うべきと思いますが、この「けり」は「切字」としてよく使われる助動詞です。この助動詞は@過去の事柄にかかわって使われる場合とA現時点の事柄にかかわって使われる場合の二通りの用法があります。俳句では、過去を現時点の事柄として詠むことがよくありますので、この「けり」がよく使われることになります。
  その例を著名な俳人の句によってみてみましょう。
    いくたびも雪の深さを尋ねけり           正岡子規
    咲き満ちてこぼるる花もなかりけり       高浜虚子
    くろがねの秋の風鈴鳴りにけり           飯田蛇笏
    滝落ちて群青世界とどろけり             水原秋桜子
    霜柱俳句は切字響きけり                 石田波郷
    草焼の焔すゝきに及びけり               細見綾子
    闘牛の丘へ氷塊曳きにけり               沢木欣一

 「けり」の《効用》として考えられるのは次の五項目です。
1 力強い感動を表現する。
2 調べを整え、余分なことを言わない。平明(わかりやすい)で素直な句となる。ただし、単純・平凡になる恐れもある。
3 句の最後に置かれて句に安定感と重量感を与える。
4 「をり」「たり」に比べて収まりがよく、素直な句になる。
5 焦点が絞られ、収まりがよい。

 要すれば、「けり」とすることで、しらべの良い句になるのは間違いのないことですが、その反面、単純な平凡な句になることもあるということは承知しておくべきです。
 私が俳句を始めた時は、誓子の影響の強かった時でして、誓子は「や、かな、けり」という切字をあまり使わなかった俳人です。むしろ、そうした切字を排除しようとしていました。それで、私もその影響を受けていると思います。俳人は「けり」をどの程度使っているかということを調べてみようと思って、俳人協会で出版した『自註現代俳句シリーズ』を見てみることにしました。このシリーズの句数はすべて三百と決まっていますので、比較がしやすいからです。山口誓子は極端に少なく、三百句のうち僅かに一句のみです。
  やはらかき稚児の昼寝のつづきけり  誓子
私の自註句集では、わずかに一句です。
  大花火しだれて海へとどきけり
なお、下記の三句は、
  セーヌ川花火爆づとき瞬けり〈これは、「瞬く」+「り」〉
  流燈に富士の風来て瞬けり(同上)
  ななかまど蝦夷の夕日に飛びつけり〈これは、「飛びつく」+「り」〉
で、いずれも「けり」ではありません。
 誓子が使わなかったということで、その影響を受けたがために、「けり」を使うことに恐れを
抱いたということなのでしょう。
 名古屋の俳人で橋本鶏二さんの自註句集を調べてみますと、十句の「けり」を使った句が見つかりました。この人は虚子門です。その中から数句を挙げてみます。
  うぐいすに名園雪を敷きにけり
  杖の先しずかに蛇を去なしけり(これは良い句ですね)
  春の水四つ手のうへをながれけり
 それでは、沢木先生と細見先生の句集ではどうかと言いますと、沢木先生は七句、細見先生は九句です。

 沢木先生の句の例
  雪しろの溢るゝごとく去りにけり
  浜木綿を一鉢育て遺しける(この句は連体止めになっています)

 細見先生の句の例
  粟はまだ草にまぎれてありにけり
  涼しさに心の中の言はれけり
  寒の水念ずるやうにのみにけり
 「〜にけり」という形でもしばしば使われます。この「に」は完了の助動詞「ぬ」の連体形ですが、音数の関係でこれが「けり」に替わって使われているということで、「〜けり」「〜にけり」も同じ働きとみてよいでしょう。

さて、「けり」については最初に説明しましたように、調べを整え、句に安定感を与え、平明な分りやすい句になることがわかると思います。ここに挙げた句ではそうではないのですが、一方で、下手をするとまったく平凡な句になってしまうという恐れもありますので、そのあたりのことを考えてこの「けり」を使うようにしてください。

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    2008年4月

四月十五日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義で、テーマは「作句の文法――上・下二段活用の動詞の連体形」です。第二部は句会です。

本日は、句作りに必要な文語文法の話をします。今更、文法などと、面白くないような顔をする人がいます。それももっともなこととは思いますが、最低限のことは知っておいてもらわないと、句を作る上で大きな支障となるのです。毎月伊吹集に数多くの投句がありますが、その投句の中には、文法の誤りを含んだものが散見されます。この文法の誤りは、間違えた本人には文法を間違えたという意識はまったくありません。まったく知らないでやってしまう誤りです。伊吹嶺誌に掲載するときには、句の選と添削は私がやるのですが、それらの句の文法の誤りは編集部の係の人がいちいち訂正していまして、その正したものを掲載しているのです。投句した本人が、伊吹嶺誌を見たときにその訂正に気が付いてほしいと思うのですが、どうもすべての人が気が付いているとは限らないようで、翌月にはまた同じような誤りを含んだ句が送られてくるのです。伊吹嶺が手許に届いたら、自分の句が訂正されているかどうか一度きちんと見てください。そして、訂正されていたら、どこがどうして訂正されているかを考えてみてほしいのです。その理由がはっきりとわかれば、そのような誤りは次回からすることはなくなると思います。編集部の人は、そのために文法にかなり強くなっています。しかし、そのために全部の句に綿密に目を通してみなければなりませんので、これはかなり大変な作業となっています。お互いによく気を付けて、係の人の負担を減らすようにしたいものです。
 さて、今日ここで取り上げようと思うのは、上二段活用および下二段活用の動詞についてです。この二つの動詞が体言に続く場合の、すなわち、連体形の使い方の誤りが非常に多いのです。この種の誤りをしないようになれば、文法の誤りのほぼ半分はなくなると言ってもよいでしょう。それほど多い誤りなのです。今日のこれからの句会でも必ずこの種の誤りが出てくるでしょう。この予言は絶対にあたりますよ。

その誤りの例を、吉岡桂六さんの『俳句文法ノート』から引用してみます。
   無人駅花びら流ることしきり
   病む夫の空駈く夢よ春浅し
 下線を引いた「流る」と「駈く」が問題となる誤りです。「流る」「駈く」は実は終止形なのです。終止形ですと、後へは繋がりませんので、ここに切れが入ることになります。となると、上の句は「無人駅/花びら流る/ことしきり」ということになり,切れ切れになってしまいます。下の句では、「空駈く/夢よ/春浅し」と切れて、これも切れ切れの惨状を呈します。ここは、どうあっても、上の句では「流るる」と連体形にして、次の「こと」と繋げなければなりませんし、下の句では「駈くる」として、次の名詞の「夢」と繋げる必要があります。下の句では、「夢よ」の「よ」を削除して、「病む夫の空駈くる夢春浅し」とすれば、文法の誤りはなくなるし、字余りにもなりません。上の句では、「無人駅花びら流るることしきり」となって、どうしても字余りになってしまいます。このような誤りは、時に有名な俳人もやることがあります。また、この様な誤りは短詩形文芸の俳句には許されることであると主張する人もあり、私もそれをどこかで読んだ覚えがありますが、しかし、俳句は日本語に基盤を置いた文芸ですので、日本語のルールから逸脱してはいけません。
 ここで、どうしても覚えておいてほしいのは、上二段活用の動詞と下二段活用の動詞の活用形です。高校時代の文法の教科書でもあれば、それを見れば出ていますが、ここでその活用形を書いてみます。

 上二段活用(例「落つ」タ行上二段活用の動詞)
  基本形 語幹 未然形 連用形 終止形 連体形 已然形 命令形   
   落つ  お   ち    ち    つ    つる   つれ  ちよ

 下二段活用(例「受く」カ行下二段活用の動詞)
  基本形 語幹 未然形 連用形 終止形 連体形 已然形 命令形
  受く  う  け   け   く   くる  くれ  けよ

この活用形がしっかりわかっていれば、誤りを犯すことはまずなくなると思いますので、是非、頭の中へいれておいてください。高校生の頃にやったように、何回も口に出して繰り返すのは一番速い覚え方です。「ち ち つ つる つれ ちよ」ですし、「け け く くる くれ けよ」という具合です。
 では、その動詞が下二段活用なのか、上二段活用なのかをどうやって知ればよいのかわからないという人がきっとみえると思います。その場合の一番わかりやすい方法といえば、これはほとんどの人が持っていると思うのですが、電子辞書を見ることです。
 例えば、「起きる」を広辞苑でひいてみますと、《自上一》 お・く(上二)と出てきます。これは、「起きる」は、口語では上一段活用の自動詞であるということ、文語では、基本形は「おく」で、語幹は「お」、活用部分は「く」という上二段活用であるということです。一方、「買う」をひいてみますと、「買う」は《他五》とだけ出ています。この意味は、「買う」は口語では他動詞で五段活用の動詞であるとだけ言っているのです。文語のことはここでは言及していません。言及していない場合は、辞書の約束事項になりますが、「買う」は文語では四段活用の動詞であるということです。もちろん、文語では「買う」ではなく「買ふ」となりますが。文語の活用は「は ひ ふ ふ へ へ」で、五十音図の四段に渡って活用するということです。
 この他にも、間違いを犯しやすい語が幾つもあります。例えば、「老ひる」という誤りです。文語を意識し過ぎて「老ひる」とやってしまうのだと思うのですが、電子辞書の広辞苑には、
「老いる」《自上一》お・ゆ(上二)と出ています。これは、口語で「老いる」は「上一段活用の自動詞」であり、文語では、基本形は「おゆ」で、語幹は「お」、活用部分は「ゆ」という上二段活用の動詞ということです。活用部分が「ゆ」ですので、五十音図の「ヤ」行を思い出せばよいのです。五十音図でヤ行は「ヤ イ ユ エ ヨ」です。先ほどの上二段活用を思い出してください。「老ゆ」は「い い ゆ ゆる ゆれ いよ」という活用になります。どこにも、「ひ」は出てきません。「老ひ」はあり得ないのです。「悔いる」もまったく同じことです。文語では「悔ゆ」です。「悔ひる」として、文語を使ったつもりになってはいけません。
 「植える」も間違いやすい動詞です。広辞苑では、「植える」《他下一》う・う(ワ行下二)と出ています。この読み方はもうお分かりでしょうから、繰り返しませんが、(ワ行下二)ということには注目してください。わざわざ、この動詞はワ行に活用しますよということを明記しているのです。五十音図のワ行は「ワ ヰ ウ ヱ ヲ」です。すると、文語の「植う」は、下二段活用ですので、「植ゑ 植ゑ 植う 植うる 植うれ 植ゑよ」という活用変化になります。上二段活用の変化というのは、五十音図の二段目と三段目の二つを使っての変化、下二段活用は、五十音図の三段目と四段目の二つを使っての変化ということです。
 文語文法というと、何か難しそうだという感じを受ける人も多くいると思いますが、文法の実際を見てみますと、何も難しいものではありません。日本人なら大体はわかっていることで、ほんの少し気を付ければよいということです。五十音図が頭に入っていれば何でもないことですし、五十音図を忘れたというのなら、辞書にあるそれを見ればよいことです。それで、文法の誤りを大幅に減らすことができるのです。これからの句作りにあたっては、文法にも注意を払って、誤りのない日本語を使うようにしてください。 

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08年3月

三月十八日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義で、テーマは「作句の三つの原則」です。第二部は句会です。

角川書店発行の雑誌「俳句」に「採る句 採らぬ句、選句の基準」という連載記事があり、今回は「いには」主宰の村上喜代子さんが寄稿されています。その記事の題名は「俳句は季語との対話――はっきり・すっきり・どっきりと詠む」でして、みなさんが句を作る上でたいへんに参考になると思いますので、この記事に私なりの解釈を加えて紹介しようと思います。

 最初に村上さんの文章を紹介します。
「いには」は新しい結社誌であり、創刊時は初心者が多いということもあって、 まず簡潔に作句の要諦を伝える言葉を考えた。そこで、有季定型に則り、「はっきり・すっきり・どっきり」と表現することを提唱した。
 第一の原則「はっきり」とは、何が言いたいのか、はっきり表現出来ていること。そのために思いを具象によって表現するように心掛けること。
 第ニの原則「すっきり」とは、言葉の重複や意味の重なり避け、省略の効いた簡潔な表現に意を尽すこと。
 「はっきり」「すっきり」は、作句上の基本的心得であり、技法上の留意点である。
 第三の原則 「どっきり」とは、句に感動や驚き、新しみは意外性が感じ取られること。即ち、詩情・抒情・俳諧味等が、読み手に伝わってくるかどうかということ。
 「はっきり」とは、私がいつも言っていることですが、句が絵になるということです。「もの」によって提示をすれば、鮮明なイメージを形成することが出来、そこから一枚の絵が描けることになります。「すっきり」とは、俳句は省略の文芸であるということです。感動の対象をはっきりと掴んで、あとは省略するということです。私が中学生の頃、美術の先生に写生について教わったことがあります。先生は「写生に行って、山があり、家があり、電柱が立っていたという状景で、構図的に電柱が邪魔ということなら、その電柱は書かなくてもかまわない。写生とはそうしたものなのだ」と言われました。これは俳句の場合にも当てはまることでしょう。写生と言って、りんごを書くとします。最初の段階では、りんごをしっかりと書く、誰にもりんごと分るように書くことが求められます。それが写生の第一歩です。次には、そのりんごがいかにも美味しそうだとか、こんなに大きくてびっくりしたというような驚きが表現されていなければならないということです。「どっきり」ということでは、誓子のことばを借りれば「俳句は嗚呼である」ということになりましょう。感動がなければ俳句ではないということです。ただ、この感動は計算して得られるものではありません。いつも心に感動するための「種火」を絶やさないことと誓子は言います。細見先生のことばを借りれば、「感動に出会うのは偶然のことであり、偶然に出会うためには、常にその心構えをしていなければならない」ということです。
 次は、村上さんの採られた句についての選評です。
  吊橋の揺れ鬼胡桃握りゐし
 景は一読明瞭、吊橋を渡る時の緊張感、不安定感が握りしめた<鬼胡桃>に凝集されていて、椎の実等の他の季物に置き換えることは出来ない。季語が生きているということは、佳句の大切な条件である。
  台風圏間のびして鳴く鳩時計
  <間のびして鳴く>のは鳩時計としては想定内。しかし、<台風圏>という緊迫した空気の中で突如鳴き出した鳩時計の間延びした音に、面食らったようなその場の雰囲気が想像され、面白い。取り合せの妙といえよう。
  芋虫の逃げ出す方が頭らし
 芋虫は一見どちらが頭か尻尾か分り難い。動き出して初めて頭を認識した驚きが、実に簡潔に表現されている。しかも、「動き出す」ではなく<逃げ出す>と表現したことによって、芋虫がコミカルに描かれた。松のことは松に習え、という。じっくり観察すれば、思いがけない発見があるものである。
 この三句は、ことに「どっきり」という観点で選んだというように書かれていますが、「はっきり」「すっきり」という原則にもきちんと合致した句であることは間違いありません。「台風圏」の句で、「春昼や」などの季語を使えば句がまったく駄目になってしまうことははっきりしています。
 次は、村上さんが採られなかった句についての評です。
  花木槿日課となりし庭掃除
 <日課となりし>は瞬時を切り取る短詩形文学としては時間的経過がありすぎる。また、木槿の花は一日花であるため、原因結果となり、理屈の句となってしまったといえよう。
  いつとなく死後の話や虫時雨
 ある程度齢を重ねると、死後の話をしたくなるのはよく分り共感できる。しかし、<虫時雨>では季語が即き過ぎて切字の<や>が生きない。切字は切断して飛躍することによって、一句の世界を大きく深くする働きを持つ。切字の前後が余り離れ過ぎると分らなくなり、近過ぎると平板になって面白くなくなる。即かず離れずという季語の塩梅を心得たい。
  もみづりてかつ散るしだれざくらかな
 ひらがなを多用し、リズム感はあるが、表現に無駄が多い。表現の巧さやリズム感だけで成り立つ句もあるが、それなりに素材の斬新さや言葉の工夫がないと「どっきり」とはいかない。
 木槿の句では、木槿は一日花で毎日散るから、それを片付けるのが日課となるというのは理屈の句になってしまうとうことです。それに、「日課となりし」というのは説明ともなっており、短い俳句では、説明しているような余裕はまったくないのです。また、ここでの重要な指摘は、俳句は「瞬時を切り取る」短詩形文学であるということです。これはしっかりと承知しておいてほしいことです。
 虫時雨の句では、ここに書かれていることは、忌日の句にも当てはまります。忌日の句も遠過ぎてもいけないし、近過ぎてもいけません。難しいことです。
 三番目の句では、「どっきり」という視点が強調されています。「表現が巧い」だけでは、読者を感動させることは難しいということです。
 今日は、村上さんの言葉を紹介したわけですが、「はっきり」「すっきり」「どっきり」はたいへんに参考になる作句の三原則と思います。

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  07年2月
   2月19日、本年最初の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義で、テーマは「写生」です。第二部は句会です。

これまで、「写生」について何回も話をしてきましたが、本年最初の俳句教室でもあり、また本日からこの会に参加するという人も何人かみえますので、本日は「写生」ということをもう一度考え直してみたいと思います。「写生」は絵を描くことに譬えて話をするのがわかりやすいだろうと思いますが、絵では対象をよく見てその形をきちんと写し取るということでしょう。俳句では、それを言葉でやろうということです。即ち、言葉で対象を写生しようということになります。例として、私が今黒板にりんごの絵を描いたとします。そうすれば、何を言わないでも、それを見ている人はりんごとわかります。今度は言葉でりんごと言えば、聞いている人は、その「りんご」という音だけで、りんごをイメージします。文学では、言葉はイメージを伝達する媒体である。写生の第一歩は正確に対象を描写することです。
 りんごの絵を描いたときに、絵の上手下手があって、りんごと分ってもらえない絵ではどうにもなりませんが、絵はたしかにりんごであるが、そのりんごがおいしそうなりんごなのか、もう古くなってみずみずしさの抜けてしなびてしまったようなりんごなのかということを、人にわかってもらえるようにうまく描けるかどうかは、絵を描く人に相当な技量が必要となってきます。手のデッサンでも、絵の上手下手は絵を見ればわかるが、とにかく、書き手の技量は多くの人にはわりにはっきりと分る。これが俳句ならどうなるのかを考えてみてください。俳句では、どんなりんごかをすべて言葉であらわすことになります。しなびたりんごなのか、つやつやしたりんごなのか、それをどう言葉で表すかというのが、俳句での写生のポイントということになるでしょう。
 例を鳥に取ってみましょう。何かの鳥を見たとします。まず、その鳥の種類を見分けることから始まります。メジロなのか、雀なのか、鴉なのか。まあ、鴉くらいなら誰でもわかりますが、メジロなのか鶯なのか、それとももっとほかの鳥なのか。それが分らなくては俳句は始まりません。写生の第一歩がこれです。次にその鳥がなにをしているのか、どのように見えるのかが次のステップです。先ほどのりんごに戻れば、そのりんごが、くさりかけなのか、つやつやしているのかということですが、それをはっきりさせることになります。それで、一応は絵になります。しかし、そこでとどまってしまってはいけません。絵になっただけで満足してはならないということです。絵を通して、作者は何を伝えようとしたのかが大切なのです。作者の感動を伝えるのが芸術なのですから。鳥の名前を知り、その鳥が何をしているのかなどと、その鳥の有り様を言葉で写生し、その写生を通して作者の感動を読者に伝えることが俳句ではもっとも大切なことになります。
 ここで、俳句と短歌の違いに少し触れてみますと、短歌は作者の思いを言葉に表す余裕があるのです。「白鳥はかなしからずや」と言うだけの語数の余裕がありますが、俳句には「かなしからずや」という余裕はありません。その分俳句は難しいということになりましょう。僅かな言葉で写生をし感動を伝えるのはかなり難しいことです。
 絵でも俳句でも、対象をうまく描いただけでは駄目なのです。感動を相手に伝えることができなければ駄目なのです。俳句はうまくなってはいけないという、逆説めいた教えがあります。すこし上達すると、とかく言葉をうまく並べて俳句らしい句を作るようになります。しかし、それは、「らしい」句であって、感動を伝えることは出来ません。形だけでは感動は伝わらないということです。ですから、うまくなってはいけないというのがこの教えなのです。
 吟行に行くことがよくあるでしょう。その場で何を見、何を聞きますか。何か珍しい仕事の場があって、珍しい道具が並んでいて、それでしめたと思ってそれを句に詠みこみます。しかし、そうしたものをまったく見たことも聞いたこともない人には絶対にわかってもらえません。まず、物を言葉に置き換えるのが写生の第一歩ですが、その物の有り様を言葉で表すのが写生の次の段階となります。道の辺に地蔵を見たというのが写生の始まり。その地蔵があぐらをかいていたのなら、それを述べるのが写生の第二の段階。ただ、それだけではいけないのです。そのあぐらをかいた地蔵を見て、作者の感動はどこにあるのかが句に表れていなければなりません。感動のポイントはどこにあるのかに力を注いでほしいのです。
 俳句を鑑賞するには、読み手の句を読む力も大切です。作者は感動を伝えようとしますが、その感動を読み手の方で読み取ることが出来るかどうか。読者にも句の感動を読み取る力が求められるのです。
 その読み取る力について、私の著書『現代俳句考』からその例を挙げてみましょう。これは、『風』の先輩皆川盤水さんの句について私が書いたものです。

薄氷にふたたび降りし雀かな
 冬に逆もどりしたかと思わせるような寒い朝。手水鉢かどこかにうっすらと張った氷が朝日に映えてキラキラと美しい。見ると先ほど飛び翔った雀がふたたびその薄氷の上に降りた。指を触れればすぐに割れそうな薄氷の上に、ふたたび何のためらいもなくひょいと降りたった雀に対して、軽い驚きと親しみを覚えて詠んだ句。雀はその小さな嘴で今度こそ薄氷を割って水を飲んだことであろう。

 西瓜売り厚き筵をひろげけり
 町に西瓜売りがやって来た。町内を連呼して一巡すると木蔭を見付けて店開きを始めた。店開きといってもそれは地面に厚い筵をひろげれば足りる。この句は「厚き筵」の「厚き」がポイントである。大きな西瓜を山積みにするためには筵は厚くなくてはならないのであろう。それを見つけた作者の眼は確かである。この句の面白さは「厚き筵をひろげけり」というだけで、ギラギラと照りつける太陽を避けて、木蔭にひろげられた筵に次々と西瓜が積み上げられ、やがて始まる西瓜売りとその場に集まった主婦たちとの明るいやりとりまでもが目に浮かんでくることであろう。


 写生ということで本日はお話をしたのですが、これは伊吹嶺の俳句の基本ですので、このことは句を作るさいにはきちんと承知しておいて欲しいことなのです。


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2007年分

    07年12月

12月18日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義で、テーマは「先師の言葉」です。これは、沢木欣一先生が季語について語られた言葉について、いろいろな例を加えて解説をされたものです。第二部は句会です。
 本日のテーマは「先師の言葉」です。先師というのは沢木先生のことで、沢木先生の言葉の一つを取り出して、その言葉で先生が意図されたことを学んでゆきたい。その言葉というのは、季語についての次の言葉である。

季語が一句のなかに生きて働いておらねばならない。
季語と自己とのかかわり方が切実であると、一句の中で季語が生きる。
 この二つの言葉は、季語の本情を理解することの大切さを説いたものと言えよう。ところで、本情とは何かということであるが、それは、季語の持っている情趣というものであろう。先生が「季語が生きる」と言われているのは、季語が自分との結びつきが緊密であり、その季語と強い絆で繋がっている場合である。

  「秋風」という季語を例として話を進める。
○秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる           古今集 秋歌
   暦の上では立秋である。しかし、昨日と今日とでさして変わりがあるわけではないが、この歌は、立秋とともに秋風が荒く吹き立つという、当時の概念を土台として詠んだものである。つまり、立秋を境として、今日から吹く風は秋風であるという理屈があるわけであるが、しかし、この歌はその理屈だけの歌というわけではない。

○月見ればちゞに物こそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど    古今集 秋歌上
  秋の煌々として照る月を見て詠んだ歌であるが、「秋」という季節そのものに悲しさを誘うという前提があって詠んだものである。

○人住まぬ不破のせき屋の板さびし荒れにしのちはたゞ秋の風    新古今集 雑歌中
  この歌では、「秋」という季節が淋しさや悲しさとおぼえさせるものとして取り上げられているだけでなく、秋風の場合も、悲しいとかさびしいという語は使われていないものの、余情としてそのようなさびしさや悲しさを感じさせるものとして詠んだものである。この歌あたりになって、秋風の本情に「さびしい」とか「悲しい」というものが入ってきている。
○秋風や薮も畠も不破の関     芭蕉
  前の歌を踏まえての芭蕉の句であるが、この句については、山本健吉の優れた鑑賞がある。「初五に「秋風」と置いて、大づかみに力強い断定として、主題のあり場所を示し、つづく七五は、その主題の反復として、感動を具象化し、それに実在感を与える。これは感動を、一個の実在する、感触ある「もの」として、すなわち、作品として結晶せしめるための、芭蕉の不思議な魔術である。「もの」に即するところに作品があるのではなく、「もの」に化するところに作品が在るのである」(山本健吉『芭蕉』新潮社)
 芭蕉が「秋風」と詠んだとき、それは「あゝ悲しい」と言ったと同じことになる。山本健吉が上の文で「主題のあり場所」というとき、それは「悲しさ、侘びしさ」ということで、「秋風」がそれを表しており、それが「秋風」の本情というものであろう。
 山本健吉は「感動を具象化し、それに実在感を与える」と言っているが、それこそが「即物具象」の本質をついた言葉である。また、終りの方の、「「もの」に即するところに作品があるのではなく、「もの」に化するところに作品が在るのである」」との指摘はたしかにその通りではあるが、しかし、これを自分の問題として理解することはなかなか難しいことのように思う。

○でで虫が桑で吹かるる秋の風    細見綾子
  この句は、自己と対象との一体化、つまり、作者の生命をでで虫に投影させての感慨である。この句について、私は『細見綾子俳句鑑賞』で鑑賞の文を書いているので、そこから引用してみる。

   作者の故郷丹波は養蚕地で、福知山へつづく山麓はずっと桑畑であった。冬は一面紫色 
に見えたという。秋風の吹く桑畑を歩いていて、でで虫が桑の木にすがりついているのを見つけた。枯一色のでで虫が秋風に吹かれているのを見て、作者は言い知れぬ親近感を抱いたのである。この句が作られたのは、昭和四年に夫の病没に遇い郷里に引き揚げた作者が、つづいて母を失い、暗澹として過ごしているうちに肋膜炎になり、その療養中の昭和七年秋である。
 作者は自解で「もう晩秋で、でで虫の殻の艶も失せ、桑の幹と見まがうほどになっている。でで虫はこうして秋風に吹かれるのだということに感銘した。こういう秋風もある、という発見。丁度その時の自分の姿と同じものだと感じたのだ」(『現代俳句全集四』)

 と記している。この「自分の姿と同じ」という感慨は「秋風にさらされているものは自分だけではなかった」という、自己と対象との一体化、つまり、作者の生命をでで虫に投影させての感慨である。
  こうした句作法は、後日、作者が二十数年の作句生活を顧みて、自分は自然に「どのように接触し、投影し合ひ、それを自分の内側に如何に溶けこませてきたか」との発言からも明らかなように、俳句入門期から自覚的に採られてきた句作法であることがわかる。したがって、でで虫の句は、その最初の、しかもみごとな成果であった。
 このでで虫の句は、詩人の三好達治が集中最も感銘した一句と作者に書き送ったものである。
さて、どの季語にもその本情がある。句作にあたっては、その季語の本情をよく知って、それを何かものによって具象化するということを考えて欲しいのである。

(なお1月は「伊吹嶺」新年俳句大会の直後ですので、休会だそうです。)

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    07年11月

11月20日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。
 前回(十月句会)は栗田主宰が体調の都合で欠席されましたので、本日の講義は、前回に会員が投句した句についての講評となりました。こと細かに添削指導等がなされ、このような形の講義もたいへんに意義あるものでした。第二部は句会です。

第一部 栗田主宰の講義
 前回は私の都合で欠席したのですが、句会に投句された句は私のところへ届けられており、この講評をするようにと宿題が課されていたわけで、本日はその時の投句の添削をするということで宿題を果たしたいと思います。

□母看取る新米貰ひて帰りけり
 誰に新米を貰ったのか、何故貰ったのか、ということがこれでは分らない。「母看取る」とその後とがどのように繋がっているのかが分らない。一つの例として「母看取るための新米貰ひけり」が考えられる。「帰りけり」はいらないだろう。

□秋の蜂睡蓮鉢の水舐むる
 調べが良くない。「睡蓮鉢」の「鉢」と断るまでもないだろう。「睡蓮の水舐めてゐる秋の蜂」

□田を区切る咲き揃ひたる彼岸花
 「田を区切る」と「咲き揃ひたる」という二つの修飾語句を並べてリズムが悪くなってしまった。「咲き揃ひ田を区切りたる彼岸花」

□爆ぜ栗のこぼる綾子の句碑の前
 この句も調べが悪い。「前」とか「後」に拘らない方がよい。それに「綾子の句碑」は「綾子句碑」でよい。「爆ぜ栗のこぼれてゐたる綾子句碑」

□綾子句碑山栗拾ひ来て捧ぐ
 後半の部分がごちゃごちゃした感じがする。「拾ひ来し山栗供ふ綾子句碑」で不満は解消する。

□眠る子の手よりどんぐり一つ落つ
 「一つ落つ」というよりは「こぼれ落つ」とした方が句に広がりが出てくる。「眠る子の手よりどんぐりこぼれ落つ」

□彼岸花南吉試歩の道細し
 「道細し」などとするよりは、「南吉の試歩の小道や彼岸花」とした方が良いだろう。調べは断然良くなる。

□川原湯や囲ふ葦簀に秋日濃し
 「川原湯や」と 「や」で切るところではない。「川原湯を」としなければ、後とのつながりが断たれてしまう。「や」はそこに強い切れがあって、作者の感動がそこに集中するということを忘れないように。

□風に鳴る機屋の板戸そぞろ寒
 「鳴る」は四段活用の動詞であるので、終止形と連体形が同じで、この位置で句が切れるようにも取られてしまう。そうすると、この句は三句切れということになる。そうした誤解を避ける工夫をしてほしい。全体をひっくり返して「そぞろ寒機屋の板戸風に鳴る」とすれば誤解される恐れはない。

□子規忌かなりんりんと鳴く虫の声
 「りんりんと鳴く」は一考を要す。

□へちま見る子規終焉の間に座して
 子規庵での句であろうが、「子規終焉の間」とまで言わないで「子規の間」だけで良いのでは。

□秋晴やお茶と豆買ふ学園祭
 事実として「お茶と豆」を買ったのであろうが、それでは「学園祭」のイメージとはまったく合わない。学園祭ならそれにふさわしい景を詠むべきだ。

□青き眼で枯山水の松手入
 この句の場合も「枯山水の松手入」で、読者は戸惑いを覚える。「枯山水」のイメージと合わないからである。「枯山水」にもいろいろあって、松が植わっているものもあるが、「枯山水」と言われれば、この言葉でイメージするものは、植物のない石の庭である。事実、その場で松手入れが行われていたとしても、そのままを句に読んで理解を求めるのは無理である。「枯山水の脇」ということであれば理解されるだろう。

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   07年9月

9月18日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。第一部の講義のテーマは「助詞の〈の〉」です。
 なお、第ニ部はいぶきネットの係の打合会がありましたので出席していません。今月は句会の詳しい様子は残念ながらお届け出来ません。

第一部 栗田主宰の講義
 本日は、まず最初に、吉岡桂六著『俳句文法ノート』(花神社)から、助詞の「の」と「が」についての部分を引用しながら話を進める。「の」も「が」も体言と体言を結ぶという働きは同じあるが、時に「強調の〈が〉」、「調べの〈の〉」というように言われることがある。そこのところを幾つかの句を例にしてみてゆこう。
  ところで、「行く秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲」と、「の」を六つも重ねた有名な短歌がある。歌人佐々木信綱の短歌で、その調べはまことに流麗であり、まさに「調べの〈の〉」とは言い得て妙である。
  現代の口語でも、「姉この靴を買った→姉買った靴はこれだ」というように、「の」が主格を表すことがある。俳句では、「が」が散文的に感じられるのと、濁音が嫌われるという理由から、「の」が多く使われている。次の句がその実例である。

  遠山に日の当りたる枯野かな         高浜虚子
  冬蜂の死にどころなく歩きけり        村上鬼城

 しかし、「が」の方が良いという場合、「が」でなければならない場合もある。
  しづかなる雨の降るなり走馬灯        高島 茂
  あたゝかき雨が降るなり枯葎         正岡子規

 この二句は同じようにみえるが、前句では走馬灯(夏の季語)に対して尋常な雨であるが、後の句は「枯葎」と冬の季語であるので季節的には普通の雨ではない。そこで、「どんな雨かというと温かい雨」であると強調するために子規は「が」を使ったのである。
  蟋蟀が深き地中を覗き込む          山口誓子
  裸子が薬缶を提げて通りけり         青山 丈

 誓子の句では、「蟋蟀の」とすると、覗き込むのは作者自身のようにも受け取れる。後の句では、「裸子の」とすると、「裸子の薬缶」という所有の意味にも取れて、薬缶を提げて通ったのは作者か裸子なのかわからなくなってしまう。さらに、次の句では、「石の」、「悪役の」としては、俳句の意味さえはっきりしなくなってしまう。
  石山の石が船の荷雁渡し           松本やちよ
  悪役が子役に渡す団扇かな          渡辺誠一郎

 「悪役の子役」となると、「子役が悪役である」ということになる。

 ところで、啄木に次の短歌がある。
  意地悪の大工の子など悲しけれいくさに行きて生きて帰らず
 この歌で、「意地悪の大工の子」はどのように取ればよいのか。「大工が意地悪で、その大工の子」ということなのか、「大工の子で、その子が意地悪」なのか。「の」をどう解釈するかで、この二通りの意味になるという例である。

 次は、私の句で、「が」と「の」を見てゆこう。
  寒月が鵜川の底の石照らす
 これは「が」でも「の」でも良いと思うが、寒月を強調して「が」とした。
  冬の蜂這ふ漉き紙の生乾き
 冬の蜂の「の」は連体修飾の「の」である。「漉き紙の生乾き」の「の」が問題の「の」である。ここで「漉き紙が生乾き」とすると、漉き紙が生乾きの状態にあるということになる。それが「漉き紙の生乾き」であれば、「生乾きの漉き紙」ということで、「もの」を指すことになり、ここでは「の」を使うことが良いと思う。
  青柿の転がる庭に鵜を遊ばす
 この句では調べの上から「の」を選んだ。
  鵜篝の靡くを祖なる火と思ふ
 これは「が」の方が良いか。そうすれば強調の意味が強くなる。
  鵜篝の一つが遅れ荒瀬落つ
 強調のためには、「一つの」よりは「一つが」の方がよい。
  万歳が濡れ来て熱き茶をすする
 「が」でも「の」でもどちらでもよいだろう。
  看護婦が叱られてゐる春の宵
 「が」の方が、叱られている看護婦に対する同情の念が強くなるだろう。季語の「春の宵」で、さほど深刻な事態ではないことは感じ取れるはずである。
  茶の花の転がつてをり汚れずに
 調べは「の」の方がよくなる。
  草萌ゆる予科練生の夢見し地
 「が」とすると、予科練生にウエイトがかかることになろう。ここでは、「夢見し地」に草が萌えると言いたいので「の」を選ぶこととした。

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    07年8月
8月21日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。第二部の講義のテーマは「音便について」です。

第一部 栗田主宰の講義
 今日は、句を作る際によく迷ったり間違えたりすることのある「音便」について話をする。本日の話は、吉岡桂六著『俳句文法ノート』(花神社)に掲載されている「音便」を基としたものである。
 音便とは、動詞・形容詞・形容動詞などが他の語に連なるときに生ずる音の変化を言う。特に問題となるのは、動詞の連用形が「て」という助詞に続く場合の音変化である。俳句で問題となるのは、文語動詞の四段活用(ナ変、ラ変の動詞を含めて)の動詞が「て」に続く場合で、これには次の四種類の音便の形がある。「文語動詞の四段活用とナ変(「死ぬ」、「往ぬ」の二語のみ)及びラ変(実用上は「あり」、「をり」の二語のみ)の動詞」という限定があるので間違いのないように。
@イ音便  Aウ音便  B撥音便  C促音便
  この音便を一つ一つ見てゆこう。

@イ音便
 カ行、ガ行活用の「キ」「ギ」が「イ」となる。ただし、「ギ」の場合は次に続く「テ」が「デ」となる。例として、「書きて」→「書いて」、「研ぎて」→「研いで」
  芋腹をたゝいて歓喜童子かな           川端茅舎
  ないて唐招提寺春いづこ             水原秋桜子
  その辺の草を歩いて啄木忌             大峯あきら
  昔から風吹いてゐる紫蘇畑               千秋
Aウ音便
  ハ行活用の動詞で、「ヒ」が「ウ」となるもの。例として、「問ひて」→「問うて」、「慕ひて」→「慕うて」。この場合、「問うて」の発音は「トーテ」となる。
  そこで、「秋の暮答へてくれぬこと問ふて」の「問ふて」は誤りで、「問うて」としなければならない。この誤りを防ぐために、「テの前にフは来ない」と覚えておくのが便利である。この「ウ音便」についての誤りは非常に多い。四つの音便のうちで、特に注意をしなければならないものである。
   己が影を慕うて這える地虫かな         村上鬼城
   藤の花這うていみじき樹齢かな         阿波野青畝
   ぶつぶつと言うてをるやも蓮根堀       岡本高明
   手焙や香商うて二百年          飛岡光枝
B撥音便
  ナ行活用の「ニ」、バ行活用の「ビ」、マ行活用の「ミ」がいずれも「ン」になるもの。この場合、次に続く「テ」は「デ」となる。例として、「死にて」→「死んで」、「呼びて」や「呼んで」、「踏みて」→「踏んで」。
 このB撥音便と次のC促音便は、特に難しいものではなく、日本人なら普通に使っている日本語の常識の範囲内のものと言ってもよい。
   雪国に子を生んでこの深まなざし         澄雄
   ぎんなんを踏んで思はず踏み躙る       鷹羽狩行
   彼岸過ぎ雲すつ飛んで西晴るる         山田みづえ
   死んでみれば骨の大きな蛙かな         あざ蓉子
C促音便
  タ行活用の「チ」、ハ行活用の「ヒ」、ラ行活用の「リ」が、つまった「ツ」になるもの。例として、「打ちて」→「打つて」、「吸ひて」→「吸つて」、「振りて」→「振つて」。ただし、文語では、「打って」は「打つて」、「吸って」は「吸つて」のように、小さい「っ」は使わないので注意すること。
   かたまつて薄き光の菫かな             渡辺水巴
   わつててんたう虫の飛びいづる       高野素十
   豆稲架のからから鳴つて魂送           野中亮介
   ひぐらしや作つて割りし陶の嵩         南うみを

  各音便について挙げた例句はいずれも句の内容に応じ、調べをよくするためにそれぞれの音便形が選ばれている。いうまでもないことであるが、いつでも音便形が良いというわけではない。念の為に例句をみてみると、
   うちしきてあしたの沙羅のよごれなし   長谷川素逝
    汗ばみて余命を量りゐたらずや         石田波郷
  これらの句は、「うちしいて」あるいは「汗ばんで」としては、調べが上滑りして格調が失われてしまう。
  音便は使うことが多いので、その際には今日の話を思い出して間違いなく使ってほしいものである。

 (旅遊註 吉岡桂六さんは、外国人に日本語を教えた経験の豊富な方で、国文法の専門家が書いた文法書とか、受験参考書タイプの文語文法の解説書とは違って、俳句のために必要な文法という観点で本を書かれています。そのために、文法と聞いただけで蕁麻疹の出るような人にも分りやすい本と思います。『俳句文法ノート』はごく薄い本ですが、「これだけで、俳句の誤りの八割以上が減少する」と序文に書いておられます。同じ著者の『俳句における日本語』は、ページ数が多くなる分だけ詳しくて、ことに句作りのさいによく迷うことのある助詞と助動詞の使い方を中心として、例句を交えて詳しく説明されており、非常に役に立つ本と言ってもよいでしょう。私は後者の本をいわば駆込寺のように使用しています。興味のある方はこの本の方が手応えがあるでしょう。同じく花神社から出版されています。)

 

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      07年7月
 7月17日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。第二部の講義のテーマは「推敲」です。

第一部 栗田主宰の講義
 今日は、推敲のポイントということについて述べてみたい。ポイントは次の五項目となろう。
1 五・七・五を入れ替えてみる。
2 感動の中心は何か。
3 調べは良いか。
  解釈に誤解を招かないか。
5 三句切れになっていないか。
 最初に作った自分の句の五・七・五を、一度前後を入れ替えてみる必要があるかどうかを考えてみるのは大切なことである。入れ替えた方が良いということがしばしばある。句が出来上がった段階で、自分でよく確認してみてほしい。もちろん、いつもひっくり返せというのではない。推敲する場合のことである。次に感動のない句は読者の共感を呼ばないということを知ることである。それ故、感動の中心となるものは何かをいつも確認してほしい。推敲にあたって、次に大切なことは「句の調べ」である。俳句は詩であり、本来歌うものである。調べの悪い句は歌うことはとてもできない。これは心すべきことである。さて、五・七・五をひっくり返してみよと言ったが、ひっくり返したがために、意味があいまいになったり、意味にずれが出来たりして、誤解されることがないかどうか一度考えてみてほしい。推敲の最後は、三句切れになっていないかどうかの確認である。
 さて、次に並んだ十句は、ひっくり返してみると作者本来の句となる。これから十分間で、句のどこかをひっくり返して、もとの句にしてみてほしい。その場合、ことばを少し替えなければならない句がある。
@ 豹死んで匂ふ炎天鉄の檻
A 海見えぬ埋立地より蟹しゃぶる
B   誕生日桜桃買はず暮れにけり
C 鶏頭は枯れ尽しけむ父の墓
D 蛸壺にゆふべの緑雨色ヶ浜
E 水に漬け燃ゆる鵜篝生臭し
F 観世音足浮かせたり春の風
G  夜桜を独占したる寮泊り
H 子規庵の柿落葉踏む音立てて
I かがやける昼の鵜川に投網打つ

さて、十分が経過したので、今度は隣の人と答を比べてみてほしい。@からDまでは沢木先生の句、EからIまでは私の句である。それでは元の句はどうであるのかみてゆこう。
@ 豹死んで炎天匂ふ鉄の檻
 「匂ふ炎天」では少しおかしいだろう。
A 蟹しゃぶる埋立地より海見えず
 「海見えぬ」は「見えず」とする必要がある。
B 桜桃を買はず暮れけり誕生日
 「桜桃を買はず」としてこれを前へ置き、「誕生日」を最後へ持ってくる。「暮れにけり」は「暮れけり」とする。
C 父の墓鶏頭は枯れ尽しけむ
 「父の墓」を先頭へ出す。
D 色ヶ浜ゆふべの緑雨蛸壺に
 この句は五・七・五を完全に入れ替える。
E  生臭し燃ゆる篝を水に漬け
 これも入れ替えるのだが、中七の「篝の」を「篝を」とする。
F 春風に足浮かせたり観世音
 「春の風」を「春風に」として、全体を入れ替える。
G  寮泊りして夜桜を独占す
「寮泊り」に「して」を付け先頭にする。「独占したる」は「独占す」と直す必要がある。
H 音立てて踏む子規庵の柿落葉
 「音立てて踏む」として調べが良くなる。
I 投網打つ昼の鵜川のかがやきに
 この句は替えるところが多いので少し難しい。「投網打つ」を前に持ってきて、「鵜川に」を「鵜川の」と替え、「かがやける」は「かがやきに」とする。

句会にはよく推敲した句を出すことが大切であるが、句会に投じた句についての意見や感想がその場で出されるので、それに耳を傾け、更に推敲を重ねて自分の句を完成させるということになる。推敲の大切さをよくよく承知してほしい。

 

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  07年6月
6月19日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。第一部の講義のテーマは「写生と説明――助詞の働き」です。

第一部 栗田主宰の講義
 今日は、沢木先生の句を10句プリントしてきたので、まずそれを見てほしい。
1行商の荷は油紙能登の雪
2苗代は音なし旅の吾等過ぐ
3わが妻の永き青春桜餅
4織娘帰る鉄道沿ひの月見草
5子が知れる雪野の果てに屠殺場
6走り梅雨阿波の女の眉の濃き
7風花の遊ぶや奈良に刃物店
8啓蟄や銀行前に沢庵売
9雪来るか鮴屋の薮に烏瓜
10朴咲くや津軽の空はいぶし銀

 ところで、上の句は実は沢木先生の句そのものではない。句に使われている助詞が違うものに変えてある。どこが違っているのか見つけ出してほしい。訂正した理由も考えてほしい。時間は10分とする。
(ということで10分が過ぎました)
 それでは、順番に見てゆこう。
1行商の荷は油紙能登の雪
「荷は」は「荷に」が正しい。「行商の荷は油紙」とすると、これは「行商の荷」の説明になってしまう。
2苗代は音なし旅の吾等過ぐ
 「苗代は」では説明となる。大体が、「〜は」は説明となるから気を付けること。「苗代に音は無かった」ということであるので、当然のことながら、ここは「苗代に」である。
3わが妻の永き青春桜餅
 「わが妻の永き青春」とやれば、これは単なる事実の報告に過ぎない。「妻にとって永き青春の時期」ということで、「わが妻に」とするのが正しい。
4織娘帰る鉄道沿ひの月見草
 「鉄道沿ひに」が正しい。
5子が知れる雪野の果てに屠殺場
「子が知れる」は「子の」でも「子が」でもどちらでもよい。問題はそこではない。「果てに」ではなく、「果ての」である。「果てに」では、「雪野の果てに屠殺場があった」というだけのことになる。
6走り梅雨阿波の女の眉の濃き
  先生の句は「女の」ではなく「女は」である。これが一番誤りやすいかもしれない。ここの「は」は、強調の「は」であって、単なる主格を示すだけのものではない。
7風花の遊ぶや奈良に刃物店
「奈良に」は「奈良の」とする。「奈良の刃物店」を詠んでいて、奈良に刃物店があったと言っているのではない。
8啓蟄や銀行前に沢庵売
  「銀行前に」は「銀行前の」である。
9雪来るか鮴屋の薮に烏瓜
  これも「薮に」を「薮の」とする。この句は「薮の烏瓜」を詠んだ句である。7番、8番、9番ともに、「に」と「の」の違いを説明するのは難しい。この違いは句を沢山読んで自得する以外に手だてはないかもしれない。
10朴咲くや津軽の空はいぶし銀
  「空は」ではなく「空の」である。「は」では説明ということになってしまう。

  さて、先生の句をこうして見ていると、この即物具象の句は「物と助詞」のみで成りたっているものが多く、修飾語や動詞が非常に少ないということに気付く。
  この問題をやってみて、助詞の扱いが非常に大切であることが理解されたであろうが、即物具象の句にあっては、まさにこのことが重要なポイントであって、助詞の一字が句にとって命取りになってしまうことにもなるのである。問題の句では、「に」を使っても「の」を使っても、文法的にはどちらも間違いではない。しかし、この助詞の一字の違いで即物具象の句になったりならなかったりする。あるいは、単なる事実の説明だけのものになってしまう。実際の句作にあたって、皆さんもこの助詞の扱いにはいつも悩み迷っているものと思う。
  「人に会うまでの色濃きサングラス」は私の句だが、これで思いついたことがある。この句で「人に会うまでは」としたら、原句とどう違うかということである。原句の「人に会うまでの」であると、これは「色濃きサングラス」に直接繋がっていて、「サングラス」のことを詠んでいることになる。この句のポイントは「色濃きサングラス」にあるのだから、「会うまでの」と「の」でなければならない。これが「会うまでは」であれば、「人に会うまではサングラスをしていた」ということで、「ことがら」の句になってしまう。即物具象の句ではなくなってしまう。たった一字の違いであるが、句としては大変な違いとなる。
  最近読んだ本であるが、深見けん二さんの「一字のてんさく」という本があるが、この中にたいへん面白い記事がある。長谷川素逝が「氾濫の黄河に民の粟沈む」と投句したものを高浜虚子は「氾濫の黄河の民の粟沈む」添削をして選をしたというのである。「黄河に」でも別に文法的にどうこうという問題はなく、意味もそれなりに通るのであるが、「黄河に」では、単なる事実の説明に過ぎないというのである。「の」とすれば、一句の焦点は沈んだ粟に置かれることになり、更には「黄河の民」としたことで、広く「黄河流域の民」を想起させる効果があるというのである。
  わずかに一字の違いであるが、作句にあたっては十分に考えてもらいたいことである。

 

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     07年5月
5月15日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。第一部の講義のテーマは「軽率に句を作るな」です。

第一部 栗田主宰の講義
 「軽率に句を作るな」というびっくりするような題であるが、これは高野素十のことばである。まず、彼の言葉を紹介しよう。
「軽率に句を作るな。嘘を句にするな。頭の中だけで句を作るな。目に見えること、耳に聞こえることを気取らずにその通り句に作れ」
この「気取らずに」というのは、沢木先生の言葉で言えば、「素直に、ありのままに」ということになろう。少し俳句に慣れてくると、自分の句が平凡に見えて、気取った句を作りたくなる。それは良くないことである。
 「無心の眼前に風景が去来する。そうして、五分――十分――二十分。眺めている中にようやく心の内に興趣といったものが湧いてくる。その興趣を尚心から離さずに捉えて、尚見つめている内にはっきりとした像となる。その印象を初めて句に作る」
 無心ということが大切であると素十は言う。例えて言えば、邪念を持って吟行に行ってはいけないということになろう。吟行の邪念とは、一つには前もって先人の句を調べてから吟行に行くということで。現地に行って、先人の句の情景があったあったと感心していても何にもならない。もう一つは、吟行に行って常識的にものを見るということである。こんなことを参加者がやると、その吟行会ではみながほとんど同じような句を作るということになってしまう。席題をやると、みな同じような句を作るのもこれと同じことで、常識から抜け出すことができないからである。見たままと言っても、何も考えずにさっさと軽率に句作りはするなと素十は言う。十分二十分と時間をかけてはっきりとした像となるのを待って句を作れという。これが大切なことで、自分の心を通して対象を捉えること、それにより、もののありようがはっきりと見えて来る。そこで初めて自分の感動をことばに置き換えることが出来るようになるのである。
 素十の有名な句「ひつぱれる糸まつすぐや甲虫」は、五分――十分――二十分と無心にものを眺めて出来た句であろう。

素十と同じように、高浜虚子は「じつと眺め入ること」が大切であると言っている。
 「じつと物に眺め入ることによつて新しい句を得ようとする努力を、写生といひます。写生といふと何でも目で見たものをそのまゝスケッチすればいゝといふ風に心得てゐる人がありますが、さうではありませぬ」
 子規は「見たままを作れ」と言った。これは、句は理屈で作るものではないことを強調したのである。その当時は理屈の句ばかりがもてはやされていたので、それを否定するために、写生、写生と子規は言ったのである。ところで、虚子は、単に見たままをスケッチすれば良いというのではないと言う。これは、子規の写生を越えた、いわば第二段階の写生というものである。そのことで、虚子は次のような例を出している。
 「春先に散歩に出て、水の割合たくさん流れている溝を見付けた。そこに春先らしい暖かさと同時に寒さを実感した。この情景を句にするには、「水温む」という季語がよいだろと思った。しかし、更にその溝を眺めていて次々と気付いたことがある。
 発見1 古い藻草の中に春のシンボルのような一枚の浮草を見付けた。
 発見2 一つの茎が永く伸びてずっと遠方の水底に根を下ろしてゐることが明白となった。発見3 茎が放射状に出ていて遥かな距離の水上に一つ一つ銭ほどの葉を浮かべてゐる。
 これらのことから「一つ根に離れ浮く葉」という言葉が心に浮かんだ」
 虚子は対象をじっとじっと眺め入って、そして幾つかの発見をし、それを「一つ根に離れ浮く葉」という言葉に置き換えたのである。それが即ち「写生」である。虚子はこの情景を最終的には「一つ根に離れ浮く葉や春の水」という句にしている。ここで、何故季語を「水温む」ではなく「春の水」にしたのかということは、説明するのは中々難しいのだが、「水温む」は水の状態を表しており、水の状態にウェイトがある季語であるが、「春の水」と言った場合には、水そのもののことを言っており、この情景ではそれが良いと判断したのであろう。
 写生とは、対象に眺め入って自分の目で発見をし、そのもののありようを確実に捉えるということである。しかし、それだけで終るのではない。今度はそれを言葉に置き換えることが必要で、このためには言葉のストックがどれだけあるかということが問題となる。これは何も難しい言葉を使えということではないので誤解のないように。対象にじっと眺め入ること、そして自分の心がその対象の何処に、何に感動したのか。そして、心に響いたものをじっと温めて、その感動を言葉に置き換えるのである。

 

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    07年4月
 4月17日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。第一部の講義のテーマは「即物ということ」です。

第一部 栗田主宰の講義
 本日は「即物」という俳句の基本を考えてみたい。これはこれまでも何度も何度も話をしてきたことであるが、俳句の基本中の基本ということで、もう一度考えてみたいのである。
 簡潔に言えば、「即物」とは、「説明を避け、物に感動を托して表出する」ということである。ここで、蕪村の俳句と人麻呂の短歌とを並べてみよう。
 A 菜の花や月は東に日は西に    蕪村
  ○ 花の盛りの菜の花の色と明るさを描写。物に感動を托し、あとは読者に委ねる。
 B 東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ  人麻呂
  ○ 景の大きさに対する感動
 人麻呂の短歌では、「立つ見えて、かへり見すれば、傾きぬ」と動詞を連ねて感動を強調する。一方、蕪村の句では、作者は感動を述べてはいない。感動を物に托しており、その托されたものを読者は読み取らねばならない。しかし、ともすると感動を読者に委ねることをしないで、作者が前に出てきて説明しようとしてしまいたくなる。これが俳句のおとし穴ということになる。「即物」とは、「説明を避け、物に感動を托して表出すること」であり、これが俳句の基本ということをしっかりと承知してほしい。

 ここで、「風」の先達の句を例に引きながら、「即物」の句を見てみよう。
沢木欣一
○ おびただしき靴跡雪に印し征けり(昭和15年)
 金沢の駅前の広場に戦場へ向かった兵士のおびただしい靴跡が残っていた。彼らはここから列車に乗って戦場へ向かったのである。物とは「雪に残された靴跡」である。その靴跡に作者は思いを托している。戦場から帰って来ない兵士も数多くあるであろうと。
○ 松風や末黒野にある水溜り(昭和18年)
 奈良の飛火野あたりの景という。物は「末黒野にある水溜り」である。春に野焼きで草木の先が燃えきらずに残った野に松風が蕭々と吹き渡る。そこに残った水たまりを見た作者の感動。
○ 鉄板路隙間夏草天に噴き(昭和28年)
 金沢のすぐ北にある内灘。そこにあった米軍基地反対運動にかかわる句である。基地周辺に敷かれた鉄板の道路のその隙間からも夏草が生えてきて天に向かってたくましく伸びようとしている。物は「夏草」。その夏草に作者は感動を托している。
○ デモの年汗に腐りし腕時計(昭和35年)
 日米安保条約反対運動の一齣。物は「腕時計」。夏場の反対のデモでバンドも腐ってしまった腕時計が感動を托したものである。
○ 水中に胡桃の殻のふれ合ふ音(昭和42年)
 白山吟行時の句。感覚的な句である。物は「胡桃の殻」。水の中でからからと胡桃の殻のふれ合う音に作者は感動を托している。
  蜻蛉を翅ごと呑めり燕の子(昭和44年)
 立石寺吟行時の句。燕の子が蜻蛉を翅ごと呑みこむのを見た作者。それに感動を托し、仏の摂理を感じると沢木先生は言われている。

林 徹(雉子主宰)
○ 竹の秋迅き流れが貫けり(昭和44年)
 吹き降りの日であったというメモがある。「貫く流れ」という「物」に感動を托した句となっている。
○ 衰ふる力の見えて雪止みぬ(昭和47年)
 雪を命あるものとして捉えた句である。このような句は他にはない。感動をことばで表さないでもそれは読者によく伝わってくる。
○ 鶏頭の影地に倒れ壁に立つ(昭和49年)
 これも有名な句である。物だけで感動を伝える句である。

 「即物」の句を作ると言っても、気を付けなければならないことがある。「即物」というのは、句作りの技術である。いくら、即物の句と言っても、物に托した作者の感動がないのなら、それは単なる「即物」の句であって、それ以上のものではない。大切なのは作者の感動である。俳句には説明は不要である。説明をしないで、物に感動を托す。それが伊吹嶺の俳句であることを強調しておきたい。

 レポートはここまでですが、当日配布されたプリントには他にも句が用意されていました。時間の都合で触れられなかったものですが、「物に托した感動のポイント」を考えて見てください。

宮田正和
○昼顔が咲き保線夫の大薬缶
○山国を幾度貫く稲びかり
○初不動棒のごとくに鴉とぶ
新田祐久
○寒卵飲んで窯の焔守る
○秋冷の風鈴ひびく肋かな
○雪吊りの縄ごと氷る椿かな
栗田やすし
○風呂敷を教卓で解く獺祭忌
○蝉落ちてしばらく鳴けり関所跡
○水黒き運河に割れし西瓜浮く

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    07年3月
 320日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。第一部の講義のテーマは「碧梧桐の句」です。
第一部 栗田主宰の講義
 本日は碧梧桐の若い頃の俳句の鑑賞をしてみたいと思う。
@ 手負猪萩に息つく野分かな(明治26年)
 碧梧桐は明治6年の生まれなので、この句は彼の20才の時の句となる。この句は最初発表された時には「手負猪萩にいきつぐ秋の雨」であった。芭蕉の句に「猪もともに吹かるる野分かな」、凡兆の句に「炭竈に手負ひの猪の倒れけり」があり、この二つの句が念頭にあったことは確かなことと思う。現在なら、俳人協会のコンピュータで、直ちに類想句として槍玉に挙がるかもしれない。だが、ここから分ることは、彼が古典を非常によく読んでいたということである。

A砂の中に海鼠の氷る小さゝよ(明治26年)
 これはたいへん良い句と思う。この句についても、芭蕉の「いきながら一つに氷る海鼠かな」という句があり、先行の句にかなり影響を受けたことが分る。

B春寒し水田の上の根なし雲(明治29年)
 この句は碧梧桐の名句と言ってもよい。江戸時代の俳人惟然の句に「更行や水田の上の天の川」があり、似ているといえばよく似ているが、これを類想句とは言えないだろう。碧梧桐の習作期の作品で、古典の学習の跡がよくわかる。
 最初の頃は、自分の好きな作家の作品をよく読んで、その作家の詩精神を真似ることが大切なことと思う。ことに初心の頃にはこれは重要なことである。例えば、書道などでは、最初は手本をなぞり書きすることが重視されている。それを繰り返すことで、書道は上達してゆくのである。
 @からBまでは、先行の句の影響がわりとはっきり読み取れる。

C赤い椿白い椿と落ちにけり(明治29年)
  これは、碧梧桐の名句と言われている句である。碧梧桐は句会ではこの形で出したのであるが、子規が新聞「日本」にこの句を掲載した時には「白い椿赤い椿と落ちにけり」と、赤と白を逆にして出している。ところが、碧梧桐がこの作品を句集『新俳句』(明治31年)に入れた時には、もう一度順序を逆にして「赤い椿白い椿と落ちにけり」とした。碧梧桐にしてみれば、「赤い椿」が先に落ちて、その次に「白い椿」が落ちたという動きを考えていたのであろうが、子規はそこまでは考えずに、「白い椿」はこちらで、「赤い椿」はあちらでと言うように、静止の状態で落ちた様子を捉えたのであろう。碧梧桐が子規の手を入れた句を元へ戻したのは、椿が落ちるその動きを印象付けるためには、赤を先にしたほうが効果的であると思ったからだと私は考える。

Dから松は淋しき木なり赤蜻蛉(明治35年)
 この句を見れば、誰しも白秋の「落葉松」という詩を思い浮かべるであろう。

   からまつの林を過ぎて
   からまつをしみじみと見き
   からまつはさびしかりけり
   たびゆくはさびしかりけり

 しかし、白秋がこの詩を発表したのは、大正12年のことで、碧梧桐の句の20年以上後のこととなる。だからと言って、白秋のこの詩が碧梧桐の句の真似でありとは言えない。同じような情景を見た詩人の感性のなせる業と言うべきであろう。

E五六騎のゆたりと乗りぬ春の月(明治37年)
 この句を見れば、当然のことながら、蕪村の「鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな」を思い起こす。ただ、句の雰囲気は随分替えてある。蕪村の句にはなにかしら緊迫感があるのに、碧梧桐の句にはそれはなく、ゆったりとした景がそこにはある。

F馬を追ふ妹にあひけり花茨(明治40年)
 この句は、芭蕉の『奥の細道』の「かさねとは八重撫子の名なるべし」を念頭に置いていることは確かである。しかしその影響は、上の@からBまでと同じレベルのものではない。
 碧梧桐はとにかく古典を良く読み、古典を手本として句作に励んでいる。古典を学び、古典から多くのものを受け取ることは、非常に大切なことである。吟行に行かなければ句が出来ないという人があるが、なにも吟行だけが句作の訓練の場ではない。古典に学び、先人の句に学ぶことも重要な句作の修練となる。そのことをここで強調したいのである。

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   07年2月
 220日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。第一部の講義のテーマは「選句」です。

第一部 栗田主宰の講義
  本日は、沢木先生の著書『俳句の基本』の中の「選句」という文章を学びたいと思う。この『俳句の基本』の中にある文章は、沢木先生が「風」誌に「風木舎俳話」として連載されたものである。それを、後にまとめて『俳句の基本』となったのである。  ここで、「選句」という文の重要な点を読んでみよう。
  「俳句で選句の大事なことはいうまでもない。句会で選句の発表を聞くと、選んだ人の実力がだいたいわかるといわれているし、また、他人の句の良さに純真に感心しない人には向上はないともいう。
 句会は自分の作った句を発表する場であるが、同時に人の句を見せてもらうろころでもある。両方とも大切であるが、私は後者の、人の句を見せてもらって美点を発見し、自分の実作の養分にするということの方に重点をおきたい。自分の点数だけを気にするようなのは下の下である。
 私の選句がきびし過ぎるという風評が一般にあるそうだが、決してそんなことはなく、見どころのある作品は一句でも多く採用しているつもりである。句を見せていただいて何とか良いところを発見したいと精一杯の努力を傾けているつもりである。」
 このことについて、同人会の席上で、その時期には「会員倍増運動」を行っていたのだが、ある同人が、「先生の選は厳しすぎるので、会員を増やすには選をもっと緩めてはどうか」と発言した。すると、先生は烈火のごとく怒られて一同しゅんとしたことがある。なんとか一句でも取りたいと懸命に努力をしているのに、何を言うのかということである。
 「私の選句の基準は単純明快である」として、先生は三つの基準を明らかにされている。
@句意が定かであること。一読何をいっているのか意味がはっきりしない句は採らない。日本語として失格であるから。
A即物具象を心掛けていること。つまりは写生の態度・方法である。だから月並の句は採らない。月並句というのは一句のなかで理屈を並べているもので、観念の句である。観念句は理屈に訴えるが、感覚・感性には訴えない。句が月並であるかどうかは、理屈で割り切ってみるとはっきりする。理屈で割り切ってはっきり割り切れる句はまず月並と思ってよい。花の美しさなどは理屈で割り切れない。
B俳句はあくまで詩であり、韻文であること。散文的なナマな事柄を説明しても俳句にはならない。定型と季語という約束の形式を通すからこそ韻文になるのであって、散文的な句は採らない。
  沢木先生は、これが作句の基本といわれている。そして、基本をおろそかにしては一歩も前へ進めないと説かれている。
  本日は、沢木先生の説かれたことを、この後で行われる句会での私の選評で具体的にしてゆきたい。(本日は一人一人の句について懇切丁寧に論じていただきました 旅遊)
 なお、ここからは私(旅遊)のコメントです。『俳句の基本』は、沢木先生がその時々に「風」に書かれた文章を集成したものですが、私たちの句作りのための教科書のような役目の本でして、第一部の「俳句実作のポイント」では、句作りにあたって我々が注意すべきことが丁寧に説かれています。さらに、第二部では、「写生の佳句」として、「風」に投句された句を例にして、それらの句がどのような点で優れているのか、写生とはどのようなことを言うのかなど、たいへんに具体的に解説をされています。ぜひお読みいただきたいと思います。
『俳句の基本』 東京新聞出版局   \ 1,456

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 07年1月
 1月15日、本年最初の定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。第一部の講義のテーマは「先達の言葉から」です。

第一部 栗田主宰の講義
 私の著書の「現代俳句考」の中の「先達の言葉から」を読んで、先達が俳句をどのように考えてきたのかを考えてみたい。
 子規は「巧を求むる莫れ」と言っている。これは「俳諧大要」の中の一文であるが、この部分をもう少し長く引用すると、「俳句をものせんと思はゞ思ふまゝをものすべし巧を求むる莫れ拙を蔽ふ莫れ他人に恥かしがる莫れ」である。これはごく初歩の俳人に対して述べられたもので、季語とか写生とか難しいことは云わないで、まず十七字の枠に慣れさすことを教えようとしたものである。
 ものに感動するのに初心者もベテランもない。美しいものは美しいのである。ただ、その感動を俳句にしようとするためにはそれなりの、というよりも相当の技巧が必要である。まさに至芸によって傑作は生まれるのである。子規が「巧を求むる莫れ」と言っているのは、基礎も身についていないのに巧く作ろうとするなというのである。巧く作ろうとする気負いが美しいものを見て美しいと感動する純真な心を曇らせてしまうのである。そのことを恐れての言葉である。日展作家と初心者が技巧で競おうとすることの愚は誰の目にも明らかである。技巧というものは日々の努力の積み重ねによってのみ得られるものでただ焦ってどうなるというものでもない。
 さらには「拙を蔽ふ莫れ」「他人に恥かしがる莫れ」である。初心者が拙いのは当然で何も恥ずかしいことではない。拙いながらもそこにこめられた感動が手垢に汚れていない純真なものであれば人の心を打つのである。
 初心者の何よりの武器は「初々しく、無垢な心」である。経験を積むことによってこれを忘れてしまうのを芭蕉は戒めて「俳諧は三尺の童にさせよ」「初心の句こそたのもしけれ」と言っている。これは相当に経験を積んだ俳人に対して説かれた言葉である。
 十年も二十年も俳句を作っていて技巧を身に付けていたとしても、その感動が俗気に満ちたものであればどうしようもない。

 次に、「生命の躍動のないところに詩はない」という加藤楸邨の言葉をみてみよう。
 俳句の悪口に「根岸の里の詫居」というのがある。つまり、俳句なんてなんでもない。
  ふる雪や根岸の里の詫居
  月照らす根岸の里の詫居
    花散るや根岸の里の詫居
といった調子で「根岸の里の詫居」の上に何でもくっつければいいというのである。
 こういう悪口を言われるのも、世の中に素材や着想のみで手軽に俳句形式にしてしまう人たちが多いからで、それも初心者よりも寧ろかなりの経験者に多いのは、俳句形式に対する馴れから、俳句が人間を生かす芸術であることを忘れてしまっているからである。
 加藤楸邨は「内的表現」を充実させることの必要性を説いて
  「おどろく」ということは、事物の中の新しさ、美しさ、を発見して、生命の躍動を感ずることです。つまり、実感をもつということです。生命の躍動のないところに詩はない。「おどろくこと」の出来る新鮮な状態にいないと、内的表現は充実しない中に心から消えてゆき、よしんば十七音にされても、人の心を打つ力がありません。(「俳句表現の道」)
という言葉をみせている。つまり、うわべの感じで、手軽に俳句形式にしてしまわないで、充分に実感としてこみあげて来るのを待って作るべきだというのである。
 楸邨の代表作の一つに
  隠岐や今木の芽をかこむ怒涛かな
がある。この句は後鳥羽院の生き方の偉大さを肌で感じとろうとの念願から隠岐に渡り、後鳥羽院火葬塚を訪れたときの作品である。楸邨はこの句に触れて

「私の胸中に渦巻いていたものを、何とかして言いとめてみたい、それを景だけではなく、心の動きをこめたものとしてつかみとめてみたいというのが、そのころの願いだった。

 そんな気持で歩きまわっている中に、私の心の中の怒涛が、次第に外の隠岐の怒涛と一つになりはじめていた。つまり、滲みあうように内と外とが重なりあってきたわけである」
と述べている。つまり、楸邨は芽ぶきの木々をめぐって、打ち寄せ、とどろく怒涛に「内なるもの」を実感したのである。

 この他にも、俳句の勉強の指針となる「先達の言葉」は多い。その幾つかを挙げてみよう。
 村上鬼城に「濡れ手で俳句は掴めない」という。「濡手で粟は掴めるかも知れないが、濡れ手で俳句は掴めない。そもそも詩なるものは、作者の反映であって、自分の影が障子に映るのである」と言っている。
 秋元不死男は「俳句は抒情を物に寄せる」という。即物具象ということである。
 山口誓子は誓子らしく「俳句は感性と知性の美しい融合」と言う。つまり、誓子は、感動は自然(物)と出会って思わず「ああ」と叫ぶその叫びであり、瞬間的な直感(感性)によって捉えるものである。ところが物というものは自然において単独にあるものではなく、他の物との関係においてあるのだから、その物と物との関係(因縁)を詠うのは俳句である。そして、その関係はありふれた関係ではつまらなく、想像力を働かせて飛躍させ、自然の物と物との新しい関係を詠うべきであると説くのである。
  飯田蛇笏は「我々の奉ずる俳句は、皆粒々辛苦の、正しい人間生活から流れ出る結晶であり、指先からペンをかりてほとばしり出る血潮そのものでなければならない」と言う。
  富安風生は「朽木は彫るべからず」と言っている。
    柱から庭木へ縄や土用干

の句を取り上げ、「見たまま有のままが叙してあ」るが「ただごと過ぎて、趣が乏しく、詰まらない」「一口に言えばこの事実に詩がない」とし、この句を否とし、
 総ての事実が詩材たり得る訳ではない。朽木は彫るべからず、(中略)写生といふことを穿き違へて、俗耳俗眼に入り来るところの現象そのものに、何ら取捨選択を施すことなく?自己の情操の坩堝で陶冶を加ふることなく?据ゑられた写真器が種板に物を撮しとるやうに?外物をただ十七字の形の中に嵌め込んだというだけでは詩にならない」と説いている。
  この他にも先達の言葉から学ぶものは多い。新しい年を迎えるにあたって、もう一度これらの言葉を心に留めておきたいのである。

  栗田先生のお話はこれで終りですが、本日の講義に使われた先生の著書をご紹介します。
  書名  現代俳句考  平成13年発行  豊文社  \2,000
  俳句の勉強にはたいへん参考になる本と思います。


2006年分

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0612
 12月19日、本年最後の定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。第一部の講義のテーマは「推敲のポイント」です。

第一部 栗田主宰の講義
  本年最後の俳句教室であるので、今日は「推敲」ということをもう一度考えてみたいと思う。俳句を作りはじめて、日の浅い人もそうでない人も、自分の句がよく出来ているのか、そうでないのかを判断するのはなかなか難しい。そうかと言って作りっぱなしで後は指導者任せというのでは上達は覚束ない。そこで、推敲のポイントを挙げてみる。

  1定型は守られているか。
      字余りの句は避けるように注意しなければならない。
  2 季語が入っているか。
      季重なりということの注意であるが、季語は二つ入っていても、その季語がものとして使われている場合は、季重なりとは言わない場合がある。
  3 句が切れているか。
      俳句は散文の切れっぱしではない。切れは大切な要素である。
  4 調べは良いか。
      俳句は詩である。句のリズムは大切。
  5 写生は核心にふれているか。
     
要は、感動の中心をなすもの以外の説明的な要素があってはいけないということであり、省略が効いた表現であるかどうかということである。これは、次の7と関連がある。

  6 即物具象の表現であるか。
      ものを核としての俳句であるかどうか。
  7 事柄の説明をしていないか。
      単なる説明は写生とは言わない。
  8 季語は有効に働いているか。
      季語は季節感を持っているのは言うまでもないが、季語は作者の思いを代弁するものであるし象徴するものでもある。
  9 言葉の集約・省略はできているか
      5と関わりのあることだが、俳句は省略の詩であることをいつも念頭の置くこと。
 10 自分のうたいたいこと(感動)が表現できたか。
      句の中心に感動が据えられているかどうかということである。これは、この講義の後半でもう一度別項目として触れる。

  以上の十項目を常にチェックして句会に投句すれば、指導者の選評や仲間の感想を聞く
態度も自ずとより真剣なものになろう。選評には俳句上達のポイントが書かれているのだ
から、漫然と選評を読むのではなく、学ぶ態度で読んでほしい。私の場合なら、伊吹嶺の
選評をしっかりと読んで欲しいということである。

  十項目の中で、7の「事柄の説明をしていないか」を考えてみよう。「説明」と「写生」の違いがわからないという声をよく聞く。確かにわかりにくいのだが、子規が言っているように「感動したら感動そのものを詠まないで、感動を引き起こしたものとものを詠む」というのが写生の基本である。自分の受けた感動がどのようなものであるかを言葉で現そうとすれば説明になってしまう。ああしてこうしてと言うのが説明である。
 日盛りの牧場へ出かけたとしよう。大きな牛がいかにも気だるそうにしているのを見て、ああ牛もこの暑さではたいへんだなと思う。牛にたいする思いやりであり、暑さの共感である。さて、この感動を俳句にするには、季語はどうするか。
 A 炎天に牛が立ちゐてあはれなり
 B だるそうに牛が立ちゐる炎暑かな
AとBを比べればAが駄目なのはすぐわかる。「あはれなり」は「感動そのもの」のなまの表現であって写生ではない。Bが良いかといえばこれもまた否である。確かに、「だるそうに」が感動の中心である。しかし、このような表現は作者の頭の中で考え出した理屈の説明であって、決して写生ではない。さらに、この句の物足らなさはもう一つ突っ込んだ写生の目が感じられないことである。そこで、
  C  だるそうに牛が塩舐む炎暑かな
はどうだろうか。「塩舐む」が発見であり、よく対象を見据えた成果である。しかし、「だるそうに」は写生ではない。とすれば、どうすればいいのか。もう一度牛そのものを見据える。そこで、塩を舐めているのは孕み牛であることに気付く。
  D  孕み牛塩なめてゐる炎暑かな
目の前の牛を「孕み牛」と認識したとき対象の本質をものとして掴んだのである。
「孕み牛が塩を舐めている」という把握は決して平凡ではない。「ああ、たいへんだな」という孕み牛にたいする作者の思いが「塩なめてゐる」という的確な写生と、季語「炎暑」とが響きあって一句に定着したのである。

次に、推敲のポイントの十番目に挙げた「自分のうたいたいこと(感動)が表現できたか」を取り上げるが、これは究極の目標と言ってもよい。感動のないところに詩はありえない。感動は「ああ!」である。それは他人に教えられたり、真似たりするものではない。自分が心の底から発する「ああ!」でなければ感動とは言えない。何に感動するかは人によって違うが、大切なのは、どんな些細なことにたいしても素直に感動する心である。
「ものに感動する心」は常に養いつづけなければ細ってしまう。では、どうすれば感動する心を養うことが出来るのか。
まず第一に優れた文学作品を沢山読むことである。多くの優れた作品に込められている感動を自分のものとして真に味わうことによって、自らの内に眠っている「感動する心」を呼び覚ますことである。
吟行に出掛けるのも自分の中に眠っている「感動する心」を目覚めさせるためである。日常生活から離れて新鮮なものに触れて「ああ!」と驚くためである。
第二は、優れた俳句の鑑賞文を読むことである。優れた鑑賞はその作品の感動がどのように作品化されているかを説き明かしてくれる。自分では気づかなかった読みの深さを学ぶことで、「感動する心」が養われるのである。
自分には才能がないのではないかと思う前に、「感動する心」が痩せてはいないかと考えてみるべきである。この「感動する心」を養いつつ、その感動を俳句という詩形で表現する方法を身につける必要がある。
方法は技・あるいは芸と言ってもいいかと思う。いずれにしても、これは簡単に身に付くものではない。地道な努力こそ必要である。「風」の写生の態度・方法をしっかりと学び、それを身につけた時、初めて俳句の基礎が身に付いたと言える。
「風」は文芸としての俳句をめざしており、沢木先生は毎月の選句を通してそれを教えて下さったのですが、ことに「風作品の佳句」はその凝縮したものであった。技とか芸というものは努力なしに身につくものではない。毎月の句会を大切にして、背伸びしないで素直に自分の本当の感動が詠えるようにお互いに頑張りたいものである。

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  0611
 11月21日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。第一部の講義のテーマは「「風」系俳句の現在と未来」です。

第一部 栗田主宰の講話
 本日は、「俳句四季」12月号の特集で「「風」系俳句の現在と未来」が取り上げられているので、そのことについて話をしてみたい。この記事の筆者は東京新聞の山田春生さんである。山田さんは「風」の同人でもあった人で、「風」が終刊となってからの、「風」系の俳句集団が「風」の精神を受け継いでどのように活躍しているかを、「風」系の結社を紹介しながら要領よくまとめておられる。それによると、現在そうした「風」系の結社は全国に十以上ある。「風」の系統の俳誌には次のようなものがある。「春耕」「雉」「山繭」「伊吹嶺」「きたごち」「万象」「栴檀」「風港」「なると」「堅香子」など。
ここで、山田さんの文章を引用してみよう。
  「わが師沢木欣一が亡くなって早五年。その妻細見綾子が亡くなってからもう九年になる。この両師を偲ぶ「風」の会が去る九月九日、愛知の犬山で開かれた。「風」の発祥の地金沢で開かれた第一回から数えて三年ぶりのことで、参会者は百八十六名。うち往時の同人は九十三名。「風」終刊の時の同人は三百十三名だったから、いささかさみしかったが、二年後に広島で会うことを約して別れた。
 「風」は一代限り、という欣一の遺言により「風」の後継誌はない。いわゆる「風」の血を引く結社誌は今、全国に十以上ある。つまり、「風」の同人、会員は地域ごとに分散してしまったわけで、お互いに欣一の「志を高く」という願望、「即物具象」という作句精神を受け継ぎ、それに何らかのものを足そうとしてそれぞれに頑張っているといっていい」

さて、私はこの特集記事で「伊吹嶺」について次のように書いている。
 「伊吹嶺」は平成十年一月、「風」愛知県支部発足二十五周年を期して創刊した。「発刊の言葉」で私は「「伊吹嶺」は俳句における文芸性の確立を念願して創刊された「風」の理念を基本に据え、即物具象の俳句をめざすとともに、日本の伝統詩としての俳句を若い世代に正しく伝えることをめざす」と書いた。
 来年はその十年目を迎える。この間、沢木・細見両師を失い、「風」が終刊となったことは余りにも大きく悲しい出来事であった。
我々が「風」で学んだことは、「物に即し、物を通すことによって感動を定着させることが俳句の大原則である」という即物具象の写生句である。「真面目」に、そして「気宇壮大」であれ、というのが先生の口癖であった。この教えは「伊吹嶺」にとって永遠の指標である。
 沢木先生は「伊吹嶺」の三周年記念号に「思い切った試みを・・・」「大いなる冒険を・・・」と書いてくださった。これは「風」俳句を継承する「伊吹嶺」への課題であり、励ましであった。
 「風」俳句の基本を守りつつ、先生より与えられた課題をどう理解し、実行すべきか模索していくこととなるが、その一つは創刊以来取り組んできたインターネットの有効な活用により、新しい結社の姿を模索しつつ、地球規模で「日本語による俳句」作者の輪を拡げようという試みである。それは結社という単位を破壊するエネルギーとなる危険性を孕んでいるのかも知れないのだが。

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0610
 10月17日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部か句会です。第一部の講義のテーマは「川柳と俳句」です。

第一部 栗田主宰の講話
 川柳と俳句の違いについて、正岡子規は「俳句大要」の中で次のように述べている。
「滑稽も亦文学に属す。然れども、俳句の滑稽と川柳の滑稽とは、自ら其の程度を異にす。川柳の滑稽は、人をして抱腹絶倒せしむるにあり。俳句の滑稽は、其間に雅味あるを要す。故に、俳句にして川柳に近きは俳句の拙なる者。若し之を川柳とし見れば、更に拙なり。川柳にして俳句に近きは、川柳の拙なる者。若し之を俳句とし見れば更に拙なり」
 川柳の「笑い」は「穿ち」である。「穿ち」とは人情の機微にふれることである。

 俳句を例に取って考えてみよう。林徹先生は「細見綾子編『欣一俳句鑑賞』東京新聞出版局」の中で、沢木先生の句「夜更かしを妻に叱られ干菜汁」を次のように鑑賞されている。
「夜更かしの原因は、どうも原稿書きのような感心なことではなさそうに思われる。昨夜の夜ふかしを妻に懇々と意見されながら、作者は黙って干菜汁をすすっているのである。自分でもしまったとおもっているところへ、自分の健康を気づかっての小言だから、さすがの欣一も反駁することができない。情けない気持が干菜汁に託されているようだ。「青菜に塩」ということわざも連想されて、おかしさはつのる」
 この句はたしかに滑稽な感じのする句であるが、川柳との違いを考えると、林先生の言われるように、「情けない気持が干菜汁に託されているようだ」という所に決定的な違いがある。俳句では、感動のポイントを季語に託すのである。

 「風作品の佳句」の中での、沢木先生の句評を引用してみる。
「電柱に縄張り渡し若布干す」
 電柱をとらえたのがおもしろい。作者はおかしみをとらえたのだろう。
「春愁やヒステリーに効く煎じ薬」
 春愁という季語は甘く常識的に流れやすいが、この句はおかしみがあって面白い。
二番目の句では、「春愁」に新しい思いを付け加えたと言ってもよい。この句は単なる季題趣味の作品ではない。

 さて、最近面白い経験をした。「センリュウトーク」という会で川柳の選者をしたのである。川柳にはまったくしろうとであるが、どんなことでも経験とばかり、選者を引き受けてみた。そこで私の選んだ句を幾つか紹介してみよう。
○帰省の子母の味噌汁だけ褒める
 「だけ」が実に面白い。
○手を振ってお辞儀までして知らぬ人
○訣別のドアをしつかり閉め直す
○整理した後から探しものしてる
たいへん面白い句があるものと、一読者の立場から選句をしてみたわけである。

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06年9月
 9月19日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。本日のテーマは、前に一度「俳句の推敲十箇条」の四番目「切れはあるか」で、「切れ」の問題のお話をしていただきましたが、本日はもう少しそれを突っ込んで考えてみたいということ「切れ」がテーマです。また、句会では、今回から出席者を少なくすることとなりましたので、時間の余裕が出来て、投句を一句づつ取り上げて丁寧に講評をしていただました。非常に具体的なお話でたいへんに勉強になる句会となりました。

第一部 栗田先生の講話  「『切れ』について」
 石田波郷の句に「霜柱俳句は切れ字響きけり」という有名な句がある。最近読んだ本でああるが、この「切れ」について、「俳句で切るということは、俳句の最短詩型を成り立たせる魔法のような技法である」と書かれていた。要すれば、切ることで間が生まれ、間が生まれることで飛躍や広がりが生まれるのである。因みに、芭蕉は「四十八字みな切れ字」と言っているが、普通には「や、かな、けり」を三大切れ字とよんでいる。
 そこで、沢木先生の句集や私の句集、誓子の句集で、三大切れ字と言われている「や、かな、けり」がどの程度使われているかを調べてみた。どの句集も収録句は300句である。
 まず、沢木先生の自註句集では、「や」25句(8%)、「かな」13句(4%)、「けり(たり)を含む」27句(9%)であった。俳句文庫の句集では「や」17句(6%)、「かな」12句(4%)、「けり(たり)を含む」24句(8%)であった。
 次の今度出た私の句集では、「や」24句(8%)、「かな」11句(4%)、「けり(たり)を含む」8句(3%)であった。「や」「かな」は沢木先生とそれほど変わらないのに「けり」の少なさが目立つ。
 誓子の句集はどうかと思って調べてみた。「や」23句(8%)、「かな」8句(3%)、「けり」3句(1%)という結果であった。「けり」が際立って少ない。誓子は三大切れ字を意識的に避けた作家として知られている。しかし、「ホトトギス」の出であるので、最初のうちは切れ字を多用している。調べた句集で「や」が多いが、これは初期の作品である。後期の作品となると、ほとんど「や」は使っていない。誓子は「〜なる」を多く使っている。
 私の句に「けり」が少ないのは誓子の影響を受けたものと思う。当時の若者は誓子から俳句に入ったようなものであるので、このようなことになったのであろう。
 結論として、俳句には「切れ字」は必要である。切れがあるからこそ俳句が成り立つとも言える。この切れ字を意識してこれからも作句してほしい。

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   06年8月8日
 8月8日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。本日は先月と同じように、出席者の投句を一句づつ取り上げて丁寧に講評をしていただました。非常に具体的なお話でたいへん、勉強になる句会でした。以下、句会での先生の句評を出来るだけ多くご紹介することにします。お読みいただく方にも大いに参考になるものと思います

□夏の月庭園灯の火影かな
「月」と「灯」と「火影」で同じようなものが集まってしまった。「夏の月」を「夏の夜」としてはどうか。

□梅雨深し鵜塚に尼の墓二つ
「鵜塚」と「尼の墓」では重複というもの。どちらか一方にして、それで句を仕立てた方が良い。

□老鶯や御嶽さんで銅鑼を打つ
「老鴬」と「銅鑼」で音が二つになる。考え直すべきである。

□とんぼ追ふ子等の一人になりにけり
内容がすっと掴めない。作者が子供らの一員となってとんぼを追いかけたということか。作者は自分では絶対に良い句と思うのだが、読み手にはどうにもわからないという典型的な例のような句である。

□丁寧な母の箱書盆用意
何が丁寧なのかこれではわからない。具体性が欠けている。

□連子窓覆ふ夕顔天ぷら屋
この情景は天ぷら屋に限るのか。作者が見たのがたまたま天ぷら屋であったかもしれないが、しかしそれだけでは句にはならない。

□田の闇の響く夏越の大花火
「夏越」は強い季語であるので、この句では使うべきではない。花火と田の闇とで句を仕立てるべきである。その方が句が単純となって、かえって深みが出てくる。

□夏の日や乾きしGパン揉みほぐす
よく見かける句。新しさがまったく無い。句材に新鮮さが必要。

□退勤の鉄路見下すビヤホール
「退勤」がわからない。このようなことばは普通に使われるものではないだろう。勤務が終ってということなら、それが分かるような語を選ぶべきだ。

□草刈りて神父の墓に雨滲むる
「草刈りて」の「て」で、なにか因果関係のようで気になる。「て」ではなく「し」とすべきだろう。

□万緑の平和の鐘の音透きとほる
「透きとほる」が良くない。もっと素直に詠んだほうがよい。

□梅雨に浸む万の折鶴学徒の碑
「浸む」がまずい。印象が弱くなって、折鶴だけの句になってしまう。梅雨深しとすれば、学徒の碑が生きてきて思いの深い句となる。

□離村者のダム湖に集ふ里の秋
大雑把に過ぎるし、説明調である。「里の秋」が甘い。

□石垣に山百合咲けり武家屋敷
可もなし不可もなしという句。ただ、この句は1度も披講されなかった。

□岩石に印す矢印青嶺道
「岩石に印す矢印」までは面白そうな句と思ったが、座五でぶちこわしになってしまった。「青嶺道」では景が広がりすぎるというもの。焦点をぐっと絞ること。

□語り部は白髪の婆たち葵
「白髪」でよく分かるので「婆」は必要ない。それに「たち葵」という季語はまったく効いていない。

□原色の灯籠流る被爆川
「原色」などとしないで、「赤き」とか「青き」としたほうが印象が鮮明になる。「流る」も「流す」としたほうが良い。

□昼顔の一本の蔓籠に活け
花がどこかへ消えて、蔓だけを活けているようだ。

□糶舟に群なし走る和金かな
金魚が川の中で舟を追いかけているようにみえる。実際は、糶舟という金魚を入れる容器の中で和金が群をなしているということであるので、そこを分かるようにしなければならない。

□墓鴉供華の鬼灯食ひ散らす
「墓鴉」が無理。こんな言い方はないだろう。句の意味はよくわかるが。

□一輪の薔薇のタトウーや水着の娘
タトウーの場所が分かったほうがよい。それに、水着の娘があいまい。サーファーならばはっきりそうしたほうがよい。

□かなかなや握りて余る母の腕
「余る」よりは、素直に「細し」としたほうがよい。「細し」の方が実感がある。素直さが肝腎。

□荒梅雨の川の猛りや稲葉城
「川」と「稲葉城」で焦点がばらけてしまった。どちらか一方に絞ること。

□童謡の笛たどたどし夏休み
「童謡の笛」が疑問。そのような笛があるのかと思ってしまう。

□風死すやべろで息するブルドッグ
なにもわざわざ「べろ」ということはない。「舌」で充分。

□舳先より艇拭き上げて日焼の子
「日焼の子」が甘い。「子」までは言う必要はない。

□広島忌器大きく水供ふ
「器大きく」よりは、もっと素直に「大き器に」の方がよく分かる。

□万緑に響く比叡に鐘を撞く
鐘を撞く前に比叡が響いていることになる。「万緑に比叡の鐘の響きけり」としてはどうか。

□児と籠の蛍の数を確かむる
全体が説明調になってしまっている。「確かむる」が理屈っぽい。

□梅雨長し転居の嵩荷猫と解く
「嵩荷」が疑問。それに、猫と荷を解くとはどんな意味か。こんなところで猫はまったく不要。猫の手も借りたいということなのか。

□夜濯ぎの袴大きく拡げ干す
「夜濯ぎの袴」とは状況が不明確。

□水馬死にし金魚をふまへたる
水馬の生態からして、「ふまへたる」は「飛び乗れり」のほうが良くはないか。

□金掘りし跡の絶壁青嶺断つ
「絶壁」と「青嶺」は重複感がある。

□捕虫網を倒して休む山の道
「山の道」が駄目。

□鬼灯や船板を張る蜑の家
よく見かける句。新鮮な句材を探すこと。

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  06年7月18日(火)
7月18日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。本日の栗田先生のお話は、沢木先生が犬山へお出でになった時のことと、「風」の同人会で沖縄へ吟行された時のお話でした。主宰のお話をまとめると次のようになります。

「俳句を考える場合には、沢木先生はいつも「志は高く気宇壮大に」と言っておられた。単に自分たちだけのこととして俳句を考えるのではないということである。「伊吹嶺」は10周年を迎えるが、「伊吹嶺」だけにとどまらず、俳句のために、全国的な規模で大きな視野でものを考えてゆきたい。それに、伊吹嶺誌八月号の「伊吹山房雑記」に書いたことであるが、句会の効用をもう一度考えたみたいものである。伊吹嶺には各地に数多くの句会があるが、句会は確かにひとりひとりの技量を向上させ、更には、句会そのもののレベルアップにも繋がる。だから、自分たちの句会を育てるという意気込みで句会を運営していただきたいのだが、それと同時に句会から若く新しい人を育てるということも考えてほしい。10年先、20年先のことを考えてゆかねばならない時期になっている」

 次に句会に移るのですが、本日の句会では、出席者の投句それぞれについて、丁寧な講評があって大変に勉強になる句会となりました。以下できるだけその模様を記してみます。

□梅雨蝶を庭の茂みに失へり
 「梅雨蝶を」とやると切れがなくなり、また全体が散文調になる。「梅雨の蝶」とすれば、ここに切れが出来る。「失へり」は「見失ふ」にしたほうが良い。
□実盛や梅雨湿りたる兜の緒
 「実盛や」と切ってよいのか。この句では「や」で切るのは不可。「の」としなければならない。
 「梅雨湿りたり実盛の兜の緒」としてはどうか。
□木洩れ日が跳ね紫陽花の毬弾む
 情景が把握しにくい。言い過ぎである。
□紙魚育つ風創刊の旧漢字
 「育つ」が観念的な表現。「走る」が適切な運びではないか。
□梅雨深し点滴の音聞こえざる
 点滴を詠んだ句は最近はあちこちで見かける。点滴は聞こえないのが普通で雨音が激しいときには聞こえないのがあたりまえ。もし聞こえるのなら、そちらを詠んだほうがよい。
□雷雨来てたちまち淵の深にごる
 「たちまち」は少しオーバーな言い方ではないか。雷雨が来て淵が濁るまでには時間があるはずだ。作者の感動と表現の間にはすこしずれがあるようだ。
□地下街にどつと人湧く暑さかな
 「湧く」はどんなものか。人なのだから「溢れる」くらいだろう。
□生まれたる蝉に燦々日照り雨
 雨が燦々のように読める。一考を要する。
□梅雨冷の朝より届く喪の知らせ
 「の」ではなく「や」と切るべきである。ただ、こういう句はよく見かける。
□擦り剥けし力士の頬や凌霄花
 この句には臨場感がない。それに、「や」としたのは安易である。
□神泉に首伸ばし浴ぶ羽抜鳥
 何を「浴びる」のかが分かりにくい。「羽抜鳥首伸ばし浴ぶ神の水」とすればよい。
□指出せば仔牛跳ねたり夏蓬
 季語がまったく効いていない。
□炎天に雀飛び込む塔の簷(のき) 
 雀が炎天に飛び込んだということにならないか。「炎天や」とすれば意味はわかるようになる。
□暮れ残る棚田十枚蛍飛ぶ
 蛍の句か棚田の句か。「蛍飛ぶ棚田十枚暮れ残り」とすれば蛍がはっきりする。
□夏初め空港に売る味噌カレー
 季語がまったく効いていない。
□夏の川緑青しるき常夜灯
 これも季語の働きが弱い。
□スクールといふ英単語めだか群る 
 これでは意味が取れない。めだかの学校からの発想か。
□チャドルの子モスクの庭の緑陰に 
 モスクの庭が場所、緑陰が場所で、句がくどくなる。モスクの庭が使いたいのなら、緑陰は別の季語を選んだほうがよい。
□医院てふ白き建物青田道
 「医院てふ白き建物」を普通に読めば、「あそこはみんなが病院ではないかとうわさをしている白い建物」ということになってしまう。「てふ」がおかしい。
□山梔子の匂ひ大仏戸口まで
 「大仏戸口まで」では情景がよくわからない。「戸口まで山梔子が匂う」ということなのだろうから、それを分かるように工夫すること。
□夜の厨土用蜆の砂吐く音
 これはよくある句だ。砂を吐いて発見がなにかあればよいが、この句にはそれがない。
□水海月ぶつかり揺らぐ花の傘
 「花の傘」が何かまったくわからない。「花柄の水海月」ならまだわかる。
□マウンテンバイク下れり夏の山
 これだとバイクだけが下って来たということにもなる。「バイクで下る」とすれば誤解はなくなる。
□涼しさや棚田に疾る懸樋水
 「棚田に」ではなく「棚田へ」とすべきだろう。「疾る」も駄目で「走る」でよろしい。
□炎天や盲導犬の息荒し
 炎天で犬が荒い息をしているのは盲導犬に限らず当たり前のこと。ここでは、人が出てきたほうがよい。盲導犬と人との関わりが大事。
□父と子のキャッチボールの夕焼けて
 句は基本的に「て」で止めないほうがよい。「夕焼くる」とする。
□夏めくや達磨大師の耳飾り
 季語が動きそう。「風薫る」の方がまだよい。
□梅雨晴れや逆さに干されぬいぐるみ
 この句では「ぬいぐるみ」が見えてこない。なにか具体的な表現がほしい。
□駅前の噴井に冷やす水まんじゅう
 駅前はまったく不要。冷やし方などの突っ込んだ描写があればよい。
□真鰯の回遊眺め銀涼し
 水族館で真鰯の回遊を眺めていることはわかるが、「銀涼し」で駄目にしてしまった。

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  06年6月20日(火)
6月20日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。まず、栗田先生の講義からご紹介します。本日の講義のテーマは「俳句の基本」再読です。

第一部 栗田主宰の講義概要
 沢木先生は、プロとアマの違いはどこにあるかということで、基礎がしっかり出来ているのがプロであり、また、自分のランク(あるいは実力)を客観的に評価できるのがプロであると言われている。どの世界でも、基礎ほど大切なものはない。

  さて、いつも俳句の基本ということを言っているが、本日は沢木先生が「風」の「風木舎俳話」(昭和54年7月)で「俳句の基本」という文を掲載されているので、それを一緒に読んでみようと思う。

  「どの芸術でも基礎がしっかり出来ていないとあやふやなものになる。俳句は文学のなかでかなり特殊な性質を持ったものであるから、その特性を知っていないと長い間作っていてもなかなかよいレベルに達しない。十年・二十年句作している人で、いくらやっていても上達しないと嘆いたり、迷ったりする場合が多いが、そういう人はたいてい基礎がおろそかになっている。俳句の基礎はいったい何であるのか。われわれ実作者は句を作りながら何時でも考えておかねばならない」

  このような書き出しで、次に三つの項目を挙げられている。
  @「先ず俳句は定型詩であることを忘れてはならない。短詩ではない。十七音定型を厳密に守るのがよい。これがあやふやであると散文の切れっぱしのようなものになってしまう。俳句をよむと言うが、「よむ」とは数をかぞえる意味があり、子供が指をおって数えるように音を数えるのがよい」
  十七音定型が基本である。字余りは極めて例外と心得ておくべきである。
  A「俳句に季語の必要なことはいうまでもないが、単に季語が入っているというのではなく、季語が一句のなかに生きて働いておらねばならない。これはなかなか容易なことではないのだが、絶えず歳時記に親しんで、各季語の本情を理解しておくべきである。季語と自己との関わり方が切実であると、一句のなかで季語が生きる」
 季語の本情とは、季語の持つ情緒とでもいうものである。季語の本情を自分で捉え、自分の内面と季語とが切実に関わりを持った時に、季語が生きてくるというのである。
  B「句作の態度・方法としては何といっても写生が重要である。写生を古くさいと思ったり、軽んずる人はたいてい途中で停滞し進歩が止まる。小主観(芭蕉のいう私意)に狭く固定して、心が新しくならないからである。しかし写生といっても日常の断片をナマに報告することではない。詩因(感動)があっての写生であることはいうまでもない。詩因を自分の目や耳で発見し、把握するのが写生であるといってよい。詩因がつかめていないと絵葉書のように平板になったり、あるいは言葉をこねくり廻して絵空事になってしまう。言葉はあくまでも単純・平明・的確を心掛けたい」
  写生とは発見である。そして発見とは驚きである。沢木先生の言葉はこれだけであるが、ここで説かれていること、それは俳句の基本とは何であるかということであるが、この文章を諳んずるようにして欲しいものである。

  さて、次に「伊吹嶺」創刊号での選句とその選後評を少しここに掲げてみよう。
 □安曇野に雲殖ゆる日や蕎麦の花
  高い空に縞のような秋の雲がどんどん広がっていくのであろう。雄大な景と清楚に咲く蕎麦の花とがいかにも信州らしい。
□乗り出して二階より見る盆踊り
  「乗り出して二階より見る」という把握が具体的で、作者の踊りを楽しむ気持がよく伝わってくる。
□秋日和ガス燈みがく命綱
  この句は明治村で実際にガス燈をみがいている人を見て詠んだもので、その作業のポイントを「命綱」でずばり捉えたところがおもしろい。季語の「秋日和」がおだやかな作者の気持ちを伝えている。
□秋雨にあをく煙れり竹林
  この句の「あをく煙れり」という体験に基づく感覚は動かしがたく、作者の感激を表している。

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06年5月16日(火)

5月16日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。まず、栗田先生の講義からご紹介します。本日の講義のテーマは「切れのある句」です。
 次の20句の中から、「切れのある句」(正しい切れのある句という意味に取ってほしい)を6句選んでみてほしい。これは、今瀬剛一さんの「新・選句練習帳」(本阿弥書店)からの引用である。

□ @校庭の大きな日向桜の芽
□ A逝く秋のすつぽりと肩おほふ傘
□ B雪催誰かがピンと糸切る夜
□ C観覧車灯るや釣瓶落としかな
□ D台風や銀座で妻とあひにけり
□ E柿熟れて水が流れて風が吹く
□ F栗の木や芽吹きの枝の遠い海
□ G春立つや卵に黄金色の黄身
□ H鉄塔や真ん中にして大枯野
□ I柿の実の日暮れる風の音にかな
□ J注連縄の灰のきれいな夕べかな
□ K念入りや山茶花見ゆる窓拭けり
□ L公園や棲む鶏の日向ぼこ
□ Mふはふはと雲浮きバレンタインの日
□ N建国日顔洗ひをりイヤリング
□ O教室や十字架光り冬木の芽
□ P全きや関東平野冬旱
□ Q日が射して色浮き立ちし福寿草
□ R声高きかな水音に呼びにけり
□ Sほんたうははにかみやなり寒桜

切れのある句を選べということであるが、それも正しい切れのある句を選べということで考えてほしい。正しい切れのある句を六つ選べと言う問題であるが、少なくとも四つは出来ていてほしい。
 さて、この問題の解答であるが、まず@。これは切れ字はないが、中七ではっきり切れている。そこで切れているので、いかにも芽吹きそうな早春の日差しが感じられるのである。Bは上五で切れている。雪の降りそうな寒い空気の張りを「ピン」という糸を切る音で示したと言える。次はG。「春立つや」ではっきり切れている。立春の感動を強調したものである。この三つは出来ていてほしい。Jは、「きれいな」というあたりが安易であるということで選ばなかった人がいるかもしれないが、「夕べ」へと見事に転換されている。注連縄のままの完全な灰であるので、「きれいな」でよいのである。Mは「・・・と雲浮き」で切れている。情景に続いての「バレンタインの日」という行事への転換が見事である。やや淋しさも感じられる。Sも正解してほしい問題。中七で切れてその思いを「寒桜」に託している。
 残りはみな駄目な作品。Aは切れがない。「逝く秋や」と切ることで晩秋の情感が広がる。CDRは切れが二つある。切れ字の役目は言いたいことを堪えて感動的に強く吐き出すところにあるので、一句の中に切れが二つあると感動は分散してしまう。Kは一見切れが二つあるように見えるが、下五は「拭けり」で、「け」は「拭く」の活用語尾で切れ字の「けり」ではない。しかし、上五は「念入りや」ではおかしい。これは「拭く」にかかる言葉であるので、当然「念入りに」ということになる。切れ字の使い方の間違っているものもある。Fの「栗の木」は「芽吹き」の主体であるのでここで切ってはいけない。Hも同様。「鉄塔」が枯野の真ん中に立っているというのだから、「鉄塔や」で切るのは不可。LはHと同じで、公園に棲むのだから「公園や」で切ってはいけない。もし切るなら中七で切ることになる。Oも同じ理屈で、「教室に」となろう。そうでなければこの句は三段切れとなる。Iの「かな」は誤り。「かな」という助詞は体言または連体形にしかつかないということを覚えておくべきである。ENPは三段切れ。三段切れの場合は内容が三つに分散してしまっているので、それを二つにまとめる必要がある。例えばEでは、<熟れ柿に風吹いて川流れけり>のようにする。Qは形の上ではほとんど出来ているが、ただ「立ちし」では過去のことになって印象が弱い。「色の浮き立つ」と表現して初めて完成する。

次に、伊吹集に投句された句について、それをどう添削したかということを述べてみたい。投句にあまり手を入れると作者の作句の意図と違って来ることがあるので、添削は最小限にとどめたい。
△英虞湾に朝日を散らす夏の果
 「朝日を散らす」は散文調であるので、「朝日散らせり」とした。「○○を」というのは散文調になりやすいので注意。
△墓参りほおづき鳴らす老女かな
 切れが二つある。上五を最後に持ってきて、「ほおづきを鳴らして老女墓参り」とする。
△母の椅子娘居眠るや初の盆
 三段切れのようだ。「初の盆娘の眠りゐる母の椅子」とする。
△逝きし人の旅の写真よ蝉しぐれ
 上五は字余り。蝉しぐれを先頭に持ってきて、「蝉しぐれ逝きたる人の旅写真」とした。
△足湯して大滝見上ぐ母卒寿
 下五がいかにも窮屈で不自然。「足湯して卒寿の母が滝見上ぐ」とすれば、自然な表現となる。

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   06年4月18日(火)
 4月18日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。まず、栗田先生の講義からご紹介します。本日の講義のテーマは1「選句のテスト」、2「形容詞+けり」です。
 今日は4月になって初めての教室であるので、まず実力テストで新学期を始めたい。というのは冗談で、今瀬剛一さんの「選句練習帖」という本があるが、その中にある次の問題をこの場でやってみて欲しい。
 問題は「次の20句の中から、『情景を彷彿とさせる句』を5句選びなさい」というものである。選んだ句は□に中にチェックマークを入れなさい。
 @漬物の水上がりたる冬木の芽
  A雪降らぬ霜も降らぬと温かし
  B冬寒し母の手編みに守られて
   C従兄会皆高齢に寒々と
   D冬の寺歴史の遺産並べけり
   E山間の小町は美人肌寒し
   F初霜や郵便受けの屋根平ら
   G冬耕の老いを見せざる鍬さばき
   Hセーターの着こなし上手編み上手
   I思ひ出のつまるセーター人にやる
   J焼き芋の新聞包みとは温し
   K一年をかけて育てて韮の旬
   Lセーターを持つて運転高速道
   M交番に笑い声あり花八手
   N水仙の蕾明日を寄せ植ゑす
   Oポケットに携帯電話冬の声
   P新米を家族で食べしにぎやかさ
   Q朝の川光の数は鴨の数
   R野仏の足借りて鳴く冬ちちろ
   S雀等の美味し美味しと柿を食む

「情景を彷彿とさせる句」というのは、「絵にしようと思えば絵になる句」である。別の言い方をすれば、「写生のしっかりしている句」という意味になろう。
 写真にたとえて言えば、まず第一に重要なことは、「ピントが合う」ということである。ピンボケの写真では何を写したのかわからない。ピントの次は構図である。しっかりした構図でなければ写真は散漫なものとなる。それに、更に重要なことは、その写真がどれだけ感動を与えるかということである。
 さて、上のテストの出来具合はどうであろうか。今瀬さんは、5問中3問は当ててほしいと言われている。@から順に見てゆこう。
 @は正解。全体的に明るい情景できちんと絵になる。A観念の説明に過ぎない。B理屈の句である。C観念の世界で遊んでいるようだ。D形は整っているが、歴史の遺産に具体性がなく絵にならない。E座五で句が壊れてしまった。F正解。霜によりポストが鮮明となる。G老いをみせざるが曖昧。老いをどこで読み取ったかが抜けている。H絵が二枚になってしまう。すなわち、中七で一枚、座五で一枚。I具体性が皆無。J正解。無造作に包んだ焼き芋に存在感がある。K理屈の句。旬を感じたところを詠むこと。L着てこそセーターである。絵にならない。M正解。この情景は絵になる。Nこれは観念の句。O冬の声に具体性がない。Pどのようなにぎやかさなのか分からない。Q 正解。明るい日射しを受けた川の情景がよく分かる。R足借りて鳴くは絵にならない。S美味し美味しはなにか奇を衒った表現。
 なお、ここまでは今瀬剛一著『新選句練習帳』(本阿弥書店)によるものです。

 次は、文法の話題で、「形容詞+けり」を少し考えてみたい。
 「買物を提げ来て橋の涼しけり」は誤りである。これは間違える人が多い。これを理解するためには、形容詞の「ク活用」と「シク活用」とをきちんと知っている必要がある。もう一つ知っていると良いのは、ク活用の形容詞は性状を表し、シク活用の形容詞は感情を表すということである。
 さて、助動詞<けり>は動詞や助動詞の連用形に接続し、そして、形容詞にはカリ活用の連用形に接続する。つまり、形容詞の終止形<涼し>に直接続けて「涼しけり」とすることは出来ない。形容詞<涼し>の連用形は<涼しかり>であるので、助動詞<けり>を続けるとすれば、「涼しかりけり」としなければならない。俳句では「涼しかりけり」は長過ぎる場合がよくある。その場合は<けり>を省いて「涼しかり」と連用止めにするのが普通である。「寂しけり、優しけり、眩しけり」なども同様に誤りで、「寂しかり」などとしなければならない。

     火蛾に目を上げしとき灯に厳しかり     高浜年尾
     片言のトルコ語通じ涼しかり           坊城中子
 こうすると、詠嘆は弱まるが、余韻を曳くことになる。

     住吉の松の下こそ涼しけれ             武藤紀子
 これは、「こそ」を受けた係結びで「涼しけれ」と已然形を使っている例。

     白峰の月くまなくて悲しけれ           阿波野青畝
     その川の主の顔して涼しけれ           飴山 
 この二句は「こそ」なしで已然形が用いられている。青畝の白峰の句は讃岐白峰の嵩徳院御陵を詠んだもので、その詠嘆の深さから「悲しけれ」はごく自然に受け入れられよう。実の句は俳諧味のある軽いものであるが、「主」の一語の存在によって「涼しけれ」が首肯されよう。(なお、文法の講義は吉岡桂六著『俳句文法ノート』(花神社刊)によるものです。)
 俳句には文法の知識がどうしても必要である。これからも、この教室で勉強してゆくことにする。

  

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   06年3月15日(水)
 3月15日、いつもより一週間早く、伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。まず、栗田先生の講義からご紹介します。本日の講義のテーマは「芭蕉のことばについて」です。  
 芭蕉は『三冊子』の中で次のように言っている。「心の作はよし・言葉の作は好むべからず」これは「こころに作意を持つことはいいが、言葉の上の作意を好んではいけない」という意味である。このことで、山下一海さんは『芭蕉百名言』で、次のように解説されている。「言葉の上の作意というのは私意による作意ということで、これは自然な表現を損なうものである。こころの作意というのは対象の中から真実を選び取り、心の色合いとしてとらえ、それを作品化する作業であり、これが作句の際の根源的な力となるものである」
 ここで、言葉の上の作意ということは、感動もないのに無理やり言葉で驚かそうとすることである。心したいのは俳句は言葉で表現するものであるが、単に言葉に頼ってはいけないということである。

さて、このことを沢木先生の『風作品の佳句』の中から例を探してみよう。
@「花切りて枝はね上がる椿かな
 感じ方が素直で鋭敏、単純なことでも作者が切実に感じたものをこの句のように率直に表現するのが写生の第一歩である。」
 写生にも幾つかの段階がある。この句の場合は第一段階と言ってもよい。たとえば、実際にリンゴの絵を描くことを考えてみよう。その際には、描いたものが誰が見てもリンゴとわかるように描くことが大切なことで、その習練が必要である。俳句の場合には見たものを率直に表現するということである。ただ、俳句では言葉を使うので、その言葉が率直で簡明でなければならない。上の句は第一段階の写生と言ったが、もののありようを素直に、見たままに表現しているからである。

Aチューリップ芯見ゆるほど呆けたる
 チューリップそのものを素直に写生しているのがよい。「芯見ゆるほど」が具体的。
 正直そのものの句。こういう単純な写生は誰でも一度は通る必要がある。一句がごてごてして単純化の不足する人は、一木一草を対象に写生してみるのがよい。
 Aの句では、「芯見ゆるほど」にうまさがあり、@の句を越えている。沢木先生は「一木一草を対象に写生せよ」と言われるが、これがなかなか難しいことである。素直な写生が出来るようになるには三年は掛かるものと自覚してほしい。

B「朝焼けの雨になる山そばを蒔く
 朝早くから晴れあがり朝焼けが美しすぎるような日は雨になりやすい。しかし、そばを蒔くには好適。嘘のない着実な句である。
 Bの句で大切なことは、朝焼けでも夕焼けでもどちらでもよいというのではない。朝焼けでなければならないのである。ここがポイントとなっている。素直さがある。

C「雁帰る時には列の乱るるも
 「列の乱るるも」に作者の気持ちがこもっている。別れを惜しんで列が乱れたと感得したのである。あわれ深い趣の句である。
 Cの句は前の3句とは違い、もっと上の段階の写生と言ってもよい。リンゴの絵の例で言えば、第一段階では、リンゴを誰が見てもリンゴとわかるように描くことが大切と言ったが、第二の段階では、リンゴがいかにもうまそうに描けるかどうかが求められよう。この句は、第二段階の写生句と言ってもよい。

  蜻蛉を翅ごと呑めり燕の子
 これは沢木先生の句であるが、内藤恵子さんはこの句について次のように言っている。
 「親燕が蜻蛉の命を運んで来て、それを子燕が小さな口いっぱいにうけとめる。これは喜びと悲しみのぶつかりあい。そして自然の張り詰めた一瞬である。このことを眼前で見た驚きが「呑めり」という表現によく出ていると思う。口に消える時の羽音まで聞こえるようである。作者はこの山寺に生まれる燕の子も摂理ならば、子燕に呑み込まれた蜻蛉もまた摂理と感じたにちがいない。細見綾子編『欣一俳句鑑賞』」
 ここで、沢木先生が「呑めり」と詠われているが、この「呑めり」がことばの力というものである。単に、可哀想とか、驚いたとかいうだけのことではない。蜻蛉と燕を詠んだだけではなく、生き物の摂理までも描いている、高度の写生というものであろう。

 

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 06年2月14日(火)
2月14日、いつもより一週間早く、伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。まず、栗田先生の講義からご紹介します。本日の講義のテーマは「俳句の推敲十箇条」の第五「『ことば』は適切か」です。  
 細見先生は句集「和語」の「あとがき」に、「俳句は日本の言葉でしか言いあらわせない最たるものである」と書いておられる。近年では、海外でも俳句を作る人が増えていると言われているが、それはあくまでも「HAIKU」であって、「俳句」ではないと言えよう。
 さて、次に沢木先生が「風俳句の佳句」で取り上げられた句と、その句についての先生の評を見てみよう。

@ 枯蓮の一本づつを刈りゆけり
  枯蓮だから「一本づつ」という言葉が適切で生きている。刈るときの枯れた茎の堅さが伝わってくる。
A 穴まどひ棒引くごとく草に入り 
   
「棒引くごとく」が具体的で実感が強い。

B 峡の日をこなごなにして豆叩く
     「日をこなごなにして」の感じ方・とらえ方が具体的ですぐれている。

@では何故ことばが適切かと言えば、沢木先生の評にあるように、「一本づつ」ということばは、「刈るときの枯れた茎の堅さ」までも読み手に伝えるからである。Aはいわゆる「ごとく俳句」であり、普通は「ごとく俳句」は良くないと言われる。それは「ごとく俳句」は言い古されたことを繰り返すだけということになりがちだからである。この句の場合は、描写が具体的で実感がある。それは感動に偽りがないからである。Bはワンランク上の写生と言ってもよいだろう。「日をこなごなにして」というのはまず類想句はないだろう。一歩進んだ捉え方と言ってもよい。これらのことを、沢木先生は「ことばが適切である」と言われているのである。

  次は私の「伊吹集選後評」からのものであるが、適切なことばと考えるものを挙げる。
C 勝ち独楽の大きく揺れて止まりけり
    「大きく揺れて」が具体的で確かな写生である。
D 櫓を足で繰り能登の海鼠突
  「足で繰り」が的確な写生である。
  適切というのは、具体的にものを捉えていると言うこと、的確な写生がなされているということである。

 私の句を例にしてすこし見てみよう。
E 鮎を獲し老鵜流れに身をまかす
  老鵜が鮎を取ったという事実をそのまま述べただけではない。「身をまかす」というところに作者の主観が入っているのである。老鵜だから「身をまかす」という表現になるということである。
F 鵜篝の一つが遅れ早瀬落つ 
 の場合の「一つが遅れ」は事実そのままを述べたものであるが、感動がここにはある。

次に、沢木先生の句を例にして考えてみる。

    天心にゆらぎのぼりて藤の花
 これは「白河の関」で詠まれた句である。「ゆらぎのぼる」ということばは、並のものの決して言えることばではない。藤の蔓は大蛇が空中にのたうったような姿になり、中がうつろになった古い蔓が中空でぶらぶらと風にゆらぎ、その先の新しい芽が天空に駆け登るごとくに花を咲かせている。この句は作者のこの季節への愛着と、そうして白河の関という古い関所への作者の親近感というものがよく表れている句である。
 単なる写生を越えたものがこの句を素晴らしいものとしている。

   流燈の月光をさかのぼりたり
 松島の芭蕉祭の時の句である。松島の月光の中を流燈が遡行し始める。或る評者は「月光を遡る流燈の魂魄を捉えてゆるぎない」とこの句について述べている。この句には同時に作られた「流燈の行方月光さかのぼる」という句がある。一句作って終りというのではなく、ことばを捜していろいろ試みがなされている。これは手本にすべきことであろう。
 
 本日の話は「ことばは適切か」ということであるが、その基本的な姿勢というのは、自分の見たものを正確にことばに置き換えること、すなわち、具体的にものを捉える努力をするということである。「一本づつ」「棒引くごとく」ということばに表すことで、これが基本というのである。ただ、忘れていけないことは、根本に感動がなければ単に事実を写生しただけということになってしまうということである。

 

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  06年1月17日(火)
 1月17日、本年最初の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。いつものように、第一部は栗田先生の講義、第二部は句会という構成です。まず、栗田先生の講義からご紹介します。本日の講義のテーマは「俳句の推敲十箇条」の第四「『切れ』はあるか」です。
 「現代俳句大事典」(三省堂)の中で、山下一海さんは、「切れ」について次のように書いておられる。これは非常に参考になることなので、そのまま引用して紹介しよう。
 「切れとは俳句の中で切れる所。通常は一か所、上五か中七の終りで切れることが多いが、五・七・五のそれぞれの途中で切れることもあれば、一句の末尾に切れが置かれることもある。切れは一か所でなければならず、しかし二か所またはそれ以上あってはならないとされる。古くは特定の文字である<切字>によって切れると考えられた。
 芭蕉はいろは四十八文字すべて切字になるが、切字として用いなければ、一字も切字はないと教えた。芭蕉は意味と語調によって、どんな文字でも切れると考え、近代においてはそれが一般的となる。切れによって、句調に小さな休止が置かれることになり、それは、いわゆる<間>に当たるとも言える。ただし<間>がおおむね柔らかな休止であるのに対して、<切れ>はくっきりとして固く切って休止する。<間>が思いを深く沈める趣がることに対して、<切れ>は思いを強く押し出す。<切れ>と<間>の境界はあいまいで、<切れ>の弱いものは<間>として感じられるが、性格ははっきりと異なっている。・・・・・
 近年では、<や><かな><けり>
のような決まった切字を用いれば俳句が古臭くなるというところから、それが忌避される傾向もあり、そのため切れ方の弱い句も多い。しかし、俳句においては、切れることによって意味が強調され、詠嘆的な気分が生まれる。切れによって、一句に立体的な構成が生まれる。俳句のように小さな形のものを、大きく感じさせるために、切字ははなはだ有効である。・・・・・
 俳句で<切字>とされる文字(語)のある所には、切れがある。代表的な切字の<や>は、<古池や蛙飛びこむ水の音>(芭蕉)のように、上五の終りにあることが多く、<市中は物のにほひや夏の月>(凡兆)のように、中七の最後に置かれることもあり、まれには、<一夜かす宿は馬かふ寺なれや>(野坡)、<初雪の見事や馬の鼻ばしら>(利牛)のように、句の末尾や、中七の途中に置かれる。・・・・・
 俳句の切れは、決まった切字の所にあるのではない。例えば、<蚤虱馬の尿する枕もと>(芭蕉)の場合、切字はないが「蚤虱」の次で切れている。作者の身辺のことである「蚤虱」と、「枕もと」とはいいながらも、やや離れた場所のことである「馬の尿する」の間に切れがあることによって小さな視点に大きな視野が重なり句が大きく感じられる。<柳散り清水涸れ石処々>(蕪村)の場合は、「石処々にありにけり」の気持ちで、句の末尾 で切れていると見ていい。句末に切れが置かれることで、そこで詠嘆する気分になり、水の涸れた情景が、そのまま冬枯れの野へ広がっていく。・・・・・
   <芋の露連山影を正しうす>(蛇笏)は、上五の終りで切れているが、切れの前後に、論理的に関係のないものが置かれ、「芋の露」は例えば「黒葡萄」に置き換えても、句の価値は別にして、句意としてそれでも支障はない。論理的な関係がないから、そこに何を置いてもいいわけだが、それだけにその間の調和や対照といった微妙な繋がりが、人の想像力を刺激し、句の世界が大きくなる。要するに切れは、一句における詠嘆の強さと、表現の確信を表している。すなわち句は、詠嘆の強さと、表現の確信を持つことが重要であって、形式的な切れの有無にこだわることは、意味の薄いことである」
 この最後の部分は、俳句でよく言われる「季語が動く」という問題を含んでいる。俳句の難しさというのはこういうところにあるのだろう。もう一つ付け加えれば、「芋の露」に「連山」の影が映っている句と誤解する人がいるが、決してそうではない。ころころ転がる芋の露に映るというものではない。

 以上の山下さんの考えを、実際に沢木先生の句によってみてみよう。

A1 豊年や汽車の火の粉の美しき
 2 桃の花牛の蹴る水光たり
 3 生きのこり黒き句集や終戦日げ
 4 わが妻に永き青春桜餅
     (注)*は切れを示す

  Aのグループは、切れの前後に論理的な繋がりがないものである。Aの1では、「豊年」と「汽車の火の粉の美しき」とは直接の関係は無い。しかし、火の粉が美しいという表現に豊作を祝うという気持がよく出ているのである。Aの4では、「桜餅」でも「五平餅」でもよいではないかと言われれば、それは確かにそうである。しかし、「我が妻はいまも青春まっただなかだ」という場合に、「桜餅」が効いてくるのであって、「五平餅」では問題にならない。「わが妻〜〜」と「桜餅」の間には微妙な繋がりがある。切ったら切れっぱなしというのでは駄目で、切ることにより句に広がりが出来るのが望ましい。要するに、切って繋がるのである。

  B1 唖蝉や怒りしづむる腹の皮
  2 天の川柱のごとく見て眠る

  Bのグループは、両者とも上五で切れているが、切れた後の十二文字は上五の描写となっている。1では唖蝉を、2では天の川を描写している。切れのある句といっても、明らかにAとは異なる。
 AとBの句を比べてみると、Aの方がはるかに作り易い。Aは仕立てるのは簡単ではあるが、実感を持った句が作れるかどうかが問題である。要すれば、季語が動くと言うのである。先ほどの、「芋の露」でも「黒葡萄」でもいいではないかということである。「芋の露」また「桜餅」でなければならないとはっきりと言えるかどうか。Bは確かに難しい。写生の確かさがここでは求められる。
作句にあたって、「切れ」の大切さをよく考えてほしいものである。

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2005年分

 05年12月20日(火)
 12月20日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。いつものように、第一部は栗田先生の講義、第二部は句会という構成です。まず、栗田先生の講義からご紹介します。本日の講義のテーマは「俳句の推敲十箇条」の第三「物か事か」です。

第一部 前回は、「俳句の推敲十箇条」のうち「2「季語」は一つか」について述べたが、今回は「3 物か事か」について考えてみたい。 俳句には「物仕立ての句と事仕立ての句」とがあるが、そのどちらが良いか悪いかということを言うのではない。そのどちらもあり得るのであるが、その前に、まず、短歌と俳句の違いを考えてみたい。その違いとは、短歌が「事」に寄せて作者の内面(感動)を表そうとするのに対して、俳句は「物」に寄せて表す詩であるという点にある。 ここで、短歌についてみてみよう。

☆老スナメリも点滴を受けてゐるといふ切なき話目つむりて聞く    春日井健
☆うたふごとく本を欲しがる子を見れば煙草をやめるほかなかるべし  加藤楸邨
☆受話器より幼の声あり驚くほど言葉となりて花の名言へり      加藤友子

春日井氏の短歌では、「老スナメリが点滴を受ける」という「事」が感動の中心となっている。 楸邨氏の短歌では「煙草をやめるほかはない」という事が、友子氏の短歌では「花の名を言った」という事が中心となっている。要すれば、短歌は「語る」ものなのである。それ故に「事」が中心となるのである。

これに対して俳句はどうか。「物」の俳句と「事」に俳句を並べて検討してみよう。

《物の俳句》
☆穴に入る蛇ひといきに尾を引けり    棚山波朗
 この句は「蛇の尾の有り様」を述べている。蛇が「尾」をひといきに引いたというのが「写生」となっており、その点に作者の感動がはっきりと出ている。

☆梅雨の土かがやきて這ふ蛆一つ     沢木欣一
 沢木先生の有名な句であるが、蛆の持ついのちの美しさに感動して作られた句である。では、その美しさをどう表現するかであるが、先生はそれを「かがやきて這ふ」ということばに置き換えて表現されている。「かがやきて這ふ」が写生であり、本句のポイントである。「梅雨」は季語であり、その梅雨の時期の土の上を這う蛆(たとえ汚いものであっても)のいのちの美しさに感動されたということがまこと良く分かる。

☆地獄絵の鬼に止まれり春の蠅      栗田やすし
 あるお寺で地獄絵を見ていたとき、その絵の中の鬼にちょうど春の蠅がとまっていた。「読んで楽しい六百句」の著者吉岡さんは次のように鑑賞してみえる。「この春生まれたばかりの蠅が地獄絵の中の鬼に止まったいた。「春の蠅」の「の」の一語まことに妙。」

《事の俳句》
☆オルガンの先生偲ぶ桃の花       中西舗土
 「オルガンの先生を偲ぶ」という「事」が中心になっている句である。この句では「桃の花」という季語がまことによく効いている。これを「梨の花」とか「チューリップ」などと置き換えてみると、「桃の花」の良さがよくわかるであろう。このように「事」の俳句では、季語が効いているかどうかがポイントとなる。これに対し、「物」の俳句では写生が出来ているかどうかがポイントである。

☆売る気なき顔で海鼠を売ってをり     橋本栄治
 「海鼠」だからこの句が面白くなるのである。これが、「りんご」では面白くもなんともない。これも「事」俳句で、季語の「海鼠」がまことよく効いているという例である。

☆少年が星の竹伐り舟に積む        鈴木厚子
 竹を伐っている少年が目に浮かぶ。即ち、情景がはっきりしているということが大事なことである。星の竹を伐っているという「事」を述べているわけで、それでは散文的という批判があるやも知れぬ。しかし、こういうまっすぐな、見たままを詠んだ句も時には良い。俳句は認識の詩と言われる。七夕の竹を伐っているという認識によってこの句が生まれたのである。

「事」俳句は、わりに簡単に出来るので、時には安易に流れてしまうことになる。心しておかねばならないのは、「事」俳句では季語がポイントとなることである。例えば、中西さんの句で、「桃の花」でなければならない理由はあるかと言われれば、それは無いだろう。しかし、この句では「桃の花」という季語がまことに当を得たものになっているのである。これは感性の問題と言ってもよい。俳句とは作るものではなく、浮かぶものと言われている。このことをよく考えてみてほしい。
 「事」俳句がいけないとは言わない。「物」「事」の両方の俳句があってよい。ただ、「事」俳句は、割りに簡単に句が出来るので、安易に「事」俳句に流れてほしくはない。まず最初は、「物」俳句、即物具象の句を目指してほしい。それが伊吹嶺の俳句なのだから。       

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05年11月15日(火)
 昨日(11月15日)、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。いつものように、第一部は栗田先生の講義、第二部は句会という構成です。まず、栗田先生の講義からご紹介します。本日の講義のテーマは「季語は一つか」です。

第一部
 前回は、「俳句の推敲十箇条」のうち「1「感動」の中心は何か」について述べたが、今回は「2「季語」は一つか」について考えてみたい。
 まず、俳句の成立の上で一番大切な季語が、俳句の中でどのように使われているかを、沢木先生と細見先生の句を例としてみてみよう。

     一つの季語一句の中心的存在となって、季語として活躍している例
雪合羽汽車に乗るときひきずれり  綾子
 この句では、雪合羽という季語が北陸の風土を豊かに象徴している。季語が句の中心となっている例である。「ひきずれり」は「雪合羽」を写生したもので、この句のポイントとなっている。
要すれば、雪合羽を着ている人のありようを的確に写生していると言えよう。

 二つの季語のうち一つは脇役となっている例
赤富士の胸乳ゆたかに麦の秋    欣一
  主役の「赤富士」を季語の脇役である「麦の秋」が「胸乳豊かに」という健康で豊かな情趣によって支えていると考えられる。

◎ 季語の選択
峠見ゆ十一月のむなしさに   綾子
ここで、「峠見ゆ神無月のむなしさに」と比較してみよう。十一月と神無月とどちらがこの句にふさわしいかという問題である。調べとニュアンスの違いということになろうが、私としてはもうすぐに十二月であるという感じがよく出るのは十一月ではないかと思う。どちらが良いかというのは、各人の好みの問題でもあるので、必ずしも絶対的に十一月でなければならないと言えるものではないことは承知しているのだが。

 感情移入
冬の鹿一縷の水を飲みゐたり
   この句で「冬の鹿」は、生命に対する作者の感情を象徴させる対象となっている。「一縷の水」によって、あるかなきかの水を便りに生きている鹿の命の核心の触れているのである。作者の感情が、「冬の鹿」という季語と「一縷の水」という言葉に託されていると言ってもよい。

    季重なり
一つの季題に句の焦点が定まっているかどうかが重要である。季語が二つあると句は二つに 割れやすい。句が二つに割れない時は季語が二つあっても差し支えない。

    すべり尻毛すり切れの皮   欣一
 ここで、雪と熊が季語となるが、この句では、雪は実は季語として機能していない。熊の皮が中心となっている句である。よって、この句は二つには割れていないということである。

次に、私の句を例にして考えてみよう。

○ 抽斗に千枚通し子規忌来る
これは先月の教室でも述べたことがあるが、子規は病気で苦しみ、すぐ手元ににある千枚通しを使つてでも自殺したいと考えたということを言っている。それがあって、この句となったのであるが、この経緯を知らないとこの句が分かってもらえないことになるかもしれない。

    燈火親し赤き表紙の子規句集
  この句も先月の教室で取り上げたものである。私は明治に初版が出された「子規句集」の現物を持っているので、その表紙が赤いというのは分かっているし、この句集には特別の思い入れがあるが、それを知らない人には共感を呼ぶかどうか。

   音立てて踏む子規庵の柿落葉
  子規は柿が好きであった。柿落葉によって、子規への思いをこめたつもりであるが、ここが理解されるかどうか。

    雪蛍人に寄りくる子規の庭
  子規の人生のはかなさを雪蛍で象徴させた句である。

    末枯るる子規が眺めし庭十坪
  庭の実際の大きさは二十坪ほどであるが、リズムの上で十坪とした。うそと言えばうそになるのだが、子規は若年で死んだという思いがあってこのような句になった。(出席者から発言があり、病床の子規が実際目にしたのは十坪ほどではなかったか。それなら嘘ではないだろう)

  ○  鶏頭に音なき雨や綾子の忌
  綾子忌という季語はいまだに歳時記にはない。この句では鶏頭が季語である。しかし、鶏頭とすると、つきすぎという批判があるかもしれない。

     紫苑咲き初むと妻言ふ綾子の忌
  ここの綾子忌も上と同じ。

季語が二つある句の例

     雪残る田に紙漉きし水落とす
  主は「紙漉き」で、「雪残る」は従である。後者は季語としての機能はない。

     の庭に掃き捨てられし火取虫
  主は「火取虫」で、「鵜」は従である。鵜匠の家の庭に火取虫が掃き捨てられていた哀れさを詠んだものである。

     西日 臭まみれの通し土間
  これはどうであろうか。西日と鵜のどちらが主でどちらが従か。西日が差し込むから鵜の臭いがいっそう強くなる。どちらと決めるのが難しい。

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05年10月18日
 昨日(10月18日)、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。いつものように、第一部は栗田先生の講義、第二部は句会という構成です。まず、栗田先生の講義からご紹介します。本日の講義のテーマは「俳句の推敲十個条」です。

最初に、その十個条を列挙する。
1     「感動」の中心は何か
2     「季語」は一つか
3         「物」か「事」か
4         「切れ」はあるか
5         「ことば」は適切か
6         「調べ」はよいか
7         「季語」は効いているか
8         「感動」に嘘はないか
9         「類句」「類想句」はないか
10     「誤字」「仮名遣いの誤り」はないか  

  この十個条は、必ずしも順不同に並べたものではない。ある程度の順を考えて並べた。少し説明を加えるならば、3では、「物」でなければならないというのではない。ただ、「事」の場合には、俳句は説明になりやすいので注意が肝要である。5では、俳句とは結局は「ことばさがし」といってもよい。8では、1の再確認ということである。句を作ったら、その後でこの十個条で考えてみてほしい。
  まず、「感動」の中心は何かということを第一に持ってきた。Aというものを見て、ああと心の中で感動する。それをaとする。そのaを言葉で伝えるのである。自分の感動がない俳句は読者を感動させるわけがない。読み手は、aというものを通して作者の感動を追体験するのである。しかし、その感動が読者の共感をよぶものであるかどうかがもう一つのポイントとなる。この感動がひとりよがりのものでは共感をよぶことはない。
 共感をよぶかどうかということで、私の作品から、忌日の句などを題材として話をすすめることにしよう。

1「引き出しに千枚通し子規忌来る」
 ものは「千枚通し」、季語は「子規忌」。ああ、子規忌だなあというところに感動がある。ところが、ここで、なんだ千枚通しか、それでどうしたのだということになると鑑賞はここで終わってしまう。子規は日記に書いているのだが、病気で苦しんで何度も自殺してしまいたいと思ったことがあるという。しかし、自分の病床に近いところには自殺の道具など何も見当たらない。すぐ近くにあるのは、千枚通しか紙切り鋏だけである。千枚通しで自殺を図ったらどうなるのかと考えてみる。きっと痛くて苦しいだろう。一度刺したくらいでは死ねないから、何度も刺さねばならないだろう。子規は結局は自殺はしなかったが、千枚通しには、こんなエピソードがあるのである。私はこの事を知っているので、引き出しの中の千枚通しを見た時、たまたまその日が子規の命日であったこともあって、私はその感動を千枚通しというものにより、子規の忌日の句としたわけである。このことに共感できるかできないかが、この句を鑑賞できるかできないかのポイントになろう。千枚通しに普遍性があるのかということも問題にはなる。普遍性ということでは、地名などの固有名詞にもあてはまるであろう。あまり人の知らない地名には普遍性は期待しがたい。作者の思いがあり、その思いがものに触発され、そのものを通して作者の感動を客観的に読者に伝えられるかどうか。読者が読み取ってくれるかどうか。

2「灯下親し赤き表紙の子規句集」
 ここで問題となるのは、「赤き表紙」であろう。赤でも白でもどちらでもよいではないか、となったら、この句はもうそこでおしまいとなる。赤い表紙の子規句集は初版以来何度も版を重ねてよく売れた句集である。私も赤い表紙の子規句集を持っている。このことを承知している人は、「赤き表紙の」といえばピンと来るのである。それを知らない人であると、なぜ「赤」かということになってしまう。

3「妻の愚痴聞き流しゐる漱石忌」
 漱石の妻は悪妻ということになっているが、本当にそうなのか。漱石邸はいつも訪問客で賑わっていた。もし、ほんとうに悪妻ならば、客が寄りつくはずがない。奥さんのもてなしが良いから客が寄ってくるのである。碧悟桐の場合はそうではなかった。奥さんが悪妻というのではなく、まったくのお嬢さんで、もてなすということを知らなかったのであろう。漱石の奥さんは後になって、漱石のことを書いた本を出したが、その中で漱石をあまりよくは書いていない。それで悪妻ということになってしまった。そのあたりのことを知っているかいないかで、この句の読み方が違ってくる。

4「髭を剃る鏡曇れり漱石忌」
  私のあるかなきかの髭を剃りながら、漱石の髭を思ってみた句である。

5「綾子師の風呂吹き大根甘かりき」
6「師と語る卓に三粒の棗の実」
7「灰皿と眼鏡師のなき堀炬燵」
  この5から7は、沢木先生と細見先生についての、私の個人的な思いが句になったものである。句それぞれに私なりの思いがある。これが読み手の共感をよぶものかどうか。共感をよべるか、ひとりよがりに終わるか。難しいところである。

 

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05年9月20日
昨日(9月20日)、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。いつものように、第一部は栗田先生の講義、第二部は句会という構成です。まず、栗田先生の講義からご紹介します。本日は「俳句の基本」に「スランプ」ということを含ませてのお話です。

よくスランプに陥ったということ聞く。俳句を初めてまだ一年という人の場合もあろうし、10年を経たという人の場合もある。このスランプとはどういうことなのか。もちろん、句が出来なくなったということであるが、これは過去の自分に飽きたということであろう。自分の俳句に不満を感じるようになり、もっと「らしい」俳句が作りたくなったということであろう。しかし、その「らしい」というのが危険である。
 そこで、スランプを脱出するにはどうしたらよいかを考えてみよう。答は「基本に戻る」ということである。それでは、基本とはどういうことか。第一に「自然に触れる」ことである。頭で考えたり、感情に訴えたりしないで、素直に自然を見つめそれに触れることである。第二は、先人の作品を熟読することである。繰り返し繰り返し読んでみることである。第三は、自分を見つめ直すことである。人の作品を読んであせることがある。これはよくない。あせる必要はない。自分は自分のままでよい。
 沢木先生は、プロとアマの違いということで、次のように言われている。プロとアマの違いのもっとも際立っているところは、プロは基礎がしっかりしているということである。それにもう一つ、プロは自分がどのランクにいるのかということをしっかり把握している。スポーツの場合であると、このあたりのことははっきりわかるのだが、俳句の場合にはランクは漠然としたもので、なかなか本人には捕えどころがない。だから難しいとも言える。つまり、基礎がしっかりしないまま自分の句に不満を抱くことでスランプに陥ってしまうことが多い。スランプの脱出には、新しく生まれ変わるという意識が重要であろう。
 さて、「俳句の基本」ということに話を進めるが、今述べたランクということばを使っていうなら、写生にもランクがある。第一のランクは、見たままありのままを句にするということである。子規のいう写生とはこのことである。見たままのありのままのものをことばに置き換えるということである。第二のランクは、見たものに取捨選択が加わり、心を動かしたもの、感動したものを写すということである。そして、最高のランクは、感動したものの「いのち」を写すことである。これが本当の意味での写生であろう。山口誓子が「ものの根源を写す」と言ったのはまさにこのことである。

加藤湫邨は次のように言う。「『おどろく』ということは、事物の中の新しさ、美しさ発見して、生命の躍動を感ずることです。つまり、実感をもつということです。生命の躍動のないところには詩はない。『おどろき』のないところには詩はない。常に『おどろくこと』の出来る新鮮な状態にいないと、内的表現は充実しない中に心から消えてゆき、よしんば十七音にされても、人の心をうつ力はありません」(加藤湫邨「俳句表現の道」)
 湫邨の句に「隠岐や今木の芽をかこむ怒涛かな」がある。これについて湫邨自身は、「自分の心の中に怒涛があった。それを自分の見詰める対象の中に見いだしてこの句となった」と言っている。自分の悲しみや喜びと対象とが共鳴してこの句となったのであり、これがもののいのちを写すということなのである。

 高野素十は「軽率に句を作るな」と言う。それを敷衍して次のように言う。「嘘を句にするな。頭の中だけで句を作るな。目に見えること、耳に聞こゆることを気取らずにその通り句に作れ」

 「ひっぱれる糸まつすぐや甲虫」という句はまさに見たままの句の代表例であろう。
 題詠だと、常識的な句になりやすい。伊吹嶺の山彦集は題詠であるが、同じような句の山が出来る。たとえば、サングラスという題で、頭で作るせいかサングラスだけではなく、中七までまったく同じという句が出てくる。やはりものを見ないで句を作るというと、どうしてもこういうことになるのだろう。町へ出て、サングラスを掛けている人を見るともっと違ったものとなるだろう。

  なお、栗田先生の配布された資料の中に、沢木先生の「風木舎俳話」からの引用があります。これはたいへんに参考になる文と思ってここに載せることにします。

 「だいたい俳句の作り始めの頃は観念的傾向をまぬがれないが、物に即して勉強しているうちに脱却してゆくもので、それが実作の修練というものである。また老齢化するとともに観念的傾向が強まることに気づく。物をしっかりとみることが面倒くさくなり、ていねいに感覚を働かすのを怠るからであろう」

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05年8月16日
昨日(8月16日)、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。いつものように、第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会という構成です。まず、栗田先生の講義からご紹介します。テーマは「俳句の基本」です。

「俳句の基本」ということはこれまでにも話題にしてきたことではあるが、少し観点を変えて考えてみよう。

「風」の俳句では、即物ということを俳句の基本としている。沢木先生は、「感動をナマのまま言葉で表しても俳句にはならない。俳句独自の表現方法の一つは即物ということである」と言われている。俳句で「うれしい、悲しい」との表現は、共感は出来でも、それでは句にはならない。沢木先生の言葉をさらに引用する。「感動はもやもやとしていてまだ形を成さない混沌の状態のものである。形を成さないものが形を成すためには結晶する核が必要であり、それが物である。俳句にあっては物に即し、物を通すことによって感動が定着する。これが俳句の大原則である。即物をおろそかにしていては骨格の弱い、ふやけた俳句しかできない」

ここで俳句の大家と言われる人たちは「俳句の基本」をどのように考えているのかをみてみよう。

飯田竜太(雲母)
 芭蕉は「奥の細道」に五十句ほどしか載せていないが、実際にはもっと多くの句があったのであろう。そのことについて次のように言われる。「その地に一番ふさわしい一句。それが芭蕉の自然に対する挨拶であった。別の角度から言えば、苦心して作った俳句が、おのずからうまれたような姿を持った作品にすること、自然に対する敬意とは、そういうものかもしれない」
  苦心して作って、それがおのずから生まれたように見える句などと言われるが、これはたいへんに難しいことであろう。さすがに大家の言である。

 細見綾子(風)
  細見先生は次のように言われている。「俳句は季語が中心となるべきものである。俳句は季をうたい、季に徹しなければならないものだ。それが古かろうと新しかろうと、俳句とはそういうものである。それが無限の道に通ずることを知る人は知っている。季に徹することがなければ俳句の特質は生まれて来ない。他の文芸にない独自性、他に主張できるものはそれだけである」
  このことばを我々は重く受け止めるべきである。

富安風生(若葉)
 「俳句には選は不可欠である。それは俳句が『最短詩型の性格』から来ている。...大省略の手法で夾雑を芟除し、ヒントだけ与えて、表現を避けた一切を読者の想像に任せるわけだから、大事なヒントに無理や独断があってはならぬ。そこにに見せてヒントの客観性を確かめる必要が起こる」
 要すれば、俳句は省略の文芸だから、ポイントだけを残してあとは省略する。すなわち、「物」だけを与えて表現(説明)を避ける。物を投げ出して読者に任せるというのである。そして、その物に客観性がなければ、読者は理解しないということである。

大野林火(浜)
 「私は『言葉は易しく、思いは深く』を作句信条としている」として、さらに次のように続ける。「あれもこれも叙べるのではない。言いたいことをぎりぎりのところまで省くのである。簡潔--ーこれこそが俳句の身上であろう。思いは人生経験の深さによるところ大きい。それを助けるのが勉強である。学ぶ世界は俳句の世界にとどまらない。
 新しみは素材であり、また思いの新しさである。それもこれもつねに勉強することで、おのずと顕れるということが大事である。個性なども、勉強するところおのずと顕れるものなのである」
 勉強は俳句の世界にとどまるなということは大切なことである。

加藤湫邨(寒雷)
 「俳句では外から加えられた言葉が表面できらきらと装飾性を強めては、到底散文や近代詩にはかなわないものと考えている」とし、さらに続けて「言葉は俳句では消えなければならない。消えて蒔絵のように磨き出されなければならない」と言う。これは、まさに難しいことで、さすが大家の言です。

山口誓子(天狼)
 山口誓子は吟行のことで次のように言う。「吟行に赴くときには、行き先の地理、歴史を調ぶべし、その地に至れば、その自然を自分の眼でよく見て、新しい発見を為すべし」
 吟行に行く前に、その地で詠まれた句を探してノートし、それを持って行く人がある。そして、その地でその句の確認をし、自分ではその句と似たような句を作って満足しているがいる。それでは、なんの発見もない。なんのための吟行かと言いたい。発見が大切なのである。

皆吉爽雨(雪解)
 「句に対する私の初心は、天然愛から発している。この言葉は、季題愛、季感愛と言い換えた方が俳句作りに即していて適当のようである。そうした思いで、現代の俳句を見ると、多くは季とのつながりがよそよそしい。だから、読者の心を満たしてくれるものに乏しいうらみがある。探し出すと季語がくっついている、この句はこの季のものだったかとようやく合点する程度のものであれば、季語などというものはずいぶん邪魔な夾雑物であって、それの無用論も起こるのももっともと考えられる」
 また、写生について次のように言われる。「写生は、ぞろぞろ歩きのただの大道ではない。一人々々が発見し登頂すべき孤独の道である。写生は客観という描法が伴って完成を見るという大切な点がある。相手と取り組んでもみくちゃにならず、恒に一歩離れて明快に描出表現することである。情感を写実の底に抑えて、幾倍かの力でそれを爆発させるのが俳句という短詩である」

 これらの文は、毎日新聞社 「毎日俳壇 俳句作法」にまとめられている。

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05年7月12日
7月12日、いつもより一週間早く、伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部の栗田先生の講話と第二部の句会の様子をご紹介します。

 (1)栗田先生の講話  「即物具象」
  いつもいつも言っていることではあるが、「風」の俳句、即ち「伊吹嶺」の俳句は、即物具象につきるということである。では、何故「即物具象」と言うのか。ことばはイメージを伝達するものであり、イメージの仲介役と言ってもよい。そして、そのことばが「もの」である場合は、イメージが一番正確に相手に伝わるのである。俳句は短詩型文学であって、長々と述べることはできない。イメージを「もの」に結晶させて短いことばで相手に自分の感動を伝えるのが俳句である。
  さて、沢木先生がその著書で「即物具象」の句として取り上げられた句を見てみよう。その句についての先生の評がある。その評のポイントだけをここに紹介する。取り上げられた句は、先生から見て「即物具象」の句と感じとられた句であり、結社とか俳人の有名・無名の区別などはまったくない。

○浜木綿や海女は昼餉の筵敷く       橋本鯨洋「花蜜柑」
    浜木綿の群がり咲く影で海女が昼の食事をしようとするところ。「筵敷く」が具体的で、ひなびた一幅の絵をなす。
  浜木綿が「もの」である。だが、浜木綿だけでは詩は生まれない。そこに海女を出して、より明確なイメージが読者に伝わることになる。要すれば、これは「海女」の句であり、浜木綿がその背景を明確にしている。そして、「筵敷く」が句のポイントというところである。これによって、海女のくつろいだ様子が伝わって来る。

○飛魚の波に跳びつき沈みけり       松藤夏山  虚子門
    飛魚の飛翔の終り、再び海中に潜るときの瞬間をとらえ、「波に飛びつき」が即物的把握で迫力がある。
  ほととぎすの作家であるが、そうした結社のことは問題とせず、沢木先生は即物具象の句と考えられる句を取り上げてみえるのである。

○清滝や波にちり込む青松葉         芭蕉
    初案は「清滝や波に塵なき夏の月」であったが、初案の夜の景を昼に変え、「塵なき」という間接的な説明を「ちり込む」と即物具象に改めた。推敲の見事な例である。
  「塵なき」は説明であると沢木先生は言われる。そして「ちり込む」がこの句のポイントであると言われる。ここに、写生と説明の違いを読み取ることが出来よう。と言っても、写生と説明の違いはなかなかことばでは説明しがたい。自得するよりしようがないとも言われていることで、まさにこの点が俳句の難しいところである。

○かりかりと蟷螂蜂の皃を食む       山口誓子
    もちろん音などするはずもなく虚音であるが、即物非情の感覚が従来の俳句になかった新しさを示す。
  昆虫の顔は「皃」という方が適切であると思ったのでこれを使ったという誓子は言っている。高校の教科書ではこの「皃」を使わないで「顔」と変えてしまっているものがあったが、それは良くないと思う。作者はその状況に最適のことばを探して苦心しているのであるから、それを変えてしまっては作者の意図を無視してしまうことになる。

○蝌蚪一つ鼻杭にあて休みをり       星野立子
    この句の蝌蚪は泳ぎまわっている多数ではなく、群れを脱落したひとり。「鼻杭にあて」が写生のポイントで、哀れさが切実。やさしい思いやりのこもる作。
 鼻と杭を続けて読まないこと。「鼻杭」などというものはない。「鼻」を「杭」にあててということである。

  さて、句を読むにあたっては、まず、ことばの解釈から始まる。出発点でことばの解釈にずれが生ずるのは好ましいことではない。解釈がずれるのは、その句の表現がまずいということである。解釈の次は鑑賞である。鑑賞にあっては、読者の人生経験の差異により大きくことなる場合があろう。さまざまな鑑賞があってもそれは差し支えない。鑑賞の次は評価となる。句の評価は大いに異なることが考えられる。さらに、その上に評論がある。句を読む道筋を言ってきたが、これらすべての元になるのは、ことばの解釈である。「もの」ならば異なった相手にも同じイメージを伝えることが出来る。即物具象の大切さはまさにこの点にある。
  「きびしい母親」とか「やさしい母親」と言った場合、それだけでは母親のイメージを正確に相手に伝えることは出来ない。やさしさやきびしさを「もの」に即して伝えることが必要である。
伝えるには、対象をしっかり見据え、感動をことばに置き換えるのである。ものを把握し、そのもののありようをきちんと伝えることである。吟行へ行くと、その場にあるものの名前を羅列して、それでよしとする句が沢山出てくる。だが、ものの名前だけでは句にならない。もののありようを捉え、それを相手に伝えることばの発見が大切である。もちろん感動が大前提ではあるが。その際、使い古された表現を使うというのは問題にならない。あくまでも、自分のことばで、新しい発見がそこにはなければならない。このためには言葉のストックが必要となろう。名句を沢山読めというのはこのためである。

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 05年6月21日
6月21日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部の栗田先生の講話と第二部の句会の様子をご紹介します。

(1)栗田先生の講話  「俳句のポイント」
 本日は「俳句のポイント」(「作句のポイント」と言ってもよいが)ということを考えてみたい。このポイントというのは、「確かの『もの』の把握(あるいは発見)と季語の働き」ということになる。要すれば、「もの」がそこにあり、そのものについての「発見」がなければならないということである。それと同時に「季語の働き」に充分留意する必要がある。さて、その具体例を沢木先生の句に例を取って見てゆこう。

○納棺の父の匂ひの黒襟巻
 これは「襟巻」の句である。黒が適切な修飾語である。納棺の襟巻が黒ということで作者の思いがよく出ている。作句のポイントは「父の匂ひ」である。「父の匂ひ」という感覚的な把握がこの句を生かしている。

○刈り伏せて光うしなふ麦畠
 これは「麦畠」の句である。ポイントは「光うしなふ」にある。単に「刈り伏せる」だけなら、特に発見はない。「光うしなふ」としてはじめて感動が伝わって来る。感動をことばで表わすことが大切であるというが、まさにこれがその具体例である。

○一隅に夜学教師の梅雨の傘
 これは「傘」の句と言える。夜学教師と梅雨がその傘を修飾する。そして、この句のポイントは、「一隅に」である。「一隅に」という場所を得て、この句は生きた句となった。夜学教師というからには、決して楽しい内容の句ではないだろう。

○鴎外の見捨てし街の白山茶花
 この句は「山茶花」の句である。それも白い山茶花の。ポイントは鴎外の「見捨てし」街にある。「見捨てし」で、句に奥行きが出てくる。この白山茶花もさびしく見えようというものである。

○愛撫する如く苗代田に触るる
 これは「苗代田」の句である。それに触れるというのであるが、その触れ方が「愛撫する如く」というのである。これがこの句のポイントとなっている。いわゆる「如く俳句」であるが、この句では、愛撫してあたりまえというようなものを愛撫しているのではない。「苗代田」を愛撫するということがこの句のポイントである。

○母よりの能登の豆餅塩強し
これは「豆餅」の句である。それは、母から送られた能登の豆餅であるという。ポイントは「塩強し」である。これによって、豆餅のありようがじつにはっきりする。能登という地名も生きたものとなる。沢木先生は、豆餅についてなにもごちゃごちゃとは言わない。最小限のことばで、その本質をずばりと表わされている。

さて、次には、取り合せの句を見てみよう。

○麦秋の息かけ磨く管楽器
 これは「麦秋」と「管楽器」の取り合せである。ポイントは「息かけ磨く」である。これによって、季語の「麦秋」は動かない。「息かけ磨く」を「梅雨」などという季語と使うことはできないだろう。 

○冬の雨しみの拡がる土の壁
 「冬の雨」と「(土の)壁」の取り合せ。ここでは「しみの拡がる」がポイント。地味な句であるが、ほんとうにしみじみとした情感が伝わって来る句である。「しみの拡がる」ということばが、この土壁の状態をしっかり把握している。

○大粒の緑雨したたる塔見上ぐ
 「緑雨」と「塔」の取り合せ。緑雨に大粒という状態をはっきりと把握したことばが付いている。ポイントは「したたる」である。これにより、高い五重の塔から、大粒の雨がしたたり落ちるという状景が見事に捉えられている。

○鳩を飼ふ女に野火の煙り来る
 「野火(の煙り)」と「(鳩を飼ふ)女」の取り合せ。野火の煙り来るということで、この句の状景のすべてがわかる。

続いて、伊吹嶺に投句された句で、私が採らなかった句を見てみよう。
△全快の写経一心蝉しぐれ
 「蝉しぐれ」「一心」「写経」と、材料がばらばらに並んでいる。ただ、それを並べただけという感じがする。一句の中心となるような、これがポイントであるというものがない。

△消えて尚大きくかかる秋の虹
「秋の虹」の句であるが、何を言いたいのかすぐにはわからない。消えたものが「大きくかかる」とは、どういうことか。消えたがその残像が残っているということとは想像がつくが、描写としてはおかしいし、写生がまったく出来ていない。

△長雨に梅干す日和なかりけり
「梅干す」が季語で、それに「日和」をとり合わせたものであろうが、これでは単なる事実の報告に過ぎない。

△更衣日向の匂ひ残しをり
「更衣」は「もの」ではない。だから、この句には「もの」がない。「更衣」という「こと」が、匂ひを残すという表現はおかしい。

沢木先生の句を見てわかることであるが、難しいことばは一つもない。それに理屈というものもない。もののありようを、ものの本質を表わすことばを的確に選んでの描写となっている。そのことが、読者の共感を呼び、読者は感動するのである。

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 05年5月17日
5月17日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部の栗田先生の講話と第二部の句会の様子をご紹介します。

(1)栗田先生の講話  「伊吹嶺俳句の基本」
「伊吹嶺」の俳句は「風」俳句の即物具象という考え方を基本として受け継いでいる。ここで大切なことは、即物具象の基本の業を身につけることである。私がどのような句を良しとするかは、言うまでもなく、この基本に忠実な句である。基本に忠実な句ならいつでも作ることが出来るというようになっていただきたい。基本とは、ものに即してそのもののありようを正確に描写するということである。野球を例にとれば、まず直球を投げることが肝要で、カーブとかシンカーは基本が身についてから考えればよいということである。その具体例を沢木先生の句を例に取って考えてみよう。いずれも、先生の若い頃の作品である。

基本形のその一(季語+もの から成り立つ句)

1しぐるるや窓を掠むる鳥つぶて  
 この句の構造は「時雨+切れ字の(や)+鳥(つぶて)」であり、「窓を掠むる」が鳥つぶてのありようを写生したものである。 

2芭蕉忌や己が脚噛む寒鴉 
 この句は「芭蕉忌+切れ字の(や)+寒鴉」であり、「己が脚噛む」が寒鴉の写生となっている。

3長城やみんなみさして芹の水
 「長城+切れ字の(や)+季語の芹の水」であり、「みんなみさして」は芹の水の写生である。

4菜の花や旅路に古りし紺絣
 「菜の花+切れ字の(や)+紺絣」であり、「旅路に古りし」が紺絣の写生である。

5松風や末黒野にある水溜り
 「松風+切れ字の(や)+季語の末黒野」であり、「末黒野にある水溜り」が写生

6金木犀風の行手に石の
 「金木犀+ここに切れがある+塀」であり、「風の行手に石の」が塀の写生である。

7朴若葉胎蔵界の吹けり
 「朴若葉+ここに切れがある+風」であり、「胎蔵界の….吹けり」が写生である。

この基本形は、季語+もの で成り立つ句である。さらに、いずれも切れ字が用いられている。最後の二句は、切れ字はないが、いずれも上五のあとでは切れがあると考える。4の句を例にとれば、菜の花と紺絣との句ということができ、中七でしか作者は感動を述べることはできない。この作者の感動を読者は読み取らねばならない。要するに、上の句の季語とものをのぞいた部分が写生の部分であり、ここに感動を伝えようとの作者の苦心がある。もののありようをどのようにことばに置き換えるかが最も苦心するところである。ここに自分の実感で捉えたことを述べるのが写生である。3の句で言えば、「芹の水」をどう捉えるかが苦心のしどころである。

基本形のその二(一のような取り合せではなく、季語のいのちを描写する句)
8穴に入る蛇あかあかとかがやけり
 季語は「蛇穴に入る」で、その蛇がどのように穴に入ったかを描写するのが写生ということになる。沢木先生は「あかあかとかがやく」ということばでそれを描写されている。いわば、ここに適切なことばを発見するということである。作者の感動を読者に伝えることばを発見することが大切である。

9天上に還らむとする風花あり
 季語の「風花」が「天上に還らむとする」ということばの発見によって描写されている。

10うすら氷を押せばたちまち水漬きたり
 季語「うすら氷」の描写がなされている。作者の感動が表わされている。読者は作者の感動を読み取らねばならない。それを読み取る勉強をしなければならない。この読み取るということが非常に大切である。これが読み取れるようになって、即物具象の句の理解が深まると言えよう。

 これまで述べてきたように、これが「風」すなわち「伊吹嶺」の俳句なのだから、これらの基本的な句をいつでも作れるというようになってほしい。また、これらの句のどこが良いのかが理解できるようになってほしい。句会ではこうした句を見逃さずに選ぶことが肝要である。選句にあたって、表面的なこと技術的なことにまどわされることのないように。
 沢木先生の句、ことに若い頃の句を学んでほしい。そして、どこが写生の眼目かということをいちいち確認しながら読んでほしい。先生の見たものは何か、そして先生が見て感動したものは何かを確認することである。対象のありようを表現することが感動を人に伝えることになる。そのことを学んでいただきたい。比喩は真似しないほうが良い。対象に真っ正面にぶつかって描写することをまなぶのである。

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 05年4月19日
昨日(4月19日)、定例の中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会という構成です。まず、栗田先生の講義からご紹介します。本日のテーマは「月並みを脱せよ」です。

昭和42年「俳句」12月号に、「1968年俳壇への要望」ということで書いて欲しいという「俳句」編集部の求めに応じて、沢木先生は「月並みを脱せよ---現代俳句の病弊」という一文を書かれている。これは、今読んでみてもその新しさは失われていないし、私(栗田先生)の著書「現代俳句考」の「即物具象を考える」のもとになっている論考でもある。この文章は、当時の前衛俳句のきわめて盛んな頃に書かれたものである。
沢木先生はこれより前に同じ「俳句」に、次のように書かれている。
「「観念性」と「言語の懈弛」は月並俳句の両輪で、俳句を芸術の圏外におとしめる最大の欠陥であるが、戦後の現代の俳句にもこの傾向が甚だ強い。殊にいわゆる前衛俳句には、月並俳句以上にこの欠陥が露呈されていると思われる」
観念は芸術ではないということをはっきりされているのである。そして、幾つかの例でこのことを論じてみえるので、そこのところを見てゆこう。

昭和41年に出た「現代新人自選五十人集」の中に次の句がある。
手に包むほどのかなしみ緋の牡丹
自分の感情を緋の牡丹に託して理知的に表現した句である。女性らしい感傷が、選ばれた言葉で巧みに出ている句ともとれよう.....この句の解釈はいろいろ考えられるが、「手に包むほどのかなしみ」は作者が眼前の緋牡丹より触発されて得た情念であるに違いない。凄艶に咲き誇る大輪の緋牡丹を見つめていると、花の生命に触れ、その美しい秘密に魅了させられて深いかなしみに捉えられるというのである。このかなしみは愛惜の情であり、作者は両方のたなごころで牡丹の花を包みたい位であるというのであろう。女性らしい可憐な心の動きである。
問題はこの「手に包むほどのかなしみ」という表現にある。作者は緋の牡丹から折角触発された美の感覚を直接に、具体的に表現しないで、つまりその最も重要な過程を飛ばして、観念で一句を仕立ててしまっている。観念の荒い網目から牡丹そのものの美しさは殆どこぼれ落ちてしまった。この句は一見才気走った巧みな句のようにとれるが、実は月並傾向の強い句である。正岡子規が月並俳句の特徴の第一を、直接に感情に訴えることを回避して「知識に訴へんと欲す」る点に指摘しているのは周知のところであろう。
同じ作者の句を挙げて恐縮であるが、
優劣の圏外にいて白牡丹
山茶花散る日ざしは過去に射すものか
こういう句も月並というより外ない。白牡丹あるいは山茶花という対象に作者はじかに皮膚で触れていない。それよりも対象の周囲を観念で取り巻いていると言った方がよい。極端に言えば対象と自己との切実な関係が未だ生じていないのである。

峡にちらり夏潮悔いは棘の形
前衛の句にしては素直に情感の定着した句である。言葉遣いも丁寧で無理なところはない.....景と作者の心理が一致して心象風景となっているのが「峡にちらり夏潮」であろう。自分の心のひだを覗き込み反芻するような気持、悔恨の黒い影が一瞬横切った。ここまではよいが、悔いは「棘の形」でぶち毀しである。悔いを「棘の形」というのは余りにも幼稚な古びた比喩ではないか。既成の観念的な比喩に頼ることで、一句を月並に陥らせている例である。
黄落のみなぞこ覗き妻も魚
この句も比喩で句を仕立ている。「妻も魚」というような...人間の動植物への変身比喩がこの頃の俳句に実に多い。殊に前衛俳句の一つの悪癖となっているかに思われる。満目黄葉の降り舞う渓流か沼に作者は妻とともに遊んだのであろう。透明な水底を覗き込んで驚きを発している妻に作者は野性的で新鮮は魅力を感じたわけであろう。女性のしめった冷たい肌は感覚的に魚のそれに通じる。一つのメルヘン的詩情を作者は表現しているつもりであろうが、この比喩は陳腐で新しくない。
みなかみへ母の形で鶏歩く
という句があるが、「母の形で鶏歩く」という比喩も底が浅い。この鶏はもちろん牝鶏であろう。「母の形」ということが判るようで判らない不正確な言葉である。作者に判っているつもりであろうが、曖昧な表現で、効果を読者に強要していると言う外ない。いわば、作者の感覚の隅々まで通っていない死語となっているのである。低次の比喩は判じ物に類する。

ただし、沢木先生は比喩はいつも駄目だと言われているのではない。先生自身も比喩を使って幾つも優れた句を作っておられる。このあたりの呼吸はかなり難しいものと言わざるを得ない。

次ぎに「言語の懈弛(たるみ)」について。「言語の懈弛」は「観念性」より生じる場合が多い。子規は言語のたるみの例句として、
日々に来て蝶の無事をも知られけり
を挙げ、「をも」の語をたるみの甚だしきものであるとしているが、「をも」のところに思わせぶりの小主観が顔を覗かせて韻律を停滞させている。一例を挙げれば新人集にこういう句がある。
緑陰の子を皓き歯として念う
これは、草田男の
万緑の中吾子の歯生え初むる
が下敷きになっている句で、緑陰に遊ぶ愛児の瑞々しい歯に焦点を合わせ、父親の愛情を強調している同想の句であるが、この句の場合「皓き歯として」の「として」のところが明かにたるんでいる。こういうところに作者の観念が生のまま露呈して言葉をたるませ叙述を説明にしているのである。

これまで、瑕瑾ばかりをあげつらってきたようだが、私が佳句とするのはどんな句かということで、同じ新人集の中から、沢木先生は幾つかの句を挙げておられる。
古雛のもとどり解けて流れたり
地の冷と青空の間ひ朴ひらく
山鳩や捨坑木に茸湧き
母の夢途切れて赤き唐辛子
そして、それらの句の良さはどこにあるかということでは、「いずれも小主観を弄せず、対象を肌に密着させた句である。テーマは粗大でこけおどかしのものではなく、だいたい身辺の些事に詩因を発見しているものが多く、それをきめ細かく自己の肉体を通して着実に表現していると言える。乱りがわしい空騒ぎはここには無く、引き締まった俳句固有の美が静謐に息づいている。地道ではあるが、ゆるがない技術の確かさをこれら新人達は身につけて来ている。明日の俳句の進展を考えるとすれば、これらオーソドックスなる作品が何より基礎として据えられねばならない。」と述べておられる。
要すれば、対象と自己との切実な関係が生じていないと、どうしても説明しようとすることになるが、これがたるんだ句となるのである。「も」という助詞を使って句を作ると説明調となることが多い。対象に肌を密着させるということ、即ち、これが写生がしっかりした句ということになる。

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05年3月16日
昨日(16日)、定例の中日俳句教室が開かれました。いつものように、第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会という構成です。まず、栗田先生の講義からご紹介します。テーマは「日本の言葉」です。

まず最初に、細見先生のことばを引用する。これは、細見綾子句集「和語」のあとがきに記されているものである。
「日本の言葉は日本の美しい自然とそこに生活して来た人間とによって生まれ伝わって来たものである。自分が俳句を作って来たことは日本の言葉に出会うためであったのかもしれない。
 心とか自然とか区別せずに、それらを含めて言葉をあらしめたい。それらすべてのものの上に「言葉」を冠したいのである」
細見先生のこのことばからは、和語すなわちやまとことばの美しさを充分に生かして、その言葉でもって句を作ってゆきたいという願望がある。

さて、本日は細見先生のことばを念頭においての添削例をみてみよう。先月にも添削例を出したが、いずれも原句は[伊吹嶺誌]に投句されたものである。

□原句 芭蕉碑に立てば一羽の鷹翔てり
☆添削 芭蕉碑に立てば一羽の鷹わたる
  この作者は、「鷹一つ見付けて嬉し伊良湖岬」が念頭にあったに違いない。原句の「立てば」は、座五の「鷹翔てり」と因果関係を表わしているようにみえる。また、碑のような低いものから鷹が翔びたつかどうかという疑問がある。そこで、座五を「鷹わたる」と変えてみる。すると、「碑の側に立ったらたまたま鷹が渡って行った」というような感じとなり、同じ「立てば」でも、原句とは違った意味合いを持つのではないか。

□梅花藻のゆれる湧水光りけり
☆梅花藻のゆるる湧水光りけり
「ゆれる」と「ゆるる」の違いである。文語では「ゆるる」である。

□結びの地伊吹颪の吹き抜ける
☆結びの地伊吹颪の吹き抜くる
  これも一字の添削である。文語では「吹き抜くる」である。投句には、このような誤りが非常に多い。文語と口語の違いによく注意してほしい。和語の美しさは文語にあるのだから。

□旅日記の押し花にするうどの花
☆うどの花押し花にする旅日記
  まず字余りの修正。それに原句には切れがないから切れを入れた。添削では、「うどの花」を先頭にもって来た。ここに僅かながら切れを入れたい。

□駅弁に紅葉の一葉添へらるる
☆駅弁に添へし紅葉の一葉かな
  原句では、「添へらるる」ということで、動作を主体とした句になる。そして「添へらるる」だから現在添えていることになる。駅弁を作る作業を見ているような感じがする。添削では紅葉の一葉が主となっている。だから、原句の内容を変えてしまっているようだが、原句の作者の意図は一葉を主にしたかったのだろうと思う。

下萌の湿る大地の靴のあと
下萌や湿る大地に靴のあと
  原句には切れがない。それに「の」が多すぎはしないか。添削では切れをいれた。

□禅寺の刻を告ぐ鐘遅日かな
☆禅寺の鐘刻告ぐる遅日かな
  原句には切れが二つある。「かな」があるので、「告ぐ鐘」と切ってはいけない。

□鯉溌ねて拡がる波紋早春譜
☆鯉跳ねで拡がる波紋春近し
  早春譜のような既成のことばを使うのはやめたほうがよい。

□初弘法人参はぜて売られをり
☆初弘法はぜし人参売られをり
  「人参はぜて」というと、目の前ではぜているような感じがする。そんなことはないのだから、「はぜし人参」とすべきである。

□赤坂宿木守の柿の透きとほる
☆透きとほる赤坂宿の木守柿
  まず、原句の字余りを直す。「の」を安易に使ってはいけない。

  ここまでで特に言いたいのは、推敲に推敲を重ねて投句してほしいということである。自分の句を客観的に眺めてみる時間がほしい。ある時間をおいてみて、考え直すことがあれば考え直してみて投句するようにしてほしい。

 

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 05年2月15日
 昨日(15日)、定例の中日俳句教室が開かれました。いつものように、第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会という構成です。まず、か栗田先生の講義らご紹介します。テーマは「文語文法 完了の助動詞『り』」です。今日のお話は実作の上でたいへん参考になるものです。

  完了の助動詞「り」は次のように活用する。
 未然  連用  終止  連体  已然  命令
  ら :  り :  り :  る :  れ :  れ :

「り」は他の助動詞に比べて、四段活用の已然形かサ変の未然形にしか付かないという点に特に注意すること。この助動詞はうまく使えばたいへんに使い出のある助動詞である。
どのように使うか、添削例で示してみよう。本日の例として出す句は、伊吹嶺に投句された句である。

(1)牛鍋を囲みし父の誕生日
(2)若水を汲みし素足の若き僧
  この二つの句で、「囲みし」「汲みし」は過去のことになる。「昔囲んだ」ということになり、過去ならいつのことでもよいということになってしまう。作者の意図は、過去のことではなく、現在を言いたい、即ち、現在牛鍋を囲んでいる、というのであろうから、そうなれば、現在のこととするために、「みし」を「めり」と直せばよい。句はこれで現在を詠んでいることになる。

(3)店頭に舌を突き出す寒蜆
(4)コアラ舎の壁を色彩る蔦もみじ
(5)苦学せし牧師を偲ぶ藤の花
  ともに「を」が使ってあるが、「を」は、ともすれば説明っぽくなってよろしくない。それに、句に切れがないので、これでは散文である。「突き出す」「色彩る」「偲ぶ」は連体形と終止形の区別がないことに留意すべきである。(3)は「突き出せり」(4)は「色彩れり」(5)は「偲べり」として、切れをはっきりさせること。投句にはこのような例が非常に多い。毎月こうしたことを直している。

(6)年用意値切つて買へる芋と葱
(7)大熊手肩に背負つて初えびす
(8)日溜りに羽根を繕ふ鴨一羽
  (6)で「買へる」は連体形であるから切れがはっきりしない。「値切つて買へり」とするところだが、「年用意」で切れがあるので、この句は前後をひっくり返して、「芋と葱値切つて買へり年用意」とした方がよい。(7)では「て」が問題。切れがない。「背負へり」とする。(8)は「を」がいけない。説明となっている。「繕ふ」は終止・連体が同型で切れがあいまい。四段活用の終止形・連体形は同型であるということに特に注意してほしい。自分は終止のつもりでも、連体と読まれてしまい、切れがなくなってしまう。四段活用の終止・連体を無意識に使ってはいけない。

(9)初詣みくじに顔を寄せ合ひて
(10)喜寿と言ふ女礼者や華やぎて
  「て」止めは「発句」のスタイルではない。やらないほうがよい。「り」を使えば簡単に解決がつく。「合へり」「華やげり」とすればよい。(10)は「女礼者や」で切れているから、ここは「女礼者の」として切れをなくする要があろう。

(11)稚児の舞ふ奉納殿のしづり雪
(12)研ぎ立ての鋏の匂ふ半夏生
  ともに散文のスタイルである。「稚児の」「鋏の」の「の」に問題あり。「稚児舞へり」「鋏匂へり」で解決。「り」の使い方をしっかり覚えてほしい。

  (13)初凪の湾に浮かびし島二つ
  (14)筬の音路地にひびけり四日かな
 (13)は「初凪や」で切って「浮かべる」としたほうが良い。これまでとは逆の例である。(14)は「かな」があるので、「けり」で切るのは誤り。「ける」として切れをなくする。

(15)奉納と二文字書くを筆はじめ
(16)一花をそつと咲かせて牽牛花
 (15)の「を」は説明となる。ここは「書けり」とする。(16)の「咲かせて」も駄目。「咲かせり」とすればよい。 

(17)背伸びして帽子で受けり福の豆
 「受けり」は誤り。下二段活用だから「受くる」が正しい。このような誤りは沢山あるので注意してほしい。

  毎月、伊吹嶺に投句される句のほぼ1/4をこのように添削している。文法の誤りは自分で注意して直すようにしてぼしい。これは自分で解決の付く問題と思う。本人にこのように直したとは言わないので、直された人はどう直されたか自分で気が付いてほしい。

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 05年1月18日
1月18日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。例によって、栗田先生のお話の概要とその後に行われた句会の模様をお伝えします。栗田先生のお話の題は、「偶然をつかむ力」です。以下はその概要です。

本日は、「類想と類句―類想を恐れるな」という題で話を進めます。類想と類句は常に問題となっていることで、公募の場合は入賞取消などということが時におきることがある。本人がまったく知らないのによく似ていることがある。盗作はもちろん論外であるが、よく似た句を作った場合、そのどちらが優れているかを考えてみることも大切であろう。この場合、誰が優劣を決めるのか。選者によってこれは変ってこよう。最後は、時間が決めるということになろう。古典は何故古典かを考えてみるとよい。長い時の流れに判定をくぐり評価されたものが古典である。誰が決めたのでもない、時が決めたと言えよう。
 今日は、NHKの[俳句春秋]本年1月号に載った鷹羽狩行氏の講演記録をもとに、このことを考えてみたい。
 鷹羽氏はまず次のように言っている。「よく似た俳句ができるのは短詩型の宿命であるとよく言われている。たった十七音、そのうち三分の一が季語。あとは三分の二の十二音が内容ということになり、季語に結びつく内容というのはおのずから絞られてくる。類句は駄目といわれるが、類句の根底になっている類想まで駄目とは言い切れないものがある。そもそも季語の一つ一つが、いうなれば類想のエッセンスのようなものではないか。春は生命の華やぐ季節、秋は滅びの季節と誰もが思う。これが共通の感覚で、これを誰も模倣とか盗んだとか言う人はいない。類想は悪いどころか、これが土台になっていると言ってもよい。ただし、その類想が類句になっては駄目だと言いたい。類想とは表現以前の内容にかかわることであり、類句は表現された字句の問題と言えよう。類句は極力避けるべきだが、類想は恐れてはならないと思う。むしろ、積極的に類想の奥に潜む人間の共通感情に深く突っ込んだ句を作りたいものと思う。盗作、改竄のようなものは駄目、模倣句、盗作、剽窃などは論外である」
 たとえば、孫は可愛いという句を誰かが作ったら、それ以後は、もう孫は可愛いと言ってはいけないのか。そうではないと思う。可愛いというのは自然な感情であり、それを類想の一語で片付けることは出来ないだろう。
 鷹羽氏は次のような例を出している。
  新しき暦の下の古暦    吉田善一
  新しき暦の上に古暦    (山本一歩)
山本さんの句のほうが後から作られたものである。二つの句は「上」と「下」の違い、

「に」と「の」の違いで意味は正反対になるが、これは類句と言わざるを得ないだろう。山本さんは自分の句を取り下げられている。類句は避けがたいので、既発表の句があったら潔く取り消すことである。言い訳はせず、後から出した人が取り消す。これが一番すっきりした対処方であろう。
 ところで、類句にも優劣があるということも知っておいてよいことだとして、鷹羽氏は次の例を出される。
  香水の一滴づつにかくも減る  山口波津女
  使ふともなき香水の目減りする 北村仁子
北村さんの句の方が後から発表されたものである。これは類句であろう。比較をすれば、前者のほうが遥かに優れていると言える。
  枯菊のもゆる火中に花触れあふ  天野莫秋子
  菊焚くや炎中にひらく花のあり  能村登四郎
火中の花という素晴らしい素材。どちらが優れていると言えるか、意見の別れるところであろう。
  獺祭忌明治は遠くなりにけり   志賀芥子
  降る雪や明治は遠くなりにけり  中村草田男
この優劣は明らかで、草田男の句の方が遥かに優れている。前者は平凡。ところで、
  菊の香や明治は遠くなりにけり
という句を作った人がいる。そして、既に草田男の句が存在すると言っても、その人は菊の香の句を取り下げようとはしなかったそうである。この句、よく考えてみると、もし草田男の句より先に作られた句であったら、これはすごい句だなあということになっていたかもしれない。そんな感じがする。獺祭忌の方は、明治に亡くなった一葉でも、尾崎紅葉でも誰でも良いだろう。だから平凡というわけ。
 類想と類句の違いについて、鷹羽氏は次の例で説明を深めておられる。
  遠ければ蝶のごとくに鷺とべり    山口青邨
  美しき距離白鷺が蝶に見ゆ      山口誓子
これはまったく同じことを言っている。鷺が遠く飛んでいれば小さく見えて蝶のように美しいという類想が二つの句にはある。しかし表現がまるで違うので類句とは言えない。
  手毬歌かなしきことをうつくしく   高浜虚子
  数という美しきもの手毬歌      鷹羽狩行
虚子の句は手毬歌の中の物語りをテーマとした句。後者は数というものに美しさを発見したところが新しく、この二句はまったく別物と思う。
 考えてみれば、類想というものは俳句に必要なもので、時に偶然の一致、また一
字・二字違いということもある。盗作等を除いて、類句にも優劣があり、類想と類句を一律に悪と決めつけることは出来ない。問題は一句全体で判断すべきものである。類想は大いに働かせる。しかし、もしそれが類句となった場合は潔く取り消す。これが基本だと思う。

 

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