隆生の独り言日記(28年7月~)
平成28年7月から 12月31日(土) いよいよ今年は今日でおしまい。振り返ってみるとISO審査員を止めたのは今年の3月末なので、それ以降は少しは暇になるかと思えば最近で最も忙しい年になってしまった。インターネット部に専念したこと、環境ボランティアとして環境学習サークルみえにフルに活動したことなどで忙しい年になってしまった。 今日は煤逃げもならないので、玄関掃除、居間などの小物入れの収納整理そして溜まりに溜まった書類整理などがかぶさってくる。特に書類整理はISO審査員関連の資料を根こそぎ捨てることにした。 たったこれだけのことに夕方までかかってしまい大晦日は終わる。 最後の夜は1週間ぶりに晩酌を行う。 12月28日(水) 最近、ガラケーの充電器が壊れてソケット直結で充電していたが、前からスマホを変えたいと思っていたし、現在はガラケーは通話専用、スマホはデータ通信専用としていたのも面倒なので、ついでに近くのドコモショップに出かける。結局はガラケーとスマホを1つにまとめることにした。合わせて端末が無料サービスと言うことでタブレットも買う。合わせて月額料はカケホーダイで現在の料金より安くなる。ただスマホの解約、新機種の付帯サービスなど一時的に料金はかかる。しばらくはこれでやっと見ることにした。 ただ最近は取扱説明書が付いていないので、自分で試行錯誤してスマホとタブレットに今までのサービスないようになるよう、インストールする必要がある。これに慣れるまで時間がかかりそう。 12月27日(火) 今朝のNHKローカルニュースで名張の火縄綯いの伝統が途絶えようとしていると報道されていた。火縄を作っているのは、名張市上小波田地区でただ一人岩崎さんだけになってしまったという。既に88歳で後継者もいないことから同地区の中年、若者が岩崎さんに教えて貰っているという。 火縄は一般的に火縄銃に使われているが、他に京都八坂神社の新年の行事である白朮(おけら)詣で使われている白朮も有名である。縄の原料は竹を薄く削ったものを縄のように綯うことにより作られていた。 白朮とは懐かしい名前である。昔デジカメで撮った写真のバックナンバーから探すと、2006年10月に鈴木みや子さん等蒲郡のメンバーと一緒に名張に出かけたことがあった。この時も既に後継者不足で細々と続いている状態であった。あれから10年過ぎているので、もっと深刻なのであろう。当時私はどうにもうまく俳句が出来なかったが、惜しいことをしたものだ。みや子さんは次のように詠まれていた。 白朮綯ふや朱のさす翁の手 鈴木みや子 写真はその当時の縄を綯っているところ。(118432) 12月26日(月) 久しぶりに栗田先生宅を訪れて、来年のネット部の計画と吟行予定を詰める。帰りはしっかりと宿題を貰って帰る。 12月24日(土) 年末になってまたまた日記の書きだめである。特に今月は句会が4日間連続であったり、ネット部の打合せいぶきネット句会のチャットの進行役、その準備そして今月は雑誌インタビューや他の外部からの問い合わせ、打合せなどが重なってしまった。最後はibukinet原稿の整理とか文章書きで、ようやく昨日で終わった。こんなに忙しい12月は初めてであった。 その間、環境関連で書きたいことが多くあったが、全て賞味期限切れで今さら書いても仕方ない。 また煤逃げと言われないように、今日から家の中のことをするという気持ちを持っているが、どこまで続くかどうか。 ただ私自身のメモ代わりに以下に主なことを記録したい。 12月23日(金) ibukinetの原稿を書いてようやく今月の山を越える。夕方になって二男一家が来る。目的は新年のお年玉目当て。このところ長男も二男も年1回来るのが定例となってしまう。 孫はしばらく見ぬうちに随分成長している。こちらが年を取るはずである。 12月16日(金) ベートーベン第9交響曲(名フィル・名曲シリーズ) 3年ぶりぐらいだろうか。久しぶりに第9を聴く。しかもたまたまであるが、今日が長いこと名フィルの指揮者であったモーシェ・アツモン現役最後の指揮だという。Tさんは明日の公演後のアツモンのお別れ会にも出るという。それが分かっていれば私も明日に聞くのだった。 曲は前にも書いたと思うが、私はいつも第1,2,3楽章は最後の第4楽章の序奏のような構成だと思う。さらに第4楽章も前半は合唱が始まる前の序奏のように思える。出だしは主題がチェロ・バスからビオラ、そして管楽器など主題を展開して、最後にバイオリンの主題を奏でる。そして合唱に突入することになる。 最後の合唱は昔初めて聴いた時は鳥肌が立つくらい感動したが、今は感性も薄れたのだろうか、普通に聴けてしまう。これも加齢のせいだろう。あと一体何回ぐらい第9の生演奏が聴けるのだろうか。 12月15日(木) 今日は東本願寺で発行している月刊誌『同朋』からインターネット句会の現状というテーマで取材を受ける。まさかと思うが、取材理由として事前に聴いたところ、インターネット句会を行っているHPのうち、比較的よく動いているHPを見たところヒットしたとのこと。 直接にはフリランスライターからのインタビューであらかじめ質問事項を整理されてきたと思えて、比較的すんなりと答えられる内容であった。果たしてどんな取材記事になるのだろうか。2月号発行となる。 夜はいぶきネット句会の合評会の1日目。明日は名フィル公演のため、進行役をあらかじめNさんにお願いする。 12月10日(土) 日本海の恵み 環境学習サークルみえの月例会。毎回メンバーが交代で環境のことを自由に話すこととしている。今月は氷下山さんが「日本海その深層で起こっていること」の本から日本海の恵みについて話された。興味深いので以下に縄文人が日本海を渡ってきたことを箇条書きにメモする。 ・日本海が今の大きさになったのは約1400万年前で、この頃はまだ人類はいなかった。 ・今から1万6000年前に日本海を渡って縄文人が日本にやってきた。丁度氷河期の終わり頃でまだ陸続きでわたることが出来た。 ・氷河期が終わる約8000年前に氷河期が終わり、対馬海流の流入が始まった。 ・この流入により日本海と日本列島の環境を一変させた。すなわち南方からの暖かい海流による熱の供給が日本を温暖化の加速が起こり、冬期に日本列島に大量の積雪をもたらし、「天然の造水装置」を始動させた。 ・この豊富な水資源が日本の文明化をもたらした。 ・北陸、東北の日本海側はこの積雪が豊富な栄養素ももたらした。これにより日本の稲作が始まった。 ・この積雪が根雪としてしっかりと残り、徐々に河川を流れ、土壌を潤すようになった。 ・これが日本海が出来たことによる日本の文明も始まる母体となった。 ・すなわち氷河期からの温暖化が日本のおかげである。 という説明であったが、私は現代に起こりつつある温暖化はさらに別な影響を与えていると思う。 縄文時代に温暖化により積雪が文明と潤いをもたらしたように、現代でも温暖化によりかえって積雪量が増えることとなる。温暖化なのに何故積雪が増えるかというところに疑問があると思うが、冬の温暖化と言ってもある寒いので、程度雪は降る。しかも温暖化により日本海にますます多くの水蒸気が昇り、積雪量が多くなる。そしてその雪は縄文時代とは違って解けやすい雪になると思う。これだと昔のように根雪ではなく、日本を潤す雪とはならないだろう。 そこが縄文時代と現在は違うところだと思う。ますます温暖化の危機が近づいていることになる。 12月4日(日) 御在所ロープウエィに出かけ、御在所岳の俳句ingの選句。常連さんが多く、結局はこの人達を選ぶことが多い。ただ過去の類句に注意を要する。今日もどうも既視感のある句があり、過去の入選句を調べてみると、私の前任者時代の入選句と季語だけが違ってあとは全く同じ句があった。こういう場合のためにいつもパソコンを持参して、過去の入選句と照らし合わせて類句の検索に使用している。今日はたまたまこれが功を奏した。(118164) 12月2日(金) 毎年、春と秋にしゃくやく句会で吟行を行うことにしているが、今年予定していた水嶺湖吟行で、そばにあるレストランで昼食、句会を行う予定であったが、レストランのシェフが骨折してしまい中止になった。 やむえず今日、大安町にある両が池が見えるレストランで食事会のみ行う。昼食後、池を散策したが、ここは毎年5月に草競馬が行われることで知られており、池は静かな公園になっている。来年は一度来てみたいものだと思った。 11月30日(水) 一度は行きたいと思っていたところに、中央線定光寺駅から歩いて行ける愛岐トンネルがある。5月の大型連休と11月の紅葉の時期に特別開放されて歩くことが出来る。どのように行くことが出来るか知らなかったので、今日は旅行社のツアーで出かけたが、誰でも入ることが出来ることが分かった。 コースは定光寺駅から岐阜県境までの約1.7kmの往復する。やや紅葉には遅かったが、結構見頃であった。コースは一面の楓なので、新緑の青楓の時期もハイキングに最適のような気がした。 トンネルを出たら、紅葉だったというような小説「雪国」のような雰囲気である。 写真はトンネルから出口の紅葉を見たところ。 11月25日(金) 一度栗田先生の第2句碑が建立される岐阜を案内してほしいと句友から頼まれていたし、岐阜の吟行案内を書く予定のSさんからも写真も頼まれていたので、よく晴れた今日出かける。10月に既に岐阜に出かけていたが、ほとんど同じコースを歩く。当初4名の予定だったが、吟行案内を書くSさんともバッタリと会ったので、一緒に行動する。 伊奈波神社、妙照寺、岐阜公園の発掘中の信長館跡そして最終コースは川原町の蔵のカフェ。10月とはまた違って、紅葉の真っ盛りであったり、妙照寺の藜の杖を見ることが出来たり、十八楼の玄関に干し柿が吊してあったして、句材には事欠かないが、俳句が出来るかどうかは別問題。 そして蔵のカフェでミニ句会。写真は紅葉真っ盛りの伊奈波神社。 11月24日(木) いつものように子供の環境出前授業。対象は桑名市I小学校の4年生。 今日は風力発電の工作。自転車発電より物として残る風力発電に人気がある。ただLED照明付きのモーターは700~800円もするので、いつも持ち出しとなる。ただ今日は桑名市からモーター分は支給して貰えるので、日当だけのボランティアとなる。 今日は時間の配分が悪く子供達の工作に時間がかかり、給食時間にかかってしまったので、最後は完成次第、給食に戻ってしまう。おかげでいつも残す写真によいものが取れなかったので、今日の日記は写真なし。 11月22日(火) 牧野一古句集『三光鳥』 一度この日記を中断してしまうと、なかなか再開出来ない。1週間ぶりの日記。 以前から早く書こうと思っていたが、牧野一古さんから頂いた句集『三光鳥』の感想を書こうと思っていたが、遅れに遅れてしまう。 もともと一古さんは野鳥観察のベテランで鳥のことなら何でも知っていることで頼りになる仲間である。句集を読むと実に54句も鳥の句がある。もちろん句集のタイトルも鳥の名前で次の句から栗田先生がつけられた。 雨に舞ふ三光鳥の嘴青し 一古 栗田先生は鳥の句について「何れも一古さんの確かな眼で捉えたもので鳥に関する豊かな知識と確かな観察力から生まれた佳句である。」と述べられている。 また私も好きな鳥でよく詠まれている鳥の句に「ほととぎす」が多い。 ほととぎす二上山に声尽くす 野舞台の深き奈落やほととぎす 夜半の空初ほととぎす啼き過ぐる そして一古さんとは名古屋句会の指導者の鈴木みや子さんを通しての知り合いであり、ともにみや子さんを指導者として仰いできた。そういう意味で一古さんにはご一緒に吟行した時の句が多い。 秋簾吹かるる荷風終ひの家(H12) 蟻の出て西行庵の壁のぼる(H13) 鶏頭の枯れたるままに子規の庭(H13) 引越しの仏寝かさるる木下闇(H16) 奏籟や誓子歩きし白子浜(H16) 文晁の寺や蘇鉄の実が真つ赤(H16) お羽織屋芋茎ちぢれて干し上がる(H17) 蜆舟雨にけぶりて戻りきし(H18) 暑き日や洞窟に褪せたる千羽鶴(H20) 小夏日や藍に染め干す芭蕉糸(H20) などと書き出すと今でもその時ご一緒した吟行が思い出される。 そして生活感の溢れた句も多い。一般に生活句となると事柄俳句になりがちで、現にそういう句を作る方もいるが、一古さんは生活の中にも写生に忠実で即物具象句となっている。そういうところが私の琴線に触れる。以下私の好きな句を書き出してささやかな感想としたい。 初暦新居に釘を打ち惜しむ いつもより葛湯甘く一人の夜 文鎮の房の色褪せ卒業す 摩文仁の丘黙せし母の白日傘 翡翠の魚をしとめし水の音 手にとまる八雲旧居の雪ぼたる 点滴の母に余寒の足まくら 十年日記果てゝ残りし夫婦かな 編笠の触れし男女や風の盆 片足で立ってみせる児春隣 春雷に細き指立て伎藝天 なお伊吹嶺HPに書いてある句集『三光鳥』紹介は【こちら】をクリックして下さい。(117968) 11月20日(日) 針江生水と石山寺 東員町文化協会では会員研修として、日帰り旅行を行っている。今日は滋賀県高島市の針江生水と石山寺へ行く。 針江生水は平成の名水百選に指定されており、まだあまり知られていない。比良山系の伏流水を家庭の川端(かばた)として利用している。町のどこを歩いても伏流水による川端を見ることが出来る。付いた時はあいにく雨が降っていたが、静かな地区である。特に観光地となっていないので、事前予約でないと案内して貰えないし、地区の中は車がすれ違うこともできない狭さである。約1時間半ボランティアさんの案内で環境を勉強している私としては大いに参考になった。東員町文化協会としては珍しく穴場を探したものだ。また吟行でゆっくりと行きたいところである。 2番目は全くの観光地である石山寺。何故ここを選定したかと思ったら、この寺の本尊である観音の半跏像が秘仏とされており、33年に1回の開扉があるという。そのため観音を見るだけで30分以上かかる。ただ境内は丁度紅葉の真っ盛り。 帰りは日曜日のせいもあって新名神、東名阪とも大渋滞で東員町に着いた時は1時間半遅れになる。 下の写真は針江生水の家の中にある川端と石山寺月見亭の紅葉。
11月16日(水) しゃくやく句会。皆さん少しずつ上達している。毎年春と秋に吟行会を行う予定であるが、今年、予定していた水嶺湖のレストランのオーナーが骨折して、休業中ということでやむえず中止することとした。その代わり12月に食事会を行うことで吟行は中止。 11月14日(月) 河原地英武句集『火酒』 河原地さんから句集『火酒』を頂いて早速感想を伊吹嶺落書に書く。 ここでまた別の感想を書くほど材料がないので、今日書いた落書をそのまま貼り付けます。 また句集紹介も書いたので、紹介先も落書に書いてあります。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 河原地英武第1句集『火酒』 この頃は小春日和のとおり暖かくなったりしては、今日は冷たい時雨れば降っています。今日は本当は岐阜に出かける日でしたが、妻に任せて珍しく1日中外出する予定もなく、パソコンに籠もっています。書かなければならない文章が山積していますが、まずはつい最近、河原地副主宰が出版された第1句集『火酒』の紹介文を書きました。 紹介文は【こちら】あるい右の表紙絵、トップページのトピックスなどをクリックして下さい。 以下私が読んだ『火酒』の第1印象は先日出版された『平成秀句』とは全く趣を変えた平明な句集です。 まず真っ先に印象に残った句には、日常吟の多いことです。現役の大学教授で、多忙を極めている氏にとって必然的なことです。序文に栗田先生も書いていらっしゃるように、大学の句、家族の句、両親の句などが大半を占めている。 そこで栗田先生が序文に書かれていない句を探し、そこから河原地さんの詩の世界を見てみたい。 まず既視感というか、先人の俳句の趣が感じられる句にも注目した。 初風呂や吾子の薄れし蒙古斑 蒙古斑というと櫂未知子の句集の題名にもなった「いとしきは枯野に残る蒙古斑」が連想するが、この句はむしろ我が子を見つめるやさしが西村和子の優しさに通じたものを感じた。 天守より秋の日傘蝶のやう この句は言わずとしれた「摩天楼より新緑がパセリほど 狩行」の視点を感じる。この時私も吟行に同行しており、私はこのような鋭敏な観察は出来なかった。 枯木道詩篇の言葉読捨てに この句は敬虔なクリスチャンである田川飛旅子の「名言に一日鼓舞さる桐の花」を思い出す。名言、詩篇など物として表現されにくい言葉を題材に入れる技は私にはない。 他にも先人の趣を感じさせる句があったが、あまり落書のスペースを取っても行けないので、河原地さんには生活句だけでなく、写生に徹した句にもよい句が並んでいます。 金亀子潰れて青く光りをり 思ひ草摘めばネクタイ地に触れし つり銭に鱗貼りつき年の暮 春水の落ちてゆくときうすみどり あめんばう水ごと風に押されけり 秋の蝶翅を畳みて三角に 糸蜻蛉風に遅れてゐたりけり など佳句が多い。これらの句は「風」「伊吹嶺」本流の一物を凝視した即物具象そのものです。 以上『火酒』の感想を述べましたが、詳しいことは冒頭に案内した句集紹介を参照して、そして出来るだけ多くの方にも購入して、皆さんの勉強の種本としてほしいと思います。 11月13日(日) 数ヶ月おきに東員町で囲碁大会が行われる。と言っても東員町だけでなく、広く三重県、名古屋市などから約120名の参加者があり、結構賑わう。今日も初段で出場したが、またもや2勝2敗。若い頃は結構根気強く考えることが出来、ポカもなかったが、今日は順調に進んでいたが、簡単なところでポカが出てせっかくの勝ちをふいにしてしまっている。 ただ俳句と違って、強いものが絶対に勝つという現実は好きである。(117835) 11月11日(金) 名古屋句会。中川さんの句集稿がようやく出来上がり、今中川さんにチェックして貰っているところ。出版は来年になることと思うが、 句からの選りすぐりであれば立派な句集になると思う。 夜ようやく先日の伊吹嶺全国俳句大会模様をトピックスに掲載した。 伊吹嶺落書にも書いてあるが、【こちら】をクリックして下さい。 また右の写真は落書に掲載したと同じで、いつも私はカメラマンを担当しているため、自分の写真はほとんど残っていない。そこでたまにはカメラマンの特権で、受賞者の女性2名に挟まれた3ショットを載せます。 11月6日(日) 伊吹嶺全国俳句大会。速報は伊吹嶺落書に書かれているし、いずれ大会記と大会模様の写真は後日掲載する予定である。今回の大会では伊吹嶺賞にネット出身の荒川さん、西村さんの受賞は嬉しいことである。 今回は久しぶりに大会総会の議長に指名されてどうするものか考えたが、自然体で議事を進め、自ら発言したいこともあったので、よけいなことも言ったかもしれない。 写真は今回伊吹嶺賞と新人賞の3名と大会後のこの方達をお祝いした記念撮影。 11月5日(土) パリ協定発効(中日新聞他16.11.5) 昨日に引き続き、桑名市の多度青葉小学校の「青葉フェスティバル」に私の所属している環境学習サークルみえも参加して、いつもと同じ自転車発電の取り組み。全校生集めても90名ほどの集まり。他にPTAの皆さんが集まり、すごい賑わい。 メニューは私たちの自転車発電の他、ボール投げのゴールポストのパネルに当てるもの、正式の抹茶とお菓子による茶会。という何ともごった煮のメニュー。そして3グループで2時間30分のお遊び。 写真は撮したが、いつもの同じものなので、省略。 今日、各新聞で一斉に先進国と発展途上国の百九十カ国以上が参加する地球温暖化対策の新枠組み「パリ協定」が四日発効した。 協定は締約国が55か国以上になり、その国々の温室効果ガスの排出量が世界全体の55%以上に達すると、30日後に発効すると定められている。その節目が昨日の11月4日である。ただしそこに日本は批准されておらず、蚊帳の外。 その原因はTPP協定の委員会強行採決のとばっちりで、批准出来なかった。しかしこれはあくまで政府の言い訳で、以前米中がパリ協定については手を組んで同時に批准した時に日本も批准する時間は十分にあった。 しかし政府はやる気がないようだ。もともと日本の目標の2030年までに13年比で温室効果ガス排出量を26%削減するものであるが、一応はLED照明で省エネを図ると言っているが、それだけでは達成出来ない。本音は原発利用によるCO2削減を含めていると言うからそのやる気のなさは明白である。小泉元総理が言っている自然エネルギー利用を政府として開発すると舵を切れば、原発ゼロでも十分達成出来ると言っているがその通りである。 11月7日からモロッコで行われるCOP22では協定の実施ルールを議論するとされているが、日本はオブザーバーという屈辱的な立場で参加することになる。世界での存在感がなくなると友に、笑い物になるのは目に見えている。 なお中日新聞のパリ協定発効の記事は次のHPを見て下さい。(117691) http://chuplus.jp/paper/article/detail.php?comment_id=410851&comment_sub_id=0&category_id=112 11月4日(金) 桑名市星見ヶ丘小学校の環境出前授業。今日は秋らしく団栗を使ったストラップ作り。 1つは団栗の傘に小さなぼんぼんのようなものを付け頭にはストラップをつけるもの。 もう1つは団栗そのものにストラップをつけて、団栗に好きな模様を描くもの。 合わせて45分授業で行う。あまり時間がないので、団栗の種類、生態、現状などは小学生には難しいのでごく簡単に。 写真はストラップ作りの様子と私が合間に作ったストラップ。一応顔はトトロのつもり。
11月3日(木) 東員町文化祭の後半が今日から始まった。しゃくやく句会では今日から会員の短冊による展示を行う。 例年通りであるが、俳句の選択は会員の皆さんに任せたが、それぞれの作品を見ると地味ながら個性の出た俳句が並んでいる。 今日は搬入、展示だけの作業だが、明日は会場当番をお願いしている。皆さんの協力で進めることが出来る。 写真はささやかながらの展示の一部。 11月1日(火) いまだにアスベスト問題(朝日新聞2016.11.1) 今日の朝日新聞の社会面に小さな記事を見つけた。札幌市の小中学校の給食が温かいものでなく、食パン、リンゴジャム、牛乳、パインゼリーなど出来合いのもので、子供達から不満の声が出ている。原因は小中学校の給食調理用の煙突からアスベスト(石綿)を含んだ断熱材がはがれ落ちたためである。今時まだアスベストが残っていたとは驚きである。 さらにその原因は市教育委員会がアスベストを含む建材の調査を行っていなかったためである。2014年の「改正石綿障害予防規則」に基づいて学校関連施設で建材の生む、劣化状況を調べることになっていたが、過去2006年頃に調べていたとの理由で調べもしないで「問題ない」と報告していた悪質なものであった。 アスベストは非常に細かい繊維で出来ており、容易に空中に浮揚し、肺にも入りやすい。そしてこれが塵肺、肺線維症、肺癌、悪性中皮腫の原因となっている。 まずアスベストの歴史を見てみると、私たち子どもの頃は耐火用に消防服に使用されていたことや理科の実験でビーカーなどを火に掛ける際に使う石綿金網として使っていた。また通信ケーブルの耐火防護布として、地下洞道などでケーブルを巻きつけていた。これは私の現役時代には既にすべて撤去していた。 そしてアスベスト関係の法令を調べてみると、いろいろな段階で規制されていることが分かる。 ・廃棄物処理法:ここではアスベストを特別管理産業廃棄物に指定されており、収集・運搬、中間処理、最終処分において飛散防止が義務づけられ、最終的には溶融処理が義務づけられている。 ・労働安全衛生法:この法令をもとに「石綿障害予防規則」が規定されて、建築物の解体時・石綿の廃棄時に業者は暴露防止対策を行うことが義務づけられている。なおこの「石綿障害予防規則」は2005年に制定され、2014年に改正されて、アスベストの調査の徹底が追加されている。 今回の札幌市の小中学校で起こったことは解体の前段の調査段階での調査を行わなかったためである。 ・大気汚染防止法:前の労働安全衛生法における解体時に一般大気環境への飛散防止対策を定めたものである。 このような法令に対して、自治体などのお役所側がまるでやる気がないのか、知らないのか分からないが、一般企業ではこのような法令違反を起こすとたちまち業務停止処分を受ける。 なお今日の朝日新聞の記事は次のHPを見て下さい。(117613) http://digital.asahi.com/articles/ASJB051VBJB0IIPE011.html?ref=nmail 10月30日(日) 俳人協会東海俳句大会の片山氏の講演 5年に1回行われる俳人協会の東海俳句大会が今日行われた。 その中で片山由美子氏の講演「字余り考」を興味深く聴いた。字余りと言っても作句上の心構え的なものを期待していたが、片山氏の講演は新しい切り口の音楽から入ったリズム考の内容だった。 講演中特にメモを取らなかったので、今日の伊吹嶺落書に書いている伊藤範子さんのメモを引用させていただくと、片山氏の講演内容は次のとおりであった。 字余りの句を例に、俳句を音楽の拍子、リズムの観点から、まず日本語の基本単位は2音と考えられることを述べられ、俳句の5・7・5の1小節はそれぞれ四分の4拍子で、八分音符の連符を四つずつで構成されものであり、俳句はそれらを3小節で構成されているという。 そして字余りの句ではないが、芭蕉の句を例に取り、 古池や蛙飛びこむ水の音 /ふる いけ や・・・/・か わず とび こむ/みず のお と・・・/ (・は八分休符) と分析し、 同じ十七音でも上5,中7,下5のそれぞれに八分休符の取りかたが違うことを例示された。 そして字余りの句についてもどれもこれらの音符の構成から考えると、いずれも定型感覚に入っているというものである。例えば、 白牡丹といふといへども紅ほのか 高浜虚子 の句については 「白牡丹と」の上六音は六連符として考え 鶫死して翅拡ぐるに任せたり 山口誓子 の句については 「鶫」を三連符として速く読むと 納まりが良いということ、また「声に出して読んだ時に抵抗が無く、定型に収まっているように感じられれば良い」という説得力のあるご講演であった。 以上が大体の内容であったと思うが、以下は私の疑問である。 各小節での休符の取り方は、字余りの句でなくても芭蕉の句がそうであるように、定型句であっても同じことであろう。 そこで疑問が湧いたのは、切れ字と各小節の八分休符との関係がどうなっているか分からなかった。たとえ芭蕉の句の、 古池や・・・/・蛙飛びこむ/水の音・・・/ この上5における切れ字の「や」のあとには、3つの八分休符が並ぶのであるが、以下の句のように、切れ字の「や」の位置が中7,下5に入った時の休符はどうなるのだろうか。例えば中7に「や」が入った場合には次のように「や」のあとは1つの八分休符である。 町裏に・・・/白き瀬波や・/風の盆・・・/ 欣一 そして下5に「や」が入った場合のあとは上5と同じように、「や」のあとには3つの八分休符が入ることになる。 地球てふ・・・/病む星に住み・/露けしや・・・/ 狩行 一般に「や」は強い断絶を生む切れ字であるが、そこで休符を入れるのは分かるが、同じ切れ字の「や」であっても、上5や中7などの位置の違いによって休符の取り方が違うのは何故だろうかとの疑問である。 また下5を「かな」で止める句が多いが、「かな」のあとには3つぐらいの休符が入ることは当然だと思うが、これらは上5,中7を一気に読み下して詠むことを常としているので、その時の上5、中7のあとでの休符はほとんど入らないと思うが、この「かな」でのリズムはどのように考えたらよいのだろうか。 これらの疑問はこの日記読まれているどなたかに教えて貰いたいと思う。 いままで俳句入門書をいろいろ読んできたが、入門書で俳句のリズムから考える書はあまり見たことがない。と言うより私自身がリズムから俳句を考えるのに敬遠してきたせいもあるし、入門書を読む範囲があまりに狭いせいかもしれない。ただ今手元にある入門書のうち、次の3冊に少し「俳句とリズム」について述べられていた。 一番古い入門書では中村草田男の『新しい俳句の作り方』(昭和35年)には、「十七音形式」の章節では 俳句の5・7・5はその昔の旋頭歌(5・7・7・5・7・7)からリズムの形式を受け継いだものであることから起こして、17音には調子の切れ目と意味の切れ目があり、17音形式の効果が活かされるためには、この調子の切れと意味の切れが出来るだけ一致させることが重要だと思う。 と書かれている。草田男の字余りが多い俳句作家としては入門書となるとこのような発言をしていた。 次に楠本憲吉の『俳句入門』(昭和45年)には「定型と定型感覚」の章節では、日本語は2音と1音との連なりで構成されており、2音と1音はともに1拍で音量としては同じである。そしてこの2音と1音を音符と称し、この音符が日本語のリズムを構成する要素だと発言している。 俳句はこの連なりで読むという。例句として草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」を引用し、例えば上5の「ふるゆきや」の次には1拍の休止音符が入るという。従って草田男の句の構成は「2・2・1・0/2・2・2・1/2・1・2」となるという。 このあたりは片山氏の講演の原型とも理解出来る。 さらに秋元不死男の『俳句入門』(昭和46年)には「俳句のリズム」の章節では、土居光知氏のリズムの基礎は気力(発声機関の努力)と音符が示す時間的なものであることを紹介し、日本語は1音と2音がリズムの単位となると発言し、例句として自作の句である「すみれ踏みしなやかに行く牛の足」を引用し、この句のリズムは「2|1|2/ 2|2|1|2/2|1|2」となり、句尾がみな2音となり、このリズムが落ち着いた律奏となっている俳句であることを紹介している。 これも片山氏の講演の原型と見なすことが出来、片山氏の今日の講演はさらに休符に3拍と1拍があることと字余りの俳句まで発展させたところが新しい視点であると思った。 と片山氏の講演から久しぶりに本棚をあちこちとあさってみた。(117568) 10月29日(土) 以前から頼まれていたが、Nさんが第2句集を出したいとのことで、栗田先生から句集稿を打ち込んであげたらとのアドバイスを受けていたが、なかなかまとまった時間がなくてそのままにしてしまっていた。ただいつまでもこのままにしておく訳にはいかないので、最近集中的にWordに打ち込んで、やっと終わった。おおよそ1200句という膨大な句数である。これからどんな句集が出来るか楽しみである。 10月28日(金) 大川小学校震災 事故の判決 東日本大震災の時、石巻市大川小学校で児童、教職員の84名が死亡、行方不明となった事故は痛ましい記憶として残っている。そして遺族が訴えた裁判で有罪判決が出た。遺族の親もつらいだろうし、教師達もつらい思いだと思う。私達がその時の当事者だったらどのように行動したかと思うと、自信はない。今日の朝日新聞の社説でいろいろ述べられているが、どうもすっきりとしない。 結論は「大川小の悲劇から何を学び、「次」の救命につなげるか。一人ひとりが問われている。」となっているが、他人事のように読め、朝日新聞としては社としての態度から逃げているように思えた。 今日の朝日新聞の社説は次のHP. http://digital.asahi.com/articles/DA3S12629788.html 私達夫婦は毎年仙台に行くたびにあちこちの震災跡を見ることにしている。これはこの震災を忘れてはならないとの気持ちである。そして今年は丁度この大川小学校跡を見たばかりである。そこには慰霊碑も立っており、多くの献花も供えられていた。また修学旅行の見学先にもなっているようであった。 この時に撮した大川小学校の校舎と慰霊碑写真を載せます。(117543)
10月20日(木) いつも近くの御在所岳には年3,4回は出かけている。今年もそろそろアカヤシオの紅葉が見頃に近づいてきたとのことで、今日は天候もよさそうなので、急遽出かける。晴れてはいるが一寸風が強く、山頂の気温は思ったより低い。14、5℃ぐらいか。それでも頂上の日溜まりで昼食をとっていると、暖かい。紅葉は一寸色が黒っぽいのか、それともアカヤシオの紅葉はこういう色をしているのか、写真は少しはましな紅葉。 夕暮れ近くになって風が強くなり、レストランの窓の隙間から、虎落笛が聞こえてくる。ロープウエィも2分間隔から30分間隔に変わってきたので、やむえず早めに降りる。帰りは温泉の露天風呂に浸かって身体がほぐれてきたところで、今日のハイキングは終わる。(117447) 10月19日(水) しゃくやく句会。11月には例年どおり東員町文化祭が行われ、しゃくやく句会も会員全員が好きな句の短冊を展示している。その連絡、搬入・搬出、会場の当番担当など決めると結構時間がかかる。 また来年の栗田先生の第2句碑開きの参加を募ったところ、車椅子の方、老齢の方以外は全員参加して頂けるとのことで有り難い。来年のことだが、盛大は句碑開きを望んでいる。 10月18日(火) 愛知支部同人句会。60数名の参加で盛大。句会後、ネット仲間で来月の全国大会における荒川さん、西村さんの伊吹嶺賞お祝い会の打合せ。ネット仲間から2名とも伊吹嶺賞と言うことで暖かくお祝いしたい。 10月16日(日) 代替フロン85%削減合意(朝日新聞2016.10.16) 今日の新聞で、ルワンダで開かれていたモントリオール議定書締結国会議で代替フロンの生産を規定する改正案が採択された。 このモントリオール議定書は1987年にカナダで開催された会議で、オゾン層を破壊する特定フロン(CFC)の製造、消費を規制することが決められた議定書である。 ここでフロンについて説明すると、元々フロンは物質的に安定して人間に対して何の影響も与えないと言うことで冷蔵庫、車のエアコン、洗浄剤に使われてきた。特に私の現役時代には電気、半導体メーカーがICを搭載した半導体基板を生産する過程において、フロンは絶縁耐力もよく、人体に無害で極めて有効な洗浄剤であった。この生産工場を見学したこともあった。その後の研究でフロンは地上では安定物質だったが、10年後に成層圏までにたどりつくと紫外線との反応により、塩素原子を出す。そしてこの塩素原子が、オゾン層を破壊するということが分かった。特に南極圏内でオゾン層破壊によるオゾンホールが発生して年々そのホールは大きくなり人間に悪影響を与えることが分かってきた。 具体的には紫外線の量が増え、ガンや白内障の危険が増すばかりでなく、海洋生態系の基礎となる浅海域の動植物プランクトンへの影響、農業生産の減少も考えらる。既に南極に近いオーストラリアでは皮膚ガンが増えており、今は子供達は真夏であっても登下校に帽子、手足、顔も覆っているという。しかもフロンは地球温室効果に大きく影響し、CO2に比べて、数千倍から1万500倍の温室効果がある。 フロンの影響は10数年後に影響が現れるといったやっかいな物質だが、最近になってようやくオゾンホールが小さくなってきたとの報告もある。 その後、特定フロンに変わって代替フロン(HFC)が製造、消費されてきた。しかしこの代替フロンはオゾン層破壊物質ではないが、地球温室効果がCO2に対して1300倍もある。そして代替フロンの製造、消費も規制しようとモントリオール議定書締結国会議で議論を重ねてきたが、昨日のルワンダで行われた第27回締結国会議でようやく代替フロンの製造、消費も規制することが合意された。 合意の内容は先進国は36年までにCO2換算で85%を減らし、中国、途上国は45年までに80%削減しようというものである。日本としてはその技術、見通しは十分あるが、問題は中国である。消費大国、CO2排出世界一そして軍事大国が何故こういう時だけ自国はまだ途上国だというのか。腹立たしい。 ちなみに我が家の冷蔵庫を見ると、冷媒にはイソブタン(炭酸ガスから作る)、断熱発砲ガスにはシクロベンタンが使われている。これらのガスはいずれも温室効果はCO2と全く同じで完全なノンフロンガス冷蔵庫になっている。ある。しかしまだ業務用の冷蔵庫が気になる。 ということで今日もまた難しい日記になってしまった。 なお朝日新聞記事は次のHPを見て下さい。(117394) http://digital.asahi.com/articles/DA3S12610176.html?ref=nmail_20161016mo 10月14日(金) 名古屋句会。先月、ご主人を亡くされた森さんのお見舞いに出かけたが、今日は森さんの投句があり、ほっとした。ほとんどが亡くされたご主人の句だったが、それでも投句されたことに喜びたい。 11月の全国大会には卒寿のお祝いが予定されているが、腰が痛くて出かけられないという。残念だが仕方ない。 10月12日(水) 村正展 今日の新聞で、桑名市博物館で開催されている「村正展」の入場者数が10万人超えたとあった。村正展は今週末で終わるので、あわてて出かける。案の定今日の新聞を見てきた人が多く、駐車場が満杯。しばらく待ったが、駐車出来る時間の見通しが立たないので、近くのスーパーに駐車して、入場。 村正とは「妖刀村正」で有名だが、刀の姿が美しく、切れ味がよいとのことで、戦国時代の剣豪に人気があった。ただ徳川家に災いをなすとのことで、妖刀という名がつけられた。私も最近、千子村正が桑名の刀工だということを知ったばかりで、興味があった。会場は満員の状態であったが、ゆっくりと見ることが出来た。太刀、脇差、短刀など全部で77点が展示されていた。どれを見ても思ったより細身の刀で、手入れがよくて刃文もくっきりと見ることが出来る。徳川家に災いをなす妖刀伝説も不確かで、家康自身も村正を持っていたとか。刀だけの展示は単調であるが、次はいつ見ることが出来るか分からない。 なお村正の墓は桑名市にあるが、徳川家をはばかって村正の名を刻まず、「千子宗入禅定門」となっているそうだ。 話は変わるが、囲碁の世界では「村正の妖刀定石」が有名である。小目の一間高ガカリに対して二間高バサミから始まる定石である。恐ろしく難解だが、切れ味が鋭いということで名付けられた定石である。私も一応勉強したことがあったが、変化があまりにも多いので、自分から仕掛けることはない。また仕掛けられた時には簡明な方法で逃げることにしている。また最近は子の定石はあまり流行らないらしい。 10月10日(月) 朝起きたら快晴。急に思い立ってどこかへ行こうということになり、妻が海を見たいと言うことで20年以上出かけていない津市の御殿場海岸に出かけることとした。ここは潮干狩り、海水浴場で賑わうところだが、今頃は「誰もいない海」だろうと言うことで、出かける。やはりひっそりとした秋であった。ただ近くに工場地帯が広がっているので、少し海が濁っている。御殿場海岸というと20年ほど前に近くのJFEスチール(旧日本鋼管)から建造中のタンカー2隻が台風により御殿場海岸に流れ着いたことがあった。当時は大騒ぎしてずいぶんと話題になったところ。 妻は小さい頃横須賀に住んでおり、海が母の思い出につながっているとのこと。しきりに海を見たくなる時があるという。 最近句友から御殿場海岸に桜貝がいっぱいあると聞いて、桜貝を探すのも1つの目的だったが、ほとんど見つけることが出来なかった。 一方、私はめずらしい貝を見つけた。よく三重県環境学習情報センターで子供対象のエコフェアに貝殻ストラップ作りをさせている。あらかじめ2枚貝(主に浅蜊)に穴の空いたものを大量に拾ってきてストラップを作らせるが、これがまことに便利なのだが、実際のところは深刻な状態で、北海道から東南アジアまでに棲息している巻き貝の一種でツメタガイがアサリに小さな穴を空けて、アサリの中味を吸い出してしまう悪者である。ここでアサリに穴が空いているものが多く見つかり、合わせて悪いツメタガイも転がっていた。確かにツメタガイによる被害が明らかに確認出来てしまった。時にはツメタガイの大量発生によりアサリが全滅して、潮干狩りが出来ないこともあったという。 右の写真がそのツメタガイ(左側)と穴の空いたアサリ(右側)。 もう1個所海に行こうと隣のヨットハーバーとなっている阿漕浦海岸にも寄る。ここは工場街から離れているためか、実にきれいな海であった。ここには砂浜遊びをしている親子連れが多く見られた。 そしてすぐ傍の阿漕塚にも寄る。阿漕塚は謡曲「阿漕」で有名なところで、孝子平治の悲劇の伝説のあるところである。ここには「月の夜の何を阿古木に啼く千鳥」の芭蕉句碑もある。江戸時代の芭蕉の弟子が建立したという。 左の写真はその阿漕塚。(117333) 10月9日(日) 最近、文化協会所属団体の囲碁同好会で、碁を打つようになったが、今日は3ヶ月ごとに行われる同好会内の囲碁大会に参加。と言ってもメンバーみんな朝からビールを飲みながらの勝手気ままな大会。一応初段で登録しているが、20年前の実力はなく、初段でも2勝2敗の成績。まさに年寄りの集まりというか宅老所の雰囲気。(117313) 10月8日(土) 環境学習サークルみえの定例会。 今年の夏休みは子供の出前講座が多く、皆さんあちこちで教えていたが、私もこの夏は5,6回出前講座に出かけた。ただお互いに年を取ったため、続けて行うと疲れがどっと出るという。私もそうだが、そこから最近世の中はあまり環境のことをマスコミは取り上げなくなってきていると言う。私も全く同感で、特に安倍内閣は言葉だけはきれいだが、実感がこもっていない。その結果、パリ協定の各国個別の温暖化対策がどんどん批准されてきているし、あの中国ですら温暖化対策目標を設定している。そして米中を初め、EU各国も批准している。来月の11月7日からモロッコで行われるCOP22で発効される見込みである。ということは何もしない日本は全くの置いてけりぼりとなる。97年の京都の名が付いた京都議定書が泣いている。 ますます日本は環境後進国として世界から相手にされなくなっていくだろう。 10月6日(木) また最近、この日記を怠けてずっと書いていなかった。久しぶりに思い出しながら書いている。 台風一過の晴天とはいかないが、まずまずの晴れ模様。最近外出していないので、久しぶりに岐阜に出かける。目的は伊奈波神社。栗田先生の第2句碑予定地。岐阜に帰っても伊奈波神社には全然出かけていない。もしかしたら二男の七五三以来か。句碑建立予定地は野口雨情詩碑(伊奈波音頭)の傍と聞いてきたが、傍にはさざれ石があるので、どこだろうか。疑問を持ちつつ、ここから長良川まで気ままに歩いてみた。 まず10分ぐらいで妙照寺に着く。ここは芭蕉が1ヶ月ほど滞在した寺で、「やどりせむあかさの杖になる日まで」の芭蕉句碑がある。ただ寺の庭は以前に比べて荒れているような気がする。続いてすぐ向かいに正法寺がある。ここは籠大仏で有名。この大仏は江戸時代に籠に経文を貼り付けて完成させた大仏。日本で3番目に大きな大仏。入場料は取るが、中は撮影が出来るのがよい。 さらに岐阜公園を素通りして、15分ぐらいで川原町に着く。着いた時は昼を相当すぎていたので、すぐ蔵の喫茶店で食事する。ここのコーヒーはうまい。 以上で途中ゆっくり見ても1時間ぐらいの行程。さらに川原町をゆっくり見ても1時間半もかからない。栗田先生の句碑が建立したあとは伊奈波神社からこの吟行コースがお薦め。さらに時間があれば長良橋を越えて喫茶店のある鵜匠小屋を見るのもよいし、正法寺から岐阜公園の信長館跡の発掘調査場所を見て、川原町に行くのもよい。 下の写真は伊奈波神社の雨情詩碑(句碑建立地が分からないため)、妙照寺の芭蕉句碑、正法寺の籠大仏そして川原町の裏路地。(117273)
10月2日(日) 伊吹嶺運営委員会。議題の中心は栗田先生の第2句碑建立の件。建立地の伊奈波神社は岐阜市にとって最も有名は神社。吟行地としても交通の便がよく、最適地。ただ祝賀会場の都合上、句碑開きにおおよその参加者を把握するため、今月中に参加者数予備調査を行うこととなった。 運営委員会のあと、河原地さんが久しぶりにあわてて帰らなくてもよかったので、喫茶店で雑談を行う。話題は最近出版された『平成秀句』の鑑賞についていろいろ知りたいことを聞かせていただいた。私がこの鑑賞本を読んで主に気になったことは、①鑑賞する俳句に対して、俳句以外の博識の豊富さを展開したこと。②鑑賞の技法について、主に「我々は」とか「読者は」と枕詞を引用して、客観的な手法として、ご自身の鑑賞を展開していることである。 河原地さんに言わせれば、これが文系のディベートの常道とか。全く私の理系の論文の書き方と違うことに気づく。私の場合、ビジネス文章の場合、徹底的に自分を殺して、基準(ISO国際規格)となるべきものを持ちだして、それに対して客観的事実はどのようになっているかを分析することである。(これがISO審査員としての立場である。)また自分の論文であれば、共同執筆者(特に自分の上司の場合連名の最初に書かざるを得ない)を明確にして書くが、最後は自分の発想の正当性を1人称で書くことである。そうしないと自分自身の論文として認めて貰えない。 理系と文系の違いを教えて貰って参考になった。 10月28日(木)~30日(金) 長野吟行 毎年恒例のおんたけ休暇村を起点に、3日間の吟行旅行。昔は登山が中心だったが、昔山女も今は山の裾をうろうろしているだけである。 1日目:霧が深くて駄目かと思ったが、おんたけ登山口の田ノ原に行く。御嶽は見えなかったが、丁度霧が晴れて木道を散策する。そして前日が御嶽噴火事故の2年前で慰霊祭が行われたばかりで、登山口にまだ献花台に花がびっしりと供えられていた。改めて噴火の大きさを思い出した。 2日目:小谷村の塩の道をたずねる。と言っても塩の道を歩く訳でなく、塩街道の塩番所や牛方宿を見るだけ。そういえばもう20年以上前に妻と二人で塩の道祭で、この塩街道を歩いたことがあった。その時塩街道を花嫁行列があったことも思い出す。 3日目:昨日までの2日間は霧や曇で天候がよくなかったが、今日は最高の晴れで栂池高原を歩く。黄葉には早かったが、白馬三山がくっきりと見え、2時間あまりの散策を楽しんだ。ここでは既に伊吹嶺落書で書いたが、白馬三山は二回ほど歩いたことがあり、1回目は大雪渓から白馬三山の縦走。そして白馬鑓での山小屋で一番標高が高い露天風呂に入ったことであった。2番目は最も強行軍で、1日目に唐松岳の頂上近くの山小屋に宿泊して、翌日唐松岳を登り、不帰の劔を通過して白馬三山を縦走したことである。この頃は50歳代には行ったと言ってもまだ若く、体力もあった。同様に落書に書いたが、「若者は未来を語る。年寄りは過去を語る。」そのものである。 次の写真は3日間のうちのわずかな写真。なお白馬三山はトップページに掲載してあります。
9月25日(日) 秋のエコフェア(三重県環境学習情報センター) いつものことだが、三重県環境学習情報センター主催の「秋のエコフェア」今回はこどもエコクラブ交流会のお手伝い。 三重県では主にイオングループの支援により子供達のエコクラブが多く結成されている。そのうち今年北海道のキッズエコクラブとの交流会が行われ、その発表があったが、子供達にとってよい勉強になったであろうし、楽しい夏休みであったことと思う。 写真はその他に森の学校でヒノキの丸太を削ってペンダント作りなどを行っているところ。 9月19日(月) 今度は台風16号がやってきそうだ。大型台風で厳重警戒と言うが、今後とも50年に1回級の台風が毎年やっと来るのではないか。 今月は早めに伊吹嶺のibukinet、ジュニア俳句の原稿を送る。 今月のジュニア俳句は夏休み期間のおかげか、投句数が多く、よい句も多かった。やむ得ずよい句を掲載することが出来ないのは残念。(116998) 9月17日(土) 文化協会の『ひばり』の2校。ただ今回も原稿がぎりぎりのものやまだ届いていないものもあり、やむ得ず来週に3校を行うこととなった。 9月15日(木) 今日は仲秋の名月。といっても一般的に満月と旧暦8月15日とは若干ずれている。9月17日が満月なので、2日間もずれているのはめずらしい。今日は曇りがちの予報で、名月を見るのをあきらめていたが、夕方は雲に覆われた朧月であったが、夜遅くなるとくっきりと見えるようになった。 左の写真は私のコンパクトデジカメで撮したものでは、拡大するとピントぼけになったが、妻の恩師から届いた雲間隠れの名月の写真を掲載します。 合わせて妻が近くの神社で剪ってきた芒と我が家の吾亦紅、ツリガネニンジンなどのごった活けを右に掲載します。(116939) 9月14日(水) 文化協会の広報『ひばり』の2校。毎号のことだが、土壇場になってやっと形らしい『ひばり』になる。夕方になって定期の眼科診察。黄斑変性は相変わらずのままであるが、進行も遅々たるものなので、このままでひどくならないように日々自分で確認するしかない。 9月13日(火) 名古屋句会。森さんがご主人を亡くされてから1ヶ月ほどになるが、森さん自身も腰を痛めて外出がままにならないという。句会後、メンバーで森さんをお見舞いに行く。森さんは思ったより元気で、一安心。まだ外出は出来ないが毎月の名古屋句会の投句はして貰えるという。早く腰も治してまた句会に出席されることをお祈りしたい。 9月12日(月) 地球温暖化防止活動推進員研修会。年に2,3回の研修だが、前回は欠席。今回は①最近の異常気象、②新しい省エネのエネのネタ、③省エネを進めるためのスキルアップなど。 その中でここでは特に知っておいて損はない知識を書きたい。 ①照明はLEDが効率的であることは分かっているが、白熱電球に比べて価格は10倍だが、寿命は40倍なので、1日6時間で約20年間比較でLEDが安い。しかもエネルギー効率がよく、電気代も半年間で約2400円安くなる。効率化はほど安定してきたので、今のうちに買い替えた方がよい。 ただ私自身の家では電球型のLEDはすべて買い替えたが、環状の蛍光灯はまだそれに取り替えられるLEDはない。今はシーリングライトが効率的。従って蛍光灯照明を取り替える時は全体にシーリングライトにするのが有効。 ②冷蔵庫は以前は大容量型ほど省エネに有効であったが、今は小型冷蔵庫でも省エネレベルが同じぐらいになってきた。 ③テレビはエネルギー消費効率は最近5年間でほぼ半減した。特に10年前ぐらいの液晶テレビは大型ほど消費電力が大きかったが、最近はテレビの大きさに関係なく消費電力は変わらなくなった。今ならテレビの大きさに関係なく、10年前のテレビを買い替えた方が電気代が安くなる。但し4K、3Dテレビはまだ進化の途中なので、省エネとはなっていない。 ④エアコンはある程度性能向上は頭打ちなので、急いで買う必要はない。むしろ扇風機との組み合わせ利用が有効。 ⑤給湯機はエコキュートよりエネファームの時代。ただある程度スペースが必要なので、新築、リフォームの時に切り替えた方が有効。我が家のように高齢者夫婦2人住まいの場合は生きている間に投資費用を回収出来るかどうか不明。我が家の場合はこのままで行くしかない。 ということでいろいろな選択肢があったが、あとはゲーム形式で、なかなか省エネに踏み切れない理由をあえて洗いざらい出す。これを乗り越える次の解決策になるだろう。 9月11日(日) 根っからの怠け者で何でも土壇場にならないと何もしない性分。河原地さんの『平成秀句』をやっと細かいところまで読み終える。 明日は「温暖化防止活動推進員研修会」があるので、この本の概略の感想を述べて伊吹嶺HPに本の紹介と購入勧奨を後日、書きたい。 また感想の細かいところはさらに後日私のこのHPで書いてみたい。 それにしても河原地さんの博学には敬服するしかない。 9月9日(金) 毎月の定例診察。こんな時でもないと名古屋に出かけることはなくなってしまった。 久しぶりに午後が空いたので、句材を探しにぶらりと東山植物園に出かける。いつものコースで、まず一番奥のビオトープを回ってみる。出来たばかりの時は池の底の防水シートが見えたり、2次造成林がまだ細いままであったのが、その後どんどん森林かになりつつあった。 そして今日、久しぶりに来た時は、今年の暑い夏の影響か、ビオトープが雑然としていた。このビオトープはいわゆる行政の箱物でなく、東海財団(旧東海銀行)の寄付によって出来上がったものだが、どうもその後植物園側では手入れをしていないようだ。せっかくの寄付によって出来上がったビオトープだが、植物園側はどのように維持管理しょうとしているのか。なさけない。 9月7日(水) 名古屋城のアリゲータガーはどうなった(朝日新聞2016.9.6) 以前6月20日の日記に書いたが、昨日の朝日新聞に名古屋城のアリゲータガー駆除の後日談が掲載されていたが、相変わらず失敗続きらしい。 駆除の方法は大きく2つあり、①釣り上げること、②池干し。 まず②の方法は一番効果があるだが、名古屋城のお堀の水を抜く池干しだが、名古屋市では「名古屋城は、国の特別史跡に指定され、管理者の市は保護が義務づけられている。外堀の内側には約1・6キロにわたって高さ12〜15メートルの石垣がある。「水を抜いたら石垣が崩れる可能性もある」と市名古屋城総合事務所の担当者は話す。」とまさに官僚的な回答。 次に①の釣りについては自称釣り名人からの希望者が多いと掲載されていたが、これまた名古屋市では「外堀の一部は道路に面していて危険なことから、市は条例で釣りを禁止している。市は外来魚の捕獲が目的でも許可できないとの立場だ。」とのこと。これも条例をたてにやろうとしない。せめて短期間だけでもアリゲータガーの釣り大会をやってもよいのではないか。外国のネットを検索すると、3mほどのアリゲータガーを釣ったとのニュースもあることだ。 9月6日(火) 今日は綾子忌。最近綾子忌に「師弟句碑吟行会」が行われていたので、忘れることはなくなったが、時々忘れそうになる。 逆に以前吟行会があった時は丁度この日前後に高山へ審査に出かける定例日になっていたので、吟行会に出席出来ないことがあった。今は全くフリーになったが、吟行会がないのはさみしい。 そして明日は白露。以前鈴木みや子さんが、 綾子の忌明日は白露のみと記す みや子 と詠んだ句があったが、その後、毎年暦を見ていたが、綾子忌の翌日でなく、翌々日が白露となっていた。当時は不思議に思っていたが、それは4年後に理由が分かった。それは丁度今年がそうで、閏年は綾子忌と白露が続くのである。 かといって今さら明日は白露とは詠めない。 白露と綾子先生の関連と言えば、次の句がある。 泥の好きな燕見送る白露かな 欣一 綾子先生が亡くなった時、沢木先生が詠まれて以来、綾子忌と白露は切っても切れない関係になった。(116786) 9月5日(月) 台風の前触れらしい大雨の中、御在所ロープウェイに出かけて「御在所 俳句ing」の選句に出かける。 夏の部で夏休みのせいか、投句数が200句を超え、子供の俳句も多い。最優秀、優秀賞を入れて全部で12句選ぶのであるが、毎回遠くから来たであろう子供の俳句も必ず1句選句するつもりで向かっている。今回は次の句を入選に選んだ。 母親とてっぺんめざす山の日に 夕愛 この句は特に意表を突く句ではないが、今年始めて制定された祝日「山の日」を詠んだもので、今日の200句の中では「山の日」を詠んだ句はこの句しかなかった。「山の日」を織り込んだ句として頂いた。 9月4日(日) NHK俳句。今日の選者は正木ゆう子。以前にも書いたと思うが、NHK俳句の選者のうち、正木ゆう子が一番フィーリングが合う。選句の感性がよく、しかも写生でありながらそこには作者の思いが込められている句をよく採っている。 今日の入選句で一番共感を得た句が次の句。 見た目にはほんたうの空鳥渡る 作者が福島県の方と知って、ますますこの句に込められた思いがせつない。「本当の空」とは高村光太郎の『智恵子抄』に出てくる知恵子の言葉。その『智恵子抄』にある「阿多多羅山の山の上に毎日出ている青い空が智恵子のほんとの空だという」というフレーズを踏まえているのは当然で、さらに作者はその福島の空も原発事故のために、福島にも本当の空はなくなっているというものである。「見た目にはほんたうの空」には痛烈な批判精神が宿っている。今日の最高の句と思った。 一方、夏井いつきも選者であるが、こちらは何故こんな句を採るのだろうかという句が多い。特に本人は句またがりの句が好きらしく、そのような句を採っているし、添削コーナーでもわざわざ句を悪い方に改作し、いわゆる2行の言葉の切れ端に直しているのを見る。また次回の夏井いつきが選者の時のNHK俳句を見たい。 9月3日(土) チングルマ句会。句会メンバーで吾亦紅が好きな方がいたので、我が家の庭でささやかでやや貧弱であるが、吾亦紅を剪って差し上げた。そういえばまもなく綾子先生の忌日がやって来る。吾亦紅を見ると必ず綾子先生を思い出す。条件反射のようなもの。 句会では2ヶ月ぶりに山下さんが出席される。癌治療は大変だと思うが、とにかく放射線治療で癌はなくなったという。しかし放射線の影響が残っており、痛ましい。 写真は我が家の吾亦紅を剪ったもので、妻はこれを今日、友人に差し上げた。 (116742) 9月2日(金) 今日の夕方やっと「伊吹嶺」誌9月号が届く。名古屋市内の方は既に届いているとのことだが、田舎住まいはやはり遅い。 9月号を見ると鈴木みや子さんの追悼記事が掲載されて、栗田先生が追悼文を書かれている。栗田先生にとってみや子さんは心強い同志であったのだ。 私は特にみや子さんに親しくして頂いたが、二人だけの思い出というと、句集『蒲郡』出版でこの事情が思い出される。そのことは記事に書いたが、その他、名古屋句会で毎月のように吟行に出かけたことも思い出される。 そしてようやく私が「風」同人になることが出来てから、風全国大会や風同人大会に出かける時は、いつも私と中川さんとみや子さんの3人連れであった。その頃の写真が残っていないか調べたが、この頃はまだデジカメを使っていなかったらしく私の手元にはない。他の方に移して貰った写真を頂いたことがあるような記憶だが、今はどこにあるか分からない。 こう書いているうちにフイルム時代の写真をパソコンに取り込んだ写真が出てきた。今これを見ると、2002年の倉敷で行った風同人大会のようである。ひょっとしたらこの時が最後の同人大会だったのだろうか。 写真は倉敷での中川さんとみや子さんをいれた3ショット。皆さんみんな若い。 8月31日(水) 29日に台風接近と言うことで延期した御在所岳吟行に、今日、チングルマ句会の有志で出かけた。まさに台風一過で、秋晴れ。麓では気温が30℃ぐらいだったのが、山上では20℃ぐらいで、肌寒いくらいであったが、歩いているうちに丁度爽やかな気温でまさに秋本番。赤とんぼはもう里に下りてしまい、いないと思ったが、まだまだ群れをなして飛んでいた。しかし10年前に長男一家と出かけた時は、次々と身体にぶつかるくらいいたのが、やはり少なくなっている。 あまり御在所岳山頂を歩いたことがないと言うことで、誓子句碑も知らないメンバーもいて、初めて見たと言われて一緒に出かけてきた会があった。句碑は有名な句で、 雪嶺の大三角を鎌といふ 山口誓子 写真はその鎌が岳をバックに撮した集合写真。 8月29日(月) 本当は今日、御在所岳に吟行する予定であったが、台風10号接近のため、中止した。 台風は関東、東北を直撃しそうだが、今は台風のはるか西側で線状降水帯が発生しており、ここ三重県では小雨だが、まもなく大雨になりそう。今回の台風は迷走台風で、ブーメラン台風とでも言えばよいのか。何故こんな台風になったのか。当初は日本の南に2つの高気圧に挟まれて南西側にのろのろ進み、昨日あたりから東日本に太平洋高気圧と日本海には寒冷渦が発生して、その間を台風は北上から北西に向きを変えるという初めての進路をたどりそう。 そしてもう1つの特徴である線状降水帯が発生したのはこの寒冷渦が台風の雲を直線上に引っ張り上げているためでだろうか。 台風裡夫の寝息やすけらし 栗田やすし 台風裡水飲んでまた眠りたる 下里美恵子 伊吹嶺のお二人は台風は真夜中のイメージが強いのだろうか。(116660) 8月27日(土) 「ほんとうの環境問題」講演会 めずらしく東員町が環境の講演会があったので、聴きに行った。講師は早稲田大学教授の池田晴彦氏で「ほんとうの環境問題」の演題。 そして主催が桑名広域清掃事業組合。と来ると大概想像つくが、池田氏は温暖化懐疑論者。 ただ今日は比較的常識的というか、雑談を多くして、分かり易く話された。その中で気の付いた発言を並べてみる。 ・環境問題は自分にとって影響があるかどうかで決まる。(自分に関係のあることが環境問題である。) ・環境問題はコストとベネフィットによって決まる。 ・環境問題でコストよりベネフィットが優位であればエコとなる。 ・人間が解決出来る問題は環境問題の対象となるが、解決出来ない問題は環境問題とはならない。 ・CO2などは排出しても問題とはならない。(人間がコントロール出来ない問題だから) ・現代人は虫が嫌い。従って農業で使っている農薬(例えばプリンス錠剤)などにより虫、トンボなどが大きく減少している。) ・ミツバチが大量失踪しているのはネオニコチノイド系農薬を使っているため。 ・一番の環境問題は食べ物とエネルギー。 ・食べ物は現在の食料自給率40%を維持すればなんとかなる。 ・しかしエネルギー問題は日本としてどうしょうもない。 ・コストに対してベネフィットがあればCO2を排出しても問題ない。 ・エネルギー問題として、原発はCO2を排出しないが、原発を維持するだけで膨大なコストがかかる。 ・また燃料のウランの埋蔵量はわずか90年しかないが、もんじゅによる核燃料サイクルが維持されれば、エネルギーは2000年持つ。 ・ただもんじゅの燃料サイクルは成功していないし、維持コストが膨大。(1日で5500万円) ・今日本で一番期待してよいのは地熱発電。まだコストは高いが、ソーラーパネルよりよく、そこそこの効果がある。 ・密かに期待しているのが有機物を分解させる藻類。藻を光合成させることにより油脂を取ることが出来る。ただコストが今は1L=700円かかる。(原油は1バレル=50ドル) ・外来生物を全面駆除するのは不可能。あまりにもコストがかかりすぎる。 ・年々日本に温暖化が進んで猛暑日などが増えているのはCO2のせいではなく、ヒートアイランド現象のためである。 ・日本は今、CO2削減に年間1兆円かけているが、それより1兆円で福祉に回した方がよい。 という内容で雑談混じりで分かり易いが、あまりにもコストとベネフィット問題に矮小化していると思う。 「CO2削減は私達にベネフィットをもたらしていないので、CO2排出は問題ではない」と発言しているが、現にCO2などの温室効果ガスがどんどん増えることにより、身近な問題として、極端な気候変動をもたらして、年々進む台風の巨大化による巨大な被害、年々日本が暑くなっているのは決してヒートアイランド現象だけではない。CO2の大幅な増加による温暖化の影響が極めて強い。問題をすべて矮小化してはならないと思う。 あと書き出せば切りがないが、私達は知識はあってもディベートでは池田教授にはかなわない。しかし世界の趨勢ではもう温暖化懐疑論者の出る幕はないと思う。(116637) 8月25日(木) 8月の顕著の天候(気象庁)とカブトガニの大量死(毎日新聞) 8月も終わるというのに相変わらず暑い。なかなか散歩にも出られない。気象庁が昨日、8月の顕著な天候の実態を発表している。 それによると①北日本大平洋側では台風の影響で記録的な多雨、②西日本では高気圧に覆われやすく8月の気温としては2010年に次ぐ高い気温に推移し、記録的に高い海面水温となっている。 というもの。さらに私達の住んでいる西日本東シナ海と日本海南部での平均海面水温は1982年以降で最高となっている。これは下降気流が強く高気圧に覆われていたというもの。その理由は右図(気象庁発表による)の日本周辺の海面水温と気流の流れを見ればさもありなんという感じ。 なお右図は見にくいので、地図をクリックして下さい。気象庁の報道発表資料につながります。ここでは大きな地図で見ることが出来ます。 この気象庁発表を見ていたら、丁度毎日新聞では福岡県の曽根干潟に棲息している絶滅危惧種のカブトガニが400匹以上死んでいるのが分かったという。原因は猛暑による海水温度が高かったためと同じようなことのニュース。 気象庁の8月の顕著な天候とカブトガニの大量死と連動しているのが分かる。毎日新聞は次のHPアドレスをクリックして下さい。(116606) http://mainichi.jp/articles/20160824/k00/00m/040/153000c 8月24日(水) 今日のこの日記は1ヶ月半以上のブランクの後に書いている。この夏は何となく忙しいことと、オリンピック中継を見ているうちにだらだらとした夏を過ごしてしまった。しかしよく考えてみると、伊吹嶺HPの落書やいぶきネット句会では結構忙しい毎日が続いていたような気がする。 しかし友人からはあなたの日記は全然動いていないが、一体どうしたのかと言われる。この間の日記を埋めることは止めてまた今日から書き始めたい。そして今までアップしていない日のうち、書きかけの日記もこのまま載せる。 今までを振り返ってみると、いつの間にか夏も終わり、処暑も過ぎた。昨夜から午前にかけて猛烈な雨が降ってきた。アメダスのレーダーを見ると三重県を縦断するように真っ赤な雨マークが走っている。やっと涼しくなるかと思い、午前中、文化協会の『広報ひばり』の編集会議に出かける。会議が終わって外に出てみると、雨がやんで青空となっている。 ところが午後自宅に帰ってくると、たちまち暑くなり、またまたエアコンをつけざるを得なくなる。一体いつになったら爽やかな秋になるのか。(116587) 8月23日(火) 処暑で最高気温 今日は処暑。暑さも和らぐという頃だが、昨日の暑さにはびっくりした。名古屋の最高気温が37.6℃で、今年最高の暑さではないか。そして昨夜は27℃の熱帯夜。この夏に入る時にこの日記に書いたと思うが、今年はラニーニャ現象による東南アジアの高気圧の勢力が強く、日本の東側に居座り、チベット高気圧が強く日本の西側に居座っている。この2つの高気圧にはさまれて、猛烈な暑さに見舞われている。 また数年前に何の記事か忘れたが、「日本の温暖化がどんどん進み、いずれ将来は処暑の日を迎えてもその年の最高気温を記録する日が来るだろう。」と書いたことがあったが、まさかこんなに早く温暖化が進むとは思わなかった。 8月20日(土) 今日も環境学習サークルみえにより、子どもたち相手に牛乳パックのリサイクルの1つとして、パックの底蓋を利用したぶんぶんゴマ作りとパックの箱を利用したキュービックマジック作り。ぶんぶんゴマもキュービックマジックも以前、作らせたことがあるが、私が活動を始めて約1年になるが、特に夏休みは学校の自由研究、公民館主催、学童保育などから要望があり、この夏休みでは結構出かけて工作作りが多かった。この7月~8月の間、手帳で調べてみたら、8回も出かけていたことが分かった。忙しいはずだ。そして体験した工作などは、ぶんぶんゴマ作り、風力発電の風車作り、キュービックマジック作り、自転車発電体験、貝殻によるストラップ作りなど多彩だ。 写真は今日行ったぶんぶんゴマとキュービックマジックの出来上がりを試しているところ。
夕方は名フィル名曲シリーズを聴きに行く。今回は名フィル50周年を記念して、会員のアンケートにより一番人気のある曲を演奏するものである。その結果、協奏曲部門ではベートーベンのピアノ協奏曲5番で、交響曲部門ではドヴォルザークの交響曲第9番。どちらも超有名な曲。私は確か、ショパンのピアノ協奏曲1番とマーラーの交響曲第1番だったような気がする。 しかし今日の曲はいずれも親しみやすく、特にピアノの小山実稚恵さんの演奏に聴き惚れた。 8月15日(月) 終戦日。例年どおりTVの前で全国戦没者追悼式模様を見る。いつもながらこの日だけは外してはならない。昨年の安保関連法の成立、今年の3月の施行により、集団自衛権の名の下に日本が戦争に参加する恐怖が忍び寄っている。 そういう中での初めての追悼式。安倍首相は相変わらずアジア諸国への加害責任に触れていない。一方、天皇陛下は昨年より「過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省」という従来にない表現を今年も使われた。天皇陛下の暗黙の加害責任に触れていらっしゃることは覚悟の上だと思う。 今年も終戦忌で1句作ろうと思ったが、出来なかった。 終戦日黙祷すべく家にあり 鈴木みや子 私もみや子さんの態度を実践していきたいと思っている。 8月9日(火) 長崎忌。今年は現職としてオバマアメリカ大統領が広島を訪問した画期的な年であったが、当時、長崎田上市長は長崎市にも訪問してほしいと発言していたようだったと思うが、オバマ大統領だけでなく、核保有の各国代表も来てほしい。それば地道であるが、少しずつ核の恐ろしさを知ってもらうことが大事だと思う。 8月8日(月) 今日のテレビの天皇陛下のいわゆるお言葉には感慨深いものがあった。日本の象徴としての天皇の役割は限りがあり、政治的発言は許されていない。そのぎりぎりの狭間で生前退位のお気持ちを話された。むしろ積極的象徴の天皇の行動と言えるだろう。あとで聞くと以前から天皇陛下は生前退位を望まれていたが、安倍内閣が無視した結果、このような発言をせざるを得なくなったのであろう。安倍内閣は1日も早く法整備が必要だと思う。しかもこれを憲法改悪の手段とするのはもってのほかだ。 7月25日(月) そろそろ『広報ひばり』の次号の記事の編集を進めなければならない時期に来た。 今日は東員町で50年以上茶華道の活動を進めてきたS茶華道教室のクラブ訪問。私はあまりお茶とかお花は苦手だが、何でも聞いて下さいとのことで、恥をかきつついろいろ聞く。今日はお茶の講習。 今日のS茶華道教室は表千家の系統。私は表千家と裏千家の違いが分からない。そんな程度の知識。 今日のお茶は夏向きで濃茶を点てて、和菓子は波しぶき、茶花は桔梗、ヒオウギアヤメ、風知草。そして掛け軸は「滝」のひと文字。 教室生で10年以上習っている方もまだまだ奥深いという。 写真は講師のSさんとお茶を飲んでいるところ。 一時間半ぐらいのインタビューを終えてあわてて岐阜句会の出席。 岐阜句会ではいつも事柄俳句が多く、またそれが採られるということで、兼題で一句、席題でも一句作ったが、結局逸れた一番取られる。何とも間の悪い句会。 7月23日(土) 夏のエコフェア 三重県環境学習情報センターで年3回ほど行っているうちの「夏のエコフェア」の手伝い。 いつも同じで貝殻でストラップ作り。ほとんどが小学生の女の子の参加。いつも使う貝は穴の開いた浅蜊。子供たちはあまり理解できないが、この穴の開いた貝が工作に最適。実はこの浅蜊の穴はツメタガイにやられて浅蜊が食べられた穴。 ネット情報によると、大浅蜊ぐらいの大きさで「中型の巻き貝。殻の色は紫褐色から黄褐色。夜行性で、軟体部は殻から大きく露出し、殻を完全に覆いつくす。 肉食性であり、アサリなどの二枚貝を捕食する。アサリなどの二枚貝を捕まえると、やすりのような歯舌を用いて獲物の殻の最も尖ったところである殻頂部を平らに削っていき、2mm程度の穴をあけて軟体部を食べる。」とある。こんな悪さをするツメタガイは外来生物かと思ったら、北米産だが、昔から北米から北海道そしてインドの東ぐらいの太平洋に生息する。 今日はの写真はツメタガイの見本、子供たちの作業、子供が作ったストラップそして折々に書いて貰った環境のための「エコ宣言」を書いて貰ったエコツリー。 7月11日(月) 名古屋句会。その前、午前中に息子の会社に寄る。一旦車をおいて食事に出かけたところ猛烈な暑さで、目がくらくらして、持病のめまいがますますひどくなる。今年は数年ぶりのラニーニャ現象が発生したため、インドネシア沖の海水温が急上昇して、日本に熱風が押し寄せる。台風はまだ1号しか発生していないが、いざ発生すると巨大台風になる予感がする。そして今年はさらにチベット高気圧の勢力が強く、二重の熱風が押し寄せる。ますます真夏日、猛暑日が多くなりそう。今からこんな状態で今年の夏をどう過ごすべきか悩む。(115876) 負け牛の目の血走れる炎暑かな 栗田やすし 7月9日(土)-10日(日) 名フィル50周年記念コンサート 今年は名フィル発足以来50年目になるという。実際の歴史はもっと古いが今の名フィルになってから50年という。 昨日、今日の2日間、名曲シリーズで記念コンサート。曲目はすべて小曲でなじみある曲ばかり。指揮者は50年の節目に新たに小泉和裕音楽監督。今まで知らなかったが、小泉和裕はカラヤン国際指揮者コンクールで第一位を取ったことがあり、その後、ベルリンフィルで指揮をしたことがあったという。 2日間の記念コンサートあと、事前の抽選で当たり、バースディ交流会に参加した。100人ほどの参加者に名フィル団員が少し参加した交流会。周囲には知った人もなく、ただ皆さんの団欒の雰囲気に浸っているだけ。 写真は小泉和裕音楽監督の乾杯の音頭。 7月8日(金) 今朝の新聞に愛西市(昔の立田村)の花蓮が見頃になったというので、早速見にいく。新聞に掲載されていたにもかかわらず人出は少ない。 カメラは持っていったが、俳句は出来なかった。 ここはほぼすべてが紅蓮で写真はその一つ。(115835) 7月5日(火) 桑名の藤が丘小学校で放課後活動で、環境出前授業。今日はわずか1時間のため、簡単に行う。最初に三重県環境学習情報センターのWさんにお願いして、「もったいないばあさん」の紙芝居。そしていつものぶんぶんゴマ作り。今日の対象は1,2年生が対象のため、牛乳パックに穴を空けて、紐を通すとか、紐を結ぶなどの作業があるが、これらの紐通しや紐結びが出来ない子が大半。しかも全員で100名のため、子供たちの「出来ない」「出来ない」で振り回される。 今時の家庭ではそのようなことをしなくても生活が出来るようになっているのではないかと思う。私の孫より小さい子なので、2世代以上の差がある。私が小学生1,2年の頃はどうだったか記憶にないが、多分そんなことは出来たのではないか。 下の写真は紙芝居とぶんぶんゴマ作り。
7月4日(月) オゾン層回復初確認(中日新聞2016.7.1) 一寸古いニュースであるが、南極のオゾン層が回復傾向にあることが初めて確認したという。オゾン層の目安としてオゾンホールを確認することで分かり、2000年以降、オゾンホールが小さくなりつつあり、今回でオゾン層が回復したことを確認したと言うことである。オゾンホール対策としてはモントリオール条約にによりフロンの使用を禁止したことによる効果が大きい。フロンは極めて安定したガスで、エアコンの冷媒、半導体製造過程における洗浄剤として使われてきたが、現在は使っていても代替フロンを使用するとか、CO2冷媒などのノンフロンを使用している。 ちなみに代替フロンはオゾンホール対策としては有効であるが、温暖化係数が非常に大きく、CO2の約4000倍である。 日本国内では今まではフロン回収破壊法でフロンの大気への漏洩を図ってきたが、現在はこの法令を強化してフロン代替フロントとも使用量を規制して、使用報告義務を課している。 さらに代替フロンその物を使用しないグリーン購入法で代替フロンの全廃を目標としている。 なおこのオゾン層回復記事は次の新聞を参照して下さい。(115779) http://chuplus.jp/paper/article/detail.php?comment_id=378079&comment_sub_id=0&category_id=112 7月3日(日) 栗田せつ子さんが伊吹嶺自註俳句シリーズの第1号として『栗田せつ子集』を刊行された。誠に喜ばしいことで、今後伊吹嶺の皆さんが続いて自註句集を出されることを期待したい。 早速一通り読んで、伊吹嶺HPに句集紹介をアップする。 伊吹嶺HP の落書でも書いたが、せつ子さんの句は生活句、吟行句が多いが、吟行句であっても生活が見える句が多い。生活が見えるということはせつ子さんお人柄、人生が見えることである、と言うようなことを書いた。 なお『栗田せつ子集』の詳しい紹介は次のHPに書いたので、クリックして見て下さい。 http://www.ibukinet.jp/book4.html 7月2日(土) チングルマ句会。一昨日の犬山吟行句が多く、皆さんよく観察されて良い句が並んだ。 昨日、今日は真夏日で、一昨日が今日のように暑くなくて良かった。この頃は年齢のせいか、熱中症が怖い。 |