隆生の独り言日記(25年7月~)

平成25年7月から

12月31日(火)
 いよいよ大晦日で今日が今年最後の日。午前中は今年最後のメールをあちこち送信しているうちに、午前中が終わってしまう。午後から妻に頼まれ、すべて包丁磨き、家中の蛍光灯の清掃。あとは物置と化した娘が使っていた部屋の本類の仕分け。しかし如何せん余りにも溢れかえっているため、今年もとうとう整理できず仕舞い。夕食後は伊吹嶺HP、私のHPの年越し準備が残っている。(96726)

12月29日(日)
 昨日で、今年の「伊吹嶺」誌、仕事、「広報ひばり」、年賀状など一連のやるべき事は終わった。家のことはほとんど妻にやって貰っているので、申し訳ない。あとは2階に乱雑に重ねられている本を整理する仕事が残っている。
 今日はわずかに俳句鍛錬会の写真を仕分けして、プリントすべきものを整理しただけ。(96690)

12月27日(金)
 今年最後の「広報ひばり」の編集会議。と言ってもわずかな頁なので、簡単に終わる。昨夜書いた「日本の第9」演奏会の記事の読み合わせをした後、ほとんどは今年秋に行われた文化協会主催の文化祭の写真選定。
 
 今日、年末ぎりぎりになって、今年9月に受験した「2級ビオトープ施工管理士」の合格の手紙が届いた。実は昨年も受験したが、問題レベルを一寸なめていたため、1問の正解が届かず、不合格になっていたものである。今年も9月頃にISO審査日程が詰まっており、不十分な準備で受験したが、かろうじて合格することが出来た。もう年も取っているので、企業を審査するストレスの溜まる仕事は辞めて、子供相手に環境を守る重要性を教えることなどが出来ればと思っている。例えば学校ビオトープ創出などはこの資格を持っているかどうかで信用度が全然違う。来年何が支援できるか分からないが、どこかのNPOの手伝いをしてみたい。

12月26日(木)
 いつものように孫の勉強を見てやるため、出かけていたところ、メールでibukinet原稿の催促を受ける。自宅に帰って記事を仕上げた後、このHP日記を書いている。あとこれから先日の「日本の第9」演奏会の記事を書かなければならない。いつも土壇場にならないと動かないのが私の悪い癖。

12月24日(火)
 11月の目の手術の退院以来、1ヶ月後の検診。OCT写真によると、黄斑部の円孔はしっかりと塞がっているとのこと。また視力は0.7まで回復していた。元に戻るのは後2,3ヶ月ぐらいか。

12月23日(月)  東員「日本の第9」演奏会
 東員町文化協会の広報委員を引き受けると、いろいろな行事に参加せざるを得ない。今日は東員町の合唱団によるベートーベンの交響曲第9番が演奏される。オーケストラは愛知室内オーケストラであるが、合唱団は地元ばかりで、そこに「日本の第9」を演奏する鎌倉市の応援隊も加わって合唱団が出来た。「日本の第9」というのはなかにし礼翻訳による日本語の「歓喜の歌」である。確かにドイツ語で歌うのは難しいが日本語で歌うのはハードルが低い。総勢130名程度の合唱団でまずまず聞けた。妻がその楽譜を持っていたので、見せて貰うと、日本語でも結構大変そうであった。皆さん熱心に歌っているのを見ると、感動する。いつもはカメラマンだけを担当しているが、演奏会場ではカメラ禁止のため、子供合唱団によるクリスマスソングなどを撮しているだけ。ただ後日、この演奏会模様を記事にしなければならないのがつらいところ。

12月22日(日)
 二男一家がクリスマスに合わせて来る。知らぬ間に孫たちも成長しており、我々夫婦が年を取った速度が速くなったのも時間。食後いつものようにトランプ遊び、百人一首で遊ぶ。孫たちも上の句だけで取れるようになった。子供達は特別に勉強しないでも興味があれば進歩するものだ。(96550)

12月21日(土)   ベートーベン交響曲第9番(名フィル)
 午前中は「広報ひばり」の編集会議。2月1日発行であるから、「伊吹嶺」編集の日程より遅れている。それでも少しずつ前進しているようである。

 夕方は久しぶりに名フィルのベートーベン交響曲第9番。毎年聴きに行くと感動がマンネリになるので、時々にしている。今回は確か3年ぶりではないか。今まで何度も聴いてきたが、第1~3楽章までの印象がいまいちだったが、今日の印象は第1~3楽章は、合唱がある第4楽書の序章そのものではないかと思った。そしてその序章の次の第4楽書がまさに観客も歓喜の興奮に引き込むという2部構成ではないかと思う。その合唱は約200名で迫力満点。久しぶりに聴く久しぶりの感動であった。テレビで見る印象とは全然違う。

12月20日(金)   三重県の廃棄物新処分場
 今年最後のISO審査員研修。午前中は報告事項だけだったが、午後に三重県環境保全事業団で運営の四日市市にある新小山廃棄物最終処分場の見学。従来の処分場は既に満杯になって覆土されている。この新処分場は埋立総容量は1,649,300m3でよく比較される東京ドームの約1.4倍である。その埋立期間は多分来るであろう大震災などの災害廃棄物を考慮して約15年分である。見学したのは埋立地はもちろん、埋立遮水施設、浸出水処理施設の管理棟、洪水調整池などである。さらに新処分場は近隣住宅があることから、綿密な環境影響評価を行って、ビオトープ創出を行っていた。このビオトープはずいぶんと神経を使っているのがよく見え、樹木の植林、水生植物の創出、維持を万全のものとして、初めてビオトープらしいビオトープを見た印象であった。ここはまだ造成中の埋立地ものあること、ビオトープは来年にならないと植生の結果がよいかは分からないので、近隣住民はもちろん外部見学もまだ出来ない。しかし将来誰もが花見をし、水遊びできるようになっていた。

12月18日(水) 
 しゃくやく句会。先月は目の手術で欠席したので、久しぶり。皆さんにお見舞いまで貰って恐縮する。メンバーは一部止めた方もいたが、ほぼこれで熱心なメンバーが固定された感じ。

12月17日(火)
 インターネット部メンバーのうち名古屋周辺のメンバーが集まって、今年の成果、課題と来年の企画の打合せを行う。今年は特に合同句集「IBUKINET」の発刊、新しいHPのリニューアル、「環境コーナー」「有料添削コーナー」の新設などがあり、「伊吹嶺」15周年記念に合わせた新企画が順調に行ったと思う。しかし課題も多くあり、来年はさらに新しい企画を考えていきたいと思っている。ネット部の皆さんの協力が得られていることが何よりも心強い。

12月16日(月)
 鍛錬会も無事に終わって、今日は反省会を行う。特に私は吟行当日、欠席してしまったが、すっかり幹事の皆さんにお任せして順調に終わったことは感謝しきりである。今日はレジメに従って、フリートーキングをして貰い、良かった点、課題点などが出された。まだ一部支出部分があるので、確定したら会計報告を作成して頂く予定。次回の運営委員会に報告するつもり。
 夜は昨日に引き続き、いぶきネット句会の合評会。

12月15日(日)
 いぶきネット句会の合評会。2ヶ月前に事前に発言内容をWordなどに打ち込んで貼り付けなどをすれば、活発な意見交換が出るとのアドバイスから最近はずいぶんと会員の皆さんからの発言が多くなり、進行役を行っていても張りあいがある。

12月14日(土)
 名古屋句会。今日は年末の食事会をしながらの句会。久しぶりにMさんが出席されて、お元気そうで何よりである。息子さんを亡くされて一時はどうなるか心配していたが、今後とも俳句に復帰してほしい。

12月12日(木)
 人間ドックの結果、心電図、胃カメラなどいろいろ検査したが、心電図は問題なし。胃の方は荒れているという結果。すべて加齢性と言うことか。(96342)

12月11日(水)
 チングルマ句会。最近、句の内容が活性化してきたような気がする。ただ今月は文法の間違いが多く気になった。

12月10日(火)  動詞で写生する(「伊吹嶺」12月号)
 愛知同人句会。12月とあって60名の参加。久しぶりに出席で、皆さんから目の手術で声をかけられ、ありがたいことである。今日投句した句は作者が分かる署名付きのような句であったため、皆さんから採られる。

 句会とは直接関係ないが、「伊吹嶺」では編集部メンバー交代で「伊吹集粲粲」として、毎月佳句18句が掲載されている。今月号に掲載された句の中で、私の句会のSさんの句が掲載されたこともうれしいことだが、次の句に注目した。
   激つ瀬に飛ぶ鮎を見んと乗り出せり   横井美音
 この句はいわゆる動詞ばかりで写生した句である。なんと動詞が4つも使われている。しかしこの句は鮎の生態を動詞によって写生し、その動詞の使い方がリズム感に溢れ、動詞が多いことに違和感を感じない。かって沢木先生がおっしゃっていたとおりの1点重点主義の句としてお手本となる句である。
 編集部がこのような句を「伊吹集粲粲」に掲載されたことに敬意を表したい。

12月7日(土)
 先日選句した御在所観光俳句の入選者作品の色紙書き。一番苦手な染筆だが、やむ得ない。入選者12名を何度も書き直して、結局書き上げたのが夜の12時。なお御在所の俳句は年中通して投句を受け付けている。今月から冬の句を募集している。投句は現地の投句箱でもよいし、ハガキでも受け付けているので、興味のある方は応募してほしい。応募要領は次のHPに書いてあります。
   http://www.gozaisho.co.jp/event/2014winter.event_period.htm

12月6日(金)   きれいな井の頭池に--水抜き、底を天日干し(讀賣新聞13.12.05) 
 東員町文化協会の「広報ひばり」の「ひばり訪問記」で東員町の珠鳴庵を取材。ここは東員町の町の博物館となっており、館長の山口一成さんは地元出身の算術学者一色正芳の偉業を調べていくうちに、算盤に関する資料を収集し、算盤もめずらしいのが多い。写真は博物館へのアクセスが昔の7つ玉の算盤の飛び石になっている。
 昨日の讀賣新聞に井の頭公園で池干しが行われるとの記事があった。この公園の井の頭池で、いったん池の水を抜いて、池底を天日干ししたり、外来魚を駆除したりする取り組みが始まったとあった。ここでは「かいぼり」と呼ばれるそうで、2017年の開園100周年に向けて、「かつてのきれいな池を取り戻したい」との目的である。井の頭池はかつて、湧水量が豊富で池底が見えるほどに澄んでいた。しかし、戦後、地下水のくみ上げなどが原因で湧水が枯渇。1963年から井戸水が供給されるようになったという。現在は8か所から毎日約4000トンの井戸水が送られているという。
 主目的は①植物プランクトンが増殖して水中は緑褐色に濁っていることによるヘドロ除去、②池の魚の9割を占めるオオクチバスやブルーギルといった外来魚を除去し、在来種のモツゴなどの復活という。そしてその手順は「約4万5000平方メートルの井の頭池のうち、弁天池を除く、ボート池とお茶の水池の計約3万4000平方メートルの水を来年1月上旬から抜き、約1か月間天日干しする。池底土壌に含まれる汚染原因の窒素が気化する効果があるという。加えて、水位が下がったところで魚を捕獲、在来魚はいったん保護し、外来魚は駆除する。生態系を回復させるため、水草を植え付ける場所も設置する。」と報道されている。好ましいことである。こういう試みはもっと多くの池で行ってほしい。
 この記事は次のHPに掲載されています。
   http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20131205-OYT1T00230.htm

12月5日(木)  梶山千鶴子集
 退院後はしばらく気力が萎えていたが、尻に火がついているので、とりあえずN社の審査結果報告書を完成し、郵送する。大した内容のある報告書ではないのに、面倒になってくる。あとI社の審査結果報告書を作成すれば、今年の仕事は終わる。その後は俳句一途と生きたいところだが、こなさなければならない日常の仕事で山積み。
 今日、注文していた『自註句集梶山千鶴子集』が届く。たまたま梶山千鶴子の名前を知ったのは、最近、句友のブログで図書館から『梶山千鶴子全句集』を借りて読んだという日記を見たためである。梶山千鶴子は「キリン」主宰で、今年米寿で亡くなった。私は「風」とともに、一時「れもん」にも投句していたが、その頃、「れもん」誌に梶山千鶴子の俳句を覚えている。京都に住まれていたそうなので、一度も会ったことはない。今はバックナンバーもなくなったので、どんな句か覚えていないが、共感していたから、名前が記憶の隅にあったのだろう。多田裕計先生の引き合わせと考えるしかないだろう。

12月4日(水)
 昨日、装着したホルター心電図を外す。合わせて胃カメラまで飲まされる。胃が荒れているそうだが、細胞採取はしなかったので、癌の恐れはないと言うことであろう。

12月3日(火)
 目の手術で見送っていたが、人間ドック結果の要検査項目について、今日は心エコー、ホルター心電図を装着する。24時間測定のため、また明日病院に出かける必要がある。そのためにも今日は約9000歩、歩行する。退院後久しぶりのウォーキングで改めてウォーキングが必要なことを実感した。(96140)

12月2日(月)
 御在所岳の秋の観光俳句が締め切られたので、御在所ロープウェイに出かけて選句。今回は200句程度。選句は無記名の一覧で行うため、投句に常連が多く、まとめて投句されるため、選句結果に同一作者が必ず残る。そうすると再選句するため、時間がかかる。また同じレベルで選句するわけに行かないが、必ず子供は1人入れたい。選句結果を見たら、「伊吹嶺」の方が1人いた。作句力と選句力が一致したと言うことか。あとは自宅に帰って染筆。これが一番苦手。

 ところで入院中、「NHK俳句」を録画してあったが、11月10日放送分は小澤實が選者であった。選者の俳句紹介で若い時の俳句が紹介され、同感したので、ここに紹介したい。
   露の玉考えてをりふるへをり   小澤實
 これは「露の玉」の真実を2つの動詞、「考えてをり」「ふるへをり」で写生したものである。まさに「露の玉」という一物を写生するにはこのように動詞で写生せざるを得ない心情に共感した。なお小澤實の句については次の句について既に「伊吹嶺」11月号に紹介した。
   冬帽子脱ぐ駅弁の紐ほどく    小澤實
 この句は 「冬帽子」「駅弁」の二物照合の句であるが、それを2つの動詞で写生している句である。この句を鑑賞した時は、前述の「露の玉」の句を知らなかったが、11月号に紹介した句の原点は「露の玉」の句であることが分かる。
 よく動詞の多い句は駄目だ。動詞のない句が最適で、二つあっても駄目、3つあると論外であると、言われる方がいるが、なぜ動詞で写生しなければならないか、それを考えながら、鑑賞、作句したい。もう一度沢木先生が書いた『俳句の基本』を読み返したい。ここで沢木先生は特に一点重点主義を強調されており、1つの物を深く写生せよとおっしゃっている。私はその写生のためには、動詞を的確に使用した写生が必要だと思っている。

12月1日(日)
 伊吹嶺運営委員会で久しぶりに名古屋へ出かける。俳句鍛錬会の実施模様を報告する義務があるが、鍛錬会に参加できなかったため、櫻井支部長から報告していただく。
 その他、来年行事の計画が進みつつあり、今日は同人総会、岐阜支部俳句鍛錬会、全国大会の日程だけが報告される。また番外として、栗田主宰の喜寿のお祝い会が有志で行われることも報告された。来年も行事続きである。インターネット部としてもオフ句会、自然と親しむ吟行会も日程を決める必要がある。17日に名古屋近辺の皆さんと打ち合わせする予定である。

11月28日(木)
 ISO判定委員会。長い間入院していたため、9月末に審査したN社の更新審査結果の報告。何も問題なく、質疑はわずか5分で終わる。これであと2社分の審査結果報告書を作成するだけで今年は終わる。でも退院後、なかなか気分が乗らず、ずるずるしているので、明日から気合いを入れたい。
 午後から東員町文化協会の「広報ひばり」の最初の編集会議。今日は企画段階だが、ずいぶんともたもたして、伊吹嶺編集会議とは大分違う。

11月27日(水)
 退院してからあわただしくしていたが、今日はかかりつけのM眼科に手術の報告と黄斑部の断層写真を撮って貰う。穴はきちっと塞がっており、順調。ただ視力は0.5どまりで、完全に回復するには半年以上かかるという。黄斑部の歪みは穴を塞いだ部分の縫い合わせ部分だけになった。

11月26日(火)
 本来先週、母の七回忌を行う予定であったが、入院中だったため、今日行う。と言っても極めて質素に私達夫婦、妹夫婦と姪だけの参加で行った。もう早いもので、母が亡くなって満6年になる。こちらもどんどん年を取るはずだ。帰りに岐阜大野町農協に出かけ、富有柿を親戚に送る。

11月25日(月)
 退院後のウィークディであちこちと出かける用件が出てくる。まず午前はNTT病院で毎月の定期診察。そして午後は今年の人間ドックの再検査の一つで、内臓、特に胆嚢のMRI検査。まだ退院直後なので、車の運転を差し控えたので、電車の乗り継ぎが効率の悪い時間の使い方となって、たたこれだけで、1日中かかってしまう。

11月24日(日)
 ネット仲間はありがたいもので、次々と退院おめでとうメールが入ってくる。ただその中で必ず釘を刺されたのは、当分はおとなしく、無理をするなと言う激励が圧倒的に多かった。
 一斉メール、個別メールなどでお礼を申し上げたが、この日記でも皆さんにお礼を言いたい。
 ただこの半月間、すっかり日程に穴を開けたので、これからの半月間で何もやらなかった仕事を挽回する必要がある。(95942)

11月23日(土)
 俳句鍛錬会が終わり、成功裡に終わったという。櫻井支部長はじめ、幹事の皆さんのおかげである。

11月22日(金)  入院記録
 5日の日記によんどころのない事情で、2週間ぐらいHPを休むと書いたが、実はこの間、黄斑円孔という目の病気で入院手術した。入院が6日、退院が22日で約半月間。
 6日に入院即手術。この病気はとにかく早く手術するしか方法がないという。その直前の病院検査が若干遅れ気味で、その後、伊吹嶺全国俳句大会、大会記のHPアップ、伊吹嶺原稿の送信の後、2社のISO品質審査が待っていたため、入院が遅れた。しかしなんとか手術には間に合った。以下、入院中のことを思い出しながら、この日記に記録しておきたい。

 6日:手術はまず硝子体の液を特殊なガスに置きかえて、ガスの圧力で、黄斑部に空いた0.数mmの穴を縫い合わせる。ついでに年齢のこともあるので、白内障手術も行う。その間、医師の言うとおりに目を動かすのが延々と続く。結局、この手術に約2時間かかる。
 7日から10日間ぐらい:手術当日よりこの間が一番大変だった。硝子体に残っているガスが完全に抜けるまで、24時間うつ伏せの状態で過ごす必要がある。上向きになると、網膜にガスの圧力がかかり、黄斑部にまた穴が開く可能性があるとおどされる。寝る時のうつ伏せは腰が痛いし、起きている時のうつ伏せは首が痛い。ガスは自然体に抜けるのを待つしかないという。入院前はこの間に本でも読もうかと思っていたが、とんでもない。うつ伏せで何も読むことが出来ないし、TVも見ることが出来ない。
 14日:ほぼガスが50%以上抜けたので、黄斑部の断層写真で確認したところ、黄斑部は完全に塞がっているという。
 16日頃から、やや下向きであるが、自由に歩行できるとのことで、衰えた筋力回復のため、歩く練習。
 18日:うつ伏せ姿勢から、自由に寝て、自由な姿勢でよいという。ガスも10%程度となってので、視力検査を行ったところ、0.5まで回復しており、完全に視力が元に戻るのは半年間かかるという。
 19日:もういつ退院してもよいと言われるが、妻が俳句鍛錬会に出かけて、不在となるので、退院は22日とする。
 22日:やっと退院。友人の車で自宅まで送って貰うが、その途中で、入院中どうしてもコーヒーを飲みたかったので、喫茶店に寄って貰う。夜は寿司と熱燗で体重回復を図る。痩せるのは2週間で2kg減量できたが、今夜の食事で多分1kgは戻っているだろう。体重が戻るのはあっという間だが、体力、視力が戻るには相当日数がかかる。

11月5日(火)
 よんどころのない事情が出来ましたので、明日以降、2週間ぐらいこのHPを休ませて頂きます。(95645)

11月4日(月)
 しばらく孫にも会えないので、振替休日を利用して、孫の勉強を見に行く。なかなか集中力がつかないが、根気よく教えるしかない。

11月3日(日)  楽天日本一 おめでとう!!
 よんどころのない事情で、今早めに現代俳句評を書いている。しかし締切日ははるか先なので、なかなかペンが進まない。少しはなんとかしたい。
 なお「伊吹嶺」11月号に「現代俳句評」を掲載して頂いたので、HPにアップしました。【こちら】をクリックして下さい。

 夜、一息ついたところで、日本シリーズを見る。ひやひやものだったが、なんとか田中が押さえて優勝。中継ぎの則本もすごかった。今年のドラゴンズの無様なBクラスを見たあとの楽天の優勝は喜ばしい。仙台に5年住んでいたこと、妻の母郷であることなどから、楽天も応援していた。この優勝で東北の被災者も少しは救われたのではなかろうか。しかも東京だったら、優勝パレードだけだが、今回は楽天選手が手分けして楽天優勝の感謝を込めて、応援して貰った東北被災の各地を回るという。東北らしい感謝の仕方だと思う。

11月2日(土)
 明日から3連休となることから、N社の審査結果報告書の総仕上げを行う。まだ完全ではないが、修正処置の一部が後日届くということで、完成させて発送した。

11月1日(金)  「伊吹嶺」11月号
 「伊吹嶺」11月号が届く。今月からイシグロ印刷から直接発送して頂けることから、届くのが早くなった。今月号は伊吹嶺賞の発表があり、じっくりと入賞者の作品を読ませて頂いた。
 最初に伊吹嶺賞受賞の矢野孝子さんの作品。すべて引っ越し前後の日常吟で気負いがなく、力を抜いたところに女性らしさの感性が漂っている。伊吹嶺賞というと、まとめて作る必要から、吟行句の応募が多いが、こういう日常吟にスポットライトが当てられるのは好ましいことではないか。以下作品を見ていきたい。
  残雪に一歩を沈め土筆摘む
  家移る支度茎石磨き上げ
  引つ越しの荷と揺られゆく花の土手
  五歩で足るマンション暮し花は葉に
  朝寝して新居は旅の半ばめく
  梅雨の夜やむすめが数珠を借りに来て
  熟れ桃を洗へば息もやはらかく
  つまみたる菜虫温くも冷たくも

 好きな句を抜いてみたが、どの句も自然体である。「残雪に」の句は、中七の写生がよく効いており、即物具象の基本である。「五歩で足る」の句は、新しい暮らしに新しい発見である。「花は葉に」の下五で、マンション暮らしに次第に慣れていく実感がこもっている。「朝寝して」の句の「旅の半ばめく」の措辞は純粋の写生ではないが、これも作者の生活実感を旅に例える感性は鋭い。「熟れ桃を」の句や「つまみたる」の句はこれまで孝子さんにはあまり見られなかった感性で、あえて言えば、綾子先生の感性に近いのではないか。いずれの句も見習わなければならない句が多かった。
 次に次席の内田陽子さん。母上が亡くなられた前後の句をまとめられているが、あくまで客観的に句をまとめながらもそこにはしみじみとした母上への思いが詰まっている。
  すかんぽや臥す母につく小さき嘘
  母逝きぬ白ぼうたんの咲き満ちて
  若芝へ試歩かなはずに身罷りぬ
  惜春の喪の帯ゆるく通夜の席
  卯の花の風に晒せり母の靴

  万緑や土に戻せし母の骨
 いずれの句も写生というより、日常生活の中の一環として母上への思いを詠まれている。「すかんぽや」の句は、タイトルとなった句で、最初速報でタイトルを聞いた時、どんな嘘だったのか疑問に思ったのだが、こんなにも悲しい嘘だったのかと思うと、読む者にとってもせつない。「母逝きぬ」の句は、白牡丹の白さが対象的に作者の悲しみを深くしている。「惜春の」の句は、通夜という表のしきたりに感じる倦怠感を帯に代表させてうまさを感じた。「卯の花の」の句は、母上を見送ったあとのこまごまとした後始末が「母の靴」に代表させて母を偲ぶ気持がよく出ている。「万緑や」の句は、母の骨が土に戻ったと詠まざるを得ない悲しみが共感される。
 いずれにしろお二人の入賞はネット部の一員としても喜ばしことである。
 
 ところでいつもは主宰、副主宰、同人句を鑑賞することにしているが、今月はパスさせて頂いた。ただある1句だけがあまりにも面白いので、紹介したい。
  秋暑し眉より太きアイシャドー   とみお
 まさに現代の若者に対する痛烈な風刺である。最近の若い女性は眉は細く描き、アイシャドーのどぎついことはへきへきとしている。よくぞ言ってくれたと拍手したい。

10月30日(水)
 昨日に引き続き、連続でI社の品質審査。ここも鋳物工場で、昔から、顧客からの品質管理の要求が厳しく、品質管理の考え方は定着している。今日も指摘事項がなしで、2回連続で指摘事項がなかったのは初めて。これで今年の審査はなしにしたい。本当は2,3日前にもう1社頼まれていたが、いろいろ言い訳して断る。(95538)

10月29日(火)
 N社の品質審査。いつも気の使うのはチームリーダーを担当する時。この会社の工場は鋳物工場にしては5Sが行き届いて埃のない工場。審査結果は指摘事項なし。こういう時は報告書が書きやすい。

10月28日(月) 
 岐阜同人句会。これからしばらくあちこち出かけられないので、俳句の在庫がないまま、出席する。案の定、成績は悪い。最近本当に詩心が枯渇していると思う。

10月25日(金)
 今まで長期間の旅行の場合、帰宅した時びっくりするくらいメールが届いているのが悩みの種であった。中には緊急を要するメールもあり、困っていた。今日、思い切ってスマホを買う。今最新のiPHONE5Sがほしかったが、在庫なしで1ヶ月以上の待ちという。やむ得ずアンドロイドを買う。結局、初めて使うため、何でもよい。一応パソコンで受信のメールも読めるし、テザリングも出来るので、インターネット環境のない旅館、観光地でパソコンも使える。本体以外にいろいろサービスをつけると、結構高い買い物になった。

10月23日(水)
 いつまでも全国大会を引きずっているわけにはいかないが、伊吹嶺HPの大会模様アップ、お礼のメールや写真の整理、郵送の準備など残務整理があり、1日が終わってしまう。その間、来週の2件のISO審査の準備だけはやっと終わる。その後今週中にN社の審査結果報告書の作成をしなければならない。

10月21日(月)  静岡吟行
 大会の翌日は天候に恵まれ、ネット部で静岡周辺を吟行。三保の松原、興津 清見寺、田子の浦、沼津港で昼食そして沼津御用邸で句会のコース。三保の松原では富士山を見ることが出来なかったが、興津へ行く途中、港に日本丸が停泊しており、丁度この時間に出港するというラッキーに恵まれる。都会でなく、周辺に何も比較するようなビルがないと日本丸の大きさが実感された。最後の御用邸昭和天皇の皇太子時代の御用邸で、学問所の部屋が多くある。その1室で句会をするという贅沢さ。これも静岡の磯田さんの口利きのおかげ。下の写真は日本丸と御用邸前での全員集合写真。そしてトップページの写真は田子の浦の山部赤人の歌碑。
   


10月20日(日)  伊吹嶺全国俳句大会
 伊吹嶺全国俳句大会。参加者160名近くの大盛況。今回は静岡支部全員体制で大会を円滑に運営されたし、静岡支部の皆さんに大変お世話になった。私は特に何もしなかったが、せめて写真だけはどんどん撮った。その大会模様はいつものように伊吹嶺HPに掲載した。大会模様は【こちら】をクリックして下さい。
 今年はインターネット部から伊吹嶺賞の矢野さん、次点の内田さんが受賞されたので、大会後、ホテルのロビーでささやかなお祝い会を行う。
 その後、今夜は宿泊のため、ゆっくりとし、ネット部でカラオケに繰り出す。ただ私は妻から絶対に人前では歌うなと厳命されているので、ただ聞くだけ。

10月19日(土)
 娘が毎年司会をしている桑名の御台所祭。昨年桑名市長が替わったため、経費節減のため、今年限りという。今まで一度も見に行ったことがないので、最後ぐらいは見ておきたいと妻と出かける。
 娘は司会とともに今日はオカリナ&三味線演奏。右の写真はその演奏写真。

10月18日(金)
 毎月の定期診察。その後、鍛錬会打合せのための生涯学習センターの予約金の支払い。あわてて自宅に帰ってから、1社の審査結果報告書の郵送。何もしないうちにドタバタして1日が終わる。

10月16日(水)
 俳句で忙しい合間を縫って、今月末の2件のISO審査の計画書を作成する。受審事業所から品質マニュアルなど順調に届けばよいが、何度言っても送ってこない会社もある。おかげでストレスが溜まることこの上ない。
 次回の計画書は一段落したので、次は審査結果報告書の2件を今月中に作成、提出が必要。なかなか俳句に専念できない。
 実はこの日記も1週間分溜めて書いている。他に伊吹嶺HPのもろもろの原稿のアップ作業があるので、なかなか自分の日記は書けない状態である。この悪循環を早く解消したいものである。(95116)

10月15日(火)
 いぶきネット句会の合評会。先月あたりからチャット参加者が急激に多くなり、参加者の発言が少ないとどうしても早く進めない。今月は進行役をしなければならないので、事前一斉メールであらかじめ発言内容をメモに残して、発言欄に貼り付けすることによりスムーズに進むことをお願いしたところ、今夜は非常に多くの発言があり、一時はチャット表示欄が輻輳するぐらい多く発言して頂いた。こんな調子で進めば今後とも順調に進むのではないか。

10月14日(月)
 名古屋句会。Mさんはまだ句会に出席できない。まだショックが残っているのだろう。早くお元気になってほしい。

10月13日(日)
 俳句鍛錬会の細部が決まったので、最後に栗田先生の依頼事項、検討事項のご説明をする。ほぼ栗田先生のご了解を得たが、先生は、各同人は指導者の立場として会員指導の必要性を強調された。そしてスケジュールはこのまま進めることとする。
 そのあといつものように近くに住んでいる孫の勉強を見に行く。こういう時の帰りはどうしても夜遅くなる。

10月11日(金)
 11月の俳句鍛錬会まであと1ヶ月半に近づいてきた。今日はこれまでの下見やメール交換の情報から、鍛錬会当日のスケジュールを細かく打合せ、各スケジュールの細部決定、担当者、準備資料などを詰める。ほぼ目途がついたので、次回は最後の内早生として発送文書の袋詰めを行うこととする。

10月8日(火)
  愛知同人句会。私は可もなく不可もなく。帰りにYさんとコーヒーでもと言っていたのに、はぐれてしまう。

10月7日(月)
 朝から雨模様であったが、せっかく御在所に来たので、ロープウエイで頂上まで行く。しかし案の定霧で10m先も見えない。少し歩いて早々に引き返す。我が家に着いたときはよい天気であったが、御在所の頂上には厚い雲が被っていた。

10月6日(日)
 御在所岳の麓に三岳寺という寺がある。今日、その寺にまつわる僧兵祭が行われたので見に行く。僧兵祭は戦国時代、織田信長に攻められたとき、勇敢に戦った僧兵の『勇気』、『忍耐』、『正義感』を伝えようと始められたのが始まりという。なぜこの祭に気づいたかというと、御在所ロープウェイの投句の中に僧兵祭を詠んだ句があったためで、選をする以上、この祭を知っておく必要があると思ったためである。祭は三岳寺から火炎神輿という神輿に火をつけたまま練り歩くもので、観光客は神輿の到着点であるロープウェイ乗り場の広場に集まりフィナーレを待っている。ピークは時間的にわずかであっという間に終わる。祭の終わりは午後10時あるので、帰るのも面倒なので、そのままホテルに泊まる。右の写真はその神輿です。


10月5日(土)
 チングルマ句会。今日はいつもの句会後、山本悦子さんの句集『白絣』の上梓のお祝い会を行う。悦子さんとのつきあいは長く、以前はよく登山にご一緒させて頂いた。今、悦子さんのご主人が病気で、日々、介護の毎日である。しかし悦子さんは決して愚痴を言わず、献身的にご主人の介護をなさっている。その中での句集上梓である。今日の出席者全員から1句鑑賞を行い、鑑賞文を悦子さんに渡す。「伊吹嶺」誌では12月号に『白絣』の特集号が組まれている。12月号が待ち遠しい。写真は今日の出席者全員



10月4日(金)
 M社のISO9001の更新審査。今回はリーダーを担当するため、あとあとの審査結果報告書の作成まで面倒を見なければならない。こんなことを書いていると、国枝は今年限りでISO審査員は引退したのではないかと言われそうである。しかしどうしても専門性を持った審査員がほしいとおだてられてつい引き受けてしまう。しかし昨年より1/3以下の仕事量に抑えるつもりである。
 今日、東員町文化協会の「広報ひばり」の10月号が届く。スタートが大幅に遅れてひやひやしたが、なんとか間に合ったようである。しかしこんなことを続けていると、いつまでたっても進歩がないだろう。今回私は「猪名部神社の訪問記」を書く。右の写真が10月号の表紙で、写真のアオバズクは猪名部神社に住みついたひな鳥。
 ちなみに「ひばり」は東員町の鳥、そして「芍薬」は東員町の花であり、「しゃくやく句会」のこの花に因んで付けた。

10月2日(水)
 伊勢神宮の式年遷宮の最大のイベントである遷御の儀が今夜行われた。もちろんTVで見るだけ。20年前と同様に、御白石持ち行事に参加した私にとって、興味のあるところである。浄闇という真っ暗闇の中、現在の正殿から、新しい正殿にご神体(八咫鏡)の引っ越しである。
 式年遷宮は20年ごとに行われるが、たったの20年ごとに正殿をすべて新築するのは、環境上問題があるのではないかとの意見もあるが、いつも環境問題を気にしている私としては、この式年遷宮は特別の意味を持っていると思う。
1.常若という精神が20年という短い建て替えを行うことだと思う。伊勢神宮のご神体を常に新たに清浄にすることが宗教上の意義があるのであろう。神宮は常に新しくあるべきという考えであろう。
2.正殿は弥生式建築様式(唯一神明造り)の伝統を永遠に伝える必要から技術伝承のためには20年という短い期間が必要なのであろう。
3.さらに神宮の古くなった正殿を初め、すべての社は摂社から次々とつないで全国の末社までに御用材を再利用することにより、廃棄するのではなく、宗教上も神宮の常若の精神を広げていくことに意義があるのだろう。
 私自身、そんな理由をつけて自分自身に納得させている。とにかくそんな難しいことは考えないで、20年に1回の儀式をよく目に焼き付けておきたい。もう20年後は私は生きていないからである。

10月1日(火)
 久しぶりの明日香吟行。いつもの「困ったときの明日香」である。今回はしゃくやく句会のうち伊吹嶺会員と4名。もう1名の予定者は残念ながら急な発熱で取りやめ。明日香は初めての方がいるので、基本コースの石舞台を入れる。そして稲淵から石舞台まで棚田コースをゆっくりと歩く。残念ながら曼珠沙華はもう終わり。ただ明日香には白曼珠沙華が多いことに改めて気づく。桑名に戻って夕食しながらの句会。とにかく初心者なので、楽しい吟行を念頭に置いて歩き、皆さんに喜んで頂いた。写真はわずかながら残っていた曼珠沙華、万葉集に出てくる飛び石(石橋)、今年の案山子コンクールでの最優秀賞。
 ちなみに石橋のその和歌は次のとおり。(94793)
  明日香川 明日も渡らむ 石橋(いしばし)の 遠き心は 思ほえぬかも  作者不詳

 


9月28日(土)  温暖化原因は「人」(IPCC第5次報告書 第1作業部会(朝日新聞他 13.9.27)
 今日、一斉に各紙ともIPCC(気候変動に関する政府間パネル)第5次報告書のうち、第1作業部会(気候システム及び気候変動に関する科学的知見の評価)が承認された。ここで結論づけているのは、「温暖化の原因は人為起源の温室効果ガスである可能性が『極めて高い』(95%以上)とこれまでで最も強い表現で指摘した。」というものである。これは前回の2007年以来6年ぶりの報告書である。報告書では、
 世界の平均気温は1880年から2012年までに0・85度上昇、海面水位は1901年から2010年までに19センチ上昇したと認定。大気中の二酸化炭素(CO2)濃度は1750年以降40%増加し、過去80万年で前例のない高さだとした。
 また将来予測では、
 20世紀後半からの温暖化については「人為影響である可能性が極めて高い」とし、前回の90%を上回る95%以上の確信度で断定した。将来の予測では、1986~2005年と比べた今世紀末の気温上昇幅を0・3~4・8度、海面の上昇は26~82センチとした。
 というもので前回以上に深刻な報告である。前回報告の時以来、世界中でCO2削減のための長期、中期目標が出されていたが、主にEUでは脱原発、自然由来によるエネルギー開発(風力、太陽光、地熱等)が進められていたが、日本はかけ声だけで進まず、そして福島原発事故以降はいつの間にか知らない振りして、自然エネルギーには関心を持たず、原発再開に舵を切っている。今後、第2作業部会、第3作業部会の報告が出されるが、それに対する政府の反応はどう出るのだろうか。監視が必要である。
 なおこれまでのIPCC報告書の結論は以下のとおりである。
 第1次報告書 1990年 「気温上昇を生じさせるだろう」
 第2次     1995年 「影響が全地球の気候に表れている」
 第3次     2001年 「可能性が高い」(66%以上)
 第4次     20007年 「可能性が非常に高い」(90%以上)
 第5次     1203年 「可能性が極めて高い」(95%以上)」


 ちなみにIPCC(気候変動に関する政府間パネル)とは気候変動枠組条約の加盟している国の政府関係者だけに限られず、各関連分野の科学者など専門家も参加しているパネルである。そしてその中には作業部会が3つあり、今回はその第1作業部会であり、今後第2,第3作業部会の報告が行われることになっている。また第1~3作業部会の作業種別は次のとおりである。
 第1作業部会  気候システム及び気候変動に関する科学的知見の評価
 第2作業部会  気候変動に対する社会経済システムや生態系の脆弱性、気候変動の影響及び適応策の評価
 第3作業部会  温室効果ガスの排出抑制及び気候変動の緩和策の評価


 この中で俳人の端くれである私としては第2作業部会の気候変動に対する「生態系の脆弱性」の結論がどう出るかに関心が大きい。
 
 このIPCC第1作業部会の報告書のニュースについては次のHPを参照して下さい。
  http://digital.asahi.com/articles/TKY201309230507.html?ref=comkiji_redirect&ref=reca(報告書総括)
  http://digital.asahi.com/articles/TKY201309270817.html?ref=comkiji_redirect&ref=reca(報告書解説)

9月26日(木)   ブラームス交響曲第2番(名フィル名曲シリーズ) 
 久しぶりの名フィル。今夜はブラームス交響曲第2番。いろいろな解説には、この2番が一番伸びやかで快活の雰囲気があるという。確かに第1楽章、第3楽章の牧歌的な主題は明るい。しかし第2番も他の交響曲と同様にブラームスらしい暗い印象を受ける。あまりにも第1交響曲の重厚さから、暗さの印象が引きずっているのだろうか。ただ第1楽章、第3楽章の牧歌的な主題はロマ音楽のジプシー的な印象は感じる。それでも第3番の第3楽章や第4番の第1楽章のような甘いメロディには及ばない。これらの印象から、第2番が暗いと感じるのであろうか。
 なお最近日記を書く暇がなく、伊吹嶺HPに書いていたためで、今日はまとめ書きしています。(94676)

9月25日(水) 丹羽康碩さんの句集『初電話』
 東員町文化協会の『広報ひばり』の最終校正。先週で全部終わったかと思ったが、日程が遅れ遅れのため、やはり見落としがある。これでやっと3日頃の東員町の各自治会長に渡せそう。と言ってもあとは印刷所に配布をお願いすることになる。
 夜、丹羽さんから頂いた句集『初電話』の感想を伊吹嶺HPの落書に書く。こちらにダブって書いても仕方ないので、【こちら】に書いてありますから、クリックして入って下さい。

9月23日(月)
 本来は、岐阜同人句会に出席すべきなのだが、10月4日の審査を控えて、審査計画書、審査チェックリストの作成が提出期限が切れているので、1日中家に閉じ籠もって、仕上げる。元々は審査のための資料、電子ツールが届くのが遅すぎるのが原因。少しは文句の言いたいところだが、我慢して作成する。結局夜遅くまでパソコンを叩き詰めで、やっと終わる。

9月22日(日)
 伊吹嶺運営委員会。ほとんどが10月20日の全国大会の進捗状況の説明。私の方からは伊吹嶺鍛錬会の準備状況を口頭で説明。
 今日、丹羽さんより句集『初電話』を頂く。いずれお礼代わりに伊吹嶺HPに感想を書いてみたい。

9月21日(土)
 東員町文化協会の広報ひばりの第2校正。スタートがあまりにも遅かったが、なんとか形になってくる。
 午前中に終わったので、午後は何となくボケーとする。昨日行った添削結果をすべて送る。あと今月のibukinet原稿が集まったので、原稿提出の準備が必要。

9月20日(金) 
 昨日のN社の暫定報告書の作成、送信。2日間留守にしていたための、句会の添削、いぶきネット句会の添削、有料添削の素案など他人のための俳句に没頭。添削も結構自分の勉強になる。
 今夜の十六夜もきれいに見える。私も写真に残したが、いろいろメルトもからも月の写真が行き交う。そのうち、いつも季節の写真を頂いている妻の恩師の写真を提供します。

9月19日(木)
 N社の品質審査。一旦仕事は辞めたはずが優柔不断のため、専門家がいないとおだてられて、リーダーを行う。今年初めての審査リーダーで緊張する。結局めずらしく2件の不適合を指摘して終わる。
 夜帰ってから空を見ると、天心に近い位置に満月が輝いている。今年は月をたっぷり見ることが出来る。写真は天心の満月と我が家で取った薄、萩、吾亦紅、ツリガネニンジンなどを飾る。
   

9月18日(水)
 しゃくやく句会。いつものように楽しくをモットーに行う。最近、会員から質問も結構出て、活発化してきた。
 句会後、急いで関のビジネスホテルに泊まる。明日は美濃市のシェルモールド(中子)製造の会社の審査を行うため。交通の便が悪いため、前泊をしなければならない。
 今夜は小望月。ホテルの窓からよく見える。

9月17日(火)
 今日は抜けるような青空。最近台風が過ぎてもすっきりとした青空が見えないことが多かったが、今日はまさに台風一過の言葉がふさわしい晴れであった。
 明日の句会の勉強資料を作っている間、もう明後日が仲秋の名月であることに気づく。それに合わせ、月のことを教材にした。今の句会メンバーは月のいろいろな呼び名の違い、十三夜の意味など知らない方ばかりであるので、まずはそこから教えることになる。(94463)

9月16日(月)
 今回の台風は、昨夜からがピークで、午前中まで雨、風が強く、正午頃から晴れてきた。昨夜は久しぶりに睡眠が浅く、朝早く目が覚め、TVをつけてところ、各地が大変だったらしい。我が家は団地の高台で、土砂崩れもないし、風も大したことがなかった。ただ東員町の旧町内は低い土地で、そばの員弁川が一時警戒水位をオーバーして、避難準備情報が出た。
 今回の台風と言い、ゲリラ豪雨と言い、今年の猛暑日記録などは明らかに温暖化による日本近海の海水温の上昇による異変であることは間違いない。今後毎年、各地で今まで経験したことのない、あるいは数十年に一回の大雨など特別警報が出るのではないか。
 昨夜の台風、午前中の大雨の間、原稿書きに集中する。

9月14日(土)
 名古屋句会。今日はMさんは息子さんが亡くなってしばらく立つが、まだ作る気にならなくて、欠席。少ない人数の句会であっという間に終わる。しかし1句ずつ感想を言い合うことにより、時間としては充実。

9月13日(金)
 毎月の定期診察。以前の人間ドックの結果が思わしくないことを報告したら、いつも言われることは「もっと痩せろ」と変わらない。ドックの異常値検診は結局人間ドックを受けた地元の病院で診て貰うことにした。
 最近診察が午前に多くなったので、午後は、明日の句会のため句材を探しに東山植物園に出かける。しかし今日も名古屋は33℃の真夏日で疲れた。わずかな距離を2~3時間かかって歩く。それでも今日の歩数は11000歩を超える。

9月12日(木)
 昨日、御在所ロープウェイの投句箱の選をしたと書いたが、その作業のうち、一番いやな仕事があった。選句結果を色紙に書いてロープウェイの山上駅に掲載するという。今まで伊吹嶺新年大会の時の短冊の染筆もいやなことだったが、色紙で12枚も書かなければならないとは知らなかった。しかし後に残しても仕方ないので、思い切って今日、一日中かかって書き上げる。結局一歩も家を出ることなく、書き続けて疲労困憊。

9月11日(水)   御在所ロープウェイの投句応募
 今年の夏から、御在所ロープウェイの山上駅、山麓駅に設置してある俳句の投句箱の選者を務めることになり、今日第1回目の選のため、御在所に出かける。3ヶ月ごとの選を行うことになっており、この夏の間は150句あまりの投句があり、最優秀賞、優秀賞、入選、子供の入選など12句を選する。大体2時間かかった。今後3ヶ月ごとに選を行うので、興味のある方は応募してみて下さい。投句は山上駅、山麓駅の投句箱に直接投句するほか、葉書でも応募出来ます。応募要領は【こちら】に書いてあります。
 なお「伊吹嶺」誌9月号の掲載した「現代俳句評」をアップしました。【こちら】をクリックして下さい。

9月10日(火)
 愛知同人句会。全く句の準備をしていなかったので、案の定さんざんな成績。ただSさんのおかげで1句救われた感じ。
 句会後久しぶりにネット部が仲間で集まって、今後のHPの執筆者の候補者の選定、次回のオフ句会、自然と親しむ吟行会などの実行案を出して頂いた。もう来年の計画をしなければならないとは、時間がどんどん過ぎていく。しかしネット仲間と話し合っていることが一番楽しい。(94290)

9月9日(月) 
 今日はどうしても診て貰いたいことがあったため、病院に出かける。結果的には全く問題なかった。
 帰ってから遅れ遅れのISO審査の審査計画書作成にかかりきり、終わったのが日付が変わっていた。明日の同人句会の句が全くない状態で出かけることになる。

9月8日(日)
 今年の11月20日~21日に愛知支部主催で、俳句鍛錬会を行うことにしているが、今日は幹事全員で吟行コース、句会場、宿泊ホテルなどの下見。特に吟行コースでは時間どおりに吟行を進ませるために、案内役の誘導場所を念入りに見る。また句会場ではコピーの可否、料金などを確認。これにより句会形式も制約を受ける。ホテルではこちらの要望どおりの部屋希望を出してお願いする。ツアー関係については元名古屋観光に勤めていたHさんがたより。
 参加希望者は当初予定より少なくなったが、丁度バス1台に最も効率よい人数になった。あとは今日の結果を基に当日の吟行弓道、句会で順などを決める必要がある。

9月7日(土)
 チングルマ句会。最近いつも全員出席で、賑わう。句の方も文法間違いが少なくなり、好ましい。毎月、勉強のため、伊吹集の4句欄を対象に1人1句鑑賞を行っているが、苦労しているようだ。私も苦労している。

9月6日(金)
 今日は綾子忌。「綾子・やすし師弟句碑」吟行会。いつものようにカメラマンに徹する。毎年同じ時期、同じ風景なので、今年の綾子忌にふさわしい句は出来ない。とにかく自分の思ったまま作るしかない。参加者は実に100名となり、大盛況。私は句碑の周辺に佇んで、次々とくるかたの次々とくる方と話し、写真を撮っているだけで時間は過ぎてしまう。
 句会は最近はやりのシール方式で一斉に選句出来るようになった。これなら選句が早く、句会が順調に進む。今日の栗田先生の特選句は、
   大いなる綾子のひとみ涼しかる       武田 稜子
 まためずらしく私の句も高点句の仲間に入れて貰う。詳しい吟行記は内田陽子さんに書いて頂き、アップさせて貰った。吟行会模様はこちら】から入って下さい。こちらに写真をたっぷりと載せてあります。

9月5日(木)
 一寸涼しくなったので、ハイキングツアーに出かける。今日の目的地は下呂市郊外の横谷峡で、飛騨川支流の馬瀨川の滝めぐり。一部登山ルートも入れた滝の周回コース。天気予報では前日の大雨が残るとのことだったが、1日中快晴で、しかも前日の増水で滝の勢いが雄大。いつものように他のメンバーはひたすら歩くだけだが、我々二人は写真を撮りながら、メモも取りながらでグループの最後尾になる。途中健脚組と平地組に分かれたので、知らない花があっても妻に聞くことが出来ない。終点の集合場所では温泉があり、ゆったりと露天風呂に浸って最高の1日。写真は滝のうちの2つとトップページには別の滝を紹介します。
 
鶏鳴の滝(滝しぶきで体中水浸し)
 
紅葉滝(秋が最高のよう)


9月4日(水)
 ISO審査員は止めたはずだが、まだ時々、専門家がいなくて、代わりの人物がいないとおだてられて、今日はN社の環境審査に駆り出される。会社は名古屋だが、工事現場確認は蟹江町で、午後から出かけたところ、現場ではまだ雨が降らず無事現場確認を終えて、N社に戻って他の案件を審査しているうちに、猛烈な雨が降ってきた。そして審査を終えて帰る時は車道はもちろん歩道まで雨があふれ、名古屋駅まで車で送って頂くことにした。ところが会社のある新栄から栄までのたった1駅区間に20分もかかり、急遽栄で降ろして貰い、栄発の高速バスで帰ることにした。まだ浸水が激しく、栄は大渋滞、そして高速道路も大渋滞で、結局自宅のバス停まで2時間もかかってしまう。とんだ1日であった。帰ってからTVを見ると同僚の2名は近鉄で帰る予定が、近鉄も関西線もストップしていて、私はまだ帰ることが出来て幸いと思うことにした。

9月3日(火)
 遅れに遅れている東員町文化協会の広報「ひばり」の編集。発行まで1ヶ月を切ったというのに、まだ原稿整理をしている状態。私はまだ今年参加したばかりであるので、静かに参加している。とりあえず私は「猪名部神社の歴史にふれて」という訪問記をまとめる。

9月1日(日)  関東大震災で亡くなった富田木歩
 今日は震災忌。と言ってももう関東大震災ははるか昔のこととなった。今では震災忌というと、3月11日がふさわしいかもしれない。古来震災忌の句はおびただしく作られてきた。ただ震災忌というと、俳人富田木歩を忘れてはならない。木歩は「石楠」の臼田亞浪に師事し、幼い頃から歩行が出来ない身でありながら、自宅で本屋を営みながら、仲間同士で俳句を作ってきた。この木歩の生涯は吉屋信子の短編集『底の抜けた柄杓-憂愁の俳人たち』の中で「墨堤に消ゆ」に書かれている。初版が昭和39年とあるから、俳句を始めたばかりの時に読んだことになる。今はアマゾンで検索しても朝日新聞社の文庫本がやっと買える程度である。もちろん私の手元にあるのも文庫本である。この小説には詳しく書かれているが、木歩は関東大震災の時、同い年の新井声風に背負われて逃げ惑ったが、隅田川の橋はどこも焼落ちて、とうとう声風と分かれて、隅田川の枕橋で焼死した。この枕橋のたもとには句碑がある。
   かそけくも喉鳴る妹よ鳳仙花   富田木歩
 木歩にはあまり有名な句はないが、以下に吉屋信子の小説などに出ている俳句を紹介します。
   
門松にひそと子遊ぶ町の月      木歩
   菓子買はぬ子のはぢらひや簾影    〃
   人に秘めて木の足焚きね暮るる秋   〃
   行く年やわれにもひとり女弟子     〃
   
涙わく眼を追ひ移す朝顔に       〃
   わが肩に蜘蛛の糸張る秋の暮     〃

 最後の句は有名な句であるが、吉屋信子は「鬼気人に迫ると有名だが、残念ながら私の好みから妄評すれば才気迸れど観念的に誇張された気がする。」と評価していないが、私は木歩の代表作と言ってよいのではないかと思う。

8月30日(金)
 ISCの審査員研修。いろいろ最新の情報に基づき、勉強。今話題になっているのがISO14001とISO9001の2015年の大改訂。まずマネジメントシステム(MS)としてのプラットフォームを共通のマネジメントの規格要求事項として定め、その上に個別システム(品質、環境)の要求事項を定めるものとされることである。まだCD(Committee Draft)の段階であるため、どんどん変わる可能性があるが、1つ前進と思われる要求事項があった。それはISO14001の要求事項で、環境方針の中にいわゆるこれまでの汚染の予防中心だったものが、「気候変動の緩和と適応、生物多様性と生態系の保護」を正式に方針の中に入れろという要求事項である。これまでは環境方針は受審事業所が決めるものであったが、例えば土木工事などを行う場合、生物多様性と生態系の保護を考えた工事をしなければならないことになる。と言うことは今まで国交省が制定していた共通仕様書もそれに即した仕様書としなければならないことになる。今まで各企業が生物多様性を考慮した工事を使用としてもまるっきりの持ち出しになっていたものが認知されて、環境に優しい工事を目指すことになる。(93965)

8月29日(木)
 広報「ひばり」の記事のうち「ひばり訪問記」執筆のため、近くにある猪名部神社を訪問する。いま全国で馬を使った神事は239個所あるというが、上げ馬神事を行っている所は北勢地区の2個所(多度神社と猪名部神社)のみである。猪名部神社の由来は天武天皇に遡るというし、上げ馬神事の歴史は800年以上前の鎌倉時代だという。こんな近くに歴史のある神事があるとは知らなかった。観光的には隣の多度神社が有名だが、こちらもそれ以上に歴史があることを知った。この訪問記は私が書く番になっているので、至急まとめる必要がある。
 なお右の写真は数年前に猪名部神社で行われた上げ馬神事の模様を撮した写真である。

8月28日(水)
 ようやく猛暑日が去って、夜は秋らしくなってきた。蝉はクマゼミ、アブラゼミに代わって、法師蝉がよく鳴き出した。ただうるさいことに夜はコオロギの他に、木立の中でアオマツムシが鳴きだした。この虫は強烈な鳴き声で、夜間工事の削岩機のような音を立てる。このアオマツムシが多くなったのも温暖化のせいである。今はコオロギが小さな声で鳴いてかわいそう。

8月27日(火)  生態系乱すアルゼンチンアリ(朝日新聞13.8.27)
 外来生物が日本の生態系を見出す原因になっている生物が多くあるが、今日の朝日新聞では、神戸あたりに在来の蟻を駆逐して、アルゼンチンアリがじわりと繁殖を始めたというものである。「1999年にポートアイランドから繁殖を始めたのが、今は神戸の繁華街・元町近くの商業地やメリケンパークで生息を確認。さらに西に約7キロ離れた須磨区の須磨海浜公園近くの船着き場や住宅地でも見つかった。またアルゼンチンアリは在来のアリより動きがすばやく、屋内に侵入して食べ物に群がったり、体をはい回って安眠が妨げられたりする」などの被害が報告されている。
 また全国的には大阪、京都、東京、神奈川など12都府県で生息が確認されているという。以下は私の推測だが、これらアルゼンチンアリが侵入しているのはいずれも外国船の入港する大規模な港からスタートしていることから、輸入に荷物に潜んでいたのが、日本に侵入したのではないか。丁度セアカゴケグモが侵入してきた経緯とよく似ているからである。
 なおアルゼンチンアリの記事は次のHPアドレスをクリックして入って下さい。
   http://digital.asahi.com/articles/OSK201308240167.html

8月26日(月)
 岐阜同人句会。今日は俳句の在庫がなくて、二の足を踏んでいたが、皆さんの良い句に出会えることを期待して出席。岐阜同人句会はこぢんまりとして、意見も自由に発言出来ることが、句会を楽しくさせている。最近は句会場の各務原に近い愛知同人の出席もあり、少しずつ出席者が増えている。

8月25日(日)  海が変 高い水温(朝日新聞13.8.25)
 久しぶりに雨が降って普通の夏らしくなる。
 今日もビオトープの研修を受ける。環境関連では、ISO審査員としての法規はよく勉強しているが、生物多様性の法規は難しくてよく分からない。同じ環境関連の法規といっても、企業経営関連と生物多様性の法規とは全然分野が違い、法規制の幅広さを今頃知る。
 今年の猛暑日続きに農業、海洋に影響を与えていることを今月の17日の日記に書いたが、今日は同じような記事が朝日新聞に掲載されていた。今日のタイトルは「北海道にクロマグロ・サンゴ白化 黒潮蛇行―シラス・イワシ不漁」というもので、海水温の上昇により、①北海道でクロマグロが捕れたり、②沖縄のサンゴの白化が深刻であるとか、③和歌山のイワシ漁が例年の半分とか、④静岡のシラスの水揚げがゼロであったりして、どこもかしこも異変だらけである。
 北海道でクロマグロが捕れるのはよさそうに思えるが、その分秋の鮭の不漁が予想されている。静岡では毎年行っているシラス祭も中止となったそうである。
 さらに今年の秋、最も恐れることは海水温の上昇による台風の巨大化であると気象庁も発言している。
 今年の猛暑続きは人間にもつらいが、海水温の上昇による異変も見過ごすことが出来ない。
 これらの朝日新聞の記事は次のHPに掲載されています。
   http://digital.asahi.com/articles/TKY201308240556.html?ref=comkiji_redirect&ref=nmail

8月24日(土)
 久しぶりに二男一家が来る。しばらく見ないうちにどの孫達も知らぬ間に成長している。今日は団地の夏祭りのため、孫達には好きなだけゲームをさせる。

8月23日(金)
 今日は「処暑」。本来は暑さも収まってくる日とあり、昔の感じでは、30℃以下が処暑と思っていたが、名古屋など各地で猛暑日を記録する。以前、この日記で冗談交じりに、「今後温暖化が進むと、処暑であっても猛暑日が来るだろう。」と書いたことがあったが、こんなに早く現実になるとは思いもしなかった。我が家では夫婦二人とももうくたくた。
 今日も広報「ひばり」の編集で、原稿依頼の確認と整理。(93804)

8月21日(水)
 しゃくやく句会。皆さん少しずつうまくなってきている。
 夜は喫茶店で広報「ひばり」の編集会議。広報委員長さんが事故で腰を強く打って、日程が大幅に遅れる。あとよほど頑張らないと発行日に間に合わない。

8月20日(火)
 受験生の孫に、今週末模擬試験があるというので、急遽勉強を見に行く。まだまだ本人に受験生の自覚がないので、今後とも面倒を見る必要がある。

8月18日(日) 
 久しぶりに伊吹嶺句会に出席。あまり久しぶりのため、句会場のビルを間違えて遅刻してしまう。そして句会の時間をお借りして、11月に行う俳句鍛錬会参加の呼びかけを行う。今のところ申込みの出足が悪く心配だ。
 夜は引き続き、カリンカ句会。今夜はこれまで最高の15名が参加。その中で5句選は厳しくてつらい。

8月17日(土)  温暖化で異変(リンゴ、サンゴ)(中日新聞13.8.17)
 今年の異常な暑さは温暖化の進行により予想はしていたものの、こんなにひどいとは思わなかった。我が家でも毎日エアコンなしでは過ごせない。
 今日の中日新聞でも予想はしていたとおり、温暖化異変が目に見える形で進んでいる。1つはリンゴが甘くなっているというもの。味をつけた段階では普通どおりであるが、暑さと、小雨で、水分が飛んで甘みが凝縮すると思っていたが、新聞ではこれを数値で証明していた。この30年間で年平均気温が1℃上昇した一方、リンゴの酸味は15%減り、糖度は5%増えたという。
 もう1つはサンゴの白化現象で、太平洋高気圧により海面水温が上昇していることから、サンゴに共生している植物プランクトン「褐虫藻」の活性が弱まって白化現象が起こる。この状態が続くことによって、サンゴの死につながる。沖縄南海上の平均海面水温は8月に平年を1℃上回ることにより、8月上旬で、海面水温が最も高かった98年と同程度の暖かさになった。この98年は大規模な白化現象が起こっており、今年もこの時と同じ状況という。サンゴの死が生態系に影響して、魚が取れなくなり、漁業や観光への影響も考えられる。
 以上の2つの記事はあくまで一部の現象であり、実際は生物にもっと悪影響を与えているに違いない。

8月16日(金)  「伊吹嶺」8月号
 今日の夕方まで、孫の面倒を見て帰えす。
 毎月、「伊吹嶺」の感想を述べようとして、ついつい時機を逸して、そのままになってしまう。丁度たった今、いぶきネット句会の合評会が終わったので、8月号の感想を述べてみたい。まず栗田主宰、河原地副主宰の句、
   師の句碑の背に青々と夏の海     やすし
   あめんばう出合ひ頭に跳ねにけり   英武

 栗田先生の句、塩田句碑の情景。句意も明解で、リズム感もよい。北陸の海は青色が濃いことはよく知っているが、改めて言われると、句の焦点が1点で、引き締まっている。
 河原地副主宰の句、1点主義で詠まれた句が好きだ。「夕涼や青き泡浮くインキ壜」などの取り合わせの句もあるが、その良さは感覚的なものがあり、個人の好みになってしまう。掲句は、「出合ひ頭に」の把握が潔い。次は秀峰集から、
   親竹と並びてそよぐ今年竹       中川幸子
   三銭の修身の本土用干         山下智子
   家人らの起き出る気配あやめ剪る   梅田 葵
   斑鳩鳴き夜明けの耳を洗ひたり    清水弓月
   消し佛灯しばし火のいろ春の宵    山 たけし

 幸子さんの句、俳句を作る半径は極めて短く、そこに精一杯詩情を探そうとなさっている。白鳥公園の竹藪と思われるが、今年竹のそよぎを親竹に負けないぐらいだとの認識に詩情がある。
 山下さんの句、この句も身辺句。戦前の主審の本を大事に残していることに驚き。「土用干」の季語が効いている。
  葵さんの句、早朝のひととき、庭のあやめを剪ることから、一日が始まる。作者にとって、朝早くあやめ剪ることが自分の時間である。「牡丹咲きあした夕べを惜しみける 綾子」のように朝の時間の大切さを感じている。
 弓月さんの句、「夜明けの耳を洗ひたり」との措辞には作者しか分からない感覚がただよっている。
 山さんの句、仏壇の明かりを消したが、まだ部屋には明かりの色が残っているように感じている。その感覚が繊細である。「春の宵」の季語が動かない。次は遠峰集から共感した句のみ抽出する。(93630)
   でぜう鍋検査の呪縛とけし夜    横森今日子
   レコードの針のざらつく昭和の日  中野一灯
   栗の花匂ひて夜の始まりぬ     渡辺慢房
   友逝けり鮎解禁を目前に      中村修一郎
   少年の白き首筋桜桃忌       内田陽子
   師と同じ畦にしやがめり杜若    栗田せつ子
   岩清水日の斑もろとも掬ひけり   熊澤和代
   空耳に夫の呼ぶ声明易し      山本悦子
   師弟句碑のまあひ深々苔青む   都合ナルミ
   ぼうたんへ吐息のごとき宵の風   矢野孝子
   呼応するかに螢火の谷に殖ゆ   巽 恵津子
   来客を待てり二度目の水を打ち  八尋樹炎


8月15日(木)
 引き続き、孫の勉強を見てやるも、今日は終戦記念日のため、正午には孫も一緒に黙祷をさせる。午後も少し勉強を続けて気分転換に南濃町の温泉に連れて行き、身体をほぐす。
 夜は自分で勉強させ、いぶきネット句会の合評会の進行役を務める。
 今日の終戦記念日の俳句については、伊吹嶺HPの落書に書く。
   亡き父の母への便り敗戦忌   やすし

8月14日(水)
 今日からお盆休み。長男一家が夕方来る。そしてそのまま受験生である孫は我が家に泊まって、16日まで受験勉強の特訓をしてほしいという。と言っても今夜は夕食後、2時間程度勉強を見てやる程度。

8月12日(月)
 旧盆も近づき、我が家の盆供養のために岐阜に出かける。お経を上げて頂く住職さんは谷汲村在住だが、ここも猛烈に暑いとか。そういえば谷汲村もいつも最高気温を記録する揖斐川町の隣であるからであろう。
 こんなに暑いと何もする気がしなく、帰る途中、例によって南濃町の温泉に入って気分をリラックスする。露天風呂に入ったり、デッキでくつろいだりすると身体のタガが外れるように気分爽快。しかし毎日こんな生活をするわけにはいかない。

8月11日(日)
 TVのNHK俳句を時々見ているが、今日の講師の小澤實氏と古川日出男氏との交流に関心を持った。以前古川氏がニューヨークで自作の小説を朗読した時に、小澤氏がこれに呼応して俳句を作ったという話題になり、その時の俳句は、「うなる だまる どなる 祈る 汗す 實」という動詞だけの俳句であった。こういう俳句もあるのかと思った。古川氏の朗読に対する感動はこのような動詞だけで古川氏の朗読を表現したところに小澤氏の誠意が見えるような気がした。

8月10日(土)
 今日も暑い1日。この暑い中、名古屋句会。皆さんも出席なさるのに頭が下がる。一生懸命作っていることが分かる。
 桑名市が最高気温39.2℃で史上最高気温を記録する。と言うことは東員町も同じ気温を記録したはず。いつまで史上最高気温に記録が続くのか。多分今後とも続くのではないか。さすがこの暑さに毎日エアコンのお世話にならないと生きていけない。(93491)

8月9日(金)
 長崎原爆の日。平和祈念式典で田上市長の平和宣言の中で「4月にジュネーブで行われたNPT(核不拡散防止条約)再検討会議の準備委員会で、核兵器の非人道性を訴える署名に賛同しなかった政府の対応は被爆国としての原点に反する。」と言い、「日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求める。」との批判は、被爆した市長として当然の発言であろう。これに対して、安倍首相の発言を期待したが、「昨年、我が国が国連総会に提出した核軍縮決議は、米国並びに英国を含む、史上最多の99カ国を共同提案国として巻き込み、圧倒的な賛成多数で採択された。」とアメリカ追従の自画自賛に終わり、議論はすれ違いのままであった。
 ということで2回の原爆平和祈念式典では、むなしさだけが残った。しかし田上市長の言葉は重い。

8月8日(木)
 連日の猛暑日で、あまりの暑さに逃げだそうと伊吹山に涼を求めに出かける。詳しくは伊吹嶺落書にも書きました。
 普通標高100m上がると気温が1℃下がるという。まさにその通りで頂上はほぼ体感気温で24℃ぐらい。また頂上には霧が時々掠めて、自然のミスト状態で涼しさこの上ない。頂上で昼食を取っている時、燕の他、アサギマダラも飛んでいるのが見えた。詳しい写真などは伊吹嶺落書の【こちら】を見て下さい。合わせて落書に掲載しなかった花を2つ載せます。
 
ハクサンフウロ
 
ルリトラノオ

 涼しい頂上から下界に下りるとやはり暑い。帰る途中の南濃町の水晶の湯という温泉に浸かって身体をほぐす。
 本当はこんなのんびりとした1日を過ごす余裕はなく、ISO審査員としての宿題である。セメント、コンクリート、石灰、石膏分野の審査ガイドラインを書かなければならない。明日には、明日にはと1日延ばしのつけが来ている。

8月6日(火)
 広島の原爆忌。広島の平和記念式典で、松井市長は、「無差別に市民の命を奪い、人生を一変させる原爆は、非人道兵器の極みであり「絶対悪」です。」と発言していたが、この一言ですべてを言い尽くしていると思う。また「この夏も、東日本では大震災や原発事故の影響に苦しみながら故郷の再生に向けた努力が続いています。復興の困難を知る広島市民は被災者の皆さんに寄り添い、応援し続けます。日本政府が国民の暮らしと安全を最優先にしたエネルギー政策を早期に構築し、実行することを強く求めます。」と発言していたことは核の恐ろしさは今なお日本を被っていることに気づかせてくれる。
 また今日の各新聞社の社説はタイトルだけを見ると、皆同じような論調に思われるが、中身を読むと少しずつ違う。その中で中日新聞の「原爆忌に考える 風立ちぬ、いざ文学よ」では峠三吉の詩集について述べているのが印象に残った。
 その他の各紙の中で産経新聞の社説だけは一切広島の原爆の日には触れないで「集団自衛権「行使」へ与党内の調整急げ」とは何と理解すればよいのか。
   ふち焦げし原爆の日の目玉焼   栗田やすし

8月3日(土)  山本悦子さん句集『白絣』
 チングルマ句会。今日、山本悦子さんから出来たての句集『白絣』を頂いた。悦子さんの喜寿祝いの出版とか。悦子さんとは登山仲間で、おつきあいは長い。とにかく登山のスタミナはすごく、私はいつも追いつくことが出来ない。またご主人の哲也さんにもお世話になっており、私の句集『鈴鹿嶺』を上梓した時、扉写真を哲也さんの写真で飾って頂いたこともある。ずいぶん昔の話であるが、奈良県の大宇陀で又兵衞桜を見に行った時、悦子さんご夫妻とばったり会ってびっくりしたことがある。後日又兵衞桜の写真を頂いた時の出来映えに驚いたことがあった。
 句集『白絣』は次の句に因んで付けられた。
   服に裁つ父の残せし白絣   悦子
 悦子さんの句集についての詳しい感想は伊吹嶺落書に書いたので、以下は好きな句を抜き書きしてみる。
   雲海の端へなだるる天の川     悦子
   天山の新雪仰ぎパオを解く
   鳥葬の俎板岩に大蜥蜴
   イグアスの瀧へ突込む岩燕
   幕営の夏炉に足せりヤクの糞
   銀漢の斜めにかかるエベレスト
   子のなくて夫より貰ふカーネーション
   金婚の旅豆飯の機内食
   梅雨寒や夫持て余す麻痺の指
   松手入済ませし家を売りに出す
   今日よりは上り海女とて荒布干す
 悦子さんはあとがきで「俳句は生活の癒やしであり、心のよすがとなっております。」と述べられている心構えが私と違う。今後ともよい句を見せてほしい。

8月2日(金)  映画「爆心 長崎の空」
 午前中は定期診察。久しぶりに血液検査したが、肝機能の一部が数値オーバー。最近は酒も飲まないし、食事も少なめで、体重が下がっているが、もっと減食せよという。
 そのまま帰るのももったいないので、午後に映画「爆心 長崎の空」を見る。今まで「黒い雨」などの広島の原爆映画は見たことがあるが、長崎原爆の映画は見たことが亡かった。原作は芥川賞作家青来有一の「爆心」。映画の内容は母を亡くした娘、娘をなくした母の2人のストーリーを並列にたどり、そこに隠れキリシタンの家系を守りつつ、被爆体験を持つ両親、の絡み合いを取り入れた重苦しい映画である。パンフレットのよれば、「たくさんの命が失われた長崎爆心地周辺のこの街で今を生きる人々が巡りあい、それぞれの過去を受け入れ、あたらしい一歩を踏みだす再生への8月9日を迎えようとしていた。」とあり、以前から是非見たいと思っていた。
 ただこういう映画は街の中心では上映されなく、東新町近くの名演小劇場という小さな映画館でしか上映しないのは残念だ。しかもあまり観客がいないこともさみしい。このHPを見ていらっしゃる方も是非見てほしい映画だ。私は2年前に長崎、キリシタンの外海などを旅行したため、特に思い入れがあるかもしれない。ちなみに映画の題字は金子兜太である。
 この映画を紹介しているHPは次のとおりです。
  http://www.bakusin-movie.com/

8月1日(木)  7月の日本の気象発表(気象庁13.8.1)
 今日から8月。7月の日本列島は異常気象続きであった。あまりの温度変化について行けない状態であったが、なんとか乗り切った。今日、気象庁からの報道資料として、7月の気象情報についての発表があった。個人的にはあまりのめまぐるしさにもう記憶にないのだが、気象庁の発表をまとめてみると、7月の特徴は次のとおりである。
 全国的に月の前半は高温、西日本では月を通してかなりの高温
 ・東北地方で大雨・長雨・日照不足
 ・山口県・島根県などで局地的な豪雨
 ・西日本、沖縄・奄美では少雨・多照

 一つ一つ読んでみると、概況は確かにそのとおりであるが、その原因としては、何も触れていない。本当は地球温暖化が複雑に絡み合って日本にはこのような影響を与えたのであろう。TVの民放局はかなり突っ込んだ解説をしているが、気象庁はこれが限度か。なお気象庁の報道発表は次のHPアドレスをクリックして下さい。(93220)
  http://www.jma.go.jp/jma/press/1308/01a/tenko1307.html

7月31日(水)
 毎年受診している町の人間ドック。いつもと同じ要領で、いつもと同じ結果が予想される。血圧、中性脂肪、黄斑変性などに駄目を押されそう。とにかく毎年受診出来、毎年同じ結果が出ること自体、良しとしなければならないと思う。しかし年々老いを感じるスピードが速くなった気がする。
 ドック終了後、いつも同じすぐ近くの阿下喜の温泉でゆったりとする。

7月30日(火)
 昨日は一日中雨で寒かったが、今日は一転して暑い。明日はさらに暑くなるという。身体の暑さ対策に戸惑うところであるが、23日にも書いたが、今盛りの蝉は律儀に気温に合わせて鳴くようだ。まず明け方からクマゼミがけたたましく鳴いて、朝寝坊したいところを無理やり起こされる。そして午後になってから、アブラゼミの鳴き声に変わる。夕方になると蜩が鳴き出すが、まだ蜩の時期には早いようだ。以前一寸寒い頃、蜩の鳴き声を聞いたが、盛んに鳴くのはもう少し気温が下がってからではないか。
 さらによく観察していると、以前、アブラゼミは夕方になってから聞いたような気がしたが、最近は午後になってすぐ聞けるようになった。そして昨日のように一寸寒いと、朝からクマゼミとアブラゼミの声がダブって聞こえる。アブラゼミも鳴き出す適温があるのだろう。

7月29日(月)  ブラームス交響曲第3番(名フィル名曲シリーズ)
 26日に引き続き、今日はブラームスの交響曲第3番。連続して名曲シリーズが何故演奏されるか考えてみると、指揮者のマーティン・ブラビンズが今年から常任指揮者に就任したが、ブラビンズはイギリス在住で名フィルの指揮の時に来名するのだろう。従って連続で指揮を執ったのだろうと勝手に推測する。
 この曲は2年半前頃にも聞いたことがあるが、今日のプログラム解説にも天崎浩二が書いているが、やはりこの第3番にもクララ・シューマンのモチーフが見え隠れしていると、ご自分の新説を述べている。この分だとまだ聞いていない第2番、第4番とも同じようにクララ・シューマンのモチーフがあると書くのだろう。私はそんなことには興味はなく、ただ楽しみたいだけである。前回聞いた時の感想にも書いたが、第3楽章が大好きでと言うより、イブ・モンタンとイングリッド・バーグマンによる映画『さようならをもう一度』に第3楽章が映画の中、全編にわたり、スクリーンミュージックとして流れていたことが思い出される。木管楽器とチェロによる甘いメロディが何とも心をなごませてくれる。映画自体は夫の不倫に悩む妻のやるせない心を描いたいかにもフランス映画らしい。
 しかしプログラム解説の天崎浩二はこの第3楽章については何も触れていない。むしろこの第3楽章こそクララ・シューマンに捧げた楽章のように思える。なんと言ってもブラームスはロベルト・シューマンが亡くなってからも片思い的にずっとクララを支援し続けてきたのが、この楽章に表れているのではないか。

7月28日(日)
 今日朝早く、伊勢から帰って2回目のビオトープの講義を受ける。(93131)

7月27日(土)  お白石持行事(内宮への川曳)
 伊勢神宮遷宮に伴うお白石持行事に参加。新聞では昨日から毎週週末の9月1日までお白石持行事が行われるとあったが、私は今日参加。お白石持ち行事には陸曳と川曳がある。20年前はおはらい町を練り歩く陸曳に参加したが、今年は楠部町の川曳に参加。ここの楠部町は内宮に元近い町内連合で、実に1600名に参加だったという。私は親戚の一人と言うことで時々曳いては写真を撮るなど気楽に参加。なんといってもこのお白石持行事の特典はまだ遷御されない段階で新しい正殿に入ることが出来、御白石を奉献することが出来ることだ。これは20年に1回しかないチャンスで、20年後の私は多分死んでいるから、これが最後の行事参加である。正殿の敷地に入った途端新しい檜の匂いに溢れており、そして御白石を1個敷地内に置くだけ。これだけでも十分な経験をしたことになる。以下の写真はほんの一部。
 
奉献団の先頭(これでも先頭から1/3)
 
やっと最後尾のお白石の曳き船
 
内宮に着いた御白石(これから配るところ)
 
新らしくなった正殿(一般の人はまだ入る
ことが出来ない。この先は撮影禁止)

7月26日(金)  ブラームス交響曲第1番(名フィル名曲シリーズ)
 今年も名フィルの定期公演会員はやめて、名曲シリーズのみを聞くことにした。今年はブラームスシリーズで、今日はその第1回目で、交響曲第1番。ブラームスの1番は何度も聴いており、第1楽章からの重厚さ、第4楽章のベートーベンを感じさせる高揚感などは以前のこの独り言日記に書いたと思うが、今日貰ったプログラムでの曲目解説には全く予想外のことが解説されていた。それは各楽章ともクララ・シューマンのモチーフに溢れているという。私はシューマンの交響曲第4番程度が有名だということは知っているが、クララ・シューマンの音楽は全く知らないので、何とも言いようがない。この解説者は天崎浩二が書いており、この新説は『ブラームス交響曲第1番』(音楽友之社) に掲載予定だという。

7月25日(木)
 毎月の「伊吹嶺」原稿、いぶきネット句会の添削、HP句会の選句、講評などすべて終わり、ようやく時間の余裕が出来、伊吹嶺賞の俳句を作り始める。毎年、参加するだけだが、一区切りを付けたい。現在はメモ書きが残っているだけで、これから俳句の形にまとめる必要がある。やはり今年も31日締切日に投句か。

7月23日(火)  地球温暖化の熱、海が吸収か(讀賣新聞13.7.23)
 東京大学大気海洋研究所の研究によると、20世紀後半から上昇していた地球全体の平均気温が、今世紀に入ってほぼ横ばいとなっているのは、海洋の深層部が熱を吸収しているためという。新聞ではさらに、
 2001~10年の地球の平均気温は、1961~90年の平均に比べ約0・5度高い。だが、2001年からの10年間の気温上昇は0・03度にとどまっている。なぜ上昇幅が小さくなっているのかはよく分かっていない。観測データを基にコンピューターで試算した結果、最近10~20年間は、海面下約700メートルよりも深い層で熱の吸収が強まっている可能性が高いことが分かったという。「約10年間隔で起きる海洋循環の変化が影響しているようだ。今後、再び気温上昇が始まる可能性が高い」と話している。
が新聞の概要だが、ただ海底での熱吸収が起きているとすると、海洋循環が止まる恐れがあると思う。それは今後10年の経過を見ないと分からないが、海底の熱吸収が本当とすれば、私の日記の7月1日に書いたこのまま温暖化に伴い、海表面と海底の温度差が小さくなるため、海洋大循環が起こらなくなり、CO2濃度は増加するは、海底循環が起こらないことによる寒冷化が起こり、訳の分からないことに陥る。なおこの新聞記事は次のHPに紹介されています。
  http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20130722-OYT1T01538.htm

 今頃の蝉は、まず朝はクマゼミのけたたましい鳴き声で目が覚める。いつも夜更かしの癖がついているので、睡眠不足勝ちになる。そしてアブラゼミは午後というより、夕方近くに遠慮がちに鳴き出す。これが恒例になっていたが、今日の夕方初めて蜩の鳴き声を聞いた。秋の蝉であるが、こちらの田舎では早めに聞くことが出来き、今年初めての鳴き声である。蜩の声を聞く頃は秋も近づく頃だが、今年はまだ梅雨前線が東北に停滞しており、偏西風の蛇行で場合によっては、東海地方も戻り梅雨があるという。蜩の鳴き声を聞いた後に梅雨が戻ってくるとは、一体どういう気候の変化か。最近、気候変動がひどくなってくると、思いもよらぬことが起きる。何でもありか。

7月22日(月)
 昨日に引き続き、岐阜同人句会に出席。先月は欠席したので、久しぶりの句会。あまり成績はよくないが刺激になる。(92988)

7月21日(日)
 今年もビオトープの勉強のため、ウィルあいちに出かけて講義を受ける。
 せっかく名古屋に出かけたので、俳句はなかったが、喫茶店で夕方まで俳句を作って、カリンカ句会に出席。案の定泥縄式に作った俳句は全然駄目。しかし今月初旬に作った1句だけは推敲して出したらまずまず。

7月20日(土)
 三重県環境学習情報センターに依頼されて、「mieエコフェア」の手伝いに出かける。今後は審査員をやめて、子供のための環境支援を行うつもりだったので、こちらが本命のボランティア。結構毎年四日市周辺から多くの親子連れが集まり盛況となる。今日は1500人ほどの参加があったという。また三重県知事の鈴木氏も挨拶に訪れ、ついでに子供達とエコソングを歌いながらのパフォーマンスをして頂いた。その様子を右の写真に紹介します。

7月19日(金)
 ISO審査員は今年で引退したが、今日、U社の審査に出かける。審査員資格の維持のためとここの会社の専門性を持った審査員がいないための理由で、かり出される。実に7ヶ月ぶりの審査である。ここの会社は毎年、7月に審査があるため、帰りに大垣駅前でいつもの水まんじゅうを買ってかえる。ここの水まんじゅうは喉ごしがよく、相変わらずおいしい。

7月17日(水)  俳句誌「濱」の終刊(朝日新聞13.7.17)
 しゃくやく句会。昨年スタートして確実に皆さん上達している。そろそろ句会だけでなく、「伊吹嶺」会員になって貰いたいものだが、なにか入会することが特別なことと考えているようだ。しかし焦らずゆっくりと勧めていきたい。
 今日の朝日新聞に大野林火創刊の「濱」が終刊となったようだ。大野林火は昭和を代表する俳人で、一時「俳句」の編集長も担当していた。同誌には野澤節子、村越化石、大串章などの俳人が育ってきた。しかしどこもそうだが、林火のあと、主宰を引き継いだ松崎鉄之介もサラリーマンを勤めながら812号まで続けたが、主宰の高齢化と若い会員の減少により、ついに終刊となった。高齢化の問題は「伊吹嶺」も安閑としているわけにはいかない。
 同じ記事の中で、飯田龍太の「雲母」を引き継いだ広瀬直人の「白露」と続いたが、広瀬直人も脳梗塞で倒れ、後継誌として、井上康明が「郭公」として引き継ぐことになった。ここも高齢化の影響で会員数も減少しているという。
 こういう現状の中で、「ホトトギス」は稲畑汀子のあとに、稲畑廣太郎が引継ぎ、創刊1400号となったのは世襲制を取ったことにより別格の存在か。

7月15日(月)  アユの感染症(中日新聞13.7.15)
 今日の中日新聞社説に「アユの感染症」の記事が掲載されていた。内容は水温の上昇とともに、海外由来の新しい病気が広がっているという。改めて外来生物がはらんでいるリスクを考える記事である。
 新聞によれば、その病名は「エドワジエラ・イクタルリ感染症」という聞いたことのない病名である。国内で始めてアユの大量死が確認されたのは、2007年のことで、昨年は長良川でも死亡魚が見つかり、被害が拡大している。食べても人体には影響がないというが、発症したアユの体力が落ちて闘争心が低下してしまうため、友釣りにはかかりにくくなるという。
 もともとは東南アジア、北米のナマズ類の病気で感染経路ははっきりしないが、温暖化により水温が上昇すると、感染しやすくなる。今後は外来種の魚などを輸入するときは、ますます細心の注意が必要であろう。問題はペットとして輸入した動物を勝手に放つことの危険性を広く知らせる方法と飼い主の自覚が必要であると思う。
 なおこの社説は次のHPに掲載されています。
   http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2013071502000093.html
 昨日の日記で、クマゼミが一斉に鳴き出すとともに、アブラゼミの声が聞けなくなったと書いたが、今日は夕立もなかったので、夕方になってようやくアブラゼミの声を聞くことが出来た。もうアブラゼミは私の町では、夕方の気温が最適になったのであろうか。アブラゼミは真夏の日中に鳴くという概念は通用しなくなったのか。

7月14日(日)
 例年、梅雨明けと同時に蟬が一斉に鳴き出すが、今年の梅雨明けが早すぎたため、蝉の声が聞こえなかった。ただ昨日、今日といきなりクマゼミの合唱で今年の猛暑が始まった。そしていつものアブラゼミは全然聞こえない。アブラゼミは最近夕方涼しくなったときに鳴き出すが、昨日、今日とスコールがあったため、まだ今年のアブラゼミの声は聞いていない。それとももうクマゼミに圧倒されてアブラゼミはいなくなってしまったのか。

7月12日(金)  猛暑日が続く理由
 連日の猛暑日。気象データを見ると、名古屋では今日で6日連続の猛暑日となっている。この記録はいつまで続くのか。私の住んでいる隣の桑名市でも昨日、今日と連続で38℃以上を記録して、桑名も全国的に知られるようになる。ということは隣町ので私の町も今日は38℃を記録している。少しは名古屋より涼しいかと思ったら、名古屋並みと言うことでここも暑い。もういい加減にしてほしい。
 TVなどによると、現在の日本の暑さはいわゆる小笠原高気圧が張り出していることは当然として、他の原因として、2つあるという。1つはチベット高気圧の暑い温度が偏西風に乗って、日本列島に下りてきて、高温化している。もう1つは現在沖縄方面まで進んだ台風の勢力が強く、台風が暑い海からの上昇気流の勢力も強くなって、丁度日本あたりで下降して、高温下をもたらしているという。このとリップルの影響で7月早々猛暑日が続いている原因である。(92835)

7月11日(木)
 伊吹嶺HPの落書で孝子さんが書いていらっしゃったが、栗田先生宅の金魚や目高が死んだという。連日の猛暑日で屋外にある水槽などはお湯のようになっていたのかもしれない。そのために金魚などが死んだと言うことなら、これも地球温暖化の影響と言うことか。ただ玄関先の金魚は北側にいたため、なんとか生きていたとのお話を聞きました。丁度先月「伊吹嶺」の「いぶきネットの四季」のために栗田先生宅の金魚を撮しておいたので、これが最後に生き残った金魚の写真と言うことになる。今では貴重な写真になった。その写真を右側に掲載します。

7月10日(水)
 仕事を辞めて、地元の東員町に関わるようになると、いろいろと仕事が舞い込む。前は文化協会の広報委員を担当することになったが、今日は御在所ロープウェイから俳句投句箱の選者を依頼された。現在の選者は地元の方で、高齢になり、外出もままならなくなったので、後任を探していたという。ここも各地の観光地と同様に、四季の年4回の応募句から選ぶことになり、入選句は御在所ロープウェイ駅に3ヶ月間展示され、次の季節に移るという。前任者は俳人協会員になられたのが、昭和50年で相当のご高齢であることが分かった。とにかく今年仕事から離れたので、何でも引き受けることにした。さしあたり夏期の募集が終わる9月に選句することが決まった。

 伊吹嶺HPの環境コーナーで、7月分として、「ほととぎす」を書いたので,興味のある方は【こちら】をクリックして入って下さい。

7月9日(火)
 愛知同人句会。今日の最高気温は37℃と言うことで出かけるのが怖いくらいだが、考えてみると、家にいても部屋の中は33℃ぐらいになることもあり、家にいるより出かけた方が涼しい。今は炎天下を歩かなくてもバス、地下街、句会場などどこも冷房で涼しい。せいぜい自宅からバス停までの数分間が猛烈に暑いだけ。この暑い中同人が53名も集まり、皆さん熱心そのもの。今日は「沖縄忌」の句が皆さんから多く頂いたが、栗田先生の問題点を指摘して貰い、早速作り替えたい。
 句会後、ネット部、鍛錬会など特に打ち合わせすることもなく、まっすぐ帰ることにしたが、丸栄の丸善書店に寄ろうと思ったら、古書展を開いていたので、ちょっと寄ったら綾子先生の句集の初版本が並んでいたが、とても全部買うことが出来ないので、1冊だけ句集『冬薔薇』を買った。買ったこととその金額を妻に言ったら、「本当に読むために買ったの?」と言われ、価値観が違うことが分かった。でもこの句集は綾子先生が第2回茅舎賞を受賞した句集だし、草田男の熱意を込めた序文があり、それで自分自身を納得させた。

7月7日(日)
 名古屋句会。中川さんが急遽欠席で、さみしい句会。しかし皆さん句会には必ず出席して、熱心だ。今日は少人数のためすぐ終わる。(92589)

7月6日(土)
 チングルマ句会。先日生駒山ハイキングに出かけたときの句を出したところ、思いがけず多くの方から採って頂いた。会員では今日もRさんがよかった。
 「伊吹嶺」7月が既に届いていたが、怠けていたためそのままにしておいたが、今日「現代俳句評」の鑑賞と「環境と俳句」のコラムを掲載します。ともにトップページの案内をクリックするか、【こちら】をクリックして入って下さい。

7月3日(水)  大西八洲雄さんの死去
 元「風」同人で、「万象」顧問の大西八洲雄さんが亡くなられたというニュースが入ってきた。大西さんとは私が始めて「風」の東京句会に出席したときで、句会では披講はいつも大西さんであった。披講の最初に発生する「大西八洲雄選・・・」という言葉今でもはっきりと記憶に残っている。その後、私が俳句を再開したとき、「万象」の皆さんとお目にかかったときに、ご一緒して懐かしく思ったものだ。私の手元には「父の日の父の書棚に酒の本 八洲雄」の色紙が今でも寝室に飾ってある。大西さんの句は、いわゆる庶民派というか、下町を舞台とした日常吟に心あたたまる句が多かった。
 最後にお会いしたときは3年前、東京で行われた「風」の会の席上ではなかったかと思う。その時は杖は使用していたもののお元気であった。たまたま現在「万象」の6月号が手元にあったので、その号に発表された句に次の句があった。
  雛飾る店のうしろは舟着場  八洲雄
でいつものように庶民の視点からの俳句である。
 右の写真は「風」の会の時の大西さん、巽さんと一緒の写真。   合掌

7月2日(火)  京都でミニオフ句会
 伊吹嶺インターネット部では、年1回は宿泊でオフ句会を行うこととしているが、今年は既に3月に行い、多くの方に参加して頂いた。さらにもっといぶきネット句会の親睦のため、今日は京都句会と合同で、ミニオフ句会を行った。
 インターネット部や京都句会では火曜日に都合がよい方も多いので今日になった。京都句会を指導している河原地さんも火曜日は大学の予定がないと言うことで、一緒に参加して頂いた。
 計画は京都のOさん、ネット部のTさんの2人で綿密な計画を立てて貰い、墨染寺、欣浄寺、石峰寺の3つの寺を回る。墨染寺は伏見大仏で有名、欣浄寺は、小野小町の元へ百夜通いをした深草少将ゆかりの寺、石峰寺は伊藤若冲の墓のある寺で、特に若冲が設計した五百羅漢が裏山にある。
 吟行模様は伊吹嶺HPの【こちら】から入って下さい。

7月1日(月)  北半球、数年後に寒冷化?(朝日新聞13.6.29)
 7月に入り、この日記も後半に入り、新しいページにした。一方、伊吹嶺HPを6月にリニューアルして、ほぼこの1ヶ月間、伊吹嶺HPにかかりきりであった。そのため私のHPはただ日記を時々まとめて書いているだけであった。

 朝日新聞にショッキングな記事が出た。このまま温暖化が続けば、数年後に地球の北半球は寒冷化するという。まさに映画「ディ・アフター・トゥモロー」の世界である。
 従来では、このままCO2増加による温暖化が進めば、海水の大循環が止まってしまうため、特に北半球で寒冷化が起こるのは遠い将来のことと考えられていた。寒冷化のしくみは本来の地球の状態であれば、メキシコ湾流が大西洋を通って、グリーランドで冷やされた結果、海流が沈み込んで、海の地底を経由して、インド洋あたりで暖められて、海流が上層部に流れる。こうして地球全体の海水の大循環によって、地球の温度がバランスが取れた状態になって、現在の状態が続くことになる。
 ところが温暖化によりグリーランドまでたどり着いた海水がいつまでも温度が高い状態が続けば、海水の潜り込みが出来ず、海水の大循環が起こらなくなる。その結果、北半球が北半球が寒冷化するという。
 これはあくまでパニック映画の世界だけの問題と考えられていたのが、本当に数年後に寒冷化するという。
 この記事は次のHPを参照して下さい。(92403)
   http://digital.asahi.com/articles/TKY201306280627.html