隆生の独り言日記(27年1月~6月)
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平成27年1月から 6月26日(金) 昨日、角川の『俳句』7月号が届いた。そこには見開き2ページのカラーページで、「結社歳時記 伊吹嶺」が掲載されており、栗田主宰はじめ35名の7月の俳句が並んでいる。そこでなんと言っても感動したのは、鈴木みや子さんの俳句も掲載されていたことだ。みや子さんは「風」愛知支部の創設以来、活躍されていた方で今の「伊吹嶺」の発展の功労者の一人であると思う。現在は投句されていないが、今なお伊吹嶺同人であることは間違いない。もうお会い出来なくなってから、何年過ぎたのだろうか。近況も分からなく心配している。 葉を打つてそばえの通る夏書きかな 鈴木みや子 6月25日(木) 名古屋城に巨大外来魚(朝日新聞2015.6.24) 昨日の朝日新聞に「名古屋城の外堀で、巨大な外来魚が問題になっている。在来種の魚や水草を大量に食べ、生態系の破壊が懸念されている。市は3年前から捕獲を試みているが、外堀は広くて隠れ場所も多く、成功していない。今年は28日、仕掛けておいた定置網を引き上げる。」とある。 名古屋城の堀は水の流入もなければ、流出もないので、一度ここの生息すると、生存競争で外来魚が多くはびこることになる。今回発見されたのは北米産のアリゲーターガーと中国産のソウギョだという。アリゲーターガーは肉食で、体長1.5mもあり、鯉を食いらしたあとがあるというし、水鳥も被害に遭っているという。一方、ソウギョは体長1mで、水草の食害で知られている。もちろんブルーギル、ブラックバス、カミツキガメなども従来から生息している。 いつか誰からか名古屋城の白鳥がブラックバスに食われたとの話を聞いたが、ひょっとしたらアリゲーターガーのせいかもしれない。いずれにしても名古屋城の堀は外来魚に満ちあふれており、日本在来の魚はほとんどいないのだろう。 なおこの朝日新聞は次のHPで読むことが出来ます。 http://digital.asahi.com/articles/ASH695KK8H69OIPE01Z.html 6月24日(水) 先日、ほととぎすを聞きに行こうとして、明日香へ出かけたが、かつてよく聞くことが出来た場所は最近あまり聞けない。仕方ないので、今日は昔よく聞けた山の辺に出かけた。昔の記憶のとおり今日はよく鳴いていた。それこそ「幾度も、続けざま」などの形容がふさわしい1日であった。ただ果たして俳句にすることが出来るかどうかが問題だ。 結局、今日の行程は黒塚古墳~崇神天皇陵~景行天皇陵~穴師の里~桧原神社~三輪駅で、15000歩、歩いたことになった。写真は一番よく聞くことが出来た三輪山の裾から穴師の里を臨んだところ。(110443) 6月22日(月) 岐阜同人句会。最近ますます絶不調。類型句を避けようとしてますます独りよがりの句になっているようだ。 6月21日(日) スマイルフェスタ in いなべ 三重県温暖化対策推進委員のメンバーの1名であるいなべ市の長田さんが「つちっこの会」を運営されている。丁度今日はいなべ市の北勢支庁舎で「スマイルフェスタinいなべ」という催しが行われる日であり、「つちっこの会」もイベント参加されるとのことでお誘いを受けた。 「スマイルフェスタinいなべ」いなべ市を中心とする活動している市民活動団体、ボランティア団体の活動発表を市民会館でブースを開いて行われるもので、40団体以上が参加していた。 そのうち「つちっこの会」は「環境のやさしい生ゴミ堆肥を作り、安全・安心な無農薬野菜を作っている活動を行っている。そして今日は「つちっこの会」の活動状況をDVDスライドショーで紹介するものである。地味な活動のせいか上映を見に来た人は少なかったが、意義ある活動であると思った。ついでにこの会で生産している野菜と生ゴミ堆肥を買うことにした。 ここは紫陽花の名所で、合わせて今日は「あじさい祭」ということで満開の紫陽花を見て帰った。 なお「つちっこの会」の紹介HPは次のとおりです。 http://e-katsu.city.inabe.mie.jp/index.php/intro/91 写真は「つちっこの会」の今日の催しのパンフレットと満開の紫陽花。 6月19日(金) クマを捕殺すべきか(朝日新聞2015.6.19) 最近、私の住んでいる近くの鈴鹿山系でクマ騒動が起こっている。丁度先月の今頃、三重県でクマを捕獲したが、GPSをつけて鈴鹿山系の滋賀県側に放獣したところ、その10日後に滋賀県で女性が襲われて怪我をした。滋賀県から猛非難を浴びて、捕殺することになった。ただ滋賀県で女性を襲ったクマはこのクマである確証はないらしい。 現在、GPSをつけたクマは三重県のいなべ市、岐阜県の海津市、上石津町などを行動しているようだ 。 そして問題をややこしくしたのが、三重県住民から一度放獣したクマを捕殺するのは違法だととし住民請求がでたりしていた。さらに昨日伊賀市長が三重県知事に「捕殺しないで。」と手紙を出したりして、当分の間、この混乱は続くようだ。 私はどの言い分が正しいか分からない。人間を襲うようになったクマの捕殺はやむ得ないかもしれないし、人間の都合で生体個数が少ない動物(クマなど)は捕殺しないで、自然界に自由にさせるべきか分からない。 ネットでいろいろ検索して見ると、実にいろいろな主張をしているのが分かる。(ある意味で無責任な発言もある。)その中で最もらしい意見を2つ書き出してみる。 山に返すということは、人間が襲われるリスクを増やすことと表裏一体のものです 「その場で死にそうになっている命を救うことよりも、その命が継続的に生きていけるための環境そのものを守ること」に重きを置く必要があります。 なお最新のクマ騒動の新聞記事は次のとおりです。(110354) http://digital.asahi.com/articles/photo/AS20150618002718.html 6月17日(水) しゃくやく句会。毎月ほとんど全員が出席で、選評後の質問も多く出るようになってきた。 しかしまだ句作の経験不足で、いろいろな俳句を読んで貰いたいが、なかなか参考となる鑑賞本も持っていないので、せめての勉強のため、『伊吹嶺季寄せ』から今月の例句を抜き書きして、説明することにしている。 6月15日(月)~16日(火) いぶきネット句会の合評会。両日とも22,3人はチャットルームに入室し、活発な発言をして頂く。最近皆さんチャットに慣れてきているのを実感する。 6月14日(日) 愛知同人句会。いつも皆さんのよい句を見ると、自分の情けなさを感じる。今日私が共感したのは次の句、 襖絵の波の端に座し鑑真忌 矢野孝子 毎年6月6日鑑真忌の前後3日間は唐招提寺の御影堂が解放されて、東山魁夷の襖絵を見ることが出来る。魁夷はこの襖絵を描くために日本各地、中国まで足を伸ばしてスケッチ旅行を行っている。このあたりの回想記として『唐招提寺への道』に詳しく書いてある。御影堂の正面の宸殿の間には『濤声』という日本各地の海岸の波が描いてある。作者はその襖絵のそばに座ってみた。それを「波の端に座し」と詠んだところがよくて頂いた。鑑真というか魁夷への思いがこもっている。 6月12日(金) ISCでの審査員研修。今年のJAB立会審査での不適合の後始末が延々と続き、今日やっと是正処置に伴う最後のグループ討議による研修。これで一連の不適合対応が終わることになった。 6月11日(金) いろいろ都合が悪い日が続き、今日が名古屋句会。帰りに名鉄百貨店で山形物産展があり、サクランボがおいしそうだと思い、買いに寄る。ところが山形の佐藤錦はめっちゃ高く、1パック、2300円でとても買う気がしない。同じ佐藤錦でも粒の大きさで味が違うという。結局は1パック、1000円の物を買う。家に帰って食べるとまずまずの味。近くのスーパーで売っている安物とは味が違った。 6月9日(火) 今日から3年ぶりに東員町文化協会の公民館講座を開講した。ただ今年から講座が有料制になり、参加人員はわずか6名。それでも貴重な6名なので、最後までたのしくやっていきたい。今日は俳句とは何かの入口だけの説明で来月から句会に入ることとした。(110196) 6月8日(月) 御在所岳俳句ingの選句。選句はたのしいが、あとの染筆が悩み。選句をしていると、御在所岳の季節がよく分かる。本来は今日あたりがシロヤシオの最後が見られる時期で、選句が終われば頂上まで行きたかったが、丁度今日から雨の梅雨入りで頂上に行くことが出来ず残念。 6月6日(土) チングルマ句会。最近、皆さんからよい句が出てきているようになった。「風」時代のメンバーもいることから、写生に忠実な句が中心となっている。そこには事柄俳句はあまり見あたらない。ただいつも気にしていることに文法問題がある。いくら俳句の中味がよくても文法的に難点がある場合はその問題箇所を指摘している。それも以前は基本的な文法間違いがあったが、最近は用法上、リズム感からの指摘が多くなっている。いつも憎まれ口を叩いているようだが、少しでも皆さんがよい句を作るように願っている。 6月4日(木) 昨日の雨と明日に雨が降る予報のため、急遽二人で明日香へほととぎすを聞きに行く。2,3年前に出かけた時にはよく鳴いており、直接木を飛び移ったのを見たことがあった。それを期待して出かけたのだが、時期が違ったのか、今日は2,3回聞いただけであった。帰りにはいつものように甘樫の丘で休憩する。すると近所の方であろうか、ここで笹百合を栽培しているボランティアの方に秘密の笹百合を見せて貰った。あまり一般に公開すると盗掘の恐れがあるので、秘密にしているらしい。しかし我々2人はそんなことをするような人物には見えなかったので、教えるとことのことである。笹百合の盛りをやや過ぎていたが、一面の群生で感動した。甘樫の丘で今頃笹百合の群生地があるとは知らなかった。 写真はその笹百合の一つ。 6月3日(水) 温室効果ガス削減目標26%に(朝日新聞等2015.6.3) 昨日、政府は「2030年度の温室効果ガス削減目標を了承した。13年度比で26%削減(05年度比25・4%減)を掲げ、具体的な対策の裏付けがあると実現可能性を強調している。」と発表した。つい3日前に書いたことだが、「日本気候リーダーズ・パートナーシップ」は1990年比30%(05年比36%)以上が望ましいとする意見書を出している。それに比べると大して相違ないように見えるが、基準年が全然違う。もともと1990年というのは大きな節目の年である。京都議定書で約束した温室効果ガス排出量6%減目標とした基準年である。今後ともこの90年を基準で議論すべきものであろう。 それが昨日政府が目標に挙げたのは13年比の26%減である。これを90年比で計算すると10.6%減に過ぎない。これなら達成の実現の可能性があるはずである。3日までに述べたように今年秋のCOP21にこの数値を持っていっても馬鹿にされるだけと思う。 なお朝日新聞記事と参考のため、節目の年における日本の温室効果ガス排出量のデータも掲載します。 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11787652.html(朝日新聞2015.6.3) http://www.env.go.jp/press/files/jp/25510.pdf(環境省の2013年温室効果ガス排出量速報値2ページ目) 6月2日(火) 七里の渡しの鳥居建て替え 今日、20年ぶりに桑名の七里の渡しの鳥居が立て替えられた。昨年、伊勢神宮の遷宮が行われ正宮の他、ほとんどのものが20年ぶりに立て替えられた。もちろん宇治橋にかかっている鳥居もそうである。 宇治橋の外側の鳥居は七里の渡しの鳥居に下げ渡される。 七里の渡しの鳥居は熱田からの東海道の上陸地でここに架かっている鳥居は「伊勢国一の鳥居」と呼ばれ、いせじをすたーとするちてんである。 伊勢路をスタートする起点の鳥居で由緒あるものである。その鳥居が宇治橋の鳥居から移されることは今回初めて知った。 そして5月31日に桑名市内でお木曳き行事が行われた。この日は運営委員会があったため、見物することが出来なかった。そして本来昨日行われる予定だった鳥居の建て替え工事が今日行われた。朝から夕方まで1日中かかって行われることだが、11時半頃出かけたときは笠木(鳥居の上にある柱を渡す木)を渡し場に下ろしたばかりだった。まだまだ時間がかかると思い、近くの諸戸庭園を散策してから戻ってくる頃は丁度昼休みなのでまだまだと思っていたところ既に組み上げられて、あとは最終仕上げを待つばかりになっていた。それでも鳥居の建て替え中を見るのはあと20年後でその頃は猛進で要るに違いないので、貴重な行事を見たことになる。写真は組み上がった鳥居です。 因みに宇治橋の内宮側の鳥居は三重の関宿の鳥居に下げ渡されるとのことである。ここは伊勢神宮に向かう東海道から参宮街道の別れ道です。 5月31日(日) 2030年の温室効果ガス目標を30%削減を「日本気候リーダーズ・パートナーシップ」(朝日新聞15.5.31) また私の日記を書くひまがなく、一週間、ブランクのまま過ぎてしまった。まとめて書くのも面倒なので、ブランクのままにしておく。 今日は伊吹嶺運営委員会。今年の全国大会、師弟句碑吟行会の日程報告、栗田先生の第2句碑建立準備が順調に続いていることなどで、伊吹嶺落書に詳しく書いたので、そちらを参照して下さい。 以前今年のCOP21に向けて2030年の温室効果ガス削減目標をどうするかを4月15日に書いたが、その後は自民党環境・温暖化対策調査会と自民党議員連で押し返しがあり、自民調査会では数値目標を出さないで欧米と遜色ない目標という恥ずかしい結論になったまで書いたことがあった。 結局その後は5月1日に日本政府として2030年の温室効果ガス削減目標を26%にすることまで譲歩した。 そして今日、 低炭素社会を目指す企業のネットワーク「日本気候リーダーズ・パートナーシップ」では改めて2030年の日本の温室効果ガス削減目標について、1990年比30%(05年比36%)以上が望ましいとする意見書を公表した。この団体は言わば企業代表みたいなもので、日本政府や自民党調査会のような目標値では、世界から日本は「気候変動問題で消極的と見なされると、低炭素技術や人材等の海外展開に悪影響を及ぼす。」という恥ずかしい目標では世界から馬鹿にされ、企業活動にも冷たい目で見られると言うことだろう。しかし一旦政府が決めたことは多分見直すことはしないだろう。COP21でさんざん恥をかかないと目が覚めないことになるのではないかと思っている。(110060) 5月23日(土) オオキンケイギク 2,3日前妻を乗せて出かけた時、員弁川沿いの道路一面に茅花とオオキンケイギクが見られた。そして茅花の咲いているところを侵略するようにオオキンケイギクが群生していた。以前からオオキンケイギクは特定外来生物であることを知っていたが、何故今頃に繁殖するようになったのか、ネット情報で調べてみた。 オオキンケイギクの花はキバナコスモスのように鮮やかな黄色の花が咲く。原産は北アメリカからの帰化植物。もともとは観賞用、緑化用に輸入されたようだ。繁殖力が旺盛なことから、以前は道路工事の覆工のための法面緑化に使用されていた。しかしこの繁殖力の強さから、カワラナデシコを始め、ツツザキヤマジノギクや、カワラニガナ、ツメレンゲ、カワラサイコなどの河川敷固有の植物が減少または消失している。さらにタコノアシやミクリなどの貴重な植物への影響も懸念されている。 このように日本の在来種への侵略、それに伴う在来種植物を食用としている動物への影響が大きく、現在では特定外来生物に指定されて、駆除を求められている。 駆除方法は根こそぎ抜いて種子が散らないようにビニール袋に入れて枯れ死させて処分させることが推奨されている。 また以前は道路工事の法面緑化のため、オオキンケイギクの種子を蒔き付けたり、特定外来種生物ではないが、アメリカ産のグリーグラスの種子を蒔き付けていた。どちらも繁殖力が旺盛で早い覆工が可能だったためだ。 しかし最近は極力在来種による播種を行っているようだ。一番理想なのは、工事前の木本類を一時移植して、工事後にまた植え付けるものである。外に法面緑化には複数の草類種子配合による種子吹きつけを行っている。もちろんこれらの種子は在来種を使用する。種子の混合は地域、季候、高度などからいろいろ選定しているようだが、一般に3種配合といわれている。 このように現在の工事では問題の起こらないような手段を取っているが、現在のオオキンケイギクの繁殖を留めることは各自治体では動きが鈍いようだ。たまたま私が見たのは茅花の繁殖しているところにオオキンケイギクが繁殖しているので、茅花が駆逐される恐れがあると勘違いしたようだ。しかしオオキンケイギクの駆逐が必要であることは間違いない。 かってのススキがセイタカアワダチソウに駆逐されるようなことは見たくない。 写真はオオキンケイギクとそばにある茅花。(109954)
5月22日(金) ISCの審査員研修。最近は今年大改訂されるISO9001とISO14001の情報が多くなってきているが、今日は今年の4月に施行された「フロン排出抑制法」の詳しい説明を受ける。主に審査員の立場で何を聞けば漏れのない審査になるか頭に描きながら三重県の地球温暖化対策課の説明を聞く。またISC内の勉強会として「秤の校正証明書から見る不確かさと合否判定基準」という高校の統計の勉強を振り返るような講義。 5月20日(水) しゃくやく句会。最近はいつも全員出席で、賑やか。大分俳句の作り方にも慣れて、皆さんよい句が並ぶ。毎月東員町の広報誌『とういん』と中日新聞三重版に3名ずつ掲載して貰うよう、葉書を出しているが、皆さんは結構知人から俳句が掲載されていることを言われて、結構やる気が出ているようだ。本当はこれをきっかけに俳句をやりたい人がもっと増えることを期待しているのだが。 句会が終わって総合文化センターの前は一面の麦畑。昨年岡崎の紫麦の存在を知ってから熟れ麦の色を気にするようになって気づいたことは、東員町にはよく見られる小麦と大麦の麦畑があること。そして畑は小麦や大麦の輪作していることや水田と畑の輪作をしていることにも気にするようになった。 総合文化センターの前は一面の大麦畑。家に帰る時によく見られるのが小麦畑。 以下の写真は小麦畑、大麦畑、そして岡崎の紫麦畑の3枚を並べました。
5月16日(土) 3年ぶりに公民館講座で俳句を教えることになった。しかし今年はわずか5名の応募。小さな東員町では俳句人口も少ないのでやむ得ないか。今日はその講師説明会だが、『広報ひばり』の校正のため欠席。あとで文化協会の事務局で説明内容を聞くことにする。 5月13日(水) 南濃町のハリヨ 今日はTさんの案内で南濃町のハリヨを見に行く。ハリヨというと醒ヶ井が有名であるが、今や醒ヶ井は純種のハリヨは見られない。何者かが人為的に北海道のイトヨを放流したため、ほとんど100%が交雑したハリヨである。今懸命に純種のハリヨの復活を目指して、活動を続けているが、なかなか難しいとのことである。 そして今日の南濃町のハリヨは純種だそうだ。中日本氷糖が自社の梅園にハリヨの保護に力を入れている。その結果ここでは純粋のハリヨが見られる。 今日見たハリヨは2個所で、1個所は自然のままの遊水池で見られた。丁度今頃は繁殖期らしく、本当に針ほどのハリヨが見られた。また親のハリヨは微かに赤みを帯びている。 もう1個所は中日本氷糖の梅園内の池を整備して、ハリヨも保護している。この会社で作っている梅酒のための梅園とのこと。今や絶滅危惧種の保護は一般に公開された個所でなく、秘密基地のようなところで企業の努力で保護を期待するしかないのだろうか。 写真は水中のハリヨを撮すことは難しいので、整備された梅園を紹介します。(109794) 5月12日(火) 明日が父が亡くなって15年過ぎる。1日早く今日、命日のお経を上げて貰う。いつも思うことだが、丁度父が亡くなった時、俳句の中断中で、父のために俳句を作ってあげることが出来なくて残念だ。せめて1年に1回は作って上げたいがうまく出来ない。今日の夕方台風が接近するので早めに岐阜から帰った。 5月11日(月) 自然と親しむ吟行会がらみで、名古屋句会が今日になってしまった。森さんは相変わらずお元気のようだが、外出がままならないようだ。またご主人はもう百歳とのこと。俳句自身はなかなか新鮮な句はないが、もっとお元気で俳句を作ってのほしい。 5月10日(日) 昨日の吟行会に引き続き、愛知同人句会。紫麦吟行の句が多く出るかと思ったが、日常吟が多かった。その中でダントツによかった句が次の句であった。 激戦地あとの 赤土というと真っ先に思い出すのは沢木先生の句集『沖縄吟遊集』の冒頭にある句である。 赤土に夏草戦闘機の迷彩 欣一 であり、宮岡計次さんの句集『赤土』も思い出す。宮岡さんの句集の題名はこの句集に例句がある訳でなく、「曽ての武蔵野の原野を象徴する焼畑の赤土である。」と述べているのみである。 たまたまナルミさんの句から、欣一先生と宮岡さんを思い出した。 5月9日(土) 自然と親しむ吟行会(紫麦、藤川宿) 今年の1月から計画、準備を続けてきた「自然と親しむ吟行会」を今日ようやく実施することが出来た。天候を心配したが、出発時には少し雨がぱらぱらしていたが、その後曇り空のまま無事吟行会を終えることが出来た。 今日の吟行会が成功したのは、地元の酔雪さんはじめ、ネット部の皆さんのご協力のお陰である。私は全員無事に吟行を終えたか、道に迷わなかったかを気にしながら、カメラマンをしながらの吟行で、俳句どころではなかった。しかし皆さんがよい俳句を作られた結果を見ると、これでよかったと思う。 今日の吟行会模様は長崎眞由美さんに書いて頂き、次のHPに掲載してあります。 http://www.ibukinet.jp/topix/15sizen/15sizenginko.html また紫麦の写真で一番よく写っているものをトップページと右に紹介します。 5月6日(水) 連休最後の日、空き時間を利用して、今までブランクだった日記を書き溜める。今回は2週間ぐらい、書かなかったので、2週間ぐらい死んでいたことになる。また明日から真面目に書こうと思うのだが、「自然と親しむ吟行会」、同人句会、父の命日の法要、『広報ひばり』の校正、公民館講座の講師説明会と目白押しに行事が続くので、また日記上では死んでいる日が続くことになるのではないか。(109656)) 5月5日(火) 御在所岳のアカヤシオ 年寄りにとって連休も良し悪し。特に公式の予定がない。いつも御在所岳俳句ingの選者をしている都合上、御在所の句材についてはある程度知っておく必要がある。御在所岳では4月中旬~5月上旬が見頃というので、快晴の今日、急に思い立って出かける。ところが今年は花が咲くのが早かったのか、今日はほとんど咲ききって、散っている木が多かった。咲いていてもまだらに咲いているのみでさみしい。 ところで三重県のレッドリストではアカヤシオは準絶滅危惧種に分類されている。ここ御在所岳周辺だけに咲いているようだ。ところが10年ぐらい前から、ニホンカモシカの獣害によりほとんどの幹が囓られ、次々と枯れている。せめて頂上付近は観光客も多いことから、ほとんどのアカヤシオ、シロヤシオに幹に金網を巻きつけてカモシカの獣害から防いでいる。 写真は比較的ましなアカヤシオ。 5月3日(日) 栗田先生宅に訪れ、「自然と親しむ吟行会」と「伊吹嶺ジュニア俳句」の進め方の打合せ。特にジュニア俳句についてはこれまでの「俳SCHOOL」を発展解消して、伊吹嶺HPと連動させていくことで了承頂いた。HPの各ページを作成するのに、時間がかかるので、しばらくは葉書だけで進めることとしたい。なるべく多くの投句を期待したいと思っている。 俳人協会でも「全国俳句大会・ジュニアの部」として力を入れているので、「伊吹嶺」でも大きく取り上げ、まだどこの結社でもやっていないインターネットと連動したものとして、どこにもないジュニア俳句としたい。 その後、孫娘の誕生祝いにちょっと寄り、あとは時間が余ったので、20年ぶりぐらいに愛知牧場に出かけた。5月連休の真っ只中のため、牧場は大混雑。写真は柵外から触れることの出来る子牛と、満開のニセアカシア。 5月2日(土) 東山植物園ビオトープ体験 ビオトープネットワーク中部主催で、東山植物園ビオトープの池で水中生物の採集体験を行い、そのお手伝いに参加。日頃は通り過ぎるだけの池だが、水中生物が結構生息している。私はほとんど付き添い役で、今日は名古屋市内の高専学生の手伝いを受けて、行う。ビオトープは東山植物園の東外れで日頃はほとんど入園者は来ない。しかし今日は親子連れの子供、特に小学低学年から幼児など。タモで池の泥を掬えばその中にはヤゴなどなど思った以上に生物が生息している。銀やんま、赤とんぼ、シオカラトンボによって、ヤゴの大きさ、形などが違うことを体験で知った貰うことが子供達の将来に何か役立つことと思う。その他、めずらしいもので、腹を上に向けて及ぶ1cmぐらいのマツモムシも見られる。また昆虫では銀やんま、各種の蝶なども採集することも出来る。 最初はこわごわして、さわることが出来なかった子供もいつの間にかヤゴを平気で手づかみすることが出来るようになる。こういう実体験が生物に対する興味を深めることになると思う。 1日3回の体験教室だが、私は午後からチングルマ句会があるため、1回だけの体験支援で帰る。 写真は池の中の泥を掬っているところ。 5月1日(金) 昨日に引き続き、『広報ひばり』の編集、校正。 4月30日(木) 午前中から『広報ひばり』の編集でページ割付などを行う。私は午前だけで失礼して、「自然と親しむ吟行会」準備の最後の打合せを行う。 最終の袋詰めなどを終え、一段落。当日の吟行ルートの確認、句会担当の確認、弁当の確認など一通り確認したので、あとは当日の天候が一番気になる。 4月28日(火)-29日(水) 毎年今頃から、蕨取りの出かけるのだが、次第に体力が落ちて、ブッシュの中に入って蕨を探すのも苦痛になってきた。かといって1年間蕨なしというのもさびしいので、蕨をついでにして、根の上高原の赤まんまロッジに宿泊して、散歩がてらの蕨取りに決めた。 丁度今日は恵那市観光協会の「とことこ恵ちゃん」のバスツアーの最後に根の上高原によるので、そこで途中下車することにより参加する。今日一番感動したのは翁草の群生に出会えたことである。オキナグサは環境省の絶滅危惧Ⅱ種に指定されている。そしてこの翁草を個人の山で保護していることにも感動した。その他、今日で会えた植物では源平花桃、山桜、芝桜、イカリソウ、ニンニンソウ、紫華鬘、タイツリソウ、レンゲショウマなどを見ることが出来た。そして根の上高原ではミツバツツジ、山桜が真っ盛りで他に、終わり近い水芭蕉、春竜胆を楽しむことが出来た。肝心の蕨はほんの袋に半分程度。 写真は咲き始めのオキナグサとミバツツジ。 4月26日(日) 春のワクワクふれあいまつり(キッズエコフェア) 毎年、5月の連休と8月の夏休みに三重県環境情報学習センター主催の「キッズエコフェア」のお手伝いに出かける。このイベントは「春のワクワクふれあいまつり」といって周辺の4施設共同で子供相手のイベントが行われる。その中で三重県環境情報学習センターでは「キッズエコエア」を行う。と言っても子供相手なので、いつものように貝殻のストラップづくり。そのついでに自分でエコ宣言を書かせるもの。写真も撮ったが、今日はHPに掲載されたものを紹介したい。 http://wakufure.sblo.jp/ 一番下の三重県環境情報学習センターの受付をしているのが私です。 4月25日(土) 5月9日に行われる「自然と親しむ吟行会」の現地下見。昨年の源兵衛川の下見の時のメンバーを絞って4名のみの下見であったので、当日の連携がいちいちだった。今日は空いている方で下見に出かける。おかげで全員の役割分担の確認、吟行ルートの決定、句会場の準備などすべて確認したので、当日は戸惑うことがないと思う。 肝心の紫麦はまだ大半が緑の穂であるが、穂先に微かな紫が見えるようになった。あと2週間後であるので、多分完全に紫になるの出なくても、2トーンカラーにはなっているだろう。 4月24日(金) 半年ぶりぐらいにISO品質審査に出かける。審査には審査員の専門性が必須となる。たまたま専門性を持っている者の都合が悪い時にお呼びがかかる。審査時に些細な点に気になることが多いが、今年は既に2015年版の大改訂が予定されているので、2015年版につながるような点について指摘とか審査記録メモを残すようにしている。 4月23日(木) 外来種貝やジビエ料理 先日の中部ビオトープネットワークの総会で頂いた外来種貝のボンビノス貝の酒蒸しを2,3日前に、そして猪肉の大和煮を今日食べた。 ボンビノス貝は1998年頃から東京湾に繁殖し始め、今では潮干刈りで多く取れているという。以前は白蛤という名前で売られていたそうだが、今は正式名のボンビノス貝として売られている。味は日本のはまぐりと浅蜊の中間ぐらいの味だそうだ。原産は主にアメリカカナダの太平洋岸に取られており、アメリカでは普通の食材として食べられているという。それが何故日本で繁殖したかというと、タンカーなどで運んできたバラスト水を東京湾で放出することにより、ボンビノス貝の稚貝も放出されたためである。我が家で食べたところ、一寸硬いものの蛤と同じ味であった。めずらしく妻も食べた。 また今日食べた猪肉はいわゆるジビエ料理として典型的なものである。猪という先入観から、結構固い肉かと思ったが、うまく料理されたのか、噛み切りやすく柔らかい印象であった。 外来種貝や猪肉などは敬遠されていることが多いが、積極的に食材として利用することにより、外来種生物の理解や猪、鹿肉などのジビエ料理として利用することが日本の生物多様性につながると思う。ちなみに三重県では結構ジビエ料理の食材が多く売られていることも知った。 4月19日(日) 俳人協会愛知支部総会。毎年新年度に行われるが、今日は雨模様のためか、いつもより出席者が少ない。今日の模様は伊吹嶺HPに書いたので、そのまま伊吹嶺HPの落書をそのまま転記します。写真は省略します。 今日は俳人協会愛知支部総会が行われました。講演は俳人協会幹事の南うみを氏でした。演題は「高野素十の写生について」です。素十と言えば、昭和初期の4S(秋桜子、素十、誓子、青畝)の一人です。最も虚子に忠実な客観写生の句を多く作りました。私の好きな句も多くあります。南先生は写生の本質は青木亮人の『その眼、俳人につき』を引用して、写生の句は、①ひねらず、②読む速度と想像の速度が同じでぶれがないこと、③一瞬の景として印象明瞭であることなどを上げ、素十の句がこれらの写生の基本に忠実なことを分かり易く説明して頂きました。 俳句大会では今年も「伊吹嶺」の皆さんの活躍に喜びました。「伊吹嶺」の方の受賞は次のとおりです。 大会賞 猿楽のたたら踏む音花の雨 石川紀子 入選賞 山笑ふ一万石の城址抱き 山下智子 〃 和菓子屋に思はぬ長居花の雨 岸本典子 受賞の皆さん、おめでとうございます。(109368) 4月17日(金) 今日もウォーキングに精を出す。昨日は帰化植物のマツバウンランの群生に驚いたが、今日は日本古来の野草、ムラサキサギゴケの群生を見る。この2つの野草はともに紫色の花で、どこでも見るのでその区別が分からなかったが、妻に教えて貰い、その違いがやっと分かった。マツバウンランは結構花の茎が長く、10数cm。ムラサキサギゴケはその名の通り苔の種類なので、地にへばりついている。しかし苔と言っても結構きれいな花を咲かせる。今日は散歩ついでに買い物にも付き合ったので、歩数は10000歩を超えた。写真はマツバウンランとムラサキサギゴケ。
4月16日(木) 運動不足のため、なるべくウォーキングをするようにしているが、時間がない。久しぶりにウォーキングしたら、桜が終わったかと思うといつの間にか麦には穂が出て、季節はもう夏になっている。そして田んぼの畦にはマツバウンランが一面に咲いている。帰化植物のせいか、伸び放題である。 夜は昨日に引き続き、いぶきネット句会の合評会。今日も20数名参加していただく。 4月15日(水) ころころ変わる温室効果ガス排出量目標(朝日新聞他) しゃくやく句会。今日は全員出席で盛り上がる。皆さんのレベルも徐々に上がってきているのが分かる。3年前に始めた公民館講座の時とは雲泥の差。 夜はいぶきネット句会の合評会。私は隔月の出席であるが、いつも20名以上の出席で、発言も活発。しかも会員の皆さんの発言が多いのが、心強い。 今年の秋、パリで開かれる国連気候変動枠組み条約の締約国会議(COP21)で、2020年以降の温暖化対策の枠組みが決められることに対処するため、4月上旬頃から、自民党では2030年の日本の温室効果ガス削減目標を議論しているようだが、いつの時点でこの日記に結論を書こうとしても、ころころ変わるので書きようがない。一応今日時点でまとめてみると、次のとおりである。 4月6直前:自民党環境・温暖化対策調査会は6日、温室効果ガス排出量を2030年時点で05年比30%以上削減する目標を打ち出すよう政府に求める提言案を議論した。 4月6日:自民党の環境・温暖化対策調査会温室効果ガスの削減目標について「2030年に05年比で30%以上」とする緊急提言に対して反対意見続出。 4月15日:自民調査会では、「欧米と遜色ない高い目標」にすべきだとする提言をまとめた。しかし具体的な数値目標は削除。 ということで「欧米と遜色ない高い目標を設定」と言いながら、数値目標は出さないという何とも不可思議な結論。それ以降の動きはまだ見えないが、このままでCOP21の臨めば世界中から叩かれることは目に見えている。 4月12日(日) 愛知同人句会。成績のよい方に選が片寄る。それだけ皆さんの選に共通して、引きつけるものがあるのだろう。 句会後、短時間でネット部で5月に行う「自然と親しむ吟行会」の打合せを短時間で行う。短時間であっても少しずつ確認事項をこなしていくことにより、確実に良い方向に向かっている。準備段階の目途は立ったので、あとは吟行当日の天候だけを心配するだけ。また5月9日頃はまだ麦秋が始まっているかどうかも気にかかる。 4月11日(土) 名古屋句会。少人数で行うため、あっという間に終わる。少人数であっても名古屋句会しか所属していないメンバーであるので、細々であるが、続けていきたい。 4月10日(金) ISCでの環境マネジメントシステムの継続研修。今年のJAB審査不適合に伴う是正処置の一環としての研修。1日中掛けて、環境マネジメントシステムの審査における不適合、観察事項の判断とその記述方法の具体例による研修。 .4月8日(水) 本居宣長記念館 東員町文化協会の『広報ひばり』の訪問記事のため、松阪市の本居宣長記念館に出かける。 宣長は医者で国学者だが、いつも敷嶋の歌がついて回る。その歌は「しき嶋のやまとごころを人とはば朝日ににほふ山ざくら花」で歌の意は「日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、その麗しさに感動する、そのような心です。」であるのだが、朝日、大和心、桜のフレーズから、昭和に入って、こくていきょかしょにいれられ、さらに特攻隊の歌に引用されるようになって、ますます国粋学者にとってうってつけの歌となってしまった。宣長の歌は一般的な日本人のこころを詠んだのでなく、宣長個人的な気持ちを詠んだだけである。 最初から話が思わぬ方向に飛んでしまったが、この日は宣長記念館の館長さんから、詳しく話を聞いた。そして一番の功績は『古事記伝』を著したことであろう。もともと『古事記』は口伝だったものを文字に残したことにより、今日でも読むことが出来る。その元として、宣長は口伝の趣旨に則って、口伝に近い読み方を『古事記伝』として読みを付け、解説本としたのである。この功績は非常に大きく、後世の学者にとって多いに役立つ本となった。記念館をゆっくり見たあとは宣長旧居の鈴屋はほとんど素通りのように通っただけである。私は句材にならないかとゆっくりしたかったのであるが、広報委員の皆さんと行動したのでやむ得ない。昼食をどうしようかと思ったところ、丁度公民館から、松阪観光センターの観光ボランティアの方とで会い、近くの自然生料理(自然薯のことだが、自然生を書いてあった。伊勢芋とはまた一寸違うとのこと)を食べることが出来た。 写真は宣長自画像(HPに使うことをに了解を得ています)と鈴屋。
4月6日(月) 岐阜の鮎が準絶滅危惧種に(朝日新聞2015.4.6) しゃくやく句会吟行。花散らしの雨が続いている谷間に入って曇ってはいたが雨は降らず、気温もまずまず。そこで大安町庁の裏を流れている宇賀川の両岸の桜を見る。丁度満開で且つ桜吹雪となっている再考の吟行日和。 あとは近くのレストランであまり宣伝されていないが、創作料理の弁当で楽しむ。今日は吟行で勉強と言うより、おいしい料理を食べるための吟行となった。 今日の朝日新聞で恐れていた記事が掲載された。記事の内容は 「岐阜市は絶滅のおそれのある野生生物の種のリスト「レッドリスト」を初めて作成し、アユを「準絶滅危惧」に選定した。・・・アユは川で産卵し、孵化(ふか)した仔魚(しぎょ)は海まで下って沿岸域で成長し、再び川を遡上(そじょう)する。その生活サイクルが、河口から5・4キロに1995年に完成した河口堰(かこうぜき)によって阻害されていると専門家は指摘する。」 準絶滅危惧種とは「野生生物としては、存続の基盤が弱く、生息環境の変化によっては、絶滅危惧に移行するという位置づけ」で、河口堰が出来てから既に予想されていたもので、鵜匠さんからも以前から激減しているのを聞いている。愛知県知事は河口堰の試験開門を主張しているのに対して、岐阜県では河口堰と鮎の減少は関係ないと主張でかみ合わない。そもそも遡れば、以前の岐阜県知事による箱物行政を続けたため、今更河口堰開門は許されることにはならないことだろう。レッドリストは数年ごとに改訂されることになっているが、次のレッドリスト発表の年にはもっと悪化しているのではないかと思う。 なおこの新聞記事は次のHPを参照して下さい。(109051) http://digital.asahi.com/articles/ASH4162FZH41OHGB012.html 4月5日(日) 中部ビオトープネットワーク総会。ビオトープネットワークに入会しながら、私自身としてなかなか活動が出来ない。せめて年1回の総会で、活動の手がかりを掴みたいものだ。この総会ではいつもくじ引きで何かしら生物多様性に関する景品が貰える。私はジビエ料理の猪肉の缶詰、外来種である東京湾で取ったホンビノスという貝の酒蒸しを貰う。1つは獣害対策としてジビエ料理を積極的に買おう、2つ目は会えた外来種生物を食べて、逆手にとって外来種駆除をしようというものである。 特に最近ジビエ料理が盛んで、三重県では多くところで買え、レストランで食べることも出来る。ただ妻はこういうものが嫌いなので、結局は私自身が食べることになる。 4月4日(土) ミツバチの大量死の原因? 米では一部新農薬の禁止、対して日本は(朝日新聞2015.4.4) チングルマ句会。先月欠席したので、久しぶりの感じ。選句時間にマイペースの人が多く、なかなか順調に進まない。本来の選評に取る時間が足りない。 以前もこの日記で書いたことが合ったと思うが、日本のみならず、世界中でミツバチの大量死伴う減少が続いているが、アメリカでは大量死の原因と疑われているネオニコチノイド系農薬の新たな使用を原則禁止にする方針を発表したとの報道だがあった。未だに完全な原因が分からないにもかかわらず、禁止に踏み切ったことは評価に値するだろう。今後の結果を知りたいものだ。 それに対して日本では逆にこれまで規制してきたネオニコチノイド系農薬のクロチアニジンの使用を緩和するという逆方向に走っている。 このクロチアニジンの使用を緩和することに対して、既に昨年の7月に朝日新聞では署名入りで次のような発言をしている。 日本はミツバチの減少との関連を認めないばかりか、食品中のクロチアニジンの残留基準緩和に動いた。住友化学の要請である。現在は食品安全委員会に差し戻され、改めてパブリックコメント中だ。 最近の日本は、経済的にマイナスになる環境政策は、世界で最後にやればいいと思っているようにしか見えない。 昨年はパブリックコメント中となっていながら、アメリカの動向が見え始めてきて、今はクロチアニジンの使用緩和に踏み切ったというのは解せない。 結局は朝日新聞の最後の発言の「日本は、経済的にマイナスになる環境政策は、世界で最後にやればいいと思っているようにしか見えない。」に他ならない。 新聞記事は今日の記事と昨年7月の記事の再掲をします。 http://digital.asahi.com/articles/ASH4422G8H44UHBI001.html(2015.4.4アメリカの禁止記事) http://digital.asahi.com/articles/ASG7L7W20G7LULBJ01H.html(2015.7.7昨年の記事) 4月2日(木) オオタカの森、生き続ける 愛知万博10年(朝日新聞2015.4.1) 愛知万博が行われた手から、もう10年過ぎてしまった。開催前まで、海上の森を潰して万博会場とすることとして、そのアタには大型住宅団地を建てる予定だった。しかし海上の森を守ることと同時頃にオオタカの営巣が発見され、ますます保護運動は大規模となり、ついに会場を青少年公園に移され、瀬戸会場は森を散策する遊歩道会場となった。 もうあれから10年過ぎたかともうと、感無量の思いがある。私のこのHPはその1年前の夏に開設したので、そろそろ11年になろうとしている。開設した頃は万博のことは全然念頭になかった。ただせっかくISO環境審査員をしている関係上、自分としても何か環境についての思いを記録として残したいとの思いであった。さらにその後の万博開催が背中を押してくれたのは確かである。 朝日新聞の記事を読んでみるとオオタカは飛来しているようであり、現在はハチクマが営巣しているようである。営巣がオオタカからハチクマに変わったのは、「森の営巣地の縄張り争いにオオタカが敗れ、ハチクマに軍配が上がっている可能性もある」と書いてあり、海上の森の生態系の頂点はハチクマのようである。 万博以降、海上の森に出かけたのは多分1回きりだと思う。そろそろ海上の森に出かけて、現在もまだ自然が守られているか確認したい。 なお新聞記事は次のHPのアドレスをクリックして下さい。(109072) http://digital.asahi.com/articles/ASH3Y4VM7H3YOIPE00D.html 4月1日(水) 自然と親しむ吟行会の吟行資料の紹介(伊吹嶺HP「環境と俳句」27年4月) 雨の1日。5月9日に行う自然と親しむ吟行会の案内ハガキを出し、伊吹嶺HPに「紫麦と藤川宿」の詳細資料を掲載する。作成したのは地元の新井酔雪さん。随分と詳しく調べられ、7ページにも及ぶものである。ここには紫麦、藤川宿、芭蕉句碑など詳細を究めている。酔雪さんに感謝。あと2回ほどの打合せと下見を行って、本番を迎えることになる。 なお酔雪さんの書いた資料を見るには、伊吹嶺HPの「環境と俳句」にある記事にPDFを参照できるページは【こちら】をクリックして下さい。 3月30日(月)-31日(火) 鳥羽(食品リサイクルモデル事業)と神島 月末で特に何もすることがないので、久しぶりに鳥羽市の神島へ出かけようと2人で決め、早速出かける。ただ最近は強行軍は疲れるので、鳥羽の温泉で1泊することにした。どうせ泊まるのなら、昨年の三重県環境情報学習センターの環境講座でゴミの取組の講演を聞いた戸田屋にすることとした。宿泊した翌朝、支配人さんに一部の設備を見せて頂いた。発生する生ゴミで有機肥料を作る「生ゴミ処理機」や料理の残菜をミンチ状に処理して、魚の養殖業者の餌として売り、新鮮な魚と交換しているのも見せて頂いた。食品リサイクルモデル事業者として鳥羽市の5社で活動しており、環境省の指定事業として活躍されている。 10時過ぎの連絡船で神島で出かける。10年以上の久しぶりの神島である。いつもと同じ八代神社、灯台、監的哨などを巡る。小さな島で距離もたいしたことないのだが、周回路のアップダウンが大きく、久しぶりに歩いたせいか、特に下りで膝ががくがくしてしまう。随分と老化したものだと感心する。 写真は戸田屋の生ゴミ処理機(支配人さんと一緒)と神島の監的哨。 3月29日(日) 絶滅危惧種のアホウドリが戦後初めて繁殖(讀賣新聞2015.3.27) 2日前の情報だが、讀賣新聞によると、小笠原諸島で、国の特別天然記念物で絶滅危惧種のアホウドリが小笠原諸島で戦後初めて繁殖したと発表されていた。アホウドリは既に絶滅危惧種に指定されており、尖閣諸島や鳥島でわずかに生息して、小笠原諸島では戦前に絶滅種に分類されていると思っていた。ところがつがいの親鳥と雛が生息しているのを発見したという。 アホウドリというと子供が小さい時、妻が「11ぴきのねことあほうどり」の童話をよく読み聞かせしていたのを記憶している。その程度の知識しかないのだが、現実として生息しているのを聞くと、この無人島を反ってしてやりたい気持ちである。 なおこの新聞記jには次のHPアドレスをクリックして下さい。 http://www.yomiuri.co.jp/eco/20150326-OYT1T50125.html?from=ycont_top_txt 3月27日(金) 毎月の定期診察。今日はうららかで気温が20℃超えるとのことで、そのまま帰るのがもったいないので、東山植物園に寄る。まだ桜は早かったが、木蓮は散る寸前。辛夷、トサミズキ、三椏、木瓜は満開。但しビオトープにある幣辛夷はほんの1,2輪咲いている程度。やはり幣辛夷は遅いのか。それでもその貴重種を見ることが出来た。いつ行っても植物園のなかでもビオトープ周辺は全然訪れる人がいない。もったいない。 また合掌家では椿祭のため、大甕に椿を活けている最中であった。 写真はわずか1輪咲いている幣辛夷と合掌家で椿を活けているところ。 3月26日(木) 今年の桜の開花は例年よりやや早いとの情報である。名古屋は既に3月21日に開花宣言をしたという。午前中、急に句友から近くの寺の枝垂れ桜が満開に近いという電話があり、急遽妻と一緒に桜を見に行く。住所は四日市市であるが、我が家より車で20分ぐらいの信明寺というお寺。枝垂れ桜でも早咲きのがあるのだろうか。ほぼ満開。ただ相当老木のようなので、少し枯れている枝もある。それでも今年初めての満開の桜を見ることが出来た。 3月25日(水) 遅ればせながら、『広報ひばり』の編集会議を行う。次は6月発行であるが、今まで何もやってこなかったので、また間際になって忙しくなりそう。今回は定例の記事の他、音楽祭、春の芸能際、春の文協祭などあまり企画を考える必要がなさそう。ただ我々が近郊の文化関係施設を見学する「ひばり訪問」は松阪市の本居宣長記念館鈴屋にする予定。 3月21日(土) 海をめぐる私たちのごみ(環境スキルアップ講座) いつも環境講座というと、三重県環境学習情報センターの講座を受講するが、今日は「地球温暖化による気候変動を感染症」と「海をめぐる私たちのごみ」の2講座。そのうち特に興味のあるものが「海のごみ問題」である。講師はNPO活動を行っている「一般社団法人JEAN」の小島あずささん。小島あずささんからこれまで25年間の活動の中から、まず日本全国各地の海のごみの写真を見せて頂く。主に中国、韓国から流れ着くごみのうち、最後に残るのはプラスチックごみである。陸から持ち込まれたごみはない。プラスチックごみは永久に分解されず環境中に残る。さらにプラスチックは劣化により微細破片となり、いわゆるマイクロプラスチックごみとなる。こうなるとどんな魚でも体内蓄積されるし、コウナゴのような小さな魚の中にまで蓄積される。これがゆくゆくは私たち人間の体内に取り込まれることになる。このマイクロプラスチックごみは近年危機感を抱くようになり、やっと平成27年度に国から調査費用の予算がついたばかりである。対策は今のところなすすべのない状態である。 このマイクロプラスチックごみについては既に私の日記の昨年(平成26年9月3日)に「プラごみ海の迷惑」として書いている。ここで私は「言わば私たちは海のプラスチックスープを飲んでいるようである。」と書いたことがあった。それ以降研究は全然進んでいないとのことである。 さらに私たち日本は海のごみは被害者でなく加害者もあると言うことを認識する必要がある。一例として北西ハワイ近くのミッドウエィ環礁に生息しているコアホウドリの死骸から大量のプラごみが出てきており、特に特定化されたものに広島産の牡蠣養殖漁具(スペーサーとしてのプラスチックパイプ)を呑み込んでいる写真を見せて貰った時は、日本としてもまだまだ規制すべきことが多いことに気づかされる。 最後に痛ましいことだが、東日本大震災の時の流出物が約133万トンがアメリカ海岸にごみとして流れ着いていることである。JEANとしてもアメリカ・オレゴン州とタイアップしてささやかだが、回収しているという。さらに「漂流物漂着通報システム」を作り上げて今後とも続けていくという。 私個人としてはただこのような現実を知るだけで残念ながら活動に加わることは出来ない。せめて今後何らかの方法で皆さんに知って貰うことの活動しか出来ない。(108873) 3月18日(水) しゃくやく句会。今日は体調の悪い方が2名欠席の中で行う。毎回何らかの勉強会をしていたが、今日は準備不足で句会のみ。いよいよ桜のシーズンが近づくにつれて、4月に桜を見る吟行会を準備することとした。満開の時期が最適だと言うことだが、まだ日程は確定できない。 3月17日(火) ここ東員町も名古屋並みに気温が20℃を超えた。来月吟行予定の吟行地とレストランをを探しに出かけたが、レストランは臨時休業、吟行地はまだ桜の蕾が小さくてまだまだ先のこと。近くの竜ヶ岳も霞でうっすらと見えたのみ。結局近くの喫茶店で昼食して帰った。 久しぶりにトップページの写真を更新しました。横浜の彼岸桜です。もう満開とは随分と東員町の気候の違いを感じた。我が家の庭ではやっと杏の花がほころんだところである。 横浜のもう1枚、山茱萸の花を右に示します。 3月16日(月) 「平和の俳句」(中日新聞) 3月10日の日記の続編となるが、現在中日新聞では「平和の俳句」を1名に掲載している。選者は金子兜太といとうせいこうである。毎日の新聞を見ると、今またかっての戦前の様相が感じられる現在、このようなテーマを続けることが重要である。1日1句でなく、毎月1回1ページ全面に1ヶ月間の「平和の俳句」も掲載されている。これらを読み通すことが出来ないくらい重いテーマの句もある。年齢層も8歳から91歳までの広がりを見せているが、圧倒的に多いのが70歳代、80歳代である。この年齢層の方は戦中体験のある方で、その経験の中で重みを持った句が多い。 毎日の句を読んでいる中で、3月1日掲載の次の句に出会った。 スキー持つ少年銃は担ぐなよ 棚橋嘉明 76 (岐阜市) 棚橋さんは私が俳句を始めた時の先輩で当時、力量のある句に惹かれていた。毎年年賀状のやり取りをしているが、俳句は年賀状の時に作るだけとのことである。なつかしい句に出会った。 なお中日新聞の「平和の俳句」は次のHPに掲載されています。 http://www.tokyo-np.co.jp/heiwanohaiku/ 3月15日(日) 東員町春の芸能祭。芸能祭の中味自身は毎年同じ内容で、心惹かれるものはない。ただ文化協会の広報委員として、ここでもいつもカメラマンを務めることになる。演目数16のすべてについてそれぞれ2,3ショットは写真に残さなければならない。1日5時間、ほとんど休憩なしで延々と写真を撮り続ける。文化協会の記録として残し、そのうち各演目を次の文化協会『ひばり』に掲載することになる。 右の写真は東員町として歴史のある「飛竜東員太鼓」の1ショットである。(108749) 3月14日(土) 名古屋句会。武山さんが亡くなられ、ますます句会メンバーが少なくなりさびしい限りである。 メンバーも少ないのであっという間に終わる。しかし残り少ないメンバーのためにも句会は続けるべきであるとの思いで毎月出かける。 3月12日(木) 原発5基廃炉(朝日新聞15.3.12) 原発が40年以上稼働しているもののうち、5基が廃止されると今日の午後のニュースにあった。具体的は 関西、九州、中国、日本原子力発電(原電)の電力4社は、運転開始から40年前後となる老朽原発計5基の廃炉を来週にも決定し、地元に説明する方針を固めた。 というものである。何を今頃という感じがするが、本音は40年以上の原発は維持費が高いと言うことではないかと考えたくなる。決して原発は安いエネルギーではないということと思う。それにしても東電は福島第1原発の4基は廃炉の道を進んでいるが、出口は見えない。そして未だに福島第2原発については廃炉とは言っていない。むしろ東電の電力系統図を見ると、新潟県柏崎刈羽原発のみならず、福島第二原発も系統図に掲載されている。これはあまり世間に公表されていないが、未だにこれらの原発は東電のベースロード電源としているに他ならない。今後の東電の動きを見ていきたい。 なお4社の5基の原発廃炉記事はは次のHPを見て下さい。 http://digital.asahi.com/articles/ASH3D04D9H3CPLFA00F.html 3月11日(水) 東日本大震災の4年目。改めて復興の遅さに行政の怠慢を感じざるを得ない。その中で被災者はどんな思いでこの日を迎えたかと思うと切ない。私は震災直後、ただ三重県にいただけで何も震災句を作ることが出来なかった。それではいけないと思い、翌年から毎年、住み慣れた仙台を訪れている。そこで少しでも被災者の身になって少しでも心が寄り添える句を作りたいと思ったが、満足な句が出来なかった。今年も仙台を訪れるかはまだ決めていないが、心逸るものがある。 兵舎めく仮設住宅梅雨寒し 隆生 眼裏に残りし瓦礫春遲々と 〃 3月10日(月) 戦争と震災の句(『俳句』3月号、他) 御在所岳俳句ingの入選者の染筆に1日かかる。 今年もまた東日本大震災の3月11日がやって来る。震災後4年過ぎてもなお復興が一向に進まない。これからTVではいろいろな特集番組が放映されるだろう。しかし長年仙台に在住していた私としても心を痛める毎日である。そして今日は東京大空襲の日で忘れてはならない日でもある。 『俳句』3月号に高野ムツオが「俳句の時空ー鳥は何処へ」と題して俳句鑑賞をしている。そのうちの一句に惹かれた。 三月十日も十一日も鳥帰る 金子兜太 東日本大震災の句であると紹介してから、この句を詳しく鑑賞している。この鑑賞のなかでも紹介しているが、「三月十日も十一日も」をどのように解釈するであるが、作られたのは2011年10月号の「海程」に掲載されている。それを私もそうであったが、高野ムツオは当初、現代俳句協会HPの「現代俳句コラム」(平成24年5月21日)の鑑賞では次のように鑑賞していた。一寸長いがその最初の鑑賞を紹介する。 私は、角川「俳句」三月号の小澤實との対談で、この句の三月十日は震災の前日、つまり、何事もなかった平常時、そして、十一日は予想だにしなかった悲劇に見舞われた日、その変転の二日を並べたものとして鑑賞した。渡り鳥にとっては、人間が平穏無事の日も大被災の日も、なんら関わり合いがない。いずれも人間以上に生きることに必死の日々なのである。そして、その必死の日々を当然の日常として生きてゆく鳥への畏敬の思いの句であると鑑賞したのである。 誠にその通りの鑑賞で私もわずか1日で平穏な日と悲劇に見舞われた日との対比が痛ましいが素晴らしい句であると思った。その後の読者の反論があったり、兜太も3月10日を東京大空襲の日を意識して作ったとある。子供の頃東京にいなかった私としては震災と空襲を対比させたものとは思わなかった。ところが2011年以前はとくに3月10日は特別な日であったのである。高野ムツオはその反論を受けてさらにこう述べている。 この三月十日は東京大空襲の日ということであった。なるほどと頷いた。そうであれば、十日、十一日は人間が引き起こした災禍の日。そうした人間世界とは関わりがなく、渡り鳥は渡り鳥として日々生きているということになる。 そして今月の『俳句』3月号ではさらに次のように述べている。 今再読すると、三月十日を平穏な日と読もうが、東京大空襲の日と読もうが、この句が開示している世界の魅力にさほど径庭がないことに気づく。なぜならどちらに読んでも、それは人間世界のことであって、渡り鳥にとっては何の関わりのない日々、他の日と変わらぬ一日に過ぎないからだ。この句の核心は人間と鳥との、その気の遠くなるような歳月の時空の対比にこそある。 と締めくくっている。深い読みに位置づけられた鑑賞である。しかしこれらを読んで私は3月10日の位置付けに重要な意味を持っていることが大事であると思った。 折しも今月の「伊吹嶺」3月号の河原地副主宰の編集後記では、私、下里美恵子さん、松井徒歩さんの3人が戦時下の句を鑑賞していると紹介して頂いた。私の句の鑑賞は別として、下里さんの「二十世紀の百人一句」では三橋敏雄の次の句を鑑賞している。 撃ち来たる弾道見えずとも低し 三橋敏雄 若くして俳壇に颯爽と登場したいわゆる戦火想望俳句であるが、さらに私が感心したのは、これだけの立派な俳歴を持ちながら、第1句集が昭和41年の『まぼろしの鱶』であり、長年温めてきたことに敬意を表したことがあった。そしてその頃俳句の先輩からこの句集を借りて全句筆写したことを思い出した。そこには東京大空襲を次のように詠んでいる。 いつせいに柱の燃ゆる都かな 三橋敏雄(昭和20年) そして加藤楸邨の5月23日の空襲での次の句も忘れ難い。 火の奥に牡丹崩るるさまを見つ 加藤楸邨(昭和20年) 敏雄の句は大景というか、東京を俯瞰して詠んでいるスケールの大きな句で、そこには人間の行為の愚かさを詠んでいる印象を受けた。一方、楸邨は実景の空襲を詠みながら、この牡丹には何も罪のない国民が業火に命を落とさざるを得なかった人間の象徴として詠んだのであろうと解釈した。 以上、たまたま『俳句』3月号と「伊吹嶺」3月号から、兜太の句の句からどんどん鑑賞が広がりすぎてしまった。 3月9日(月) 御在所岳俳句ingの選句のため、御在所ロープウエィに出かける。今回の応募は約180句、冬期を考えればまずまずの応募か。例によって最優秀賞、優秀賞、入選を入れて12名を選ぶ。選句していいる間は作者、年齢などが分からない状態で選句する。その結果を見ると、子供の枠を除くと全員が60歳以上になってしまう。選者である渡井の選句も関連しているだろうが、やはり年長者の俳句の骨格はよく出来ている。最後にロープウエィの担当者の了解を得て、1名のみ大胆な句を作っている20歳の男性を入選に入れた。その結果を見ると遠く兵庫県から来た観光客であった。今後選句には若さの視点も入れる必要性を感じた。あとは苦痛の染筆が待っている。 3月8日(日) 愛知同人句会。惨憺たる成績。 句会後、ネット部名古屋の皆さんに集まって頂き、自然と親しむ吟行会の申込み状況を確認したところ、今日現在の申込み数が60名を越えてしまった。明日は月曜日なので土日分の申込みが来るかと思うと空恐ろしい事態が来そう。場集人員は50名だったが、会場限度が60名と聞いていたので、そこまでは行かないと思っていたところ、この勢いでは70名を越えそう。そうなると絶対数的に会場はパンクしてしまう。明日は恐ろしいことが起こるような予感がする。(108605) 3月7日(土) 三重県温暖化防止対策推進員研修 今まで気付かなかったが、数年前から三重県温暖化防止対策推進条例が施行され、そのための推進員制度があることを初めて知った。早速2月に推進員の応募をしておいたが、今日はその新任推進員の研修。今年の新任は6名で三重県全体では90名任命されているという。ただ東員町には推進員はいないので、是非東員町で活動してほしいとのこと。ただどのように活動してよいものか、そのとっかかりが分からないので、そのあたりを指導して貰ったところ、桑名市に推進員の先輩がいるので、その方への連絡の中継ぎをして貰った。数日後にでもその方に会って、今後の活動の実践を聞きたいと思っている。 主な活動の中味は小中学校へ出かけ、出前講座を行うことになろう。 ISO審査員はかなりの報酬があるが、企業相手で結構ストレスが溜まる。推進員は三重県知事から任命されるが、無報酬のボランティアである。私自身年齢も相当進んだので、ボランティアの立場で地球環境対策の役に立ちたいと思っている。 3月6日(金) ぽっかり空いた自由な日。妻としゃくやく句会の1名で、徳川美術館に出かける。大学のOB会から半年ごとに無料券が届く。さらに宝善亭の昼食が10%引き。今のイベントは徳川家の雛飾り。よく晴れて吟行日和であったが、俳句が出来るかどうかは今後次第。 3月5日(木) ISO審査員研修。毎回盛り沢山の議題がある。今は今年、ISO9001(品質マネジメントシステム)とISO14001(環境マネジメントシステム)の大改訂を控えているので、この研修に重きを置いている。元々ISO14001が先行して今年の夏には国際基準が制定されるはずだったが、国際会議でたった1文字の用語の定義で大もめになって、今年の秋に両規格が制定される予定である。それまでは毎回研修があり、大きな節目を迎える。 この大幅な改訂は2000年版以降の15年ぶりである。その分我々審査員の力量も試されることになる。 3月4日(水) やっと娘の青色申告資料が完成したので、会計事務所に資料を提出。私の分もあるがこちらは要領を得ているので、10分程度で終わる。問題は娘の確定申告である。しかし限度もあるので、あとは会計事務所にお願いすることになる。 これに合わせ、その前に栗田先生宅におじゃまして、今年の自然と親しむ吟行会と今年のインターネット部の方向、計画について説明する。問題は「伊吹嶺」としてのジュニア俳句をどうするかである。 3月1日(日) ビオトープ管理士の活かし方研修会 毎年今頃行っている日本ビオトープ管理士会主催の「ビオトープ管理士の活かし方」の研修会。4つほどの講演プログラムがあったが、その中で「河童が出た」とユニークなタイトルの講演が面白かった。岐阜県垂井町岩手地区の岩手川を舞台に河童を主人公にして子供達に環境活動を考えさせる実践報告である。岩手川の清流を守るために「最近、河童が怒っているいる。」という手紙が届くことから、子供達に何故、何故を考えさせ、岩手川の生き物調査、川の清掃などをさせる。そして最終的に地元代表者、垂井町役場などの自治体、建設会社、建設コンサルタントなどを交えて自然との共生のソフト面も開発して言うものである。スタートの切り口がよいし、子供達から自治体まで巻き込んだ活動が素晴らしいと思った。 最近の自治体は環境の重要性の意義は認めてもなかなか活動まで進まない。それをここまで進めたことがまさに仲介役をしたビオトープ管理士のあるべき姿だと思った。(108443) 2月28日(土) 「伊吹嶺」インターネット部メンバーのうち、名古屋周辺の皆さん10名に集まって貰い、5月9日に予定している「自然と親しむ吟行会」の準備の打合せを行った。吟行会のスケジュール、役割分担、準備すべきものの整理などを打ち合わせた。募集人員は50名であるが、50名に留まらず、なるべく多くの方に参加して貰いたいと思う。 2月26日(木) 雷鳥を人工飼育へ(朝日新聞25.2.25夕刊) 朝日新聞に短いコラムであるが、天然記念物である雷鳥を新年度から人工飼育に入ると書いてあった。日本の雷鳥は以前は3000羽ぐらいいたというが、今では2000羽弱という。新聞記事以外の情報では、温暖化の影響により本来高山地域にいないカラス、鹿などが襲っているのも1つの原因という。人工飼育はさしあたり乗鞍岳の雷鳥から繁殖期に10個程度の卵を採取して始めるという。本来は自然環境のまま増加に転じるとよいのだが、減少傾向にあるので、人工飼育早く得ないだろう。 雷鳥の思い出と言えば、私は登山歴が浅く、50歳に初めて白馬岳に登った時、霧の中から忽然と現れて忽然と消えた幻想的な情景が記憶に残っている。その後、御岳など各所で見たと思う。登山者の目をなごませてくれる雷鳥が日常的に見えるようになるのを願っている。 雷鳥の霧より出でて霧に消ゆ 隆生 2月23日(月) 春節で爆竹、最悪レベルの大気汚染に(朝日新聞2015.2.19) このところ毎日娘の確定申告作業に追われて1日中パソコンに向かって、身動きがとれない。老化も伴って根気がなくなってきており、休憩しながらの作業のため、なかなか進まない。今日は久しぶりに岐阜へ出かけた。 岐阜同人句会。相変わらず私の成績は悪い。最近選評で全句の感想を言うのではなく、最後に疑問句など、フリートーキングの時間を入れるようになった。こうすることにより採られなかった句でもよい面が見られることや、評判のよかった句でも疑問点が出されるのでなく、有意義な時間となる。 昨日の新聞で中国の春節で行われる爆竹でPM2.5が最悪となった記事である。 最近は中国からの春節期間中の観光客が多くなり、いわゆる爆買いである。性能のよい電化製品、宝石類の他、今空気清浄機に人気があるという。理由はもちろんPM2.5が最悪なため、富裕層による対策である。 新聞によれば、春節で爆竹を鳴らすことによりPM2.5が最悪レベルに達したということである。習政権になって爆竹を規制している。特に特に昨年11月のAPECの期間中工場操業禁止などを行ったところ、青空を取り戻したという。その流れの爆竹規制であるが、北京紙「新京報」によると、「2010年に2418カ所あった販売店舗が年々減少し、今年は942カ所になった。店舗で用意された量も昨年の40万箱から今年は半分以下の15万箱になったという。」 それでも大気の状態を示す6段階評価の中で、最も深刻な「厳重汚染」の状態だったそうだ。 これからPM2.5も含んだ黄砂の時期である。迷惑千万である。 なおこの朝日新聞は次のHPをクリックして下さい。(108355) http://digital.asahi.com/articles/ASH2M4TSPH2MUHBI01H.html 2月18日(水) しゃくやく句会。今年から新たに3名が加わっていたところにさらにもう1人入会者が参加。一部「伊吹嶺」外の方もいるが、総勢13名の句会となる。これだけ大きく集まると、よい句も出てくる。 今日の入会者は相当の高齢者だが、帰りに喫茶店でその人と皆さんで喫茶店で和気あいあいと雑談をする。 今日の話で4月になったら、桜を見に吟行に出かけようとの話に発展する。 2月17日(火) 三重県で温暖化防止活動推進員を募集していることを知らなかった。数年前からこの制度が始まったらしく、もっと早く気付くべきであった。27年度の推進員を募集していることを知って、今日がその面接日であり出かける。まだどうなるか分からないが、承認されれば、今年から3年間の任期を務めることになる。これまでのISO審査員は企業相手で結構ストレスもあり、昨年からやむ得ない時のみ審査に出かけていた。 もし承認が得られれば、推進員として動きたい。これまでと違って、推進員はボランティアで収入は交通費のみである。私としては気楽な子供相手の環境出前授業などをしたい。 2月15日(日) 日中は娘の確定申告作業を続けるが、遅々として進まない。 夜はいぶきネット句会の合評会。日曜日のためか、日頃参加しない現役メンバーも参加するし、新人も1名参加。お陰で今日は25名以上の参加で賑わう。大勢のメンバーをうまく進行させていくのは大変だ。 2月14日(土) 名古屋句会。愛子さんが亡くなられて直後の句会。皆さん、追悼句を出されて思いのこもった句ばかり。 句会後、皆で武山さん宅にお悔やみに出かける。いろいろ思い出話につい長居をさせて貰う。愛子さんが秀句賞を取られたご主人の遺影が掛けられていたわずか47歳で亡くなられたとか。その後武山さんは随分と苦労されたことと思う。お子さん3人が独立されてからは名古屋句会では随分と吟行に出かけたものだ。 2月13日(金) 悲しい手紙を頂いた。名古屋句会の武山愛子さんが亡くなられた。名古屋の皆さんへは昨日届いたそうであるが、私のところには今日届いた。 愛子さんとは、私が初めて名古屋句会に入会した時から、幹事をやっていらっしゃった。名古屋句会で毎月のように吟行に出かけたこと、句集『彦星』を上梓した時、ともに校正をしたこと、秀句賞を受賞したことなどいろいろ思い出される。 秀句賞の次の句、第1回の名誉ある受賞であった。 煤逃げをとほせし夫の遺影拭く 愛子 また2月号の次の句が最後の句となるのだろうか。 星の夢覚めて見上ぐる秋の空 愛子 2月12日(水) とりあえず私の確定申告の骨格は出来上がった。あとは清書したものをプリントアウトするのみ。 今月初め頃から、一寸腰が痛いので、病院に診て貰う。結局は昨年夏に診て貰ったとおり、腰椎が少し飛び出ているのみで、別に悪くないとのこと。ただ写真でははっきりしないが、椎間板の間の軟骨が少し薄いのかもしれないとのこと。運動は多いにやってよいとのこと。(108084) 2月9日(月) 今までいやなことは1日延ばしに逃げてきたが、もう逃げられない時期に来たので、いやいや私と娘の確定申告作業に入る。とりあえず簡単な私の分を始めたが、昨年からISO審査業務は他の方では出来ない時のみ引き受けることとしていたので、わずかな入力作業しかない。あと私用と業務分担部分を整理して、多分明日には終わりそう。 2月8日(日) 愛知同人句会。新しい会場になって道に迷わないかと心配したが、なんとか会場にたどり着けた。先月沢木・細見先生のお墓に訪れたので、なんとか句にしたいと思ったが、結局はTさんと妻の句だけが採られる。私はもう一度句を練り直す必要がありそうだ。 2月7日(土) 鍵和田秞子句集『濤無限』 チングルマ句会。今月は佳句が並んだ。冬はあまり出られなくて、日常吟が多いが、それでもよい句が並ぶことは日常生活をよく見ていることになるだろう。 以前の日記を見ていたら、1月2日の毎日新聞に鍵和田秞子が句集『濤無限』で毎日芸術賞を受賞したと書いた。ネットで在庫があるかと検索したが、売り切れだったものを栗田先生にお借りして文章を書いた。そろそろ句集を返さなければならないので、忘れないうちに感想を書いておきたい。 鍵和田秞子というと、中村草田男の弟子のため、さぞかし観念的な匂いの強い句集だと思い、食わず嫌いであった。今回じっくりと読むとまるで印象が違う。非常に感銘を受けた句集である。大きなテーマは3つで、老い、震災そして戦争である。 老いと震災については次のようなあとがきがある。 「老いから逃げずに真摯に老境の思いを作品にしたいと思っている。」とか「東日本大震災は予想外の深い傷跡を心の中に残した。現在も澱のように心の底によどむものがある。」の発言から明らかである。 そして戦争の俳句が多いに気づく。これはひょっとしたら、『濤無限』に限らず以前からの特質かもしれない。 以下、老い、震災、戦争の句から4句ずつ抜き書きしてみたい。 「老い」 桜餅弱い弱いと生きてをり 枯木山いのちあるもの過去を持ち あきらめが女を老いさせ合歓の花 紅梅のおづおづと咲き未知の老 「震災」 祈るほかは無きか被災地春雪降る 地震過ぎし一湾の輝り蝶生る 夢に舞ふ幾千の蝶津波跡 地震以後の湿る胸中濃紫陽花 「戦争」 敗戦日陽に溶けさうな白木槿 被爆の絵どれも残暑の赤と黒 被爆被曝悼みをしろはなさるすべり 噴水を狂はせる風原爆忌 どれもよく読むと、必ず物が出てくる。そうすると即物具象かと思うとそうでない。作者はすべて、物に託して、自分の心情を詠んでいる。その物はある時は自分自身であったり、ある時は死者の思いを代弁したりしている。 一寸強引な引用であるが、「桜餅」「合歓の花」「紅梅」などは自分の老いをこれらの物に託している。これは前者であろう。 後者の例は震災句の「蝶」、戦争句の「白木槿」「しろはなさるすべり」であり、死者の思いを代弁しているのである。 そういう視点でこの句集を読むと、今までの食わず嫌いがまるで消えてしまった。 老いの句の中にも次のような明るい前向きな老いもあることに注目したい。 晩節の豊かなものに実南天 前世は男でありし桃を喰ふ 例句ばかりを並べたが、これらの感想は以下の鍵和田秞子の過去の発言で解けそうである。 「俳句は究極は自己表現の道である。いかに生き生きと自己を表現するか、いかに新しくあるべきかに全力をかける他はない。」につきる。 2月6日(金) 文化協会の「広報ひばり」2月号が届き、発送作業を行う。これで私が広報委員になって丁度2年が過ぎた。広報委員4名で企画から今日の発送まですべて行うことは、企画、原稿書きだけではないので、雑用部分が多い。 毎年、俳人協会発行のカレンダーを購入しているが、今月は河原地副主宰の句が掲載されている。 春寒き廊下に生徒待たせけり 河原地英武 そして何よりなつかしかったのは、今年も中山純子先生の句が掲載されていることである。 春そこに戸をしめる音あける音 中山純子 今年も掲載されていることは昨年原稿を出す時、純子先生はまだご健在であったということと思う。 この句には日常吟の中にも感性を大事にしている純子先生の姿勢が見える。擬人化として春が戸を開けたり、閉めたりするのは、いかにも気負いのない句である。 妻も時には純子先生の句を読みたいという。(107965) 2月5日(木) HPを新しいプロバイダーに移行及び くるみ割り人形全曲(名フィル名曲シリーズ) いつも「国枝隆生のホームページ」に訪問して頂き、ありがとうございます。 現在使用しているHPのサーバーであるOCNのPAGE ONが今月一杯で終了するので、今日、HPのサーバーをOCNから「さくらインターネット」に変更した。この日記がまだOCNのプロバイダーになっている場合は、次のHPアドレスをクリックして下さい。 今日からのHPは次に掲載しています。 http://kuniedatakao.sakura.ne.jp/ 夜、名フィル名曲シリーズで、くるみ割り人形全曲。人気のある曲でクラシックと言うよりむしろポピュラー音楽と言ってもよいだろう。よくCDで売られているものは抜粋版でどれも聞き慣れているが、今日は全曲。全曲で70分もかかるので、初めて聞いた曲もあった。 2月3日(火) 朝、鈴鹿連峰を見たところ、セブンマウンテンすべて晴れ渡り、急に思い立って、御在所岳の樹氷、氷瀑を見に行く。 ロープウェイ駅に着いたところ、空は晴れているが、強風のため、30分間間隔で運転中で、30分待ちで山上駅に着く。本来はそこから山頂まで歩いて行くが、山頂までの登山道は未整備のため、スノーシューを使わないと行けないとのこと。そこで初めてスキーリフトを使って山頂まで行く。山頂は静かそのもので、1組の登山客が昼食準備しているだけ。樹氷は快晴の日差しを浴びているが、すっかり凍っている。普通樹氷というと、蔵王の樹氷を連想するが、そんなに着雪しておらず、枝ごとに雪が凍っているだけ。 結局下りもリフトを使い、再度氷瀑、樹氷を見に行く。氷瀑は人工の氷の滝らしきもので、大規模ではない。しかし一応氷瀑らしき印象は受ける。 下山して帰りはホテルの日帰り温泉に浸かって癒された気持ち。露天風呂から見る冬空は雲ひとつないどこまでも青い空が続いていた。 以下の写真は樹氷と氷瀑。 2月1日(日) 温暖化でなぜ大雪か(NHKクローズアップ現代15.1.28) 伊吹嶺運営委員会。議題は多いが、これからは20周年記念事業が中心となる。今一番先行しているのが、栗田先生の第2句碑建立である。候補地は着々と進んでいるが、「伊吹嶺」としてまだオープンしていいないが、最適地に建立されると言うことだけは確信してよい。その他の20周年記念事業はほぼ15周年記念事業と同じであるが、合同句集出版が次の目玉である。 今日の模様の写真は伊吹嶺HPに掲載しているので、そちらを見てほしい。 一寸数日前のことで遅れたが、確か28日のNHKクローズアップ現代で「温暖化でなぜ大雪か」のタイトルで、興味ある内容が放送された。 その内容は温暖化の新たな脅威として、冬に大雪が襲うというものである。普通は大雪が降るのは温暖化でなくて、むしろ寒冷化ではないかという疑問が残る。 しかし数日前の放送で記憶が薄れているが、確か、温暖化でむしろ冬に爆弾低気圧で大雪が降るというものである。その理由は温暖化による日本海の海水温の上昇によるものである。海水温が上昇することにより、シベリアからの寒冷高気圧が日本海の気温上昇した水蒸気を大量に吸い込んで、これが日本列島にぶつかって、大雪をもたらすものである。今後近い将来、北海道、北陸だけでなく、大平洋側でも爆弾低気圧による大雪が襲ってくるのではないか。 日本はますます豊かな四季が薄れて、極端な酷暑と爆弾低気圧による大雪の2つの季節になってしまうのではないか。私達俳人はどのようにして四季を詠み込めばよいのだろうか。 なおこの「クローズアップ現代」の番組は次のHPをクリックして下さい。 http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3607_all.html 1月31日(土) 昨年1年間の「伊吹嶺」の秀句賞の候補作をぎりぎりになって提出。この数日間、雪嶺集、伊吹集の1年分の全作品を読むことはすごい忍耐力が要る。今回もう一度読み直してみると、最近、伊吹嶺会員も作品も随分と変わってきた印象が強い。また文法間違いや類句が気になった。(107821) 1月28日(水) 俳人協会愛知支部新年会に出席。10年ほど前に行われたとかで久しぶり。伊吹嶺から栗田主宰を入れて4名参加。当初はこんなになうとは思わず、伊吹嶺からもっと多くの参加者が出ると思ったのに。それでも会場はホテルの狭い和室宴会場のため、身動きも取れず、私達伊吹嶺メンバーだけで話し合うだけ。 帰りに4人で喫茶店に寄る。ここでやっとくつろげた。 写真は栗田先生の乾杯の挨拶。 1月26日(月) 岐阜同人句会。昨日、吟行に出かけたにもかかわらず、成績は全然駄目。やはり織り交ぜた事柄俳句のみ採られる。 帰りは皆さんまとまって車に乗せて貰って一緒に帰るとのことで、皆いなくなってしまう。わざわざ遠方から参加して頂いたIさんに申し訳ないので、私だけ一緒に喫茶店で雑談をしながら、ご一緒する。 1月25日(日) 明日の句会を控えて、句の在庫が1句もないので、しゃくやく句会の新人を誘って、岐阜の長良川界隈を吟行することにした。 もちろん我々夫婦以外は初めての吟行地で新鮮だったようだ。長良川の北岸で初めて寒鮠を取る漁を見た。長良川の鵜舟を停泊するところの岩場の下は空洞になっており、ここを棒でつつくと鮠は驚いてあらかじめ張ってある網に引っかかる。漁というほどでなく、個人的な趣味だという。面白い漁を見たものだ。一度句にしたいと思った。 途中40歳ぐらいの若者が一緒に散歩について行きたいとのことで、並んでよもやま話をしながら、歩く。事情あって、今は仕事を辞めているとかだが、ここでは書くのは遠慮したい。いつものように山下鵜匠さんの喫茶店で鵜雑炊を食べるため、案内したところ、今日は休業だという。丁度一緒に歩いてきた若者が山下鵜匠さん(純司さんの息子さん)と同級だと言うことで彼の交渉で休業のところ鵜小屋を見せて頂く。 結局は食事をすることが出来なかったので、川原町の蔵造りの喫茶店で遅い昼食を取る。 今日参加したメンバーは初めての経験で、少しは俳句作りの約に立てばと思う。 写真は寒の白鮠を捕れたところ。寒鮠らしく銀輪が光っているところが新鮮。 1月24日(土) 「俳句から時代背景を読む」(グラフィケーション1月号) 富士ゼロックスの広報誌が隔月に発行され、一度環境記事があったので、注文したところ、引き続き郵送して貰っている。 1月号に俳人中村裕氏による「俳句から時代背景を読む」の記事が興味深い。現代俳句協会発行の『昭和俳句作品年表(戦前戦中篇)』を解説しているのであるが、その中で特に昭和14年の俳句について俳句と時代背景を述べている。当時のいわゆるホトトギス俳人(中村氏は保守派と呼んでいる)と新興俳句派の俳句を比較している。17名のこの年の俳句を紹介しているが、各4人に絞って紹介する。 保守派俳人 女来と帯纏き出づる百日紅 石田波郷 手鞠唄かなしきことをうつくしく 高浜虚子 春暁や水ほとばしり瓦斯燃ゆる 中村汀女 囀りをこぼさじと抱く大樹かな 星野立子 新興俳句派 戦争とをんなはべつでありたくなし 藤木清子 昼花火見えて白しああ銃後 三橋敏雄 戦争が廊下の奥に立つていた 渡辺白泉 闇ふかく兵どどと著きどどとつく 片山桃史 これらを見ると明らかである。中村裕氏はこの昭和14年は治安維持法が制定された年で、特殊な年であったことに注目して、このような時代に、「新興俳句派ははっきりと戦争の影を落とした俳句を作っている。一方、ホトトギスなどの保守派は新興俳句運動に対抗して奮起して、いい作品が作られている。しかしこれらの俳句からは時代背景は一切見えない。平時と何も変わらない。星野立子が詠んだ〈うつくしき緑走れり夏料理〉は食糧難の昭和19年に平然と作られていることに注目すべきである。」と言っている。 さらに中村氏は「渡辺白泉たちのように詩的想像力を働かせ、大局を見ようとしないかぎり、その年が雪崩を打つように戦争へ向かっている年だということは認識し得ないのだ。」と書き、結びとして「今の俳句関係の出版物などを見ても、当時とそっくり同じだと思わざるを得ない。事態は思ったより深刻で、のんびりと高をくくっている場合ではないのに。」と発言している。 要は現在の状況は治安維持法が制定された14年と全く同じ状況だと言うことが一番言いたいことなのであろう。一強他弱の政治の現状を見ると、どんどん深みにはまっていくのだろう。(107672) 1月23日(金) 「広報ひばり」の最終稿が届き、午前中に最終チェックを行い、これで校了。あとは2月に入って発送作業。のんびりした広報委員であるが、企画から原稿依頼、電子データでの打ち込み、ページ割付、校正、発送とすべてを行うので、「伊吹嶺」誌ほど組織だった作業ではない。 1月22日(木) 今世紀末に川の水半減(讀賣新聞2015.1.21夜) やっと今月のibukinet原稿が集まり、編集部に送る。掲載は3月号であるが、今年の自然と親しむ吟行会案内を掲載する予定である。 ところで昨夜の讀賣新聞デジタル版で「今世紀末に川の水半減」の記事が出た。内容は 環境省の専門家委員会では20日に地球温暖化の影響で、今世紀末には東北や北陸地方の河川水量が、田植え時期に半減するなどとの将来予測をまとめた初の報告書案を公表されたものである。 前々から恐れていたことが現実となって予想されたことは日本農業の危機である。元々日本は奈良時代から、「豊葦原」の国であるといわれてきたように、蘆が生い茂っている湿原が多く、日本の美称として言われるほどである。それが里山を中心とした乱開発や温暖化の影響である。将来、農業のかなめである米作は紀行、水を考えると、北海道が豊葦原になるしかないようである。私もこの日記で書き続けても、、蟷螂の斧しかならない。 なお讀賣新聞の記事は抄録版であるが、次のHPを見て下さい。 http://www.yomiuri.co.jp/eco/20150120-OYT1T50077.html?from=ycont_top_txt 1月21日(水) しゃくやく句会。例年どおり新年と言うことで中華料理店で昼食とビンゴゲームをして楽しむ。最近は皆さんとの気心もすっかり分かり、全員打ち解けている。 句会は今月から会員が3名増えて(但し1名は名古屋市在住の方で欠席投句)、賑やかになった。しかし全くの初めての方ばかりで初歩の初歩から指導することになる。写生とか即物具象とかでなく、まず俳句とは何かから指導する必要がある。また会員の順送りで、東員町の広報誌と中日新聞三重版に掲載を依頼しているが、皆さん、掲載されると、結構近所の方から話題にして頂けるとか、喜んでいる会員もいて楽しいことだ。 1月19日(月) 今日午前中かかって、また1週間分の日記を書き溜めする。本来日記はその日のうちに書くべきものだが、いつものように1週間ぐらいは死んでいる。まだいぶきネット句会の添削が残っているが、午後からは本格的に伊吹嶺記事を書くことに専念したい。 数日前、妻の恩師から数枚の写真が届いた。恩師の友人がパリ在住で、イスラム風刺新聞社へのテロから、、フランス全土に広がったデモの様子の写真を撮したもので、緊迫感に溢れている。フランスを初め、全ヨーロッパ、アメリカなどでも政府主導の抗議デモが起きているが、日本政府の何と鈍い反応ことか。積極的平和主義とはこういうことか。何か違うような気がする。(107555) 1月18日(日) 岐阜支部新年俳句大会 一連の新年俳句大会は今日の岐阜支部が最後。栗田先生は静岡支部に出かけられ、岐阜には河原地副主宰に出席して頂く。ささやかな24名の大会であったが、リラックスした雰囲気で進められる。ただ名古屋同人からも3名の参加を得てありがたいことである。 副主宰の挨拶で「伊吹嶺」入会のきっかけから話され、今でも毎日5句を作っておられるとのこと。忙しい本業の中で俳句にも専念されている様子がよく分かる。 岐阜支部の大会模様は【こちら】をクリックして下さい。 1月17日(土) 愛知支部新年俳句大会 愛知支部新年俳句大会。総勢150名を越える盛況。講演は名古屋大学名誉教授の田島毓堂先生。テーマは暦についてお話しだったが、結構俳句の知識として役立ちそうな内容だった。旧暦は太陽太陰暦であることは知っていたが、昔は農事にこれだけ密接なかかわり合いがあったことを知ったことから、もっと俳句でも暦に興味を持つべきだと思った。あとの懇親会でもお聞きしたが、二十四節気は日本人になじみのある節気であるが、さらに七十二候はどうかとお聞きしたところ、そこまでは研究されてなかったとこと。 俳句大会ではしゃくやく句会全員が入選できたことは喜びたい。 なお大会模様は長崎眞由美さんに書いて頂いたので、詳しい内容、写真は【こちら】をクリックして下さい。右の写真は今日出席したしゃくやく句会メンバー。 大会後にネット部名古屋の皆さんに集まって頂いて、5月に行う「自然と親しむ吟行会」の打合せ。今回は準備期間が短いので、気合いを入れなければならないが、一度吟行した場所であるので、なんとかなりそう。「伊吹嶺」3月号に案内記事を出す予定。 1月16日(金) 2月号の「広報ひばり」の校正作業。今回は順調に進んだと思ったが、結局はぎりぎりになる。もう1回ぐらい再校を行えば済みそう。 1月15日(木) いつも定期診察で名古屋へ出かける。血圧は可もなく不可もなし。 ついでに終活処理として、1つの銀行の口座廃止に寄る。この銀行は一体いつ口座開設したか忘れてしまったが、それでも今日は為替レートが117円後半だったので、このレートで廃止してよかったと思う。 1月13日(火)ー14日(水) 関東支部新年俳句大会 今日から2日間、関東支部新年俳句大会に参加するために出かける。昨年は私の句会と重なったため、欠席したが、今年は皆さんに会いたくて、参加。 大会は夜なので、その前にくみ子さんのご了解を得て、沢木・細見先生のお墓参りに出かける。お墓の前に手を合わせたら、何か両先生からお声が聞こえるかと思ったが、何もおっしゃっらなかった。しかし沢木先生の前に立つと、国枝は相変わらず怠けていると言われたような気がした。 大会は歴史のある学士会館で行われ、22名の参加で中華料理をつつきながら、とみおさんの絶妙な司会のもと、大会は賑やかに進められた。 夜はタンゴ喫茶に乗り込んで、雑談。未だにこの路地だけは昔のままでなつかしい。私にも若い時があったのだと実感した。まさに「若者は未来に生きる。老人は回想に生きる。」である。 翌日は浅草界隈を歩く。案内役の一灯さんにめずらしい場所を案内して貰う。 2日間とも天候に恵まれ、快晴の富士山も見ることが出来た。以下の写真は沢木先生のお墓と大会の全員集合写真。 1月12日(月) 明日から、東京に出かけるので、やらならんことをやる。昨夜遅くまでかかって書き上げた「審査員研修レポート」をチェックして送信する。また頼まれていた俳句の添削を見る。(107383) 1月11日(日) 大分以前に「おおがき芭蕉交流句会」の参加を申し込んでいたが、その頃、全5回のうち、栗田先生の句会定員がまだ空いているとのことで、妻と一緒に申し込んでいたので参加。伊吹嶺会員が少しは参加しているかと期待していたが、参加者は我々2人だけで少しがっかり。出席メンバーは各結社で勉強している方が多く、私の眼から見ると、結構結社の癖があるように思えた。妻も私もそこそこ採られる。最後に栗田先生から特選を頂いたことで救われた。 帰りに駅前の飲み屋で雑談しながら、楽しい夕食で過ごす。 1月10日(土) 名古屋句会。今日はチングルマ句会とダブったため、そちらは欠席投句。最近は参加人数が少なくさみしい。昨日の有松の句はまだまだこれから練らなければならない。 1月9日(金) 都内にハクビシン出没 空き家に住みつく(朝日新聞15.1.8) 昨日の朝日新聞デジタル版に東京都内にハクビシンが空き家などに住みつき、繁殖して困っているとの記事があった。元々ハクビシンは日本古来のものもあるが、現在棲みついているのは外来生物(いわゆる帰化生物)らしい。 新聞では都内の神社の天井に住みつき、箒でおどしても逃げないという。実害として畑の果実や生ゴミをあさるという。雑食性のため何でも食べるという。ただ駆除するには有害生物として申請して自治体に申請しないと駆除できないという。これは「鳥獣保護法」に規定によるという。都内に繁殖している主な原因として、空き家が多くなり、そこに住みつくとともに、天敵がいないため、どんどん繁殖するという。何故日本に住みついたかというとはっきりとしていないが、現在は明治時代に毛皮用として中国などから持ち込まれた一部が野生化したとの説が有力とのこと。 そこで一般の人が疑問に思うことはアライグマは見つけ次第、駆除してもよいのに、何故ハクビシンはいちいち自治体に申請しないと駆除できないかというと、アライグマは特定外来生物であるに対して、ハクビシンは単なる野生生物であるから、申請しないと駆除できないという。何とも硬直なお役所である。実態を見て早く特定外来生物として認定して貰いたいものである。しかし野生生物保護団体から言わせると、何でも特定外来生物に認定すると、本来保護すべき野生生物までも駆除されるからという反論がありそう。 なおハクビシンの記事については次のHPを見て下さい。 http://digital.asahi.com/articles/ASH164PTYH16UTIL015.html 名古屋句会、チングルマ句会を控えて俳句が全然ないので、急遽午後近くになってから、有松に出かける。冬の有松は何もないと予想されるが、俳句がなければ致し方ない。 有松は晴れているものの、肌寒い。絞り会館では毎日、括りの実演が行われているが、今日は最高年齢の本間とめ子さんに会うことが出来た。とめ子さんは手蜘蛛絞りが得意で、この人ならではの職人芸である。現在92歳で、もちろん最高齢。週1回実演に出てこられるが、今日はTV取材があるとかで運良く会えることが出来た。耳は遠くなったもののおしゃべりは健在であるし、手蜘蛛絞りの括りは実に手の動きが速い。 あとは街中をぶらぶら歩いたが、寒いため、早々に喫茶店に閉じ籠もる。なんとか明日の句会に少しでも作りたい。 1月8日(木) 朝、昨日装着したホルター心電計を外しにまた病院に出かける。 午後はISCの臨時審査員研修。先月、認定機関から、指摘されたソフトグレーディングの問題について、昨年末に提出した全員のレポートを元に再度グループ演習で再発防止対策を考える。学生時代の落第点を採ったための追試を受けているような感じだ。しかしこれを真面目にやらないと、審査機関として失格してしまう。ISCとして意識を共有化して改善するしかない。 少し宿題を残して帰る。 今日、新聞に掲載されていた東京都内にハクビシンが繁殖して、いろいろな影響を受けている記事を見た。この件については、もう夜も遅く、書くのは面倒なので、明日書いてみたい。 1月7日(水) 昨年の人間ドックの結果が思わしくないため、やっと今日再検査。今日は3つの検査を受ける。原因は2つだが、1つは胃のレントゲン写真でレリーフ乱れがあるというもの、2つ目は心臓の心拡大と期外収縮。最初の胃の方は昨年と同様に胃カメラを飲ませられる。その結果は昨年指摘されたピロリ菌の後遺症で胃の壁に皺が寄っているという。胃そのものには癌とか潰瘍はないという。ということは老化すると顔に皺が出来るのと同じで胃の方にも皺が寄る同じ老化現象だ。と言うことは来年も同じ診断が出るので、最初から胃カメラを飲む覚悟をした方がよいという。 もう1つはいわゆる脈が飛ぶという現象で、期外収縮をいう病名で毎年経過観察が必要だというもの。きょうはホルター心電計をつけて24時間の心電図を見るとのこと。これも老化現象の1つに間違いがない。ただ心不全、心筋梗塞に進むのはいやだ。 ところで今日は七種粥を食べる日だが、胃カメラを飲むため、朝は絶食。夜に七種粥を食べたが何となく、違和感がある。 1月4日(日) 新年早々、今年の「自然と親しむ吟行会」を予定していたところ、日程を変えざるを得なくなり、岡崎のSさんに日程変更を依頼して貰ったところ、幸い句会場となる会議室が空いていてほっとする。今年の「自然と親しむ吟行会」は岡崎の紫麦吟行を考えている。この紫麦と自然とのかかわり合いについてはいずれ後日、「伊吹嶺」誌かHPに書きたいと思っている。これからは予算案を考えて、参加募集を「伊吹嶺」誌に掲載する準備を行うことになる。この日記を読んでいらっしゃる皆さんは楽しみにして頂きたい。 1月3日(土) 毎年のことだが、ついつい箱根駅伝にのめり込んだ見てしまう。延々と長い中継をよく見るものだと、妻もあきれ顔。 そろそろ新年気分を解消しなければならない。さしあたり今年になってからまだ1句も作っていない。詩心がなくなったのか、元々詩心がないのか、どちらにも該当しているが、俳句はいつも作らないと後でしっぺ返しに会う。「やらんならんことをやらんならやらんでもええときにやらんならんようになる」という櫻井さんの言葉を思い出す。 1月2日(金) 昨日の毎日新聞を見ると、第56回毎日芸術賞に鍵和田秞子氏の『濤無限』が受賞されていることを知った。この句集は昨年夏に出版されたものであるが、どんな句集が知りたく検索してみたらどこの書店にも売り切れとある。ますます知りたくなったが、「俳句四季」1月号の座談会に「最近の名句集を探る」に掲載されているので、もう少しじっくりと読みたい。 夜は長男一家がやってくる。孫の裕太が思いの外、身長が伸びてびっくりする。小学生の頃から背が低く心配していたが、おくてのせいか高校生になってからぐーんと伸びた。勉強そっちのけで毎日サッカーばかりやっているという。 中学生の時、いつも勉強を見てやったが、高校生になって今頃はどうしているか。 1月1日(木) あっという間に2015年になってしまった。人生の後半の歳月の早さに驚くばかり。夫婦共にボケが進み、終活処理もしなければならない年齢になってしまう。しかしまだまだやりたいこと、読みたい本などがわんさとある。 読み初めに小林凛君の「ランドセル俳人の五・七・五」を読む。いじめられっ子の俳句で、読むほどに心が悼む。俳句以外で母と祖母が随所にいじめで学校と壮絶な戦いが述べられている。母と祖母の立場で書かれているが、今時まだこんなにいじめ問題から逃げて責任逃れしている学校があると思うとこれもまた怒りを感じる。ただ私としては純粋に凛君の俳句を味わいたい。時々朝日俳壇にも投稿しているが、金子兜太、長谷川櫂に採られているのが俳句そのものを良しとしているのだろう。以下に私の共感した句を少しだけ書き出してみる。 いじめられ行きたし行けぬ春の雨 小林凛 ブーメラン返らず蝶となりにけり 生まれしを幸と聞かれ春の宵 いじめ受け土手の蒲公英一人つむ 抜け殻や声なき蝉の贈りもの しかられて一人のときも吊忍 空へ投げ一番星となる海星 ススキのほ百尾のきつねかくれてる 駄菓子食べ昭和に戻る秋の午後 紅葉で神が染めたる天地かな 句作とは苦しみの苦や外は雪 蒲公英や試練乗り越え一斉に 形なし音なしけれど原爆忌 他の句も含めてみると、幼さと大人びた句が混在しているが、やはり幼さの残った句が好きだ。 |