隆生の独り言日記(26年7月~)

平成26年7月から


12月31日(水)
 今日で今年最後の日。いつも年末になると、「煤逃」の句を作っているが、毎年そうはいかず、少しは整理整頓を行う。洗車、駐車場の掃除、家中の照明の掃除などはやった証拠を残す程度。一番滞ったのは、ISO審査関係の書類整理。そろそろ審査員を引退するため、不要書類がわんさと出る。その他、受審事業所の品質マニュアル等は部外への流出が厳禁のため、まとめて整理し、次にISCへ出かける時に処分棚に処理する。そして焼却処分して貰う。自分で勝手に捨てることは出来ない。
 最後に伊吹嶺HPの各ページを新年用に切り替えるため、時間がいくらあっても足りない。NHKの第九,クラシックハイライトを聞きながら、ページ作成する。深夜0時になった時にすべて切り替える。今夜中に一気に出来なかったため、年越しとなるページも出て来た。
 今年1年、私の拙い日記を読んで頂いた方に感謝したい。この日記も2004年に書き始めてから丁度10年を超す。自分ながら日記がこんなに長く続くとは思わなかった。年を越したら、新しい日記に切り替えます。(107118)


12月29日(月)
 伊吹嶺同人の鈴木真理子さんの句集『白桔梗』が届く。真理子さんの俳句のキャリアは長く、掲載句数も多い。初期の「風」投句時代の忠実な写生句、伊吹嶺時代に入ってからの母上、ご主人の介護の句に身につまされる。そして私は一番生き生きと詠んでいらっしゃると思われる句の書の句に惹かれた。いずれ時間を見つけて句集の感想でも述べてみたい。

   母いつも人待つ暮し白桔梗    真理子
   明日より看取る母なし花の冷
   ていねいに筆先洗ふ白露かな
   車椅子押して川辺の桜見に


 そして精一杯介護をなさっていたご主人が亡くなられたことに哀悼の意を表したい。車椅子の句が今年の最後の花見になったのかと思うと、切ない。


12月28日(日)
 ようやくすべての仕事が終わったので、年賀状を書き始める。と言っても書き出せば一気に書いてしまう。それならもっと早く一気に書けばよさそうなものだが、ぎりぎりにならないと何事も進めないという私の悪い癖は直らない。
 そろそろ溜まりに溜まった本の整理や会議、講義を受けた書類の整理に入らないといけないが、夏頃買っておいた本棚に整理しながら入れ始める。しかしその前に要らない本、もう読まない本などの整理に時間がかかってしまうし、ISO審査関連、環境関連、俳句関連の資料のファイリングに時間がかかってしまう。こんな調子でいけば今年もまた時間切れでただ本棚に何でも突っ込むだけに終わりそう。


12月26日(金)
 文化協会の広報『ひばり』の編集会議。やっと最終の編集で、ぎりぎり印刷会社に入校する。今日のこの仕事で今年のすべての仕事が終わる。そしてこのHPを5日分まとめて書く。もうぎりぎりを過ぎているが、明日からは年賀状に取りかかろうと思う。


12月25日(木)
 今日締切の審査員研修の「ソフトグレーディング」のレポート作成で、1日がつぶれてしまう。ソフトグレーディングとは審査における不適合事項を発見した時、少し甘くして観察事項で済ますことである。この傾向は最近、事業者のISO実績が長くなってきて、システムが成熟してきている場合に指摘するほどのことがない状態に起きる。その傾向に対する原因、影響、対策などをまとめるやっかいなレポートである。いつも土壇場にならないとなかなか仕事に取りかからない私の悪い癖で、今日の締切で結局は夜の12時近くになってやっとメールでレポートを報告する。


12月24日(水)
 クリスマスイブ。と言っても若い頃のわくわく感はない。丁度今日、桑名教会でクリスマスコンサートがあるとのことで、妻について行く。小さな教会が満員になったが、極めて質素なコンサート。年を取るとこのくらいが身の丈に合っているかも。前半はクリスマス礼拝で、後半は4名の合唱とソプラノソリストで進む。ソプラノは結構澄んだ声で和めた。こんなに小さいクリスマスコンサートは初めてであるが、静かなイブを迎えたことになる。






12月23日(火)  東員町「日本の第九」演奏会
 今日が東員町の「日本の第九」演奏会。公演前の子供合唱団のロビー演奏に始まり、本番でもこの演奏会に結成された子供合唱団によるポピュラー音楽。そして第九は愛知室内オーケストラ、約100名の「東員で「日本の第九」を歌う会合唱団。教区自信は何回も聞いているが、カメラの方で落ち着いて聞くことが出来ない。途中再生画像を見るとなんとか写っているが、どうも解像度が悪い。ソリストなどのズームアップ画像はなんとか見える。少し明るく見せるため、ハワイトバランスを青色を濃くした。あとはトリミング処理をして少し色バランスを修正することにする。
 写真はHP用に圧縮しているので、非常にぼけている。


12月22日(月)
 毎年東員町の人間ドックでは必ず引っかかる。これは毎年同じ指摘であるが、年々、体力が衰えていくようである。今日は再検診で内科にかかる。案の定、年明けに再検査。何ともわびしい冬至である。
 夜は明日行われる東員町の「日本の第九」の直前リハーサルで、カメラマンとして駆り出される。普通のカメラなら問題ないのだが、演奏会の写真を頼まれる。会場の一番奥からの撮影であり、持っているカメラは入門用の一眼レフである。露出はなんとかなるが、問題はレンズ解像度である。


12月21日(日)
 今月は「伊吹嶺」誌の編集会議が早いらしいので、なんとか今日まで原稿を揃える。あとは2,3名の俳SCHOOLの句を待つのみ。「いぶきネットの四季」の原稿は沢木先生の「なづな粥」のため、写真がないので、妻に薺粥らしきものを作ってもらう。
 喫茶店で結社誌の「S]の10月号にあった「俳句とインターネット」特集の記事を読む。インターネット関係だけで30ページも割いて座談会や個人エッセィが書かれており、うらやましい限りである。中味を見ると、インターネット機能のブログ、ツィッター、スカイプなど専門的なことをやたらに書いてあったが、私たちが取り入れることの出来るインターネット句会の発展方法、句会のやり方、若い人などの入会させたことの実践報告などがなく、あまり「伊吹嶺」に適用できるものはなかった。結局は現在の「伊吹嶺」の手法が最適だと思えてきた。


12月20日(土)
 文化協会の『広報ひばり』の何回目かの校正。とにかく今日はなんとか全部の原稿の読み合わせを行う。次回は入稿にこぎ着けることにする。


12月18日(木)
 審査員研修。いつもは車で出かけており、1時間10分ぐらいかかるが、私は雪道は走らないことにして、ノーマルタイヤのままである。しかし今日は30cmぐらいの大雪。仕方なく公共交通機関を使うことにして朝早く出かけたが、結局は2時間半かかってしまい、一寸遅刻する。
 研修内容は今年のJAB立会審査において、指摘を2件受けたとのこと。しかもその内容はこれまでのISCの審査方法に問題があることに起因するものであるので、今後、この是正処置として我々審査員全員に係わるもので、結構尾を引きそうである。


12月17日(水)
 しゃくやく句会。今日は欠席者1名であったが、来月から3名入会していただけることが決まっており、1名が病気のため、休会となるため、10名体制になる。今年は東員町文芸祭に出展したり、巻頭を取ったりして、実りのある1年であった。来年も頑張っていきたい。


12月16日(火)
 一日中肌寒い雨の日。明日から寒波が押し寄せ、雪が降りそう。18日に審査員研修に出かけるが、雪の予報で困っている。雪の日は乗らないようにしているため、あえてノーマルタイヤのままにしている。交通機関が不便なところのため、よほど早くバス+列車で出かけなければならない。
 昨日、今日といぶきネット句会の合評会。最近よく思うことだが、会員の皆さんも活発に意見を出して貰えるのが心強い。進行役を担当している私としても事前の準備不足で質問に答えられないことがあり、もっと念入りに句の背景などを調べることがますます必要になってきている。(106833)


12月15日(月)  COP20閉幕(各新聞)
 12月1日よりペルー、リマで開催されていたCOP20(気候変動枠組条約締結国会議)がやっと閉幕された。本来は14日までが期限だったが、先進国と開発途上国の対立で延長され、決裂寸前に次のような妥協の合意で終わった。
 合意内容は次のとおり。
 ・一部の先進国のみが温室効果ガスの削減義務を負う京都議定書に代わり、途上国も含めたすべての国が参加する。
 ・削減目標は各国が来年のCOP21までに自主的に提出する。
 ・途上国が主張していた「被害軽減策も入れるべきだ」との求めを受け入れ、盛り込むことも検討することで落ち着いた。
 ・各国の目標が妥当かどうかを事前に協議する仕組みについては、交渉の途中で削除された。
 ・提出期限の10月1日までに各国から提出された削減目標を、COP21開催の1ヶ月前(11月1日)までに事務局がまとめる。

 以上が合意内容の概要だが、これだけをまとめるのに期間延長してまでのやっとの妥協である。
 ところでにほんは当然のこととして、会議中、民間団体から今回も不名誉な「化石賞」を送られる。日本の現在目標と言えば、安倍内閣になってから、民主党の目標値を大幅に下げて「2005年を基準として、2020年までに3.8%減とするものである。これは京都議定書の目標値よりも3.1 %増加するという驚くべき怠慢である。化石賞を受賞して当然であるし、COP20期間中に、環境NGOのジャーマンウォッチとCANヨーロッパによる世界各国の温暖化対策を採点する恒例のランキングが発表されており、日本は、全体で61位中の53位で「非常に貧しい」と評価されている。これは最も空気の汚染と温暖化を無視していると非難されている中国より低い評価である。こういうニュースは日本では全然報道されず、アベノミクスの文字だけが躍っている。
 ちなみに朝日新聞のCOP20閉幕のニュースは次のHPを参照して下さい。
  http://digital.asahi.com/articles/ASGDG5S02GDGULBJ00C.html


12月14日(日)
 総選挙の投票日。選挙結果がほぼ100%の確立で見えており、夜の各局の選挙速報は見たくもない。


12月13日(土)
 名古屋句会。今年1年とうとう少ない人数のまま終わる。年末ということでささやかな人数で昼食をご一緒して句会を続ける。欠席している方も投句は一生懸命されて元続けたいとの気持ちは伝わってくる。


12月11日(木)
 雨催いの日。1日中家に籠もりきって、御在所岳俳句ingの入選者の色紙書き。いつも苦手で、いつまでたっても慣れない。書き上がった文字を見ると本当に恥ずかしい。今日は思い切って自分流で太めの字で書いてみる。それでもあまりよいとは言えない。これで良しとするしかない。


12月10日(水) 
 今日は文化協会の『広報ひばり』の編集会議。今日は張り切って1日中の予定だったが、やはり皆さん老齢化しているので、1日中身体が持たないので、午後2時頃でやめてしまう。
 
 今日書いている私の日記も1週間分まとめて書いている。やはり悪い癖は直らない。また恵那観光協会から、忘れた俳句手帳が届く。開いてみたらやはり当日の吟行句は駄句ばかりだった。わざわざ送って貰ったのが申し訳ない気がする。(106726)


12月9日(火)
 愛知支部同人句会。今年最後の句会であるが、伊吹嶺HPにも書いたが、栗田主宰から「もう一度即物具象の俳句の精神に戻ってほしい。句会指導する同人の皆さんも会員さんにくどいくらい即物具象の大切さを指導してほしい。」と力説される。
 選句もそういう観点で行ったが、私自身の選句眼がよいかどうかは自信がない。
 昨日、ネット部で打合せをしたため、特に打合せの必要が無かったため、皆さんとコーヒーを飲んで妻と一緒に帰る。妻と一緒に行動するのは念に1,2回しかないだろう。


12月8日(月)
 インターネット部の今年最後の打合せ。と言っても関東の皆さんには出席して頂けないので、名古屋の希望の方だけ出席して貰う。ただ年末のため、全員揃うことが出来なかったのが残念。それでも今年の総括と共に来年の企画にはいろいろ意見を出して頂く。いずれ栗田主宰に了解を得た後、インターネット部全員にお知らせしたい。
 右の写真は少人数だが、今日の出席者。久しぶりに眞由美さん、徒歩さんいも出席して頂く。




12月7日(日)
 このところ朝は急激に寒くなっている。しかし今日は御在所ロープウエィ駅まで出かけ、俳句ingの選句。終点近くは急激な坂で道路が凍結していると危険なので、湯の山温泉駅まで出迎えて頂き、車を乗り換える。結果的には思ったより凍結していなかったが、頂上は雪で見えなかった。それでも選句するのは楽しいことだ。あとはいやな染筆が待っている。


12月6日(土)
 チングルマ句会。本当は昨日出かけた吟行句を出す予定だったが、よく思い出せずに忘れやすい頭の中に少し残っている句を投句。半分以上は日常吟。
 帰りに今日は今年最後とて、喫茶店でおしゃべり。大須商店街は人出でごった返していた。


12月5日(金)
 毎月のことであるが、なかなか俳句が出来ない。とことこ恵ちゃんをを直前に申し込んだところ、空きがあるとのことで2人で参加した。今日のコースは恵那駅から、山岡町の寒天田と小原村(今は豊田市)の冬桜を巡る。山岡の寒天というと、数年前厳寒に関東支部の皆さんとこの寒天田を見に行ったことがあった。その時は到着したときでも零下7℃であった。しかし今日は最低気温で零下2℃だったそうで、今日はむしろ小春日和であった。しかし天日干しの寒天を十分に凍っていた。ただ今は毎日夜に冷蔵庫に入れるそうだ。従って夏でも寒天づくりが行われるようになった。今日映した寒天田と数年前の寒天田の写真は全然違っている。数年前の寒天田は伊吹嶺HPの落書に掲載しているので、今日の写真と比較してほしい。
 続いて訪れた小原村の冬桜はもう終わりに近づき、全体にくすんだ桜の色をしていた。それでも全山冬桜の景色は見事なもので、真っ盛りの時にもう一度訪れてみたいものだ。
 
 このところ私は毎日ボケ症状が発生して、今日は最後になってバスに降りたとき、俳句手帳を忘れてしまった。帰りの列車に乗った時、気付いて観光協会に確認したところ、確認したところ確かにありましたとの連絡だったので、一安心したが、自宅に戻るのは多分数日過ぎになるので、今日の吟行成果は全くのゼロ。無くしたときに限って、手帳には名句が残っているだろうと思う。しかし手帳が戻るとあまりの駄句にがっかりするだろう。
 写真は今日の寒天田と小原村の冬桜。

雪はないが寒天は凍っている 
 
全山冬桜だがくすんでいる


12月3日(木)
 東員町は田舎のため、「伊吹嶺」誌もいつも1日遅れに届く。昨日届いた12月号でなんとしゃくやく句会のゆう子さんが巻頭となった。我が事のようにうれしい。「草の花」シリーズであるが、河原地副主宰の選後評によれば、
 〈草の花〉の素朴で優しい風情が気持ちよく表している。
と評されている。本当にスタートした頃はいわゆる初心者の頭で言葉を並べている感じであったが、最近は見たままを自分の言葉にしている。母上の忌が綾子忌だったとは俳句を始めて知ったという。そのままの表現がよかったのだろう。「伊吹嶺」に入会してまだ一年半、まだまだこれからが問題だが、指導する側としても責任を感じる。なるべく本人の言葉探しを尊重したい。
  綾子忌はわが母の忌や草の花   ゆう子


12月2日(火)  「碁の神様」呉清源死去(各新聞)
 いつものように毎月の定期診察。別の病院で肝機能のGPTが随分と高いことを知らされて、急遽、血液検査をして貰う。これまでの肝臓の酷使によって、一寸した飲酒、疲労で基準値をオーバーすることがあるという。と言っても禁酒はしたくないし、アル中にもなりたくない。ただ夜はこれまでの禁酒明けという理由をつけて、晩酌する。
 病院の帰りにこれも終活処理のため、名古屋の別の銀行に寄って、銀行取引の解約する手続をする。こちらは一部ドル定期があるため、解約はすぐ出来ないという。何とも面倒なことだ。とにかくこれまで現役時代に転勤のたびに小口の預金を頼まれ、NTTの取引相手のため次々と口座を開設してきた。どれもゴミみたいな金額なのだが、私自身、どこにどんな銀行口座があるかも分からない状態では、妻や子供も困るだろう。

 今日の新聞で、菅原文太の死去のニュースで隠れてしまったが、囲碁の呉清源が100歳でなくなったというニュースが目についた。呉清源というと囲碁の神様とか新布石の開発とかいろいろ功績を残してきた。私が長い間、俳句を中断してきたとき、囲碁に相当のめり込んでいた。私が囲碁に熱中した頃は既に呉清源は引退間近であった。ただ囲碁の本、歴史をを読んでいる中、呉清源の新布石は画期的で引き込まれていた。
 呉清源は1928年(昭和3年)、14歳で中国から来日して、早々に当時、囲碁の第1人者の本因坊秀哉名人の試験碁(二子)に4目勝ちして、たちまち注目を浴びたり、本因坊秀哉名人対し三々・星・天元の大胆な布石で勝負を挑み、満天下の注目を集めた。そして木谷実と新布石を研究したことも有名だった。日本に帰化したり、中国国籍に戻ったり、最後はもう一度日本に帰化した。晩年の動静は全然知らなかったが、『21世紀の囲碁』というシリーズ本が有名だそうだ。今は囲碁関係の本を一切棄ててしまったが、呉清源の新布石をもう一度並べてみたいものだと思っている。


12月1日(月)
 今年もとうとう12月になってしまった。今月は母の忌であるとともに、お年越。以前から11月に行われるお年越はどんな日か知らないままでいたが、今日調べたら、親鸞忌の11月28日前の6日間に報恩講が行われるとのことで、それをまとめて「お年越」と言うそうだ。これも宗派によっていろいろ違うらしい。今日は岐阜でお年越のお経を上げて貰う。
 その後、母の遺産の手続でやっと1つの銀行に出かける。と言ってもわずか数万円のために岐阜の銀行に出かけるのは面倒でこれまでつい引き延ばしてきてしまった。これも私の終活処理の1つである。今後私の終活処理をこなしていかなければならない。それが老いと言うことであろう。


11月30日(日)
 ぽっかり空いた日曜日。何もすることがないが、句集恵贈のお礼など溜まりに溜まった手紙を書く時間に充てる。他に空いた時間があれば、本当はもっと本を読まなければならないのだが、最近は眼の左右の視力が極端に違うため、本を読み出すとトタンに眠くなる。夜、枕元で読む分には読書が丁度睡眠薬になってよいのだが。


11月29日(土)
 「広報ひばり」の編集会議。遅々として進まず。集まった原稿の一部の校正のみ。それでも原稿が順調に集まっているだけ進歩か。今日は1日の日程で行う予定であったが、メンバーの1名の都合が悪くて午前中で終わり。


11月27日(木)  「地球温暖化と異常気象」講演
 いつもお世話になっている三重県環境情報学習センターによるスキルアップ講座で月昭代調査官津気象台調査官による「地球温暖化と異常気象」テーマからいうと、つい最近のIPCC第5次報告書に触れるのかなと思ったが、気象官であるため、ほとんどが異常気象がテーマ。最近の異常気象に触れ、これらの異常気象はどれも地球温暖化の影響だと思っている面もあるが、それだけではなく、偏西風の蛇行、北極振動、エルニーニョ・ラニーニャ現象によるものもあるという。ただこれらの現象も原因であることは分かるが、これらを強調しすぎているように思えた。まだ異常気象の本当の原因は分からないが、近年の異常気象の増加ぶりを見ていると、やはり地球温暖化の影響が多いと思いながら、講演を聞いていた。(106494)


11月26日(水)
 A社のISO審査。今回も同僚審査員のご不幸のためのピンチヒッター。この会社は水処理施設の工事、保守運営を行っている会社であるが、最近は下水道が完備して浄化槽の対象がどんどんなくなってくる。しかし今日の現場確認した電力会社の火力センターという大きな施設では丸ごと浄化槽を持っている。相当大きな浄化槽で、規制事項も結構多くある。一番大きな規制は排水のBOD、CODなどの総量規制である。ただ今日は品質審査であるため、品質向上のしくみが有効であるかどうかが審査のポイントであった。


11月25日(火)
 時雨が降る寒い日であったが、「広報ひばり」の編集委員が「民謡寿会」の練習風景を取材。町全体が高齢化しているが、どこの団体も高齢化しているようだ。しかし練習は熱心に行っていた。地味だがこういう活動が高齢化社会に必要なのだろう。

11月24日(月)
 岐阜同人句会。句会もさることながら、1月の岐阜支部新年大会の詰めを行う。会場が他の団体に優先権があったため、急遽会場を変更することに。とにかく多くの参加を望みたい。


11月23日(日)
 昨日は同窓会で1日がつぶれてしまったので、審査報告書の完成は結局今日までずれ込んでしまった。いろいろ雑用を行っているうちに、明日の句会の俳句を作ることが出来なかった。


11月22日(土)  高校同期会の同窓会
 ここのところ2,3年ごとに高校同期の同窓会が行われる。それでも同級生550名のうち110名、恩師6名の出席。出席率はよい方ではないか。一方、66名の方が亡くなっておられ、私にも確実に老いが迫ってきており、終活を本気で考えなければならないと思った。
 恩師の中で岐阜県教育長も務められたY先生が「ぼくの戦争体験」について、いろいろ語って頂いた。集団自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更、特定秘密保護法などの動きから、「この国は再び岐路に立っている。」という実感から、今まで話したことのない先生の戦争体験を縷々と話された。本当に胸の詰まる内容であった。そして最初に披露された万葉集の防人の歌を引用された。
   防人に行くは誰が背と問ふ人を見るが羨しさ物思ひもせず
 この歌には先生が学徒出陣による出征の時の母上におもいに通じるものがあり、戦争体験をついに話されたという。
 この先生の話は今年の8月に中日新聞岐阜版に掲載されたという。最後のこの記事を頂き、感無量の思いであった。


11月21日(金)
 午前中、「広報ひばり」の編集会議。原稿締切の直後であるが、なかなか原稿が届かない。結局は追加で原稿催促と、広報委員で書く記事の割り当てを行う。
 午後から遅れに遅れているI社の審査結果報告書を仕上げようとする。ようやく基礎となる報告書を書き上げる。あとは各書類を整理して最終の報告書形態にする作業が残ってしまった。


11月19日(水)
 しゃくやく句会。病後の方や所用のため欠席者が多かったが、積極的に意見が出される。17日に吟行を行ったためか、当日の吟行句をもう一度推敲されてよい句が出された。やはり吟行が大事なことがよく分かる。


11月18日(火)
 「伊吹嶺」誌の原稿とするため、今年の角川俳句賞を久しぶりにじっくりと読んだ。角川俳句賞も今年で60年にあたるという。随分と歴史を重ねたものである。「角川賞の60年」という記事にあったが、初期は風土俳句が中心で、最近は若手作家が台頭したせいもあって、平淡な日常吟がほとんどである。そして今年も「エンドロール」という日常吟である。平明な生活詠を丹念に写生しているが、読んでみて思いの外、読みやすく、懐かしさを感じた。受賞者の柘植史子氏は「風」「風港」に所属して勉強していた時代があったという。そのために読みやすさと懐かしさを感じたのであろうか。


11月17日(月)
 しゃくやく句会の吟行。足の悪い方、車椅子の方などあまり遠出が出来ないので、近くの水嶺湖に出かける。ただメンバーの中で自宅療養中、病院に出かける予定の方など3名が欠席で7名にさびしい吟行。ここ数日来、寒い日が続いたが、幸い薄日も出ていて穏やかな吟行日和となった。湖の近辺をうろうろしているだけで俳句が出来るか心配だったが、皆さんに真面目に作って頂いた。本当はもっと多くの吟行をしたいのだが、歩ける方が少ないのでこんなところで折り合いをつけるしかない。写真は風もなく、逆さ紅葉がきれいに映っている人造湖。



11月15日(土)  「伊吹嶺」11月号
 今月も既に半分が過ぎてしまった。「伊吹嶺」11月号に「現代俳句評」が掲載されたので、その文章を【こちら】にも掲載します。
 また11月号の栗田先生が書いている「伊吹山房雑記」は既に伊吹嶺HPに書いているので重複するが、次のように述べていらっしゃっている。

沢木欣一先生が俳句の基本として繰り返し説かれた即物具象の俳句をめざして私たちは句作に励んでいるが、句会で安易な事柄俳句、言い換えれば月並俳句を良しとすることがあるのではなかろうか。ここでもう一度、即物具象とは何かを確認する必要がありそうだ。

 私もこの山房雑記に対しては全面的に賛成の思いである。私自身も含めて自戒しなければならないだが、私自身が即物具象に最もふさわしい俳句は何かと考えたとき、常日頃、沢木先生の句集『地聲』『赤富士』だと思っている。特に『地聲』は『塩田』以降、沢木先生が新たな境地として即物具象に辿り着いた句集という位置付けと考えている。インターネット部の皆さんにもこの『地聲』が指導の最高の手引だと伝えたい。(106228)


11月14日(金)
 久しぶりの日記。また10日間ぐらい空いてしまう。毎日少しずつ書くべきだが、なかなかまとまった時間がない。
 今日は豊橋市へ品質審査。友人のご不幸のため、ピンチヒッター。朝6時のバスで出かけるたため、早く起きるのがつらい。審査そのものは今回はメンバーのため、後始末がないので、楽。


11月12日(水)ー13日(木)
 14日の審査準備のため、2日間ほぼ閉じ籠もり。急な審査のため、書類が一昨日届いたばかりで、品質マニュアルの読み込み。チェックリストに事前の疑問点の書き込みなど、メンバー参加とはいえ時間がかかる。
 本来はこの2日間、チングルマ句会吟行だが、涙をのんで急遽、欠席。妻は多分羽根を伸ばして楽しんでいるのだろう。


11月11日(火)
 愛知同人句会。先月は台風のため中止したため、久しぶりの印象。新同人も参加して、60名を超えた句会で良い句にも出会えた。私は葵さんの「風木忌」に一番共感。
 同人句会後、あわてて帰り、夜は先日行われた東員町文化祭の反省会。進行司会の何ともまどろこしくて、思ったより時間がかかってしまう。ま私は今年初めてのPTメンバーのためおとなしく聞いていることに留まる。


11月10日(月)
 岐阜へ出かける要件があり、久しぶりに出かける。そのあと毎年のように大野町まで出かけ、ふるさとの柿を買いに行く。柿はなんと言っても富有柿に限る。親戚に送ったあと、帰りには路上の無人売りの柿がなんと言っても最高。スーパーで見ることが出来ないような大粒の柿3,4個がわずか100円。少々いびつだったり、傷が少し残っているだけで、味が濃い。
 右の写真はあらかた食べたあとの大粒の柿。



11月9日(日)
 東員町文化協会の研修旅行。と言っても単なるバスツアー。行き先は湖東三山のうちの金剛輪寺、西明寺と彦根城。いずれも既に出かけたところばかりであるが、文化協会の役員を担当しているため、参加せざるを得ない。
 ただ大失敗したのは朝寝過ごしてしまい、出発にぎりぎり間に合うという失態を犯す。
 ツアー中は小雨が降り続け、撮るべきほどの写真はなかった。


11月8日(土)
 名古屋句会。Tさんはほぼ1年間ぐらいの養生生活をしていたが、つい最近、老健に入所したという。少しでも早く歩けるようになることを祈る。


11月5日(水)-6日(木)  倉敷、尾道
 妻の希望で、まだ一度も行ったことのないという倉敷、尾道に出かける。
 倉敷と言っても大原美術館には興味はなく、すっかり観光地化となった倉敷川の両側をゆっくりと歩く。こういう観光地は圧倒的に若い女性、修学旅行生が多い。川は観光船が行き来しており、結婚式前の写真撮影の二人が舟に乗っているのが何とものどかである。
 倉敷というと、もう20年以上前に倉敷までみや子さん、中川さんと3人で吉備路を歩いて、風同人総会に参加したことを思い出す。あの頃はお二人とも健脚で随分と歩いたことを思い出す。この年齢になると、昔のことばかり思い出すのは老化現象が進んだ証拠である。
 宿泊は中川さんお勧めの鞆の浦温泉に泊まる。しかし最近の鞆の浦はすっかり寂れたような印象を受けた。ただこの夜は旧暦閏の9月の十三夜で、皓々とした後の月を見ることが出来た。ただ閏の9月で秋のうちに十三夜となったのは、171年ぶりでいわゆる「後の十三夜」と言われている。この171年ぶりの季語を詠みたかったが、うまくいかなかった。しかも今日は欣一忌でもあるのに。
 2日目は寄り道して、木下夕爾生家を訪れた。ただ観光地でもないので、なかなか見つけることが出来ず、2,3度聞いてやっと見つけることが出来た。夕爾が営んでいた薬局はもうなく、ただ表札に「木下薬店」のみがが残っているだけであった。敷地内の句碑がなければ見つけることが出来なかっただろう。でも憧れの夕爾生家を訪れたことに満足。
 尾道ではロープウエィの頂上にある千光寺から、ぶらぶら歩きをして降りていったが、妻は疲れたのか富美子の下宿先、直哉の寓居などは私一人で訪問。
 それでもゆったりとした2日間とも天候に恵まれ、助かった。
 以下は旅行のわずかな写真。

桜紅葉の倉敷川 
 
鞆の浦に出た後の十三夜の月
 
夕爾生家敷地にある句碑
 
尾道市街地にある芙美子像


11月4日(火)   IPCC第5次統合報告書
 昨日の速報で述べたように気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第5次統合報告書が発表された。IPCCの気候変動に関する報告書は7年ごとに発表され、第4次報告書は2007年11月に発表されている。
 今年は第5次報告書の3つの作業部会報告書の積み重ねで昨日、統合報告書が発表された。改めてこれまでの動きを振り返ってみると、 
  • 第一作業部会(WG I):自然科学的根拠の報告   2013年9月
  • 第二作業部会(WG II):影響・適応・脆弱性の報告  2014年3月
  • 第三作業部会(WG III):気候変動の緩和策の報告  2014年4月
 そして今回がその集大成であるAR5統合報告書となる。統合報告書の結論を簡単に言えば、「19世紀末に比べて2℃以下に抑えるにはまだ間に合うというものである。」しかしその道筋は容易ではなくて、まず米中が本気になって温暖化対策を行うことである。それに対して日本は2020年までに温室効果ガス削減目標を「2005年比3.8%減」とするという世界から見て恥ずかしい目標である。IPCCが「2℃以内に抑える道筋はある。」と言っているがそれは各国が今まで以上に努力するという前提である。日本のこととなるともうこれ以上書きたくない。
 なおIPCC第5次統合報告書の環境省による報道資料は次のPDFファイルを参照して下さい。全部読むのは大変でしょうから、別紙1の速報版だけを読んで下さい。
   http://www.meti.go.jp/press/2014/11/20141104007/20141104007.pdf


11月3日(月)
 運営委員会。本来先月、全国大会前に行う予定だったものが、台風の影響で今日に延期。従って今日はほとんどが報告事項。
 今日は環境に興味のある私にとって成り行きを注目していたのが、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第5次統合報告書が発表された。まだデジタル版の速報しか報道されていないが、一言で言うと次のとおりである。

  国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、地球温暖化に関する第5次評価報告書の仕上げとなる統合報告書をコペンハーゲンで開かれた総会で承認し、2日公表した。
  19世紀末の工業化前と比べて2度未満に抑える目標について、「道筋はある」と明記した。

 明日多分誌面での詳しい報告内容が分かるだろうが、要は19世紀の産業革命以降の温暖化ガス上昇の2℃以内に抑えることは可能と言うことである。明日誌面で詳しい報告内容が分かるだろうから、明日書いてみたい。(105962)


11月1日(土)
 チングルマ句会。本当に最近は詩心が枯渇しているのだろう。成績は全然駄目。それでも句会後に喫茶店でたわいのない話をするのが楽しい。今日で忙しさが一段落して、明日は久しぶりにのんびり出来るか。


10月30日(木)-31日(金)
 2日間、ピンチヒッターでI社の品質審査。今回はリーダーを担当し、更新審査のため、神経を使う。いつも仕事はやめるやめると言いながら、私の優柔不断のため、つい引き受けてしまう。今回は本来担当する審査員の奥様が急逝されたため、人情から言っても引き受けざるを得ない。まして審査対象事業所の専門性を担保しているのが私しかいないとなればぐずぐずする訳にはいかない。準備期間が短かったこともあり、この2日間、疲れた。夜の晩酌でもするのがせめてものストレス解消。


10月29日(水)
 25日から始まった東員町文化祭の前期が今日で終わり。今日は会場当番を務め、鍵で会場の部屋を開け、すべての照明もつける。そして私達の作品の他4団体が展示されている第3会場の当番も務める。句会の方の応援も得て順に当番を行う。今日は最終日のため、1時間早く終了し、作品撤去、搬出を行う。これでやっと文化祭が終わる。


10月28日(火)
 しばらくよい天候が続き、以前御在所ロープウエィの担当者から毎年紅葉は10月下旬が見頃だと教えて頂いていた。ただ今年は紅葉が2週間早いとのことであったが、これまで時間の余裕もなく、今後も11月第1週まで予定が詰まっているので、今日思い切って御在所岳に出かけた。着いたとき、山頂の気温は4℃と冷え込み、予想通り山頂は紅葉がすっかり終わっていた。どうもアカヤシオは紅葉が早いようだ。わずかながらあるトウカエデの黄葉は山頂が盛りであった。ただゴンドラから見る中腹は紅葉真っ盛りであった。
 帰りは途中のホテルで日帰り温泉に浸かる。気温は相当寒いくらいだが、露天風呂の中は心地よく出るのが惜しい。
 写真は山頂でのわずかな紅葉の名残である。


10月27日(月)
 岐阜同人句会。案の定というか一夜漬けの俳句では全然駄目。1句のみ多くの方から採って頂く。席題も1句のみ採って頂く。10月の終わりともなると車で帰るとき、すっかり暗くなってしまう。もう冬が近くなった時期になったことを実感。

今年の夏から、複数の総合俳句誌を購読するようになったが、そのうちある雑誌に気になった記事があった。
 その総合誌の全国俳句大会で一字一句違っていない句が受賞されたことに対して異議が唱えられたと言う記事である。作者にとっては自分の過去と全く同じ句が受賞されれば問い合わせをするのは当然であろう。それが異議という扱いを受け、受賞者に問い合わせたところ、「この句はK(受賞者の所属結社)という結社の句である。以前発表された句は見たこともないので、取り消す必要がない。」というような趣旨を誌上に発表している。従って受賞作は取り消さないし、こういう問題で人を傷つけたくないという回答である。これでは元の作者が逆に受賞者を傷つけたと言うことかと思ってしまう。
 俳人協会では毎年の全国俳句大会では類句と分かった時点で選者特選であっても取り消すのが普通であると聞いているし、よくあるとのことである。これが普通の感覚であり、私ももし全く同じ類句を作った場合は潔く辞退するつもりである。(最も私はそれ以前に没になるのが普通であるが。)ただ逆の場合はよく経験している。同じ結社であれば類句が発表される可能性はある。しかし今までこのような経験をしたときは妻と二人で話す程度である。(105819)


10月26日(日)
 文化祭の初日を終えて、明日以降また忙しくなるので、今日は集中して、30日、31日のISO審査の準備を行う。前回審査で問題になった法的要求事項が順守されているかを確認することになるが、そのための関連法令を隅から隅まで確認しておく必要がある。やっと終わったのが夕食が終わった後となり、明日の句会の句が全然ないので、欠席しようかと思ったが、頑張って夜遅くまでなんとか作る。


10月25日(土)   東員町文化祭
 今日から10日間、東員町文化祭が行われる。しゃくやく俳句会は今まで単なるサークルとして活動していたが、今年から文化協会団体には言って欲しいとの要望から、短冊による会員俳句を展示することになった。そのうちしゃくやく俳句会は前半の5日間の展示となった。私自身短冊を書くのが大の苦手だが、致し方ない。今回は会員10名のうち、1名は病気のため、9名の展示となった。俳句はまだまだの感がするが、短冊の字は皆さんとてもうまい。
 右の写真はしゃくやく俳句会の展示コーナー。


10月24日(金)
 明日からの東員町文化祭のPTメンバーとしての会場設営などの準備。半分以上が肉体労働みたいなもので、結構疲れる。夜になってやっと伊吹嶺全国俳句大会模様のアップがやっと終わる。疲れがどっと出る。(105771)


10月23日(木)
 審査あけで最近は結構疲れる。3日間留守にしていると、有料添削や伊吹嶺HPの書き込みなどがあるが、なかなか進まない。伊吹嶺全国俳句大会模様を書かなければならないが、結局は半分ぐらい書いて終わる。


10月20日(月)-22日(水)
 今日から3日間の出張で、N社のISO審査に出かける。受審事業所が遠方にあるため、20日は前泊、21日-22日の2日間の日程、3名の審査員で更新審査をこなす。更新審査は3年に1回行う節目の審査で、特に今回もリーダーを担当するため、報告書作成が結構大変。審査はなんとか指摘なしで私以外の審査員の協力で終わる。


10月18日(土)   伊吹嶺全国俳句大会
 年1回の伊吹嶺全国俳句大会。今年も160名以上の参加者で賑わう。今年は特にいぶきネット句会から伊吹嶺賞の徒歩さん、新同人は英之さん、哲半さん、晴夫さんの3名でネット部としては晴れがましいことである。晴夫さんは体調不良のため、欠席だったことが残念。毎年少しずつ会員も増えており、私としてはますます忙しくなってきている。
 全国大会模様は速報として落書に書いたが、次のHPをクリックすれば、大会模様を見ることが出来ます。
 毎回種々の大会をまとめてアップしているが、写真、入選句の貼り付けなど結構時間がかかる。実はこの日記も後日書いているという恥ずかしい次第である。
 なお右の写真は宮田先生との2ショットであるが、残念ながら目をつむってしまっている。
   http://www.ibukinet.jp/topix/26zenkoku/26zenkoku.html


10月16日(金)
 先週、私の都合で名古屋句会を延期させて頂き、今日行う。武山さん、森さんはまだ出席できない。早く出席できることを願っている。中川さんはいつも足の悪いところ参加して頂きありがたいことである。
 今夜もいぶきネット句会の合評会。今夜も主席者が昨日と同じくらい参加して貰い、ありがたいことである。


10月15日(水)
 しゃくやく句会。1名の方が病気で手術されているので、9名での句会。今日は今月末に行われる東員町文化祭に展示する短冊を皆さんから出して貰う。皆さんの染筆を見ると、やはり一番字が下手なのは私であることがよく分かる。また今月吟行に出かける予定だったのが、台風で中止になったので、改めて来月に吟行を行うこととした。
 夜はいぶきネット句会の合評会。今月は参加者が25名と最近は盛況である。発言の活発で私があまり多く発言しなくても結構切れ目なく発言が続くようになった。


10月14日(火)
 「伊吹嶺」10月号が届いてからすっかり忘れていました。10月号の「いぶきネットの四季」で栗田先生の〈ふち焦げし原爆の日の目玉焼 やすし〉の句の鑑賞が掲載されています。この文章は伊吹嶺HPに掲載されています。【こちら】をクリックして下さい。(105487)


10月13日(月)   かすむ摩周ブルー(朝日新聞14.10.13)
 今日の朝日新聞の1面トップに「かすむ摩周ブルー」の見出しで摩周湖の透明度が下がっているという。透明度は1931年に当時の世界記録となる41.6mを記録している。ところが90年代以降は、しばしば20mを切るようになり、今年摩周湖に潜って調査したところ透明度は18.6mだったという。低下の主原因は微少なプランクトンの増加であり、これが雪のような浮遊物となるためである。
 さらにその原因は地球の温暖化である。というのは摩周湖の全面凍結がなくなったせいである。摩周湖は元々全面凍結により、湖底と表面との水循環が短期間で終わるが、表面が凍らないと、水循環が長期間起こることとなり、雪のような浮遊物がかき混ぜられて、透明度が下がることになる。さらに近年摩周湖にヒメマスが放流されて、動物プランクトンが好きなヒメマスによりミジンコが食べ尽くされてしまった。そうするとそれまでミジンコが食べていた微少プランクトンが増えてしまい、これが雪のような浮遊物となって透明度が下がってしまった。言わば地球の温暖化と人間の食物連鎖を無視したヒメマスの放流のせいである。一度は摩周湖に出かけて摩周ブルーを見たかったが、もうこれも不可能となったのか。
 なおこの朝日新聞は次のHPをクリックして下さい。動画も入っています。
   http://digital.asahi.com/articles/ASGB83WKDGB8ULBJ00Q.html

 同じ朝日新聞に小さな記事で、「名古屋議定書が発効」「日本は間に合わず」との記事もあった。もともと2010年に名古屋で行われたCOP10の成果で「名古屋議定書」が採択されたが、今年ようやく発効に必要な締結を批准した国が50ヶ国に達したことによる。しかしその日本が未だに批准していない。理由は産業界の反対で、内閣も押し切る気もないらしい。これでは「名古屋」と名前が付いた議定書が泣いている。


10月12日(日)
 先週の台風18号に引き続き、明日から台風19号が直撃しそう。それを避けるため、明日の運営委員会の延期、愛知同人句会の中止が決まる。ぽっかりと穴が開いた感じだが、そろそろ俳句を離れて急遽頼まれたISO審査のリーダーとしての審査計画書の作成、届いたときの品質マニュアルの読み込みがある。まだ資料が何も届いていないので、昨年の審査結果報告書を参考に作業を始める。

 町の図書館で石井いさおさんの句集『水の星』を見つけて読む。石井さんは現在、俳人協会三重県支部長を担当なさっている。『水の星』は第3句集で、第1句集は山口誓子の選を受けたもの、第2句集は松井利彦氏の選を受けたもので、第3句集で「煌星」主宰として、初めて自選した句集という。「今回は自分というものの状況で作り続けた分身。」と述べている。タイトルの『水の星』は次の句による。
   若水や地球は水の満つる星  石井いさお
 この句はまさに地球を大切にという気持ちが籠もっている。ガガーリンが宇宙船から見て「地球は青かった。」と叫んだとおり、地球の水を大切にする必要があろう。我が意を得た句だと思う。


10月11日(土)
 広報「ひばり」の編集会議。10月号がようやく発行できたので、次は2月号。企画案が十分に決まらないうちに、執筆者以来作業。いつものように走り出してから企画を決めるという。
 なかなか時間がとれない中、友人から借りた中山純子先生の第3句集『瓔珞』を読み始める。ほとんど初期の時代から吟行に出かける機会がない中、日常吟に素晴らしい句に出会える。またしばらくしたら句集の感想を述べてみたいし、あまり純子先生の句に触れてこなかった私にとって出来れば全句集を読んでみたいと思っている。今持っている句集は最後の『水鏡』と要約版の『中山純子句集』の2冊しか持っていない。


10月10日(金)
 ISO審査員としてはほぼ引退のはずがISC審査員のうち中核で審査に出かけている方の身内にご不幸があり、約一ヶ月仕事が出来ないとのことで急遽3件の審査依頼が舞い込む。いつもの優柔不断で断れないのが私の性分。これで既に予定している審査を入れて10,11月の2ヶ月間に4件の審査を行う必要が出来てしまった。しかも来週半ばまで審査計画書を作成する必要のあるものが1件。これで来週前半まで計画書作成で身動きがとれない。


10月9日(木)夜   「伊吹嶺」10月号
 ずいぶんを長い間、この日記を書かなかった。遅きに失したが、「伊吹嶺」10月号が届いた感想。
 河原地副主宰の「俳句時評」シリーズが始まって今月が第4回。今月はさいたま市のある公民館でのサークルで作られた〈梅雨空に「九条守れ」の女性デモ〉の句が市教育長から掲載を却下されたことについて、金子兜太の発言を引用されていたことは「伊吹嶺」会員も重く受けとめて貰いたい気持ちである。このような風潮が出てくることにより自主規制につながることを恐れる。大震災後の大正時代後半と現代の平成の世相が似ているのは、誰しもが思うことで、我が家でも妻と二人で怒り合っていた。
 久しぶりに若い二人の「三ヶ月連続競詠」が始まった。荒川英之さんと東口哲半さんの第1回目。
 荒川さんは金沢の旅行吟。
    犀川の小石が苞よ夕焼雲
    啞蝉の超ゆる四高の瓦屋根
    戸室石挽きしむかしよ城涼し
    夏鴨の水掻き透けり浅野川

 いずれも分かりやすい写生句である。日頃仕事の忙しさから日常吟しか作ることが出来ない生活から夏休みに金沢へ出かけたのだろう。旅行吟は地名に凭れたり、報告に終わらないことが重要である。その点掲出の4句はしっかりと写生した句である。このような方向に目指すことが重要と思った。
 次の哲半さんは京都の日常を丹念に写生している。
   玄関に舞妓の木札七変化
   夏めくや樽屋の薄き鉋屑
   打水や磨き込みたる細格子
   夏闇や縁切り札の文字滲む
   朝顔や路地曲がるたび祠在る

 京都という素材に恵まれている面もあるかもしれないが、対象物に対する写生の眼が確かで深く見ている。しかもそれぞれの季語が的確で句柄を高めている。
 
 田中文雅先生の「伊吹山麓の口承文芸」は難しくてなかなか読みづらい。しかし今月の「夜叉が池伝承」は泉鏡花の「夜叉が池」の戯曲で有名だし、この山に登ったこともあり、興味深く読んだ。
 夜叉が池は三国岳と山周ヶ岳に挟まれた峠にある小さな池である。私が登ったときは秋の紅葉の時期で静かな池であった。そして池には無数のイモリが泳いでいた。麓には夜叉姫が龍になった龍神の祠がある。もう遙か彼方の思い出である。(105341)
   龍神に人参供ふ寒露かな   隆生


10月9日(木)
 この日記を10日ぶりに書いている。友人からはいつも国枝さんの日記を開いているのに、まとめ書きはよくない。途中で死んだのかと思うと言われる。
 台風数日後、今日まで晴天が続くという。妻と一緒に役場近くのコスモスを見に行く。毎年必ず見に行っているのに、未だにコスモスの句が出来たことがない。今日も収穫はゼロ。せめて写真だけでも紹介して済ます。
 夜は皆既月食。1時間ほど続くと言うが、最初の欠け始めがかろうじて見ることが出来たが、皆既月食になると、厚い雲に覆われてとうとう一度も見ることが出来なかった。TVなどではきれいな赤い満月が放映されて全国的によく見えたそうだ。


10月8日(水)
 昨日、1日遅れの審査計画書作成のため、今日朝一番で計画書を発送。なんとか今日中に届きそうで一安心。これで審査当日まで一息をつく。


10月6日(月)~7日(火)
 今年からほとんどISO審査を引き受けないこととしているが、年2回引き受けてたうちの1回が今月審査に出かける。審査計画書や他のもろもろの資料を作成して、提出する予定であったが、昨日受審事業所からスケジュールの要望が出たため、また最初からスケジュールを作り直す。要望が結構難しい組合せとなったため、丸1日ロスしてしまう。
 7日の今夜はきれいな後の月。台風過のため、空気が澄んでいて、満月ほどもまぶしさであった。

10月5日(日)  稲の田植えはどんどん遅くなる(NHK俳句から)
 今日のNHK俳句で兼題は「新米」。宇多喜代子の担当であったが、ゲストの佐藤洋一郎氏に興味を持った。専門が植物遺伝学で、特に米の遺伝子に造詣が深いという。そこで宇多喜代子も特に興味を持っている温暖化に話しに移る。ここからはゲストの話から発展させて私がまとめたことだが、稲作は特に四国、九州などでは出穂期が猛暑日にかからないように、8月上旬には稲刈りが行われる。また東海地方では稲刈り時期が台風に引っかからないように同様に8月上旬には稲刈りを行っている。これは伊勢湾台風以降、田植え時期がどんどん早くなったことによる。そしてTVではこのまま温暖化が進めば、猛暑日に出穂期を避けるため、逆に田植え時期が遅くなるという。将来北海道が一番の米所になるという。既に北海道の「ユメピリカ」はブランド米になっている。将来でなく、もう現在でも北海道が一番の米所ではないかと思う。
   手に受けて象牙の艶の今年米   栗田やすし


10月4日(土)
 チングルマ句会。今日は2,3人の欠席であったが、よい句が多かった。
 今日、待望の「沢木欣一全句集」「細見綾子全句集」が届く。手にずっしりとくる両句集である。早速伊吹嶺HPに紹介したいと思い、栗田先生の了解を得る。今日は遅くなってしまったので、明日アップしたい。


10月1日(水)
 最近ますます詩心が枯渇してきて、やむ得ず吟行句を作りたいと思い、10年ぶりぐらいに明治村に出かける。村もまた一段と広くなっていた。これまで前を通るだけだった呉服座の中に初めて入る。よく皆さんが詠んでいる奈落も初めて見る。その他、我猫庵、四校、喜之床、天主堂、帝国ホテルなどをめぐり、最後は帝国ホテルでコーヒーを飲んで終わる。でもすぐ俳句が出来るかどうかは別問題。
 帝国ホテルはなつかしいホテルだ。と言っても私が宿泊した訳ではない。ただNTT本社がすぐそばにあり、昼食時など有楽町に出かけた帰りにはよく帝国ホテルの売店を通り過ぎて、本社に戻ったことがあった。当時は天井が低くて暗い印象が強かった。
 写真は呉服座と帝国ホテル。
 
呉服座の玄関
 
帝国ホテル


9月30日(火)
 毎月の定期診察のあと、会計事務所によって新しい経理ソフトを購入して、インストールして貰う。この経理ソフトはネット版でいつでも会計事務所からも見ることが出来、分からないことがあってもこのソフトを介してリアルに質問を聞くことが出来る。逆に私が怠けて記帳していないこともばれてしまう。


9月28日(日)
 ビオトープ管理士の試験の監督補助。昨年はビオトープ管理を受験する立場だったが、かろうじて合格し、今年はこれと言った活動は出来なかったが、こども相手のキッズエコフェアなどのお手伝いなどをしてきた。今回はビオトープ管理士の試験の運営側のお手伝いをする。監督と言っても特に難しいことはない。ただ資格があるので、お手伝いできると言うだけのこと。たまたま試験会場が母校の名工大と言うことで、訪れたのが10数年ぶりぐらいではないか。丁度試験会場が私のいた電気系校舎だったところで、随分なつかしい印象。今は何とアカデミックな校舎かと思うし、大学間の競争も激しく、最近では、ABU大平洋・アジア世界大会で準優勝したとか。私は大学時代、怠け放題で、今の大学では落第ではないかと思う。
 写真は以前電気工学科のあった校舎。(105045)


9月26日(金)
 10月末に行われる東員町文化祭の出展説明会。内容そのものは難しいことはない。ただ会場当番を出すことで会員の皆さんにお願いすることになる。その他、私自身、文化祭のPT委員として会場全体の鍵、照明、入場者のカウント、アンケートの管理などがある。


9月25日(木)
 毎年、夫婦で人間ドックを受けているが、私はいつも病名を5つぐらい貰う。そして必ず精密検査を受けよとの結果を貰う。今年は妻がめずらしく潜血反応で、再検査の指示を受けた。今日は大腸ポリープの内視鏡検査のため、1日入院する。検査結果は、ポリープはないし、他の異常もなかったという。結局は半日入院で済んだ。異常なしを祝って夜は歌行灯で外食する。


9月23日(火)  伊吹山のシモツケソウの危機(朝日新聞14.9.21)
 一寸遅い新聞記事の情報です。伊吹山のシモツケソウは花時(7月下旬)になると、山頂一面にピンク色に飾られる。昨年、伊吹山に出かけたとき、一面のピンク色は見ることが出来なかった。8月に入ったときなので、もう花時が過ぎたと思っていたが、昨年既にシモツケソウがシカやイノシシの獣害で最盛期の半分以下になっているという。そして21日の記事は住民や市民団体「伊吹山もりびとの会」の協力による再生活動に入ったというものである。昨年の10月に群落の一部で地中に残った苗を植え直したり、今春には約400平方メートルを金網で囲い、シカやイノシシなどの対策を施したが、苗の定着率は約2割にとどまったというものである。まさか伊吹山も獣害にやられているとは気付かなかった。
 今年は伊吹山に出かけることは出来なかったが、来年は是非伊吹山に出かけてシモツケソウの定着率を見に行きたい。
 なお朝日新聞のこの記事は次のHPを見て下さい。
   http://digital.asahi.com/articles/ASG9N62DHG9NPTIL010.html
 また右の写真は昨年撮したシモツケソウです。


9月22日(月)
 岐阜同人句会。半田の曼珠沙華の句を一部投句したが、全然駄目。結局は日常吟の事柄俳句だけが採られる。いつも事柄俳句は作らないようにしているが、結局は事柄俳句が採られる土壌が伊吹嶺にあるのだろうか。私の心の片隅にも事柄俳句を良しとする気持ちがあるのだろうか。(104924)


9月21日(日)
 「広報ひばり」の3校。もうほとんど最後なので、印刷社から戻ったゲラの修正程度ですぐ終わる。今回は犯行日まで余裕を持って終了することが出来た。


9月19日(金)
 そろそろ曼珠沙華の季節になった。毎年この時期は明日香に出かけて、曼珠沙華と案山子祭を見に行くことにしているが、今年はその余裕がなく、妻が一度も行ったことのない半田の曼珠沙華を見に行くことにした。丁度彼岸花祭が始まったばかりでよく写真で見る土手一面が曼珠沙華で埋めつくされるというところまで行っていなかったが、まずまずの開花状況。ただ曼珠沙華の句を作るとなるとどうしても類型句になる。わずか1.5km程度の散歩道をゆっくり歩く。
 写真は土手が曼珠沙華で覆っているところを誇大して撮したものです。
 帰りに半田駅前の酢の里博物館に寄ろうとしたら、現在改修中で来年の秋にオープンだという。これから半田に行く予定の方は注意していください。
   夕方は遠くの曼珠沙華が見ゆ  細見綾子


9月17日(水)  富士山に汚物が散乱(讀賣新聞14.9.17)
 しゃくやく句会。毎年東員町文化協会では、秋の文化祭と称して、加盟団体、公民館講座などの参加者による作品展示が行われている。これまで3年前に公民館講座として皆さんに短冊展示をして頂いたが、今年からしゃくやく句会も文化協会の加盟団体に加わることにした。そのため文化祭に作品展示に依頼が来た。皆さんの意見を聞いたところ全員が参加希望があり、10月末の文化祭に自分の俳句を短冊に書くこととした。今日はとりあえず来月まで作品を書いて貰い、提出することとした。

 今日の讀賣新聞に由々しき記事が掲載された。それは富士山が昨年世界文化遺産に登録されたというのに、須走登山道に汚物が17個所に亘って散乱していたと言うことである。山小屋や頂上にはトイレがあるが、絶対数が足りないのだろう。しかしそれが世界遺産の登山道に汚物を放置する言い訳にはならない。「携帯トイレの使用を義務付けるなどの対策が求められ、罰則付きの県条例を作る必要がある。」との発言も出ている。
 それでは私の場合、どうしたのか思い出すと、トイレの大は使わなかったと思うし、小は山頂のNTT臨時電話局を使用させて貰った記憶がある。私の場合は恵まれていたが、トイレの問題をなんとかしなければならないだろう。
 一方、今年から富士登山の入山料を徴収することになったが、任意のため、徴収率は目標の8割に対し、6割程度だという。この程度の意識では富士登山の資格はないと思う。入山料などでトイレ完備、登山道補修が必須となる。
 なおこの新聞記事は次のHPをクリックして下さい。
   http://www.yomiuri.co.jp/eco/20140917-OYT1T50003.html


9月15日(月)
 今月の「伊吹嶺遠峰集」に投句すると、在庫はすっからかん。妻も同じだと言うことで、朝の審査準備を終えて、正午近くどこかへ行こうという話になって、急遽ノリタケの森に出かける。着いたときは午後1時ぐらいになったので、長蛇の列の簡易レストランに並んで食事。それからのんびりと園内を散策。陶器工場跡の6連煙突、窯壁、煉瓦倉庫など都心でよく昔の名残が残っているものだと思う。園内の端にはビオトープも作られており、一応人工自然もあり、目高、日本ザリガニなどが生息していた。今やこの2つは自然界で見ることは出来ない。こういうところでしか見ることが出来ないのは、悲しいことだ。
 右の写真は6連煙突のうちの4連。煙突は高すぎるので、根元で切ってあり、蔦がびっしり。


9月14日(日)  現代俳句評(9月号)と「環境と俳句」
 一昨日の続きで、自分で校正した結果を基に、2人で校正を行う。
 そろそろ今月の伊吹嶺原稿を書く時期になったが、丁度時期が重なってN社の更新審査資料が届いたので、並行して両方の仕事を続けることになる。いつも反省することだが、もっと早く取りかかればよいものを土壇場にならないと出来ないのはもう直らないのか。
 ところで「伊吹嶺」9月号が届いてから、半月もたってしまったが、書いた文章が掲載されたので、紹介します。「現代俳句評」は【こちら】に、そして「環境と俳句(鰻)」については伊吹嶺HPの【こちら】に掲載してあります。それぞれ該当のところをクリックした下さい。(104720)


9月13日(土)
 名古屋句会。相変わらず、森さん、武山さんは出席できないので、さみしい人数で句会。それでも欠席のお二人は10句投句されてくる。句会はすぐ終わるが、その後、欠席者も含めて会員の投句について講評というか問題点を指摘して返送する。


9月12日(金)
 今年から私の句会「しゃくやく句会」が東員町文化協会に団体会員に入ったというより、無理やり入らされた感じだが、毎年文化協会で「秋の文化祭」が行われ、会員の作品を展示することになった。俳句の場合は、短冊を展示するのみであるので、そんなにスペースは要らない。そして私は文化協会の広報委員を担当しているため、文化祭のPT会議に始めて出席した。今後句会メンバーの作品製作、展示準備、文化祭中の各コーナーの当番、最後に反省会など次々と身体が拘束される。これも地元とつきあいのため、致し方ないことか。
 またその前に午後には「広報ひばり」の1校ゲラが届いたので、主なところのみ構成、というより割付の検討。その後の細かい校正は時間が足りないし、次の全員集合の出来る日はないので、2班に分かれて校正することとなった。


9月11日(木)
 真夜中に猛烈な雨と落雷で眼を覚ました。皆さんの地域ではいかがだっただろうか。そして朝のTVを見ると昨日から昨夜にかけて全国各地でゲリラ豪雨があったとのこと。北海道では道央部では大雨の特別警報がどんどん出され、東京ではゲリラ豪雨で都心各地で、浸水さわぎがあったとか。これらはいずれも予兆となる前線の活発化でなく、1個所で集中的に、しかも何時間も雨雲が動かない状態で発生している。昔は秋雨前線が発生し、秋の長雨が常識であったが、最近は全く予測が付かない。原因はいろいろ言われているが、私は温暖化による海水温の上昇だと思う。この海水温の上昇については既に私の日記の9月2日の広島豪雨の時に書いてある。
 一方、昨日の各新聞では世界気象機関(WMO)によると地球温暖化の原因となるCO2の世界での排出が昨年は過去最高の396ppmとなったとある。こうなると海水温の上昇からいよいよ本格的な大気温の上昇の時代に入る。そうすると数十年に1回の大雨が乱発されることになると心配している。なおWMOのCO2排出の記事は次のHPを参照して下さい。(104643)
   http://digital.asahi.com/articles/ASG995TVPG99UHBI01X.html

9月10日(水)
 先日、御在所岳俳句ingの選句結果を色紙に書かなければならず、12枚書いているうちに1日が終わってしまった。字が下手なのは、こういうところにつけが回ってくる。そろそろ次の段階に行かなければならないのに。


9月9日(火)  「再エネ発電促進賦課金」の疑問
 愛知同人句会。やはり綾子忌と名月の句が多かった。
 そして今日は十六夜で重陽の節句。このところ毎日いろいろな季語がなどが重なる。十六夜と言っても月齢で行くと、今日は満月で少しの欠けもない。写真に写すと昨日の月と全く変わらないので、今日は少し雲がかかった十六夜の写真を載せます。

 ところで話は変わるが、皆さんの家庭の電力使用量の知らせを詳しく見ただろうか。実はここに老眼鏡をかけてもよく見えない小さい字で「再エネ発電促進賦課金」という名前で電気料金が上乗せされて徴収されている。
 これはまず「再生エネルギー固定買い取り制度」が前提で、各家庭、企業などで再生可能エネルギーを発電し、固定価格で電力会社に買い取りさせる制度があることはよく知られている。そして電力会社が買い取った再生エネルギーを買い取った経費を全額各家庭の電気料金に上乗せするものである。この根拠は「再生可能エネルギー特措法」となっている。
 電力会社の説明によると、「「再生可能エネルギー発電促進賦課金」(電気料金の一部)とは、「再生可能エネルギーの固定価格買取制度」によって電力の買取りに要した費用を、電気をご使用のお客さまに、電気のご使用量に応じてご負担いただくものです。」とある。つまり買い取った電力経費はすべて我々が負担するもので、電力会社は一切負担しない。ここで疑問になるのは、では電力会社が買い取った電力量はどうするのか当然その電力は一般家庭の配電量に当てることができる。これは丸儲けと言うことか。このあたりの疑問についてネットで調べると、各電力会社、資源エネルギー庁の説明ばかりが出てきて、疑問に答えてくれる回答はなかった。こういう疑問を抱きつつ毎月電気料金を払い続けることになる。
 ちなみに我が家の9月分の請求書は8月12日~9月9日で7314円(我が家ではエアコンをあまり使わないため、他の家庭より少ないはず)で、そのうち再生可能エネルギー発電促進賦課金は199円で2.7%に相当する。これは従量制のため、今後どんどん再生可能エネルギーが作り出されるとますます電気料金が高くなるしくみとなる。
 これを邪推すると、再生可能エネルギー社会に転換すると、電気料金が上がるから、原発再稼働に誘導するための無言の圧力かと思う。


9月8日(月)
 今日は白露で、仲秋の名月。こんなに早い名月はめずらしい。確か昨年は9月18日でISO審査の出張中であった。
 昨日に続き、快晴で絶好の月見日和。写真を撮るのを忘れたが、玄関の花瓶には芒、吾亦紅、ツリガネニンジンでいかにも我が家らしい草花。オミナエシもあるが、これは庭にある時はよいが、切り花にすると、匂いがきつすぎてよくない。
 月の写真を撮ろうとして散策に出かけるが、持っていったカメラがコンパクトデジカメのため今ひとつ写りが悪い。一応これを掲載します。
   


9月7日(日)
 御在所岳俳句ingの夏の投句一覧が出来上がったとの連絡を受け、今日は多分雨が回復するだろうと決めて、選句に御在所ロープウエィまで出かける。今日は同一作者に良い句が多く、何度も選び直して、結構時間がかかった。
 そのあと快晴の御在所岳に出かけた。久しぶりに「天高し」の季語にふさわしい天候であった。しかし今日は日曜日にもかかわらず、人出が少ない。もともと雨の予報だったため、旅行を取りやめた個人やツアーが多かったのではないか。よく晴れていたので、山頂以外あちこち散策した。今日は御在所山頂側から山上駅方面の写真を紹介します。


9月6日(土) 
 今日が本当に綾子忌。そしてチングルマ句会。昨夜夜遅くまで伊吹嶺HPの落書アップにかかり切りになっていたため、俳句の準備がなく、さんざんの成績。
 夜は岐阜の町内会の懇親会でとんぼ返りで岐阜に出かける。そろそろ娘に町内づきあいをさせることが必要で、今日初めて娘も参加させた。帰る頃は土砂降りの雨で帰りは大変だった。(104513)


9月5日(金)  綾子・やすし師弟句碑吟行会
 綾子忌の前日である今日、「綾子・やすし師弟句碑吟行会」が行われた。朝から土砂降りでめずらしい吟行会になると思っていたところ、犬山遊園駅にホテルに着いた頃は雨も上がり、木曽川は幻想的な川霧に覆われていた。そしてやすし句碑の龍巌石は本来の色である深い緑色が鮮やかに浮き出ていた。このような句碑の色は始めてみた印象。
 私はいつものようにカメラマンを務めていたので、俳句どころでなく、被写体ばかりを追いかけていた。こんなことが今日の句会の成績が悪くなった理由にしているのは、我ながら情けないことである。それでも私のところの句会で結構点数が入る方がいて、助かった。
 詳しい吟行会模様は伊吹嶺HPの落書欄に書いたので【こちら】を参照して頂きたい。またここに掲載したやすし句碑の龍巌石の見事な緑色が浮き出ているのを確認してほしい。

 昨日のこの日記に新日鉄住金での爆発事故は設備点検に入っていた石炭塔が3日間稼働していなくて、3日分の石炭が積み重なって、そこから自然発火したことが原因であることが分かった。設備点検という非定常時の環境側面に起きたものであり、こういう非定常時における安全管理、緊急事態の処理手順が不十分であったことが分かった。この例のように非定常時の対策が以下に重要であるかが分かった。

 また今日の新聞で今年は 「名月3回、奇跡の秋」(中日新聞14.9.5)という見出しで、仲秋の名月が8日の早々にやって来るし、旧暦の今年は閏年の閏月があるため、10月の十三夜(10月6日)の他、11月には後の十三夜(11月5日)がやって来るという。これは171年ぶりと言うことでもう2度と見ることが出来ないため、今年の名月をしっかりと経験したい。


9月4日(木) 安全管理上の事故は非定常時に発生
 ISCの審査員研修。いよいよISO9001/ISO14001の2015年版の大改訂を控えて、毎回新規格の説明が続く。いずれ2015年版対応の力量があることが審査員の必須条件となるので、今後とも勉強会が続きそう。
 今日の研修の中で、タイムリーな講演報告があった。東工大客員教授の「最近の安全管理の課題」と最近の化学プラント事故の講演を聞いた。そこでの一番のポイントは、事故は定常運転時でなく、点検や修理などの非定常時に起きていることである。そして団塊の世代が退職した後の現場力が低下していることだという。環境マネジメントシステムや労働安全マネジメントシステムにおける環境側面を洗い出すとき、定常時、非定常時、緊急時の3つの状態についてそれぞれすべての環境側面を洗い出す。その非定常時に事故発生の確率が高いというものである。
 丁度昨日のニュースで新日鉄住金の石炭塔の爆発事故はまだ原因が分からないが、非定常時の事故かもしれない。定常的に運転されているときは、めったに事故は起こらない。そういう目で昨日の爆発事故を見る必要があるかもしれない。


9月3日(水)   「プラごみ 海の迷惑」(朝日新聞2014.9.3)
 今日も「広報ひばり」の編集会議。小刻みに何度も打合せを行っているが、なかなか進まず、印刷業者に入稿時が迫っている。今回も綱渡り的に発効まで続くのか。
 今日の新聞で、「プラごみ 海の迷惑」という記事が目についた。記事によれば、
 以前からプラスチックによる海洋汚染が問題視されており、今回問題になったのは、プラごみが波間を漂ううちに、砕けて微少になったマイクロプラスチック(微少プラ)が問題で、この微少プラは化学物質を吸着しやすく、これを魚や鳥が飲み込んで海の生態系や海産物に影響を与える。私達がこの微少プラを飲み込んだ魚などを食べているかもしれないのである。
 言わば海がプラスチックのスープになっているようなものである。私達はこのスープを飲んでいるのである。
 対策として微少プラを取り除くことは無理で、結局は海に廃棄するプラスチックを減少させるしか方法がない。プラスチックごみを減らすことは途方もない大仕事になるが、これしか方法がないことだという。
 国連環境計画(UNEP)では「プラスチックの減量、再利用、再資源化が対策に第一歩だ。」と結論づけている。
 なおこの新聞記事は次のHPアドレスを参照して下さい。
   http://digital.asahi.com/articles/DA3S11330371.html
 

9月2日(火)   8月の降雨量、日照時間(気象庁発表2014.9.1)
 今日の新聞で、気象庁が今年の8月の降雨量について発表していた。今年の夏、特に8月の降雨量は明らかに異常であった。気象庁によると、まず「西日本太平洋側の月降水量は平年比301%となり、1946年の統計開始以来8月としては最も多くなった。 」という。次に日照時間はも記録的に少なく、「西日本太平洋側で平年比54%となり、1946年の統計開始以来8月としては最も少なかった。 」と言い、愛知、三重県なども平年比で50%しかなかったと思うし、台風11号では三重県下のほとんど、そして東員町までも大雨特別警報が出たというびっくりしたニュースもあった。鈴鹿市は全域避難指示が出たと言うが、実際に避難したのは1%ぐらいだったと思う。もちろん我が家も避難はしなかった。
 そして何よりも痛ましいのは広島市の大雨による土石流発生で70数名の死者、行方不明者が出たことだ。
  以下は私の推論になるが、原因はやはり温暖化である。地球温暖化は即気温上昇につながらない場合があり、一部は海水温の上昇により、気温上昇を押さえる段階もある。この海水温上昇により、大量の水蒸気を含んだ上昇気流により大雨をもたらす。そしてこれが台風の大型化につながり、いずれ近い将来にスーパー台風が発生するだろう。人間の気ままなCO2排出がこのような自然のしっぺ返しにつながる。
 なお気象庁の8月の天候の報道発表は次のHPのアドレスを参照して下さい。
   http://www.jma.go.jp/jma/press/1409/01b/tenko1408.html
  

8月31日(日)
 一寸時期はずれになってしまったが、伊吹嶺HPの「環境と俳句」に鰻のことを書いた。私の日記の土用丑の日に書いたものを膨らませて書いた。遠い日のことだが、沢木先生と鈴木みや子さんのことが思い出される。
 HP記事は9月になってからアップします。(104238)


8月30日(土)
 文化協会の「広報ひばり」の編集会議。わずか午前だけの編集なので、遅々として進まない。ただ短い時間でも家に帰っても疲れて何となく無駄に時間をつぶしている感じ。
 夜、妻が今年やっと秋刀魚が安くなったので、初めて買ったという。それでも1尾200円である。他のスーパーでは300円以上するという。塩焼きにして食べたが、いつもの秋刀魚と変わらないが、新秋刀魚と思って食べることにすれば少しはおいしいと思うことが出来るのだろうか。


8月29日(金)
 2ヶ月に1回の眼科検診。良くもならず、悪くもならない。このままの状態が続けば良いのだが、黄斑変性は確実に進むと思われるので、諦めるしかないのか。


8月27日(水)
 母が亡くなって今年が7年目に入る。母のささやかな遺産の相続処理がなかなか進まない。本来この相続処理に期限はないが、いい加減済ませなければならない。
 母が亡くなってから岐阜にあまり出かけることもなくなり、何度も岐阜にで蹴るのが面倒だったのが遅れた原因。昨年の7回忌に済ませる予定だったのが、眼の手術で延び延びになってしまう。8月は比較的、時間的余裕があったので、岐阜市役所、東員町役場、各銀行を回って必要な処理、書類を集め、妹と相談の上、分割協議書を作成して、町内の司法書士さんにやっと提出する。これであとは登記変更などの仕事をやって貰うことになる。早く面倒な雑事は終えていよいよ自分の終活処理を行うことになる。


8月26日(月)
 東員町の人間ドックに行く。年々病気のデパートとなるような病名を沢山貰っている。今年もその傾向は変わらない。
 いつものように病院の近くの温泉に入ってゆったりとする。この温泉が楽しみである。


8月25日(月)
 岐阜同人句会。最近吟行に出かけないので、投句する俳句がない。本当は日常吟でも作らなければならないのだが。そのつけがてきめんに出てくるのが、当日の席題である。その席題が全然駄目。
 句会後あわてて帰って、「広報ひばり」のクラブ訪問に顔を出す。今夜のクラブはヒップホップダンスのGlow Mixという団体。今夜は小中学生の練習日。10月の発表会を控えて練習も本番になってくると言う。ヒップホップの激しいダンス、コンビネーションに驚く。


8月24日(日)
 最近またこの日記が滞って1週間ほど書かなかったため、また病気でもしたのかとか、国枝は死んだのかと言われる。実は今日1週間分この日記を書いている。

 久しぶりに栗田先生宅を訪れて、一昨日行った自然と親しむ吟行会反省会の模様を説明させて頂いた。
 話は発展して、今後のインターネット部の進め方について意見を交わした。
 帰りのついでに新車を買って丁度半年になるので、無料の半年点検を受けに行く。皆さんから最近随分と大きな車を買ったねと言われる。私としてはもっと小回りの利く車にしたかったが、今の車にさせられてしまった。まさかこの歳になって、3ナンバーの車を買うとは思いもしなかった。


8月23日(土)   環境スキルアップ講座(三重県環境学習情報センター)
 三重県環境学習情報センターではタイムリー的にいろいろな講座を開設している。今日のテーマは「環境先進都市を目指して」と「ため池に魚を戻すには」の2講座。
 最初の講座は豊田市のスマート都市の講義だが、豊田市のためかほとんどがトヨタ自動車の宣伝ばかり。むしろ興味深かったのは後者の講座。
 。今日の講師は東海タナゴ研究会の北島淳也氏。タナゴの回復をメインに活動なさっている。タナゴは日本固有の淡水魚で種類、呼び名は各地でいろいろある。 アブラボテ · ヤリタナゴ · ミヤコタナゴ · ニッポンバラタナゴ · スイゲンゼニタナゴ · カゼトゲタナゴ · ゼニタナゴ · カネヒラ · タナゴ(マタナゴ) · イチモンジタナゴ · シロヒレタビラ · アカヒレタビラ · セボシタビラ · イタセンパラなどと実に多い。岐阜ではイタセンパラ、あるいは単にセンパラと呼んでいたような気がする。そしてタナゴは絶滅危惧ⅠB類に指定されている。絶滅危惧になった理由は明らかで主なタナゴの生態系の場所である池沼には近年特定外来生物であるブルーギル、ブラックバスの放流が原因である。そのため今、ため池は危機に瀕している。どこの池沼も特定外来生物に汚染されている。私の団地の池にもブルーギルがはびこっている。
 またタナゴの産卵に必要なのは二枚貝である。タナゴはこの二枚貝に卵を産みつけて生育している。そして今日の東海タナゴ研究会では池干しにより外来生物を排除して、一時的に他の場所に保管していたタナゴ、二枚貝などをまたもとのため池に戻す方法で行っている。一口に池干しと言っても根気のいる作業である。また地元の自治体、農家、住民の同意も得る必要がある。これらの地味な活動によってタナゴが維持されているのである。
 今日はタナゴがテーマであったが、他にメダカなどの日本固有種の魚も同様に絶滅の危機に瀕している。
 ところで皆さんは池干しはいつ行われるかご存じですか。大体想像がつくと思うが、秋から冬にかけての農閑期である。「溝浚え」という季語があるが、これは夏の季語で、①下水道の未発達の頃、蚊の発生を防ぐため一斉に溝を浚ったこと、②農家では、田に水が行き渡るように田植前に田圃に通じる溝、小川などの泥をあげ、周辺の草を刈ったことから夏の季語となった。
 この季語はよく知られているが、「池干し」は季語になっていない。昔は農閑期に池の底に溜まった泥を干すとともに、一部は肥料としていた。しかし近年はため池を農業用水として使わなくなったため、この行事も廃れてしまった。一方、近年は前述したように外来特定生物駆除のため行われるようになったし、これを新しい行事として秋または冬の季語としたいことを個人的に思っている。
 なお東海タナゴ研究会のHPは次のアドレスをクリックして下さい。(103902)
   http://toukaitanago.web.fc2.com/


8月22日(金)
 自然と親しむ吟行会の反省会。今回は環境G3名とネット部名古屋の皆さんで幹事グループを作って吟行会を行ったが、チームワークよく無事問題なく終わった。特に川の中の木道を歩くときの事故が一番心配だったこと、足の弱い方の参加もあったが、一部タクシー利用などをして貰ったこと、句会では投句一覧のコピー、配付が時間内に済ますことが出来たことなど成功裡に終わったと思う。ただ予想以上の80名近くの参加者で吟行の列が長く、先頭から最後尾まで目配りしながらの幹事役は体力が限度だという方もいた。ネット部も随分と老いたものだとの実感。


8月20日(水)
 しゃくやく句会。今日も猛烈に暑いが皆さん惨禍して頂き感謝。会員それぞれ波があり、思ったより悪い人、、思ったよりよかった人など様々。それが初心者の句会として丁度よいのかもしれない。句会後、久しぶりに数人で喫茶店でおしゃべり。こういう場を積み上げて少しずつ親睦を図っていきたい。


8月19日(火)
 毎月の定期診察。午前の受診で、そのまま帰るのももったいないので、東山植物園をぶらぶら歩く。しかし今日も猛暑日だったらしく、猛烈に暑い。園内はひっそりとして、今頃は特にこれと言った花もなく、熱中症にならないよう水分を補給しながら散歩。やはり収穫はあまりなかった。

8月17日(日)
 おおがき芭蕉俳句交流会に参加。言わば結社間の俳句交流会で、句会を行う。全部で5回行われ、今日は第2回。私は講師が櫂未知子に出席。当日席題は櫂未知子らしい「水中花」。水中花の名前は聞いていたが、これまで見たことがあるような無いような。もしかすると俳句以前に見たかもしれない。「いきいきと死んでゐるなり水中花 未知子」の盗作論争があった句である。他に次のような佳句がある。
   泡ひとつ抱いてはなさぬ水中花   富安風生
   水中花にも花了りたきこころ     後藤比奈夫
 今日は事前投句と当日席題で全員参加の句会。互選ではさんざんの成績だったが、櫂未知子の最後に大盤振る舞いの特選にとって貰う。それにしても結社間の句会も面白いものだ。今日は「栴檀」から4名の参加者がいた。なお1月11日の栗田先生の交流会ではまだ定員内であったので、ついでに申し込んでおいた。


8月15日(金)
 今日は終戦記念日。毎年のように妻と一緒に全国戦没者追悼式をTVで見る。今年ほど平和が脅かされる分岐点に来ていることに危惧する。またいつもながら天皇皇后両陛下を見ていると、痛々しい。
 最近のニュースではこの7月で両陛下は46年かけて、全国のハンセン病療養施設すべてを訪問されたという。この46年間の訪問も両陛下にとって戦後になすべきことだと思われて、これでやっと長い訪問が終わったのであろう。
   靖国の靖はわが名敗戦忌   栗田やすし
   終戦日黙祷すべく家にあり   鈴木みや子



8月13日(水)
 いつも夜、パソコン作業する部屋は居間であるが、ここのエアコンはもう20年もたち、かび臭く、とても運転できる代物ではない。その間、隣のエアコンのある部屋に閉じこもりだったが、パソコン作業するときはやむ得ず、暑いのを我慢して、主に深夜に作業している。今年も暑いだろうと思い、ついに7月下旬にエアコンを買うことにした。その工事日が今日で、2時間ほどで終わる。これでやっと暑い中で作業できると思ったが、台風後であまり暑くなく、今年は使う日があるかと、遅すぎたのではないかと少し反省。


8月12日(火)
 旧盆のお経を上げて貰うため岐阜へ帰る。台風も過ぎたが、また雨模様だが、涼しくて丁度よかった。ついでに岐阜でこなすことがあり、あちこち出かける。帰りは久しぶりに海津市の温泉に寄り、身体をほぐす。雨も上がり、露天風呂からは遠い名古屋駅前の高層ビルまで見えた。


8月10日(日)  「伊吹嶺」8月号
  昨夜は大雨とともに、風も強くなっていた。今日は朝から風が強い。結局1日中家に閉じ籠もって、TVで台風ニュースばかり見ていた。ようやく夕方になって、雨も風も収まってきて、大雨特別警報が解除された。

 「伊吹嶺」8月号が届き、感想を言うのが遅れる。今月号は偶然に栗田先生の「伊吹山房雑記」は「言葉に出会う」と矢野孝子さんの「俳句を考える」は「言葉探し」で同じテーマ。
 まず栗田先生は綾子先生の句集『和語』のあとがきに触れて、「日本の言葉に出会うために俳句を作ってきた。それは心とか自然とか区別せずにそれらを含めて言葉をあらしめたいというものである。」と述べ、「俳句は言葉探し」であると締めくくられている。
 一方、孝子さんは栗田先生の「言葉探し」をスタートとして、「俳句を詠むと言うことは、的確な言葉に辿り着くまで、言葉探しを続けることであろう。」とご自分なりの結論を述べている。どちらも言葉探しは難しいものであるが、この作業をしなければ俳句は出来ないとの感想を持った。

 次に栗田主宰と河原地主宰の句、
   山と句を友とし逝けり桐の花   栗田やすし
   鉢植の水やり蜘蛛の糸弾き   河原地英武

 栗田先生の句、横森今日子さんの追悼句。今日子さんは山も登ることは知らなかったが、栗田先生も皆さんも知っていたのであろう。「桐の花」の目立たない花が今日子さんらしいのであろう。
 河原地副主宰の句、「蜘蛛の糸」はふだんよく見えない。しかし植木鉢に水をやることにより、「蜘蛛の糸」が俄然生き生きと見えてくる。その糸の弾み具合が「糸弾き」によく出ている。
 今月号は栗田先生はじめ、関東支部の皆さんが今日子さんの追悼句を寄せていらっしゃる。
   白薔薇や句集に折り目つけし後    関根切子
   万緑や幾山河越え友逝けり       中野一灯
   今頃はお花畑に憩ふらむ        佐藤とみお
   大雪渓渡りし君の緋のヤッケ      鈴木みすず

 今月号の4名の方の句はいずれも心の籠もった句である。今日子さんとは関東支部の新年大会などでご一緒したことがあり、切子さんの伊吹嶺入会のきっかけも今日子さんだったことも思い出される。
 実は昨年の愛知支部俳句鍛錬会で今日子さんとお会いする予定だったが、私が急遽手術で欠席したため、お会いすることが出来なかった。鍛錬会の時、妻と今日子さんはバスで隣同士に座り、今日子さんの話によれば、その前の全国大会では体調が悪くて欠席してしまったが、鍛錬会に出席することが出来て本当によかったと話されていたとか。結局妻も今日子さんと話したのが、この鍛錬会が最後となってしまった。本当に惜しい方を亡くしてしまった。
 写真は昨年の愛知支部鍛錬会で関東の中村さんと一緒のスナップ。(103234)


8月9日(土)  台風11号(大雨特別警報)
 今日は長崎原爆忌。ただ名古屋句会に出席するため、平和祈念式典は見ることが出来ないので、録画だけしておく。
 台風11号が近づいているが、名古屋の日中は小雨程度。しかし三重県に大雨が降りそうと言うことで早々に帰る。風はないが、雨が相当強く振り、三重県に大雨特別警報が出され、18:00には東員町も特別警報が出る。確かに雨の降り方は強いが数十年に1回の豪雨とは感じられなかった。私の住んでいる団地はいわゆる雛壇形式の団地であるため、浸水の心配はないし、川もない。ただ東員町でも役場のある辺りは標高も低く、員弁川も流れている。この員弁川が決壊すれば、旧市街地区は水浸しになる。
 確か、10数年前の東海豪雨の時、員弁川が決壊寸前まで行ったことがあった。この日は津市まで出張で、審査員の方と一緒に帰ろうとしたが、近鉄、JR、高速道路ともみなストップ。やむ得ずタクシーで23号線を帰ろうとしたが、大渋滞。桑名市近くなってから、タクシー運転手さんの判断で員弁川沿いを走ることにしたが、堤防直前まで水位が上がり、しかも堤防がゆるんでいるのもはっきりと実感した。この時ほど怖いことはなかった。
 そんな経験があったため、今回は安心と自分勝手に決める。深夜は相当雨が強かった。


8月7日(木)
 昨日の原爆忌に触発された訳ではなかったが、「いぶきネットの四季」で「原爆忌」のことを一気に書いた。


8月6日(水)
 広島原爆忌。式典はTVで妻とふたりで見、黙祷も行う。広島市長の発言の「69年間、日本が戦争に巻き込まれず、参加しなかった事実は重い。」がずしりとくる。今は集団自衛権とやら、憲法解釈で変えようとしている大きな曲がり角に来ている。六十九年戦争をしなかっただけでなく、日本は永久に戦争すべきではない。
   ふち焦げし原爆の日の目玉焼   栗田やすし


8月4日(月)-5日(火)
 U社の審査結果報告書作成。ここ半年以上、仕事をしていないこと、報告書の様式も変わり、結局は2日間も家に閉じ籠もりきりでやっと書き上げる。全然家から出ないし、運動もしていないため、身体にも悪い。また神経にも悪い。来年はISO14001もISO9001も国際規格の大改訂を控えているので、また勉強しなければならないかと思うと頭が痛い。


8月3日(日)   ESD(環境基礎講座)
 環境基礎講座の最終日。全部で6回の講座でよく受講が続いたと思う。今日はESDがテーマ。ESDとは「持続可能な開発のための教育」のことで、当初は環境教育に限って使われていたが、現在は幅広く、人権、多文化共生、防災、ジェンダー(社会的・文化的な性のありよう)、平和。開発なども含まれた教育に使われている。私も当初は「環境発達教育」程度に理解していたが、それもそのはずで、2002年のヨハネスブルグ・サミットで日本が今のような定義で小泉首相が提唱。その結果、2005年~2014年までを「国連ESDの10年」として活動を続けてきたという。当時としては川口環境相と環境省官僚の成果であろう。
 その結果、締めくくりの年として、今年の11月に名古屋で「ESDユネスコ世界会議」が行われる。
 もちろん今日は、環境教育についてのテーマで、三重県立北星高校教頭の坂田広峰氏。内容は主にESDの内容、これまでの坂田氏の成果。内容はともかく今日は興味深い書籍2冊を紹介して貰う。
1.『地球の秘密』坪田愛華ちゃん著、この本を出版してわずか12歳の時、脳内出血で死亡。この本のキーワードは「缶と捨てるのは過去、缶を拾うのは未来」と何というすばらしい感性だと思う。
2.『世界一貧しい国の大統領の演説』ウルグアイ大統領・ムヒカ氏。この演説は2012年に行われた「世界リオ会議」での演説を絵本にしたものである。

 同氏は世界で最も貧しい大統領として知られており、彼はその資産の80%を寄付し、個人資産は約18万円相当の1987年型フォルクスワーゲン・ビートルのみという。彼はその場で経済の拡大を目指している現代社会に対して明確な警鐘をならしたことで、全世界へと広まった動画が、大きな話題を呼んだという。
 演説内容は上記の絵本にされているが、10分程度なので動画ですぐ読める。次のYou Tubeの動画をクリックして下さい。
   http://newclassic.jp/5422

 11月のESDユネスコ世界会議には傍聴することが出来ないだろうが、COP10の時のように、ESD関係のブースが並べられれば、見に行きたい。場所は白鳥公園脇の世界国際会議場で、現在愛知県と名古屋市で準備委員会が設けられており、次のHPに掲載されています。(102985)
   http://www.esd-aichi-nagoya.jp/


8月2日(土)
 チングルマ句会。
 久しぶりに栄に出かけたところ、街中「世界コスプレ大会」で人で溢れかえっていた。ヤングはアニメの世界のキャラクタ揃い。また大村知事、河村市長は戦国時代の武将姿。これもコスプレというのか。
 今日は山下さんが欠席のため、指導の代理を務める。句会では先日出かけた御岳の句などが多い。改めてじっくりと推敲し、詠まれた句に佳句が多かった。伊吹集の4句欄からの1句鑑賞は圧倒的に山本玲子さんの巻頭句に感想が集まる。チングルマ句会としては久しぶりの巻頭句出現である。
 帰りはいつものように喫茶店に寄ろうとしたが、大須も「大須祭」のため喫茶店はすべて満員で、寄らずにそのまま解散。


7月30日(水)
 東員町文化協会の広報「ひばり」の編集会議。と言っても当てのないページ割付と一寸した原稿の読み合わせ。今月はあちこち旅行に出かけていたので、これまで欠席が多く、申し訳ない。
 実はこの日記は22日から1週間ぶりに書いている。いつもブランクがあると、国枝は死んだのかとメールが入る。申し訳ありません。(102852)

7月29日(火)  ウナギが絶滅危惧に(朝日新聞 2014.7.28)
 今日は土用の丑の日。これに合わせるかのように、ニホンウナギが絶滅危惧種に指定されたというニュースが飛び交っている。うなぎは完全養殖が難しく、現在は天然稚魚を中国などから輸入して、親うなぎに養殖している。昨年が極端な不漁だったため、今年はわずかながらの増加傾向にあるという。と言っても減少傾向にあることは疑いのない事実である。今は稚魚の捕獲を控えるしかないが、いずれワシントン条約の対象になると、中国からの輸入すら出来なくなる。
 夢は完全養殖だが、稚魚の状態が大平洋の遙か彼方に生息しているので、分からない。それでも一応実験室では完全養殖が成功しているが、現在は1匹を育てるのに数万円かかるという。まだまだ実用化にはほど遠い。
 それでも年に1回の丑の日のため、妻に買ってきて貰ったが、1匹2000円近くかかったという。十分味わって食べることにした。
 ニホンウナギの絶滅危惧種については次の朝日新聞を見て下さい。
   http://digital.asahi.com/articles/ASG7C457XG7CUTIL017.html

   うなぎの日カラヤンよりも寅次郎  沢木欣一
 この句を読むと、昔鈴木みや子さんと沢木先生のお見舞いに新宿の鉄道病院へ行ったことを思い出す。この時、みや子さんが沢木先生が鰻が好きだということをご存じで、静岡駅で鰻弁当を買って、沢木先生に差し上げたことがあった。
 これもはるか昔の話になってしまった。


7月28日(月)  中山純子先生ご逝去
 岐阜同人句会。丁度娘が外国に出かけているので、やむ得ず岐阜の実家の庭の水やりをかねて出席する。今日は一寸出席者が少なく、残念だったが、例によって成績はいまいち。ただ席題だけは思わぬほど採って頂いた。
 今日夜遅く、「風港」の中山純子先生が亡くなられたことを聞く。まだまだ長生きして頂いてもっと「風」時代のことをお聞きしたいことが山程あった。明日が通夜、30日が葬儀と聞いて、夜遅く伊吹嶺HPの落書に葬儀連絡と純子先生の思い出を書いた。「現代俳句評」でも結構多く、純子先生の句の鑑賞を書かせて頂いた。思い出は多く尽きない。 合掌

   あらたまの紙より白く能登の塩     中山純子(句集『水鏡』より)
   野辺送り行く手行く手に桜咲き
   古墳山むかし土葬のわらび山
   ほととぎす鳴くやあの世もあかるくて
   かなしびの色はどの色時雨虹
   鳩に豆ことばが育つ小六月



7月26日(土)  ヒヌマイトトンボのミティゲーション
 環境基礎講座。今日は林業と生物多様性。前半では三重の林業の実態を説明されたが、結局は三重県の森林税の話しに移る。山の自然の多様性を守るための森林税の意義はよく分かるが、一旦一人歩きすると単なる林業補助金になりかねない。
 生物多様性についてはよく分かっている分野だと思っていたが、例えば動物の足跡クイズなどでは分からないことが多い。
 また講演では、一例として伊勢市の宮川浄化センターに生息しているヒヌマイトトンボの保全活動を聞いた。ヒヌマイトトンボは日本国内の絶滅危惧種となっており、絶滅カテゴリーは(CR+EN)となっており、野生絶滅種(朱鷺など)についで絶滅の恐れがある種で、こんな下水処理する浄化センターにいたとは驚きである。ここは宮川の河口にあたっており、もともとヒヌマイトトンボは汽水域に生息する性質があるため、ここで見つかったのであろう。ただ見つけただけではそのまま絶滅してしまうので、浄化センターの中で保護区域を広げて、生息環境の整備と生態観測をしているという。こういう事例で話を聞くとますます環境語の重要性を感じる。ちなみに専門的になるが、このような保護活動は生物棲息地(ビオトープ)のミティゲーションという。ミティゲーションとは生態系維持の緩和、軽減というのが定義である。


7月25日(金)
 このところ足の裏に違和感を感じるので、病院で見て貰う。腰椎の椎間板で神経がさわっているのではないかと言われ、X線写真を撮ったところ、椎間板は正常とのこと。念のため、次回MRIで検査と言われたが、最後は加齢性と言われそう。


7月22日(火)~24日(木)   チングルマ句会吟行
 毎年、御岳休暇村のSさんのお世話で、周辺の吟行地を案内して頂いている。もう句会メンバーのほとんどが登山は出来なくなっているので、平地かバス、ゴンドラで行けるところしかない。今回の行程は、1日目は王滝川の火山で塞がった自然湖、その上流の関電で最も古い水力発電所まで行く。もうその奥はダム湖で何もない。昭和19年完成と言うが、よく戦中の正井中に出来たものだと感心する。しかも鉄筋コンクリートダムでなく、木筋コンクリートである。いまだにびくともしない強度である。
 2日目は五竜岳をゴンドラ、リフトで山上お花畑めぐり。言わば人工で作られたお花畑であるが、その種類は豊富である。ただ一寸いやだったのは、ヒマラヤの青い罌粟の花、エーデルワイスなども見られたことである。青い罌粟はヒマラヤに行ってこそ感動を受けるものであり、エーデルワイスはスイスだからよいのであって、日本ではやはり薄雪草がなつかしい。
 3日目は、帰路につくので、神社で一番古い国宝である仁科神明宮と安曇野の山葵農園の観光コース。
 3日間ともまずまずの天候で、北アルプスなどの連峰は雲間からかすかに見えた程度。特に五竜岳から北側を見たところ、八方尾根、唐松岳、そして白馬三山の白馬槍岳、杓子岳、白馬山などがなんとか見え、若い頃はここを縦走したこともあったと思うと、遠い昔の記憶だけになってしまった。
 次の写真は3日間のわずかな思い出。
 
王滝川の火山で堰き止められた自然湖
 
五竜岳で見たコマクサ
 
ヒマラヤの青い罌粟の花
 
チングルマの呆けたところ(まさに稚児車)


7月19日(土)  Mieこどもエコフェア
 毎年春休みと夏休みに行われる「Mieこどもエコフェア」が行われるので、今回もお手伝いに出かける。2日間の日程であるが、原稿が手つかずなので、今日だけにして貰う。いつも子供相手のお遊びなので、ストレスがなく、孫の世代と楽しく付き合う。今日の工作は貝がら工作で、ブレスレットかストラップづくり。子供には自由に貝殻に模様を描かせて作ってもらう。最後に子供達それぞれに「エコ宣言」として、自分なりにエコな生活するための誓いを書いて貰う。
 今日は猛暑日でなかったが、それでも女の子が一人熱中症にかかり、あわてて事務室へ抱えて、保健婦さんにバトンタッチ。30分ぐらいで元気になってよかった。子供は元気な子がいるかと思うと、結構暑さに弱い子がいることに気付き、1つの勉強になった。
 写真は貝がら工作を行っている様子と三重のゆるキャラ「うーまちゃん」。

工作台が満員の貝がら工作 
 
ゆるキャラの「うーまちゃん」


7月18日(金)
 審査の暫定報告書を提出したあと、午前中は近くの整形外科で時間がつぶれる。
 今日こそは原稿書きしたいと思いつつ、つい目の前のHP句会の選句、いぶきネット句会の添削、有料添削の相互応援などで1日が終わってしまう。(102376)


7月17日(木)
 そろそろ伊吹嶺原稿を書かなければならないが、久しぶりにU社のISO審査。最近は審査をお断りしているが、どうしても専門家がいないと言うことで、優柔不断な私はつい引き受けてしまう。いつも今年こそ審査員を卒業するといいながら、妻は私をオオカミ少年みたいな眼で見ている。


7月16日(水)
 しゃくやく句会。この句会はいつも全員が参加して貰い、ありがたい。とにかく楽しんで貰えればと思ってやっている。俳句も自由に作ってもらい、自由に発言して貰っている。それでも一人が伊吹嶺賞に応募したいと言われ、感謝。


7月15日(火)
 毎月の定期診察。今日は血液検査の日であったが、今月は旅行を2回も行い、しかも昨日は食べ過ぎ、飲み過ぎでやはり肝機能が悪くなっていた。またしばらくは節酒。
 せっかく名古屋に出かけたが、どこへの吟行に出かけないで、鶴舞図書館で調べもの。


7月12日(土)-14日(月)  青春探しの旅
 13日に栗田先生が講演なさる「全国俳句山寺大会」が山寺芭蕉記念館で行われるので、その前後に妻のふるさとである仙台に青春探しの旅に出かける。
 そのつもりで出かけたが、結局、12日は今までいったのことのない多賀城跡に出かける。多賀城市も東日本大震災で大きな被害を受けたところだが、ここ多賀城跡は大分山側に入っているので、津波はなんとか低くて済んだとか。しかしすぐそばまで津波が押し寄せた地図を現地のボランティアガイドさんに教えて貰った。多賀城は平安時代に作られたが、今残っている城址は結構大きな城門で囲まれていたようだ。
 その日は作並温泉のI旅館に宿泊し、昔入ったことのある川沿いの岩風呂に入る。旅館から川端までの長い階段は昔のままの暗い階段である。30数年ぶりに訪れたが、岩風呂はそのままであった。
 13日、俳句大会が行われる山寺は宿泊した作並から快速で1駅。大会は「伊吹嶺」から数人参加されていたが、私を除いて皆さんよい成績を収める。大会後、栗田先生も交えて駅前の喫茶店で楽しい雑談を行う。そのまままた仙山線の上りと下りに別れて、我々夫婦は仙台駅前のホテルに宿泊。
 3日目の14日は半日掛けて、妻の思い出の場所を1日バス乗車券で回る。私の初めての場所もあったが、やはりなつかしい街である。鮎釣りをしている広瀬川の橋1本を河原沿いに歩き、疲れたが涼しい風にのんびりと歩き、久しぶりにストレスを忘れた3日間であった。ただ旅館などで食事のバイキングでまた2Kg近く太ってしまった。
 以下は3日間のわずかな写真である。

今は礎石があるだけの多賀城址 
 
ご講演の栗田先生
 
妻が勉強もしないで遊んでいた広瀬川
 
今はめずらしい水力発電所の源流の滝


7月11日(金)
 私の都合で今日、名古屋句会。このところ出席者が少なく、句会日を変更して申し訳ない気持ち。


7月9日(水)  「伊吹嶺」7月号
 7月というと若い時、音楽を聞くのが好きだった頃、今日7月9日はアルゼンチン独立記念日、そして7月14日はフランス独立のパリ祭。ということで名古屋在住の時、吹上ホールの近くの音楽ホールでいつもタンゴとシャンソンを聴きに行っていた。タンゴでは当時有名だった前田はるみのリサイタルなどもあった。今でも毎年7月は続いていると思うが、田舎に引っ込んでからその機会もなくなり、もっぱらドライブ中にCDを聞くばかりとなってしまった。時々生の演奏を聞きたくなる禁断症状が現れる。

 「伊吹嶺」7月号が届いてから、いつも感想を残すようにしているが、毎日の忙しさに取り紛れて今日になってしまった。
 まず7月号を開いて真っ先に驚きというか、感動したのは栗田先生の「伊吹山房雑記」であった。皆さんも既に読まれたことと思うが、栗田先生がこの時期にこれらの俳句を公表された勇気に敬意を表したい。この頃は本当に切ない時期だったと思うし、せつ子さんの気持ちを思いやると掛ける言葉もない。俳句の方はまず主宰、副主宰、
   朱唇小さき壁画の美女や奈良薄暑    栗田やすし
   畳まれて四角き顔の鯉幟          河原地英武

 栗田主宰の句、高松塚古墳の壁画、今は隣に建てられたレプリカの古墳でしか見ることが出来ないが、現物はずいぶんと剥落したことだろう。いつまでも紅い唇が残っているような壁画であってほしい。この句は「奈良薄暑」で壁画の女性を思いやっている句と感じた。
 河原地副主宰の句、言われた見るとまさにその通りでコロンブスの卵である。俳句は言葉探しであることがこの句は実証している。次は秀峰集から、
   朝の風ゆふべの風やかきつばた   下里美恵子
   白薔薇のくまなき白さ潜りけり      梅田 葵
   谷底の三角四角代田掻く        上杉和雄
   新緑の明るさ暗さ寺点る         山 たけし

 俳句のおける重ね言葉は効果的なこともあるが、鼻につくこともある。しかし今月のこの4句を単純な重ね言葉だけでなく、対比的な重ね言葉も入っている。
 下里さんの句、「朝の風」「ゆふべの風」の対比的な重ね言葉が実に効果的である。作者はかきつばたに吹く風は朝の風と夕方に吹く風とは同じ風であっても違うと認識している。これは綾子先生の「朝の牡丹夕べの牡丹十日かな」「「牡丹咲きあした夕べを惜しみける」などのように常に身近にかきつばたとか牡丹を感じていないと詠めない。
 葵さんの句、この句は「白牡丹」の「白」を強調した重ね言葉である。その「くまなき白さ」に作者が白薔薇に感謝している気持ちが伝わってくる。
 上杉さんの句、「三角」「四角」は一種の面白みを捉えた重ね言葉である。言われてみると田んぼはいろいろな形をしているが、田んぼの真実を捉えた句である。
 山さんの句、この句の「明るさ」「暗さ」の重ね言葉は静謐に満ちている。こういう重ね言葉で静かさを述べることも出来ると感心した。
   茶屋街へ抜くる近道雪解風       栗田せつ子
   病み籠もる花のふぶくを窓に見て   森 靖子
   鳥雲に鉄塔登る電工夫         平松公代
   春祭木偶の袖より男の手        片山浮葉
   囀や上着掛けおく休め鍬         清水弓月

 その他いろいろ共感した句を並べてみた。こう並べると作者の特質がよく分かる。
 せつ子さんの句、金沢の花街であろう。近道をぬけたのは作者であろうが、この句を読むとさらに「雪解風」もこの近道をぬけたに違いないと確信してしまう。そういう説得力がある。
 森さんの句、ご主人が亡くなられてから、ご自身も体調がよくなかったのであろうか。外は桜が散っている真っ最中であるが、自分は窓からこの桜を見るしかないと思っていらっしゃるのだろう。しみじみとした感慨が伝わってくる句である。
 平松さんの句、ひと頃の天狼的な句材であるが、そこは「鳥雲に」の季語が効果的でまさに「風」の即物具象である。話は変わるが、最近は電力工事も電話工事も直接電柱に登ることはない。みな高所作業車で仕事をしている。しかしこの句は鉄塔であるから、山の中の送電鉄塔であろう。そうると「鳥雲に」がますます効果的である。
 片山さんの句、意外性のある句である。言われてみれば確かに男性の木偶使いが多いが「男の手」にびっくりする。それは多分この木偶は女巡礼などの女性だからで、「男の手」が効いているのである。
 清水さんの句、いつもの清水さんらしい観察のよく効いた句である。春耕のひと休みに聞いた「囀」の季語の取り合わせがぴったりである。(101941)


7月8日(火)
 愛知支部同人句会。今日はよい句に多く出会えて充実した句会で会った。特に主宰の喜寿お祝い会の句、自然と親しむ吟行会の句、そして沖縄忌(慰霊の日)に佳句が多かった。私も1句のみ、小さい囁きの名乗りが出来た。


7月7日(月)
 句会仲間で車椅子生活をしている方がいらっしゃるが、あまり外出をしたことがないと言うことで、我が家との両家族で石津町水嶺湖にあるイタリアンレストランで夕食を取る。ここは一寸不便なところで、案の定我々だけの貸し切り状態でゆったりとした静かな時間を過ごすことが出来た。いつもこんな状態で食事がで切ればよいが、今回は特に自然と親しむ吟行会が終わった時で気分的にもストレスから解放された時でよかったが、また体重が増えた。


7月6日(日) 自然と親しむ吟行会
 長い間の準備期間の後、今日、「自然と親しむ吟行会」を行った。一番心配していた天候がまさに吟行日和で、源兵衛川の涼しい木道を歩いて楽しめた。
 予想以上の参加者のため、スケジュールがうまく行くか心配であったが、吟行のタイム管理、句会を始めるまでのシール貼り付けによる投句一覧を作成、コピーは時間通りにうまく行った。句会も予定時間より早く終わることが出来、皆さん予定どおりの時間に帰られたことと思う。
 ただ私個人的には俳句を作るどころではなく、無事終わるかどうかばかり心配していた。句会では隣に座ったYさんと同じで、名乗りが全然ないことも緊張する藻のだとお互いに慰め合った。
 吟行会模様は【こちら】から入って下さい。なお右の写真は吟行ルートの源兵衛川終点での3ショット。

7月5日(土)
 第4回の環境基礎講座。今日のテーマはごみ問題。最初の「三重県のごみの現状とごみゼロプラン」の講義のあと、鳥羽市の旅館戸田家の「ごみ減量顔取組」が素晴らしかった。鳥羽市で先端的にあらゆるごみ問題について取り組まれた姿勢には感動すら覚えた。取組のきっかけは食事で出た生ゴミ処理機から次々といろいろアイデアに取り組まれたことが限りない。今では周辺の旅館の他、漁業、林業、農業を取り込んで「地産地消ネットワーク伊勢志摩」のNPO法人を立ち上げて、戸田屋が事務局をやっている。こういう活動が三重県各地で進むことを期待したい。
 あとは「買い物のゲーム」でリラックス。日常の買い物ではつい安い、タームセールなどのうたい文句に踊らされているが、このゲームでも普通の買い物をしてその結果を競うもので、ゲームの尺度は示されない。私達のグループでは廃棄物のCO2に着目して買い物をしたところ、ずばりのそれが目的のゲームであった。もちろん私達のグループが一番安く、廃棄物処理費用も安くなっていた。隣のグループからはそんな先読みした買い物では面白くないと言われた。


7月4日(金)
 隔月に見て貰っている眼科に行く。黄斑変性は今後とも残るものの黄斑円孔の手術跡は順調に推移しており、網膜はなんとか塞がっている。ただ左目の黄斑変性と正常な右目とは視力違うため、TVなど見ていると、すぐ疲れて眠くなってしまう。この程度はやむ得ないか。

7月1日(火))
 今年の私のHPも6月までの上半期が終わり、7月に入りました。どんどん年を取っていくのが実感されます。
 6月以前の日記のページは倉庫に入れました。上の該当欄をクリックして昔の日記をお読み下さい。
 引き続き私の拙い日記をお読み下さり、感謝しております。