中日俳句教室講義録(11年より)

毎月、中日ビルで「伊吹嶺」中日俳句教室が行われており、最初に栗田やすし先生による30分の講義がある。これまで伊藤旅遊さんがいぶきネット句会メンバーなどに講義録が配信されていましたが、栗田先生、伊藤旅遊さんの了解を得てこのページに再録することにした。伊藤旅遊さんありがとうございます。
 一応このページはずっと格納しておく予定であるので、いつでもご覧下さい。
 これまでの講義録は6年間の記録となりました。11年からページを新たにしました。

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2009-2010年の中日俳句教室>>
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11年分
12
11
10
11.6.21 キーワード「ことば」
11.5.17 俳句の鑑賞
11.4.19 格助詞「に」「へ」の違い
11.3.15 中日俳壇
11.2.15 推敲と自選
11.01.18 俳句の基本の復習


2011年分

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    2011年6月
 6月21日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。本日の栗田主宰のお話は、「キーワード「ことば」」です。

第一部 主宰の講話 
 若い頃俳句の勉強のために、俳誌「風」の沢木先生の入選句の選評をキーワードごとに集積したということを以前にお話ししたことがありますが、今お配りしているプリントは、そのうちのキーワード「ことば」の一部分です。みなさんも、私が行った方法で俳句を学べば、確実に上達することは間違いのないことで、是非実行してほしいとかねがね思っているのですが。
 さて、俳句はことばの芸術ですので、なによりもことばが大切です。この場面にはこのことばしかないということばを見付けだすのです。俳句はいわば「ことば捜し」ということになるでしょう。さっそくプリントを見てゆくことにします。下記の各句の括弧<>で囲んだ選評は、沢木先生が書かれたものです。

 涅槃団子拾ひきし子の上気せり         爽人子
 <涅槃会にお寺で撒いた団子を子供が拾って帰った。嬉しそうな子供の姿が「上気せり」の一語でぴたり>
 沢木先生は、「上気せり」ということばで、子供の喜びというか、興奮した状態をまさに的確に描写していると、それも「上気せり」という一語で、文句なく描写されていると言われています。

 とく起きて製茶機に火を入るるなり       千代
 <茶処の生活の一端が具体的に描かれて力がある。生活の何でもない報告のように見えるが、「とく起きて」に朝暗いときから作業にかかる忙しさがわかり、「入るるなり」の断定的な表現に生活の気迫が出ている。>
 この句では、「具体的」であるということが重視されています。即ち、抽象的なことばでは俳句にはならないということなのです。美しいとか寂しいではいけないということです。ここで「何でもないような報告に見えるが」と、沢木先生は言われていますが、この表現が報告か写生かで迷うことがあります。しかし、これは一概に決めることはできないのであって、個別に考えるより手はありません。

 枯蓮の一本づつを刈りゆけり          久美子
 <枯蓮だから「一本づつ」という言葉が適切で生きている。刈るときの枯れた茎の堅さが伝わってくる。>
 ことばを使うときは、ことばを洗い直せと言いたいのです。即ち、そのことばが持っている本来のことばのいのちを活かして使っているのか考えてみよと言いたいのです。この句に即して言えば、枯蓮の状態にもっともふさわしいことばを捜し、それを使って俳句を作ると、ことばが活き、その結果、活きた俳句が出来上がるのです。

 奥佐渡や雲より白き掛大根           武子
 <実際に行ってみると佐渡は島であるが、実に広い。まだ開けない佐渡の北部、人家もまばらであるが、海ぎわの家に大根が干してあった。稲架に掛け連ねてある大根であるが、それが「雲より白き」に感じた作者の感覚の飛躍があって新鮮である。海上の雲より大根の方が白いと捉えた感覚が鋭い。>
 「雲より白き」とは、作者が感覚によってとらえたことばです。そう捉えたことで、その場のイメージを的確に伝達することが出来るわけです。ことばはイメージを伝達するものです。作者の感じたものを間違いなく伝達するためには、そのことを可能にすることばを使わなければなりません。
 子規の句に「夏嵐机上の白紙飛び尽くす」があります。これは子規の句ですから、机上と言う場合の「机」は、現在の事務机のようなものを考えてはいけません。和室に置かれる座卓です。夏であっても、当時はクーラーなど問題にもなりませんので、部屋の窓は開けっぱなしになっていたのでしょう。強い夏の南風が部屋に吹き込んで、机上の白紙が一枚残らず飛ばされてしまったということになります。この白紙は、当然和紙です。和紙を抑える文鎮があったはずですが、抑えるのは忘れてしまったのでしょう。「飛び尽くす」であって、「飛びにけり」ではありません。この二つのことばは非常に違います。全部が飛び散ったのです。まさに無駄なことばは一つもありません。なお、これは子規の句と分かっていますので、子規の時代に合うような解釈をすることが出来ます。作者が分からない場合はこのようなことは無理ですが、分かっておれば、作者に引き寄せた解釈をすれば余計に句がよく理解出来ます。

 初瀬路や春水光りつつ踊る           朝浩
 <長谷寺のある谷間を走る初瀬路、春の水がよろこぶように光り流れている。「踊る」がいきいきとしたとらえ方。>

ここは作者が流れる水を「踊る」と実感したのでしょう。そう実感したら、「踊る」を使えばよいのです。何かそこでひねってみようなどど色気を出すとおかしなことになってしまいます。素直に感じたままが一番良いのです。

 リラ祭オーケストラの椅子ならび        星女
 <札幌でリラの花は名物になっており、六月にはリラ祭が催される。中央公園の広場に若い人々が集まり野外音楽会などがあって、冬から解放されたよろこびが溢れる。私も昨年ここを訪れたので、実感が湧く。「椅子ならび」が具体的でよい。オーケストラの準備に椅子がならべられているわけで、大分経って始まるオーケストラへの期待感がとらえてある。若々しく、新鮮な感覚の句。>
 この句で、季語は言うまでもなく「リラ祭」。ものは「椅子」ですが、単に椅子がそこにあるというだけでは不十分で、その椅子が「オーケストラの椅子」であると認識することが大切なことです。俳句は認識の詩であると言われています。はっきり言って、この「オーケストラの椅子」というのは写生ではありません。そのものがどんなものであるかという認識なのです。この認識が俳句では欠かすことはできません。その椅子が「ならび」というのが写生です。「椅子ならび」というところを、沢木先生は具体的でよろしいと言われているのです。認識と写生で付け加えますと、村上鬼城に「春寒やぶつかり歩く盲犬」という句があります。この句の季語は「春寒」、ものは「犬」で、その犬の目が見えないというのが認識。それが「盲犬」であり、「ぶつかり歩く」はその犬の写生となっています。俳句は季語と「もの」から出来ていると言いますが、単に「もの」がそこにあるというだけではいけません。どのような「もの」なのかということをはっきりさせる必要があり、それを「もの」の認識というのです。鬼城の句は、この点が非常にはっきりとしていて、行き届いた句になっているわけです。

 種蒔きてこみ合ふてゐる鉱泉湯         恒雄
 <「種蒔きて」で一段落、種蒔きを終っての省略である。種蒔は籾種を苗代に蒔くことで種下しと同じ、昔は八十八夜(五月二日ごろ)が盛んであった。稲作りの一番初めの大事な仕事で、これをやり了えて皆で鉱泉湯に入りに行き労をねぎらうわけである。「こみ合ふ」に実感がある。>
 沢木先生が実感があると評されている「こみ合ふ」が、写生です。この写生が良いと言われているわけです。

 野葡萄の色づく前の象牙色           和佳子
 <粒の集まった小さな野ぶどうの実は野趣がある。紅を経て赤になるが、その前の艶のある白い花をとらえたのがこの句のポイント。「象牙色」が言い得て妙。>
 「言い得て妙」というのが沢木先生の評となっていますが、ことばさがしがぴたりとうまく行ったということになります。しかし、これは下手をすると、いわゆる見え見えということで、何かきざな感じの句になるという危険があるということも承知しておいた方がよいでしょう。ただ、この句では、「象牙色」がふっと浮かんだ実感なのでしょう。この象牙色にあれこれ手を加えようとすると何かおかしなことになり、最初の素直な実感からほど遠いものとなって、句は失敗に終わることになってしまいます。一番最初にふっと出合った正直な実感を尊重することです。しかし、最初の実感をことばにするさいには、そのことば選びは大切なことになります。俳句はことばで成り立っているのですから、ことば選びはもっとも重要なことと言っても過言ではありません。


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      2011年5月
 
 5月17日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。本日の栗田主宰のお話は、「俳句の鑑賞ということ」です。

第一部 主宰の講話 

今日は「中日俳句教室」を開催するようになって100回目の記念すべき日ということです。思えば、随分長くこの会を続けてきたことになります。
 本日は、俳句の鑑賞ということを考えてみたいと思います。俳句を読んだ時に、まずなすべきことは、単語の一つ一つを正確に理解することです。これなくしては、鑑賞は出来ません。単語を正確に理解した上で、次は、一句全体の解釈となります。句の解釈は、普通はそれほど大きくずれることはないのですが、解釈を間違えてしまって、他の人と解釈が大きくずれて句を誤解するということであれば、これは解釈を間違えた読者に責任があるということになります。また、句の表現が曖昧であるために、読者の側でどのようにも解釈出来るということになれば、これは俳句作者の責任ということになります。作者は、曖昧な句にならないように注意しなければなりません。
 単語を正確に理解した上で一句全体の解釈へ進み、次に作品の鑑賞ということになりますが、鑑賞で終ってしまうのではなく、さらに作品の評価まで進むのが望ましいことと思います。雑誌『伊吹嶺』には、多くの人が、作品の鑑賞や選評を書いてみえますが、鑑賞についてはきちんと書かれていても、評価が書かれていないことがあります。ほんとうは、評価まで書かれているのが望ましいと思うのです。
 作品の中の単語の理解に始まって、解釈・鑑賞・評価という一連の作業のトレーニングを行うのが、句会というものです。参加者は句会でまず自らの判断で句を選びます。選句が終わって披講となりますが、その披講の最後に、句会の指導者の選句が発表されます。参加者は、自分の選んだ句と指導者(この句会では私になりますが)の選んだ句とがある程度一致している場合もあれば、全然異なるという場合もあるでしょう。もちろん一致しているのが望ましいのですが、異なっていた場合には、何故異なったのかを考えてみることが大切なことです。ああ、今回もまた違っていたと、そこで終ってしまっては勉強にはなりません。これが句会での勉強になるわけです。指導者の選評があり、この選評では、どのような句の評価が高かったのかとか、どのような句に問題があるのかということが話されますので、そのことで俳句の勉強が深まってゆきます。こうしたことが行われるためには、句会のレベルが問題です。レベルが低い場合には、充分に学習を深めることは無理となるでしょう。
 さて、次には私の句を例にして、『伊吹嶺』五月号の「主宰の近詠鑑賞」でどのように私の句が鑑賞されているかを見てゆきましょう。取り上げられた句は、昨年の11月号に掲載された句です。

「いよーーじ」と大音声や鳥わたる
 この句は、「風」の大先輩である滝沢伊代次氏を知らないと分からない句です。句会で名乗る場合に、滝沢氏は「いよーーじ」と大音声で名乗られたものです。滝沢氏の訃報に接して、まず思い出したのはその豪快な名乗りでした。
 八尋樹炎さんは、この句について次のように鑑賞されています。
 「滝沢伊代次氏の名乗りの「いよーーじ」は、豪快であったのか、作者に印象深く残っていたのである。「いよーーじ」と声に成らない悲しさが込み上げて来たのではあるまいか。意表を突くポイントの「いよーーじ」が残響となり、季語の「鳥わたる」が胸に沁みる」
 この八尋さんは、直接には滝沢さんをご存知ではありませんが、この鑑賞はまさに的確で、これ以上に付け加えるものもありません。

「ただならぬ雲の早さよ秋の山」
 この句は、同じく「風」の大先輩皆川盤水氏を悼んだ句です。次も同じく八尋さんの文章です。
「〈ただならぬ〉がポイントであり、不安な思いが中七の雲の早さに増幅されている。優しい切れに盤水氏への感謝の気持ちが伝わってくる」
 この鑑賞も句をしっかりと理解してのものとなっています。

「秋風や鳥屋の老い鵜は目をつむり」
 私には鵜飼を詠んだ句がたくさんあります。岐阜に生まれ育った私にとって、長良川はホームグランドのようなものでして、鵜飼を詠んだ句も自然に多くなるわけです。
 この句は、山本光江さんが次のように鑑賞文を書いてみえます。
「夏の盛りの厳しい労働を乗り越えた老鵜を労うかのように、秋風がやさしい。目を閉じて凜と佇っている姿には威厳すら感じられる。潔いまでに季語にすべての思いを託した、心地よい一句である」
 山本さんも、句をきちんと読み取ったうえでの鑑賞であり、申し分はありません。

 私には、鵜飼の句が多いと言いましたが、鵜飼はいわば私の「俳句工房」とでも言うようなものです。みなさん方も、自分だけの「俳句工房」を持つようにしてほしいものと思います。「俳句工房」とは、自分だけの句をいつでも作ることの出来る場所という意味です。例えば、なんらかの理由で、俳句が作れなくなってしまったと仮定しましょう。そうした場合に、そこへ行けば俳句を作ることの出来るという場所、即ち自分の慣れ親しんだ場所であるので、そこへ行けば自然と句の一つや二つは直ちに浮かんで来る場所を「俳句工房」と名付けてみました。私にとっての「俳句工房」は、岐阜であり鵜飼です。俳句は、観光地へ吟行しなければ作れないというものではありません。もっと身近なところに目を向けるべきです。身近に句の材料はいくらでもあるはずです。私は「母郷」ということばが好きですが、これは故郷という意味も含んではいるのですが、何よりも「母とのかかわりに深い場所」という意味です。母との思い出の詰まった土地へ行けば、自ずと句が浮かんで来るのです。

 観光地へ出かけたり、有名な行事、例えば祭などを見に行ったりして句を作る人がいます。そのようにしなければ、句は出来ないと思っている人もいます。しかし、たまたまそこへ行って祭を見て、それに感激して句を作ったとしても、その祭を見ましたというだけの句でしかありません。その地元で俳句を作っている人が必ずいるでしょう。祭の起源やその歴史などを知悉しているわけで、その俳人にとっては、祭はまさに生活の中の一齣であり、いわば、「俳句工房」なのです。たまたま他所からやって来て、初めてその祭を見たという人が句を作ったとしても、地元の俳人に太刀打ちできるはずもありません。観光地へ行くな、観光地で句を詠むな、と言うつもりはありませんが、もっと自分の生活を見詰め、その生活の中で句を作ることを考えてもよいのではと思うのです。自分の生活の中でこそ、自分にしか出来ない句が作れるはずです。もっともっと自分らしい句を作ってほしいものです。

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        2011年4月

4月19日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。本日の栗田主宰のお話は、「格助詞「に」「へ」の意味の違い」です。

今日は、最近NHK出版から発刊された『俳句文法心得帖』(中岡毅雄 著)の助詞を扱った章の中から「格助詞「に」「へ」の意味の違い」を読みながら、この本の紹介をしてみようと思います。この本は、これまでの俳句の文法に関する本とは違って、図やらイラストを使い、具体的な例句によって分かりやすく説明がされていますので、文法嫌いの人にも読みやすいものと思います。
 配布したプリントは、その本の217ページから219ページ所載のもので、それに従って話を進めます。今日用意したプリントは、格助詞の「に」と「へ」に関するものです。どちらも場所を示すのに使われる助詞ですが、使い方にかなり難しいところがあり、みなさんも句を作っていて、この二つの助詞のどちらを使ったらよいかで、迷うことがしばしばあることと思います。助詞というものは、使い方に微妙なところがあり、「俳句の命は《て・に・を・は》」という言葉によって分かるように、助詞の微妙な使い分けによって、俳句の表現効果がまったく異なってきます。
 ①海
 ②海
この二つは、どのような違いがあるのでしょうか。
 本来、[に]は、動作や作用の帰着点を表します。だから、「海に」の「に」は限定された場所を示します。それに対し、「へ」は、体言の「辺」から助詞へ転化したもの。移動する方向を示すのに用いられました。したがって、「海へ」の「へ」は、自分の立っている地点から、遠く離れている所へ向かっていくという心理を含んでいます。それをまとめてみますと、次のようになります。
 「に」=場所(・・・デ、・・・ニ)
 「へ」 =方向(・・・ノ方ニ、・・・ニ向カッテ)

具体的な作品例を見てみましょう。
① 海降る雪美しや雛飾る     小林康冶
② 海去る水はるかなり金魚玉   三橋敏雄

 ①の句、「海に降る」の「に」は、海という場所に、雪が静かに降っていることを示します。窓から、雪が降る光景が見えている。穏やかな春の雪を美しいと感じながら、雛壇の飾り付けをしている。視覚的には、固定されている印象を与えます。
 一方、②の句、「海へ去る」の「へ」は、作者自身の居場所から、離れた海へ流れ去る水のイメージがあります。一筋の水は、川に合流し、滔々とした流れになり、最後は大海原に行き着くことになります。金魚玉を眼前にしながら、思いははるか彼方、ひろびろと拡がる夏の海へ繋がっていきます。
 ところが、この「に」「へ」の用法、使われている間にだんだん両方の意味が混用されてきます。「へ」のほうが、「に」の意味である「帰着点」を侵すようになってくるのです。
① 海出て木枯帰るところなし    山口誓子
② 海出て帰る燕となりにけり    細川加賀

 基本的には、「海に出て」でも、「海へ出て」でも、動作・作用の帰着点ですので、意味は変わりません。「海に出て」という内容を表します。
 それでは、「海に」「海へ」は、まったく同じなのか。ここが、いわゆる散文と、韻文である俳句との違いだとおもうのですが、ニュアンスは、微妙に異なっているような気がします。感覚的に、「海に出て」の「に」には固定された「場所」のイメージがあり、「海へ出て」の「へ」には、移動する「方向」のイメージがあるようです。
 ①の山口誓子の句。陸からふいている木枯は、荒涼とした海に出て行った。「出て」というのは、擬人法ですね。風を、人の動作のように喩えています。ひとたび海へ出れば、もう、もとへ戻ることはできない。帰る場所はない。「海に出て」の「に」の本意「場所」が言外に漂うため、孤絶した暗い海原のイメージが強調されます。(ここで、付言しておきますが、中岡さんは触れてはいませんが、この句で誓子が詠んだのは、飛行機に乗って海へ出て行った特攻隊のことなのです。これは、誓子自身が述べていることです)
 ②の細川加賀の句。飛来して雛を育てた燕は、子とともに、秋、南の国へ戻っていきます。「海へ出て」の「へ」の本意「方向」のニュアンスを含めて鑑賞すると、陸地での営巣の営みまで彷彿とします。時空のふくらみのある作品です。「海に出て帰る燕となりにけり」と、「に」に置き換えて、鑑賞してみてください。助詞一字の持つ誌的効果の違いが、体験できると思います。

 さて、ここまでは、中岡さんの著書『俳句文法心得帖』からの引用でしたが、今度は、私の句で、「に」と「へ」をどのように使っているかを見てみましょう。『自註現代俳句シリーズ 栗田やすし集』の中の句を調べてみました。
  鵜河原に降りて紛れもなき鵜臭
 この句の「に」は、間違いなく場所を示す「に」です。ここで「鵜河原」とありますが、これは長良川です。
  松林に秋風馬臭残りをり
 「旧騎兵第二十六連隊碑除幕」の前書きがあります。この句の「に」も場所です。
  青空に蝶相触れてより眩し
 「青空に」の「に」は、場所です。どうも「に」を多く使っているようです。
  雪嶺に向く山車蔵を開け放つ
 この句の「に」は、「〜の方向へ」の意味ですから、本来の使い方からすれば「へ」が正しいことになると思います。しかし、この句について、沢木先生が「開け放つ」は、作者の「積極的な精神的な営みの発露であろう」と評してくださいました。
  足萎えの母へ文書く半夏生
 転んで骨折をした母。母が主体のなっているので「へ」を使ってあります。作者が主体で母に文を書いたというのであれば「母に」と「に」を使うところで、ここは「に」としてもよいでしょう。
  花冷えの書庫へ螺旋の階下る
 「書庫へ」というのは、方向を示していますので、「へ」が正しいことになります。

 (『俳句文法心得帖』著者 中岡毅雄 出版社 NHK出版 平成23年3月)

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     2011年3月
3月15日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。本日の栗田主宰のお話は、「中日俳壇」です。

今日は、私が選句を担当しています「中日俳壇」のことでお話をしたいと思います。この俳壇には毎週ほぼ500枚ほどの投句葉書が寄せられます。投句数は一人二句となっていますので、1000句が寄せられることになります。新聞社からは速達で送られてきますので、それを受け取ってから選句を始めるのですが、どんどんと葉書を見ていって、最終的に残るのは25枚から30枚程度になります。その中から、入選の10句を選ぶことになります。この俳壇の最近の選句の結果と選評の2回分をプリントしてきましたので、その句について少し述べてみたいと思います。ここで、少し付け加えたいことですが、伊吹嶺の会員の投句もあることはあり、その成績は良いのですが、まだまだ数が少ないと思います。もっと積極的に投句をしてほしいと思うのです。伊吹嶺の会員であれば、句のレベルもかなり高いので、入選する句は多いだろうと思います。
まず、その最初の1回分です。

 どんどの火輪中の空をつらぬけり  (大垣)年男
 今尾の左義長であろうか。神聖などんどの火が晴れ渡った輪中の空高く燃え上がるのを「輪中の空をつらぬけり」と思い切って省略したことで潔い句となった。

 数珠値切る外つ国人やぼろの市   (大府)ナツ子
世田谷の襤褸市は十二月、一月の十五、十六日に元世田谷代官屋敷周辺である。外国人と数珠の取り合わ せが面白く、値切るというのがいかにも市らしい。

 葛湯溶く匙のきらめき病癒ゆ    (岐阜)宗敏
 葛粉に砂糖をまぜ、熱湯を注ぎ、匙で撹拌すると糊のような葛湯となる。風邪であろうか。癒えた喜びを感覚的に「匙のきらめき」で捉えたのがよい。
この句の作者は伊吹嶺の会員で、いつもたいへんに良い句を投句されています。

 仄暗き鍛冶屋の棚に煤け雛     (東郷)淳子
仄暗い棚に飾られた「煤け雛」によって、小さな鍛冶屋の佇まいが目に浮かぶ。

 コーヒーの匂ふ厨や桜草      (瀬戸)かず
厨に広がる珈琲の匂いと可憐な桜草の花。快い一日の始まりを予想させる。

 凩や牛舎に灯影揺れどほし     (瀬戸)美智子
凩は十一月前後に吹く強い季節風。山間にある牛舎であろうか。吹き抜けていく凩に揺れ通しの火影が侘しい。これも伊吹嶺の会員の句です。

 新聞の紙面に選評の掲載されるのは、入選10句のうちの6番目の句までです。この後の句についての評は、今日のこの場での感想です。

 御嶽の見ゆる北窓開きけり     (恵那)文康
素直な句です。作者は恵那の人ですので、これは間違いなく生活の中から生まれた句と言えます。

 参道を二人の巫女や梅の花     (春日井)準憂
季語の「梅の花」が良く、巫女の清楚な感じがこれによってよく出ています。また、巫女が二人というのが適切で、一人ではさびしいし、三人では多すぎでしょう。

  上窯の煙ただよふ雑木の芽     (磐田)宏
   畔焼くや父に背きし日もありぬ   (菰野)徳紀

 次の回の分です。

  筆噛んで寒夜の弔句書きにけり   (鯖江)ただし
 長年親しんできた句友を亡くし悲しみのうちに弔句を書いたというのだ。「筆噛んで」が作者の悲しみの象徴そのものといってよい。「寒夜」が生きている。
 この句の評についてですが、俳壇には「句友」と書きましたが、これは単に「友人」としてもよかったのではと思っています。必ずしも「句友」に限ったことでもないからです。この作者はよく投稿をされ、入選欄の常連といってもよいでしょう。

  赤鬼の股くぐりして節分会    (羽島)侑代
「股くぐり」と言えば屈辱ものの筈だが、ここでは無病息災を願って善男善女が「赤鬼の股くぐり」をするというのがおもしろい。大きなはりぼての赤鬼なのだろう。

  木の芽風一輌電車通過して    (半田)冨美代
 ガタンゴトンと通過していった一輌電車を踏切で見送った作者に一陣の風。それは紛れもなく春の到来をしらせる木の芽風と捉えた作者の感覚がすぐれている。
 俳句は認識の詩であるといつも言っているのですが、この句の場合、「木の芽風」と捉えたのがその確かな認識です。

  老いしこと互ひに触れず日向ぼこ (岩倉)としえ
 冬は暖かい日向が恋しい。幼なじみだろうか。「互ひに触れず」が切ない。

  春の夢一本背負投げらるる    (江南)博
 敵ながら天晴れというところだが、作者にとってはほろ苦い思い出。

  図書館のぼんぼん時計日脚伸ぶ  (名古屋)照男
静かな図書館で鳴るぼんぼん時計。作者はもうそんな時間かと窓の外を眺め、「日脚伸ぶ」を実感したのであろう。

 新聞紙面での選評はここまでですが、これ以後の句についてはこの場での感想です。

  春に病む妻に優しく言葉かけ   (吉良)栄
春に病む」ということから、重病ではないだろうと想像はつきます。しかし、「優しく言葉かけ」は、こうして見てみて、どうかなという感じです。態度で「優しく」するというのなら分かりますが、はたして「優しく言葉をかけ」るものだろうかというところが疑問無きにしもあらずです。

  窯の火をおとす翁や寒の月    (名古屋)しげ子
 これは絵になる句です。情景がひじょうにはっきりとしていて疑問の余地はありません。また、「寒の月」がまことによく効いています。この作者は伊吹嶺の会員です。

  彫り深き汀子の句碑や龍の玉   (美濃)恵子
  車座で網繕ふや小女子漁     (師崎)芳夫

「車座で」というのがしっかりした写生になっています。これで句が生きてきます。

 さて、今日は「中日俳壇」の紹介をしたのですが、この俳壇にも伊吹嶺の会員がどしどし投句してみてください。他流試合で技を磨くのもたいせつなことです。

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   2011年2月
 2月15日、伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。本日の栗田主宰のお話は、「推敲と自選」です。

 今日はプリントを2枚用意しましたので、まずそれをご覧ください。手書きのものが載っているのが1枚目です。そこには、ここの句会でも使っているような短冊型の投句用紙をプリントしたものが載っています。これは、実は、沢木先生と細見先生が「風」の句会で投句された短冊の現物なのです。句会が終わってからそれを私が頂いて大切に保管しています。お二人はこの句会で投句された句を、次には「風」の昭和47年11月号に出されていますが、ここでは、句会に投句された句と、「風」に掲載された句を並べてお見せします。
 
沢木先生の句
 <句会の投句>
  網の目の緊縛したる秋のメロン
  木犀の香に澄染む木綿着をしまふ
  夜長妻栗色の靴買へと言ふ

 <「風」へ掲載された句>
  網の目の緊縛したる秋のメロン
  木犀の香のつく木綿着をしまふ
  夜長妻栗色の靴買へと言ふ

「木犀」の句は、「風」へ出された時には、「香に染む」が「香のつく」と推敲されています。また、昭和57年に『二上挽歌』という句集を出版された時には、「夜長妻」の句だけがこの句集に採録されています。

細見先生の句
 <句会の投句>
  富士に向き草が穂をもつ道晴れ晴れ
  よき落葉道ありて靴埋めたる
  奥岐阜より煤つきし柚子もたらす
  全身に富士晴れ冬の苺つぶす

 <「風」に掲載された句>
  富士晴れて草が穂を持つ道行けり
  苺つぶす初冬の富士を近々と

 最初の「富士」の句は、推敲の跡がはっきりとしています。また、2番目と3番目の句は「風」には出されていませんし、4番目の句も「苺つぶす」を上五に持ってこられるなど、かなり変えられているのが分かります。昭和49年には、句集『伎芸天』を出されていますが、それを見てみますと、「苺」の句は、
  全身に富士晴れ冬の苺つぶす
となっており、また元の形に直されたことがわかります。

 次に、細見先生の「岐阜県小瀬」と題する「風」に掲載された句を見てみます。
  鵜飼宿くさぎの花の暗らみなす
  日輪のかすれ昏れゆく鵜飼川
  日暮蝉急に鳴き出す鵜飼宿
  鵜飼宿火虫の多き裸灯あり
  鵜飼待つ日暮れの山に向き合ひて
  疲れ鵜の漆黒を大抱へにし
  早稲の香に羽がい締めたる鵜綱干す
   子規忌なり萩散る庭に傘干して

 句集『伎芸天』にも、「岐阜県小瀬」として、次の七句が納められています。
   鵜飼宿くさぎの花の暗みなす
   日輪のかすれ昏れゆく鵜飼川
  日暮蝉急に鳴き出す鵜飼宿
  鵜飼宿火虫の多き裸燈あり
  鵜飼待つ日暮れの山に向き合ひて
  疲れ鵜の漆黒を大抱へにし
  早稲の香に羽がひ締めたる鵜綱干す

 「風」の句のうち最後にある「子規忌」の句は、鵜飼とは関係がないので省かれたのでしょう。その他の句では、若干の修正はありますが、ほとんどそのままの形で『伎芸天』に収録されています。

ここで、私も同じ時に小瀬の吟行に加わっていますので、その時の句をここに挙げておきます。これは、沢木先生の選を経て「風」に掲載されたものです。
<小瀬六句>
  鮎を獲し老い鵜流れに身をまかす
 怠けゐる鵜なりや早瀬下るのみ
 鵜磧に残り鵜闇の底歩く
 裸灯を消してより鵜の寝静まる
 青柿の転がる庭に鵜を遊ばす
 篝灼けせし鵜匠の素顔よし

「風」には、上記のように「小瀬六句」として掲載されていますが、昭和56年に句集『伊吹嶺』を出版したときには、「岐阜県小瀬七句」として、次のようにしています。

 青柿の転がる庭に鵜を遊ばす
   十六代鵜匠足立芳男翁 
 篝灼けせし鵜匠の素顔よし
 鮎を獲し老い鵜流れに身をまかす
 怠けゐる鵜なりや早瀬下るのみ
 鵜磧に残り鵜闇の底歩く
 鳥舎の灯を消してより鵜の寝静まる
 月明に鵜磧の石裏返す

「風」に掲載された句とほとんど変更はありませんが、「裸灯」の句は、その「裸灯」をはっきりさせるために「鳥舎の灯」としました。

 今年のことですが、私は俳人協会賞の選考の役目を仰せつかりまして、その選考にあたりました。沢山の句集を読んで、選者同士で話し合ったことですが、この人にはもっと良い句が他にあったはずなのに、この句集には載っていないというのです。どの句集も、ほとんどどれも各地の句会の主宰クラスの人の句集ですが、そのレベルの人でも数多くの自作の中からすぐれた句を選ぶということは、これはなかなか難しいことだというのがよく分かります。主宰となると、自分の句は自分で選ばなければなりませんので、なおさら自句の自選は難しいというものです。話し合いの中で、句会に出して評判の良かった句を句集に納めたのであろうというような話も出ましたが、自選とは確かに難しいものです。
 細見先生は句を発表される前には、必ず沢木先生に自作をお見せになり、沢木先生のご意見を聞いてみえました。それを「風」に発表されていたのです。これは本当に頭の下がることです。
 細見先生の句作りは、吟行の場で拝見をしていますと、その場でどんどんと句を作ってみえます。句のしらべは気にせずに、感動を直ちに言葉に置き換えるという句作の方法で、とにかく数多く作るというタイプです。これに反して、沢木先生は、メモを取ることもなく、その場というよりは、あとでじっくりと考えて句を作るということが多かったと言えます。私も、沢木先生の方式にあこがれて、吟行ではあまりメモを取らない方のタイプです。
 皆さんも吟行にはよく出かけられるようですが、メモに季語をずらずら書く人がいます。あるいは、その場で見た花の名前やらその他の名前だけをやたら書き並べている人もいます。そして、何か珍しいものを見たからと、そのことだけに喜んで句にしてしまいます。その場で作者も初めて見たことであれば、それらを見たこともない読者にとっては、まったく何のことか分かりません。吟行でことに注意しなければならないことです。メモには、単に言葉だけを羅列するのではなく、そこでどんなことに感動したかということを記すことが大切でしょう。メモの取り方を考えてみてほしいのです。また、その句を伊吹集に投句したら、投句すればそれでお仕舞ということにはしないで、その句を何度も何度も推敲してみて、自分で納得できる句にしてほしいと思います。

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       2011年1月

1月18日、本年最初の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。本日の栗田主宰のお話は、「俳句の基本の復習」です。

第一部 主宰の講話 
 俳句の基本を身に付けることは非常に大切なことですので、今年の最初のお話は、「俳句の基本の復習」ということにします。そこで、用意したプリントの順に従って話を進めてゆきます。

感動をナマのままの言葉で表しても俳句にはならない。俳句独自の表現方法の一つは即物ということである。(沢木欣一 「俳句作法」昭51・12)
 
 これは沢木先生の言葉ですが、先生は俳句の表現方法の一つは即物であると明言されています。そして、伊吹嶺の俳句もこの先生の言葉のように即物の俳句を目指しています。この即物ということの原点は、次の正岡子規の言葉にあるのです。

初め主観的なりし者漸く変じて客観的に傾けり。更に詳に言へば、初めは自己の美と感じたる事物を現さんとすると共に、自己の感じたる結果をも現さんとしたるを、終には自己の感じたる結果現すことの蛇足なるを知り、単に美と感ぜしめたる客観の事物許りを現すに至りたるなり。(子規「我が俳句」明29・8・25 「世界之日本」)
 
 これは、子規の俳句についての考え方の変遷を語ったものです。子規は明治23年から俳句を始めていますが、その時から子規の句がどのように変わっていったのかを簡潔に述べたもので、たいへんに興味のある文章です。主観的な句が客観的な句に変わっていったということ、さらには、美しいと感じた事物を現すと同時に、それを自分がどう思って美しいと感じたかを現そうとしていたのだが、結局は、自分が美しいと感じたことを現すのはまったく無用と思うようになり、美しいと感じた事物だけを客観的に表せばよいという結論に達したと言うのです。これを簡潔に敷衍すれば次のようになるでしょう。Aという物があって、それを作者が見たり、聞いたり、触れたり、あるいは嗅いでいたりして、奇麗だとか、侘しいとか、嬉しいとか感じるわけです。その感じた結果というが感動ですが、その感じた結果をナマのままいうのでは俳句にはならないというのです。

 奇麗だ、侘しい、嬉しいというのは俳句には蛇足であると子規は言うのです。物Aに感動したのなら、感動そのものを描くのではなく、その感動したAを十七音のことばで描くのが俳句なのです。

 ○俳句は抒情を「物」に寄せて表現する詩、短歌は抒情を「事」に寄せて表現する詩。(秋元不死男 『俳句への招き』昭50 永田書房)

 俳句と短歌の違いを簡潔に述べたことばで、我々のよく味わうべきことばです。実際の短歌と俳句でその違いを見てみましょう。

 悲しみて膝を抱けば小綬鶏は日向に遊ぶある時は啼き   国崎望久太郎
  ひとり膝を抱けば秋風また秋風               山口誓子
  咳をしても一人                      尾崎放哉

短歌では、「悲しみて」で始まっています。短歌はこのように、「あゝ」という作者の思いをそのまま詠むことが出来る詩です。悲しいから膝を抱いて座っているのだと、ストレートに作者の主観を詠んでいます。しかし、誓子の句を見ますと、悲しいとは言っていません。「ひとり膝を抱けば」と、自分の姿を写生しています。作者の寂寥感は、季語の秋風に語らせることになるのです。秋風を繰り返すことで、寂寥感はいっそう深いものになります。要すれば、俳句は作者が寂しさとか悲しさを感じたなら、そのまま「寂しい」とか「悲しい」と言うのではなく、ものの写生でもってそれを表そうとします。ここに短歌と俳句の違いがはっきりと読み取れます。もう一つの尾崎放哉の句は、自由律ではあるのですが、この句でも寂寥感を表すのに、寂しいとか悲しいという言葉は使ってはいません。「咳」と「ひとり」と言うだけで、寂寥感を詠んでいます。尾崎放哉も俳句の世界の人です。

○感動はもやもやとしていてまだ形を成さない混沌の状態のものである。形を成さないものが形を成すためには結晶するための核が必要であり、それが物である。俳句にあっては物に即し、物を通すことによって感動が定着する。これが作句の大原則である。即物をおろそかにしていてば骨格の弱い、ふやけた俳句しかできない。(沢木欣一 「俳句作法」昭51・12)

即物具象の俳句のすべてはこの文の中に在ると言ってもよいでしょう。この文に書かれていることが、伊吹嶺の俳句の目指すものなのです。これはよく味わっていただきたい文章です。そこで、この具体的な例を次に見てゆきましょう。
   落下傘部隊の墓や苔の花      沢木欣一
 沢木先生が高野山吟行の折りに詠まれた句ですが、この句の物は「墓」です。その墓は「落下傘部隊」の墓であったというのは作者の認識です。あゝ、こんなところに落下傘部隊の墓があったのかと作者は思ったのです。そして、その墓が苔の花で覆われていました。その苔の白い花を落下傘と重ね合わせることでこの句となったわけです。
  伊吹山みみず鉄輪となりて死す   山口誓子
 伊吹山の山道で、誓子は死んだみみづに目をとめたのです。そのみみずが丸く錆びた鉄の輪のような形となって死んでいたのです。みみずは季語でもあり物でもあります。鉄輪となりて・・・は、この句のポイントで、作者はみみずをそのように認識したのです。俳句は認識の詩であると言われます。この句にあるのは、みみずの死の有様の写生です。その死が痛ましいとか、かわいそうだとかという作者の感慨を、そのまま言葉で表出することはしていません。
  初冬や行李の底の木綿縞      細見綾子
 この句の物は「木綿縞」。その木綿縞が行李の底にあるというのが作者の認識であり、写生となっています。季語の「初冬」がその「行李の底にある木綿縞」に対する思いを表しています。

  秋しぐれ投げ込み寺の小さき門   柏原眠雨(三の輪浄閑寺)
 この「投げ込み寺」は、往昔の吉原にあって、引取り人のない遊女を葬った寺で、この寺がそうした寺であるというのが、作者の認識であり、それがこの句のポイントとなっています。そして、その寺の門が小さかったというのが写生です。表面的にはそれだけのことですが、季語の「秋しぐれ」によって、痛ましい遊女の運命に対する作者の思いがよく出ています。

これまで、俳句にはここぞというポイントが必要であるとしばしば言ってきておりますが、そのことを学ぶために、私は「風」の沢木先生の選後評を集積して俳句を勉強したのです。これは間違いのない方法であると断言できます。俳句の上達にはこれが一番の近道ですので、皆さんにもぜひ実行してもらいたいことなのです。俳句がうまくなりたいと思うのなら、それ相応の努力が必要でして、何もしないで上達するはずはありません。皆さんなら、「伊吹集」の私の選後評を集積するのが一番手っ取り早い方法ですので、それをどのように集積したらよいかという見本を、本日配布したプリントでお見せしようと思います。キーワードが太字で示してありまして、そのキーワードごとに選評を集めるのです。キ―ワードはこのプリントのものだけではなく、もっと多くあるでしょうから、自分で工夫して他にどんなキーワードが必要かは考えてみてください。こうして、時間がたって、キーワードごとに集められた選評の分量が多くなりますと、漠然としていたキーワードがはっきりと具体的な姿となって表れるようになります。さて、少しの時間ですが、キーワードごとに並べた選後評を見てゆきましょう。

「驚き」
  鈴生りの柿を枝ごと切り落す    大津千恵子
 今年は柿の当たり年とでも言うのか各地で柿の鈴生りを見たが、これは作者の家の柿の木だろうか。そんな柿を〈枝ごと切り落とす〉とはなんとも思い切った行為である。作者の驚きが素直に伝わってくる。

  守宮の子湯舟に落ちて泳ぎをり   塩原純子
浴室の天井に吸い付いていた守宮が湯舟に落ちて泳いだという。朝、湯槽を洗おうとした時であろう。
〈泳ぎをり〉に作者の驚きが素直に捉えられている。

「写生」
  石棺の底にはりつく竹落葉     松平恭代
 屋外に剥き出しの石棺。晩春、周りの竹の黄ばんだ葉がはらはらと散っているのであろう。〈底にはりつく〉が確かな写生。古代人への思いがよく出ている。

 トロ箱の蜆潮吹く朝の市      二村満里子
 朝の魚市場へ出かけたのであろう。この日の獲物が所狭しと並べられている市場でトロ箱の蜆一点に焦点を絞ったのがよい。〈潮吹く〉が確かな写生である。

 「具体的」
   水車小屋囲みて咲きぬ彼岸花    鳥居純子
 これは観光用、それとも今も機能している水車小屋か。いずれにしても〈囲みて咲きぬ〉が具体的で、水車の音まで聞こえて懐かしい田園風景である。

 たけ低き藁塚並ぶ伊賀盆地     安積敦子
 近年、広い平野の田では稲架や藁塚を見かけることが少なくなったが、伊賀盆地では今も藁塚を組んでいるのであろう。〈たけ低き〉が確かな写生で、風土の特徴を具体的に捉えているのがよい。

「感覚」
  手に触れて椎の若葉のやはらかし  太田滋子
「もの」は「椎の若葉」のみだが、その「若葉」を〈やはらかし〉と感じた作者の感覚が素直である。手垢のつかない俳句とはこういうのを言うのである。

「季語」
  侘助や母を見舞へば笑むばかり   早野玉記
 お母さんはご高齢で娘である作者が見舞っても会話することもなくただ〈笑むばかり〉というのである。会えばおしゃべりの尽きなかった母を思えば感慨も一入であろう。季語「侘助」が悲しい。

 折紙の文化勲章文化の日      河村恵光
文化の日にはそれぞれの分野で卓絶した功績のあった人に文化勲章が授与される。折紙の文化勲章とは如何にも可愛らしい。金色の文化勲章を授与されるのはパパだろうか。

「おかしい」
 戒名を自分で決めてちやんちやんこ 古賀一弘
 いずれ死ぬのだから、生きている間に戒名も自分で決めてしまったというのである。「ちやんちやんこ」がとぼけて可笑しい

 鳴りづめの仔豚の鼻や春の昼    横井美音
 この仔豚たちの兄弟は何匹であろうか。〈鳴きづめ〉ではなく〈鳴りづめ〉というのがポイント。鼻を鳴らす仔豚たちがおかしく可愛らしい。のどかな春昼の景。

 ここに挙げたのは、ほんの少数の例でして、キーワードはまだまだたくさんあります。これからの、俳句作りの参考になると思います。

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