俳句についての独り言(平成26年)
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現代俳句評【11月号】 | 2014.11.1 |
環境と俳句(鰻) | 2014.9.1 |
現代俳句評(9月号) | 2014.9.1 |
現代俳句評(7月号) | 2014.7.1 |
ビオトープの復元 | 2014.5.1 |
現代俳句評(5月号) | 2014.5.1 |
環境と俳句 | 2014.3.1 |
現代俳句評(3月号) | 2014.3.1 |
俳句を考える | 2014.2.1 |
現代俳句評(1月号) | 2014.1.1 |
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遠き日を思ひ出させて蕗の薹 中山 純子
便り来ぬこともたよりや夏に入る
葉桜にかこまれて身を養へり
(「風港」「万象」六~八月号)
「風港」「万象」の名誉主宰であった中山純子氏が七月二十八日に逝去された。昭和二十三年より一貫して「風」で活躍され、「風」の女性陣として先導的な役割を果たされた。
初期の〈雉子若し春の彼岸をかきわけて〉や〈立春やまだ垂れつけぬ白だんご〉など清新な句風は多くの人から親しまれてきた。「風港」「万象」の六月号から八月号までそれぞれ一句ずつ抽出してみた。
一句目は師への思慕あるいは挨拶句であろうか。〈蕗の薹喰べる空気を汚さずに 綾子〉など綾子師に終始全身全霊就いて行かれた中山氏にとって「蕗の薹」は忘れ得ぬ思い出につながっているのであろう。
二句目、三句目は自宅での常住坐臥からのつぶやきが見える。万物が生き生きとしてくる初夏にありながら、ここには孤愁の世界が見える。三句目のように「葉桜」の明るさに我が身を委ねている切ない句が最後となった。
明易や白エプロンに夢の母 栗田やすし
風入れや出撃の夜の父の遺書
鮎減りし梅雨の鵜川のうす濁り
(『俳句四季』九月号)
栗田主宰にとって父母、ふるさとは常に意識下にあり、作句対象となる。それは年々薄れることなく、繰り返し詠まざるを得ないテーマであろう。
一句目、上五の切れとともに、中七が〈白エプロンの〉でなく、〈白エプロンに〉であることに着目したい。ここには軽い切れが入り、ここで母の白エプロンを思い出し、しばらくその感慨にふけっているのである。そしておもむろ見たばかりの〈夢の母〉につながっていく。中七の切れに母への思いの深さが言外に語っている。
二句目、今年、昔の写真、父母の手紙などそれぞれ風入れをしたのであろう。それらの風入れされたもののうち、父の遺書が最も切ないものである。〈出撃の夜の〉という事実が作者から離れない。そんな思いも深い。
三句目、ふるさとへのオマージュである。長良川の鮎が人間の行為により極端に減少していることに心を痛めているのである。師である沢木欣一は〈魚減りし海に花火を打ちに打つ〉と怒りを含めて詠んだが、掲句は〈鵜川のうす濁り〉と静かな悲しみとして表現した。
蛍火を呑まむと闇のせせらぎは 鍵和田 秞子
(『俳壇』九月号)
蛍をよく観察すると、点滅しながら、山を駆けあがったところで消えたり、川面に触れそうになっては消える。
音沙汰の聞かぬ十日や黒ビール 渡辺 純枝
(『俳壇』九月号)
「青樹」が廃刊されて以降、渡辺氏が「濃尾」を創刊されてはや五周年となった。
掲句はドイツなどの旅行吟「白夜」の一句で、野外コンサートなどを楽しんだとある。〈音沙汰の聞かぬ〉は日本からの重要なニュースはもちろん雑事の便りもない十日間の表現である。このような措辞を使うことにより旅を楽しんだ高揚感に満ちた句となった。そしてドイツで飲んだ〈黒ビール〉がこの高揚感の象徴的な小道具として的確である。
小鳥来るひかりを華とちらすべく 加藤 耕子
(『俳句』九月号)
掲句、「深泥池六句」の前書があり、その一句目。深泥池は京都市内にあり、氷河期からの生き残りとされる生物が生息しており、動植物すべてが国の天然記念物に指定されている。この句は〈小鳥来る〉の季語の役割に留意する必要がある。今、作者が眼前に見ているのは秋の日差しを浴びている穏やかな池である。そしてその池を〈ひかりを華とちらすべく〉と描写することにより、その光を散乱させるために、〈小鳥来る〉を登場させたのである。この句の主役は中七、下五の池の描写であり、その描写を補完する上五が脇役なのである。その脇役の〈小鳥来る〉の季語が冒頭に配することにより効果的な句となった。
滴りの音の一つに耳冴えて 加藤 憲曠
(「薫風」[加藤憲曠主宰]八月号)
「薫風」は前号の七月号が創刊三十周年記念号となっている。記念号では〈滝風を受けて胸張る吾れ卆寿 憲曠〉と詠み、お元気そのものである。
掲句、滴りの一滴一滴の音を肌で感じていることを平易に詠んでいるが、〈耳冴えて〉に感覚の若さを感じ、今後とも若々しい句を作っていく意気込みを感じた。
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鬱金桜の鬱金千貫被曝して 高野ムツオ
福島の地霊の血潮桃の花
(『俳句』七月号)
今年の蛇笏賞は高野ムツオ氏の『萬の翅』と深見けん二氏の『菫濃く』の二名受賞であった。作者の句柄や句集の位置付けが言わば「動」と「静」の真逆であることから二名受賞となったことは喜ばしことである。
高野氏は団塊世代での初めての受賞であり、今後蛇笏賞の意義も自ずと変革せざるを得ない先駆けとなった。受賞作『萬の翅』の三割の約一五〇句が震災句である。
春光の泥ことごとく死者の声
万の手に押され夏潮満ちてくる
震災句から人間を詠んだ二句を抽出してみた。この二句は震災を通して、人間というか死者を見つめた句で、一句目の「死者は春光の泥から声を発している。」とか、二句目の「震災後の潮はこれまでの潮でなく、万という死者の手が押し寄せている。」など震災に真摯に向き合った態度が見え、これらを読むと、人間が発する言葉は詩型に関わりなく、読者に大きな感動を与えるものであることが分かる。
さて掲句に戻って、受賞後の第一作はやはり震災を詠むことが蛇笏賞を受賞した証しとして発した言葉には力がある。いずれも福島で詠んだものである。
一句目の淡黄色の清楚な鬱金桜も被曝した。その被曝の様子を〈千貫〉と意表を突いた重量表現に人間の業は重いものだと読ませて頂いた。
二句目、桃の花の明るさも地霊がもたらした血潮であると認識せざるを得ない心境から発した言葉であろう。
掲句のこの鬱金桜、桃の花とも人間がもたらした罪業の結果であり、これらは言わば一種の被害者の位置付けとして視点が見えてくる。
花を見るこぼるるやうに刻流れ
(『俳句』七月号)
もう一人の蛇笏賞受賞の深見氏の句集『菫濃く』はどこを開いても静謐に満ちた句が並んでいる。選者の一人が「作品は平明だが、平凡からは遠い。」との発言が受賞に値する的確な評価であろう。いずれも日常に詩情を求めた句であり、口ずさむ度に味わいがじっくりと身にしみてくる。
睡蓮や水をあまさず吹きわたり
一つ置く湯呑みの影の夜長かな
句集『菫濃く』より抜き書きした二句には、深見氏の共通の視点がある。
一句目の「睡蓮の最も美しいときにやさしい風の存在を知ったこと」、二句目の「身近な物の存在に発見した季節感」などいずれも自然の中に我が身を置いた感慨が述べられ、そこには気負いはない。ている。これは「平明にして余韻のある俳句」をあるべき姿としている虚子の言葉を常に俳句の態度としてきた結晶であろう。
掲句の受賞第一作に戻ると、一句目のように毎年、師である虚子を忘れることなく、詠んでいる。「虚子忌」は遥かおぼろげな昔かもしれないが、師を思う心は年々深まっていくようである。虚子の最後の弟子としてこのような矜恃を持って詠み続けていくことは深見氏の信念であろう。
二句目、毎年見る桜は同じように作者に問いかけてくる。そして刻の流れは、桜がこぼれると同様に自然その物に同化して、詠むことが花鳥諷詠の基本であろう。
(『俳句四季』七月号)
非常に印象鮮明な句である。一般に「白線」というと何を連想するだろうか。道路に引かれた白線がそうであろうし、ノスタルジーを感じるとすれば昔の学帽の白線を眩しく感じたこともあった。掲句はどんな「白線」であるかは何も述べていないが、〈いつも眩しく〉の措辞を述べたかったのであろう。「聖五月」という清純さを感じさせる季語に「白線」はまさに夏のイメージの象徴として詠まれている。
(『航』[榎本好宏主宰]五月創刊号)
榎本氏は『杉』編集長を長く務められ、最近は俳誌『会津』選者をされていたが、その『会津』が終刊となり、自ら俳誌『航』を立ち上げられた。
掲句、全体にゆったりとした詠みぶりで〈箸置きにまでも〉とまず焦点をゆっくり合わせながら、箸置きだけでなく、食卓全体が〈菜の花明り〉に包まれている春の静かな生活の一齣が見えてくる。
(『枻』[雨宮きぬよ代表]六月号)
掲句、花筏をこのような比喩で表現した句は知らなかった。花筏は流れているときも、留まっているときもあるが、この「花筏」はゆったりとした流れの中に渦を巻いているところもある。作者は「花筏」の流れを凝視しているうちに、不規則な流れから〈めまひにも似て〉の情景を把握したのである。さらに見ているうちに、自らが「花筏」の渦に吸い込まれるようにめまいを実感したことから、この表現に落ち着いたのであろう。
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凍滝に天地の力みなぎれり 大串 章
(「百鳥」[大串章主宰]三月号)
「百鳥」三月号が創刊二〇周年記念号となっている。大串氏は創刊以来一貫して「抒情と写生」を重視されてきた。
掲句、「凍滝」を凝視した句である。その結果、作者の思いは〈天地の力みなぎれり〉という自然への畏敬にも似た表現となった。作者は滝には自然の力が内在されていると考えているのであろう。さらに凍滝ともなると青く透きとおる滝などに姿を変える。作者はそれを滝に天地の力がみなぎっていると認識したのである。これが大串氏の抒情につながっているのではないか。
(「堅香子」[野崎ゆり香主宰]三月終刊号)
「堅香子」は昭和五十四年七月以来、実に三十五年に亘り、発行されてきたが、この三月号が終刊となった。
掲句、早春のある暖かい日、作者は森の中へ散歩に出かけられたのであろう。そこで思いがけず「オオムラサキ」蝶を見つけた。それは単に見ただけでなく、森が「オオムラサキ」のための森と考えたのである。表面的な写生の中には若さを求めるような作者の願望も見えてくる。
現し世のものは照らさず花篝 片山由美子
(「狩」[鷹羽狩行主宰]四月号)
鷹羽氏の句、平常心で自在に詠まれている。ただここには鷹羽氏の物の本質まで捉える知的観察に裏打ちされている。「初蝶」というと、羽化したばかりで、低く飛ぶ常識で見てしまう。しかし〈思ひもよらぬ高さより〉と初蝶の高さに着目したことは意外性とともに本来の初蝶とはこのような力強い蝶であってほしいとの思いも垣間見える。
片山氏の今月の一連の句は桜の一日を詠まれている。その中の掲句は「花篝」というものは現実の花ばかりだけでなく、桜浄土ともいうべきあやしいまでの美しさを〈現し世のものは照らさず〉と逆説的に詠まれ、ひるがえって現実の花篝の美しさに戻って詠まれている。
花篝と言えば、〈つねに一二片そのために花篝 狩行〉と〈散ることをうながすごとく花篝 由美子〉の師弟揃っての句があるが、これらは現実の花篝を観察した結果の美しさである。それをさらに逆転の発想での美しさを詠んだのが掲句である。
(「きたごち」[栢原眠雨主宰]三月号)
「きたごち」三月号が300号記念号となっている。
掲句は東日本大震災を受けた町であろうか。この町はまだ何もない更地である。年末は一面星がきらめき、〈星の増えゆく〉の措辞が悲しいまでの美しさを詠み、一層失われた町への哀惜が伝わってくる。今月号は三〇〇号を記念して「東日本大震災を詠む」と題して被災後から最新号までの同人、会員の震災句を特集している。震災を風化させないためにもこのような取り組みに敬意を表したい。
(「保」[石井保主宰]四月号)
掲句、静かな色合いのある句である。日が暮れるに従い、次第に池の水が夕映え色になりつつある。それに呼応して〈暮色を促す〉と意志を持った春の雪を詠み、この擬人化により春の雪が池面に吸われるにつれ、それは暮色に変える雪であることが分かる。
(「樹」[若原康行代表]四月号)
紙漉の句は数多く詠まれているが、常に新鮮な句として詠むことは難しい。句を新鮮であらしめるためには紙漉作業を凝視することが重要である。掲句の眼目は〈水をあやしつつ〉である。作者は紙漉女の作業を長時間見ているうちに、それは紙漉女が我が子のように漉き舟を操っていると認識して、〈水あやしつつ〉の措辞を得たのである。まさに紙漉の真実を突いた句である。
(「圓座」[武藤紀子主宰]四月号)
「圓座」四月号が三周年記念号であり、師の『魚目句集』を特集している。武藤氏、今月号では一連の「冬干潟」を白のイメージでまとめている。荒涼たる冬干潟が暮れていく色彩は何であろうか。グレーの世界が想像されるが、作者は干潟を「白」と断定した。掲句は冬の日暮れの中に〈ほのかに白きもの〉と静謐に満ちた「白」でまとめ上げた。
(「雲の峰」[朝妻力主宰]四月号)
掲句は病院で診察を終えて、処方箋を貰う間の一齣。持病がある者にとって常に不安がつきまとう。診察が終わると一安心するとともに今後の養生にも不安感がよぎる。中七の〈目をつむり待つ〉の客観視の中に安心感と不安感が交差する心情が脳裏を巡る。ただ「春昼」の季語を配することにより、回復が近い明るい兆しが読み取れる。
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また俳句の世界で広く四季の自然、動物、植物を詠むことは、俳人が自然環境、生物多様性の恩恵を受けており、ビオトープもこの恩恵の範疇に入ります。
「伊吹嶺」では会員の環境を考える一助となることを目的に二年前から、栗田主宰のお勧めにより、環境に向き合って「自然と親しむ吟行会」を続けています。今年はビオトープ復元の一つのモデルとして三島梅花藻の里から源兵衛川を歩く吟行会を予定しています。
風花や富士湧水は音立てず 栗田やすし
栗田主宰の掲句の三島市周辺は富士山の豊富な積雪が伏流水となって、あちこちに湧水群が発生します。代表的な柿田川と同様に、楽寿園は源兵衛川の起点となり、下流域の水田へ供給する湧水を形成する池を持っています。かつては三島湧水群を代表する水量を誇っていましたが、上流域の工業用水の汲み揚げにより楽寿園の湧水は枯渇し、さらに生活排水のたれ流しにより源兵衛川の水質は悪化の一途をたどってきました。平成五年頃、水環境整備事業として、川の浄化工事が始まりました。そして一九三〇年頃源兵衛川で初めて発見されたものの、その後の川の汚染により絶滅したと言われていた「三島梅花藻」も柿田川で再発見され、源兵衛川に移植されました。また湧水は隣の佐野美術館湧水から引き込まれ、三島梅花藻の里として整備されています。現在は各NPO法人によって、源兵衛川、三島梅花藻の里のビオトープ復元活動が続けられています。
源兵衛川は「川のみち」として、飛び石、浜下りデッキ、川辺の小広場、ベンチ、川端(かばた)などを見ることが出来、さらに雑排水をろ過するろ過枡も作られています。吟行が行われる七月六日はこの三島梅花藻の里、源兵衛川を歩くことによりビオトープの復元状況を確認し、句材として詠んで頂きたいと思います。またこの頃は暑い時期ですが、川の中の木道を歩くことにより涼しさを実感できると思います。
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群るる如く離るる如く池の鴨 大橋 晄
(「雨月」[大橋晄主宰]二月号)
「雨月」の名誉主宰大橋敦子氏は二月二十一日に逝去された。「雨月」における作品は平成二十五年十一月号の〈実紫そのむらさきの色愛でむ 敦子〉などが最後となった。「雨月」は引き続き大橋晄氏が主宰として活躍されている。
掲句、池に泳いでいる鴨の実態を過不足なく写生しいている。このような情景を「鴨の陣」と詠まれることがあるが、この句は〈群るる如く〉〈離るる如く〉と動詞の重ね言葉で鴨の習性をゆったりとしたリズム感で詠んでいる。この句から鴨の静かな群の動きが見えてくる。
(「春耕」[棚山波朗主宰]二月号)
棚山氏は一時、体調を崩されて入院されていたが、吟行にも出かけられ、すっかり回復されたようだ。
掲句、作者の「年用意」とは何であろうか。この時期、男性にとって何とも身の置き所がない。〈あるもの〉が何であるかは読者としては推測するしかないが、作者の書斎が一番ふさわしいと思った。いざ書斎を片付け、膨大な俳書を仕分けしたものの結局は必要なものは元の場所に収めることが「年用意」なのであろう。それが作者として一番落ち着くことを発見した句である。さらにこの句を第三者的な視点で詠むことにより、自ら諧謔のある句と作者は実感しているのではないか。
初仕事貧しき人を葬りけり 福島せいぎ
(「なると」[福島せいぎ主宰]二月号)
作者は寺の住職をなさっている。葬儀は時期を選ばずやって来る。住職の立場としては檀家の一人一人までよく知っている。掲句、新年早々葬儀を行うこととなったが、〈貧しき人を〉に心が籠もっている。生者に貧富の差はあっても死者はすべて平等であることを言いたかったのであろう。あえて〈貧しき人を〉と詠むことにより死後は平等に葬り、それが作者の今年の初仕事になり、心おだやかな気持ちとなったのではなかろうか。
また点るやうに消ゆのが聖樹の灯 後藤 立夫
(「諷詠」[後藤立夫主宰]二月号)
掲句、「季節のうた」として句日記のように作られているうちの一句である。クリスマスツリーは最近ますます電飾が華やかになってきている。その電飾の点滅そのものに集中して〈また点るやうに消ゆのが〉と自在にそして丁寧に詠んでいる。そこからは自ずとユーモアも出ている。作者にとっては聖樹の真実は点滅にあると認識したのである。
紙を漉く薄き水膜積み重ね 石井いさお
(「煌星」[石井いさお主宰]二月号)
「煌星」はこの一月号が創刊十周年記念号となっていた。
紙漉作業はいくつもの段階を重ねるが、掲句は漉き舟で漉いたものを一枚ずつ積み重ねていく作業の一齣である。この句の眼目は漉きたての紙を〈薄き水膜〉と認識したところである。水膜という表現に台座に乗せられた紙がまだ半透明であたかも息づいているようである。
かって石井氏は「煌星」創刊号で誓子の唱える「根源」は「命をつかむ」ことであると発言しているが、掲句はまさに漉き水が水膜となり、紙という命が吹きこまれる過程を詠み、〈薄き水膜〉が命を得た真実に迫った把握である。
ティファニーの正面社会鍋を吊る 森田純一郎
(「かつらぎ」[森田純一郎代表]二月号)
「かつらぎ」は前主宰の森田峠氏の死去を受けて、森田純一郎氏が主宰となられてもう一年が過ぎようとしている。掲句は主宰動静からニューヨークへ出張の折の句である。私はティファニーというとすぐ映画の一場面を思い出すが、この句はティファニー前で年末恒例行事の救世軍の社会鍋を淡々と詠んでいる。冒頭に〈ティファニーの正面〉と出てくるインパクトは強い。〈ティファニー〉と〈社会鍋を吊る〉のアンバランスな情景が現代の世相を鋭く切り取っている。
枯野には枯野の匂ひ人に影 加古 宗也
寒波うしろに自刃小屋覗く時 田口 風子
(「若竹」[加古宗也主宰]二月号)
加古氏の句、〈枯野の匂ひ〉とはどんな匂いであろうか。この句のポイントは〈枯野には〉〈枯野の匂ひ〉と駄目を押すような重ね言葉の詠みぶりから、作者しか分からない作者独自の匂いを強調したかったのであろう。そして〈人に影〉の場面設定から「枯野」と「ただ一人の影」の対峙の中から、孤独感を匂いとして表現したのではなかろうか。
田口氏の句、場面は前後の句から渡辺崋山の自刃小屋であることが分かる。〈寒波うしろに〉がこの句の眼目である。自刃小屋を覗いていると、背中から寒波が覆いかぶさってくるのを実感した。〈寒波うしろに〉を感動の中心として冒頭に据えたことがより一層寒さを強調している。
加古氏の句も田口氏の句もともに本人しか分からない感覚を詠みながら、何度も読むうちに表現しようとする「匂い」「寒波」に納得がいくようになる。
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病む地球と水の地球
掲句は「狩」平成二十年十月号に掲載されたものであるが、当時の中日新聞の「けさのことば」で岡井隆氏は「病む星」とは異常気象の他、紛争、テロにまみれた世界と解釈し、現代の地球を憂いていると解釈されたものだったと思う。ただ私は既に「伊吹嶺」誌に書いた内容は、〈露鶏舎〉の解釈がポイントで、この地球は環境汚染により病んでいる。そんな地球に住んでいる私達にとって、その回復の兆しはあるだろうか。〈露けしや〉本当にそうであろうかという疑問形だけでなく、願望も含めた〈露けしや〉と解釈した。一方、次の様な句もある。
水の地球少し離れて春の月 正木ゆう子
句集『静かな水』に所収された句で、著書の『十七音の履歴書』によればこの句集を宇宙と水のイメージで構成しようと思い、掲句を巻頭に、そして掉尾に〈春の月水の音して上りけり〉を配している。掲句についてのそれ以外の感想はないが、〈水の地球〉に前向きな姿勢が見える。この言葉から宇宙飛行士のガガーリンの「地球は青かった」の発言を思い出す。〈水の地球〉は環境に恵まれた豊かな星で、〈春の月〉にも水のイメージを感じる。掲句自身には、環境問題の意識は見られないが、私は環境保護を通じて、いつまでも水豊かな地球であってほしいと思う。
両句を比較して、改めて俳人にとって環境問題に関心を持つべきだと思った。
現代俳句評
(「沖」[能村研三主宰]12月号)
胡桃の中には不思議な形の実が詰まっている。その異質さが俳人にとって興味がそそられる題材であろう。〈胡桃割る胡桃の中に使はぬ部屋 狩行〉の句は胡桃の実の窪みを部屋に見立てた独自の視点が光っている。
掲句もそれに劣らず胡桃を凝視した結果、胡桃の真実に迫った句である。胡桃の複雑な窪みを〈書き順辿りけり〉と胡桃の実の窪が一筆書きのような書き順になっていると胡桃の不思議さを実感したのである。
十六夜の月に連れ立つ鍵かけて 辻 恵美子
(「栴檀」[辻恵美子主宰]12月号)
今月号の一連の句は昨年九月にフランスへ出かけた折の句である。掲句は折しも異国での十六夜に遭遇した時で、〈鍵かけて〉はホテルの部屋であることが分り、〈連れ立ち〉に句友の存在が見える。そしてこの下五の言いさした詠みぶりに句友と異国に出かけた心浮き立つような軽やかなリズムが伝わってくる。
花芒まだ風癖のついてゐず 仁尾 正文
(「白魚火」[仁尾正文主宰]12月号)
この十二月号が「白魚火」の第七〇〇号記念号となっている。昭和三十年の創刊からの歴史は重く、仁尾氏は平成十三年より主宰を務めている。
掲句、写生句であるが、さらに「花芒」の本質を突いた観察眼が見えてくる。芒の穂が開き初め、花を咲かせるまではまだ若い穂である。その若さを〈風癖のついてゐず〉と表現することにより、芒がまだ直立して風に影響されていないことを発見した。そして次第に風になじんだたおやかな芒へと連想がふくらんでくる。
海に向く千の土嚢や颱風来 檜山 哲彦
(「りいの」[檜山哲彦主宰]11月号)
「りいの」はこの11月号で創刊五周年・発刊五十号の記念号となっている。今月号のコラム「写生不写形」にて卓田謙一氏は写生について先師沢木欣一の「詩因(感動)があっての写生である。詩因を自分の目や耳で発見し、把握するのが写生であるいってもよい。」の発言を引用している。これを踏まえて掲句を読むと、〈颱風来〉の写生の詩因は〈海に向く千の土嚢〉である。台風の上陸に備えて土嚢を積むことはよくあることだが、その土嚢が意志を持って海に向いて台風と対峙していると把握したころから感動にたどり着いたのである。
秋日和褻にも晴にも玉子焼 村上喜代子
(「いには」[村上喜代子主宰]12月号)
掲句、秋のおだやかな日に玉子焼を作ることは作者の詩心を動かしたものと思われる。玉子焼はかっては特別な料理であった時代もあったが、今は日常生活に親しみやすいものである。作者は褻の時や晴の時に作られるものは種々あるが、玉子焼がそのような位置づけにふさわしいと感じた。〈玉子焼〉の存在に女性らしさの視点を感じた。
(「家」[加藤かな文代表]12月号)
紅葉は毎年見るものであり、毎年詠み続けるには、感覚を鋭く研ぎすまして紅葉に向き合うことが必要であろう。掲句の冬紅葉は比喩表現で詠んでいるが、その比喩を〈かさぶたの色して〉と認識した俳人は希有ではなかろうか。冬紅葉の色をかさぶたの色に飛躍させたところが加藤氏独特の視線である。また今月号掲載の〈山見えて火口のごとき紅葉あり〉の句も紅葉の赤を〈火口のごとき〉と比喩表現したのも同様に類型のない比喩である。
(「蜻蛉」[関森勝夫主宰]12月号)
土器を投げることが出来るのは、断崖の上など見晴らしのよいところであろう。土器を投げてみたくなることはよくあることだが、掲句で注目すべきところは〈秋思を軽くせむ〉である。作者は何か心に引っかかるものを持ちながら、見晴らしのよいところに出た。土器を投げてみたくなったのはほんの思いつきであったが、投げてみると思いのほか、心の屈託がなくなった。〈秋思を軽くせむ〉にはそのような作者の心の動きが見え、そのきっかけを与えてくれたのはありふれた土器であったのである。
(「鯱」[服部鹿頭矢主宰]12月号)
かっての斎宮は三重県明和町にあり、天皇の皇女が伊勢神宮の祭事に務められていたものである。この斎宮址は広大なエリアを持ち、現在も常に場所を変えて発掘調査が続けられている。
掲句、作者は遠くから斎宮址周辺の秋耕を見ていたところ、それは遺跡掘と同じ作業に見えたことに気付いた。秋耕は農業の重要なプロセスの一つであり、片や遺跡掘は日本の原点を探す一つのプロセスで、ともに日本人の営みの原風景であると確信したのである。
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「伊吹嶺」二十五年十一月号に内田陽子さんが「風」女流作家のことを書かれていたので、今回は「風」男性作家の思い出について書いてみたい。
沢木欣一先生が「風」創刊されたのは昭和二十一年五月で、以来多くの若手作家を育ててこられた。創刊直後で印象に残っている作家の一人に川口重美がいる。
私が「風」に入会した直後、昭和三十九年三月号に「重美小特集」が組まれていた。誌上に掲載された若々しい感覚に惹かれて、前年に発刊された『川口重美句集』を沢木先生からお借りして、筆写させて頂いたことがあった。
渡り鳥はるかななるとき光りけり 川口 重美
その後、平成二十年に復刻版が出版された時、初めて読んだ時の感動が呼び起こされた。
私が初めて風東京句会に出席したのは、「風」入会二、三年後のことだろうか。当時披講者は固定されて、いつも大西八洲雄氏であった。いまでも披講トップの「大西八洲雄選」という低音で力強い声がよみがえる。
番台で本読む少女一葉忌 大西八洲雄
東京の下町に住んで、常に庶民的な立場に立った詠み口に尊敬していた。
また「風」五十五周年記念号で受賞した「広島忌」三十句は広島に対する思いが凝縮されていた。最後にお会いしたのは平成二十二年の「風」の会の時となってしまった。
その後、全国に転勤を繰りかえした後、再び風東京句会に出席したある時、当日の最高得点で、非常に印象深い句に出会った。それは谷口秋郷氏の句である。
風を知る早苗の丈となりにけり 谷口 秋郷
何という繊細さでしかも早苗の本質をついた句には、衝撃を受け、自分の未熟さ、不勉強を思い知らされた。谷口氏は警察庁の幹部で惜しくも若くして亡くなられた。
長年のブランクを経て、「風」に再入会したものの怠け者の私を常に励まして頂いた栗田主宰、鈴木みや子さんのご指導のおかげで、「風」同人の片隅に加えて頂いた。
その後の風同人総会、風全国俳句大会に出席した時、当時同人会長であった林徹氏の挨拶の中で、風俳句に気概を持たれていることを強く感じた。まさに骨太の即物具象信奉者で、なかでも句集『群青』に強く感銘を受けた。
鶏頭の影地に倒れ壁に立つ 林 徹
などは即物具象の極地であろう。以来個人的には一物主義による即物具象の句を尊敬している。
以上故人となられた方の忘れられない思い出を述べさせて頂いた。
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団扇手に通る被爆に消えし町 田島 和生
(「雉」[田島和生主宰]十月号)
毎年、八月を迎えると原爆忌が近づく意識が頭の片隅から離れない。まして広島の結社誌の主宰としては常に詠まざるを得ないテーマであろう。掲句、〈団扇手に〉という何気ない日常生活にも原爆忌のことが離れない。作者は団扇を使いながら、爆心地に近いところを歩いているのだろう。ただ眼前にある町は以前の町ではない。被爆する前の町が脳裏に想像されて、眼前の町と比較して原爆で消えた町を思いやっているのである。日常生活においても鎮魂の心はなくしてはならないのである。
光混ぜ混ぜて茅花の靡きけり 茨木 和生
(「運河」[茨木和生主宰]十月号)
茅花は日に照らされると、銀色の絹糸が光るようであり、ほうけてくると輝くような白さとなる。掲句は茅花の美しさを〈光混ぜ混ぜて〉と日の光を茅花に取り込むことにより、茅花は美しく靡いていると認識しているのである。そしてこの言葉のリフレインがますます茅花の白い輝きを増して、茅花の美しさを効果的なものとしている。
瀧までも消してしまへり瀧飛沫 今瀬 剛一
(「対岸」[今瀬剛一主宰]十月号)
今瀬氏の滝の句というと〈しつかりと見ておけと滝凍りけり 剛一〉がすぐに思い浮かぶ。この句は凍て滝を一点凝視した極地の句である。
そして掲句も瀧だけを一点凝視して、瀧の本質を捉えた句である。この瀧は垂直に落下する大瀧であろう。〈瀧までも消してしまへり〉と表面的には瀧飛沫を主題に詠んでいるが、瀧を消すほど白煙を上げる瀧飛沫の雄大さは即ち瀧本体の雄大さを詠むことにつながっている。
しばらくは一緒に待たう蟻地獄 櫂 未知子
郭公や遠山は雲やしなひて 佐藤 郁良
(「群青」[櫂未知子・佐藤郁良代表]九月号)
「群青」は二十歳代など若い俳人を核に同人誌として創刊された。佐藤氏は高校教諭として、長年、俳句甲子園を通じて若者を育成してきた。そして彼らの受け皿として、櫂氏と共同で「群青」は創刊された。櫂氏は「この誌名のもたらすイメージは広い海原、空の深さあるいは集う人々の若さであろう。」と発言し、佐藤氏は「この誌名は多くの若者たちが集うことを願って名付けられたものである。」とコンセプトは明確で、相当の意気込みでスタートしている。
櫂氏の句、〈しばらくは一緒に待たう〉の呼びかけ言葉がユニークである。ある意味で櫂氏の現代語感覚がさえている証左であると言えよう。そして〈蟻地獄〉は、一緒に待ち続けようとの呼びかけから、自分の分身として詠んでいるかのようである。
佐藤氏の句、〈遠山は雲やしなひて〉が眼目である。遠い山に雲が湧いている状態を〈やしなひて〉と詠むことにより、雲の存在は自然の意志であると認識しているのである。そして取り合わせとして引用した〈郭公〉はどこにいるとも言わず、一つの自然が身の内に伝わってくる存在として意識しているのである。
包丁を研ぐ音夏が急ぎ足 中山 純子
(「風港」[千田一路主宰]九月号)
千田氏の句、眼科通いをしているのだろうか。〈紫陽花は終ひの色かも〉につぶやきにも似た哀感が感じられる。紫陽花は七変化の別名のとおり、毎日見ていると紫陽花の色の移ろいが気になってくる。もしかしたら今日見る紫陽花は最後の色であろうかと自問自答して、自分の眼の不調を紫陽花に託して代弁しているのかと思われる。
中山氏の句、今年の夏も猛暑日が毎日続いた。しかし何となく夏が急ぎ足で過ぎていくと実感している。〈包丁を研ぐ音〉から夏が急ぎ足で過ぎていくと考えるのは理屈では説明できない感覚であろうが、包丁を研ぐ日常の一所作から、しかもその音から、微妙な季節の移ろいを〈夏が急ぎ足〉との表現で得たのである。
葉の裏の原爆の日の昏さかな 島津余史衣
(「松籟」[島津余史衣主宰]十月号)
原爆忌の日というと、まぶしい日差しに照らされるイメージが強い。掲句の原爆の日も強い日差しを浴びていたのであろう。そしてその日差しを強調するため、逆の存在として〈葉の裏〉を登場させ、そこに〈原爆の日の昏さ〉を発見することにより対極的に原爆忌のじりじりとした日差しの中の一種の焦燥感を詠んでいる。
湖上より孔雀のごとき大花火 松本 旭
(「橘」[松本旭主宰]十月号)
掲句、前書きに「箱根湖上祭」とある。水上花火は時に水面ぎりぎりに爆ぜることもある。湖上で扇形にそして七彩に爆ぜる花火はまさに孔雀の羽根を広げた形そのものであろう。〈孔雀のごとき〉の比喩は花火に〈大〉とつけた効果から、読む者にとって納得できる効果的な句となった。
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