俳句についての独り言(2022年)
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向日葵咲く死者のいのちを糧にして 照井 翠 (『俳句』十月号) ロシアのウクライナ侵攻は混迷度を増しており、亡くなったウクライナ市民には心悼むものがある。 「桜の樹の下には屍体が埋まっている。」と言ったのは梶井基次郎であったが、作者は向日葵には死者の命を宿していると認識した。つまり死者の命が向日葵を美しく咲かせたと言ってもよく、ウクライナにとって平和の花であるはずが壮絶な美となってしまった。 三年振り会し緑酒と初鰹 久留米脩二 旅の荷に確とありたる鱁鮧かな 辻 恵美子 芋煮鍋故山の銘の地酒酌み 古澤 宜友 (『俳壇』十月号) 結社主宰101人競詠で、今月は食べ物を特集している。筆者は酒の肴につながる句に惹かれた。 久留米氏の句、「三年振り」が希望に満ちたフレーズである。ようやく新型コロナによる行動制限も解除されたあとの会食で、いかにも旨そうなものは「緑酒」や「初鰹」の登場であり、「三年振り」の喜びとなった。江戸っ子も喜びそうな初鰹である。 辻氏の句、「鱁鮧」は鮎の塩辛のことで、岐阜県の珍味である。ということは「旅の荷」は岐阜県人として、これから会う人への手土産であろう。旅先での会食の肴にはうってつけであり、旅への期待感がふくらむ。 古澤氏の句、東北地方では秋の収穫後に河原でよく芋煮会が行われる。同時作に「もつてのほか」があることからこの地酒は山形県の銘酒であろう。紅葉が彩るころ、河原の「芋煮鍋」で酌み交わす酒はふるさとの酒に限る。 海鞘買つて水の重さを持ち帰る 近江 文代 (『俳句四季』十月号) 前掲の食べ物シリーズに続くような句である。「海鞘」は三陸沿岸が主な産地である。見た目がグロテスクにもかかわらず、実に旨い。その旨さを引き出すキーワードが生食である。そのため家まで新鮮さを保つためにポリ袋に水を浸して持ち帰ることが必要である。それは海鞘の重さというより大半が水の重さとなる。「水の重さ」が旨さを引き出す小道具となった。 獄窓の久太の句稿ちちろ虫 河原地英武 『俳壇』十月号) 「久太」とは和田久太郎のことで大杉栄と同時代の無政府主義者である。俳句は主に獄中で作っていたという。芥川龍之介は久太の〈のどの中へ薬塗るなり雲の峰〉などを評価していた。掲句はその久太の句稿を調べているのであろうが、「獄窓」と「ちちろ虫」を提示しているだけだ。獄中で聞こえるのはちちろ虫しかいない淋しさの認識から久太を思いやっているのである。ちちろ虫の存在に久太の一生を重ね合わせて詠んでいる。 打水や道路プチプチ喋りだし 望月 晴美 (『俳句』十月号) 比良山はみづうみの西さうめん食ふ 矢野 景一 (「海棠」秋号) ヒロシマ忌心ゆくまで鐘を撞く 福島せいぎ (「なると」九月号) 途中中断はあったものの足かけ十五年の間、この「現代俳句評」の発表の場を与えていただいた栗田顧問、河原地主宰にお礼を申し上げます。特に直近の五年間では、毎年思い出さざるを得ない東日本大震災関連句、新型コロナ、今年に入ってロシアのウクライナ侵攻等の数々の句には心痛む句が多くありました。これらの諸句に時代の流れも実感しました。そして環境問題を念頭に鑑賞させて頂いた句もあり、必然的に日本の美しい自然に及んだ諸句にも心を癒されました。最後に「伊吹嶺」会員の皆様には忍耐強く拙評を読んで頂き、ありがとうございました。
朝顔に夜明の空の色残る 小川 軽舟 朝顔や夜空の紺を吸い込んで 高野ムツオ (『俳壇』九月号) この九月号に「結社主宰101人競詠」として植物を詠む特集が組まれている。「朝顔」ではこの二句に注目した。両句とも朝顔の色を空の色に求めている。 小川氏は朝顔に夜明けの空を感じた。夜が明けるにつれ、空の色は紫紺色からオレンジ色に変化する。〈色残る〉から考えると、その色は日の出直前の紫紺であり、その色が朝顔に最もふさわしいと思ったのである。 高野氏の句、〈夜空の紺〉と言えば、小川氏の句よりさらに暗い時間であり、その暗さを持つ茄子紺のような色であろうか。朝顔は夜明けとともに茄子紺色を自らの花の色として咲いたのである。 青と黄の国旗と国花大向日葵 戸恒 東人 (『俳壇』九月号) 前掲句と同じ企画の「向日葵」の句である。ウクライナの国旗の色は小麦と青空であり、国花は向日葵である。ポイントは小麦の黄であり、向日葵の黄である。この黄をウクライナの平和の象徴として詠むことにより、アンチテーゼとしてロシアの侵攻を思わせている。 終戦日不死男のやうに風呂洗ふ 松尾 隆信 (『俳壇』九月号) 秋元不死男と言えば、すぐ〈終戦日妻子入れむと風呂洗ふ〉が思い出される。戦中、俳句弾圧事件で獄中生活を経験した不死男にとって終戦日だからこそ家族への感謝を込めて風呂を洗ったのである。それを踏まえて掲句も家族への感謝の念を同様に〈風呂洗ふ〉ことを実行し、不死男と連帯感を持ったのである。 滝去るや首振つて音振りほどき 大島 雄作 『俳句』九月号) 掲句は滝、それも滝音だけに焦点を当てている。滝音ののすさまじさは耳が麻痺するほどだったのであろう。いざ滝から去ろうとしても、いつまでも轟音がこびりついて離れないのである。その音をかき消す方法として首を振って音を追いやることを思いついたのである。滝音の面白い捉え方である。「振る」のリフレインによって滝音のすさまじさを強調している。 傷をもつピアノひとつやひろしま忌 合原 実世 (『俳句四季』九月号) 無防備な夏服であり空であり 櫂 未知子 あきらめてつぎつぎ滝となる水よ 佐藤 郁良 (「群青」八月号) この号が創刊五十号となっている。角川俳句賞など数多くの受賞者を輩出しているのは指導者の賜物であろう。 放縦に麦を蹂躙無限軌道 檜山 哲彦 (「りいの」八月号) 五月闇マリアの街にふる白燐 星野 恒彦 (「貂」八月号)
ロシアのウクライナ侵攻は終息が見えず、長期化が予想されている。毎月発表される諸句に対し、筆者も鑑賞者としてこの歴史を見ていきたい。 麦秋や戦車が壊れ人毀れ 中村 光声 『俳句四季』八月号) いくさぞ止まぬ暗渠に呑まれ花筏 依田 善朗 (「磁石」七月号) 花吹雪の向ふに狙撃兵がゐる 伊藤 政美 (「菜の花」七月号) 中村氏の句、ウクライナの平和の象徴である麦畑には悪夢としか言いようのない戦車の残骸や悲惨な死者の現状を見るにつけ、麦秋の季語のとおり平和への力となってほしいとの願望が見える。 依田氏の句、冒頭の〈いくさぞ止まぬ〉を破調で怒りを発信して、おもむろに日本の「花筏」にもある不安な要素を重ね合わせて戦争に対する不条理を詠んだ。 伊藤氏の句、平和時に見られる「花吹雪」を一歩踏み出せば命にかかわる戦争が隣り合わせになっているのは、もしかしたら日本でもあり得るのではないかと恐れている。日本的な素材の「花吹雪」を提供して、平和と戦争が隣り合わせになっていることを強調したかったのではないか。 以上三句とも共通していることは、平和の象徴と戦争をを対比させることにより、作者の姿勢が顕著に見える。 鰻焼くプロパガンダと砲撃と 河原地英武 (『俳壇』七月号) 続いて掲句を見ると一見、ウクライナ侵攻をどのように解釈すべきかとまどう。冒頭の〈鰻焼く〉と立ちこめた煙には日本的な安寧の庶民生活が見える。これに対し、砲撃の煙から欺瞞に満ちたプロパガンダの世界を対比させている。即ち鰻の煙と戦争の煙を重ねて見せることによって、安寧と欺瞞の落差を強調したかったのではないか。 何もかも知りたる貌や山椒魚 田口 紅子 (「香雨」八月号) 田口氏は第五句集『金声』を上梓された。この句集は漢字一文字の章立てで構成している。「雨」の章に、 木も石も雨のかがやき夏はじめ 田口 紅子 がある。まず初めに〈木々のこゑ石ころのこゑ終戦日 鷹羽狩行〉との関連を考えてみた。鷹羽氏の句は、終戦日を「木」や「石」に代弁させて内向的に捉えたものと想定されるが、田口氏は「木も石」を持ち出すものの、外光的な雨の明るさを強調しているところに師を越えようとのひたむきさが見えた。 そして掲句には哲学的な面差しの「山椒魚」を憂いに満ちているが、親しみを込めて詠んでいる。というのも『俳壇』七月号のエッセイで田口氏は「地球温暖化に伴う気候危機により森林の自然サイクルを狂わせている。」と憂いている。山椒魚も気候変動に極めて敏感で、既に絶滅危惧種になっている。こんな人間界の横暴を見透かしたような〈何もかも知りたる〉なのである。 低く来て土のにほひの夏の蝶 井上 弘美 (『俳句』八月号) 蝶の生態をしっかりと観察している句である。一般的に蝶は花の蜜を吸う他に、地面での吸水活動も行う。水分はもちろんそこに含まれる塩分なども摂取するためである。まず〈低く来て〉から濡れた地面で吸水活動をしていることが分かる。その地面すれすれに飛んできた蝶には「土のにほひ」を持っていることを見逃さなかった。 蜘蛛の囲を抜くる風あり電波あり 峰崎 成規 (『俳壇』八月号) ことごとく彼岸に向かふ花筏 大関 靖博 (『俳句四季』八月号) かきつばた見んと小流れひと跨ぎ 下里美恵子 (『俳句』八月号)
水を考える 私達俳句を作る時何気なく「水」を詠んでいるが、実は漢字の中で、偏がサンズイで水を表す漢字が最も多いことを初めて知った。氷、河、池、湖、海など数え切れない。 「日本人は水と安全はタダだと思っている。」とはイザヤ・ベンダサンだったが、改めて水は何かを考えると、その恩恵、問題点など幅広い課題を持っている。まず「水の地球」と言われているように地球上の水は実に97%が海水、淡水は3%弱で、氷河などを除けば利用可能な淡水はわずか0.7%である。また人間の身体も水でできており、赤児で80%、私達老人でも50%以上の水でできている。その人間が一日に必要な水の摂取量は約2.5Lで、そのうち飲料として1.2Lを摂取する必要がある。 次に水を世界的に考えればSDGs目標6に「安全な水とトイレを世界中に」とあるように世界は飲料水やトイレの水にも危機に瀕した国が多く、この世界的な課題に対して日本は安全な水も多く、下水処理もかなり進んでいる。 また日本が水の恩恵を受けている最も大きな要因は降水量の多い温帯気候のおかげである。 近年、地球温暖化による影響により水の問題が多く起きている。日本は元来四季が豊かで季節ごとの降雨も恵まれている。しかしこの温暖化が日本でもスーパー台風、線状降水帯、寒波などの用語が顕著になる。一方異常高温、熱帯夜、干ばつなど異常気象の極端化が発生しているが、長期的に見れば日本の降水量は減少傾向にあり、水不足の方向に進んでいる。 このような現状において、日本では水道の品質改善を目指しているものの水不足のトレンドは避けられない。 私達は水の恩恵を受けるとともに水には癒し効果がある。最も顕著なのは海である。海の景観、レジャーなどが該当するし、陸上では豊かな生態系の川、滝などの景観からも癒し効果が見られる。これらが私達の生活に潤いを与えるとともに、様々な水の生態系が俳句を作る者にとって恵まれているのが水である。これら数多くの水の様相が多くの俳句につながり、秀句も多い。例えば神事となっている鵜飼なども水の恩恵からの慰めの一つであろう。これら水の恩恵からなる俳句は多く、以下栗田顧問の例句から改めて水の恩恵に感謝したい。 母残し来て束の間の磯遊び (海) 栗田やすし 底の石見えて舟着く水の秋 (川) 〃 滝凍てて全山音を失へり (滝) 〃 ハリヨ棲む水に影濃き石蕗の花 (清流) 〃 鵜篝は太初の火色闇こがす (鵜飼) 〃
今月もまず総合俳句誌からウクライナ侵攻についての句を鑑賞してみたい。 戦場に似し片陰も無き路上 渡辺 純枝 『俳句』七月号) 戦火なき日本の桜咲きにけり 武藤 紀子 (『俳壇』七月号) 渡辺氏の句、日本の夏は暑い。ことに片陰もない道路はなおさらのことである。作者は日本の暑さから戦場を思いやっている。戦場と猛暑は違うと言っても心情的には共通するものがあると認識したのである。どちらもつらいが、日本からウクライナに寄り添った句である。 武藤氏の句、日本の桜からつくづくと平和を噛みしめているが、「戦火なき」のフレーズを付け加えると、対極的にウクライナの戦火に発想が広がっていく。本来、ウクライナの小麦の黄と空の青が象徴する平和があるはずだが、今は戦火しかないことに思い至っている。〈戦火なき〉から両国の平和を恋う句となった。 侵攻や音たて氷水くづれ 今瀬 剛一 (「対岸」六月号) 掲句はまず「氷水」をつつき、崩している平穏な一齣から始まる。ただ「侵攻や」を付け加えると「音たて」と言ったことをきっかけに何かが作者の心の中で崩れたのである。それは「侵攻」に暗示されたウクライナの街の崩壊であろう。さらに侵攻によって人間の尊厳までも音を立てて崩れたのではないかと慮っている。 ひまわりの畑の下はいくさ跡 祢宜田潤市 (「圓」六月号) 筆者が住んでいる近くの畑では今年もひまわりが咲いた。そのひまわりから映画「ひまわり」のようにウクライナに咲いている一面の畑に連想が広がっていく。さらに眼前のひまわり畑も「いくさ跡」があったかの幻想につながるのを感じつつ、眼前のひまわりとウクライナのひまわりが二重写しに見えたのではないか。 春月の雫の如し漁火は 千田 一路 霾るや戦争報道余所事に 中川 雅雪 (「風港」六月号) 千田氏はこの七月に逝去された。「風港」を創刊し、長年牽引されてこられたことに冥福をお祈りしたい。 掲句は能登沖の漁火であろう。春であれば烏賊釣漁かも知れない。漁火が点々としている情景に対して、上空の「春月」はやわらかい光を放っている。この光が降り注ぐことにより漁火は春月からもたらされたものとなった。写生することから漁火と春月との関わりに発展した。 中川氏の句、最近、毎日のようにウクライナ侵攻のニュースが流れて、誰しもニュース疲れを感じることがある。「余所事」とはそんな疎ましい気持を代弁しているのだろうか。ただ中央アジアからやって来る現実の黄砂がウクライナのイメージにつながっていくのであれば、「余所事」とは言っているわけにはいかない。反語的にウクライナのことに気に掛けている作者の心情を「余所事」に込めた。 この花に呼ばれるやうに来し母校 名村早智子 (『俳壇』七月号) 土用三郎指と指の間よく洗ふ 加古 宗也 (「若竹」六月号) おろし金のごとき波立つ春の海 小川望光子 (「鳥」五月号) 三つ星を育んでゐる寒さかな 櫨木 優子 (「香雨」六月号) 「三つ星」は冬の星座であるオリオン座であり、すぐ見つけられる。冬の星座を見つける目印にもなっている。眼目は三つ星の明るさは地上の寒さが育んだものだと断定したのである。それは「寒さが育んだ」という作者特有の鋭利な感覚からの成果である。
ロシアによるウクライナ侵攻の行く末はますます混迷を深め、憂うべき昨今である。今月はまず結社誌からこの侵攻を詠んだ句を短評的に鑑賞してみたい。 砲弾と軍靴とどろく麦青し 加藤 耕子 (「耕」五月号) 料峭やあまた征かしめ死なしむる 田島 和生 (「雉」五月号) 戦争はすべて虚となれ春の海 尾池 和夫 (「氷室」五月号) 戦死者へミサのはじまる寒灯下 山内 利男 (「晨」五月号) 反戦を叫ぶ地の星犬ふぐり 次井 義泰 (「花苑」春号) 加藤氏の句、ウクライナは小麦の特産国である。青麦の季節になっても砲弾が飛び交い、兵士が駆けてゆく麦畑が収穫を望めない以上、怒りの青麦を詠むしかない。 田島氏の句、かつて沢木沢人(欣一)は〈子を征かしめ遙けく見やる雪の嶺〉と出征の行き末を「雪の嶺」で隠喩的に詠んだが、田島氏は〈征かしめ〉を受けて〈死なしむる〉と並列表記によりその後の戦死まで踏み込んだ行く末を憂いている。この句にはロシア兵の境遇も詠んでいるのだろうか。 尾池氏の句、数学的には世界は実数の世界と虚数の世界があるという。尾池氏が〈虚となれ〉と命令形で詠んだのは戦争は幻のような虚の世界のみにあっても、実の世界にはあってはならないとの強い意志の句である。 山内氏の句、厳寒の夜の戦死者のミサを悼みつつ、この先に希望があるかどうか自問自答しているようだ。 次井氏の句、地上の星であると言ってよい「犬ふぐり」こそが反戦を叫ぶにふさわしい資格を持っているとの断定の句である。「花苑」誌の表紙裏に毎号、憲法九条を掲載されている姿勢に敬意を表したい。 虹立ちて墓標は点呼待つごとく 小川 軽舟 (『俳壇』六月号) 国境を越え陽炎のバスとなる 永瀬 十悟 (『俳句』六月号) 引き続き総合誌からもウクライナの句を抜いて見た。 小川氏の句、埋葬される戦死兵は点呼で確認されるしか方法がないのだろうか。兵士の墓標から見える虹はすぐに消える悲しい虹である。 永瀬氏の句、ウクライナを逃れて隣国までバスに乗り継いで行くことが出来たのは一つの僥倖であろうが、「陽炎」の存在は明るくても未来の不確かさのメタファなのであろう。足が地についた未来であってほしいものだ。 われが灰になる日の桜乱舞せよ 鈴木 節子 うすらひや楽器を鳴らせ武器捨てよ 鳥居真理子 (「門」五月号) 鈴木氏は鈴木鷹夫先師のあと「門」を盛り上げてこられたが、この五月に逝去された。ということは、既に三月頃、死を予感されていたのだろうか。その死を迎えるにあたり桜が満開であってほしいとの祈りは〈願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ 西行〉に通じる心情を〈桜乱舞〉に込めたかったのであろう。 合掌 鳥居氏の句もウクライナを直截的に詠んでいる。掲句の楽器から、筆者はすぐウクライナの歌姫ナターシャ・グジーが演奏しているバンドゥーラを思った。彼女の透きとおった歌声は反戦の祈りであり、この楽器が彼女を支えているのである。「うすらひ」は戦争が終わる春になってほしいとの作者の祈りであろう。 握る手に風の重さや風車 岸本 葉子 いちはつや水を歪めぬほどの風 佐藤 郁良 (『俳句』六月号) 環境問題を理解することは難しい。一方法として環境側面の見える化により理解を深めることが出来る。 エッセイストの岸本氏は「NHK俳句」への出演をきっかけに俳句を始められたという。掲句は風車による風の本質を捉えるにあたり、風の重さを具象化させることを考え、それを俳句的に捉える尺度には季語の力が必要であると思った。掲句では風車の手応えを手に伝えることにより風の重さを具象化させた。女性らしい繊細な感覚である。 佐藤氏の句、背景の「いちはつ」はあやめ科の多年草で、そこから池の水に視点を移すと、風の表情が見えたのである。本来見えぬ風を水面を通して、波紋が立たぬ程度を尺度とした風を登場させて可視化させたのである。 両句とも環境側面の一つとしての風をそれぞれ具象化、可視化させて風の本質を詠んだ。 あたたかや木喰仏に虫の穴 村上喜代子 (「いには」五月号)
ロシアのウクライナ侵攻は世界を一変させた。これは平和や侵攻に対して人間のあるべき姿勢を考えさせられる今日この頃である。『俳句』五月号より二句抜いてみた。 梅の日々戦火の日々となりしはや 西嶋あさ子 ウクライナの瓦礫の映る蜆汁 鈴木 厚子 (『俳句』五月号) 西嶋氏は、本来梅は日本人には心安まる存在でありながら、「戦火の日々」となってはどう過ごしてよいかとまどっている。〈なりしはや〉には嘆きと怒りが見える。 鈴木氏もこれまた蜆汁が日本人のつましい生活ながらも平和的な象徴であるのに対して、瓦礫などの異形の世界が映っている蜆汁にとまどうとともに無力感を感じている。 両氏とも戦争に抗して、日本人の誇るべき倫理観を大事にしたい覚悟が見える。 戦端が開く疫病の春なりき 渡辺誠一郎 珈琲も銃も手に取る余寒かな 名取 里美 (『俳壇』五月号) 『俳壇』五月号からも二句抜いてみた。 渡辺氏の句、世界中が三年に亘り新型コロナウイルスと闘っている最中、さらなる「戦端」が人類に追い打ちをかけてしまった。〈春なりき〉と詠んでいるが、このダブルパンチの世界に本当の春はやって来るのか、極めて不条理な春であるとの怒りが見える。 名取氏の句、本来なら人の手は珈琲を飲むような平穏な生活のためのものであるのに、その手が銃を持つとは、かつての忌まわしい戦争がやって来ると感じたのである。銃を持つ手が春を遠ざけてしまったのである。本当の平和が遠い不安感を「余寒」の季語に見ることが出来る。 ひとり乗りひとり降り立つ春の土手 江見 悦子 (「万象」四月号) この度「万象」主宰が内海氏より江見氏に交代されて、陣頭指揮を執られることとなった。 掲句は、人の活動も活発になる「春の土手」の一点景を詠んでいる。ただ点景と言っても〈ひとり乗り〉〈ひとり降り立つ〉の動きを述べているだけである。筆者としては人が土手の乗り降りを繰り返している動きに〈ひとり〉というフレーズのゆったりとしたリフレインから、緩やかな時間の流れにのどけさを感じた。 枕木に歩幅を合はす木の芽風 白岩 敏秀 (「白魚火」四月号) この四月号が八〇〇号記念号となっている。六十七年に亘る活動は富安風生の師系を守ってきた歴史の重みである。 掲句から筆者は懐かしい少年時代が思い出された。かつて列車があまり走っていない時代に線路に入って歩いたことがある。枕木を伝って歩くことは歩幅をそれに合わせることであり、その間合いが少年の歩幅であった。その歩幅の感覚は今も同じであろう。「木の芽風」が心地よい。 初夢や短編なれど母の夢 上田日差子 (「ランブル」四月号) この四月号が八〇〇号記念号となっている。六十七年に亘る活動は富安風生の師系を守ってきた歴史の重みである。 しじみ汁家それぞれに灯をともし 角川 春樹 (「河」四月号) 掲句から誰しも〈家々や菜の花いろの灯をともし 木下夕爾〉が思い出される。夕爾の句は家の灯しに明るい春を感じた向日性である。一方、角川氏の句にはさらに自身の郷愁を付け加えることが出来る。それは「しじみ汁」という極めて庶民的な素材を提供したことから分かる。平穏な生活を実感するのが日本の家庭の灯しであろう。 木々芽吹く断層面を隠しつつ 朝妻 力 (「雲の峰」四月号) 「断層面」と言うと、筆者は必然的に濃尾地震の日本最大の断層を思い出す。この断層から今なお当時の悲惨さが実感される。掲句はそのような断層はいつの間に木々の芽吹きに隠されると述べ、その芽吹きには断層のような危機も内在していると述べている。自然界の安らぎは束の間であることを忘れてはならない。 麗しき春の銀座へ書展見に 河原地英武、 (『俳壇』五月号) 冒頭の出だしからたちまち〈麗しき春の七曜またはじまる 山口誓子〉を口ずさむ。評論『山口誓子』で栗田やすし顧問は「『また』の語に病者の来るべき七曜を喜び迎える気持ちが込められている。」と評しているが、掲句はこの誓子の句を踏まえて、さらに心浮き立つ喜びが見える。書道展を見ることも喜びの一つであり、〈麗しき春〉には誓子とは違う健康的な喜びがにじみ出ている。
山笑ふ頃なる空のうすにごり 奥名 春江 (『俳句』四月号) 「山笑ふ」の季語は北宋の画家郭熙の「春山澹冶にして笑ふが如し」から来ているが、いつの時期に詠めばよいかいつもとまどっている。立春早々に「山笑ふ」で詠まれることもあるが、筆者としてはものの芽が吹き出し、山全体がうす緑色となる頃を擬人化したものと考えたい。 掲句はその「山笑ふ」の季節感を空のにごりに求めている。それは芽吹きの緑が空中に漂う明るいにごりであり、霞などの空気感のにごりであろう。改めて「山笑ふ」の季節感の本意を考えさせられた句である。 何か言つたかと妻に問ふ冬の夜 古田 紀一 (『俳壇』四月号) 我が家の夫婦のやりとりを見透かされた印象である。老夫婦ともなれば、ともに耳が遠くなり、日常的に会話が続かず、何度も聞き直すことが多くなってきている。しかし改めて妻に聞き直しても,たわいのないつぶやきだったりする。こんなやりとりは冬籠もりしている静かな夜にふさわしい。作者の家庭もきっとこんな感じであろう。 桜ちる夕日に影となりながら 髙橋 正子 (『俳壇』四月号) 夕日に桜が散っている情景と言えば〈谷へちる花のひとひらづつ夕日 細見綾子〉の吉野の桜を思い出す。綾子は夕日に照らされた花びらの明るさを詠んでいるが、掲句は夕日に照らされながらも、桜に陰影をつけて詠んでいる。〈影となりながら〉の影の深みこそが桜の美しさの本質だと主張している。 愚痴少し言いすぎた悔い水仙花 栃木絵津子 (『俳壇』四月号) まさにこういう会話はあるあるの感である。掲句のようにこんな愚痴が言えるのは親しい友人の間だからであろう。つい気を許し、言い過ぎた後悔が残るが、その愚痴も許して貰えそうな友人である。それは「水仙花」というさわやかな花を登場させたことから分かる。 流し雛光の帯に委ねけり 関森 勝夫 (『俳句四季』四月号)
まづ水が鳥を忘れて鳥曇 依光 陽子 (『俳句四季』四月号) すずめ色どきを静かに朴の散る 福山 良子 (『俳句四季』四月号) 「すずめ色どき」とは空が雀の茶褐色に染まった頃をいう意味で、夕暮れを指している。ただ〈すずめ色どきを〉と八音も費やして表現したことに、作者の意図がありそうだ。朴の花は高木で上向きに咲き、地上からはなかなか見えず、いつの間にか散る印象である。その朴の花の季語と夕暮れどきを並列させているが、季語にまけないくらいの重みを持って夕暮れを表現したかったのではないか。 海鳴りの番小屋囲み懸大根 鈴木久美子 (「山火」三月号) これまで「山火」を引っ張ってこられた岡田日郎氏が亡くなられたあと、鈴木氏が主宰を引き継がれている。 掲句は能登地方を詠んでいる。日頃太平洋しか知らない筆者にとって日本海側の「海鳴り」の重苦しさを詠むのは難しい。「海鳴り」と言えば,鶴岡の日本海を見続けてきた藤沢周平の『海鳴り』を思い出す。文中で周平は「沖の空は頭上よりも一層暗く、遠く海と交わるあたりはほとんど夜の色をしていた。音はそこから聞こえてきた。重々しく威嚇するような遠い海の声だった。」と主人公の屈折した暗い心情を「海鳴り」に託して描写している。掲句は「番小屋」や「懸大根」を詠むにあたり、「海鳴り」の重苦しさから能登の厳しい生活を強調している。 欄干の手にざらざらと冬ざるる 宮谷 昌代 (「天塚」三月号) ただ欄干の肌触りだけから冬の本質を詠んでいる単純極地の句である。この欄干は橋であろうか、それも木製の橋のようである。手が触れたざらざら感には一種の陰鬱さを感じる。そのざらつき感と季語の中の「ざ」と濁音の韻を含ませることにより冬の暗さを感覚的に詠み込んだ。
直立も這ふも一斉草萌ゆる 棚山 波朗 神田川時代思へば湯ざめして 蟇目 良雨 (「春耕」二月号) 「春耕」の名誉主宰であった棚山波朗氏がこの二月に死去された。「風」同人を経て皆川盤水氏を継いで「春耕」主宰を長年勤められ、昨年主宰交代されている。 掲句は、句集『宝達』からの一句であり、早春の明るさを「草萌」に託しており、「一斉」がキーワードである。「直立も」「這ふも」の観察が「一斉に」にたたみ掛ける手法で詠まれている。棚山氏の勢いに溢れた句である。 蟇目氏は今後とも「春耕」を引っ張って行かれる重責を担うことになる。掲句は若い頃の回想であろうか。一読して、かぐや姫の「神田川」が想定されるが、むしろ昨年亡くされた奥様との若き思い出を詠んだのではなかろうか。昔の結婚生活は誰しもこんな記憶を共有している。 梅雨月蝕胸に重たきがんゲノム 河合佳代子 渡り鷹一夜をロープウェーの山 辻 恵美子 (「栴檀」二月号) 「風」同人の大先輩であった河合氏が死去されたのは、昨年であったが、この二月号が追悼号となっている。 がんゲノム治療は遺伝子操作によって治療を行うもので、河合氏はこの治療を続けられていた。この句には「がんゲノム」に冒されている自身を、月面が月蝕に浸食されて、無惨な月となったことに重ね合わせている。無念な気持ちを月蝕で詠まざるを得なかったのであろう。 辻氏の句、岐阜の金華山は鷹の渡りでも有名だ。観測の適地はロープウェーで登った岐阜城界隈で、鷹は金華山頂の繁みに一夜を過ごし、また南方へ飛んで行く。〈ロープウェーの山〉は渡りの休息地であり、これが今なお市街地に自然が残っている岐阜の自負を詠んだようだ。 あをきものいよいよ青く寒明くる 松岡 隆子 (『俳句』三月号) 冬に色をつけるとしたら何であろうか。一般的には五行説から来る「玄冬」であろうが、細見綾子は真冬の色を〈くれなゐの色を見てゐる寒さかな〉と詠んだ。掲句では冬の終りの色を〈あをきもの〉と詠んだ。同時掲載句に「湖」が出てくることから、湖の色かもしれないが、この句はあくまで色だけの登場である。〈いよいよ青く〉は明るさのある待春の色なのである。掲句も綾子も色のみに焦点を絞り、最も冬にふさわしい色を選んだことに共感する。 真実を説きし瞳や桃の花 長島衣伊子 (『俳壇』三月号)
この匂ひといはれ合槌木の芽風 山下 美典 (『俳句四季』三月号) 春の訪れを感じるのはどこからと問われれば、「風光る」に代表されるように光からと、答える方もあろうが、もろもろの芽吹きに宿した生き物の匂いからやって来るという方も多いだろう。掲句は同行二人の会話であろうか、木の芽風に含まれていた様々な草木の匂いに出くわして、春が来たことに納得したのである。 雨音の軍靴にも似て開戦日 田島 和生 (「雉」二月号) (「百鳥」二月号) NHKで放映されている駅ピアノ、空港ピアノなどの番組が好きだ。奏者の短いコメントにそれぞれ人生が見えるのも好きな理由の一つだ。掲句は新年の駅前の景である。外出時に遭遇した「駅ピアノ」の音色から新年を迎えた喜び、奏者の喜びを見たことだろう。それは〈人入れ替はる〉と喜びを分かち合っていることを詠んだことから分かる。 地の焦げの追ひついてくる野火の舌 しなだしん (「青山」二月号) 早春の野焼きは大地からの恵みを作物の収穫につなげる重要な行事であり、生物多様性を維持するためにも必要な行為である。掲句は、野焼きの現場を直視したもので、臨場感に溢れ、「舌」と発見したところに生き物のようなすさまじさを感じた。野焼きのあとの黒々とした焦げ色も登場させて、「野火」「地の焦げ」がそれぞれ「舌」「追ひついてくる」の二重の擬人化に呼応させて、人間のような野火の疾走を強調させている。
石投げて波紋広がる漱石忌 栗田やすし (『俳句』二月号) 碧梧桐研究の第一人者である栗田先生にとって、同時代の漱石にも研究対象として深い憧憬の目を注いできた。その漱石へのリスペクトから「漱石忌」を毎年詠むことに自ら律してきた。掲句は何でもない動作であるが、波紋を見つめている作者の脳裏にこれまでの漱石研究の数々が甦ってきたに違いない。この動作が「漱石忌」を詠むきっかけとなり、そこから心象的な「漱石忌」の句となった。 寒禽のふつと紛るる海の色 伊東 泰子 (『俳句』二月号) 結社賞受賞者競詠から二句抜いてみた。 伊東氏の句、「海の色」に着目したところが眼目である。枯木の多い冬に小鳥は結構目につく。そんな視点に感じた「海の色」は「寒禽」の色であり、冬でもよく見かける翡翠の類いかもしれない。冬に「海の色」を発見したのは寒禽に心を灯す明るさを見たからであろう。「ふつと紛るる」は現実から離れた幻想を見たようである。 狩谷氏の句、すぐ〈春の鳶寄りわかれては高みつつ 飯田龍太〉が浮かぶが、掲句はここをスタートに鑑賞すべきであろう。龍太の「春の鳶」に対し、二月の春になりきらない頃の鳶はただ高さを詠むのではなく、「高き低きに」と微妙に定まらない位置だと捉えたのである。また〈鳶置きて〉は龍太の鳶自身が飛んでいるのでなく、他動詞で詠み、第三者的な「料峭」の存在がこの高さに捉えたのである。 スタッカート利かせて弾きぬ春隣 荒井千佐代 (『俳句』二月号) 「スタッカート」は個々の音符を短く切って演奏することで小気味よいリズムを出す。「スタッカート」を利かせたピアノ曲には浮き立つようなリズムが内包しており、待春の気持ちにふさわしい。逆に「スタッカート」のある曲の季節感はいつか考えてみるのも面白い。筆者の好みから言えば最も効果的な「スタッカート」はタンゴである。この音符を短く切ったタンゴのリズムには春をイメージする胎動が見えてくる。 病よき空令月といひつべし 井上 泰至 (『俳句四季』二月号) 作品16句はいずれも病後の様子を詠んでおり、題名も「令月」としていることに掲句にひとしお思い入れがあろう。「令月」とは季語の二月の他、「万事をなすのによい月」とあり、この意をそのまま自身に当てはめれば、回復しつつある「令月」のことであろう。「令和」の時代の「令月」を見る中に健康のありがたみを噛みしめている。 クレヨン塗って絵日記重しなつやすみ 小澤 實 (「澤」一月号) 小学生の絵日記の特質の一つを見事に捉えている。子が書いた絵日記に着目する一つは絵の面白さ、可愛らしさであろう。子が書いた絵日記は毎日自由奔放な絵で埋められている。それが「なつやすみ」の絵日記であり、クレヨンをびっしりと塗れば、ノートはびっくりするくらいかさばりその結果を「重し」と表現したのである。絵のかさばり、重さは長い「なつやすみ」の結果なのである 新豆腐すするにすがし鼻の奥 檜山 哲彦 (「りいの」一月号) 褄黒豹紋蝶起たせ引きたり雀瓜 坂口 緑志 (「年輪」一月号) 「雀瓜」の実は烏瓜に比べ、小粒で白い色はあまり自己主張せず、花と同様に実も可憐である。一方、「褄黒豹紋蝶」の羽根は、豹柄がかなり鮮やかである。掲句はこの二つを対比させて、「褄黒豹紋蝶」から「雀瓜」への場面展開を詠んでいる。且つこの鮮やかな蝶が飛び立ったあとだからこそ「雀瓜」の可憐さが効果的だと見たのである。「起たせ」「引きたり」が場面展開させる動詞の強さである。 童謡は大人の傷み赤とんぼ 伊藤 政美 (「菜の花」一月号) 掲句、上五・中七が極めて心象的だ。まず「童謡」「赤とんぼ」と言えば三木露風を思い出す。この有名な歌詞から悲しさ、郷愁を感じる。そして「大人の傷み」と詠み、童謡においても、大人の感性による悲しみを前面に出している。ただ季語を使っているからには「赤とんぼ」は眼前の景であろう。現実に見た赤とんぼから「大人の傷み」に思いを馳せることになり、ここから赤とんぼを普遍的なものとして、童謡はなべて大人の感傷を表現したものではないかとの一つの思いに至る。
木も草も夢を見むとて枯れゆくか 片山由美子 (『俳句』一月号) 植物が枯れるとはこういうことかと認識を新たにした。冬になると木も草も一様に枯れる。ここまでが実景である。ここから作者は木や草の行く末に思いを馳せている。その結果、枯れるということは夢を見ることにつながっていると認識したのである。そこから木や草は次の年へ己の生命を託す夢を持っていると発想が広げられる。即ち植物は一見、終焉を見るようでありながら、自然界の永遠に続く生命を宿していると見たのである。 大川小遺構初日に軋み出す 高野ムツオ (『俳句』一月号) 東日本大震災の傷は十年過ぎても未だ人々の心の中に残っている。石巻市の大川小学校の悲劇は裁判までに発展した。二〇一九年に遺族の勝訴の結果となったが、遺族側も学校側もまだ心の傷は癒えていないのではないか。 掲句、震災遺構として残った小学校にいつものように初日の出を迎えた。しかしその初日は希望に満ちたものではなく、人々の傷を思い出すものとして軋み出していく初日である。まだ震災の傷を忘れてはならない警告の句である。 のし餅を切る役失せて家長たり 能村 研三 (『俳句四季』一月号) 一族の家長としての立ち位置を改めて認識した句である。家長の役目の一つとして年末にのし餅を切ることもあったのだろう。些細な役目だが、行事の最後の出番こそが家長なのである。しかし今や切り餅はどこにもあり、のし餅から切る必要はなくなったのが現実だ。〈失せて〉の現実と〈家長たり〉の自負が交錯して、言いようのない喪失感がつのっている。〈家長たり〉は今なお家長の役目を持ちたいとの気概とそれが過去となりつつある自虐の狭間に詠んだ悲しい家長なのである。 ぽつぺんや心の鎖解き放ち 鈴木 節子 ぽつぺん吹くさびしき口のかたちして 藤田 直子 (『俳句四季』一月号) 四季吟詠選者による兼題句から二句抜いてみた。ぽっぺんはその単純な音色でありながら、郷愁を誘う響きを持っている。読者としては、その音色から作者が何を発想しているかを読むのが楽しみである。 鈴木氏の句、ぽっぺんを吹くきっかけはある鬱々としたわだかまりがあったのだろうか。そのわだかまりを自縛的な〈心の鎖〉と捉えて心情を出した。ぽっぺんはその鎖を解き放つという魔法の力を持っているに違いない。 藤田氏の句、ぽっぺんを吹くには力を入れる必要はない。すぼめた口で十分である。そんな口の形が過去のさびしさを思い起こしたのである。〈さびしき口〉は過去の既視感につながっていき、これからもさびしさに襲われたときに必ずぽっぺんを吹くに違いない。 蓮の実の飛び尽くしてや万事了 蟇目 良雨 (「春耕」十二月号) 本号の後記によると蟇目氏の奥様は十年の闘病生活の上、逝去された。長年の介護の中、主宰の激務は大変だっただろうと、これまでのご苦労を思いやりたい。 天霧らふ伯母峰越えて師にまみゆ 谷口 智行 (「運河」十二月号) 本号に谷口氏の主宰就任の記事が掲載されている。 額縁にイエスの言葉火の恋し 河原地英武 (『俳壇』一月号) 言葉の含蓄を考えさせられる句である。眼前の景はイエスの言葉が額縁に掲げられているだけである。新約聖書を見ると、ほぼ全編に亘り、イエスの言葉が綴られている。その言葉はどれも含蓄に満ちており、言わば箴言の集大成であろう。作者はある日、これを読んで、その箴言に従って一日中行動したのではなかろうか。その結果、温もりが欲しくなり、「火の恋し」という優しさに満ちた季語を据えたのである。 本号の随想の中で推敲には時間をかける方だと発言しているが、掲句の中で「火の恋し」の季語を発見するまで相当時間を掛けたのではなかろうか。
しみじみと白露の酒となりにけり 古田 紀一 (『俳句』十二月号) 一連の句から高遠の旅吟であることが分かる。ここには若山牧水の〈それ程にうまきかとひとの問ひたらばなにと答へむこの酒のあぢ〉の歌碑があり、それを踏まえているのではなかろうか。その結果、牧水の短歌と俳句の酒問答となった。牧水が「なにと答へむ」と自問しているのに対して、作者は「白露の酒」と返している。旅先でしみじみと飲む酒はこのような酒問答に浸る魔力を持っているのだろうか。俳諧性に満ちた句である。 膝ついて膝の湿りや思草 篠塚 雅世 (『俳壇』十二月号) 「思草」は寄生植物のナンバンギセルで、掲句は実感に忠実な写生句である。ナンバンギセルはわずか10センチぐらいの高さしかなく、寄生先の薄をかき分けて覗くため、必然的に膝をつくしか見ることが出来ない。「膝の湿り」が確かな写生で、筆者も同じ姿勢で覗き込んだ経験を思い出させて頂いた真実味のある句である。 深入りて溺れさうなる薄原 伊藤 康江 (『俳句四季』十二月号) 一面に広がった薄の高原が見える。筆者ならさしずめ奈良県の曽爾高原が想定される。丈の高い薄に入り込むと〈溺れさうなる〉のが実感である。この句のように溺れるように歩くところに作者の願望と薄の本情が見える。 島国の川は短し鳥渡る 小川 軽舟 (「鷹」十一月号)
石庭に波音聞え沙羅の花 加古 宗也 (「若竹」十一月号) 石庭と言えば、枯山水の一ジャンルの庭園である。石、砂を中心とした石組みによる庭には龍安寺など室町時代のものが有名である。作者は石組だけから川の流れを感じる石庭の魅力を述べている。そして庭隅にでもあるのだろうか「沙羅の花」を一点景として据えている。作者は想像上の波音を聞きながら、石庭の持つ連想力には「沙羅の花」がふさわしいと認識している。 流灯の消えて大海無明界 石井いさお (「煌星」十一月号) 「無明界」とは仏教用語で「煩悩にとらわれた迷いの世界」とでも理解するのであろうか。盆供養の流灯を海へ流すにあたって、「大海」「無明界」と大上段に構えたところに作者の昂ぶりが見える。ただこの句には〈蟋蟀の無明に海のいなびかり 山口誓子〉につながるものがある。誓子は「無明は単に眼の見えぬことだ」と述べたが、日本大国語辞典には「無明」は、「存在の根底にある根本的な迷いをいう」とあり、掲句のニュアンスはこちらに近く、誓子に対するリスペクトから「無明界」の言葉を発見し、蟋蟀の世界から流灯の世界へと発想を広げた。 つくつくしかなかなかなと父母のこゑ 南 うみを (「風土」十一月号) 黒百合や霧の間に間に摩利支天 服部鹿頭矢 (「鯱」十一月号) 散策は小さな旅よ草の花 伊藤 範子 (『俳句』十二月号) 新型コロナウイルスの蔓延により俳句の世界は一変した。対面句会が難しくなったのは勿論で、句作の現場である吟行も難しくなった。作者は旅行に出かけられないストレスを解消するには近くの散策しかないと思っている。一方近くの「草の花」に和んでいる自分に気づくと、最終的に「散策」も「旅」も根っこは同じ俳句の楽しみであることを感じている。俳句工房の重要さを感じさせてくれる句である。
現代俳句評 |
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