俳句についての独り言(2019年)

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 現代俳句評(12月号) 2019.12.10 
 現代俳句評(11月号) 2019.11.10 
 環境と俳句(クマゼミ) 2019.11.10 
 現代俳句評(10月号) 2019.10.10 
 現代俳句評(9月号)  2019.9.10
 現代俳句評(8月号) 2019.8.10 
 現代俳句評(7月号)  2019.7.10
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 里山からビオトープへ  2019.5.21
 現代俳句評(5月号) 2019.5.15 
 現代俳句評(4月号) 2019.4.1 
 環境と俳句(光害) 2019.3.1 
 現代俳句評(3月号) 2019.3.1 
 現代俳句評(2月号) 2018.2.1 
現代俳句評(1月号) 2019.1.10


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  現代俳句評(「伊吹嶺」12月号)

ひよんの実を吹けば煙のやうな音    高田 正子
    ひよんの笛ときどき海の音籠る       〃

                        (『俳句』十月号)

 「ひよんの実」は柞の葉に虫が作ったこぶで、虫が出たあとの穴を吹くと音が出ることからひょんの笛とも言われている。郷愁を誘う素材である。これを詠むにはそれを吹く時の音の表現が詠みどころである。

一句目の〈煙のやうな音〉は音にも鳴らない音であり、作者はそれを煙が出るようだと把握した。音を煙として捉える頼りなさに空虚な諧謔が見える。

同様に二句目は、〈海の音〉と捉えた。海の音と言っても、ここでは〈音籠もる〉がポイントである。あたかも海に潜って聞く無音とも、くぐもった音とも、その境界と言うべき音であろうか。
 両句とも音なき音と認識したのが成功した。

 

新聞をきつちり畳み秋を待つ      塩川 京子
                        (『俳句四季』十月号)

 掲句から見える情景は新聞を畳んでいる単純なことである。ただここには新聞を畳むことに代表される日常生活をきちっとこなすことが夏を過ごす態度であり、いずれやって来る過ごしやすい秋に期待を寄せている。まさに〈暑き故ものをきちんと並べをる 細見綾子〉の律儀さに通じる生活感である。

 

提灯を畳み風入れ終りけり       中村 雅樹 
                    (『俳句四季』十月号)

 虫干しの情景である。この提灯は普通の提灯かも知れないが、盆提灯と想像した。即ち単なる「風入れ」でなく、年一回の出番の提灯を「風入れ」と位置づけて畳んだのである。ここにも前句のように夏の行事をきちっとこなし、その仕上げとして提灯を畳むことを「風入れ」の終わりとしたのである。ここにも作者の律儀な生活振りが見える。

 

  蛍袋の中は安心波の音         岡崎 桂子
                   (『俳壇』十月号)

 蛍袋を見ると、ついいろいろな物を入れた句を詠んでしまう。それほど蛍袋の存在は俳諧味に富んでいる。掲句は自分自身を極小化した場合の願望を詠んでいる。蛍袋の中は安心に満ちていると想像した。さらにその安心の由縁を〈波の音〉によると認識したのである。これはまさに母胎の中の胎児の位置づけである。胎児が母親を通して聞こえる外界の音はアルファ波のような波音であり、そんな音が聞こえる母胎こそが安心な蛍袋なのである。

 

  秋涼やフルーツに刺す爪楊枝      加藤かな文
                   (「家」九月号)

 作者の俳句工房は「家と職場を往復する日々、家族とともに暮らす日々。」とあるのは句集『家』の発言である。掲句は自宅での嘱目であろう。林檎などのフルーツを爪楊枝で刺して食べることはよくある。ただそれだけだが、ここには日常生活の安らぎが見えるし、「秋涼」の季語から爽やかな家庭が見えてくる。ところで爪楊枝は俳句の小道具として使われることが多い。〈卒業や楊枝で渡すチーズの旗 秋元不死男〉には淡々とした親子が見えるし、掲句には淡々とした幸せな家庭が見える。

 

  噴水の裏と表に待ち合はす       村上喜代子
  宝船臓器足らざる身となりて      滝口 滋子

                 (「いには」九月号)

 本号が創刊十五周年記念号となっている。大野林火師系を守り、ますます充実している。

 村上氏の句、「噴水」はよく出てくる素材であり、ここを待ち合わせ場所として詠まれた句も多い。しかし掲句は〈裏と表〉に着目すべきである。噴水に裏表があるとすれば互いに知らないで待ち合わすことになろう。さらに読み進むと果たして噴水に裏表があるか懐疑的であるが、作者ははっきりと裏表を認識している。このような詠み方はもしかするとこの裏表はメビウスの輪のように裏と表が永久に交わらないようにこの待ち合わせはついに会うことが出来ない暗示のようだ。

 滝口氏の句、「いには十五周年記念コンクール」の最優秀賞で、作者が手術を受けた一連の一句である。ややもすれば〈冬あかね術後一歩の立ちくらみ〉のように暗く深刻となりがちであるが、掲句は「宝船」の季語が臓器を切除したものの、新年を迎えた安らぎに通じる季語であり、この季語により暗さから解放された句となっている。

   夏の灯に反省文の皺のばす      荒川 英之
                   (『俳壇』十月号)

 作者は高校の夜間教師である。教師として実に多くの生徒の喜び、苦悩、悲しみを受け止めている。
 掲句は生徒に何か反省文を書かせたのであろう。「夏の灯」の暑苦しさの中でその反省文を読んで評価の対象にしているのだろう。ただこの生徒は意に沿わないのか、皺だらけで提出した。そして皺をのばして読んでいる作者にはやさしさが溢れている。〈反省文の皺〉という短いフレーズに哀感に満ちた教師と生徒の長いストーリーが見えてくる。

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  現代俳句評(「伊吹嶺」11月号)

亡き妻の便りくれしか落し文      朝雄紅青子

朽ちかけしベンチに倚れば秋の声    江口 井子

戦やめよ胡桃かつかつ鳴らしをり    小山田柑子

奔放な葛の蔓にもある惑ひ       小野 寿子

          (『俳壇』九月号)

 『俳壇』九月号にアラ卒世代を対象とした「円熟俳人競詠」が特集された。そのごく一部を鑑賞してみたい。

 落し文はそのネーミングと形状から様々な発想がふくらむ。朝雄氏の句で「落し文」に具体的な存在感を与えるとしたら亡き妻からの便りであることが一番ふさわしいと考えたのである。その便りは時空を超えて「落し文」に変身して届いた。いわばあの世とこの世をつなぐ役目を担ったものが「落し文」なのだ。そしてここには妻と楽しく手紙のやりとりをした記憶が若干ユーモアの意思を持って、読者に伝わってくる。

 江口氏の句、背景は確かでないが、公園でも散歩しているのであろうか。公園にあるもろもろの声が静けさの中に聞こえてくる。ここでポイントになるのは〈朽ちかけしベンチ〉である。このような古ぼけたベンチからはかつて相手と一緒に掛けたベンチに思いがつながったかも知れないし、それであれば〈朽ちかけし〉がふさわしく、ともに掛けた相手の思い出につながるベンチである。

 小田中氏の句からのメッセージは明確である。今の世はもしかしたら、既に戦争に近い「戦前」ではないかと恐れているのである。そのいらだちを、胡桃を鳴らす行為に託している。〈かつかつ〉のオノマトペは軍靴が近づく具体的な予兆であり、〈戦やめよ〉はアラ卒世代からの警告である。

 葛は実に生命力に満ちた植物である。食用、薬用としても利用されているが、今の日本ではほとんどが野生化している。小野氏の句は、そんな生命力を〈奔放〉と詠むとともに一方の側面として〈惑ひ〉とも詠んでいる。その〈惑ひ〉は作者しか分からないものであるが、蔓は樹木の枝に巻きつくことによる若木の生長を妨げる。そんな葛に対して恐れに近い惑いを感じている。下五を〈ある惑ひ〉と止めていることから作者の不安感も見える。

 

 身に深く鳴く蟬の先爆心地       河村 正浩
                              (『俳句』八月号)

畑土の白々とある終戦日        倉田 夕子

野を焼きて太平洋へ行つたきり     広瀬  元
                              (『俳句界』九月号)

 毎年夏が来るたびにかつての戦争を詠まざるを得なくさせる心境に突き動かされる。河村氏の句、原爆への鎮魂の思いを蝉に託している。〈身に深く鳴く〉とは暑苦しい響きを持つ油蝉であろうか。その油蝉の声が我が身に突き刺さってくるのである。その場所である「爆心地」ならではのいらだちが見える。この句から〈蟬の穴深く沈みて広島忌 田島和生〉の鎮魂に満ちた句を思い出した。

 倉田氏の句、旱続きの八月になると、見るものすべて乾燥する。畑の土も乾燥して白く光っているのだろう。この白々としたものは土だけでなく日光、人工的なビルなど目に入るものすべて白くなる時期、それが八月なのである。その八月の代表的な「終戦日」の季語からあの日のぎらぎらした日光も白く見えたことだろう。

 広瀬氏の句、沖縄忌の句である。この句には切ないストーリーを持っている。作者の知った方のことなのだろうか。昭和二十年の春、いつものように野焼きを最初に日常の農作業を始めた。しかし沖縄戦が始まるとともに、臨時徴兵、敗走のプロセスをたどった結果、摩文仁の丘あたりで亡くなられたのだろうか。それが〈太平洋へ〉である。冒頭では作者の知った方と推測したが、これは平和の礎に刻まれた全員と解釈出来る。〈行つたきり〉には無常観と怒りが込められている。

 

   実むらさき一粒一語励みとす      西嶋あさ子

(「瀝」’19秋号)

 高齢化社会に突入するとともに俳句結社の減少も加速している。西嶋氏の「瀝」は二〇〇四年同人誌として創刊されたが、今号の編集後記に『個人誌に更衣の「瀝」の発信』と再出発を述べている。そして個人誌であっても「異例を承知の上で安住敦の俳句の心を受け継いだつもりで進むこととした」と先師のともしびを守る気概を発信している。そんな状況で見る掲句は、自分自身を鼓舞している句である。紫式部の粒は極めて小さい。その小さな一粒一粒の詩語を俳句とすべく自分の応援歌としている。さらにこの実むらさきの一粒こそが作者自身であり、個人誌であってもその積み重ねにより師の心を継いでいく決意の俳句である。

 

  月を待つこの世に会へぬ誰彼よ     加藤 耕子

                 (『俳壇』九月号)

 毎年中秋の時期となれば日々様々な表情を見せる月は句材として事欠かない。そして月から触発されるものにこれまでの自分にインパクトされてきたものにも思いを馳せることも多い。掲句は月の出を待ちながら、ともに愛でてきた人を思い出している。〈この世に会へぬ誰彼よ〉のようにもう会えぬこともかなわぬ親族、友人の面影が走馬灯のように脳裏を走る。月を見ると言うことは故人を思いだし、心で語り合うそんな魔力を持っている行為である。


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環境と俳句(「伊吹嶺」11月号)

クマゼミ

 今年の夏もクマゼミがよく鳴いた。年々、温暖化を実感しているが、昨今、ますますクマゼミが元気づいている実感がする。

蝉の季語を見ると、ハルゼミ、エゾハルゼミ、ニイニイゼミ、アブラゼミ、盛夏のクマゼミ、ミンミンゼミ、そしてヒグラシ、ツクツクホウシが鳴くと、秋も深まってくる。

もともとクマゼミは西日本高地に生息していた。北限は福井県、神奈川県だったと報告されている。それが西日本の盛夏には低地でも盛んに鳴くようになっている。私の住んでいる三重県でも朝早くからクマゼミの喧噪から始まり昼過ぎにようやくアブラゼミが鳴き出す。いわば現在はクマゼミとアブラゼミのせめぎ合いが続いている。関東の句友からの報告によれば、盛夏にはもともとミンミンゼミがよく鳴いていたところに最近はクマゼミが盛んに鳴き出しているという。こちらはミンミンゼミとクマゼミのせめぎ合いが続いていることになろう。
 では蝉が歳時記に登場した状況を見てみると、江戸時代の『俳諧歳時記栞草』では蝉は「種類多し、枚挙するに遑あらず」とあるのみである。高浜虚子編の『季寄せ』(昭和14年)には蝉があるのみで、熊蝉の季語はない。以降、図説俳句大歳時記(昭和39年)、山本健吉編最新俳句歳時記(昭和46年)には主季語蝉に対して解説に熊蝉、カラー図説日本大歳時記(昭和58年)から最新の角川俳句大歳時記(平成18年)などほとんどが蝉の主季語に熊蝉の傍題が掲載されている。最も活発に鳴いていると思われる沖縄でも沖縄俳句歳時記(昭和54年)、南島俳句歳時記(平成7年)は解説に熊蝉、沖縄現代俳句協会編の沖縄歳時記(平成29年)でも主季語が蝉、副季語に熊蝉という同じ扱いである。

生態的には以前は高地に生息していたものが、昨今になって急速に分布が広がったのはやはり温暖化の影響がありそうである。クマゼミの幼虫は本来冬の寒さに弱く、アブラゼミは-30℃でも越冬出来るが、クマゼミは-5℃にやっと越冬出来る。それが温暖化により越冬の条件に適うようになってきた。またクマゼミは枯木に産卵する性質があることから乾燥に強いことが分かる。

これらの性質から見ると、温暖化特に地中温度の上昇と都市のヒートアイランド現象による乾燥化がクマゼミに生息にふさわしいものとなってきている。

クマゼミの生命表である孵化温度、乾燥耐性のデータを見ると、いずれもアブラゼミより幼虫の死亡率が低いことが分かる。

次にクマゼミによる悪影響について見ると、騒音、食害、通信障害が考えられる。まずクマゼミによる騒音を見ていくと、クマゼミの鳴き声を騒音計で見ると、90dbと騒々しい工場に匹敵する。またクマゼミの食害を見ると、近縁のアカクマゼミ韓国では既にリンゴに口吻を刺して吸汁する影響がある。現在日本では食害はまだ顕著でないが、近年長野県まで分布を広げていることからリンゴへの影響が懸念される。三番目に一番深刻なのは、通信への影響で、各家庭に引き込まれている光ケーブルに産卵することである。前述したように枯木に産卵し、乾燥に強いことは産卵環境がよく似ている光ケーブルに産卵しても違和感はない。さらにクマゼミの産卵管は1cmぐらいで歯のついた産卵管を持っており、あの硬い光ケーブルに容易に散乱する。NTT西日本では新たにクマゼミ対策用の光ドロップケーブル対策済みのものにすべて取り替えた。

このように温暖化によるクマゼミの生息拡大により俳句にも「熊蝉」の例句が多く見られる。

熊蝉の声張る島へ赤子見に   栗田せつ子

    島すべて熊蟬領や朝より     小澤  實

熊蝉の鳴き北面の廟乾く   加古宗也

せつ子さんの句のように熊蝉は南国の沖縄にふさわしい。ただこれからは田の蝉と同様に普通の蝉を詠むような季節感の中で詠み継がれていくことになろう。

 熊蟬や岬に戦没慰霊の碑    栗田やすし

 

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  現代俳句評(「伊吹嶺」10月号)
 

 宿下駄で来てここよりは春の闇    柏原 眠雨
                        (「きたごち」七月号) 

 メーデーや赤旗のなき列進む     福島せいぎ
                     (「なると」七月号)

 鳥帰る島も小舟も海に置き      前田貴美子
                        (「りいの」七月号)

    放たるる稚鮎流れにすぐ紛れ     遠藤 三鈴
                    (「栴檀」七月号)

ひまはりの影まつすぐに枯れにけり  大前 貴之   
                  (『俳句界』八月号)

 今月も前号に引き続き「風」僚誌などから元「風」同人の作品を見ていきたい。

 柏原氏の句、よく経験する情景である。初めての旅先に来て旅館近くを散策することはよくある。別に散歩の目的地がある訳ではなく、宿の下駄を利用するだけである。そして見知らぬ町の散歩先は吸い込まれそうな闇だった。ただ「春の闇」の季節感には朧にも見えるアンニュイに満ちている。闇の不思議さに包まれる雰囲気である。

 福島氏の句、かつて筆者も参加したことのあるメーデーは組合旗を林立させ、シュプレヒコールを上げながら行進した記憶がある。しかし掲句は、端的に〈赤旗のなき〉の言葉だけで、時代が変わり家族連れ、風船を持った子、手をつないで行進するなどの親しみが見える。この中七の断片から現代のメーデーのすべてを反映している。

 前田氏の句、「鳥帰る」のやや哀愁の印象を受ける季語ながら明るさを感じた。日常的な素材の「島」「小舟」から〈海に置き〉という擬人化による鳥の視点の高みから見下ろす俯瞰的な配置を提供している。即ち広々とした海をズームアウトさせて大写しにした情景に明るさを提供している。「鳥帰る」の時期はこれから夏に向かっていく動きのある季語であり、沖縄らしさに満ちた明るさである。

 遠藤氏の句、今時、天然鮎を採る鵜飼と言っても、毎年必ず稚鮎を放流する。掲句はその放流行事を見たものである。稚鮎はある程度大きくなるまで飼育され、鮎漁を控えて一斉に長良川に放流する。放流前と放流後の違いを〈すぐ紛れ〉の措辞を使うことにより放流によってたちまち川が棲み処となった鮎の状態の瞬間変化を描写している。映像的に優れた動詞の使い方である。

 大前氏の句、単純な写生でありながら硬質な写生である。盛夏に咲く向日葵には本来の力強さを持っている。その向日葵もいずれ枯れるであろう時期を捉えて〈影まつすぐに〉と強い意志を持ちつつ枯れていく描写に確かな把握がある。掲句の「影」からたちまち〈鶏頭の影地に倒れ壁に立つ 林徹〉の先師の硬質な即物具象を思い出した。

以上前号と今号で「風」僚誌などごく一部を鑑賞したが、硬質な即物具象や作者の個性から独自の柔らかい視点を持つ句など多彩である。しかし根底にはいずれも物に即した写生という基本的は変わっていない。「伊吹嶺」会員もさらに基本に戻った即物具象を見つめ直してほしい。

 

春筍や土の力の湧くところ       伊藤 政美   
                     (「菜の花」七月号)

筍掘る大地の声を聞きながら      山本比呂也
                              (「松籟」七月号)

 結社誌から筍の二句に着目した。いずれも自然の強いいとなみを感じた。

 伊藤氏の句、「春筍」は地上からは見えないが、確実に息づいている。その見えないところに秘めた力を発見している。それは〈土の力〉という表現からであり、大地から湧くような恵みを受けている春筍にエールを送っている。

 山本氏の句、掘り出す筍に強いオーラを感じている。掘り出した筍を両手に持つと筍からのメッセージが聞こえている。それは秘めている大地のいとなみの声である。その大地からの恵みを我々は生きる糧として享受している。

    水の皺なだめなだめて泉汲む       上田日差子
                              (「ランブル」七月号)

どこをどう伏流したる泉かな      太田 土男
                               (『俳句』八月号)

 清涼な気持ちにしてくれる「泉」の二句を抜いてみた。夏山ではよく伏流水による泉に出くわす。

 上田氏の句、泉の表情を優しい眼差しで見ている。泉を汲むときの安らぎを甘受したいとの思いから泉に発するさざ波を〈水の皺〉と把握した。その小さな皺であっても静謐な泉であってほしいと〈なだめなだめて〉汲むのである。泉を愛おしいものと捉えている。

 太田氏の句、「泉」のうまさを考えるとすれば、その源流に思い至る。伏流水が地上に顔を出したとき、このうまさはどこを潜ってきたかと考えつつ泉に代表される生命に感謝しているのである。

 

  致し方なく炎帝に仕へたる      鈴木 節子
                   (『俳句四季』八月号)

 昨年は日本中が命に関わる暑さを経験した。その猛暑が今年もかと思うとうんざりする。作者はこの暑さは「炎帝」のせいだと言及した。炎帝が襲ってくる暑さには従わなければならない。それも〈致し方なく〉なのである。この上七が作者のつぶやきであり。日本中のつぶやきなのである。


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  現代俳句評(「伊吹嶺」9月号)

 紅を差し花衣着て黄泉の国      鈴木 厚子
                          (「雉」六月号)

 啓蟄や胸の奥処に湧き来るもの    飛高 隆夫
                          (「万象」六月号)

   選ばれし金魚の孤独灯に沈む     岸川素粒子
                          (「風港」六月号)

 雨二日みんな笑まへり蕗の薹     中西 昭子
                       (「山繭」六月号)

 「風」誌が終刊になって以来、いつの間にか十七年が過ぎた。今月はその後の「風」僚誌から、当時「風」同人の諸氏の句を鑑賞してみたい。

 鈴木氏の句、前後の句から知人の葬儀に際しての句だと分かる。せめてもの死出として紅や花衣で華やかに送り出した化粧が「黄泉の国」にふさわしいと慮っている。ただ「差し」「着て」の自動詞で詠んでいることに着目する必要がある。当然亡くなった人自身ことと考えられるが、もしかしたら作者自身が黄泉の国へ旅立つ時もこうでありたいとの願望も入っているのではないかと鑑賞出来る。

 飛高氏の句、「啓蟄」から触発されるものを捉えた句であるが、この句は映像化出来る物がない。読者の触感から鑑賞するしかない。即ち「胸の奥処」の捉え方であり、その手がかりは〈湧き来るもの〉で、前向きな春のイメージから万物が動き出す物のことであろう。あとは読者が自由に〈湧き来るもの〉を具体化すればよい。そんな〈湧き来るもの〉を効果的に引き出しているのが季語の啓蟄である。

  岸川氏の句、鑑賞するには二つのキーワードに着目する必要がある。即ち〈選ばれし〉と〈金魚の孤独〉である。いずれも実態のないワードであるので、読者が判断するしかない。金魚を買うには一般には金魚店を利用する。それが〈選ばれし〉であるが、その結果が金魚にとって幸せかどうか、作者は〈金魚の孤独〉と反対の結論を出した。群れから外されて個となった「孤独」なのである。そしてその結末を〈灯に沈む〉と表現した。ここには選ばれるものは必ずしも最善でないとのイロニーが含まれている。

  中西氏の句、幸せに満ちた句である。ひと雨ごとにやって来る春の恩恵を受けるのは人間だけではなく、万物みなそうである。その万物の中で真っ先に春の色どりをつけるのは「蕗の薹」である。そして〈みんな笑まへり〉は蕗の薹だけでなく、作者自身も笑みを持って見つめている。

   青麦や青春の日は青きまま      秋篠 光広
                       (『俳句界』七月号)

 「青」のリフレイン効果が非常に効いている。「青麦」に触発されて作者は青春時代の「青」に空想を広げている。一般的に「青春」は個々の思い出があってもそこに映像化されるような記憶は実は曖昧なのである。作者はその曖昧さを〈青きまま〉と呟いたのである。結局〈青きまま〉の状態以上にはっきりしていないのが結論なのである。

   初音せり硯師肩で鑿を押す       阿部月山子
                            (『俳句』七月号)

 筆者も硯を彫る現場を見たことがある。確かに硯は肩に当てた鑿で全身の重みをかけて彫る。そしてその現場はやや奥山に近い工房であると想定される場面設定が〈初音せり〉の効果である。〈肩で鑿を押す〉が臨場感のある即物的な写生となった。

   かまぼこ屋餅屋覗きつ雛めぐり     南 うみを
                   (「風土」六月号)

 雛が飾られている町を歩くのは心を癒やされる。最近は町おこしの意味もあって、かつて賑わった旧街道の町並みにそれぞれの旧家が保存してきた雛を店先に飾るのがよく見られる。そんな町並みが想像される掲句である。「かまぼこ屋」「餅屋」を登場させたのは旧街道の趣にふさわしい。雛飾りそのもののことは何も述べていないが、そこには旧家で保存してあるのは多少くすんではいるものの、大切に扱ってきた雛飾りが見えてくる。

 悠々と贔屓の守宮あらはるる      角谷 昌子
                             (『俳句』七月号)

 守宮はどの家庭にも現れる。主に夜の灯に集まってくる虫を狙って来る。じっと窓に張りついている様子は〈悠々と〉にふさわしい。この句の眼目は〈贔屓の守宮〉である。それは作者が守宮を人間に接するような愛し方しているからである。窓に白い腹を見せながら、黒いまなこを見せている愛嬌はむべなるかなの「贔屓」である。

   手のひらの空蟬声を集めたる     飯田 冬眞
                         (『俳句四季』七月号)

 空蟬は抜け殻と言ってもまなこ、脚などの痕跡が揃っていることからいろいろな発想につながっていく。空蟬から視覚に訴える発想は多いが、掲句は聴覚に訴えている。手のひらの空蟬からは聞こえるはずがないものの、羽化して飛び立っていった蟬の声を必死に聞いている。作者にはその空蟬の心音が聞こえたに違いない。

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  現代俳句評(「伊吹嶺」8月号)

 

  鳥雲にやはり想ひし特攻隊       大牧  広
  遠き春の強制疎開といふ破壊       〃
   沖縄を捨てる人居て春寒し        〃  

                       (『俳句界』六月号)

 今年の第五十三回蛇笏賞に大牧広氏が受賞された。『俳句界』にこの作品が発表された時はまだ闘病の最中であった。
 蛇笏賞の選考結果については『俳句』六月号に詳しい。選考にあたっては「風流に勝る無風流」「喜怒哀楽そのままに生きる人間の姿」「飾らず主張すべき主張」などの発言から決定されたのであろう。受賞作の句集『朝の森』には、

  開戦日が来るぞ渋谷の若い人      大牧  広
  敗戦の年に案山子は立ってゐたか      〃

など至るところに反骨精神、反戦精神に満ちた句が並んでいる。そこには無造作に見える詠み振りでありながら、作者の立ち位置は一歩もぶれることがないところに感動を覚えた。受賞決定直後には自筆で受賞メッセージを残しているが、間もなく亡くなられた。

そして掲句の「闘病」五十句には自然体に詠みながら迫力に満ちた俳句が並んでいる。闘病の日々を淡々と詠みながら、時には掲句のような回想と現実の狭間の中で貫くものはやはり反戦である。
 一句目の特攻で亡くなった若者を「鳥雲」に消えていくものに重ね合わせて見てをり、二句目の「強制疎開」の名を借りた「破壊」には強い憤りが見える。「鳥雲に」「遠き春」のそれぞれの遙かな回想に共通している題材は常に戦争に突き当たる。三句目の現代にあっても〈沖縄を捨てる人〉という現実の憤りから、それは私達国民に突きつける最後のメッセージで「沖縄」の言葉が切ない。最後は〈おのれ労ることも限度や四月尽〉というつぶやきを残して、旅立たれた。

 

猿はじき作る時計屋鳥雲に      坂口 緑志
                 (「年輪」五月号)

 「猿はじき」は竹のスプリングで猿を弾き上げるもので、三重県松阪市で厄落し、縁起物として作られ、初午大祭などで売られている。
 ただ掲句の「猿はじき」は時計屋の手作りを詠んだもので、作者自身もよく見慣れた光景であろう。慣れ親しんだ玩具のある生活には心安まるものとして詠まれている。そして「鳥雲に」から春も本格的にやって来る穏やかな日常が見える。

 前掲の大牧氏の「鳥雲」の句には、過去の痛ましい出来事を「鳥雲」に託したのであろうし、坂口氏の句には現在の安らぎに満ちた「鳥雲」であるという季語の役割の違いに着目すべきであろう。

 引き潮を追ひ残されし桜貝       今瀬 剛一 
                       (「対岸」五月号)

 掲句を読むと、筆者はいつも行き慣れている海岸で妻がもっぱら桜貝探しに熱中している姿が重なってくる。穏やかに晴れた日の海岸の波は優しさに満ちており、その寄せ潮によって桜貝が運ばれてくるところに明るさがある。そして潮が引くにつれて桜貝が取り残される。それを〈追ひ残されし〉との措辞を発見したのは可憐な桜貝には最もふさわしい「引き潮」となった。

   過去形の話ばかりの春炬燵       白岩 敏秀
                  (「白魚火」五月号)

 一読して筆者の日常生活を連想してしまった。子供達も独立して老夫婦二人だけの生活はぬるま湯につかるような「春炬燵」がよく似合う。そこで話題になるのは若い時、子育ての時そして過去の諸々のことであろう。〈過去形〉という抽象語を据えたことが回り灯籠のように様々な出来事が幾度となく思い出される。そのような時間経過も忘れる話の原因は、「春炬燵」を持ち出したことが思い出をよみがえさせるに格好のツールとなっている。

 台風一過御破算の空のこし       足立 賢治
                            (『俳句四季』六月号)

 よく台風一過の快晴と言うが、昨今では台風一過と言っても、次々と低気圧が押し寄せて来る実態からなかなか晴天とならない異常気象が続く。それに引き替え掲句は本来あるべき「台風一過」を詠んでいる。「快晴」というとあまりに常識的な表現を「御破算の空」と比喩で詠まれたことの意表を突いたフレーズに敬服したい。「御破算」というのは本来あるべき青空であろうし、太初の時代はかくあったであろう青空に通じる。その青空は異常気象とは無縁で、地球温暖化の進行した今ではまれな世界である。

 ずぶ濡れの身を嘆きたる水中花     土生 依子
                           (『俳句界』六月号)

 水中花は非日常的な花の最たる存在で、それを題材とすれば、自ずと作者自身の思いを存分に表現する自由闊達な存在として詠むことが出来る。
 掲句、水中花は本来水の中がふさわしい存在であるにかかわらず、〈ずぶ濡れの身〉の擬人化が水中花の本質を突いている。ただここには擬人化された水中花だけでなく、作者自身の嘆きを水中花に託していると解釈したい。


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    現代俳句評(「伊吹嶺」7月号)

 

  草も木もなびきし世あり建国日     鍵和田秞子
  平和平和と唱へて隠す雪の果        〃

                 (『俳壇』五月号)

 「なびきし世」の標題の十句のうちの二句。大胆な詠みぶりに感動した。
 一句目、標題句であることから、鍵和田氏の思いが強いのだろう。〈なびきし世〉は過去の世相のことで、建国記念日を迎えるにあたって、その記憶がかすめる中で、〈草も木も〉には作者自身も含めたすべての人々を暗示して、なびいていた過去の経験に、作者自身の忸怩たる思いが「建国日」をきっかけによみがえったのである。

 そして二句目は過去に隠されたものを振り返っている。〈平和平和〉とリフレインすることにより、暗示にかかったような過去に対して悔恨の情に駆られているのである。しかもその隠されたものはいずれ雪が溶けたあとには隠した側の本質が現れてくるだろうとの意思も見えてくる。

 

草の芽の一つ一つに未来あり      大串  章
                  (「百鳥」四月号)

 「百鳥」はこの三月号で創刊二十五周年を迎えた。そこで大串氏は「平成時代は日本では戦争のない平和な時代であったが、豪雨や地震など多くの災害に見舞われた。」と述べており、掲句はその三月号に迎えた感慨を詠んだのであろう。草の一つ一つはそれぞれの災害に見舞われた人々であろうが、作者は災害にまみれた草も新しい芽を出して次の時代に引き継ぎ、それが平和で災害のない未来であってほしいとの願望を決意したのである。

 

  大津波より八年の田水張る       柏原 眠雨
                  (『俳句界』五月号)
  八年を咲いて散つたる桜かな      卓田 謙一
                   (『俳句四季』五月号)

 東日本大震災は今なお記憶から消えない。掲出の二句とも元の日常生活に戻りながらも、あたかも「震災後」と言うべき時代が八年間続いているのである。八年目を迎えた今年も日常では米を作り、桜を見るなど一見そこには震災の影はないが、この震災の事実は消えていない。

 柏原氏の句、今年も田植え時期を迎えている作者には満々と湛えた田水を見ると、もしかしたらあの時と同じ津波の水が震災後もずっと残っているのではないかと認識している。

 また卓田氏は、今年も桜が咲き、散っている現実の春でありながら、脳裏を震災に戻すと、現実の桜は震災時も咲いた同じ桜なのであると切ない思いで見ている。

 

 ふらつくを亀の鳴きたるせいにして   中西 夕紀
                             (『俳壇』五月号)

   囀の真つただ中の眩暈かな       松岡 隆子
                            (『俳句四季』五月号)

 筆者は長年、めまいに悩まされている。そうするとつい掲句などに惹かれる。
 中西氏の句には「メニエール病」の前書がある。メニエール病は突発難聴を伴っためまいが発生する。作者はいつも春先になると「ふらつき」がひどくなると実感しているのであろう。それはもしかして「亀が鳴く」季節だったからであると考えた。現実には鳴かない亀のせいにして作者自身のめまいをなだめているのである。本来情緒のある季語が作者にとって歓迎されざる幻のような季語となって自分自身を客観視している。

 松岡氏の句、持病がなくてもこのような現象に出会うことは多い。春の昼間、降るような囀りに身を置き、見上げると、あまりの明るさにめまいに襲われる時がある。「眩暈」と「囀」の取り合わせは意外であってもめまいには確かなものとなっている。

 

涅槃雪文の封切る指ナイフ       能村 研三
                           (「沖」四月号)

 このような場面には誰しも遭遇することが多い。手近にペーパーナイフがなく、急ぎらしい封書が気になって、つい指で開いてしまう。まさに指ナイフの登場である。そこには若干の不安感がつきまとっており、雑なナイフでも仕方ないと思っている。春も半ば頃に降る「涅槃雪」には故人を偲ぶことにつながり、故人を思う落ち着かない頃の手紙に不安感を代表させる「指ナイフ」を配したことに共感を覚える。

 

御神火を閉ざして島の朧なる      栗田やすし
                          (『俳壇』五月号)

 伊豆大島は過去にも一九八六年のように全島避難した大噴火もまだ記憶に新しい。その噴火を神聖化した呼び名の〈御神火〉に〈朧なる〉の措辞を配したことは全島避難の災害をもはや忘却のこととして詠んでいるように見えるが、「朧」には過去の災害への思いも含まれている。

 ちなみにこの『俳壇』五月号には角谷昌子氏が「次代に残したい平成の俳書」として『河東碧梧桐の基礎的研究』を取り上げている。「誠実で客観的な筆致のこの書は作家研究の手本となるだろう。」と述べている。身内である我々がもっとこの書の研究的価値を重要視すべきである。

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  現代俳句評(「伊吹嶺」6月号)

 

  青空の引き立ててゐる冬桜       村上喜代子
                    (『俳句』四月号)

 冬桜は比較的花びらが小振りで色も淡くそんなに自己主張していない。そんな冬桜の立ち位置を的確に示すものは何かと自問自答すると、作者はその地味な冬桜を引き立てているのは空の青さだという。「青」と「淡いピンク」を重ねて思い描けば納得がいく。青空が主役となって、引き立てられている冬桜が説得力を持って迫ってくる。

 

 春水と汚染水とに分れけり       永瀬 十悟
                    (『俳句』四月号)

 永瀬氏は「ふくしま」五十句で、第五十七回角川俳句賞を受賞されている。その五十句を含めた句集『滝朧―ふくしま記』のあとがきで作者は「私にできることは汚されてしまった自然や暮らしに俳句で向きあうこと。日常は実は非日常からしか見えないではないか。」とある。例えば、

  滝桜千年ここを動かざる        永瀬 十悟

のように日常の象徴である「滝桜」が震災という非日常性に向きあって咲き続けていく覚悟が見える。
 そして掲句は、原発の汚染水処理を詠んでいる。本来、四季の日常的にある「春の水」が非日常的な原発に身を置けば、そこに汚染水を登場せざるを得ない。震災は日常と非日常を分断させており、八年過ぎてもここには相変わらず非日常しか見えてこない。

 

  戦艦の沈む沖より青葉潮       木原 紅幸
                   (『俳句界』四月号)

 最近、海底に沈んでいる「武蔵」「大和」など旧日本軍の戦艦発見のニュースを耳にする。それらを踏まえて鑑賞すると、旧日本軍のいや当時の日本のステータスとも言うべき戦艦は今なお太平洋沖に沈んでいる。現代の日本では「青葉潮」に象徴されているように平和であり、明るいイメージをもたらす。ただ掲句では現在の日本の繁栄は、過去の犠牲の下に成っているというメッセージが見えてくる。
 仮にこの戦艦を震災で被災した漁船などに置き換えると、それは前句に紹介したように、震災の非日常的な悲惨さを海に沈めて、仮そめの平穏な日常が成り立つと考えられる。
 今なお沖に沈んでいる戦艦を思いながら仮そめの平和を感じているのである。

 

梟が鳴いてあの世の妻を呼ぶ      茨木 和生
                         (「運河」三月号)
   風呂敷に包むは遺影山桜        茨木 和生 
                         (『俳句界』四月号)

 茨木氏は昨年奥様を亡くされている。この二句は静かな妻恋の句である。

一句目、「梟」の存在がポイントである。真夜中の梟のくぐもった声は間違いなく作者自身の声で妻を呼んでいる。かつて鳥の声を介在させた夫恋の句に〈夫恋へば吾に死ねよと青葉木菟 橋本多佳子〉があり、この句は激しさに満ちているが、茨木氏は静かに妻を呼んでおり、梟を介在させて作者の中には妻は生きているのである。
 二句目の「山桜」は夫妻共有の吉野の思い出なのであろう。今回の「山桜五十句」を発表するにあたって妻と「同行二人」で吉野を巡っている。その中の一句が風呂敷に包んだ遺影であり、遺影と作者は一体となっている。

 

白鳥が来てより鷺の美しく       渡辺 純枝
    白鳥に引き忘られし二羽の鷺      渡辺 純枝

                          (「濃美」三月号)

 この三月号が「濃美」創刊十周年記念号となっている。
 白鳥八句から抜いたこの二句は対を成している。白鳥が飛来した時も、帰っていく時も「鷺」を登場させているが、それは白鳥の美しさを際立たせている役割を務めている。

 一句目、〈鷺の美しく〉と詠んではいるが、これは冒頭に述べたように白鳥の美しさに引き立てられたと解釈出来る。
 同様に二句目も白鳥が帰って残された鷺が白鳥の美しさに置き去りにされている二羽の鷺を提示している。
 両句とも「白鳥の美」について言及していないが、鷺の存在が白鳥の美の要因となっているのは間違いない。

 

   山笑ふ波を大きく海応ふ        大島 雄作
                           (『俳壇』四月号)

 掲句は山も海も擬人化で詠んでいることがある種の海彦山彦の存在を想像し、そこには春の喜びが見えてくる。山の芽吹きの色づきに対して、海は波で呼応している。即ち芽吹きからの恵みと波打つ海流からの海の幸が呼応して響き合っているのが伝わってくる。

 

   冬の水岩卷きゆくも滝なすも      前田攝子
                         (「漣」三月号)

 「水」は四季それぞれの表情を見せる。さらに「冬の水」は厳しさの中に清浄なイメージを見せる。
 水が豊富な渓谷を下っている流れはまさに岩にはり付くような流れであり、ときには高巻きが必要な滝にも出くわす。この滝は水の表情がよく見えるやや傾斜がゆるい滝であろう。この句は〈岩卷きゆく〉の措辞の発見により、水の透き通っている表情が生き物のように息づいている。


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 里山からビオトープへ

          東山植物園について

2019.5.21

1.植物園前史

 ・大正15年(1926):名古屋の「都市計画公園配置計画策定」

 ・昭和7年(1932):東邦瓦斯から植物園の整備費寄付。地主の寄付などにより当時の森林公園を東山植物園の候補とする。

 ・昭和12年(1937):東山植物園開園。有料の温室と無料の植物分類園。

 

 開園前の東山丘陵地域の森林公園(現在の東山植物園)は自然林と田んぼのいわゆる里山地域。当時は覚王山から先は曲がりくねった郡道しかなかった。森林公園はただの山奥。 開園以降の整備などで47年に古窯(鎌倉時代の登り窯)、炭焼き小屋などが見つかっている。

 また東山一体は徳川時代は徳川御料林であったが、ささやかながら里山の生活の場でもあった。

 また古窯群が東山地域から瀬戸地域まで切れ目なく見つかっている。

 

2.植物園のあゆみ

 ・昭和12年(1937):東山植物園開園。有料の温室と無料の植物分類園。

 ・昭和20年(1945):軍の接収、及び米軍の接収により休園。

 ・昭和21年(1946):植物園、動物園ともに再開園。

 ・昭和23年(1948):也有園開設。

 ・昭和31年(1956):白川村より合掌家移築。

 ・昭和34年(1959):伊勢湾台風来襲。温室壊滅的被害。

・昭和40年(1965):バラ園開設。

・昭和42年(1967):旧兼松家屋敷門が也有園に完成。

・昭和43年(1968):動物園と一体化して、動植物園に。

・昭和47年(1972):日本庭園開設。

・昭和55年(1980):植物会館開設。

・昭和62年(1987):東海の森開設。

・平成5年(1993):星ヶ丘門開設以降、東海の植物保存園(H17)、桜の回廊、地域の自然学習林(学習用ビオトープ)、東海のモデル林(H21)開設。

 ・平成4年(1992):ガイドボランティア発足。

 ・平成8年(1996):日本の音風景百選に選ばれる。

 ・平成24年(2012):也有園に宗節庵開設。

 

3.植物園の自然

もともとこの一体は主にシイ、タブなどの自然林(原生林)だったが、里山としての人間のいとなみが行われると窯、炭焼きなどにより伐採などに破壊されたあとの自然林が二次林に遷移した。その植生は主にコナラ、アベマキ、アカマツ、タカノツメ、ソヨゴ、ヒサカキなどに変わっている。

 東海の森として整備されたここの銘木としてはケヤキ、シダレザクラ、ハナノキ、ブナ、サルスベリ、コナラ、メタセコイア、クロバイなどが植栽されている。

 これら一部人工的に植栽された植生は代償林、草地などと呼ばれる。

 そして現在は人間による自然利用の生活の場ではなく、人工的に作られた自然を楽しむ場となっている。

 また東海の森の一番奥にいわゆるビオトープとしての池、二次林、トンボ、メダカの放流なども作られている。

 これらすべてがいわゆる広い意味でのビオトープとなっている。

 

注.里山とは

里山とは、集落、人里に隣接した結果、人間の影響を受けた生態系が存在する山や里を言う。

・都市と自然の間にあって、人間の手によって作り上げた自然をいう。

・生物多様性を維持するための農業、林業、漁業に育成すべき手段の一つに里山がある。

・人と生き物がともに暮らす自然(NHK「ニッポンの里山」)

最初に「里山」という単語が現れるのは17596月に尾張藩が作成した「木曽御材木方」という文書において。そこでは「村里家居近き山をさして里山と申候」と書かれている。

 

注.ビオトープとは

Biotopのことで、生物の生息している地域

・特定の生物群集が生存出来るような、特定の環境条件を備えた均質なある限られた地域

・簡単に言うと「生物が存在出来る地域すべて」

・ビオトープの最低条件は「小さくてもその地域の自然の一部として地域全体と調和がとれた関係」があること。

・また学校などで作っている池、田んぼ、花壇はビオトープの一部

 

4.東山植物園の主な施設

①也有園:横井也有は江戸時代の尾張藩士で俳人。俳文「鶉衣」。俳句には主に身近な植物や薬草を詠んだ俳諧が多く、訳50の俳句とそれに詠まれた植物を配している。ちなみに初代植物園長は横井時綱で8代下がる子孫。

②武家屋敷門:旧尾張藩士の兼松家の屋敷門を市に寄贈して、移築したもの。

③合掌家:岐阜県白川村の一部が関西電力の鳩ヶ谷ダム水没集落から保存のために移築。

 定期的に居間の囲炉裏に火が焚かれている。

④日本庭園・万葉の散歩道:植物園整備の一環として滝が設置され、その下流一帯を日本庭園として作られた。また也有園とのつなぎに奥池も作られた。そして日本庭園一帯に万葉の植物、万葉集から約100首の歌碑が建てられた。

 なお一時也有園、奥池一帯にホタル観察会も行われた。しかし本来カワニナのいないところでのホタルは生態系に合わないとのことで、約10年間で止められた。

⑤湿地園:もともと東山植物園一帯は東海層群の一角にあたり、基板に暑い粘土層(瀬戸陶土層)があり、その上層にある砂、粘土を主とした湧水湿地が多い。

 人間の生活が行われている里山で、放置されると、湿地に限らず、生態系が破壊される。園内にある自然の湧水地を利用して湿地の植栽地を復元した。

 生息種は、植物でシラタマホシクサ(VU)、ミミカキグサ(NT)、モウセンゴケ(NT)、サギソウ、ショウジョウバカマなどがあり、そして動物ではハッチョウトンボ(NT)なども生息している。ここには節滅危惧種も多い。

 名古屋市の分類では、VU:絶滅危惧類、NT:準絶滅危惧

⑥東海モデル林:東海の森のかなりの部分を東海モデル林として人と植物の関係を学ぶため、形成した。

 木曽モデル林、飛騨白川モデル林、三河遠州モデル林

⑦椿園:東海の森の谷部分に椿園を設置された。主に名古屋市の各ロータリークラブの協力で継続的な整備が行われてきた。現在役250種、920本

 

5.東山動植物園再生プラン基本構想

・平成18年3月に基本構想を提言。平成28年度に再生完了。

・基本理念:命をつなぐ ~持続可能な地球環境を次世代に~

・一例:なごや東山の森作り

 平和公園と動植物園を一体化した森作り。

 平和公園北部、平和公園南部、東山公園北部、東山公園中部、東山公園南部のビオトープをコリドーでつなぐ。(コリドーとはビオトープ内部の環境に近いタイプを自然環境の帯でつなぐこと)



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    現代俳句評(「伊吹嶺」5月号)

  電球を振れば樹氷林の音        岩淵喜代子
                      (『俳句四季』三月号)

最近はほとんどLED電球が使用されている。白熱電球が登場すると、ある種のノスタルジーを感じる。フィラメントが切れた時、よく電球を振って音を確かめていたことがあった。掲句ではその音を樹氷林に飛躍させている。樹氷が日に照らされて氷片が飛び散る様はあたかも金属片が散るようだ。本来樹氷片が散る音がするかどうかは別にして、心音ともいうべき硬質音が聞こえて来るのだろう。樹氷音と電球の音を並列させた感覚が成功している。

    山眠る地震の手負ひの傷曝し      源  鬼彦
                    (『俳句四季』三月号)

 昨年の北海道胆振東部地震を体験された源氏にとって忘れられない一年であっただろう。至るところ山が崩壊している様を見た作者にとって、私達が想像も出来ないすさまじさである。普通「山眠る」の季語はなじみ深いものであるが、単純に「山眠る」の季語では味わえない心情を〈手負ひの傷〉と表現することにより、作者は修羅場となった山とともに傷を舐め合っているのである。

   鞭のごと影の細りし干大根      塩川 京子
                  (『俳壇』三月号)

 直喩が見事な句である。筆者は名古屋の守口大根を想像した。その大根は干すほどに細くなり、しなりを持ってくる。それを鞭と見立てた比喩は肯える。この句は、鞭の存在をさらに発展させて〈影の細りし〉と詠んだ影の発見がますます比喩を強固なものとしている。

  鉄は鉄木は木の声や虎落笛       石井いさお
                         (「煌星」二月号)

 虎落笛の意は広辞苑では「冬の烈風が柵・竹垣などに吹き付けて笛のような音を発する」とある。しかし昨今の生活様式の変化によりそうとは言えない時代である。身近なものとしては風で電線が鳴る音が虎落笛らしいと感じることもある。それを踏まえると、掲句の「鉄は鉄」は現代的な硬質な虎落笛であり、「木は木」はこれまでの竹垣を吹き付ける風である。

さらにここでは「虎落」の一つの語源である「殯」の意である仮喪期間中に囲っている竹垣の声とも理解出来る。作者が〈声〉と認識した意識下にはこのいにしえの魂が抜けきらぬ声があり、「鉄は鉄」の方は現代における死に近い潤いのないイメージであるのだろう。その対比を、ともに内在している「虎落笛」を詠んだのではないか。

 

   棘のあるものを燻べて厄日まへ     福山 良子
                             (『俳句界』三月号)

 掲句は農家の作業とは限らないが、農家にとって厄日前後は用心すべき頃である。その厄日が近づくとすれば諸々の準備もあることだろう。

 厄日の思いから掲句のような所作をしたのである。この句のポイントは「棘のあるもの」である。それは厄日までに処分すべき何かがあるからである。読者は具体的な「棘」は見えないが、そこには忌避すべきものを想像することが出来れば、この句の意図は成功していると言えよう。

 

   七種や家族ごつこの了はりたる     矢作十志夫
                         (『俳壇』三月号)

 最近、核家族化が進み、子供達はどんどん独立する。そんな事情の中での正月風景である。久しぶりに子、孫に囲まれてゲームなどに興じているのだろう。ただ正月の一家の賑わいは仮りそめの賑わいである。それは「家族ごつこ」であり、あくまで日常の家族ではない。「七種」に元の静かな家族に戻った作者の侘しさのアイロニーが見える。

 

   乱れたる地球の燃ゆる黄落期      村田まみよ
                          (「圓」三月号)

 掲句、上句の〈乱れたる地球〉と下句の〈黄落期〉を〈燃ゆる〉のフレーズで繋いだものである。一見すると上句と下句とのイメージは合わない。「黄落期」の季語は晩秋の感傷的なイメージを持つ。一方、〈乱れたる地球の燃ゆる〉とはどんなイメージであろうか。「地球」という尋常ならざるフレーズを持ってきたことから、筆者ならさしづめ温暖化の進行している地球をイメージし、IPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)報告書にある対策を採らなかった場合の二一〇〇年の黄落色に塗られている世界地図を連想してしまう。そういう意味で「黄落期」は〈乱れたる地球〉のメタファーとして理解出来る。

 

立春大吉主宰譲りて只感謝       神尾 朴水
                          (「三河」三月号)

 実に天心爛漫な句である。神尾氏は「三河」主宰を九年間務められて、この三月号を最後に主宰を譲られる。そこには悲しさとか感傷はない。ただこの九年間を連衆とともに歩んできた楽しい思い出しかないのだろう。「立春大吉」は毎年立春に禅寺の門に貼るお札とあるが、ここには春が来た喜びをこの長い季語で使っている。なおこの度、旭日雙光章を叙勲されたことも付け加えるべきであろう。



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  現代俳句評(「伊吹嶺」4月号)

  初刷の重さそのまま卓上へ       片山由美子
                      (「香雨」一月号)
「狩」の終刊にあわせ、今年一月に片山氏が「香雨」を創刊し、主宰となられた。
 その創刊号の巻頭句は〈開かるること待つ扉大旦〉であり、未知への扉を開く期待の歳旦詠となっている。あわせて掲句も創刊号の初刷りであろう。〈初刷の重さ〉は物理的な重さでなく、同人、会員からの期待を担って自らに課した責任感の重さでもあろう。今後の「香雨」がどのような内容で机上に展開されるか注目したい。

   白鳥の群れゐて一羽づつの態      中川 雅雪
                   (「風港」二月号)

 「風港」は昨年、創刊十五周年を迎え、これに合わせ、中川雅雪氏が新主宰になられた。作品を見る限り新主宰と言っても自然体のままの交代のようである。
 掲句、北陸で白鳥の飛来地と言えば、羽咋市の邑知潟であろうか。白鳥の群れから何を詠むか、作者は一羽ごとの動作、生態の違いに着目した。ただ泳いでいるように見えてもその動作は白鳥の個々の存在によって異なる。その把握の〈一羽づつの態〉がそのまま詩のレベルまで高めた。

 

   霜の花まとひ石とも仏とも      浅川  正
                            (『俳壇』二月号)

 最近、AI俳句の新聞記事を見るようになった。たまたま『俳壇』二月号で、二つの随想、コメントがあった。
 一つ目は、栗林浩氏が「AI俳句を考える」の随想でAI俳句対人間俳句の対局イベントを紹介しつつ、「一般に俳人が感じる俳句の座の楽しさは人間固有のものである。AIが入って来てどのようになるか注目していきたい。」と発言している。また浅川正氏は「AIの作品は俳句たり得るかと言えば、NOである。」と断言している。
 その浅川氏の掲句、「霜の花」の結晶は元の原形を覆い尽くして美しく変身させることにある。その原形の存在は述べていないが、〈石とも仏とも〉の把握の中には単なる石くれのままか、仏まで昇華した美意識を感じるものかとつぶやいている。このようなつぶやきは確かにAIでなく、人間固有の心がこもっているから感動が伴う。

 

  垣越ゆる時に綿虫発光す        内海 良太
                   (『俳句界』二月号)

 綿虫の飛ぶ様は青白くはかなく、手に触れるとたちまち死んでしまうという。このような筆者の常識に対して作者は綿虫を発光体として捉えた。そのきっかけは「垣」であり、垣を越えたとたん変身すると断定したのである。作者の感覚の冴えが「発光」の措辞を導いた。

 

廃炉てふ十万年後冬の鵙       田口 紅子
    原子炉のうしろの怒濤去年今年      〃

                           (『俳句』二月号)

 東日本大震災以降、福島原発の廃炉の道筋がなかなか見えない。そこには怒りやむなしさが見えるだけである。
 一句目、シンプルに「廃炉」「十万年後」「冬の鵙」の名詞を並べただけの句。十万年後まで続く廃炉という提示に唯一の具象である「冬の鵙」が人間の見る象徴なのであろうか、現在の「冬の鵙」も十万年後の「冬の鵙」も多分廃炉作業を見続けているだろうというメッセージが見えてくる。廃炉とともに「冬の鵙」も永遠に近い時間を付き合わなければならないのである。

 二句目、現在の原子炉を詠んでいる。年が変わる「去年今年」の時間経過があっても怒濤は止むことがない。そこには毎年、一向に変わらない原子炉が居座っている「去年今年」なのである。
 本来伝統を踏まえた季語が原発というフィルターを通すと、たちまち季語のメッセージ性が変わってしまう。これは高野ムツオ氏の『語り継ぐいのちの俳句』に詳しい。

 それを踏まえて掲句を見直すと、「冬の鵙」「去年今年」の季語はこれまで共通認識としての感動を与えてきた季語であったものが、根幹を揺るがす事故のあとでは不安感などの深刻な季語に変質したものとして捉えなければならない危険性をはらんでいることを忘れてはならない。

 

陰ありて明の際立つ後の月      関森 勝夫
                          (「蜻蛉」一月号)

 確かに昨年見た後の月は非常に明るかった記憶がある。この「陰」と「明」の対比をどのように解釈するかは、月自身の明暗の対比か、月が照らす地上の明暗の対比が考えられるが、ここは前者のことと解釈してよいだろう。後の月は月齢が十三であることから、月の陰の部分と照らされた部分の差がよく分かる。この対比から明るさを強調した句である。結果的に非常に彫りの深い月の描写となった。

 

   葛晒す上澄みの月捨てながら     野中 亮介
                          (『俳句』二月号)

 葛晒しの工程は非常に手間ひまのかかるものである。葛晒しの間、上澄みの水を取り替える作業が延々と続く。このような作業の過程で水槽に浮かんでいる月を発見したのがポイントである。〈月捨てながら〉の措辞から葛晒しの作業にも詩情があるのを発見した句となった。


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     竹害 

  修善寺の空真青なり今年竹     栗田やすし
  竹落葉時のひとひらづつ散れり   細見 綾子

 竹に関する季語は結構多い。春筍に始まり、筍、筍流し、竹の秋、若竹(今年竹)、竹落葉そして竹の春など名句も多い。栗田顧問の句にある修善寺の竹林は実に美しい。
 そして今、竹の生態が様変わりして、竹林の荒廃が進んでいる。
 よく昔は「大きな地震が来たら、竹藪へ逃げろ。」という言い伝えがあったが、果たして本当だろうか。農林水産省によると「竹の根は浅いところを横に横に這っているため、地中の水分などにより竹藪全体が滑るように土砂災害が発生している事例もある。」という。現に二〇一六年の熊本地震のあと、大雨が襲った時、竹林崩落による鉄砲水の発生から死亡事故も起こっている。      
 この竹林が荒廃する原因を考えてみると①建築様式の変化、生活様式の欧風化による竹林の需要減少、②安価な筍、竹製品輸入、プラスチック製品など竹製品の代替品の出現、③竹生産者の高齢化、後継者不足などがある。

 その結果の影響はと言うと、
一.過密状態の竹林は周りの森林や農耕地へ地下茎を伸ばし、生育範囲を広げて周囲へ影響を及ぼしている。
二.竹林の放置により草木は日光不足で枯れ、生物多様性が低下して来ている。
三.熊本地震で述べたように、このような地下茎では土を抱えて留めることが出来ず、大雨では地盤がゆるみ、斜面が崩落する危険が著しくなる。
四.荒れた竹林は景観の悪化を招き、特に私たち俳人にとって、多様な竹の生態がなくなり、豊富な季語を使う場もなくなってくる。

 手入れさえ行き届けば景観が維持される例として、京都嵯峨野の真竹のような美林もある。
 このような竹害対策として、竹桿への農薬注入が主流であるが、竹の伐採、遮蔽板の埋め込みなどもある。

 一方ここ最近、三重県北部では竹林整備のためいろいろな試みが行われている。
 ①四日市大学によるNPO法人を巻き込んだ竹林整備、
 ②桑名市での竹によるバイオマスプラスチックの新素材開発、

  ③
いなべ市に竹林整備のため竹工房の建設による地産地消を目差している、などの例もある。

 竹にまつわる現状、影響、対策などを見てきたが、竹害と言っても、要は竹が悪いのではなく、人間の都合で竹林の荒廃を招いていることを強調したい。
 なお右の写真は栗田先生が詠まれた修善寺の竹林。


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  現代俳句評(「伊吹嶺」3月号)

   賀状書き終へかるくなる住所録     鷹羽 狩行
                       (「狩」十二月号)

「狩」はこの十二月号が終刊号となり、鷹羽氏は創刊される「香雨」の名誉主宰となられる。
 掲句、肩の荷を下ろす安堵感が伝わってきた。年賀状は毎年書く慣いであるものの、相手に出す楽しみとともに、書くまでのステップが結構重荷になることもある。その年中行事を遂げた安らぎを「住所録」に代弁させた。住所録が〈かるくなる〉今年の締めくくりとして、肩の荷を下すとともに「狩」を終刊させる安堵感も入っていると見た。

   十二月八日言葉に落し穴        遠藤若狭男
                         (『俳壇』十二月号)

 「若狭」主宰の遠藤氏が昨年十二月に亡くなられた。
 掲句は、一連の「十二月八日」のうちの一句。かつて日本が無謀な戦争に突き進んだ開戦日に思うことは現代のことが気がかりになっているのだろうか。表面的でレトリックを使った言葉には思わぬ方向へ突き進む懸念を「落とし穴」と詠んだのであろう。そこには不戦の願いがある。

   狐火が送電塔の辺に燃ゆる      能村 研三
                   (『俳句界』一月号)

 送電鉄塔は碍子でそれぞれ絶縁されているとは言え、時に空気絶縁を破壊してコロナ放電を発することもある。
 この現代的な現象に対して、作者はそこに「狐火」の存在を認識した。狐火のおどろおどろしい現象と現代との取り合わせに発想の飛躍と不思議な現実感を醸し出している。この発想は作者しか持ち得ない感性であろう。

   保線士のひとりは見張り葛の花     滝口 滋子
                     (『俳壇』一月号)

 掲句は、鉄道の保守工事の情景である。筆者の経験では、屋外工事では工事長などの責任者が工具を装着しないで、必ず丸腰で参加することが原則である。人命に係わる工事にとって安全は最優先である。それが〈見張り〉の必要性なのである。
 この上五、中七に対して「葛の花」は線路の路肩によく見かけるものであり、そんな工事の進捗を見張っている責任者の目に飛び込んできた「葛の花」は束の間の緊張感をなごませるものであっただろうし、作者はそれを外部の視線から、工事にも潤いがある心安まるものとして詠んだ。

 

湯豆腐や一行で足るいのちの詩     角川 春樹
                             (『俳句界』一月号)

 作者は日頃「俳句は魂の一行詩」をモットーとしている。
 「湯豆腐」「いのち」と来れば、もう久保田万太郎の世界である。作者が〈いのちの詩〉と詠む俳句の理想の一つに久保田万太郎の存在があったのだろう。つぶやきにも似た〈一行で足る〉の思いから湯豆腐の存在にたどり着く。それが万太郎へのオマージュであり、リスペクトであろう。

    陰の神ここにも村は秋なりし     加古 宗也
                           (「若竹」十二月号)

 どこへ行っても田には神が祀られているのに出くわす。田の神の種類はそれこそ千差万別であるが、いずれも豊作の願いにつながっていく。ここには代々の村民の祈りが見え、女性神を祀ることが豊作への祈りである。
 この句で〈ここにも〉のフレーズに作者の発見、驚きが見える。それは図らずも発見した「陰の神」であり、村の豊作を願う明るさに満ちた〈ここにも〉である。

 

  清拭に今日が始まる福寿草      山崎 祐子
                        (『俳壇』一月号)

 まえがきに「母」とある。介護には年末も年始もない。あるのは現実のみである。今日もまず清拭から始まる介護である。そんな母と向き合う日々に作者は新年らしさのある「福寿草」に母の回復を予感しようとしている。「福寿草」を配することにより「清拭」の明るい清潔感に未来を託しているのである。

    還らざる日々へ落葉を踏みにけり    松岡 隆子
                         (「栞」十二月号)

 松岡氏は岡本眸氏の後継誌として「栞」を創刊された。
 掲句は〈還らざる日々〉がポイントである。前掲句に〈師の声を探してゐたる紅葉山〉があることから、去る九月に亡くなられた岡本眸氏を念頭に置いているのだろう。
 先師と接してきた思い出、師に指導を受けてきた過去、それが作者自身の過去と重なってくる。〈還らざる日々〉とは、その両者である。師を回想すべく踏んでいく「落葉」の存在が切ない。

    付箋剥がす霜夜を時のさかのぼり   柘植 史子
                             (『俳壇』一月号)

 掲句には本の存在を述べていないが、久しぶりに本を開くとかつて自分がつけた付箋に気づくことがある。霜の降る夜の静けさに開く本は付箋を介在して過去の自分の思いに出会うことにつながる。付箋の一つが現在の自分と過去の自分の接着剤とも見なすことが出来る。


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  現代俳句評(「伊吹嶺」2月号) 

 この原稿を書いている最中に「今年(二〇一八年)の漢字」が「災」に決まったとのニュースが飛び込んできた。
 西日本豪雨をはじめ毎週のように上陸した台風、大阪北部地震、北海道胆振東部地震等の自然災害そして命に関わる暑さといわれた猛暑も災害に類する。
 先月のこの欄で二〇一八年の災害を詠んだ句を中心に鑑賞したが、今回も引き続き二〇一八年の災害をどのように詠まれたか見ていきたい。

   売地ことごとく崩れて秋出水      茨木 和生
                   (『俳句』十二月号)
    学校に及ぶ山崩え秋旱         茨木 和生   
                        (「運河」十一月号)

 茨木氏の二句、時期的に見ると台風被害を詠んだものであろうか。合わせて西日本豪雨も思い出される。
 一句目の洪水そして二句目は台風過の旱の状況を詠んだテーマの題材に「売地」「学校に及ぶ山」の崩落するさまを配している。そこから「崩」が示す情景を写生した。作者は今年の「災」は台風、豪雨などによる「崩」という漢字が二〇一八年を象徴すると詠んだのである。

   電力網の外側にゐて秋の蜘蛛      鈴木 牛後
                          (『俳句』十二月号)
  停電情報野は邯鄲いづくまで      鈴木 牛後
                    (『俳壇』十二月号)

角川俳句賞受賞後の第一作としてそれぞれ両誌に北海道胆振東部地震というよりブラックアウトに焦点を当てて詠んでいる。北海道在住の酪農家である鈴木氏にとって地震より停電が致命的であったようだ。
 一句目、ブラックアウトの影響は人間だけでなく飼われている牛などにも致命的な影響を受けた。日頃いかに電力の呪縛にさらされているかが実感されるが、その呪縛から逃れている存在の一つとして「蜘蛛」を取り上げた。ここには災害に遭ってほしくない小動物への愛情が見える。
 二句目も大停電とは縁のない存在の一つに「邯鄲」を据えて、闇と化した屋外に鳴いている邯鄲に思いをはせている。〈いづくまで〉には安らぎの余韻がある。
 両句とも停電と命のはかない動物の取り合わせにより人には及ばない自然の力、愛惜を詠んだ。

 露けしやブラックアウトの北の街    高橋 千草
                           (『俳句四季』十二月号)
  激震ののち邯鄲のこゑ聞かず      高橋 千草
                           (『俳句界』十一月号)

 高橋氏も二句とも北海道胆振東部地震を詠んでいる。
 一句目、地震直後のブラックアウトと言えば真の暗闇で、そのような北の街に何の思いを馳せるか、何を恃むかその回答の表現が「露けしや」なのである。この「や」は単なる感動の切れ字ではあるまい。疑問形であり、願望であろう。ブラックアウトの街に降るような星空に願う露けさには切ない思いが込められている。
 二句目も地震のあとの邯鄲に思いを馳せている。前掲の鈴木氏の「邯鄲」のように本来は美声の虫こそ災害に際しても心安まる存在であろうが、高橋氏にはその美声が届かなかったのである。それは地震による物理的結果だったかも知れないが、異常な災害にあっては邯鄲の鳴くような日常の安らぎを求めたいとの鎮魂の句である。

   地震痕の起伏に沈む枯芒       草本 美沙
                 (『俳句界』十二月号) 

 草本氏は大分市に在住されているから、掲句はいまだ復興半ばの熊本地震のことであろうか。今なお地震の痕跡が残っている山にしろ丘にしろ、むき出しの地肌がうねっているところに芒が見え隠れしている。この「枯芒」を代表させて、今なお人間界には地震の驚異にひれ伏しているさまを〈起伏に沈む〉と象徴的に詠んだのである。

    隧道の外は炎熱のぼり坂        今津 大天
                        (「つちくれ」十一月号)

 二〇一八年の夏は本当に暑かった。今まで経験のしたことのない危険な暑さで、これも災害の一つであった。
 掲句は、作者の立ち位置として隧道とその出口の対比で捉えた。隧道の出口が猛烈な「炎熱」であり、さらに「のぼり坂」と来ればうんざりする。隧道の中のことは何も述べていないが、対比として詠めば一目瞭然である。地球の異常な暑さを隧道の内外の比較で際立たせている。

    さう言へば焼夷弾の音蟬しぐれ     伊藤 政美
                          (「菜の花」十一月号)

 作者の住んでいる三重県もそうであるが、昨今の東海地方の蟬と言えば温暖化の影響か熊蟬が席巻しており、その「蟬しぐれ」はすさまじい。あの「シャンシャン」の畳み掛けるように襲ってくる鳴き声は〈焼夷弾の音〉と言われれば納得する。この比喩とも言うべき〈焼夷弾の音〉は常人ならざる感覚である。〈さう言へば〉の出だしのつぶやきに作者が自身の感覚にうなずいているのである。
 ところで筆者はいきなりこの蟬しぐれは熊蟬と断定したが、鑑賞した結果、焼夷弾という硬質な響きは熊蟬以外考えられないと思った。


    
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  現代俳句評(「伊吹嶺」1月号)

  地震に耐へ洪水に耐へ暑に耐ふる    森田純一郎
  胆振野の地震冬眠の山崩す       村上喜代子
  畑隅の流れままこのしりぬぐひ     小鳥 幸男
  逆縁といふえにしあり断腸花      尾村 勝彦

                        (『俳句界』十一月号)

 昨年(二〇一八年)は数十年に一度ほどの多くの災害に見舞われた。『俳句界』十一月号で緊急特集として、「天地異変」と題した二十四名の災害を詠んだ句を掲載している。
 一句目の森田氏の句が昨年の災害全体を代表しているようである。即ち西日本豪雨に始まり、度重なる台風の上陸そして大阪北部地震、北海道胆振東部地震など枚挙にいとまがない。これらを上五、中七に収め、災害を〈耐へ〉としてまとめ、下五の〈暑に耐ふる〉がまさに「命に関わる危険な暑さ」を象徴する句となった。

 二句目、北海道胆振東部地震では震度七を記録している。山という山がことごとく崩落した未曾有の出来事と言ってもよい。村上氏は、山が持っている役割の一つとして動物の冬眠を提示して、そんな山が担うべき役割をも崩壊させるなど抗うことの出来ない災害をまざまざと示した。

 三句目は直接災害の言葉が出てこないが、西日本豪雨の時の飛騨地方の豪雨を詠んでいる。「畑隅」にかろうじて残った「ままこのしりぬぐひ」という残酷な名前でありながら、可憐な蓼の花を代表させて、このようなか弱い植物でさえも豪雨に流されてもよいかと、悲しみ、哀れみ、怒りを坦々と詠んでいる。

 四句目も直接地震に触れていないが、北海道胆振東部地震のことであろう。尾村氏は子が先に亡くなった痛ましい出来事のみを述べて、「断腸花」と表現した秋海棠に代表させて逆縁を詠んでいる。尾村氏のご家族のことであれ、報道のことであれ、いずれにしても痛ましいことである。

 

  梅雨出水闇の中より叫び声       今瀬 剛一
                            (「対岸」十月号)
  山がみな後退りして秋出水       今瀬 剛一
                      (『俳壇』十一月号)

今瀬氏の「出水」の句を二句抜いてみた。梅雨であろうと、秋であろうと昨年は豪雨、台風が絶えず襲ってきた。

一句目、作者は〈闇の中より叫び声〉としか述べていない。しかしそこから様々な連想が沸いてくる。暗闇の濁流の中の叫び声は眼前の景であろうと、恐怖感が描いた心象風景であろうと、臨場感に溢れている。「梅雨出水」をなすすべのない叫び声をもたらすものとして詠んだ。

二句目、出水がもたらしたすさまじさが次々と山を崩落させているのであろう。その崩落を〈みな後退りして〉とこれまた臨場感に溢れた阿鼻叫喚である。

とにかく一句目の「叫び声」や二句目の「後退り」の様子は人間の無力さを象徴する災害である。ただ作者は記憶にとどめんことを使命として詠んだのである。

 

靴履きてリビング歩く溽暑かな      朝妻  力
                         (『俳句四季』十一月号)

 朝妻氏の住まわれている場所から大阪北部地震を詠まれたのであろう。自宅で靴を履いて歩くとは一見ユーモアに富んだ情景に見えるが、とんでもないことである。震度六弱の地震に見舞われたのである。
 直下型地震の揺れのすさまじさにより、家屋の中は足の踏み場のない修羅場と化してしまった。〈靴履きてリビング歩く〉は笑えない現実である。それに増して昨年は何十年に一度の危険な暑さが襲った。この「溽暑」の季語は怒りにも似た暑さなのである。地震と暑さのダブルパンチを受けた句である。

 『俳句界』の「天地異変」特集にしろ、今瀬氏、朝妻氏の句にしろ、未来から振り返ると、二〇一八年は温暖化、地震など地球にとって「ティッピング・ポイント」の年であったと思い当たる年となる可能性を秘めている。

 

  花木槿今日出漁の鵜を選ぶ       栗田やすし  
                    (『俳句』十一月号) 

 鵜飼シーズンの鵜匠と鵜の一日は対話から始まる。いわば鵜も家族の一員である。対話からその日の鵜の健康状態を把握し、〈出漁の鵜を選ぶ〉のである。つまり鵜匠と鵜のつながりがなくては成り立たないことを詠んでいる。
 また木槿は鵜舟の舳先に篝棒を挿す時に、この枝葉を一緒に挿して棒と穴の摩擦を少なくする必要性からどこの鵜匠家でも栽培している。この「花木槿」が鵜匠と鵜の対話を見つめており、眼差しの温かい一句となった。

 

水脱がす如く掬へり新豆腐       河原地英武
                           (『俳句四季』十一月号)

 掲句は、新豆腐の白さを際立たせている。その効果は〈水脱がす〉の思いのこもった比喩から来ている。まだ水槽にある豆腐から掬い上げた豆腐への遷移は〈水脱がす〉の行為の結果であり、そこには豆腐の艶も見えてくる。
 作者は比喩それも直喩を得意としているようである。ちなみに最近の句集『火酒』からも相当句数確認することが出来る。例えば〈花冷や弥勒のやうに母眠る〉などここ一番の句を詠みたい時に比喩の力を存分に発揮している。


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