俳句についての独り言(平成30年)

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 現代俳句評(12月号) 30.12.1 
 マイクロプラスチック 30.11.1 
 現代俳句評(11月号) 30.11.1 
 現代俳句評(10月号)  30.10.1
 現代俳句評(9月号) 30.9.1 
 現代俳句評(8月号) 30.8.1 
現代俳句評(7月号) 30.7.1 
現代俳句評(6月号) 30.6.1 
 季語散策(秋刀魚) 30.6.5 
現代俳句評(5月号) 30.5.1 
現代俳句評(4月号) 30.4.1 
現代俳句評(3月号) 30.3.1
『星月夜』を読んで 30.2.1
現代俳句評(2月号) 30.2.1
環境と俳句 30.1.1


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       現代俳句評(「伊吹嶺」12月号)

  武器は出ぬ縄文遺跡栗の花      矢島 渚男
                    (『俳句』十月号) 

 今年、東京国立博物館で縄文展が開催されたが、掲句は実際の遺跡現場に立って詠んだのであろう。「栗の花」がその場の雰囲気を伝えている。この句の眼目は〈武器は出ぬ〉である。一万三千年前の日本人は武器を持とうという発想はなかったし、作者が、遺跡にはない物に着目して、縄文人を慮っているのである。さらにこの上五の「は」には作者の深い思いが見え、ここには反語的な意味合いを連想することが出来る。縄文人に比べて現代人には武器が必要だとの現実に対する風刺にもなっている。そして縄文人はと言えば「栗の花」の自然な奔放さから戦争を好まないのが日本人の原点と見ているのである。

   抽斗に長き夜を旧り肥後守       西嶋あさ子
                    (『俳句』十月号)

 「肥後守」とは何という懐かしい響きであろうか。子供の頃この肥後守で凧、竹とんぼなどを作った思い出がある。
 掲句の「肥後守」は長く使われないで抽斗に入ったままなのであろう。ここでのポイントは〈長き夜を旧り〉の解釈である。単に抽斗に入っている肥後守に気づいたのであるかも知れないが、ここには子供の頃からの時間の経過が読み取れ、その時間の長さにふさわしい「長き夜」を据えたのである。さらに想像すると既に作者の抽斗には肥後守がなくても、肥後守を代表させて昔の自分を回想しているかも知れない。それが〈長き夜を旧り〉の効果である。

  曼珠沙華祝ぎに葬に通る畦       谷田部 榮
                         (『俳句』十月号)

 昨今の地球温暖化により桜の開花など季節のずれが実感されるが、不思議と曼珠沙華は秋彼岸に違えず咲く。
 掲句の畦は多分作者がいつも利用している畦であろう。その畦は祝い事であろうと弔いであろうと同じ畦であり、曼珠沙華が咲いている畦である。〈祝ぎに葬に〉と目的は違っていても毎年同じ時期に律儀に咲いている曼珠沙華のように、日常的に通る畦は変わらないものである。時期を違えない曼珠沙華と〈祝ぎに葬に〉などの特別な日との対比を変わらぬ畦から見て詠んだのである。

  蛍火を追うてこの世を生きてをり    前田 攝子
                      (「漣」九月号)

 蛍は己を光らすことにより自分の存在を示し、その光は自らの命を後世につなぐ生のいとなみの原点となる。
 そこに何を重ねて詠むかは作者のアイデンティティに関わる。掲句は「蛍火」を追いかけている闇の先の世界を考え、追いかけている途中はまだ作者は〈この世を生きてをり〉、その先は作者自身しか考えられない世界である。ここには自分の来世へのつながりを詠もうという姿勢が見える。その結論が出なくてもとにかく現在「この世を生きている」ことのみを伝えたかったのである。

   風来てはおのおの散れる水馬      服部鹿頭矢
                      (「鯱」九月号)

「水馬」はその生態、動きから俳句ではいろいろ想像力がかき立てられる。掲句は風に吹かれる水馬を観察したもので、〈おのおの散れる〉には右往左往している様子ではなく、その散り方は水馬自身が考えたもので、その動きの中に水馬が意思を持っていると把握したのである。

  寡黙なる色湛へたり額の花      大野 鵠士
                        (「獅子吼」九月号)

 額の花は紫陽花よりやや小振りで中心部には小さな花が密集している。その様子は紫陽花ほど華やかでなく、楚々とした印象を受ける。掲句は「額の花」をただ一点集中して観察した結果から導かれたのは「寡黙」である。確かに「額の花」は紫陽花ほど華やかさを自己主張していない。「寡黙」は「額の花」に似合う。

  海中(わたなか)の冥さなりけり蟬の穴      藤本美和子
                         (『俳句四季』十月号)

 掲句、蟬の穴は「海中の冥さ」であると比喩的に使っているが、それにしても一気に海底まで飛躍させた比喩には驚く。まだ見たことのない海底の冥さを蟬の穴と断定したのは、もしかしたら蟬の穴が海底まで続いているのかと読者を思わせてしまう。

  海鞘ふふみをり島々をけぶらせて   奥名 春江
                    (『俳句四季』十月号)

 海鞘はその独特な味が珍味として人気がある。掲句の「海鞘」は屋外でしかも生の海鞘を味わっている情景であろう。海を見ながら海鞘を味わっている作者の視線から何が見えるのだろうか。現実は〈島々をけぶらせて〉だけである。ただその手がかりとしては〈ふふみをり〉しかない。「ふふむ」は積極的に食べているのではなく、じっくりと味わっているのであり、その独特な味の広がりは郷愁かも知れない。さらには煙っている島々の先の海底にある海鞘に思いを馳せれば、震災などへの鎮魂かも知れない、と次々と思いは広がっていく。

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    マイクロプラスチック(「伊吹嶺」11月号) 

 今年も秋刀魚がおいしい季節になった。昨年の記録的な不漁から今年は豊漁とのことで、サイズも大きそうである。ただ長期的には漁獲量が減少のトレンドにある。
 秋刀魚と言えば佐藤春夫の「秋刀魚の歌」がすぐ浮かぶが、この中の一節に「父ならむ男にさんまの腸をくれむと言うにあらずや」があるせいだろうか、以前ある句会で席題に「秋刀魚」が出たときに、「亡き父が秋刀魚の腸好む」「腸をそのままに秋刀魚焼く」「腸がほろ苦し」などの句が多かった。俳句検索しても、

  ハイヒール脱いで秋刀魚の腸うまし
  秋刀魚食ぶ苦きはらわたまでも食ぶ

 などと出てくる。一方、最近話題になっているのが、マイクロプラスチックである。プラスチックごみが海に流れ着き、海で細かく砕かれる。そしてあくまでプラスチックは微細化されても分解されない。このマイクロプラスチックは一ミリ以下のもので、海のプラスチックスープとも言われている。二〇五〇年までには海に流入するプラスチックごみの総量が世界の海に生息する魚の総重量を超えるという怖い予測も現実のものとなっている。

 魚はプランクトンとマイクロプラスチックの区別が付かずに胃袋に入る。そしてこれが食物連鎖により凝縮されていく。回遊魚である秋刀魚やカタクチイワシなどの内臓に蓄積されていく。例えば体長三ミリのミジンコの体内でマイクロプラスチックが緑色の蛍光を放っている写真を見たことがある。また市販されているエビの消化管を顕微鏡で見ると、染色されたプラスチック繊維が蛍光を放っているものもある。
 さらにウミガメの鼻にプラスチックストローが入り込んでしまい、そのストローを引き抜くためにウミガメが鼻から出血している衝撃的な動画を見たこともある。

 それではこれらの魚を食用としている人間に悪影響はないのだろうか。
 「このままだと、皆さん、プラスチック屑が混じった魚を食べることになります。もう食べているかも知れない。」と発言している学者もいる。
 現時点では、マイクロプラスチックが体内に入っても微小なためそのまま排泄されるという。気分の問題で気にする必要はないかも知れない。しかしプラスチックにはもともと添加剤が入っているので、汚染物質を吸着する性質を持っているため、PCBや環境ホルモンが吸着し、さらに食物連鎖で濃縮される恐れがある。
 これらの人的影響はこれからの研究課題であるが、プラスチック増は待ってくれない。

  秋刀魚焼く煙の中の妻を見に   山口誓子
  別々にもどり秋刀魚の一つ灯に  中山純子
  一合を愉しむ潤目鰯かな     山崎ひさを

 せめてこれらの句のように安心感を持って秋刀魚や鰯を食べることが出来る時代が続いてほしい。

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    現代俳句評(「伊吹嶺」11月号)

どこまでも山背の追ひてくるごとし   片山由美子
  あいの風音立てて入る仏間かな     中坪 達哉

                       (『俳壇』九月号)

 「山背」「あいの風」はどちらも夏の季語であるが、印象は全く違う。いわば「冷たい」と「涼しい」の違い、農家と漁師用語の違いである。

「山背」は昔、東北地方では冷害をもたらすと恐れられていた。片山氏の句、逃れたくても逃れられない「山背」の心境を「どこまでも」「追ひてくる」の暗いフレーズから作者が実感しているのがよく分かる。さらに下五を「ごとし」で締めくくったことに旅行者の視点も見えていると思った。

 一方、「あいの風」は日本海沿岸に涼しさを実感する風である。中坪氏の句、仏間を開けて「あいの風」迎え入れる情景から涼しさを亡き人とともにくつろいでいるのである。ここには常に「あいの風」を受け入れている生活に密着した風であることが分かる。

   この暑ささへも馳走に京の町      伊藤伊那男
                    (『俳壇』九月号)

今年の夏は今まで経験のしたことのない暑さであった。
 掲句はタイトルの「梅雨の京」を踏まえると、梅雨時は真夏ほどの暑さではないものの、相当こたえる暑さであっただろう。しかし作者は京都の暑さを「馳走」と言い切ったのである。その姿勢が「さへも」により、京都への最大限の挨拶としたのである。

  檻の俳句館より十歩胡桃割る      坂口 緑志
                        (『俳句界』九月号)

 生前金子兜太氏が筆頭呼び掛け人としてスタートして、「俳句弾圧不忘の碑」が完成したのは今年の二月二十五日である。しかし兜太氏が死去されたのはその直前の二月二十日で、わずかに間に合わなかった。この碑は長野県の無言館敷地内に建てられており、あわせて「檻の俳句館」も同日開館されている。

 作者はこの夏に訪れている。同時作に〈裸婦描き征きて帰らず胡桃落つ〉にあるように作者は日頃定型を遵守している姿勢である。しかし掲句は大きく定型をはみ出している。〈檻の俳句館より〉と冒頭にメッセージ性の強い対象物を捉えている。そして〈胡桃割る〉を控えめに据えている。ここには檻の俳句館を訪問した心の昂ぶりが破調により受けたインパクトを強くしている。さらに「胡桃割る」のささやかな行動が兜太氏への別離を含んだ挨拶句にもつながっている。

   鵜篝や水やはらかく鵜の泳ぎ      伊藤 敬子
                      (「笹」八月号)

 掲句は鵜飼十句のうちの一句で、この鵜飼は岐阜の鵜飼であろう。掉尾に「誓子句碑」を詠んでいることから、真っ先に〈鵜篝の早瀬を過ぐる大炎上 誓子〉が念頭にあったのだろう。「大炎上」と鵜飼の昂ぶりを直裁的に詠んだ誓子に対して、掲句は穏やかな「鵜篝」である。これから出番となる鵜の泳ぐさまを〈水やはらかく〉と詠んだことは「鵜篝」が鵜の恃むべきものであることを示している。

   翳る山日当たる山の薄紅葉       黒滝志麻子
                    (『俳句』九月号)
  風の息草の息とも朴散華        黒滝志麻子
                   (『俳句界』八月号)

 黒滝氏は今年の四月より新たに「末黒野」主宰となられた。掲句として『俳句』誌、『俳句界』誌から一句ずつ抜くにあたって、両号から対句を成している句に注目してみた。
 前句の翳っている山にも日が当たっている山にも一様に薄紅葉している写生はさまざまな様子の中にもまんべんなく自然は造形美を形成していると称えている。

 同様に後句も朴が散っていくのは「風の息」や「草の息」によるものではないかと認識しており、さらに「散華」という仏教用語で、消滅して昇華していくイメージを与えることによりかすかで静謐な散りざまを強調している。
 以上から自然造形の神秘さを対句で述べようとする意思があるように見えた。

  鰯雲空の抜け道誰か知る       宮田  勝
                        (『俳句』九月号)

 鰯雲は雨の前触れとか大漁の前兆とか言われているが、掲句は「鰯雲」のうろこが道のようだとの見立てから空にも抜け道があるのではないかと感じた。ただ「誰か知る」の表現には、本当に抜け道があるのか、どこにつながるのか判然としていないと思い、疑問形として締めたのである。

 やや三句切れの印象を持つ掲句には、鰯雲に対する作者の心情が逡巡している様子も覗える。

 

尺取虫重心折つて進みけり      福島  茂
                      (『俳句四季』九月号)

 尺取虫が伸び縮みして進む様には愛嬌がある。掲句はその前提条件をもとに作者は伸び縮みする様子を「重心折つて」の言葉を使うことを発見した。重心を折って進むことこそ尺取虫の愛嬌の根源だと確信したのである。シンプルな写生の中に尺取虫の真実に迫った俳句となった。

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    現代俳句評(「伊吹嶺」10月号)

  鮑海女波を掴みて立ち上がる      宮田 正和
                   (『俳句四季』八月号)

 伝統漁法としての鮑の素潜り漁は三重県志摩地方では今なお現役の海女も漁を行っている。掲句は、鮑を捕った海女が水面に浮かび上がった瞬間を鋭く切り取った映像が印象的である。映像がこんなに鮮明なのは「波を掴みて」「立ち上がる」の動詞のたたみ掛けによる写生に力強さがあるからである。特に「波を掴みて」の類型感のない即物的表現には地元の人間として海女への応援歌でもある。

   鳰の子の親に飛び乗り波に乗り     白石 渕路
                   (『俳句』八月号)
  花氷くれなゐの夜気封じ込め      小山 玄黙
                  (『俳句四季』八月号)

今年、新人賞を受賞された二名の句を抜いてみた。
 白石氏は「蝉の家」で第41回俳人協会新人賞を受賞された。地味な写生句を信条としながら、描写された骨格の確かさが評価されたという。受賞作の中の一句、〈一片の落花に時の流れ出し〉のように一つの物を凝視しつつ、「時の流れ出し」に作者固有の詩情が溢れている句である。
 そして掲句は、鳰の習性として親に飛び乗った結果、親子ともども波に乗っているとよくある情景を詠んでいる。ただその観察を「親に飛び乗り」「波に乗り」とたたみ掛けた写生のリズム感が心地良い。ここにも確かな写生の力が生きている。

次に小山氏は第6回俳句四季新人賞、第6回星野立子新人賞を受賞されている。次々と新しいことに挑戦する姿勢に敬服したい。前者の受賞作の中の〈あらがねどうし少年とかなぶんと〉にある少年をまだ掘り出したままのあらがねと認識し、それをかなぶんと喩えた異質なものとの結合の見立てに意表を突かれ、まだ先の見えない少年の成長を期待する作者の目にも若さが溢れている。
 そして掲句は自註で実際に花氷を自作して冷凍庫に保管したという。このように何でも実践する積極性は若さ故であろう。〈くれなゐの夜気封じ込め〉 という見えない感触を花氷の中に認識したところに、実体験ならではの表現に説得力を感じる。

  蟻の列軍靴の音の無きがよし      矢野 景一
                         (『俳句』八月号)

 前書きを「偶感」と書かざるを得なかった意図を考える必要がありそうだ。掲句に出てくる物は「蟻の列」のみである。その規則正しい列をなしているのは軍隊の行進を想定するのは容易である。しかし決定的に違うのは眼前の蟻の列は無言であることである。作者は軍隊行進の靴音に拒否反応を示している。つまり蟻の列から触発された「偶感」は「現実に近づきつつある軍歌の響き」であり、その不安感を詠みたかったため、前書きを入れたのである。

   じわり湧き音なく池へ山清水      加藤 耕子
                   (『俳句四季』八月号)

 掲句から筆者は山頂近い池塘を思い浮かべた。このような湿原には沢がなくても豊富な湧き水がいつの間にか池塘を形づくっていく。
 掲句は池塘とは言い切れないが、湧いてくる清水が池に注ぐさまは「じわり」であり、「音なく」と静けさの中に山清水は存在すると自然に対する思いがこもっている。

   雲海の果に富士浮く外厠        駒木根淳子
                    (『俳壇』八月号)

 作者は元祖山ガールのようである。雲海の先に富士山が見えると言うことは八ヶ岳あたりの山小屋であろうか。
 この句で意表を突いているのが「外厠」を持ってきたことである。山小屋では小屋の外にトイレがあるのはよくあることである。本句に対して小エッセイが書かれており、「最も困ったのはトイレである。」とあるが、あえてそれを一句の中に入れたのは、上五、中七の幻想的な情景に対して対極的な「外厠」を下五に置いて逆に雲海に浮いている富士の清浄さを詠みたかったのではなかろうか。

 水の辺に父の日傘の丁字色       山尾 玉藻
                         (「火星」七月号)

 掲句にある父とは「火星」を創刊した岡本圭岳である。今でこそ男子の日傘は普通になりつつあるが、当時では、大阪の粋に富んだ圭岳の日傘を想像すると随分時代を先取りしたものである。
 掲句は池のような水辺に茶色がかった丁字色を見たとき、そこに父親の日傘姿を重ね合わせたのであろうか。「丁字色」という平安貴族の染色が父親の和服姿にふさわしい。

 踊り場に砂溜まりゆく残暑かな      矢地由紀子
                         (『俳句四季』八月号)

 ここの踊り場はどこだろうか。海に近いマンションの外階段を想像した。昨今秋となったとは言え、その年の最高気温を記録することも多い時代となった。そんなやりきれない暑さの中、砂を運んでくる風を持て余している。そのような猛暑がなかなか過ぎ去らない実感を「残暑」に代表させて詠んだのである。

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    現代俳句評(「伊吹嶺」9月号)

  踏青や速達二通ポケットに       千田 一路
                          (「風港」六月号)

 「風港」は今年が創刊十五周年となる。これに合わせて千田氏は第六句集『歩度』を刊行された。ここには老いを迎えた感慨が多く詠まれ、その中で句集の題名となった、

  歩度速めゐて逃げ水に近づけず     千田 一路

の句に着目した。ここには最近の千田氏の老いの感慨に触れたような気がした。「逃げ水」の季語は実態として捉えどころのない物の象徴のように見えるが、千田氏にとって「逃げ水」は老境における一つの目指すべきものなのであろうか。人生の余白として与えられた歩みを速めてみても目指すべき到達点はまだ先かも知れないとのつぶやきである。
 そして掲句に戻ると、俳人として常に原稿書きに追いかけられている身にとって今日も急ぎの原稿を書き上げて郵便局に赴いている。それも老境における一つの踏青である。ここに忙しい雑誌発行の中にも束の間の安らぎが見える。

  夜桜に舌あり津波語り出す       高野ムツオ
                          (『俳句』七月号)

 東日本大震災を経験された高野氏にとって震災テーマは常に持ち続けなければならない宿命であろう。
 桜は毎年私たちを和ませてくれる存在であるが、掲句では高野氏は桜が何かのメッセージを持っていると考えているのである。夜桜見物の折であろうか、桜がかつて経験した阿修羅のごとき津波のことを語り出したのである。その理由は「舌」というきわめて即物的な存在を持ち出したからである。これは次に続く〈百千鳥百千の舌の炎立て〉にあるように津波の記憶は桜にも百千鳥にも宿して、人間に代わって語っているのである。

   ひらきつつ牡丹は淡き影重ね      田島 和生
   白牡丹内へ内へと紅を足し         〃

                           (「雉」六月号)

 牡丹といえばすぐ細見綾子が思い出される。〈牡丹にものいふごとき七日かな〉に代表されるように綾子は牡丹と一体に生活している時間軸で詠んで来た。
 一方、今月の田島氏の牡丹はあくまで即物的に捉えた句が多い。掲出の二句は牡丹の生態を深く凝視している。
 「牡丹の影のうつろい」あるいは「白牡丹の蕊の中に紅を増やしていること」などの把握は物に執着した結果である。「ひらきつつ」あるいは「内へ内へと」の写生の中から「淡き影」「紅を足す」の発見につながっていく描写は先師である林徹の物を見る目を受け継いでいるのではないか。

   蝙蝠の燕返しは小刻みに        若原 康行
                      (「樹」六月号)

「樹」は今年創刊二十周年を迎えた。これに際して若原氏は「俳句を新しくするためには新しい素材と新しい取合せに挑戦し続けていくことが重要である。」と自戒をこめて意気込みを述べている。
 掲句は蝙蝠のみを即物具象的に描写している。見たところ、蝙蝠は燕のように飛翔しているが、蝙蝠の持っているレーダー機能により、燕のようなゆったりさとは違った切り返しが細かい飛翔と見ている。それを「小刻みに」と表現して、蝙蝠の生態を的確に捉えた句となった。

   人筏流れし川ぞ花筏          飯野 幸雄
                     (『俳壇』七月号)

 広島生まれの飯野氏にとってこの「川」は元安川であろうか。作者はいつも原爆テーマを詠み続ける覚悟でいるという。「花筏」を見つつも作者の脳裏には水を求めて川に飛び込んだ無数の被爆者がフラッシュバックとして離れないのである。「人筏」という造語のインパクトから原爆投下時の被爆川の惨状を訴える強いメッセージとなっている。

   山椒魚濁世見る眼を授からず      野中 亮介
                    (『俳壇』七月号)

 筆者は自然界のオオサンショウウオを見、触れたこともあるが、その小さな眼には愛着が湧く。
 掲句の山椒魚には「濁世を見る眼」を持っていないと判断したのである。この濁世は人間の汚れであり、争いに満ちた現代社会である。水底にじっとしている主のような山椒魚には濁世に関わりさせたくないとの思いである。
 山椒魚を絶滅危惧種に追いやったのは環境破壊をし続けている人間であり、主とも言うべき山椒魚には無縁であることを「授からず」というフレーズで表現した。

 上り梁組むや古簀を焚きながら      後藤 和朗
                         (『俳句四季』七月号)

 「上り梁」とは春に遡上してくる鮎などを仕掛ける簗である。この川には秋の下り簗とともに上り梁があるのだろう。
 そしてこの句には春が来た喜びがあり、鮎の遡上には生き物の循環につながる生態が見えてくる。このような循環を背景に人間のいとなみの一つとして「上り梁を組む」ことに代表させている。そして「古簀」を昨年の下り簗から上り梁へ循環させる仲介として扱い、これを「焚きながら」と詠んだのである。

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  現代俳句評(「伊吹嶺」8月号)

退院は春満月の時きまり        大坪 景章
  臘梅を見て目薬の冷たさよ       内海 良太

                           (「万象」五月号)

 「万象」名誉主宰の大坪景章氏が亡くなられた。九十三歳であった。大坪氏は長年「風」誌の編集に携われ、「万象」では主宰として結社をまとめられてきた。この「万象」五月号に掲載された七句はいずれも入院生活を坦々と詠まれている。掲句の退院を楽しみにして詠んだ「春満月」はいわば月に包まれて安らぎたいという意思の表れであろうか。その矢先の無念である。            合掌

 内海氏の句、「臘梅」が咲く頃の微妙な季節感の捉え方に惹かれた。臘梅の香りと彩りはいち早くモノトーンの冬に春を感じさせる。そんな時期に使う目薬の冷たい感覚から、冬でもない春でもない皮膚感覚を感じとった取り合わせが見事である。

 

 本棄てて死仕度めく鳥曇        辻 恵美子
                            (『俳壇』六月号)

 作者は最近転居されたという。引っ越し整理に膨大に溜まった本の始末は大変である。ただ本を棄てる行為はある種痛みの伴うものである。その痛みは断捨離を行うことに対する後ろめたさであり、それが「死仕度」しているような思いにつながっている。「鳥曇」のもの憂い季節に口を突いて出た「死支度」がせつなくも諧謔に富んでいると解釈した。

 

  緑蔭の谷は断層破砕帯        尾池 和夫
                      (『俳句』六月号)

 相変わらず日本列島は地震が多発している。地震学者でもある尾池氏は「氷室」主宰となられてますます多忙をきわめているようである。
 掲句は地震学者らしい切り口である。地質調査の折であろうか、「断層破砕帯」が思わず出たフレーズである。断層と破砕帯に違いは「断層運動によって地層が粉々に砕かれた部分が破砕帯」とあるが、掲句はこのような破砕帯のある断層であっても、その地上は緑蔭に覆われている安らぎの場所となっている現実を詠んでいる。このような楽園とも言うべき緑蔭と地震の危険地の取り合わせを対比しつつも、眼前の緑蔭にひたりたい気持ちが見えてくる。

 
  入れ食ひの鰺や原子炉温排水      南 うみを
                    (『俳句界』六月号)

筆者の近くの火力発電所には釣り場が設けられている。この温排水のおかげで絶好の漁場となっている。しかしこれが原発となると俄然話が変わってくる。実のところ私たちは原発の温排水における放射能の知識は持ち合わせていない。しかし掲句のような課題にどのような態度で向き合うかは、俳人それぞれの思い次第である。
 掲句は「原子炉温排水」と「入れ食ひ」の取り合わせがポイントである。「入れ食ひ」の表現には明らかに戸惑いを見ることが出来るし、作者の思案顔が見える。それは同時掲載の〈原発の入江にくらげもう湧いて〉の「もう湧いて」のフレーズにも同様な懐疑的な態度が見えるからである。

 

  藤棚へ眠り足らざる身を入れて    佐藤 博美
                      (『俳句』六月号)

 花の匂いが強い藤棚に入ることはある種の誘眠作用が働くのであろうか。掲句の中七の「眠り足らざる」がこの句のポイントである。日の斑が揺れつつ放つ中に身を入れることは日常性から離れた状況に入ることであろうか。そして睡眠不足であるかどうかが焦点でなく、我が身を眠りを誘う藤棚へ置きたくなる。そんな藤棚を詠んでいる。

 

  引き返すことはなかりし蜷の道     長島衣伊子
                       (『俳壇』六月号)

 季語には時にストーリーをふくらませるものがある。単なる「蜷」に擬人化的な「道」をつけることで季語の世界が広がる。掲句の「引き返すことはなかりし」が蜷の本質を突いた発想である。確かに蜷がたどったあとは前進ばかりである。この「道」の認識から詩情が生まれた。

 

雲海に波打際といふ奈落       杉本 光祥
                            (『俳句界』六月号)

 早朝の縦走の尾根に立った時の雲海は幻想的でもあり、感動を与える。雲海を見ると、確かに雲海の波にうねりを感じる。掲句はそのうねりの「波打際」の先は「奈落」であると認識したのである。雲海に奈落があることは、前述の「蜷の道」の句と同様に一つの発想であり、「奈落」の言葉の選択が感動となった。

 

  落花浴び一枚の田を持て余す      丹羽 康碩
                        (『俳句』六月号)

 作者の持っているささやかな田は父から継いだものとある。たった一枚の田とは言え引き継ぐことに意義があるが、如何せん経験のなさがのしかかってくる。「持て余す」にはそんな気持ちが重しになっている。一方、「落花浴び」には自然への賛歌が込められており、重しの気持ちの中にありながら作者は安らぎを感じているのである。


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   現代俳句評

   水いろの名刺の函に桜貝        河原地英武
                         (『俳句』五月号)

   桜貝足して小瓶の中満たす       柴田多鶴子
                          (『俳句四季』五月号)

 総合誌から「桜貝」の句を二つほど抜いてみた。一句目は私どもの主宰の句である。筆者もサラリーマン時代、名刺を使う量が激しかった。その時使い終わった名刺入れの函はどうしていたのだろうか。掲句では桜貝を入れたのだという。しかもその函の色は「水いろ」と来ているからあたかも桜貝が海に入っているようだ。句意は平明だがエレガントでスマートに出来上がった。

 柴田氏の「小瓶」は取りためた桜貝を少しずつ入れるには格好の容器で、この小瓶は書棚か玄関に置くことにより日常的なものとなる。

 両句とも桜貝の容器としてふさわしく、桜貝の居場所が的確に収まっている。その平明さから想像が膨らんでいく。

 

 心音の響き閉ぢこめ滝凍つる      上田日差子 
                          (「ランブル」四月号)

 滝が凍結するということは普段の滝からすっかり様相を変えることである。普段の滝が落下するときの響きを「心音」と捉えたのである。そして凍結することにより「心音」をすっかり閉じ込めて眠りにつかせたのである。凍て滝の一面を鋭く切り取った句である。ちなみに〈滝凍てて全山音を失へり 栗田やすし〉も滝音に着目して、音を消した同様な捉え方である。
 ところで上田氏が執筆した『ちきゅうにやさしいことば』の本を開くと、季語と環境問題を小学生にも分かるように書かれている。子ども達に気軽に環境に関心を持って貰い、さらに俳句に触れて貰う好著である。

 

  落椿音無き海の音に触れ        千田 一路
                       (『俳句四季』五月号)

 掲句、海辺に咲いている椿であろうか。椿が散るときは花ごと落ちるが、作者はその様は何かのきっかけが必要であろうと思いやっている。それは怒濤のような海の音でなく、静まりかえった鏡のような海にも聞こえるはずのない音に触発されて椿が落ちたと認識したのである。「音無き海」「音に触れ」のリフレインも効果的である。

 

  風光る水の窪みのつぎつぎと      檜山 哲彦
                   (「りいの」四月号)

掲句は川でも池でもよいが、「風光る」頃は生命の躍動を感じ始める時期である。そのような時期の水面の様々な動きのうち、水が窪むような事象に水の生命を見たのである。まさに春になると、水は生き物として躍動するのである。

 

鼓膜より津波の奔る三月忌       飯田 史朗
                            (『俳句』五月号)

 東日本大震災後、今年で七年目にあたるが、今なおあの時の光景がトラウマとなって思い出されることもあろう。

 掲句の津波はもはや現実のものでなく、記憶の世界にある。しかし聴覚の世界ではまだ現実の世界として存在している。「鼓膜より」の切り取り方から聴覚のトラウマを身近なものとして表現した。
 ところでこの震災忌をどのような季語で詠むかは作者次第であるが、「三月忌」と表現したのは新しい捉え方である。

 

  おぼろ月湖に一滴こぼしけり      加山 紀夫
                    (『俳壇』五月号)

 静寂に満ちた映像が印象的である。この句の眼目は「一滴こぼしけり」である。一滴というと、雫のようなものを連想するが、湖に映っている「おぼろ月」そのもののだろう。さらに滲んだように見えることから朦朧とした月の欠片を湖にこぼしたように見えたのである。それとも月の涙と認識したのかもしれないなど童謡的なイメージへと膨らんでいく。

 

  叩かれて飼ひならされて野火進む    三原 白鴉
                    (『俳壇』五月号)

 野焼きは栄養分を土に還元させる意味で重要な作業である。掲句は広大な草原の野焼きのようであるが、「野火」は一度点火すると、生き物のように走り出す。さらに掲句は「叩かれて飼ひならされて」とあるように人間の意思に従って野火は進んでいるのである。この表現で野火が生き物として扱われている習性を詠んだのである。

 

  消しゴムで作る空白夜の蛙       伊藤 晴子
                   (『俳句界』五月号)

 「消しゴム」というこんなにも些細な物に詩情を求めたことに共感を得た。作者は深夜、鉛筆書きで原稿を、しかも四百字詰の原稿用紙に書いているのであろう。書いては消す作業を行って、原稿が完成していく。その原稿を改めて見ると消しゴミで消したマス目がぽっかりと空く。「空白」が出来たことが詩となったのである。
 パソコンを頼りに何度も打ち直したり、順序を入れ替えて原稿を書くことに慣れてしまっている筆者には味わえない世界である。

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  現代俳句評 (「伊吹嶺」6月号)

涅槃図のどこかに津波来てないか    白濱 一羊
                     (『俳句界』四月号)

 自選句三十句のうちの巻頭句。作者は東日本大震災後に認知症が進んだ父上を亡くされている。いわば震災関連死である。今なお東北にとって震災は現在進行形で被災されているのである。
 掲句、涅槃図の中に津波が襲ってきていないかと詠まざるを得なかったことに共感したい。あらゆる動物が釈迦の入滅を嘆き悲しんでいるのが「涅槃図」の趣旨であるが、それだけでなく東北いや日本中が悲しんでいるさまがこの涅槃図に描かれているのではないかと慮っているのである。

  つばめ来る昔からこのレコード屋    辻田 克巳
                      (『俳句四季』四月号)
  冴返るLP古き傷拾ひ         行方 克巳
                  (『俳句』四月号)

 昔懐かしいレコードの句に出会ったら、たまたま同じ「克巳」氏であった。辻田氏の句、今でもこのようなレコード屋があるのだろう。「つばめ来る」と「昔から」のレコード屋から過疎になりつつも、毎年燕がやって来る町で頑固にレコード屋を守っている店主が浮かぶ。このようなレコード屋を訪れて廃盤に近い巨匠の交響曲を買いたくなる。

 そして行方氏の句は私の思いを遂げるように、LPからは聞き覚えのある雑音を聴くことも出来る。その「古き傷」に青春時代の思い出もよみがえってくる。「冴返る」の季語にLPのやや固い音源が連想され、傷のある雑音もアナログならではの味わいである。

 
  のりしろの如き自在さ春袷      小野 寿子
                   (「薫風」三月号)

 この三月号が「薫風」四百号にあたる。そして嬉しいことに「薫風」創刊号(昭和五十九年四月)が合本されている。主宰であった加藤憲曠氏は創刊号で「国民の一人として風土を愛し」とあるように加藤氏の風土に根ざした俳誌作りが続けられてきたのであろう。創刊号の句に、

  沼波に山の居座る二月かな      加藤 憲曠

があるが、この句に映っている山は、神が居座っている山であり、ここに風土を愛した心意気がうかがえた。
 そして掲句に戻って、小野氏はどこへ出かけるときも和服で通しているのだろう。「春袷」が着慣れたものであり、その「自在さ」が「のりしろ」と言い止めたところに小野氏の自由闊達な生活ぶりがうかがえる。

 

  地下街は灯の海十二月八日      柏原 眠雨
                   (「きたごち」三月号)

季語として「三月十一日」もそうであるし、「十二月八日」を詠み込む場合、破調であっても全体が十七音に収まればよいという訳ではない。いかに定型感に収めるかが評価の分かれ目である。掲句は、リズム的にもしっかりと定型感に収まっており、読み易い。そしてこのような忌日を詠み込むには、作者の体験と季語の取り合わせが異色であってもフィット感が必要である。この句は開戦日のイメージに対して、「灯の海」のイメージが劫火にも見える「十二月八日」にふさわしい取り合わせとなり違和感がない。

 

  逃水を追ひてこの世をはみ出しぬ   須賀 一惠
                    (『俳句』四月号)

 今年の俳人協会賞の受賞第一作よりタイトルの一句。逃水と言うと、『散木奇歌集』に収められているのが有名であるが、現代では英語の「road mirage」というようにアスファルト道路で見える現象になじみがある。逃水を追いかけてもいつまでも追いつけない不思議な現象はこの世とも思えない世界が想定される。作者は逃水を追いかける先はもはや現世ではなく、来世と見ているのである。「この世をはみ出しぬ」は作者自身が来世にはみ出すという一種の諦観というより諧謔的な味わいも含んでいると解釈した。

 

  寒灯やオラショ唱へし隠れ部屋     河原地英武
                   (『俳壇』四月号)

 天草吟行の一句。「オラショ」「隠れ部屋」とあれば隠れキリシタンの部屋のことであり、句意は明瞭である。ただそれだけでなく、「寒灯」と中七以降の重苦しさにコメントする必要がありそうだ。この季語から隠れ部屋は実に暗く、見通すことの出来ない部屋には今なお「オラショ」が聞こえていると実感し、「寒灯」に触発された暗さから現実離れしているような情景が展開されている。

 

春ショール踊り場に息整へて     矢野 孝子
                      (『俳句』四月号)

 掲句の「踊り場」とは何であろうか。一般的には階段の踊り場が想像される。そうすると作者は踊り場で一旦息を付いている何となくせつない生活の一齣である。しかしそれでは「春ショール」の必然性が見えない。「春ショール」の明るさからこの踊り場は人生の踊り場であり、曲がり角なのである。その春ショールを巻いてやおら人生の踊り場から、少し気持ちを整えてまた歩き始めるのである。そんな意気込みを「春ショール」から読み取った。


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     現代俳句評(「伊吹嶺」5月号)

  押し上ぐる力もありて瀧凍つる   今瀬 一博
                       (『俳句界』二月号)

 凍てつくを拒みて迅し冬の滝    山崎ひさを
                       (「青山」二月号)

 冬の滝を真逆に捉えた二句に注目した。冬の滝を詠むときは全面凍結に感動の触手が伸びる。一句目、全面凍結した瀧は流れが止まる感覚よりは逆に瀧が流れを押し上げる力を持っていることに着目したのが新鮮である。
 一方、二句目は「冬の滝」の意思が強く出ている句である。「凍つるも」「拒みて」「迅し」と動詞のたたみかけにより映像化された写生力が強い。さらに決して凍結したくない意思として「迅し」が的確である。
 二句とも滝だけを動詞で写生したのが特徴である。

   棺出づ山茶花垣の万蕾に      福山 良子
                         (「山繭」二月号)

 「山繭」同人北村保氏が昨年十一月十二日にわずか六十五歳で逝去された。頸椎骨折の重度の障害でありながら、角川俳句賞を受賞されたことに敬服していた。奇しくも北村氏の最後の発表句は逝去二ヶ月前の

  棺にはこの白菊を入れてほし 北村保 

で、自ら予感していたような一句であるが、ここにはご自身の覚悟も見えているようだ。

 そして「山繭」同人の福山氏の弔句を抜いてみた。出棺の際に見た山茶花の「万蕾」に込められた思いは、これから旅立つときの先は希望に満ちてほしいとの応援歌でありながら、まだ蕾であることに深い哀しみが込められていると解釈した。

   風邪五日世を遠くせし寧ぎに     徳田千鶴子
                      (「馬醉木」二月号)

 風邪はどんな症状であれ、うっとしいものである。掲句は風邪を前向きに捉えている。この句の眼目は中七で、風邪で寝込んでいる間のことを「世を遠くせし」と、社会から隔絶して、何もしなくてもよい自分を客観的に見ている精神状態がまさに寧ぎの五日間なのである。

   子の放る柚子や柚子湯に着水す    相子 智恵
  下着ごとセーター脱がす万歳させ     〃

                   (『俳壇』三月号)

実に健康的な句である。しかもそれぞれの表現がユニークで健康親子を後押ししている。
 一句目、子どもが風呂で遊んでいる様子を「柚子を柚子湯に着水」させる場面の切り取りが臨場感に溢れている。
 また二句目の「下着ごとセーター脱がす」も親子共同の演技が目に浮かぶようである。健康的な句とは、このような親子の信頼のつながりに基づいて築かれるものである。

   青き踏むときをり死後のこと思ひ    遠藤若狭男
                   (『俳句界』三月号)

 死後のことを思うときは何歳頃だろうか、どんな時だろうか。また死のことだろうか、死後のことを思うのだろうか。今私たちは超高齢化社会を迎えるにあたって死後のことは避けて通れないものの触れたくない気持ちもある。
 掲句はこのような疑問の手助けになるだろうか。作者は春野を散歩しているとき、たまたま死後のことが頭に浮かんだ。この句のポイントは「ときをり」というフレーズで、それは作者が不意に思いついただけで読者はその中味まで踏み込むことは出来ない。いつ、どこで、どんな死後のことを思うかは結論の出ない問題である。

   綿虫の群れてかすかな意思のあり   村上喜代子
                   (「いには」二月号)

 綿虫はもともと熱に弱く手に触れるとたちまち壊れてしまう。そんなはかなさを詠むこともあるが、掲句は綿虫を対等の物として見ている。最初、作者は綿虫が群れているのをいぶかしく思っていたのである。しかし綿虫が群れているのは意思を持っているからと結論づけた。つまり綿虫の命ははかないものではなく、対等に伍していると認識したのである。但しあくまで「かすかな意思」であることにある程度ははかなさも兼ね備えている意思である。

 待春や桑の榾焚くあをけむり     下里美恵子
                    (『俳句』三月号)

 掲句に添えられている短文から作者は関東平野のどん詰まりの佐野市出身である。掲句は「待春」の掉尾の句。
 故郷へ帰って思うことは昔懐かしい景色に出会えるかどうかである。その一つとして桑畑があり、その桑の榾を焚きつつ青い煙を見ているとき、子どもの頃を走馬燈のように駆け巡るその回顧が次なる待春の思いにつながっていく。

   夕映や寒菊にある温かさ       中川 幸子
                     (『俳句』三月号)

 掲載されている七句はいずれも平明である。一般に平明であっても平凡な句は感銘を与えない。掲句は夕日に照らされている寒菊を見ているかすかな色の移ろいに作者には温かさを感じ、見た色から触発された皮膚感覚を詠んだのである。即ち平明の中に余韻を持っている句に読者は共感する。

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     現代俳句評(「伊吹嶺」4月号)

  電飾の街青々と寒々と        片山由美子
                        (『俳句』二月号)

 今や年末の風物詩と言ってもよいくらい街中に電飾が溢れている。しかも三色のLEDのうち最後に発明された青色ダイオードの量産化により一気にクリアな青色が目立つようになった。ただこの青色をクリアと見るか、寒いと感じるかは背景によって異なる。この「寒々」には都会の無機質が見え、人間の存在はあまり見えない。これが文明批評にもつながっていると解釈した。作者が見る目の冷静さは次の句である〈凍つる夜の一人に開くエレベーター〉からも読み取ることが出来る。

  向日葵の髙咲きモーセ立つ如し     岡崎 光魚
                          (「年輪」一月号)

 前「年輪」代表の岡崎光魚氏は去る十二月十六日に逝去された。哀悼の意を表したい。
 掲句、「向日葵」と「モーセ」の取り合わせにユニークな視点を感じた。ただこの「髙咲き」から向日葵を単数と見るか複数と見るかによって解釈が異なってくる。この一月号に掲載されている「向日葵五句」を読むと、自宅の庭の向日葵を詠んでいるようである。そうするとこの「向日葵」は一本であり、あたかもモーセが立っているような畏怖と憧憬の念を見ることが出来る。

 一方向日葵を複数と解釈すると俄然情景が広がってくる。広々とした向日葵畑が想像され、そこにモーセが登場すれば『出エジプト記』にある紅海が割れる情景を重ね合わせることが出来る。まさに眼前に群れ咲いている向日葵の海に向かってモーセが両手を上げて立っているのである。作者はそういう自由な視点に遊んでいる。

   日に混じる雪だんだんと日の消えて   加藤かな文
                         (「家」一月号)
  裸木が鳥の木にすぐ裸木に       加藤かな文
                         (『俳句』二月号)

 掲句のような視点は加藤氏の独特なものであろう。同じような視点の句を二句並べてみた。
 一句目、「日」の重ね言葉からその「日」の時間経過を詠んでいると見た。日に照らされた「雪」は輝いている。しかし時間が移ろうに従い、雪には日の輝きが消えていく。雪を通して日のあるべき存在感を詠んでいる。
 二句目、やはり「裸木」の重ね言葉からその「裸木」の一瞬の時間の経緯を捉えている。最初見た「裸木」に鳥が止まれば「鳥の木」となり、飛び立てば再び「裸木」に戻ったのである。「だんだんと」「すぐ」の時間経緯のフレーズと「日」「裸木」の重ね言葉がそれぞれの存在感をクローズアップさせている。

   窯守の眼鎮むる遠枯野        能村 研三
                     (「沖」一月号)

窯焚きは火入れから始まって、焚き上げ、攻め焚きと気の抜けない作業が続く。釜口を離れることは出来ないし、眼を酷使する。掲句、窯守の休憩はわずか窯から視線を逸らして、眼を鎮める方法として遠くにある「枯野」を見るだけである。荒涼とした風景であるが、その荒涼さが唯一窯守を慰めるもので、窯守にはそれで十分なのである。 

 猪垣の中にてお茶も弁当も      渡辺 純枝
                  (『俳句四季』二月号)

 現在、里山の荒廃は深刻化している。その原因は高齢化による里山維持の担い手の減少であり、田んぼの減少である。そこには山に生息している動物と人間が居住している里山の境界がなくなりつつある。
 掲句はその里山の荒廃を日常生活から見ている。今や人間が耕す田や畑は猪垣という人工物で動物と人間の交流を絶って、人間はその猪垣に閉じ込められている。「お茶も弁当も」にはその現状を坦々と詠みながら、人間が動物と折り合いをつけるべく生活している現場からの報告である。 

  手のひらに闇を転がす風の盆      平野 透
                  (『俳句界』二月号)

 すっかり観光化された風の盆を詠むにはこれまでの類型化を避ける必要がある。掲句の眼目は、「闇を転がす」である。風の盆では踊り手は皆無口であるので、胡弓、三味線に合わせて表現するのは「手のひら」が一番物語る。その手のひらの動きに着目して、「闇を転がす」のフレーズを発見したのが最も類型を脱した「風の盆」の特徴となった。 

春の土よりイーゼルの脚を抜く    馬場 公江
                    (『俳壇』二月号)

 春の訪れを感じるものは様々である。どれを詠んでも春の断片としてふさわしいものの、その選択が課題であり、意外性と感動が必要となる。掲句で「土」に春を感じたきっかけは「イーゼル」である。ある日、春を感じさせる風景をスケッチしていたが、イーゼルを抜いたときの感触が思いのほか、軽かったのは「土」に春が兆していたからである。作者が絵に描いたものは「土」以外の物であったが、俳句において「土」を描いたのである。何でもない「脚を抜く」に春が来た感動を詠んでいる。


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     現代俳句評(「伊吹嶺」3月号)

秋日濃し遠き人ほどうつくしく     櫂 未知子
                            (「群青」十二月号)

 櫂氏は昨年十七年ぶりに句集『カムイ』を上梓され、話題になっている。この句集では特に「遺品」の章が圧巻である。その中で「一瞬にしてみな遺品雲の峰」の句は母上を亡くしたときの句であるが、東日本大震災を詠んだと解釈出来る普遍性を持った句と見ることも出来る。さらに筆者はこの章の次の句に着目した。

  なほ母をうしなひつづけ霧ぶすま    櫂 未知子

 櫂氏がよく使っている比喩や抽象と具象を織り交ぜた知的な句にも興味を持つが、この句は母親を真正面に見て詠んでいる。亡くなった母が今なお現在進行形で〈うしなひつづけ〉と詠まざるを得ないのは、母親の記憶が一つずつ剥がれ落ち続け、「霧ぶすま」に消えつつあるのは、母親を完全に失いたくないとでも解釈するのであろうか。

 掲句に戻って、この句は鴨川吟行の実景であろうか。〈遠き人ほどうつくしく〉とは「夜目遠目」の類いかも知れないが、むしろこの句も普遍性を持たせ、心象的に遠くなった人のことを思い続けることにより、美しさを保つと解釈すると俄然輝いて来る。もしかしたら〈遠き人〉は亡くなった母親かと思わせるような詠みぶりも伝わってくる。

  激戦の丘トーチカに瑠璃蜥蜴     栗田やすし
  夾竹桃茂りて米軍基地隠す        〃

                  (『WEP俳句通信』101号)

 一句目の「トーチカ」は沖縄・宜野湾市の嘉数高台公園であろう。ここでの沖縄戦では日本、アメリカを合わせて数千の兵士が命を落としたという。その日本軍の防衛拠点であったトーチカが今も残っている。そこで作者が見た瑠璃蜥蜴は、当時の兵士がトーチカに立て籠もって闘っているイメージを重ね合わせて詠んだのである。
 二句目は静かな反戦の意思を見せている。基地の境界に咲いている夾竹桃の毒々しいまでの美しさが、沖縄市民を苦しめている米軍基の実態を隠していることに怒りを持って詠んだのである。

   現し世は斜陽を告げて秋の蟬     鍵和田秞子
                  (『俳句あるふぁ』十二・一月号)

  雪吊の松のはみ出す余生かな     鍵和田秞子
               (『俳句』一月号)

 一句目は、「秋の蟬」の実態を把握したのであろうか。声がか細くなってきた秋の蟬の命が終わりに近くなってきたことを慮っているのである。とここまで解釈してみたが、再考してみると「秋の蟬」は作者自身の象徴として置き換えると解釈が違ってくる。作者は自分の人生が残り少ないと感じつつあるが、ただ「斜陽」を落ちぶれるという意味でなく、本来の夕日の意味として考えると、老いという人生の中に今なお輝きを持ち続けたいとの覚悟の句であると解釈した。
 そしてそれは二句目につながる。ここにある〈雪吊の松〉も同様に作者自身の象徴であり、上五、中七から世間の律儀さから少々枠をはみ出て、気ままな余生を過ごしたいとのつぶやきと鑑賞した。

  星新た山々に灯のあらざれど    茨木 和生
                 (『俳句』一月号)

 昨今の都会ではろくに星を見ることが出来ない。いかに無駄な光が日本いや世界中の夜を明るくしているかは、NASAによる夜の地球写真を見れば分かる。
 ただこの句は都会から離れた山奥の満天の星を詠んでいる。下五の〈あらざれど〉の否定形が上五に還っていく。このように山奥ではあたかも星が次々と生まれるように、見渡す限りの星が見えてくる。このような光害のない夜空を詠みたいものである。

   秋風の芯の原爆ドームなり      今瀬 剛一
                   (「対岸」十二月号)

 この句は〈芯〉を詠み込んだ意図を解く必要がありそうだ。〈秋風の芯〉か〈芯の原爆ドーム〉かどちらも掛かりそうである。視覚として見えるのは「原爆ドーム」だけである。その原爆ドームの中には秋風だけが吹いている空洞しか見えない。
 次にそこに吹いている「秋風」が芯のような強さを持っていると実感したのである。いわば秋風の芯が原爆ドームの存在を支えているのである。いつまでも残すべき原爆ドームは芯のような強い秋風がなくてはならない。

   あるところよりは自力で凧揚がる    石井いさお
                  (『俳句界』一月号)

 筆者も経験したことがある実感の句である。誰でも経験することであるが、凧揚げは揚がりきるまでが大変である。そしてある瞬間に凧が安定して、〈自力で〉揚がり続けるのである。それは凧の糸が指に伝わって来る引く力に凧の意思が見える。あとは凧任せである。
 掲句の眼目は〈あるところよりは〉である。この瞬間は、丁度鳥を育てるように、揚げ始めに一生懸命凧を育てていたところが、いきなり自力で飛び立つ巣立鳥のようでもある。

 

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    中川幸子句集『星月夜』を読んで

       母への思い

 この度の第二句集『星月夜』の上梓おめでとうございます。この句集については句稿起こしからお手伝いさせていただきました。句集は全体に静謐で、シンプルでありながら一点に絞った対象物を詠まれており、その単純さが私たちに心を打つものがあります。とりわけ句集の題名にもなった一連の母上を詠まれた句に惹かれました。
 ここでは次の二句を抜いて見ていきたいと思います。
  逝く母に唱歌うたへり夏の暁     中川幸子
  能面に母の悲しみ冬桜            〃

 一句目、母上が亡くなった通夜の句で、通夜の朝まで母上に付き添った時、昔一緒に歌っていた唱歌を歌うことを母上との別れとした気持ちに感動を覚えます。
 二句目、句集で一番感動した句です。美術館展示の能面に母上の面影を見たのでしょう。その愁いを湛えた能面を普遍的な母の悲しみまで昇華して、詠んだことに中川さんの母への思いに触れた感じがしました。

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  現代俳句評(「伊吹嶺」2月号)

激戦の丘黒々と蟻の列      栗田やすし
    熊蟬や碑裏崖なす自決の地      〃

                            (『俳句界』十二月号)

 栗田やすし先生(師であるため先生と呼ばせて頂く)は昨年九月に沖縄・座間味島へ戦跡を訪ねられた。 座間味島は沖縄戦で最初に米軍が上陸した第一歩となった島で、そこには悲惨な戦場と自決が忘れられない歴史として残っている。
 栗田先生はこの島を訪ねて、「座間味島・三十句」を発表している。その中から二句を抽出してみる。

一句目、蟻の列を見て、〈黒々と〉列を作っている蟻は爆撃を受けた住民でもあるし、集団自決のため忠魂碑へ列なして集合した住民でもあったと思われたのである。
 二句目、かっては忠魂碑と呼ばれていた平和の塔に立って、その碑裏の断崖で見たのは何であろうか。そこには自決した住民の叫びを熊蟬の声に重ねたのであろうか。
 この二句に象徴されているように、「蟻の列」「熊蟬」をそれぞれ自決した住民と重ね合わせることが出来、この三十句はいずれも自決の島に対する鎮魂の思いに満ちている。

   寒牡丹真くれなゐなる奈落かな    角谷 昌子
                            (『俳句』十二月号)

 寒牡丹は夏の牡丹ほど華やかでないものの花の少ない冬にあって貴重な彩りである。藁苞に収められた花びらのちぢれを見ていると、吸い込まれそうになる。その感覚から花芯の先は真暗闇の奈落であると認識したのである。深紅の色は暗闇の色に通じるものがある。

   ラスク食むかかる秋思は何処よりぞ  中村与謝男
                    (『俳句』十二月号)

 秋らしさを感じるきっかけは何でもあり得る。ラスクはパンを好みの味に二度焼きしたもので、その歯ごたえから作者は、青春につながる秋思を感じたのである。同じ下五で詠まれている楸邨の「白地着てこの郷愁の何処よりか」と比較して見ると、同じような感慨を詠んでいても、楸邨には夏でありながら屈折した愁いを含んでいるのに対して、掲句は秋でありながら明るい愁いを感じる。それは洋菓子の「ラスク」の効果である。

 秋の声鉄路に過去と未来あり    大串 章
                  (「百鳥」十一月号)

 「秋の声」はよく詠まれ、季語の人気ランキングでも相当高いのではないか。秋のさまざまな物音でもよいし、心耳で捉えた秋の気配でもよい。掲句は後者の秋の声であろう。人の一生という大げさでなくても過去、現在、未来に繋がってくるものとして〈線路〉を喩えて詠んでいる。そして〈線路〉の硬質で現実的な物から一転して〈過去と未来あり〉の心象に飛躍させて、来し方行く末に発想を広げている。万葉集で言う「寄物(沈思)」から「(正述)心緒」、即ち現実の即物から心象の抽象への橋渡しとして〈鉄路〉が使われているのである。

  わが水晶体こなごなに日の盛     星野 恒彦
                    (「貂」十二月号)

 前書きに「白内障手術へ」とある。目を酷使するストレスに満ちた現代において、白内障は四十代に始まって八十代ではほとんどが罹症するという。誰もが経験する白内障を俳句に詠むとは知らなかった。作者が人工レンズに置き換わる前の水晶体を〈こなごなに〉と発想したことに共感し、〈日の盛〉の強い日差しがそれを補強している。〈わが水晶体〉の破調表現が異色な題材を引き立てている。

   秋風や木馬の芯に強き発条     桑原三郎     
                (『俳句』十二月号)

 言われてみると確かにそのとおりである。今まで木馬を見てもその足元を見たことはないが、確かに芯と呼ぶと納得する。そしてそれはばねで支えられている。このばねの強さが木馬を上下させているが、「秋風」から夏の宴が終わり、誰も乗っていない木馬が見えてくる。その哀感は〈強き発条〉とは真逆でありながら説得力を持っている。〈秋風〉の効果である。映画の『回転木馬』のエンディングのあとに残された木馬の静けさも感じた。

  ファックスの唸りて届く秋燈下    谷中 隆子
                 (『俳句四季』十二月号)
  コピーしてゆがむ音符も師走かな   津髙里永子
                 (『俳壇』十二月号)

 高度なOA機器ほどではないが、ファックス、コピー機はすっかり生活の市民権を得ている。これら日常的で季感のない題材に如何に季節感を持たせるかが課題である。
 一句目、秋の静かな夜に勝手に唸り出すことは不気味であるが、当たり前のこととして受け入れているのは、〈秋燈下〉の穏やかな季語の役割である。
 二句目、ガラス面に音符をしっかり当ててコピーすることは絶対であるが、「師走」のせわしない季語に対比して、象徴するものとして、音符のゆがみを登場させたのである。事実としても音符のゆがみは切迫感をかき立てるものにつながり、季語の選択は適切である。


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光害(環境と俳句1月号)

  天の川柱のごとく見て眠る   沢木欣一
  九頭龍の洗ふ空なる天の川   細見綾子

 いずれも星がよく見えた戦前の句である。沢木先生の句は、柱が立つように見えたところが眼目で、それは現実に見た天の川の実感であったと思う。また細見先生の句は、「夜の九頭龍は空をも洗い、銀河のまたたきが分かるほどだった」と呟かれたのも実感であろう。
 近年、天の川どころでなく、一等星、二等星ぐらいしか見えなくなってきているのが現実である。
 これらの原因はほとんどが光害によるものである。一般的な「公害」と区別して「光(ひかり)害」と呼んでいる。このひかり害を定義すれば「過剰なまたは不要な光による公害のことである」とある。ひかり害の実感として最初にあげた天の川で言えば、世界の36%、日本の70%で、天の川を見ることが出来ないとしている。

 もう一つの実態として宇宙ステーションから送られてくる地球の夜景写真を見ると顕著である。この写真では日本列島がはっきりと写し出されている。そして世界中で日本が光害の「重要被疑国」と言われている。余談だが、北朝鮮の夜景は暗黒で、陸地と海との境界も見えない。(写真1)
           
 
 このようなひかり害を起こす原因には実に様々である。人口密集地域、工場、街灯、道路などの照明、ネオン、パチンコ店のサーチライトなどの無駄な光によるものである。果ては日本海などの烏賊釣り船の照明は宇宙からもよく見えるという。一番や分かり易い例で言うと、不適切な形態の街灯があげられる。例えば光源をただのガラス球で覆ったような街灯は光があらゆる方向に発せられるが、上の方向は全く無駄である。横方向の光はグレアとして運転者の目をくらませる原因となる。

 これらの原因に対して、ひかり害の影響は単に星が見えなくなるだけでなく、夜空が明るくなることから、天体観測に障害を及ぼしたり、生態系を混乱させたり、あるいはエネルギーの浪費の一因ともなっている。こうしたエネルギーの浪費が地球環境温暖化の直接要因ともなっている。

 私たちに身近な生態系への影響を考えると、まず地球の自転や公転によって作り出される昼と夜、日の長さに対応してきた動植物が照明によってリズムを崩されている。例えば夜に開花する花を受粉させる蛾の飛行能力を妨害しているとか、明るい街灯のそばで夜間も長時間光を浴びて続ける街路樹に紅葉遅れの異常が起こる。稲の場合、穂が出る一ヶ月前からの期間が重要で、このとき過剰な夜間照明によって出穂の遅れや稔実障害の発生が報告されている。

 他にエネルギー資源への影響は容易に考えられることで、過剰な照明使用や空に向けて光が漏れることなどのエネルギー浪費であり、国際エネルギー機関の2006年発表では、現状のまま不適切な照明が続けば、2030年には照明に使われる電力は80%増加するが、適切な照明利用を行えば、2030年でも現在と同等の消費電力に抑えることが出来るという。

では光害対策はどうかと言えば、環境省から「公害対策ガイドライン」(平成18年改訂)による指導、啓蒙行われている。
 屋外照明設備の不適切事例で前述したが、街灯の上方光束を遮って安全を保ちつつ、下方光束に限定した街灯構造にするだけで達成出来る。(写真2)
 また自治体事例では、岡山県美星町で「光害防止条例」制定により過剰な照明を制限している。そしてこの町は町名どおり「星降る里」として全国の天文ファンでは有名になっている。

 以上幅広い内容をかいつまんで説明したが、俳句を作る者にとってもひかり害に興味を持って、澄みきった星空を詠む楽しさを体験して欲しい。(「伊吹嶺」20181月号加筆)

 写真1:夜の世界地図(NASA提供)

写真2:光害対策例(「光害とは」照明学会)

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