俳句についての独り言(平成29年)

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 俳句を考える(オノマトペ) 29.12.1 
 定型とリズム 29.4.1 
句集『火酒』を読んで 29.3.1
栗田主宰第2句碑界隈 29.3.1


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  オノマトペ

 1.オノマトペとは

 オノマトペとはいわゆる擬態語、擬音語などを総称していいます。擬態語、擬音語を使った句は、これがうまくはまると常に効果的な句になります。ところが平凡なオノマトペを使うとつまらない俳句となり、言葉のダブりを引き起こします。

  () 「からからと笑う」「けたけたと笑う」、「にこにこと笑う」
    最初の二例が擬音、あとが擬態語。

 ・これまでのオノマトペの俳人の言葉

 オノマトペは日本語に動詞や形容詞が少ないところからそれを補う言葉として生まれた。言葉の未発達の時代から使われ出し、その発展の途上、漢詩や漢文からの転用、動詞や形容詞からの変化が加えられてきた。(加藤房子)

  日本語は形容詞や動詞の数が比較的少ない言葉であるから、オノマトペによって、具体的に様々な表現が出来、種々の場面や状況をより分かり易く表すことが出来ると言われている。相手に感覚的に説明する場合、オノマトペによって伝え易くなるのである。しかし使い古されたオノマトペは平板になる危険性がある。(浅井民子)

  ③オノマトペは数々の意味を伝えると言うよりも五感をひたすら刺激する役割を持つ。

  俳句が意味ではなく、情感を伝えるのが主であるとすればオノマトペはそれに叶った言葉である。しかし説明せずに人の感覚に直接訴えるやり方はともすると一意的で平板な表現を生みやすい。(瀧澤和治)

  ④オノマトペは何より音感、リズムがよい。時には本来の意味を超えて読者の胸にひびく。反面下手に用いると通俗的にもなる。(中村和宏)

 2オノマトペ使用の悪い例

 一例目
  竹の子がすくすく伸びて楽しかり

 「すくすく」はオノマトペの一つですが、「「すくすく」と伸びるのは当たり前。言葉がもったいない。一方、次の句はどうですか。

   バラの花きらきら光るほうせきだ(小3)
  つくしんぼにょきにょき伸びてせいくらべ(5歳)
  たんぽぽのわたふわふわのパラシュート(小3)

 いずれも子供の俳句だが、子供らしい感性で、平凡なオノマトペでも子供だから許される。むしろ子供は意識して使っているのはないだろう。ここから大人になった時、勉強すればよい。大人がこんなオノマトペを使ってはいけない。

  二例目

はるばると今年も飛来初燕
  うすづける廊下きしきし黴の宿
   さやさやと風移り行く谷若葉
  あをあをと八十八夜の鳰の海

  往々にして擬態語、擬音語を使うと言葉のダブりを引き起こします。①「はるばると」と言えば、「飛来」の意味が既に入っています。②「うすづける廊下」ですから「きしきしと」と鳴ります。③「さやさやと」言えば風を連想します。④鳰の海と言えば「あをあをと」が連想されます。それぞれ擬態語、擬音語がなくても意味は分かり、俳句を薄っぺらにしています。擬態語、擬音語の部分を他の物で写生すれば、もっと奥行きの深い句になると思います。

  三例目

よちよちと子の土手歩み水温む
   春光やどつしり座る鬼瓦

「よちよちと」は「歩く」につながりますし、「どつしり」は「座る」につながります。言わば「よちよちと」があれば、「歩く」は言わなくても分かりますし、「どつしり」があれば、「座る」は言わなくても分かります。言いかえれば擬態語と動詞がダブっています。前者の句は

水温む土手道を子がよちよちと

などともう少し実景を一考する必要がありますが、「歩く」は言わなくても分かります。後者の句は、

春の日に照る鬼瓦どつかりと

などと詠むことにより「座る」は要りません。直した句が必ずしも良い句とは限りませんが、擬態語と動詞のダブりは避けることが出来ます。

 
三.オノマトペの添削例

 句= かさこそと落葉ささやく裏参道

この句では「落葉」を写生するのに、「かさこそと」の擬態語、「ささやく」の擬人化が使われています。落葉の写生はどちらかにしないと、印象が分散します。
今回は「ささやく」を採用することにして、

添削例=裏参道ささやくやうに落葉降る

を考えてみました。「裏参道」は単なる「参道に」として中七に続ける方法もあります。

 原句= 除草機のぶんぶん唸る真昼時

この句は素直な写生でよく分かります。ただ「ぶんぶん」と「唸る」は同じことを言っていますね。「ぶんぶん」だけで分かりますし、「唸る」だけで「ぶんぶん」の意味がくみ取れます。
また「除草機」より「草刈機」の方が一般的と思いましたので、そのように直してみました。「真昼時」も一寸強い言い方ですので、合わせて軟らかい表現に考えたり、上下ひっくり返したりしてみました。

添削例=白昼に唸りづめなる草刈機

 四.私たちの師系での私の経験

①沢木欣一の例

私達は、沢木欣一から俳句の作句態度を「即物具象」と言って、物を具体的に見て、その物に即して、具体的に写生するという指導を受けてきました。
 私がその指導に従って俳句を作る時、初期は気の利いたオノマトペを思いついた時は、これは成功と思って投句した句はことごとく選から落とされました。と言うことで私が始めて句集を出した時は、オノマトペを使った句は一句もありません。今から思うと、オノマトペは写生を薄っぺらにしていると言うことを暗黙のうちに教えられたと思います。

 沢木欣一の句集にも全くと言ってよいほど、オノマトペの句はないと思います。

  ②細見綾子の例

 細見綾子の場合は、ごく初期とごく晩年に限ってオノマトペの句が見えます。細見綾子は夫の俳句精神は理解していましたが、自身は必ずしもそれに従った俳句を作ったわけではありません。それでもごく初期とごく晩年しか見られないのは興味深いものがあります。

   がらがらとあさりを洗ふ春の音   綾子
   吾亦紅ぽつんぽつんと気ままなる  綾子

 一句目、あさりを洗うのに「がらがら」は一見平凡だが、この句の眼目は「春の音」。音に季節を感じさせるため、あさりを洗う音は出すぎず、「がらがら」は適切。

 二句目、最晩年の句で、「ぽつんぽつん」は吾亦紅の有様そのままで、一見平凡だが、下五の「気ままなると」続けるので、特に工夫したオノマトペでなくもよく、「ぽつんぽつん」が素朴的である。

 五.オノマトペの名句

 一例目、

  へろへろとワンタンすするクリスマス   秋元不死男
  鳥わたるわたるこきこきこきと罐切れば  秋元不死男

 オノマトペ名手の不死男。一句目、「へろへろ」と啜るものが「ワンタン」であるのが想定内かも知れないが、後に続く「クリスマス」が意表を突いている。

 二句目、「こき」の三連続音が缶を切る動作とその時間経過が見て取れる。またこの「こきこきこき」が鳥の羽ばたきにも似ている。缶を切る音が鳥を飛ばすような童話的世界に通じる。当時、西東三鬼が秋元不死男を「こきこき亭京三」とあだ名を付けた。

  二例目、

  かりかりと蟷螂蜂の貌を食む   山口誓子
  たらたらと縁に滴るいなびかり  山口誓子

 一句目、実際にカマキリが蜂を食う時には音は聞こえない。その音を「かりかり」という即物的な音で表現したことが当時(昭和初期)鮮烈な印象を与えた。擬音とも言えない擬音で効果を出している。この観察眼は嗜虐的と言ったのは弟子の鳥井保和。

 二句目、この「たらたら」も擬音とも擬態とも言えないオノマトペ。あたかも水でない「いなびかり」が水のように滴っている表現に感心する。

  三例目、

  鷹翔てば畦しんしんとしたがへり   加藤楸邨
  しんしんと肺青きまで海の旅     篠原鳳作

 一句目、「しんしん」は「深深」とも「森森」とも読めるが、「奥深く静寂なさま」と理解してよいだろう。その時、無数の畦が静かに従っていると解釈するのがよいだろう。これも心因的な音であり、そんな雰囲気である。叙情性が濃いことが分かる。

 二句目、無季俳句でありながら、夏のイメージ。この「しんしん」とのオノマトペは聞こえるはずのない心臓の音が「しんしん」と拍っているようだ。肺の底まで海の青に染まっているような透きとおる印象を受ける。

 (以上、「伊吹嶺」2017年12月号掲載の「オノマトペ」の元原稿で大幅に加筆している。)

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    俳句を考える

定型とリズム               (「伊吹嶺」4月号より転載)

 昨年、俳人協会東海俳句大会での片山由美子氏の講演「字余り考」は興味深いものであった。要点は、俳句の575はすべて4分の4拍子に当てはめることが出来、字余りであっても定型に収まっていれば、4拍子で読むことが出来るというものである。

 この講演を振り返って,俳句の「定型とリズム」と音楽のリズムとの関連を片山氏からのサジェスチョンに従って私見も交えて、紹介してみたい。

 まず日本語の単位は2音が基本であると述べられた。
 私はこの原点の一つに秋元不死男の『俳句入門』(1971)における「日本語は1音と2音がリズムとなる。」の記述にあると思った。

 次に別宮貞徳の『日本語のリズム-四拍子文化論』(1977年)においては『古事記』『日本書紀』を初めとして、日本語の律奏は七五調のリズムから成り立ち、日本語の単位は2音節であって、四拍子のリズムを作っている。そして2音節を2つまとめた4分の4拍子が日本語の性格にかなっているといういわゆる四拍子文化論である。

 そして今回の片山氏の講演は、この別宮貞徳の四拍子説のリズム論を踏まえて、さらに効果的な休符の使用と連符という捉え方で字余りであっても定型を維持出来ると説明されている。
 つまり片山氏によれば定型は短歌、俳句、都々逸などはすべて4分の4拍子に当てはまる。そして俳句は4拍子×3小節に収まっているかどうかで定型と判断出来ると述べられ、さらにこの4分音符の4拍を8分音符の8拍と考えることが俳句に最もふさわしいとしている。

俳句の各小節を「5音+3休符/7音+1休符/5音+3休符」と考えると分かり易い。
 具体例として、芭蕉の〈古池や蛙飛び込む水の音〉の場合、「ふるいけや・・・/・かはずとびこむ/みずのおと・・・」(・は8分休符、以下同じ)と4分の4拍子の基本を8分音符連なりとして考えれば合理的で、休符の概念を入れれば、4拍子であれば字余りの句であっても容易に定型に入るという。例えば、
〈白牡丹といふといへども紅ほのか 虚子〉の句については上五は6連符として考えられ、〈鶫死して翅広ぐるに任せたり 誓子〉の場合は、「鶫」を3連符として速く読むと収まりがよいという。即ち「声に出して読んだ抵抗感がなく,定型に収まっているように感じられればよい。」と説得力のある講演であった。

 そこで私の拙い疑問であるが、芭蕉の古池の句は上5に強い切れがあり、あとに3つの8分休符が並ぶが、次の欣一の句である、
〈町裏に・・・/・白き瀬波や/風の盆・・・〉
あるいは狩行の句の〈地球てふ・・・/病む星に住み・/露けしや・・・〉
のように、中
7や下5に強い断絶があるにもかかわらず、「や」の位置によって、休符がついたり、なかったりするのは何故なのだろうか。それに対し、片山氏は「風の盆」の句を例に、中7の「瀬波や」は調子を整える切れ字なので、調べでの上の断絶はない、切れ字のあとには必ず時間的な空白があるとは限らないとサジェスチョンを頂いた。

 結論は意味の切れと調べの切れは一致しない方がリズムを活かすことが少なくない。両者が一致すると単純な句になりがちであるとこれも明確である。そして「頭に休符が入ることは声に出して感じることが大事である。」と教えて頂いた。これは欣一の句の中7の頭に休符が入るのもリズムを整えるために必要であろうと納得した。そしてこれも私の考えであるが、有名なベートーベンの交響曲第5番「運命」の冒頭は「・ダダダダーン」のように8分休符が入る効果を改めて考えるきっかけとなった。(1参照)

 図1 交響曲「運命」のバイオリンの冒頭

もともと片山氏は音楽に堪能な方で、「字余り考」の骨格となっている根拠は音楽の連符の考えを取り入れたことが新しい持論であろう。これは字余りがどこまで許されるかの範囲は音楽の連符と全く同じで何音までという制限はない、自然に詠めるかだけだという。その事例として呈示されたのがショパンのノクターン20(遺作)における最後の聞かせどころだという。ここには1小節内に8分音符の2拍分に続いて、18連符、35連符、11連符13連符と出ているが、それらはすべて楽譜上の2拍分になっているという。図2がその聞かせどころの35連符、11連符部分を抜き書きしたものである。私も楽譜をたどりながら,この曲を聴いてみると、何ともきれいでしかも4分の4拍子にしっかりと収まっていることを確認した。

2 ノクターン20の連符の一部分

 これに基づけば講演中に呈示された最も長い字余りの句である草田男の〈浮浪者昼寝す/なんでもいいやい/知らねいやい〉を声を出して読んでみると確かに定型に収まっていることが分かった。

 以上長々と俳句にも音楽と同様に1小節内に休止を入れた4拍子で表現し、さらに連符という概念を入れれば定型に収まることを認識して,この拙い紹介文を終えたい。

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 日常吟から即物具象へ
               句集『火酒』を読んで 
(「伊吹嶺」29年3月号に加筆)

 この度上梓された河原地英武副主宰の句集『火酒』についてはどのように繙くか考えた結果、アプローチの視点を少し変えて『火酒』の外形的なものから入って、そこに内包する英武俳句を探ってみたい。その手がかりとして栗田主宰の序文をたどっていくことが最適である。まず真っ先に大学教授としての日常吟が多いことに気づく。自画像的な句も含めて約90句が詠まれている。

  よく笑ふ新入生が真ん中に
  夜学子に書く英文の推薦状
  教室の朝のざわめき霾ぐもり

 一句目、雑談している場面というより写真を撮られている一コマのような画面でよく笑う新入生に焦点を当てたこと。二句目の矢学生はどんな出来の学生分からないが分け隔てのない学生への思いやりなどからここにはロシア政治を専門とする堅苦しい教授というイメージより学生を弟と見ている優しい眼差しが見える。
 時には三句目のように教えることの難しさを実感している句も登場する。さらに大学教授の側面である自画像が垣間見え、ここには28句という多さである。

  梅雨兆す講義のまへの頭痛薬
  寄り道はいつも古本屋冬うらら
  納得のいかぬ訳文明易し
  短夜や冷えし紅茶一息に

 一句目、教授と言えども体調不良の時もあろうし、二句目の研究のための古本屋巡りは日常生活での楽しみであろう。今はネットでどんな本でも購入出来る時代になったが、古本屋から見つけた垂涎の本に出会える期待感がまさに〈冬うらら〉であろう。三句目、四句目のように研究生活に苦労は尽きないものであるが、特に四句目はには一見なんでもない句であるが、ここに河原地さんの自画像が色濃く出ている句と思った。研究論文でも執筆しているのだろうか。夢中になって書き続けているうちに、つい時間を忘れて奥さんが淹れてくれた紅茶すっかり冷え切っている。しかし一気に飲んでまた執筆に戻ったのであろう。たった一七音の中に研究者の自画像が容易に推測される句に共感した。

 次いで家族、両親が多く詠まれている。家族を詠んだ句が30句もあり、その中から、

  赤ワイン妻にまづ注ぐ聖夜かな
  エプロンの妻に一口かき氷
  長き夜や子の枕辺に星の本
  逆立ちの子の足摑む冬日向

 妻と子を詠んだごく一部を抜いてみたが、私には詠めぬ妻への愛情、子には優しさの眼差しが見える。なお家族の句についてはまた後述したい。

 次に両親を詠んだ句として、

  花冷えや弥勒のやうに母眠る
  寂しさをいふ母寝かせ秋の暮
  弱音吐く父の電話や春夕べ

 三句とも両親に対する思いやりの深い句である。一句目、〈弥勒のやうに〉と母を見る目の何と優しいことよ。母親を尊敬せずには詠めない。二句目、三句目は子として誰もが直面しなければならない宿命を詠んでいる。老老介護が当たり前になっている現代、このようにせつない句を詠まざるを得ない時代とも言える。

 以上の題材の外面から英武俳句を見てきたが、いずれも河原地さんの人柄に触れて共感を得てきた。
 次に視点を変えて既視感というか先人俳句の趣を感じた句に触れてみたい。

  天守より秋の日傘は蝶のやう
  初風呂や吾子の薄れし蒙古斑
  噴水のしぶきに妻を透かし見る
  虹消ゆるまでの約束肩ぐるま
  枯木道詩篇のことば読捨てに
  白服の教師太宰を読み聞かす

 一句目は言わずと知れた〈摩天楼より新緑がパセリほど 鷹羽狩行〉の視点である。この句は彦根城の天守より日傘の女性を見下ろした句で、同行した私が見落とした発見である。

 二句目、蒙古斑というと〈いとしきは枯野に残る蒙古斑 櫂未知子〉を連想すりむきもあるが、私はむしろ〈抱き止めて北風匂ふ子の旋毛 西村和子〉など我が子を見つめた句集『夏帽子』に見られる優しさに通じていると思う。

 三句目は前にも触れた妻俳句であるが、これも〈スケートの濡れ刃携へ人妻よ 狩行〉の若い妻を見る健康的な讃歌が見える。

 四句目の我が子にしてやれる「肩ぐるま」は〈子にみやげな句秋の夜の肩ぐるま 能村登四郎〉と同様に「肩ぐるま」で繋がって父子の絆が見てとれる。

 五句目の詩篇は敬虔なクリスチャンである〈名言に一日鼓舞さる桐の花 田川飛旅子〉の句を思い出し、「詩篇」「名言」など物として表現されにくい言葉を題材に入れる巧みに感心した。

 最後の六句目は私たちに身近である〈夜学生教へ桜桃忌に触れず 沢木欣一〉とともに教師の立場では太宰治は取り上げるべき教材であるが、一方は取り上げ、一方は触れない対比も面白いが意識下では先人俳句があることに間違いない。以上先人の趣を感じとった句はさらにあるが、これだけでも河原地さんが先人俳句をよく勉強している証左ではないかと思った。

 以上外形的なアプローチを試みてきたが、もちろん即物具象に忠実な句も多い。

  金亀子潰れて青く光りをり
  鯉の群春の光をもみくちやに
  しやぼん玉屋根に弾み水色に
  春水の落ちてゆくときうすみどり
  つり銭に鱗貼りつく年の暮
  秋の蝶翅を畳みて三角に

 ごく初期の一句目の深い観察、二句目から四句目の光に溢れた感覚の効いた写生句、五句目の些細なところに詩情を発見した感性そして六句目の〈三角に〉という無機質な表現を「蝶」という物と取り合わせ効果がうまい。
 このような即物具象の句は栗田主宰の薫陶を受け、その上での鍛錬の賜物ではないか。

 次の外形的な捉え方として、季語の偏りが顕著なことに気付く。大学教師の日常から生活の季語が100句近くで多いのは当然であるが、時候、天文の季語がそれぞれ70句以上もあることが特徴的と言えよう。しかも「春」「夏」「秋」「冬」などの単独使用、「梅雨」「秋日」など季題に属するべき季語の多さにも気づく。これらの季語は映像化しにくい季語であるがその分写生力によって映像化に成功している。これが英武俳句の技量であるが、幅広い季語の開拓が今後の課題と言えようか。

 最後に思ったより外国詠も多いことから外来語の使用が多いことと比喩の句が多いことも特徴である。これらの分析は紙数の都合上、別の機会に分析する課題である。

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     栗田主宰第2句碑界隈 (「伊吹嶺」29年3月号に加筆)

 いよいよ3月26日に岐阜市伊奈波神社に栗田主宰の第二句碑が建立されます。

  句碑の俳句は

   寒月が鵜川の底の石照らす   やすし

 で、作られたのは昭和43年、俳句を始められてから3年目です。句碑が建立される伊奈波神社は歴史が古く、景行14年と言いますから、1900年も前のことですが、現在の地へは斎藤道三が1539年に移したとあります。

 また参道の入口から約200メートルにわたって、しだれ桜の町並みとなっており、丁度句碑開きの頃は満開になって私たちを迎えてくれることでしょう。

 この神社から北へ十分ぐらいのところに妙照寺があります。ここは芭蕉が一ヶ月ほど滞在した寺で、境内には加藤楸邨書による「やどりせむあかざの杖となる日まで」の句碑があります。この句碑建立にあたっては若き日の栗田主宰も協力されたと聞いております。また滞在した部屋も残っており、事前に申し込めば見学も出来ます。但し寸志を包まれることをお勧めします。

妙照寺から直ぐ北に正法寺があり、こは籠大仏が有名で、竹籠に経文を貼り、金箔が施されています。大きさは高さが13.7メートルで、日本三大仏に数えられています。
 正法寺からさらに北へ行くと、岐阜公園に着きます。園内には、信長の館跡があり、現在も発掘調査中で句材対象になると思います。

 時間があればロープウエィで登れば、濃尾平野が一望出来、晴れた日には名古屋まで見ることが出来ますし、西側には伊吹山、東側には御嶽山が浮かんで見えます。

 さらに北へ行くと、長良橋南詰に着きます。ここのポケットパークには河東碧梧桐の「闇中に山ぞ聳つ鵜川哉」句碑があります。ここから昔の町並みが残っている川原町を散策すると、水団扇を作っている岐阜うちわ店、老舗旅館の十八楼そして和紙問屋の蔵を改造した茶房もあります。ここは毎週日曜日にピアノの生演奏があり、ここで昼食にするのもよいかと思います。

 次に長良橋を越えて、東側には鵜匠の家が並んでおり、鵜の庵「鵜」では鮎雑炊を食べながら、店内にある鳥屋を見て、句作するのも最高です。

 さらに東に行くと、山下鵜匠本家に着きます。ここには山口誓子・橋本多佳子師弟句碑があり、ここから長良川を見るのもよいのですが、最近隣家からの火事で、類焼にあって、残念ながら句碑を見るだけしか許されていません。

   鵜篝の早瀬を過ぐる大炎上       誓子
   早瀬ゆく鵜綱のもつれもつるるまま   多佳子

 帰りは一本北の道路にある鵜塚、さらに西へ行くと、岐阜城が落城した戦いの時の城の床板を天井に張った血天井のある崇福寺に行けます。そして近くに斎藤道三の道三塚もあります。

 以上伊奈波神社から2時間ぐらいの距離に見どころが詰まった吟行ルートです。その日の予定に合わせてご自分の見たいところだけに絞ってもよいと思います。
 以上長々と吟行ルートを書きましたが、実は句碑開きに合わせて「伊吹嶺」2月号に同様な吟行案内を斉藤陽子さんが書かれています。合わせて読まれて吟行案内の資料として下さい。

 
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