毎月、中日ビルで「伊吹嶺」中日俳句教室が行われており、最初に栗田やすし先生による30分の講義がある。これまで伊藤旅遊さんがいぶきネット句会メンバーなどに講義録が配信されていましたが、栗田先生、伊藤旅遊さんの了解を得てこのページに再録することにした。伊藤旅遊さんありがとうございます。
一応このページはずっと格納しておく予定であるので、いつでもご覧下さい。
これまでの講義録は4年間の記録となりました。09年からページを新たにしました。
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10年分 | 09年分 | |||||
12 | 10.12.21 | 角川賞選考座談会 | 12 | 09.12.15 | 自句を語る | |
11 | 10.11.16 | 俳句の核 | 11 | 休会 | ||
10 | 休会 | 10 | 休会 | |||
9 | 10.9.21 | 俳句は詩 | 9 | 今月は休会 | ||
8 | 10.8.17 | 俳句の推敲十箇条(復習) | 8 | 09.8.18 | 一句一句の句評 | |
7 | 10.7.20 | キーワードから学ぶ | 7 | 09.7.21 | 軽率に句を作るな | |
6 | 10.6.15 | 誓子の「言葉について」 | 6 | 09.6.16 | 朽木は掘るべからず | |
5 | 休会 | 5 | 09.5.19 | 生活が俳句でなければ ならない |
||
4 | 10.4.20 | 俳句の基礎用語 | 4 | 09.4.21 | 「風」俳句のめざすもの | |
3 | 10.3.16 | 俳句の基本事項の復習 | 3 | 09.3.17 | 近代俳句鑑賞 | |
2 | 10.2.16 | 思い出の一句 | 2 | 09.2.17 | 俳句の基本 | |
1 | 10.1.19 | 俳句の表記 | 1 | 09.1.20 | 俳句と私 |
2010年分
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12月21日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。本日の栗田主宰のお話は、「角川賞の選考座談会」です。
第一部 主宰の講話
少し古い話になりますが、角川書店の俳句雑誌『俳句』の昭和52年10月号に、その年の角川賞の選考が終わっての「選考座談会」の記事が出ています。角川賞が投句数は一人50句で、たいへん多くの句の投句を求められているのが特色です。この時は、沢木先生も選者の一人としてこの選考にタッチされていました。そこで、今日はその座談会の記事の紹介なのですが、沢木先生のお若い頃のことで、この座談会での先生の生の言葉に触れることが出来ますので、その意味でもこの記事を紹介しようと思うのです。座談会の全文は、読むには長すぎますので、そのポイントとなる部分だけを見てゆくことにします。座談会の出席者は、沢木先生のほかは、安住敦、草間時彦、香西照雄、森澄雄という、いずれも当時の第一線で活躍されていた著名な俳人で、この座談会の発言の一つ一つが私たちの俳句作りに大いに役立つ教訓となると言ってもよいでしょう。以下、ポイントとなる発言を挙げながら話を進めます。重要な発言は太字にしてあります。
森 予選通過作品は28篇あったが、全般的にみて写実力が弱いという感想です。私の選んだ『白豪』という作品は、その中でも多少写実性がある点を買ったわけですが、発想がかなり常識的ではないかと思うのです。たとえば「桐咲いて山影天を流れけり」や「日輪のしばしば煮ゆる杏村」だとか、比喩がつまらない。「青僧に後れて桜びとわれよ」はぜんぜん面白くない。「竹箸に煮物なだむる冬至かな」「小つむりを掴み洗ひに麦の秋」などは、素朴に対象をつかんでいるのがいいと思った。
安住 写生の力が不足していると思うんだがな。
香西 僕も写生力が不足していると思った。それで、ことばだけで味を出そうとするんだ。「断崖の折り目折り目に紅葉滝」は写 生が土台となっていてうまくいってるんだけど、あとはことばの魅力だけに頼ってしまっている。
沢木 ことばの選択が雑だ。
森 雑ですね。「日溜りは悪の謀り場寒雀」は、こんなのはつまんないしね。
沢木 「粉雪や口をおちよぼに塞ノ神」もいやですね。
森 「冬鵙や炎のごとく酒恋へば」の「炎のごとく酒恋へば」なんていうのもやっぱりつまらないです。非常に常識的でね。
沢木 強引な、むりなことばづかいがある。「峡駅」は「峡の駅」だろう。「峡駅」なんて変です。「びんづるの頭の飴光」って なんですか。(中略)
森 たとえば、「雨だれを惜春譜とも聞く夜かな」の「惜春譜」なんて甘いことばだね。こういう使い方がつまらない。
沢木 うまく使えば生きるだろうけど。
森 「御所の草刈るを矜りの白川女」で「矜り」なんていわれるとね。「袋掛け桃の孤独のはじまりし」の「孤独」や「毛虫焼く吾 身に火刑受くるごと」というような比喩がつまらない。
ここまでの対談から分かることですが、出席者はこぞって写生の重要であることを説いてみえます。俳句にも個性を尊重することが大切であると、生意気なことを言う人が時にいますが、個性などと言わないで、まず写生がきちんと出来るかどうかが俳句では一番の問題なのです。個性、個性と言うのは、写生がきちんと出来ない言い訳に過ぎないと思います。それと、もう一つ大切なことは、「ことばの選択が雑だ」という沢木先生の発言にもありますが、俳句は「ことば探し」であると言ってもよいでしょう。この場面にはこれしかないということばを懸命に探すのです。それが俳句なのです。森さんの発言では、「常識的」に注意をしてください。発想の常識的な句は、どうしてもつまらないのです。読者を感動させるものは皆無と言ってもよいでしょう。さらには、「強引な、むりなことばづかいがある」という沢木先生の発言にも注目しなければなりません。とかく自分勝手にことば使う人がいるのです。「峡の駅」とすべきところを「峡駅」とした例がここに出ていますが、これは、句を作る場合によく注意してほしいことです。森さんは、次に「惜春譜」という甘いことばは駄目だと指摘されています。慣用句であるとか既成のことばを安易に使ってはいけないという戒めです。こうしたことばは、沢木先生が言われるように、うまく使えば生きるでしょうが、これは便利なことばだなどと浮かれた気分で使えば必ず失敗することになります。比喩についても同じようなことが言えます。とにかく、比喩はよほど上手く使わなければ、読者の共感を得ることは難しいでしょう。沢木先生の句には比喩を非常に上手く使った句がありますが、この域に達するにはかなりの修練を必要とすると思ってください。対談のもう少し先へ進みます。
森 たとえば「夏に入る岬は影をむらさきに」とか「松の芯折らむとすればやはらかし」とかは、常識的な描き方で甘いな。
沢木 「炎天に拾ひし石の裏濡るる」はいいね。
香西 僕は「梅雨の川岸の三寸ほどは澄む」というのはおもしろいと思う。こういう発見の句がもっと多くなればいい。
ここでは、常識的な句は駄目だということに尽きると思います。それでは、常識的でない句とはどんな句かと言えば、それは「おどろき」のある句です。「発見」のある句です。沢木先生の発言にある「石」の句、香西さんの「梅雨の川」の句などがそれにあたります。この二つの句には、作者の驚きとか、素直な発見というものが読みとれるのです。雑誌やら句集を読んで、俳句はこんな風に作ればよいとばかり、いま読んだばかりの句と同じような句を作ってみたとて、どうにもなるものでもありません。自分の目で確かめ、自分が驚きを感じたものを詠むことが大切なのです。さて、次は句自体のことではなく、50句の投句全体にタイトルを付けることについての沢木先生の発言です。これは、伊吹嶺賞の投句にあたってもみなさんの参考になることと思います。
記者 次が沢木先生のご推薦の作品で「紙漉の里」です。
沢木 これもやっぱり題の付け方が下手ですね。紙漉きの句はそんなに出てこない。全体的に感覚が柔らかくて、句のつくり方が 着実で危なげがないというところです。それがよさで、しかし、句の配列がどうも雑然としていて、その点が難点だと思う。(中略)
森 「納屋二階青嶺まじかに紙簀編む」という句は生活状態を一応つかんでるわけですね。
沢木 惜しいのは、配列が雑然としててね。いろんな場所が出てくるでしょう。後ろのほうへいくと、「竿干しの江田島大根泥のま ま」で、江田島といったら瀬戸内海だろう。しかし、「捩り花高麗王の裔童女なる」なんてあるから、埼玉県の高麗村だね。
森 五十句揃えるのに困ってるな。(中略)
草間 苦しいけど、一生懸命やってるんですよ。
安住 それに、これだけ揃えられりゃいいとしなくちゃあ。
沢木 全般的には着実な感覚がいいというところじゃないですか。
この部分では、20句なり50句なりの俳句をまとめて応募する際には、その作品集の題の付け方にも格段の配慮が必要だということです。その上に、作品をただ漫然と並べてはいけないということです。自分の作品ですから、選者に訴えることの出来るような並べ方を工夫してみてください。それから、この部分の対談で、沢木先生は「着実な感覚がいい」という評をしておられます。この意味は、俳句は感覚の詩であるということです。うれしいとか悲しいというのを、一度、感覚の篩にかけて表現するのが俳句なのです。これをしっかりと認識してください。
この座談会の記事を読んでみてわかることですが、ここには選者の俳句に対するいろいろな思いが生の言葉で表出されています。ということは、こうした選後評というものは我々にとって、たいへんに参考になるということです。今後の句作りの指針になるようなことがいっぱい出ていますので、雑誌にこうした記事が出ているような場合には、しっかりと読んでほしいものと思います。
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11月16日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。本日の栗田主宰のお話は、「俳句の核」です。
第一部 主宰の講話
沢木先生は「俳句は詠うというよりは結晶させるものである。結晶させるには核がなければならない」と言われています。短歌は詠うものであるということで良いのですが、俳句は少し違います。核があって雨粒となりそれで雨が降るように、俳句には核となる物が必要となります。ですから、俳句で核となる物がないと、その俳句は、しっかりしない何かあやふやなものになってしまうのです。俳句は物を素直に見ることが始めであり、終りであるのです。
本日は、私の第一句集「伊吹嶺」の中から、一年に一句ということで、作品をプリントしてきました。私の初期の作品は、読んだことがないという人も多いと思いますので、ここで最初に申し上げたことを中心として自作を語ってみようと思います。なお、私の初期の句集は絶版となっていまして、現在では読んでいただくことは出来ませんが、近いうちに文庫版での再版の準備がすすんでいまして、読んでいただけることになっています。
『伊吹嶺』抄
バラ園のホースの水を天に放つ(41年)
これは私の29歳の時の句です。まだ若い頃の作品で、明るくて希望に満ちた句だと思います。鶴舞公園の薔薇園で見かけたことを句にしたもので、これはすっと出来ました。この句の核となるのは「水」です。水の勢いの良さが、そのままその当時の私の心象風景となっています。青春性のある句とでもいうのでしょうか。
土用波小さきテント村灯る(42年)
卒業生の教え子たちと、海岸の砂浜でテントを張った時のことです。土用波とテントはともに夏の季語ですが、主季語は「土用波」です。「テント」は物として使っています。
寒月が鵜川の底の石照らす(43年)
この句の「鵜川」は当然のことながら長良川です。木曽川での鵜飼もありますが、私にとっては、鵜飼といえば長良川ということになります。この当時の長良川は、正しく清流で、たいへんに奇麗な川でした。この句は、寒月の冴えきった姿を詠ったものです。この句でも、寒月と鵜と、季語が二つあるようにみえますが、季語は「寒月」で、この句は寒月を詠ったものであることははっきりとしています。
鵜飼果つ鉄の篝を水に漬け(44年)
鵜飼が終わりますと、鉄の枠に入れて焚いていた篝火を川の水に漬けて篝火を消します。その一瞬を詠んだものです。この第一句集には、鵜飼を詠んだ句がたいへんに多く、これは鵜飼の句集だと評した人がいました。それほど、鵜飼は私には馴染んだものです。
鳩翔つや図書館の裏雪残る(45年)
「鳩の飛ぶのと残雪とは何の関係もないが、静中動あり、春の生命の息吹を感じさせる。冬から春へ転換する季節の微妙な折り目のもの悲しさが表現されている」と、沢木先生からの評をいただいています。
担はれて籠の疲れ鵜声立てず(46年)
鵜飼に出る前の鵜は、鳴き声を立てたり、あるいは活発に動いたりで、かなり騒がしいのですが、鵜飼が終わると、ぐったりしてしまうのか、動きも鈍くなり声を立てることもありません。この句は、疲れた鵜の有様と、その鵜に対するねぎらいの気持ちを詠んだものです。
スケートの鋭刃落花を両断す(47年)
スケーターがスケートのエッジで落花を両断した一瞬を詠んだ句で、私としては好きな句です。当然のことながら、季語は「落花」です。
風呂敷を教卓で解く獺祭忌(48年)
物は言うまでもなく「風呂敷」です。子規の忌日の日の授業のことで、教卓で風呂敷を解いた自分の姿を詠んだものです。獺祭忌には、鞄というよりは風呂敷の方がよく似合うと思います。
素足にて踏む簗までの荒莚(49年)
これも、「素足」と「簗」と二つの季語があります。しかし、この句の季語は「素足」であると直ちに理解されましょう。初心の人に季語が二つ入った句は勧められませんが、季語が二つあったとしても、どちらか一方にはっきり重点があるということが分かれば良いわけです。
木曽の秋ガラス瓶より煙草買ふ(50年)
これは思い出のある句でして、「風」の全国俳句大会があった時の句です。この当時は、この土地では、煙草をガラス瓶の中に入れて売っていたのですね。今では、こんな情景はもう目にすることは出来なくなってしまいました。当時としても珍しかったので、この句となったのです。
伏字ある父の日記や敗戦忌(51年)
この季語は、人によって「敗戦忌」としたり「終戦忌」としたりして使っているようですが、私としては「敗戦忌」として使うことにしています。それがこの季語に対する私の思いなのです。父の日記で、作戦に関することは、伏字にしてあり、ほんとうに伏字の多い日記でした。
一本の葱抜くだけの雪の靴(52年)
「雪の靴」としたのは、藁で作った「雪靴」とは違うからです。雪の中をゴム長を履いて葱を抜きに行ったのです。抜いたのは一本ではないのですが、そこは詩的虚構というものです。
鮎吐きて老い鵜最も火の粉あぶ(53年)
鮎を船に引っ張り上げて、鮎を吐かせる時の情景を詠んだものです。篝火の近くに引き寄せますので、火の粉を浴びるわけです。老いた鵜に対する思いを詠んでみました。
流燈会われも流るる舟にゐて(54年)
木曽川の流燈会は、岸から燈籠を流すのではなく、舟に乗って、川の中ほどまで出て、その舟から流すのです。その時に、自分も舟に乗って流れているのだということに感動したんです。いわば、生死一体の感慨とでも言いましょうか。この句は、伊吹嶺会員のみなさんのご尽力で、来年の五月に、句碑として、細見先生の句碑のすぐ近くに建立されることになりました。有難いことと思っています。
鷹渡る白燈台を起点とし(55年)
「白燈台」は伊良湖岬の燈台です。これは、新しい仕事への決意表明の句です。
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9月21日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。本日の栗田主宰のお話は、「俳句は詩」です。
第一部 主宰の講話
本日も句を作る上での基本的な事柄を、繰り返しにはなりますがお話してゆきたいと思っています。それは、「俳句は詩である」ということをきちんと認識してほしいということです。「俳句は詩である」ということ、俳句に詩がないと駄目ということ、これを句作りにあたってはっきりと承知してほしいのです。そうでなければ、俳句は事実の報告に過ぎないことになってしまいます。俳句に詠むのは、事実の報告ではなく、作者の感動なのです。感動がなければ詩になりません。人には喜びがあり悲しみがあり、また感動を覚えることがあります。それを表現するのが芸術というものです。感動とは、具体的に言えば、驚きです。この驚きには、二つの種類があると思います。
一つは、感覚的に驚くと言いましょうか、常識的なものではなく、常識の範囲を飛び越えた意外性に驚くのです。社会生活を送る上では、常識は欠くべからざるものですが、俳句では、常識はまったくの邪魔ものです。ここに言う驚きとは感性に訴える驚きでしょう。すなわち、何か「もの」に触れ、あるいは食べてみて、また聞いてみて、または匂いを嗅いだり、ものを見たりして、驚くのです。これは発見と言い換えてもよいかもしれません。このように驚いたり発見したりするには、感性を研ぎ澄ましておかねばなりません。何を見ても、何も感じないというのでは、俳句の生まれる余地はありません。例えば、蝶の飛んでいるのを見たとします。ただ単に蝶がひらひらと飛んでいたでは俳句にはなりません。蝶の飛び方がいつもとは違っていたとか、見たこともない蝶であったとか、何か普通とは違ったことを感じて、その驚き、あるいは発見を句にするのです。意外性の発見から俳句、すなわち詩が生まれるのです。
もう一つは、感情的な驚きとでも名付けておきましょうか。感情と言えば、人間の喜怒哀楽の情です。この情を詠むのが、第二の感情的な驚きです。俳句では、こちらの方がはるかに難しいと言えます。この情をそのまま句にしてはいけないからです。例として、蝶が羽根をひきずって地面を這っていたという光景を見たとします。哀れな蝶だと誰しも思いますが、蝶が哀れだとそのまま言ったのでは俳句にはなりません。その哀れなという情をものに託すのが我々伊吹嶺の俳句なのです。哀れをそのまま句に詠みこんで良しとする俳句も世間にはあります。俳句にもいろいろな考え方はありますが、伊吹嶺の俳句はそういう立場は取りません。
友人が何かの病気で入院したとします。入院したのは、自分としては驚きであり、入院した友に同情の念を抱きますが、その同情の思いをそのまま句にしては駄目です。そのまま句にしたのでは、入院したという事実の報告になってしまいます。それは、いわゆる「こと(事)俳句」です。「こと」は多くの場合俳句にはなりません。「こと」を十七音で並べると、どうしても説明になってしまうからです。この場合の驚きの念、同情の念は、「もの」に置き換えて表すものと承知してください。友と見た花とか、あるいは友の手紙とか、材料はいろいろあるでしょうが、そうしたものを見つけ出して、その「もの」に同情の念を託すことです。
ところで、「孫が〜〜した」という句を良く見かけます。「孫が来てくれて嬉しかった」という句もよくあります。作者は確かにうれしいのでしょうが、これでは俳句にはなりません。単なる事実の報告です。事実の報告には、詩的なものは何一つありません。孫や子供の成長の喜びを、どのようなところに喜びを感じたのかをはっきりとさせて句にすることが肝要です。しかし、孫の句は誰にとってもなかなか難しいものです。
ここに伊吹嶺の九月号を持っていますので、その中の句を見ながら話を進めます。
「耳に口寄せ大滝を愛であへり」(渡辺慢房)
この句では、「耳に口寄せ」が具体的な写生となっています。滝の轟音の中では、会話もかき消されてしまいます。だから、耳に口を寄せて会話をしなければならなかったというのです。その情景がはっきりとここに描かれているわけです。「大滝」ならではの情景です。
「地図の上夏手袋の指辿る」(渡辺慢房)
この句では、「夏手袋の指辿る」がきちんとした写生です。旅行を楽しんでいる喜びが、この部分によく表されています。
次に私の句ですが、
「青芝を四角にはがし遺跡彫る」
沖縄の勝連城の跡を歩いていて、一面に貼られてあった芝生の一角を四角に切り取って遺跡の調査をしている現場に行きあいました。なぜ四角にと尋ねたところ、ここには柱があったはずだから、その柱の跡を調べるために四角に芝をはがしたということでした。この「四角にはがし」が写生ですが、全面の青芝の一部分を四角にはがしているという発見がこの句となったものです。これは視覚で捉えた意外性と言えるでしょう。「はがす」という言葉を見つけるまでには、これをどう表現したら良いのかでいろいろ考えました。「はがす」ということばを捜しあててこの句となったのです。俳句はことば探しと言われますが、まさにその通りと思います。
「土産とす茶巾絞りの実月桃」
これもいろいろことばを捜しました。月桃の実は栗きんとんのような形をしているのです。あれこれ考えていて「茶巾絞り」ということばに思い当たりました。名古屋でも秋になると、茶巾絞りの栗きんとんがあちこちの店に並ぶようになります。それでこの句となったのです。「月桃の実をポケットに」でも俳句にはなりますが、それではすでに類句がいっぱいあり、意外性もありません。
観光地へ行って、そこの掲示板に書かれていることばをそのままに使って句にする人が多くいます。これは、単なる受け売りであり、その掲示板に何か難しいことが書いてあると、それが発見であると喜んで、そのままを写してしまうのですが、多くの場合それは読者には理解されないのです。作者がその場に行って初めて知ったことは、読者も知らないことですので、そのままでは読者に分かるはずもありません。自分のことばで対象をしっかりと写生しなければ、読者には分かってもらえないでしょう。
「旧友の安否を問へり合歓の花」(近藤文子)
これも九月号からの句ですが、こういう句は写生の句とは言えません。まさに季語におんぶにだっこという感じの句です。こういう運びの句はわりに作りやすいのです。ただ季語がどうかということが問題になります。季語が動くか動かないかということです。
俳句はたいへん短い詩ですので、その作者を知って鑑賞するのと、知らないで鑑賞するのとでは、時に大きな差の出ることがあります。第二次大戦後すぐに、桑原武夫氏が「俳句第二芸術論」を公刊して、俳句界に非常に大きな衝撃を与えたことがあります。作者を知っているから良い句であると言えるのであって、作者を知らなかったら誰も良い句とは思わないだろう。俳句とはそんなものだということで、俳句は真の芸術には非ずという主張が展開されていました。この指摘が間違っていると異議を唱える前に、俳句には桑原氏にそう指摘されても仕方のない宿命を負ったものであるということは認めざるを得ないのも確かなことです。
作者の近藤さんにとっては、季語の「合歓の花」が動かしがたいものであったのでしょう。この花には、旧友との思い出がいっぱい詰まっているのかもしれません。作者には合歓の花でなければならない理由があり、友への思いをこの花に託したのです。私は、楚々とした合歓の花から、作者の心情が読み取れると判断してこの句を選んだのです。写生句ではありませんが、作者の思いがこの季語に籠められていると共感をしたのです。
さて、本日はいくつかの点で、みなさんに考えていただきたいことをお話ししました。それをまとめてみますと、大略次のようになります。俳句は詩であるということ。詩は感動を伝えるものであるということ。感動は生のままでは俳句にはならないということ。感動を伝えるためには、ことばを選ばなければならないということ。本日のお話は以上です。
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2010年8月
8月17日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。本日の栗田主宰のお話は、「俳句の推敲十箇条(復習)」です。
第一部 主宰の講話
以前にお話しをしたことがあることですが、新しく会員になられた方もありますし、以前に私の話をお聞きになった人もにも復習の意味もありますので、「俳句の推敲十箇条」について、もう一度お話しをしてみようと思います。まず、その「十箇条」をここに示して、その後で一つづつ取り上げてゆくことにします。
1 「感動」の中心は何か
2 「季語」は一つか
3 「物」か「事」か
4 「切れ」はあるか
5 「ことば」は適切か
6 「調べ」はよいか
7 「季語」は効いているか
8 「感動」に嘘はないか
9 「類句」「類想句」はないか
10 「誤字」「仮名遣いの誤り」はないか
1「感動」の中心は何か
「句は感動であり、感動は「ああ」という叫びである」と誓子は言っていますが、その感動の中心、別の言葉で言えば、感動のポイントをはっきりさせるということが大切なことです。みなさんもよく吟行へ行くことでしょうが、この吟行の場で手帳を拡げているひとをよくみます。その手帳に何を書くのかというと、季語ばかり書いている人を時にみかけます。ひまわりの花を見て、「ひまわり」と記入しているのですが、単に「ひまわり」と書くだけでは何の意味もありません。ひまわりの有様を書かなければ意味はないでしょう。ひまわりが、元気に咲いているのか、あるいは、疲れ切ったような感じで咲いているのか。要すれば、人とひまわりの対話が大切なことです。単語だけ並べても対話は出来ません。ひまわりの元気が良いと思ったら、どこで元気と判断したのか、疲れていると思ったら、どこで疲れていると判断したのか、を書きとめておく必要があるでしょう。いつも見ているひまわりなのだけれども、その場で目にしたひまわりに、何かいつもと違って疲れ果てたような感じがすると、「はっと気がついた」というその時の気持ちを句にすることになるのです。そのためには、そのひまわりをよく見ることです。ひまわりの有様をことばで書き表すためには、見ることが絶対に必要です。
沢木先生は吟行に行かれても、手帳を拡げられることはありませんでした。細見先生は、すぐその場で句を手帳に書き留められていました。手帳を拡げるのが良いとか、そんなことをする必要はないとか、それは人それぞれで、それだけを問題にすることでもありません。
2「季語」は一つか
季語とは、単に季節を表す記号ではありません。作者の感動を代弁してくれるのが季語なのです。ですから、その感動を託すことの出来る季語を見つけ出さねばなりません。ひまわりの有様を見て感動したというのなら、ひまわりは季語ですから、そのひまわりのその時の状況を描写することになります。これは、「一物仕立の句」ということになります。ひまわりだけを詠むことになるからです。
季語以外のもの、例えば、犬を見て感動した場合には、その場で見た犬に対する気持を季語に代弁させることになり、そのような季語として何が相応しいのかを考えなければなりません。
村上鬼城の句に「春寒やぶつかり歩く盲犬」がありますが、目の見えない犬があちこちぶつかりながら歩いていた情景を捉えて、これを「春寒」という季語に代弁させたのです。この句は、自らも病躯であった鬼城自身のことと重ね合わせて成った句でして、「春寒」という季語がまことに適切に使われています。
吟行のことに戻りますが、吟行でこの季語を使うと決めて、三つくらいの季語をノートに用意してゆく人もいます。季語の情調を吟行で探そうということでしょうが、これも一つの方法だと思います。その季語の使えるものを探して歩くわけです。無闇に季語をノートに書き連ねるよりははるかに良い方法です。
3「物」か「事」か
俳句は「物」で表現するものなのです。「事」で説明するものではありません。ひまわりの疲れ切った様子を写生するのが俳句です。感性によって感動を捉えることが求められます。このことで、秋元不死男は「感動を物のふるいにかける」と言っています。「物」をしっかりと捉えていない俳句は、それだけ脆弱であると言ってもよいでしょう。「事」よりは「物」と決めてください。
4「切れ」はあるか
俳句は韻文です。切れのない俳句は、散文と変わるところはありません。一句に必ず切れを入れるということをいつも意識してください。一七音しかない俳句は、切れによって、いわゆる「間」を作ることが出来、それによって、わずか一七音の句が大きな広がりを見せるのです。散文の一七音であれば、それ以上の広がりはありません。一七音分の役割を果たせばそれで十分です。
このことでもう一つ注意すべきことがあります。初心のうちは、よく三句切れの句を作るということです。俳句の切れは一句に一つに限るのですが、うっかりして切れを二ヶ所に入れてしまうことがあります。切れが二つあると、句は二ヶ所で切れて、五七五はばらばらになってしまいます。これを三句切れといいます。切れのない俳句は駄目ですが、三句切れも駄目ですので注意をしてください。
5「ことば」は適切か
俳句は言うまでもありませんが「ことば」の文芸です。適切なことばを使わなければ読者には句の意図が伝わりません。日本語には、同じことを言うにも違ったことばが多くあって、その場に最も適したことばを使うことが求められます。俳句は「ことば探し」と言われるのも、もっともなことです。私はいつも類語辞典を手元においてその場に最も適切なことばを探しています。自分では、これで良いと思ったことばでも、もっとふさわしいことばがあるのではないかと考えてみるべきです。
私の句に「春の夢はつしと面を打たれたる」があります。これは、私としては、若いころに剣道をしていましたので、「面を打たれた」というのは、剣道で相手に面を打たれたというつもりであったのですが、そうしたことを知らない人で、私が横面を張られた句であると解してこの句の評をした人がいました。こうした誤解が時に起こることがあります。
6「調べ」はよいか
俳句は韻文です。韻文では調べがなによりも大切なことです。調べの良い句は記憶され、私たちはそうした句を覚えるのです。調べの整っていない句などは、とても覚えられるものではありませんし、逆に、そのような句は覚えてもらえません。句が出来上がった時には、句の調べが良いかどうかをよく考えてみなくてはなりません。芭蕉は「句調はずんば舌頭に千転せよ」と語っていますが、舌頭千転、すなわち何回でも句をくちずさんで、句の調べを整えよという教えです。俳句は韻文であるということを肝に銘ずるべきです。
7「季語」は効いているか
これは2の繰り返しのようになりますが、俳句で季語を使ったら、その季語が絶対にそれでなければならないかということを考えてみよということです。
8「感動」に嘘はないか
感動に嘘があれば、それは当然なことですが、すぐに分かってしまいます。ごまかしは利かないということです。感動とは、「びっくり仰天した」ということばかりではありません。些細なことに感動することはいくらでもありますが、その些細な感動でも、ほんとうにそう思ったらそれを句に詠めばよいのです。何かがいつもとは違っていると見止めることはよくあると思います。そうした感動を詠むのです。
9「類句」「類想句」はないか
誰かの句集をいっしょうけんめいに読んで、その中の句を覚えるということはよくあることです。句を作っていて、その似たような情景なので、覚えていた句と同じような句を作ってしまったということはあり得ることです。盗作のつもりでそれをするのなら問題外ですが、そうでなければ類句と気づいた時点でその句は捨てることです。自分の句の方が、新しい視点が入っているなどと力まないで、あっさりと取り下げてください。類想句を作るのを恐れることはありません。自由に自分の句を作ればよいのですが、類想と分かれば潔く取り下げることです。秋桜子は「たくさんの句を覚え、そしてそれを忘れること」と説いています。何か矛盾したような言い方ですが、たとえ忘れたとしても心に残るものはあります。言葉遣いとか表現法は記憶に残ります。
さらに付け加えれば、「風歳時記」に掲載されているような句の類想句は、気を付けて作らないようにしてください。
10「誤字」「仮名遣いの誤り」はないか
これは大事なことです。辞書を引くことでほとんどの誤りは投句する前に直すことが出来るはずです。俳句を作ろうとしているのなら、このような誤りは、誰かに指摘される前に自分で訂正してほしいと思います。それは俳句作者として当然のことと思います。
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2010年7月
7月20日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。本日の栗田主宰のお話は、「キーワードから学ぶ」です。
第一部 主宰の講話
今日皆さんにお渡しするプリントは、私の若いころに作ったノートの一部です。『風』の投句欄に沢木先生が選後評を書かれますが、その先生の選後評をキーワードごとに切り取ってそれを集積するという方法でノートを作ったのです。例えば、このプリントの例で言えば、沢木先生が、「この句は具体的である」と言われている句を先生の選後評とともに並べるのです。それがたくさんたまりますと、先生が「具体的である」と評される句はどんな句であるかということがたいへんによく分かります。また、「即物的」と評された句を数多く並べてみますと、どのような句が「即物的」と評される句かということが分かります。このようにキーワードごとに句を集めるということが私の俳句の勉強法でして、若いころのこのような勉強が、その後の私の俳句には大いに助けとなっています。この方法は皆さんにも勧めたいと思います。単なる理屈ではなく、具体的な俳句で理解できるのですから、これは間違いのない方法であると確信しています。
さて、それでは、「具体的」というキーワードを見てゆきましょう。
①不作稲馬が喰みをる日高かな
今年は天明時代以来の兇作というが、この句にもその一端が表れている。立ったまま実の入らない稲を馬が喰べているのが具体的で、あわれである。日高とあるから北海道の冷害であろう。
②いちじくの青実舟漕ぐ竿に触れ
千葉県なら十二橋のような水路であろう。まだ青いいちじくの実に竿が触れたのが具体的で新鮮な感じ。実の青さが印象的である。
③虎魚食ふ迷路の多き島の路地
虎魚は夏の季語になっている。形は奇怪だが愛嬌のある魚で、淡白な味がよい。能登の輪島でから揚げを食べ満足したことがある。この句、虎魚を食べた場所が具体的に活写されている。
④ポピー咲く海辺の町に人形店
スペインの海辺の小さな町などが想像される。人形の店が具体的で平凡に流れるのを防いだ。明るく、古くさくない感覚が好ましい。
⑤校庭のバケツに植ゑし余り苗
学校で田植えの実習をしたのであろう。校庭の隅に田をしつらえて、子供が田植の真似をした。苗が余ったのでバケツに植えたというのが具体的で面白い。並べられたバケツで稲を育て観察するのもよい。
⑥蓮堀りの鍬に跳び出す泥蛙
蓮掘りは冬の最中に行うが、蓮根を傷めずに採るには苦労がいる。北陸などでは泥の中に半身を入れて採っているが、この句の場合は比較的浅い処であろう。鍬を深く打ち込んで掘り返すと蛙が飛び出した。冬眠の蛙である。作者の驚きが素直に表れて、泥蛙という言葉が具体的で、素朴で良い。
「ものに感動したら、感動そのものを描くのではなく、感動を引き起した元の物を描け」と子規は言っています。例えば、犬を見てかわいいと感動したとします。しかし、その犬を「かわいい」と言っては俳句になりません。感動したその犬をきちんと写生せよ、その犬のかわいさを具体的に描けということです。要すれば、具体的というのは、ものを通して感動を詠むということなのです。
誓子は、「俳句はあゝである」と言います。その「あゝ」という叫びを、ものを通して詠むのが俳句であると言うのです。①の句では、不作で馬が「あわれ」であると直接言っては俳句にはならないのです。具体的に、馬が実の入らない稲を食べているということを描写して、「あわれ」と感じた作者の心情を表すのです。これが短歌ですと、「あわれ」という言葉を表面に出してこの場面を詠むことになるでしょう。②の句では、竿がいちじくの実に触れたその時に、そのいちじくの新鮮さを感じとったのですが、その実が「新鮮であった」とは言わないで、その実の瑞々しさを述べているのです。③では、虎魚を食べたことではなく、虎魚を食べた場所について描写がされています。迷路が多かったというのがそれでして、この具体的な描写を沢木先生は認めておられるのです。⑥では、「泥蛙」という言葉がその場の情景を具体化したものと先生は言われています。
さて、次は「具象化・即物具象」というキーワードを見てゆきます。
⑦新涼や回収車に積む杵と臼
廃物の回収車が廻って来たが、杵と臼が積まれた。昔はどの農家でも祝いのときには餅をついた。それが回収車にがらくたと一緒に載せられるとはあわれで悲しい。作者のなげきが素朴に具象化されている。
⑧春炬燵母の座椅子の破れけり
年をとった母がずっと座椅子を用いている。それが破れているのを作者が見つけたわけで、愛用の座椅子に即して母へのいたわりの情が具象化された。「春炬燵」の季語がよく生きている。
⑨初嵐藻屑に混る蟹の足
初嵐は秋のはじめの強い風。浜辺に秋の波が流れ藻を打ち上げる。藻屑のなかに蟹のちぎれた足を見つけた。小さい発見であるが季節感を具象化している。
⑩初霰跳ねとび散れり不作の田
不作の田の固い土に跳ねとぶ初霰をとらえ、かなしみを強調。即物具象の作。
「具象化・即物具象」というキーワードが並んでいます。具象化とは、具体化よりもさらにつきつめて作者の深い思いを表したものと解することが出来ます。感動の対象を具体的にとらえることは大切なことで、それがまず第一歩となるのですが、具体的にとらえたものが作者の思いの象徴となって、そのものを通して作者の思い(感動)を表すのです。それが具象化であり、そうした俳句が即物具象の俳句であるのです。⑦の句では、表面には杵と臼を回収車に積んだということだけですが、そこには農村の伝統がこのようにすたれていってしまうのだという作者の万感の思いが象徴されているのです。⑧では、破れた座椅子を描くことで母へのいたわりの情が表出されています。この二句ともに、句の表面には作者の思い(感動)が生のままに出てはいません。読者はそのことをこの句から読み取らなければなりません。このような作品は、句会などではあまり点が入らないものです。句会では一般受けのする、情に流されたような句に点が入りやすいと言えます。ものに作者の情を託すということに慣れないと、そのような句の良さというものが分からないので、点が入らないということになります。即物具象の句の場合は、読者もそれ相応の訓練が必要となります。そのためには、即物具象の句を数多く読む必要があります。単に読むだけではなく、句のポイントはどこにあるのかということを考えながら読む必要があります。伊吹嶺では即物具象の俳句を目指すと宣言しています。この伊吹嶺で俳句を学ぶ皆さんも、このような即物具象の句を目指して進んでほしいと思います。
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2010年6月
6月15日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。本日の栗田主宰のお話は、誓子の「言葉について」です。
第一部 主宰の講話
本日は角川SSコミュニケーションズの季刊誌「俳句研究」夏の号に、誓子の「言葉について」という俳論が掲載されていますので、その内容について紹介をしたいと思います。この俳論は、最初はある俳誌の記念講演会で話されたものですが、後にそれを文章化し、朝日新聞社から出版された『花蜜柑』に収録されたものです。これには、たいへん重要な内容が含まれていますので、みなさんと一緒に読んでゆきたいと思います。
私は、誓子の言葉として、「句は感動であり、感動は「ああ」という叫びである」といつも言っていますが、実は、その言葉は、この「言葉について」で誓子が言っていることなのです。この俳論は二部構成となっていて、第一部は「符牒と心」、第二部は「意味とリズム」です。
第一部の「符牒と心」は次のように始まります。
「私の話はいつもの通り感動ということから始まります。始めに感動ありき、から俳句は始まるのです。一体感動ということはどういうことであるか。人間が自然に出会って思わず「ああ」と叫ぶ、その叫びが感動であります。ただ「ああ」と叫ぶ以外にいいようのない「ああ」であり、いわば言葉を絶した「ああ」であります。それはあくまで作者の心の状態であります。しかしそれをどうしても人に通じなければならないので、人に通じる方法を講ずるのですが、それには言葉によるほかはないのです。言葉を絶した「ああ」であるのに、それを言葉によって表さなければならないのです。そこがむずかしい問題であります。しかしこれはできるのであります。人間が自然に出会って、思わず「ああ」と叫んだとき、物がそこに在って、その物の形象、イメージが在るわけです。感動を引起した物のイメージが心の状態に在るわけです。このイメージをただちに言葉に移せばよいのです。」
ここで、芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の川」を例に取って、イメージを言葉に移すその移し方の説明に入ります。
「芭蕉のこの句を作った時の心の中には、荒海のイメージがあったわけであります。それを「荒海」という言葉で表せばよい。それから佐渡に横たうというイメージ。それを言葉に移せばよいし、天の川のイメージは、それも「天の川」という言葉に移せばよいのであります。ところがよく考えてみますと、そういう言葉は、みな符牒です。言葉は元来符牒であります」
誓子であれば、このように言葉に移せと言われてすぐに出来るかもしれませんが、これはなかなか難しいことで、「佐渡に横たふ」などとはなかなか云えるものではないでしょう。まあしかし、そうしたことと受け取っておいて先へ進みます。それは、イメージと言葉との問題です。作者の受けた感動は、いまの時点で、そしてこの場所で受けた感動なのです。ですから、作者のその時その場でのイメージとその感動を表した言葉とはぴったりと結びついています。しかし、鑑賞の側に立つと、鑑賞者と作者とは別の人間であり、作者が感動を受けたその時間とその空間には居なかったわけですから、作者の心の中のあるイメージは、鑑賞者のものにはならないわけです。それはあくまでも作者のものであるイメージなのです。この時に鑑賞者には何が起こるかといえば、鑑賞者は符牒である言葉に刺激されて、自分の過去のイメージを思いだそうとします。作者のイメージと鑑賞者のイメージは当然ながらまったく別物です。それなのに、作者の句が分るというのはどういうことなのか。誓子は「結合」という概念を持ち出します。作者の心の中のイメージは、ただ単に寄せ算のように並んでいるのではなく、掛け算で結び合っていると言います。俳句はそのような詩であるというのが誓子の考えです。イメージとイメージが結合している詩が俳句であると言います。そのことを昔から、取り合わせとか配合と言っているのを、誓子は新しい言葉で結合と言っているのです。
例えば、上に挙げた芭蕉の句について言うなら、芭蕉は本土側に立って佐渡を見ているわけです。本土と佐渡の間に天の川を横たえることによって、両者を結合したのです。この結合は目には見えないのですが、言わば、抽象作用というものです。しかし、この抽象作用は理解しやすい。たとえ、作者と同じ時間・空間に居なくても、抽象作用さえ分っていれば句は理解できる。これを鑑賞者側から言えば、鑑賞者の読む言葉は符牒に過ぎないけれども、その結合関係を読み取れば、その言葉は単なる符牒ではなく、作者の心の言葉になる。これが、誓子の結論です。このあたりになると、かなり難解になります。
少し前に戻って、俳句は感動であるということですが、これは誓子が言い出したことではありません。感動は詩歌の原点なのです。感動をしたら、その感動を言葉に置き換えるのが詩歌です。その言葉さがしが詩歌と言ってもよいでしょう。俳句も言葉捜しです。明確に言葉に置き換えるのです。それは何も特別に持って回った表現を捜せというのではありません。普段我々が普通に使っている言葉で置き換えるのです。子規は言っています。「物に感動したら、感動そのものを描くのではなく、感動を引き起した元の物を描け」と。ある物が綺麗だ、美しいと感動したら、その物が「綺麗だ、美しい」と言わないで、その物がどのように美しいのかを言葉に置き換えるのです。このことは、子規から誓子へ、そして沢木先生へと受け継がれており、吾が伊吹嶺はその道を進んでいるのです。いわば、俳句の本道を進んでいると言ってもよいでしょう。
次に「意味とリズム」へ進みます。
俳句は感動を表すと言いましたが、それを一七音の定型で表現するのが俳句であると誓子は言います。これが前提条件であるので、この一七音の定型詩という原則はどうあっても守るべきものなのです。一七音の定型には、言葉が詰まっています。言葉には意味と音と両方があり、一七音の定型に詰まった言葉は、一方から見れば意味の固まりであり、それと同時に音も詰まっていて、音の固まりでもあるわけです。ただ、音と言っただけでは正確を欠くので、リズムと言い直したら分りやすいかもしれません。故に、「意味とリズム」としたと誓子は述べています。
では、リズムとは何かということになります。短歌では五・七・五・七・七、俳句では五・七・五です。短歌では五・七・五・七・七と流れて行くが、俳句の五・七・五は、流れたかと思ったらすぐに堰止められてしまいます。しかし、堰止められてしまうのだけれども、流れている間は流れてリズムをなしています。ですから、俳句の一七音定型は、意味の固まりでもあり、リズムの固まりでもあると言うのです。俳句の一七音定型は意味とリズムを詰める容器なのです。
自由律俳句というのがあります。尾崎放哉や種田山頭火の俳句がそうなのですが、これらの俳句には、一七音定型で言う容器というものがありません。この二人の俳人の句を見ればそのことはすぐに分ります。それでは、一七音定型を標榜する俳句ではどういうことをするかということになりますが、ここからが誓子の独特の言葉での説明となります。
「一七音定型というのは容器でありますから、詠いたい言葉をこの容器に投げ入れるのです。一七音に収まるように投げ入れるのです。その言葉は意味を表す言葉です。自分のイメージにぴったりする言葉、そして正しく意味を伝える言葉を一七音の中に投げ入れるのです。その次に投げ入れた言葉をゆすぶらなくてはいけません。五・七・五のリズムを整えるために、ゆすぶるのです。投げ入れて、意味を整えるだけでなく、五・七・五のリズムを整えるためにゆすぶらなくてはならぬのです。一七音定型というものが、意味の固まりであり、リズムの固まりであるとすれば、当然この投げ入れ、ゆすぶりをやらなければならんのです。ところが、自由律の方では、容器がないのですから、投げ入れるということが全然ないのであります。投げ出すだけです。放哉の作品の中に、ちょうど一七音の作もあります。
わがからだ焚火にうらおもてあぶる
投げ入れて一七音にうまく収めてありますが、分析しますと、五・四・五・三というリズムです。これはわれわれのリズムではありません。われわれならこれを、五・七・五というリズムにゆすぶり直さなければならぬのです。これをゆすぶってみますと、
わがからだ焚火にあぶるうらおもて
となります。こういたしますと、五・七・五のリズムになって、われわれの俳句になるわけです。」
この「意味とリズム」の結論として、誓子が強調するのは、「十七音定型を固く守ること」です。単に合計が十七音であるというのではなく、五・七・五のリズムを尊重しなければならないと言います。十七音を踏み外しても、五・七・五の調べに外れてもよいという人があったとしても、それはその人の個人的な意見に過ぎないし、十七音を踏み外さなければ新しい俳句ではないと主張したりするのは、言語道断であるとします。俳句は十七音定型と決っているのだから、その俳句を選んだ以上は、それを守るのが当然だと強調するのです。
ところで、この『俳句研究』夏の号に、今年の俳人協会賞受賞記念の「句」と「ことば」を求められて寄稿しました。その「ことば」の中で、私がことに述べたかったことは、沢木先生の教えです。昭和四十一年に「風」に入会したのですが、「風」での沢木先生の雑詠選は厳選でした。先生は、俳句の特性を知っていないと、十年、二十年句作しても上達はしないということ、それは基礎が疎かになっているからであるとされて、私たちに基本の大切さを説いてくださったのです。沢木先生は、感動を「物」を通して結晶させるのが即物であり、結晶した感動を「物」を通すことによって定着させるのが具象化であるとされ、作句の基本の態度方法として「即物具象化」の重要性を繰り返し説いてくださったのです。これは、上で述べた誓子の俳論の中心をなすものでもありますし、子規の言葉とも違うところはありません。繰り返しとなりますが、伊吹嶺の俳句は子規以来の俳句の本道を進んでいるという自信を持ってよいのです。感動のないところには、俳句は生まれません。もう一度初心に帰り、素直に感動する心を大切にし、一歩でも先生の教えに近づけるよう、仲間と共に牛歩ではあっても歩み続けていきたいと願っています。
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2010年4月
4月20日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。本日の栗田主宰のお話は、「俳句の基礎用語」です。
第一部 主宰の講話
本日は角川の月刊誌『俳句』四月号に掲載されている佐藤郁良さんの「俳句基礎用語集」に基づいて話を進めてゆきたいと思います。この記事は、この雑誌の特集で「挫折しないための六十代からの俳句入門」の一部として掲載されているものです。そして、ここに書かれていることは、皆さんはほとんど御存知のこととは思いますが、復習の意味もありますので、それを読みながら、また、その記事に関連して例句などを加えながら話をすることにします。
まず、その第一は「句のつくり」です。
①「音数の数え方」
この数え方で時に迷う人もいますが、次の原則を覚えておけば間違いありません。
「拗音(ゃ・ゅ・ょ)は一字に数えない。促音(っ)と長音(―)は一字に数える」
そこで例えば、「チューリップ」はどうなのか数えてみます。これには、拗音、長音、促音のすべてが入っています。1チュ(拗音)2―(長音)3リ 4ッ(促音)5プ ということで、チューリップは五音です。
チューリップ喜びだけを持つている 細見綾子
②上五・中七・下五
これは、俳句の五・七・五 それぞれの部分を指す言い回しです。例えば、虚子の
春風や闘志抱きて丘に立つ
では、上五は「春風や」、中七は「闘志抱きて」、下五は「丘に立つ」です。下五は座五という場合もあります。
飛魚や・航海日誌・けふも晴 松井東洋城
句の途中で・を入れていますが、これは分りやすくするためのもので、句に・を入れることはありませんので、念の為。
③字余り
上五・中七・下五が、それぞれ規定の音数を超えることを字余りと言います。上五が一字多い場合は上六、中七が一字多い場合は中八、下五が一字多い場合は下六と言います。この中でも中八は、特にリズムを乱しやすいため、好ましくないとされています。
寒餅の・荷の釘づけの・かたし固し 細見綾子
貧しき通夜・アイスキャンデー・噛み舐めて 西東三鬼
細見先生の句では、「かたし固し」と繰り返すことで、その固さを印象付ける効果があります。
④字足らず
字余りの逆で、規定の音数に満たないのを字足らずと言います。字足らずは字余り以上にリズムを崩しやすいので、めったに成功しません。
兎も・片耳垂るる・大暑かな 芥川龍之介
最初は「子兎も」であったのですが、大きな兎の方が耳の垂れるのがはっきりするということで、「兎の」と、敢えて破調にしたという話が伝えられています。
⑤句またがり
上五から中七へ、または中七から下五へ、フレーズがまたがっている句のことを句またがりと言います。次のような例があります。
水迄も匂ふ泰山木の花 星野椿
万緑の中や吾子の歯生え初むる 中村草田男
木の葉降りやまずいそぐないそぐなよ 加藤楸邨
⑥自由律
五七五の枠を度外視して作られる俳句を自由律俳句と言います。種田山頭火は尾崎放哉が知られていますが、自由律の俳句でも、俳句での季語を詠み込んだ句が多くあり、自由律とはいえ、完全に俳句から離れたものではないでしょう。
あるけばかつこう いそげばかつこう 種田山頭火
咳をしてもひとり 尾崎放哉
山頭火の句では「かつこう」が、放哉の句では「咳」が季語です。
第二の「技法」へ進みます。
①切字
一句の中に意味の断絶を生じさせたり、詠嘆を込めて一句を終らせる効果をもった言葉のことを切字と言います。代表的な切字には、「や」「かな」「けり」があり、これを二つ以上併用することは、好ましくないとされています。これ以外にも、「ず」「ぬ」「なり」など助動詞の終止形、形容詞語尾の「し」などが、切字として用いられます。その他に、いろいろな助詞が切れ字として用いられます。なお、芭蕉は、「切れ字に用る時は、四十八字皆切れ字也」(『去来抄』)といっています。どんな言葉でも切れ字になる可能性があるということです。しかし、切るという意図がなければ、どんな言葉を用いても切れ字にはならないとも説いています。下の句はいずれも< >で囲んだものが切れ字です。漱石の句では、時鳥と厠の間には切れ字はありませんが、「時鳥」という名詞で句は切れており、この名詞が切れ字の役割を果たしています。
初冬<や>行李の底の木綿縞 細見綾子
冬蜂の死にどころなく歩き<けり> 村上鬼城
白墨の手を洗ひをる野分<かな> 中村草田男
遠雷のいとかすかなるたしかさ<よ> 細見綾子
時鳥< >厠半ばに出かねたり 夏目漱石
降る雪<や>明治は遠くなりにけり 中村草田男
②一物仕立
俳句には、普通、季語が一つ入ります。その季語自体を一七音で詠んだ句を、一物仕立と言います。例えば、子規の
鶏頭の一四五本もありぬべし
は、季語の鶏頭のみを詠みこんでいますので、一物仕立の句です。この種の句は、作るにはたいへん難しいものです。一物仕立の句を挙げてみます。
をりとりてはらりとおもきすすきかな 飯田蛇笏
白牡丹といふといへども紅ほのか 高浜虚子
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 飯田蛇笏
ゆさゆさと大枝ゆるる桜かな 村上鬼城
③取り合わせ
一物仕立に対して、季節とそれ以外のモノを一句に詠み込むことを、取り合わせと言います。二つのものを取り合わせることで、イメージの広がりを狙う手法で、そのような観点から二物衝撃と呼ばれることもあります。例えば、久保田万太郎の
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり
は、切れ字の「や」を境にして、二物が取り合わされています。
夏の河赤き鉄鎖のはし浸る 山口誓子
冬草や黙々たりし父の愛 富安風生
わが妻に永き青春桜餅 沢木欣一
二番目の句の場合に、「冬草」であるのでこの句は成り立つのですが、これが「春草」であったりすると、句は成り立たなくなってしまうでしょう。取り合わせるものに対する慎重な配慮が必要です。
④即きすぎ
取り合わせの句において、季語と季語以外のモノとの関係が密接すぎることを即きすぎと言います。取り合わせは、二物をぶつけることでイメージの広がりを狙う方法ですが、即きすぎの場合は、そのイメージが広がらず、固定観念の中に収まってしまい、平板な句になりがちです。例えば、上の万太郎の句の季語を変えて、
蛍火やいのちのはてのうすあかり
としたら、中七以後は蛍火の説明に過ぎなくなってしまい、即きすぎということになります。
逆に、季語とモノとの関係があまりにも希薄だと、読者を悩ませる難解な句になってしまいます。このような場合を、離れすぎ・即いていないなどと言うことがあります。
なお、「季語が動く」ということがよく言われますが、それは、季語と取り合わせたモノとの関係が適切ではないということです。どんな季語を持ってきても成り立ってしまうようでは、適切とは言えません。この季語でなければならないというものとの取り合わせを考えなければなりません。この即きすぎ、離れすぎについては、先月の俳句教室でも触れたことですので、そちらのレポートも読んでみてください。
⑤季重なり
一句の中に、二つ以上の季語が入っている句を季重なりと言います。季語はさまざまな情報を内包している言葉ですので、季語が二つ以上入ると句の印象が分散してしまい、一般的に好ましくないとされています。ただ、二つの季語の優劣がはっきりしている場合は、季重なりが成功することもあります。例えば、水原秋桜子の、
啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々
の場合、啄木鳥が秋の季語、落葉が冬の季語ですが、啄木鳥に切れ字の「や」が用いられていることからも、こちらをメインの季語と見なすことができます。
正月の月が明るい手まり歌 細見綾子
でで虫が桑で吹かるる秋の風 細見綾子
かりかりと蟷螂蜂の皃を食む 山口誓子
葉鶏頭のいただき踊る驟雨かな 杉田久女
細見先生の句は自由奔放と言ったらよいのか、とても真似の出来るものではありません。
⑥無季
一句に季語が一つも入っていない句のことを無季と言います。俳句は季語の持つ情報を最大限に活かして作る文芸ですので、季語のない句は印象が散漫になり、散文的になりやすいと言えるでしょう。無季の句を作るには相当の修練が必要です。金子兜太の、
湾曲し火傷し爆心地のマラソン
は無季の句ですが、爆心地という言葉が季語に匹敵する強さを持っていることで成り立っています。
射ち来る弾道見えずとも低し 三橋敏雄
戦車ゆきがりがりと地を掻きすすむ 三橋敏雄
広島や卵食ふ時口開く 西東三鬼
三橋敏雄の句では、季語に匹敵するものとして「戦争」が、三鬼の句では「広島」が使われています。なお、「ふるさと」や、「父」「母」などは季語に匹敵するものでしょう。ただ、伊吹嶺は無季の句を作ることを考えてはいません。
⑦写生
正岡子規が提唱した俳句の基本理念で、対象をありのままに描き写す方法を写生と言います。とは言え、単なる常識的なことがらに終らず、自分の言葉で対象を写し取ることは、決して容易ではありません。優れた写生の眼を養うためには、それなりの修練と表現力が必要です。この写生の重要性はこれまでも何度も何度もお話をしてきています。
⑧季語の本意
季語は、和歌以来の長い伝統の中で培われてきた言葉ですので、その過程で多くの日本人に共有されてきたイメージというものがあります。それを季語の本意と言います。例えば、「花」「桜」と場合は、咲き満ちる美しさもさることながら、散り行くときのはかなさも本意と考えてよいでしょう。季語の本意をよく知るということが俳句では欠かすことは出来ません。
第三は「類想と類句」です。
選評の中で、「この句には類句がある」などと指摘されることがあります。俳句は極めて短い詩型のため、誰かとそっくりの句が出来てしまうことが多いのです。有名な句が頭の中にすり込まれていて、思わず似た句を作ってしまうこともあるでしょう。指摘された場合は、その句を捨てるのが賢明です。類句ほどそっくりでなくても、よく似た発想で作られた句に対して、類想があると言います。季語に対するイメージが固定化してしまうと、類想に陥りやすくなるので注意しましょう。例えば、赤蜻蛉というと、指先に止まっているものというイメージが固定化しているのか、そうした句が沢山投句されて来ます。ものをよく見ないで頭のなかだけで句を作ることから、こうしたことになるのです。
私の経験では、ある俳句団体の今年の四月の全国的な俳句大会での投句で、次のような投句があって問題になったことがあります。
雪下ろす屋根の上より御慶かな
この句を入選として公表しましたら、下の二句がすでに発表されているという連絡があったのです。そこで、入選を取り消すということになりました。十七音しかない俳句にあっては、こうしたことが時に起きるのです。
これが盗作であれば問題ですが、意図的でなくても起こる可能性はあります。また、後から発表された句でも、それが前に発表された句より優れている場合もあり得ると思いますが、その判定は誰が下すかということも難しい問題です。普通には、後から発表された方を取り消すことになっています。
雪卸す屋根の上なる御慶かな 北海道(17年・4月)
雪卸屋根より交す御慶かな 岩手(21年・2月)
私の若い頃のことですが、「風」の伊豆吟行の句会でのことです。
伊豆晴れて白木蓮に雨しづく 栗田やすし
伊豆晴れて白木蓮に雨の粒 沢木欣一
当日の句会で、同時にこの二つの句が投句されました。同じものを見て句を作りますので、こうしたことは吟行ではよくあることです。この二句を見てみると、「雨の粒」とした沢木先生の句の方が優れていると思います。しかし、沢木先生は「雨の粒」の句をその後発表されることはありませんでした。
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3月16日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。本日の栗田主宰のお話は、「俳句の基本事項の復習」です。
第一部 主宰の講話
本日は長谷川櫂さんの著書『一億人の俳句入門』から、これは皆さんにお伝えしたいという部分を引用しながら話を進めてゆきたいと思います。
「詠むと読む」ということから始めます。人の書いたものを「よむ」場合には「読む」、もう一つ、自分が詩歌を「よむ」場合には「詠む」と言うのですが、この二つはたまたま偶然に同じ読み方をするというのではなく、両者は深くかかわり合っているのでして、人の俳句の読み方が上手くなれば、自分の句の詠み方も上手くなるわけです。私もこのことは前々から言っていますが、この二つは車の両輪のようなもので、切り離すことは出来ません。どのような俳句を読めばよいか分らないというのなら、優れた俳人の優れた俳句鑑賞文を集めた本を読むことです。それよりももっと手近なところでは、「伊吹集」の私の選評を読んでください。私の若い頃のことを言いますと、『風』の選後評を丹念に読んで、キーワードごとに分類してまとめてみたのです。例えば、「写生」という項目を作り、それに、沢木先生の選後評を切り取って集積してゆくのです。その数がたまってゆきますと、沢木先生の「写生」ということばが具体的な姿を見せるようになります。「写生」の他に、「発見」、「感覚」、「象徴」、「単純化」、「実感」、「素直」、「季語がよく効いている」、「配合・取り合せの妙」、「面白さ」などなど。これらのキーワードごとに句を集めて「読む」ことの勉強をしてきました。これが私の工夫でした。
さて、櫂さんによれば、俳句を詠むときに大事なことは次の三つです。
1 わかるように詠む
2 すっきりと詠む
3 いきいきと詠む
まず、「わかるように詠む」ですが、「俳句はわかるように詠まなければならない・・・言語というものは、人と人との意志疎通のためのもので、俳句は言語で作られるものであるからには、自分がわかるだけではなく、人が読んでわかるものでなければならない」と櫂さんは言います。これは至極当然のことですが、俳句は短いので、余計に独り善がりになりやすいのです。この程度ならわかってもらえるといのはとんでもない誤解で、「俳句を詠もうとする人は、言葉は通じないものだ、俳句はなかなかわかってもらえないものだということを、まず肝に銘じなくてはならないだろう。俳句をただ詠んだのでは通じないからこそ、通じるように工夫する」ことが大切であると続けています。
次に、「すっきりと詠む」ということですが、すっきりと単純な姿の句にしなければならないということです。特に、句のなかに説明や理屈を持ち込まないことが肝要であるということです。「わかるように詠む」というのは、句を説明調にすることではないのです。櫂さんの言葉を借りますと、「たしかに「わかるように詠む」ことと「すっきりと詠む」ことは矛盾するようにみえる。この二つを一句のなかで両立させるのが切れだ。切れは理屈や説明を断ち切る。それが取りも直さず、句をすっきりとさせる」となります。
その例として挙げられているのが、誰でも知っている芭蕉の有名な句です。
古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉
もしこの句の上五が、「古池に」であったらどうなのかということですが、そうなると、古池に蛙が飛びこんで水の音がしたというだけの理屈の句になってしまう。「古池や」であれば、切れ字の「や」で大きな間がここに出来て、「古池に」のもつ理屈が切断される。蛙が水に飛びこむ音を聞いて心のなかに古池の幻が浮かんだという理屈を脱した句になると、櫂さんは解説を加えています。
切れ字の「や」については、高浜虚子もほぼ同じようなことを言っています。その例として、
春風や殿待うくる船かざり 嵐雪
を挙げています。この句で「や」と切ったために、春風というものに付随するあらゆる感じをまず読者の頭に呼び起しておいて、次に続く景色をその中に浮かび出さしめるのです。これを「春風の吹いている日に」とか「春風の吹きみちている中に」とかいっただけではまだ十分にこの「や」の字の働きを説明したものとはいうことができません。そういう限られた意味ではなく、春風について起しうるあらゆる感じを呼び起こすところに「や」の働きはあるのです。この「や」によって、大きな間が生ずることで、「春風」が理屈となるのを断ち切ったのです。次はまた櫂さんの解説に戻ります。
蕣(あさがお)や昼は錠おろす門の垣 芭蕉
この句も朝顔が垣根に絡まりついているとか、何色の花がいくつ咲いているとか、いっさい説明せずにただ「蕣や」と置いている。この切れによって、大きな「間」が生まれ、この句をすっきりしたものにしている。くどくど説明はせずに切れによって「間」を作ることが必要であるというのです。これが句の姿を整えることになり、句がすっきりとするのです。朝顔が垣根に絡まりついているとか、何色の花が咲いているとかはすべて読者の想像に任せればよいというのです。
ところが、「読者の想像に任せる」ことがなかなか出来ずに、未練がましくくどくどと説明を繰り返す人がいます。読者を信ずるという潔い姿勢が作者には必要です。一人で句を作っていたのでは、この域を抜け出すのは難しいでしょう。句会に出席する意義は、こうしたことを学ぶことにあると思っています。
最後は「いきいきと詠む」です。これは、「描こうとするものの生命感と存在感をしっかりととらえること」です。その例として、
しら露もこぼさぬ萩のうねり哉 芭蕉
を挙げています。「葉や花に露の玉をいっぱいのせた萩の枝が目の前にゆらりと現れるようではないか」とは、櫂さんの言葉です。
次は、「一物仕立ての句と取り合せの句」についてです。俳句には、「一物仕立ての句」と「取り合せの句」の二つのタイプがあります。一物仕立ての句というのは、芭蕉が言うように、上から下へ「黄金を打ち伸べたる如く」一つの素材(一つの物)を詠んで句に仕立てるタイプのものです。取り合せの句というのは、二つの異質な素材(二つの物)を取り合わせて(組み合わせて)句とするものです。
神にませばまこと美はし那智の瀧 虚子
菜の花や月は東に日は西に 蕪村
上は「一物仕立て」、下は「取り合わせ」の句です。虚子には一物仕立ての句が多く、この種の句で有名な句を数多く残しています。ところで、一物仕立ての句でもっとも注意すべきことは、「句の内容にはっとするものがなければならない」と櫂さんは教えています。「那智の滝」の句は、読んでいてまさしくはっとします。しかし、はっとするもののない句は「ただごと」であるとして、次のような例を出しています。
ガイドブックに桜の花びら舞ひ落つる
春雷はとどろとどろと遥かより
何等見どころのない、ただそれだけのことだというわけです。事実の報告に過ぎないという言い方もあります。要すれば、「上の句は桜の花の散る場面の説明に過ぎないし、下の句は春雷という季語を説明しているだけのこと」であるのです。このような句を「ただごと」の句と言います。いずれの句にも、なんらはっとするものがないのです。
取り合わせの句では、蕪村の句を例に出してありますが、「菜の花」と「月は東に日は西に」とを取り合わせたものです。二つの素材には直接の関係はないのですが、しかし、この二つを取り合わせたことで関係が生じ、その関係が読者をはっとさせることになるのです。しかし、取り合せはいつも成功するという保証はありません。うまく行かない場合が多くあります。二つの素材の関係が近すぎれば、陳腐な感じがします。これを「付きすぎ」と言います。一方、関係が遠すぎれば、離れすぎていて読者に理解されません。これは「離れすぎ」です。上の句が「付きすぎ」の例で、愚かしいことにさらに愚かしい季語を重ねて使っています。下が「離れすぎ」の例で、季語の「春一番」と、それ以外の部分との関わりがこれでは分かりません。
自販機の釣銭出でず四月馬鹿
春一番骨董品の並ぶ市
「ただごと」と言い、「付きすぎ」「離れすぎ」と言い、言葉で言えば簡単ですが、俳句を作った時点でそれとはっきり認識するのは、なかなか難しいことなのです。これには、第三者の目が必要になるでしょう。俳句は短いが故に独り善がりに陥る危険が大きいのです。自らが第三者として客観的な判断を下すようになるには、かなりの修練の年月が必要です。句会はその修練のためにあるようなもので、句会に出て指導者の選評を聞き、仲間の感想を聞き、そうしたことを通じて、自分の句について客観的に判断が順次できるようになってゆくのです。句が良いか悪いかは、自分ではなかなか判断がつきませんので、最初のうちは良し悪しは考えずに、基本に忠実な句を沢山作ることです。その中から自分で選んだ句を句会に出して、第三者の判断を仰ぐというのが正道でしょう。
ところで、ここに自らの句に註を書き込んだ、いわゆる、自註句集を何冊か持っていますが、この種の句集を読むのはたいへん参考になります。ただ、作者の自註だけを読むというのは駄目で、自註を読む前にその句の鑑賞を自分でしてみることが大切です。自分で作品を読む訓練をすることです。「読む」と「詠む」との両方の力が俳句では必要なのです。
本日は、長谷川櫂さんの『一億人の俳句入門』からいろいろ引用をしながら、俳句の基本事項についてお話しました。「入門」と言うにはやや難しい箇所もありますが、役に立つ本と思って紹介したわけです。
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2月16日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。本日の栗田主宰のお話は、「思い出の一句」です。
第一部 主宰の講話 「思い出の一句」
「伊吹嶺」には「思い出の一句」というコーナーがあり、会員のみなさんの「思い出の一句」が連載されていますが、私の思い出の一句は、沢木先生の「万燈のまたゝき合ひて春立てり」です。私がまだ三十代の前半でしたが、「風」に入会して間もないころのことで、昭和四十三年に奈良で「風」の鍛錬会がありました。寒くて雪の舞う奈良での吟行に恐る恐る参加したのです。後に「山繭」の主宰となった宮田正和さんと肩を寄せあって奈良を歩きました。その、奈良での沢木先生の句が、ここに挙げた「万燈のまたゝき合ひて春立てり」です。この句は、今述べたようなことで、私にはほんとうに思い出深い一句となったわけです。俳句は座の文芸と言われていますが、まさしく、私が居たその場での先生の作であり、その場に居合わせたという幸せをしみじみと感じる句なのです。
この句について、若月瑞峰さんは次のように書いておられます。引用が多少長くなりますが全文を挙げることにします。
万燈のまたたき合ひて春たてり
昭和四十三年作。句集『地声』所収。この年三月四、五日の両日にわたり、「風」関西吟行会が奈良で行われた。四日夜、春日神社万燈籠を見学、新若草温泉でその夜開かれた句会に投句した句である。
欣一はこの奈良吟行で得た作品をまとめて「俳句」三月号に「萬燈籠」三十句の大作を発表した。
「萬燈籠」三十句について、林徹氏が「風」昭和四十三年六月号に注目すべき一文を記している。沢木欣一研究にとって重要な意味を持っているので引用しておきたい。
「欣一が前衛俳句と手を切ってもう五年くらいにはなると思うが、今度の群作はその後の彼がたどりついた高みを如実に示すに足るものであると私は信ずる。流行の行き過ぎをおそれて、かたくななまでに不易を説いた欣一の態度は、俳壇内外の毀誉褒貶に包まれていたし、あるいは今もってそうであるかも知れぬ。「萬燈籠」三十句は、まるで自ら求めるかのように俳壇の毀誉褒貶のさなかに立った欣一の一回答書を見る思いを私に与える。何といったって俳人は俳句を作る人間だ。何枚の論文を書こうと、俳句実作そのものを提出する以上に明確な自己主張があろう筈はない」
俳句界が社会性論争に揺れ動いていた昭和三十一年に、句集『塩田』を世に問うて以来ひたすら沈潜をつづけてきた沢木欣一の作家としての軌跡を、林徹氏の一文は明かしてくれるのである。
掲出の万燈の句は「万燈籠 二月四日 奈良春日神社にて 八句」の中の一句である。
闇厚く寒気最中の人語佳し
万燈の灯入れ待つ心貧しくて
灯の入りて人の温みの石燈籠
万燈のまたたき合ひて春たてり
火袋の飛天女遊ぶ春の闇
万燈籠殺生戒を祈り籠め
万燈の闇に割り込む酒気帯びて
万燈会に交る父の墓造らずて
また、自註現代俳句シリーズ『沢木欣一集』の自註では「奈良春日大社の万燈籠。節分の夜、境内四千の燈籠に灯が入る。きびしい寒さのなかで春が立つ」とあり、きわめて簡潔な文章であるが、終りに一節が印象深い。
かたくなに不易を説き、句集『地声』で「観念の喧騒を嫌って、現実の事物にねんごろに触れ、物自体の声を響かせたい」という欣一俳句が到達した高さを示している一句で、またたき合う万燈のひとつひとつのいのちの輝きが見える。沢木欣一の句業のなかで『塩田』以後重要な位置を占める句ではないかと思う。[出典 細見綾子編『欣一俳句鑑賞』(平成三年)]
その鍛錬句会で、私が詠んで投句したのがこの句です。
汚れたる残雪孕み鹿歩む
この句について、後に沢木先生から次のように評をいただいています。
「鹿は、十、十一月ごろ交尾し、妊娠期間は約七、八カ月、五月から七月にかけて子を産む。子の数は普通一匹だけで、双子は極めて少ない。孕んだ鹿は二、三月になると腹の大きくなったのが目立ち、動作が鈍くなったり、脱毛したりして、あわれな姿になる。自然のおごそかな摂理で、動物の雌の本能は人間も変らない。
この句の景は奈良公園あたりであろう。春日野の凹地に薄汚れた雪が春になっても残っていて、風もまだ冷たい。孕み鹿が残雪の上を重い足どりで歩いている姿はなまなましく感動的である。[沢木欣一『日々の俳句』]
この時の私の句で、「増長の背の闇凍てて静もれり」という句があり、これは句会でA先生に特選に取っていただいたのですが、A先生の評に「増長している男を客観的に捉え、その男を冷ややかにみている句である」とありましたが、実は、これは四天王のうちの増長天のことを読んだもので、「増長の」としたためにこのような誤解を生んだものです。これははっきり「増長天」とすべきであったと思っています。
この奈良吟行で一緒に歩いた宮田正和さんの主宰する「山繭」三十周年の記念号に「飛火野を彷徨ふ若き鹿たりし」という句を贈りました。宮田さんからは「飛火野の若き鹿よりの歳月、思いおります」という返書がありました。
この奈良吟行会は私には忘れられない吟行です。
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2010年1月
1月19日、本年最初の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。本日の栗田主宰のお話は、「俳句の表記について」です。
第一部 主宰の講話 「俳句の表記について」
「表記も俳句のうち」と言われていますが、俳句はきちんとした日本語で書き表したいものです。そこで、本日はそのことを考えてみようと思います。現在、沢山の俳句結社がありますが、結社の機関誌に、句を投句する場合の表記の約束事を掲載しているところもあります。本日用意したプリントは、秋桜子が創刊して現在に至る有名な俳誌「馬酔木」の一ページをコピーしたものですが、ここには、「馬酔木」での約束事が幾つか定められています。「馬酔木」は旧仮名遣いを使うと明言しています。さて、伊吹嶺では、そうした約束事は決めてはいませんが、一つだけ明確にしていることがあります。それは、「馬酔木」と同様に「旧仮名遣いを使う」ということです。これは、伊吹集の投句葉書にはっきりと明記してあります。新仮名・旧仮名の問題は避けて通ることができないことですが、俳句は、歴史的仮名遣い、即ち、旧仮名を使うべきものと考えています。新仮名遣いを容認する結社もあることは承知していますが、伊吹嶺では新仮名遣いを容認していません。
伊吹集に投句されてくる句には、旧仮名遣いに違反するものが時にありまして、その句を伊吹集に掲載する場合には編集部においてその誤りをいちいち訂正しています。これはかなり時間のかかる仕事でして、編集部のみなさんには相当の負担となっています。送られてきた伊吹嶺を見て、伊吹集に投句したご本人がその誤りの訂正されたことに気付き、次からの投句にそうした誤りを繰り返さないように気を付けてもらえるとよいのですが、どうもそれと気付かない人が多くて、同じような誤りのある句を次の号にも送ってくるのです。自分の送った句のどこが訂正されたのかよく調べてほしいといつも思っています。
それでは、「馬酔木」のプリントの順に従って、表記の問題点を幾つかお話してゆきたいと思います。まず、「仮名遣いについて」ですが、仮名遣い、送り仮名は文語体(旧仮名)とする、ということです。例えば、
例①「~だそうだ」(口語)―――→「~ださうだ」(文語)
「~のようだ」(口語)―――→「~のやうだ」(文語)
例② 負う、追う、縫う(口語)―――→負ふ、追ふ、縫ふ(文語)
老いる、超える(口語)―――→老ゆ、超ゆ(文語)
例②の一行目の動詞は、文語ではすべて「ハ行」の動詞ですので、「ハ、ヒ、フ、フ、ヘ、ヘ」のように変化します。この「ハ行」の動詞の数は非常に多く、「ハ行」動詞に気を付けていれば、文法上の間違いの半分以上を減らすことが出来ると断言出来ます。常に辞書で確認する手間を惜しまないでください。慣れてくれば何でもないことなのです。
二行目の「老ゆ、超ゆ」は、文語では「ヤ行」で変化する動詞です。「ヤ行」は「ヤ、イ、ユ、エ、ヨ」であることは誰でも知っているはずです。「老ゆ」は上二段活用の動詞、「イ、ユ」で変化します。「老ひる」とする人が多くいますが、「ヤ行」に「ヒ」はありません。文語を意識し過ぎての誤りです。「超ゆ」も同じく「ヤ行」の動詞ですが、これは下二段活用の動詞で、「ユ、エ」で変化します。「超へ」とする人がいますが、「ヤ行」に「ヘ」はありません。「超え」が正しい使い方です。いずれも、電子辞書一つあれば、簡単に分ることです。まず、電子辞書の広辞苑で、「超える」を出してみますと、文語では「こ・ゆ」(下二)と記載されていますので、これで分るのですが、念のために、「古語辞典」に切り替えて「こゆ」を出してみますと、どのように変化して使われるかは一目瞭然です。
誤りやすい例を出して説明したのですが、ここでもう一つ注意してほしいことがあります。それは「音便」です。発音上の便宜のために、もとの音とは違った音に変る現象のことですが、これは我々は子供のころから慣れ親しんでいることですので、どう表記するかという呼吸を呑み込んでしまえばいとも簡単なことです。
文語の音便には、「イ音便」、「ウ音便」、「撥音便」、「促音便」の四種類があります。主に、文語の四段活用の動詞の連用形が「て」とか「たり」などに連なるときに起こることで、これは俳句にはよく出てくることです。
ただし、少数の例ですが、音便形を使わない方が良いと作者が判断した場合には音便が使われないこともあります。
① イ音便 カ行、ガ行活用のキ、ギがイに変ります。それに、ガ行活用の場合は、「て」「たり」が、「で」「だり」になります。
山の名を聞いて忘れぬ春の雲 大串 章
短冊に春の句書いて破りけり 正岡子規
いずれも、「聞きて」が「聞いて」、「書きて」が「書いて」となったもので、新仮名遣いと同じ形になりますが、これは文語動詞の音便形です。
② ウ音便 ハ行活用のヒがウになるものです。
神の旅追うて三河の風の中 鈴木鷹夫
われ在りと思うてをれば厠の蚊 辻田克巳
「追ひて」、「思ひて」が「追うて」、「思うて」となったものです。この形はたいへんよく出て来ますので、承知しておいてください。
③ 撥音便 ナ行活用のニ、バ行活用のビ、マ行活用のミが、ンとなるものです。この場合、続く「て」「たり」も変って、「で」「だり」となります。
燈台の高さを飛んで秋燕 細見綾子
熱き茶を飲んで用なし寒雀
石田波郷
「飛びて」、「飲みて」が「飛んで」、「飲んで」となったものです。いずれも「て」が「で」となっています。
④ 促音便 タ行活用のチ、ハ行活用のヒ、ラ行活用のリが、ツになるものです。
風立つて月光の坂ひらひらす 大野林火
月の夜の簗番買つて出たきかな 矢島渚男
「立ちて」、「買ひて」が「立つて」「買つて」となったものです。
次に、促音と拗音の表記について話を進めます。上の音便の最後の例で、「立って」「買って」が出て来ましたが、この表記を文語では「立つて」「買つて」として、「つ」を口語のように小さく「っ」とはしません。ひらがなの促音(小さな「っ」)や、拗音(小さな「ゃ」「ゅ」「ょ」など)は、文語では小さく書かず、「つ」「や」「ゆ」「よ」と大きく書きます。
牡蛎鍋の葱の切つ先そろひけり 水原秋桜子
窯ぐれで終る一生ちやんちやんこ 平野平州
口語では「切っ先」「ちゃんちゃんこ」と、促音・拗音は小さく書くところです。ただし、外来語をカタカナ表記する場合は、促音・拗音ともに小さく書きます。
春ショールひるがへり見ゆ石舞台 大石悦子
日が射してもうクロッカス咲く時分 高野素十
送り仮名も時に問題となります。これにも注意をしましょう。よくある間違いですが、一句の最後に来る名詞(季語の場合が多い)にも送り仮名を付ける人がいますが、これはいけません。
千木見ればとぶ落葉あり秋祭 皆吉爽雨
越後路の軒つき合す雪囲 松本たかし
不注意に「秋祭り」「雪囲ひ」などとする人がいますが、「り」「ひ」は必要ありません。これらの語は、句の最後だけではなく、句の中にあっても、送り仮名は必要ありません。ただ、「湧き水(わきみず)」「湧水(ゆうすい)」のように、はっきりと区別したい場合は送り仮名を付けた方が良いでしょう。
最後になりましたが、一句の中に、新仮名遣い、旧仮名遣いをごちゃごちゃに混ぜてしまっている人がいます。これは絶対にいけません。
食べ終えて悲しさうなる恋の猫
「食べ終え」は口語表現、「悲しさう」は文語表現です。ごちゃごちゃに使ってはいけません。「食べ終へ」、「悲しさう」と表記を文語に統一しましょう。
ここに挙げたことは、ほとんどの場合、電子辞書を参照することで解決のつくことです。俳句の表記は、作品の死命を制してしまうほど重要なことであるということを知ってほしいのです。要すれば、作者の思いは、俳句の表に出ている文字によって読者に届くからです。投句する際には、何回も何回も句を見直して、過ちの無いようにしてください。
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2009年分
12月15日、本年最後の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。本日の栗田主宰のお話は、「自句を語る――『海光』より」です。
第一部 主宰の講話
本日は、私の句集『海光』の中の句を例にとり、句の解釈とか解説ということではなく、句がどのように成り立っているかということを中心にお話をしてみたいと思います。
1 図書館の窓かすめ散る夕桜
2 自然薯の蔦からまりて枯れ尽くす
この二句について言いたいことは、俳句は「季語」と「もの」とで作るもので、その「季語」と「もの」との関係付けが必要であるということです。1の句では、季語は「桜」、ものは「窓」です。「夕」が季語「桜」の修飾語、「図書館の」は、ものの「窓」の修飾語であり、「窓」を鮮明にする役割があり、窓の写生となっています。そして、「かすめ散る」が、季語とものとの関係付けとなっています。このように句が成り立っていることになります。この句では、季語の「桜」と、ものの「図書館の窓」とは直接の関係はありません。
2の句では、「自然薯」のみから成り立っていて、このような句は一物仕立ての句と言われます。自然薯の蔓にのみ焦点を合わせ、その写生から自然薯の本質を捉えようとした句です。この句では、「自然薯」でなければならないということがはっきりと誰の目にも分らなくてはなりません。それだけ、このような句は作るのには難しいということです。
3 春愁やガラスケースに手榴弾
4 花冷や東大生の戦没碑
この二句は季語が重きを置いている句とでも言いましょうか。3では「手榴弾」、4では「戦没碑」というものを前に、作者の思いを季語に托した句です。手榴弾はガラスのケースの中にあったという写生ですが、その手榴弾を見て、「春愁」という季語に自分の思いを托して詠んだわけです。4の句では、この碑を見たのがちょうど桜の季節であったので、実感として「花冷」という季語を使ってみました。しかし、この種の句では、季語が動くということがよく言われ、作句には難しいタイプの句です。
5 泣き虫の少年たりし野火走る
6 ガラス戸に冬日あまねし虚子山廬
7 本棚に青柿二つ子規祀る
この三句は回想句です。私は少年時代はたいへんな泣き虫でした。それは今でも変わりありませんが。この句を詠むにあたっては、虚子の「野を焼いて帰れば燈下母やさし」という句が念頭にありました。私は「母郷」という言葉が好きなのですが、母には弱くて、句会でも母という句が出てくると思わず知らず取ってしまうことがよくあります。そうした母への思いがあって、野火を見たときにこの句を作ったということです。6の虚子山廬は、第二次大戦中に虚子が戦火を避けて移り住んだ小諸にある旧居のことです。これには、虚子の「四方の戸のがたがた鳴りて雪解風」が念頭にありました。また、あの厳しい時代のことを、現在の平和で穏やかな時代から偲んでみてこの句となったわけです。7では、この句の前提に虚子の「柿二つ」という小説があります。これは、正岡子規との交友と彼の死に至るまでを淡々と描写したもので、写生文の白眉と称されているものです。また、正岡子規には「三千の俳句を閲し柿二つ」という句があります。ですから、ここはどうしても柿二つでなければならないのです。柿は二つでも三つでも良いというわけにはゆきません。まあ、しかし、このことをご存知ない人には、分ってもらえないという懸念はあります。
8 佐渡の百合海の夕日の色なせり
9 白萩や野仏めきし芭蕉句碑
10 手に受けて象牙の艶の今年米
この三句は比喩の句です。比喩とは、Aを見てBに譬えるのですが、AとBが近ければそれは常識であり、離れていればポエジーとなるというのは山口誓子の言葉です。ただ、気を付けねばならないのは、この比喩の句は、多くの場合失敗するということです。8の句の場合、佐渡で見た百合の花が、折からの夕焼に染まって、その色が海の夕焼の色のようであったという句です。9では、芭蕉句碑がほんとうに小さくて、「膝丈ほどの」とも考えたのですが、それを譬えで「野仏ほどの」としてみました。10では、手にした米が象牙の艶のようであったということです。比喩の句は、読み手がその比喩を納得するかどうかということが重要で、そこの所が理解されないと、どうにもなりません。AとBとがあまりにも離れすぎていると理解されないことになります。
11 寒晴れや白きこけしの肌に触る
12 くくられて冬菊の香の衰ふる
13 三彩の淡きみどりも春の色
この三句は感覚の句です。11は、少し艶っぽい感じの句ですが、問題は季語の寒晴れが効いているかどうかです。13は、細見先生の「古九谷の深むらさきも雁の頃」が頭にあっての句です。唐三彩を見ての句ですが、三彩のみどりに春を見たのです。ここで、「みどりも」の「も」について、一言述べておきたいと思います。この「も」の使い方には注意が必要で、「も」は理屈になりやすいのです。軽々に使ってはならないのです。使う場合には慎重の上にも慎重でなければなりません。
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2009年8月
8月18日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。本日の栗田主宰のお話は、テーマを決めた講義という形ではなく、句会に出された一人一人の句について、その句評と同時に句を作る上の注意すべきことを、たいへん丁寧に話していただきました。栗田主宰の俳句の講義も句作りには大いに参考になるものですが、どのような点に注意して句を作ればよいかということを具体例に即して話していただけましたので、出席者一同真剣に聴き入りました。
ここで写生について話をしてみよう。俳句の写生を、写真の撮影をすることとか、絵を描くことに例えてみれば、先ず、撮影の第一段階は、出来上がった写真がピンボケであってはいけないし、写真の構図がしっかりしたものでなければならない。これが良い写真の第一段階である。しかしそれだけでは駄目なのであって、作者の感動がその写真のどこにあるのかがはっきりと見る者にわかる写真でなければならない。これが次の段階である。しかし、最初から高次の段階の写真は取れるはずもないから、まず第一段階の写真をきちんと取れるようにすることが大切なことである。第一段階の写真が間違いなく取れるようになれば、次の段階の写真が、少しづつ取れるようになるのである。ここのところをおろそかにしていては、良い写真は何年たっても取れるようにはならないだろう。
幼稚園の子供の描いた絵にはよくあることだが、絵の人物の隣に「ボクのママ」とか「おじいちゃん」というような説明が入っている。これは、絵の写生がしっかりしていないがために、どうしても言葉でそれを説明しなければ分ってもらえないからである。今日の句を見ていても、どうもそのような句が多くあるような感じがする。例えば、「名も知らぬ鳥」と、鳥の説明をしてしまったり、「かなかなに引き寄せられて」張ったテントであると説明をしてしまっている。これでは、幼稚園の子の描いた絵の説明と同じことになるのではないのか。写生がしっかりとしていないために、説明に頼ろうとするのである。こうしたことをしていては、俳句の上達はのぞめないというものである。何度もくどいように繰り返すが、写生のしっかりした句でなければ、そしてその上に、作者の感動の籠った句でなければ、読者の感動をよぶことは出来ないということをしっかりと
承知しておいたほしい。沢木先生もこのことはくどいほと繰り返し説いておられたことである。
◇海峡を過ぐる巨船や雲の峰
写真で言えば、ピントがきちんと合って、構図のしっかりとした句であるが、この種の中味の句はよくある句と言ってもよい。しかし、このような句がいつでも作ることが出来るというのは大切なことである。まずは、第一段階の写生の句がしっかりと作れるようにならなければならない。このような句が沢山出来るようになれば、それに伴って見るべき句も出来て来るというものである。何よりも俳句は写生であるということを忘れないようにしてほしい。
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7月21日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。本日の講義のテーマは「軽率に句を作るな(高野素十)」です。
本日は、「軽率に句を作るな」という高野素十のことばを取り上げ、写生と俳句の表現法いうことについて考えてみたいと思います。
まず、高野素十のことばを挙げてみます。
「軽率に句を作るな。嘘を句にするな。頭の中だけで句を作るな。目に見えること、耳に聞こゆることを気取らずにその通り句に作れ。」
これは、高野素十が「ほととぎす」(昭和3・3)に「俳句入門欄 附記」として記した文章中の言葉です。
「嘘を句にするな。頭の中だけで句を作るな」と言われてみると、思い当たるという人もいるでしょう。嘘とまでは言わないけれども、適当な季語はないかと、歳時記をひっくり返してみたという経験はあるだろうと思います。これはどこかに嘘があるということになるのでしょうか。また、句をひねくりまわしているうちに、何か作り事になってしまったというのもあり得ることです。こうした句には、どこかに隙があるものです。
さて、世の中には一日中呻吟して一句作るのがやっとという人がいるかと思えば、機関銃のごとく十句や二十句瞬く間に作ってしまう人がいます。ここで問題としたいのは、多作と寡作のどちらが良いとか悪いとかということではありませんし、また、どちらが良い作品を作り出せるかということでもありません。大切なことは、句作の基本に写生を据えているか否かということです。
素十は阿波野青畝・水原秋桜子・山口誓子とともに、昭和初期の「ほととぎす」を代表する作家として、その俳号のローマ字の頭文字のSから、四Sの一人に数えられ、虚子の花鳥諷詠を忠実に作品として実現することに勤めた俳人です。「私はただ虚子先生の教ふるところのみに従って句を作ってきた」「工夫を凝らすといっても、それは如何にして写生に忠実になり得るかということだけの工夫であった。」(『初鴉』「序」昭和22・3)という言葉に端的に示されています。このため、四Sの中で虚子に最も愛された作家で、虚子は、素十の句には真実があると言って誉めています。
素十の言葉をさらに続けます。「無心の眼前に風景が去来する。そうして五分―――十分―――二十分。眺めている中にようやく心の内に興趣と云ったものが湧いてくる。その興趣を尚心から離さずに捉えて、尚見詰めて居る内にはっきりした印象となる。その印象を始めて句に作る。」
これは冒頭に掲げた言葉に続くもので、この言葉は「句を作ると云うことも忘れてしまった無心で」自然の風物に対してみることの大切さを説いたものです。
虚子の言葉で言えば、「じっと眺めいること、じっと案じいること」となりますが、これは「ほととぎす」の俳句の基本なのです。
素十の有名な句に、
甘草の芽のとびとびの一ならび
があります。この句は昭和四年、百花園での作で、句集『初鴉』に収められているものです。句意は早春の土を割ってはやばやと甘草の明るい淡い緑の芽がとびとびに現れたというもので小景の描写に的確な手法を見せたものです。虚子はこの句を大いに誉めていますが、秋桜子や誓子は、瑣末主義の句といってこの句を批判したのです。甘草の芽がとびとびに並んでいるのは、自然の真であるかもしれないが、それは文芸上の真ではないという批判です。人間の感動の情を籠めて自然を詠うことで初めて文芸上の真となるのであって、いくら自然をそのまま写し取ると言っても、これは言わば「草の芽俳句」というもので、些末なことを詠んでいるに過ぎないと断じたのです。そして、秋桜子や誓子は「ほととぎす」と訣別することになります。
この批判に対して、素十自身は「一つのいとけなきものの宿命の姿が『とびとびの一ならび』であった」「それを私はかなしきものと感じ、美しきものと感じたのであった。『甘草の芽のとびとびに一ならび』ではないのである。」「瑣末主義結構、草の芽俳句結構、私は私なりに自然の一つの姿が私の心に美しく映ったことに感謝し満足したのであった」(「芹」昭和38・2)と記し、一草一木にまでも暖かい眼を向けいとおしむ作者の思いを「の」に込めたと記しています。「とびとびの」であって「とびとびに」ではないと言うのです。「に」であれば、それは単なる事実を映しただけのことであるが、「の」であれば、その「の」に作者の感動が籠められているというのです。助詞一つの大切さがこの言葉にはあります。 このような徹底した写生の眼と表現手法から
ひつぱれる糸まつすぐや甲虫
の単純化の極致ともいうべき句が、また
づかづかと来て踊子にさゝやける
のような、確かなデッサンで一瞬を捕らえた佳句が生まれています。
この踊子に句について、素十には外遊の経験もあるところから、踊子はヨーロッパの劇場の「ダンサー」のことであろうということを言った人もいます。そのような鑑賞では、この句には季語がなくなってしまうことになりますが、季語として「踊子」が使われていますので、これは日本の「盆踊り」として読めばよく、素十自身も、この踊子は盆踊りの踊子のことであると言っています。
事物の存在を存在自体として描写することによって、清新な情感を打ち出そうとした素十の言葉として、冒頭の「軽率に句をつくるな」「嘘を句にするな......」には千金の重みがあると言えましょう。
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6月16日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。本日の講義のテーマは「朽木は彫るべからず(富安風生)」です。
本日は、「朽木(きゅうぼく)は彫るべからず」という富安風生のことばを取り上げ、写生ということについて考えてみたいと思います。風生は、例として
柱から庭木の縄や土用干
という句を取り上げています。この句は、俳句としての形はきちんとしています。「もの」として「柱」や「縄」が詠み込まれ、切れもしっかりしており、「土用干」という季語も誤りなく使われています。この句について、風生は次のように言っています。「見たまゝ有りのまゝ叙してあ」るが「たゞごと過ぎて、趣が乏しく、詰まらない」「一口に言えばこの事実に詩がない」とし、この句を否とし、
総ての事実が詩材たり得る訳ではない。朽木は彫るべからず、(中略)写生といふことを穿き違へて、俗眼俗耳に入り来るところの現象そのものに、何等取捨選択を施すことなく-――自己の情操の坩堝で陶冶を加ふることなく-――据ゑられた写真器が種板に物を写しとるやうに-――外物をたゞ十七字の形に嵌め込んだといふだけでは詩にならない。(「数句を捉えて」ホトトギス
昭和6・10)
と説いているのです。俳句には写生が大切だからと言って、単にあるがままを写生したのでは、それだけのことで、心のないカメラが写し取った映像と変わりはありません。確かに、見たままを写し取るのは写生でしょうが、それは写生の第一歩であって、それに取捨選択を加えるということがなければ、俳句でいう写生とはなりません。「写生」に素材の取捨選択が必要なことは、正岡子規の「美醜錯綜し玉石混淆したる森羅万象の中より美を撰り出し玉を拾ひ分くるは文学者の役目なり」(「俳諧反故籠」ホトトギス 明治30)の言葉を引くまでもなく、「写生」の基本として誰もが理解していることと思います。今日は、このことをもう一度はっきりと分ってほしいと、富安風生の言葉を取り上げたわけです。
風生が取り上げた次の句についてみてみましょう。
満員の電車の中の暑さかな
風生は言います。「この類の句のどこに詩を求めたらいゝのであらうか。作ってゐる人の気が知れぬ」「要するにこれは美を感ずるだけの準備が整つて居らぬ、詩的情操の涵養が欠けてゐるといふことに帰着する」と断ずると共に、言葉および調子に全然無頓着な句も「同一の系統に属する欠陥-――美に対する不感性-――をもつもの」であると言っています。この句も確かに句の形としては出来上がっています。しかし、それは形だけのことで、この句のどこにも詩の美しさが感じられないというのです。それに加えて、俳句に用いる言葉や句の調べに無頓着であるというのも、この句と同じ類で、美的な感覚がまったく欠如しているというのです。風生は詩的情操の涵養こそが第一と説いているのです。(栗田やすし『現代俳句考』豊文社出版)
写生の大切さについては、沢木先生も繰り返し説いておられます。まず、先生の言葉を挙げてみます。
「私がくどいように写生の大事なこと、写生ということが俳句の基礎であることを述べているのは、自分に狭く閉じこもらないで、いつも心を自分の外のものに広く開いて柔軟に対応すべきと思うからである。
俳句は短い詩であるから瞬間の感動が最も大切である。感動のないところに写生ということはあり得ないはずである。見ること、聞くことが即感動という具合であってほしい。感動は外に出ること、そして子供のように無心に無邪気に外界に対応することから始まる。」
先生の言葉で大切なことは、いくら写生と言っても、そして俳句としての形は出来上がっていたとしても、感動がなければ俳句にはならないということです。そして、もう一つ大事なことは、俳句は瞬間の感動を詠む詩であるということです。ここのところをよく承知してほしいと思います。これとまったく同じことになりますが、碧梧桐は「俳句は刹那の観念を詠う詩である」と言っています。小説との比較で言えば、小説は大木を斧でなぎ倒すようなものであり、俳句は紙を薄い剃刀で切るようなものと言えるでしょう。それぞれの文芸には、その文芸の特色があり、それをよく承知の上で関わりを持たなければならないのです。俳句は瞬間の感動を切り取るものですので、俳句で何か物語を語ろうとしてもそれは最初から無理なのです。それを弁えないで、俳句でくどくど何かを述べようとする人がいますが、このあたりのことが分っていないのです。
更に、沢木先生の言葉を続けます。
「現実は詩因の宝庫であるが、詩因は自分自身で探らねばならない。しかも、詩となる感動は主として、美を中心としたものである。対象のなかにいかに美を自分で見つけ出すか、これが俳句では第一歩である。そして美的感動は訓練によって進歩するのである」(沢木欣一『俳句の基本』東京新聞出版局)
沢木先生の言葉によれば、感動は美を中心としたものであらねばならないのです。美に対する瞬間の感動を求めるのが俳句なのです。これは、嬉しいことに、誰でも訓練によって進歩すると言われています。何も特別の人だけの特権のようなものではないのですから、我々もこの訓練を怠らないようにしたいと思います。
では、美的感動を涵養する訓練とはいったい何かというのが次の問題です。即ち、自分の中に詩的情操を養う訓練とはなにかということです。美を中心とした詩的感動を、対象の中に自分で見つけ出すことが大事であると先生は言われています。それには、美的感動をもって作られた句を沢山読むことです。第一級の俳句を読むことなのです。これは全ての芸術に当てはまることですが、その分野の目利きになるには、常にその分野の第一級の作品に親しむことです。二流三流のものをいくら見ていても、目利きにはなれません。ところが、どれが第一級の俳句なのか分らないという人がいます。それももっともなことで、何が第一級の作品かということが分るようになるには、かなりの時間がかかります。入門したばかりの人に第一級の作品ばかりを読めと言ってもそれは無理でしょう。しかし、方法はあります。第一級の俳句を第一級の著者が鑑賞している本を読むことです。これによって、鑑賞眼を養うことが出来ます。即ち、美的感動に触発されて作られた俳句とはどんなものかが分るようになります。
私は、あちこちで頼まれて選句の仕事をしていますが、そこでいつも思うのですが、最初に富安風生が例に引いた「満員の電車の中の暑さかな」に類した俳句が非常に多く投句されてくるのです。こうした句はいくら作っていても決して俳句は上達しません。伊吹嶺で学んでみえる皆さんには、俳句の基礎が出来ていますから、そんな句は少ないと思います。今日これからの句会でもそんな句が出て来ないと思いますがどうでしょうか。
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2009年5月
5月19日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。本日の講義のテーマは「生活が俳句でなければならん(石田波郷)」です。
吟行に行かなければ句が出来ないということをよく耳にします。確かに、写生を深めるには吟行は良いかもしれませんが、吟行に出掛けなければ句が出来ないというのではいけません。注意をしていれば、自分が生活している場に俳句の素材はたくさんあるのですから、それに目を向けることが大事なことです。
石田波郷の言葉に、「俳句といふものを全然念頭に置かないで日常生活を眺めてゐる時は少しも注意をひかない些事でも、一たび17字になると恰も舞台の上の一の演技であるかのやうに、その些事が一聯の舞台の重要なポイントであり環境、感情の焦点になり得る場合がある。(「俳句の生涯」鶴 昭和21・6)」というのがあります。この事は俳句に親しんでいる者なら誰でも思いあたることでしょう。作者はその俳句を「舞台効果」を狙って作ったのではありません。ある時それが眼にうつり心にとまったというに過ぎないのであって、言わば偶然の出合いが句になったのです。これを句にしてやろうと狙って作るとよいことはありません。狙って作れば、その狙いが見え見えとなって、かえって嫌みの句になってしまいます。
波郷の句に
秋の暮溲罎(しゅびん)泉のこゑをなす
というのがあります。この句は昭和二十三年十一月二日の作です。波郷が肺患にたおれたのは前年の九月で、翌年五月清瀬村の療養所に入り、十月十四日に第一次成形手術を受けていますので、術後約半月後の作ということになります。
波郷は自解の中で
「術後の患者は大便に起きて行くようになっても小便は病床で尿器を使ふ。尚絶対安静を要するからである。(略)患者達はこの尿器のことを「ポチ」と愛称してゐる。斯くの如く親しみ深く、誰にも遠慮なく使える尿器であるけれ共、六人一室で之を使ふときは、何か憚る如くやるせない心持がし、狭い尿器の中に奔騰する尿の音を隠し忍ばせたい心がある。さうするとその尿の音は静かな人なき山中の泉の如くさやかな潺々たるひゞきをなすやうにも聞こえるのである。」
と記しています。秋の暮色のたちこめた病室で溲罎にとる尿の音に耳を澄まし、そのさびしい心に沁み入る音を山中の泉の声と聞いたのです。それは偶然であり、決して仕組まれたものではありません。しかし、この偶然は決して作者の努力なしに与えられたものではありません。
このことに関して、細見先生は「偶然をつかむ力」と言われ、誓子は「種火を絶やさないこと」と言っています。
波郷は「問題はこの偶然にある」として
「この偶然を得る為に俳句作者は不断の作句用意をもたねばならない。常にかがやく眼と、常に共鳴をとらへようとひびいてゐる心がなければならない。小生がいつも生活が俳句でなければならんといふのはこのことに他ならない。」(「俳句の生涯」)
と説いています。つまり、平凡な日常生活の中にも注意すれば必ず眼に触れ、心に感動を与えてくれる事物はあるはずで、そういうものを見過ごさないために、つねに、心を豊かにものに感じやすくするよう心がけていなければならないと言うのです。前掲の溲罎の句を評して山本健吉氏は「一歩も外へ出られない病躯が、居ながらにして造化自然の韻を創り出した」(『現代俳句』)と評していますが、この句などまさに波郷の不断の心がけによって捉えられた「偶然」が句になったものといえましょう。
それでは、具体的に、日常をどう捉えて句にするかということですが、その観点から『風』の大先輩である皆川盤水先生の句を紹介することにします。先生は、この日常吟を数多くものされています。句の後のコメントは先生ご自身の自註です。
☆西瓜売り厚き筵をひろげけり
西瓜売りがやって来た。町内を連呼したあと公園の木蔭に厚い筵をひろげて、西瓜の口上をはじめた。思ったより筵が厚かった。
この句については、私の鑑賞文がありますのでその要点を読んでみます。(『現代俳句考』p.115)
「..この句は「厚き筵」の「厚き」がポイントである。大きな西瓜を山積みにするためには筵は厚くなくてはならないのであろう。それを見つけた作者の目は確かである。この句の面白さは<厚き筵をひろげけり>というだけで、ギラギラと照りつける太陽を避けて、木蔭にひろげられた筵に次々と西瓜が積み上げられ、やがて始まる西瓜売りとその場に集まった主婦たちとの明るいやりとりまでもが目に浮かんでくることであろう」
☆春の風邪妻に強いらる人参酒
風邪をひくと妻が必ず人参酒を出してくる。うまいものではないが妻の顔をたてて飲んでいる。確かに効くらしい。
☆玉子酒飲みゐる父に叱咤さる
生来の怠け者で勉強しないので、よく父にしかられた。往時を回想したなつかしい作。
☆野良の足袋寺に干しあり今年竹
作務僧の足袋の干してある庭に、今年竹がみずみずしく伸びていた。
☆家深く酢飯の匂ふ夏の果
夏の暑さには弱いので酢のものをよく食べる。酢飯はよく匂って食欲が出る。
☆豆撒いて寧き心に夜の雨
豆撒きが終ると、明日は立春なのでなんとなく心がやすらぐ。
☆啓蟄の守宮がつつと小書斎に
家のどこかで冬をこしたらしい。妻は守宮を嫌うが、私は戦時中ラオスにいたので親しめる。
☆床下を鶏出て来り初桜
私の家は表通りから奥へ入るので、鶏を飼っていた。鶏を飼うのは亡父が好きだったから。時々放し飼いにする。庭の桜が咲きそめた頃。
☆早梅に相摶つ風の母の忌よ
母は昭和十九年に私が南方へ出征しているとき亡くなった。戦地で便りを受けたが、庭の早梅に冷たい風が吹いていたということであった。
☆迎火の炎鶏小屋照したり
門前で門火を焚いた。明るいので、奥の鶏舎の鶏がさわぎだした。郷里にて。
ここに挙げた皆川先生の句を見ていますと、どの句も日常の何気ない一点景を詠まれたものです。まさに日常の句なのですが、それが読者の心へ深く入って来ます。これは波郷が言うように、なんでもない日常が舞台の一演技のようになっているのです。こうした日常を句にすることをもっと考えてみてほしいと思います。句は吟行に行かなければ出来ないなどと決めつけないようにしてください。たまたま吟行に行って、これは句になると思って喜びますが、そうしたものは既にもう誰かが詠んでいることが多いのです。吟行句で自分を句に出すことはなかなか難しいことなのです。
上手い俳句を作ろうと思うことがあるでしょう。下手よりは上手いに越したことはありませんが、自分より上手い人はたくさんいます。そんな人と吟行で張り合うよりは、自分の生活を詠んでみてください。自分の生活ですから、それは誰がどう評しようと、自分だけの句になります。他者には真似の出来ない句となるのです。吟行に出掛けるなとは言いませんが、吟行の句と日常の句とのバランスが必要であると言いたいのです。
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2009年4月
4月21日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。本日の講義のテーマは「「風」俳句のめざすもの」です。
「俳句四季」四月号に、「平成俳壇と六結社」という特集があり、その中で、「「風」俳句のめざすもの」という題で寄稿も求められまして、それが四月号に掲載されています。「風」のめざした俳句を、「伊吹嶺」もまためざしているわけですので、本日は、「風」の目指した俳句についてお話してみたいと思います。
「風」が創刊されたのは、大戦直後の昭和21年5月のことです。創刊号には、五名の編集同人の発刊の挨拶が掲載されていますが、この文章は沢木先生が書かれたものです。
「われわれは何よりも第一に俳句における文芸性の確立を念願して居ります。生きた人間性の回復、新しい抒情の解放、直面する時代生活感情のいつはらぬ表現。この三つがわれわれ発足するものの作句上の道標であります。そしてこの基礎の上に立って新人の発見、養成と純粋な批評の樹立に大きな役割を果たして行きたい。それからまた、広く他の文芸芸術ジャンルに視野を拡げて、過去俳人の封鎖的安易さを脱却したいと思ひます」
このことを要約すると
1.俳句における人間性の回復
1.新しい抒情の解放
1.直面する時代生活感情のいつはらぬ表現
という三原則になります。これは、当時の戦争直後の俳句界に対する真面目なスローガンであったと言えます。「文芸性の確立」ということは、子規も実は同じことを言っているわけでして、それまでの俳句が、勧善懲悪の具であったということに対して、青年子規は文学としての俳句の確立を目指そうとしたわけです。それゆえに、「風」は子規以来の日本の俳句の最もオーソドックスな道を歩いており、「伊吹嶺」もまたこの道に繋がっているのです。
先生が昭和30年に発表された「能登塩田」は、社会性俳句の典型として高く評価されました。
塩田に百日筋目つけ通し
水塩の点滴天地力合せ
塩握り締め塩の中塩の音
先生は句集『塩田』の「あとがき」に「この句集に私小説風なテーマと社会的なテーマの二つが共存しからみ合っていることに気付いた」「将来この二つのテーマのかかわり合い、結びつきをもっと密着させてゆきたい」と書かれています。
第三句集『地声』(昭和48年)には次のような句が入っています。
夜学生教へ桜桃忌には触れず
魚減りし海に花火を打ちに打つ
黒板に繭玉の影受験塾
句集の「あとがき」で、「声高にではなく、また観念の喧騒を嫌って、現実の事物に懇ろに触れ、物自体の声を響かせたい」と先生は記されておろ、即物具象に徹するとともに、二つのテーマにかかわり合い、結びつきを密着させようとする創作態度を貫かれているのです。こうした志向はそれ以後の『沖縄吟遊集』につながり、沖縄に日本の自然と人間、その関わり方の原型を垣間見たことにより、「『塩田』作品で探り当てたものが沖縄においていっそう確かに認識された」と書かれています。これは、個を含みながら群れの感性を表現する俳句、言い換えれば、風土と重層した社会性ある俳句が一つの確かな実りをみせたものであり、以後の『赤富士』(昭49)『二上挽歌』(昭51)『遍歴』(昭58)『往還』(昭61)等へと展開し、かってない実りに至りつくことになりました。
ところで、この即物具象の創作態度は「風」俳句の基本の表現方法として、以後沢木先生によって繰り返し説かれてゆくことになります。
昭和42年に、先生は「月並を脱せよ」(「俳句」12月号)を書かれ、「風」が作句の基本の態度方法として、対象を大切にし、物に即して感じ、着実に表現することを重んじるのは、一句の中で理屈を述べ知識に訴える月並俳句に陥ることを避けるためであると説かれ
手に包むほどのかなしみ緋の牡丹
の句を挙げて、
「自分の感情を緋の牡丹に託して理知的に表現した女性らしい可憐な心の動き方は認めるが、<手に包むほどのかなしみ>は作者が折角触発された美の感覚を直接に具体的に表現しないで、一句を「観念」で仕立てたため、観念の荒い編目から牡丹そのものの美しさはほとんどこぼれ落ちてしまった」(要約)と評されたのです。
先生は即物的技法の創作態度・方法を説かれ、「感動はナマのままの言葉で表しても俳句にはならない、俳句独自の表現方法の一つは即物ということである」「俳句にあっては物に即し、物を通すことによって感動が定着する」(「俳句作法」毎日新聞 昭51・12)とした上で、この創作態度・方法は実はまことに至難の道であると言われています。
昭和49年に林徹先生は、第二句集『直路』を上梓されましたが、その「あとがき」で「私はただ即物具象の四字のみを拠り所として作句してきた」と書かれ、
暗がりに万力締める油照
種蒔ける影も歩みて種を蒔く
衰ふる力の見えて雪止みぬ
といった句が収められています。沢木先生はこれらの俳句は「可能な限り雑物を削り落として、単純化の極地に達しようとするいさぎよさが特徴となっている」「象徴とか内面の表現とか気の利いた言葉を吐かないで、即物具象一本で貫いているのがいさぎよい」と評されています。
「風」は平成13年11月5日、沢木先生の死去に伴い平成14年に終刊となりましたが、「風」俳句を継承しようとするものにとってもっとも警戒すべきことは、「即物具象」を基本とする気構えを忘れ、沢木先生の言われる「骨格の弱い、ふやけた俳句」を作らないという覚悟と、混沌とした現実の中から常に詩的感動を求める姿勢を決して忘れないことです。
「風」系の俳誌の一つとして平成10年に創刊した「伊吹嶺」においても、「風」創刊時に示された三原則を見失うことなく、「至難の道」ではあるが「即物具象」を基本とした写生俳句を今後とも目差してゆく覚悟でいます。同時にまた、先生の「俳句を個の狭い詠嘆の文芸に終らせないで、もっと掘り下げて幅広い基底から個を含みながら群れの感性を表現するものに進めたかった」という言葉を忘れてはならないと思います。
「風」の俳句は面白くないという声を聞くことがあります。S誌の主宰者が、先生の<伊豆の海紺さすときに梅の花>の句を面白くないと言われた事があります。だからと言って自分の感性・思想を生まのままおしつけるような俳句はわれわれの求めるものではありません。
平成12年、林徹第三句集『飛花』が第40回俳人協会賞を受賞しました。選考委員の一人岡田日郎氏によって、「『風』の主張する即物具象の表現が基調にある。作者その人の写生観と美意識が余すところなく発揮された『風』俳句の優等生の趣」と高く評価されたことは、「風」に連なる者にとって大いに勇気づけられることです。
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3月17日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。本日の講義のテーマは「近代名句鑑賞」です。
本日は、「近代名句鑑賞」というお話でした。そこで取り上げられた句は次の通りです。
いくたびも雪の深さを尋ねけり 正岡子規
桐一葉日当たりながら落ちにけり 高浜虚子
空をはさむ蟹死にをるや雲の峰 河東碧梧桐
木瓜咲くや漱石拙を守るべく 夏目漱石
青蛙おのれもペンキぬりたてか 芥川龍之介
淋しさにまた銅鑼打つや鹿火屋守 原 石鼎
をりとりてはらりとおもきすすきかな 飯田蛇笏
立山のかぶさる町は水を打つ 前田普羅
痩馬のあはれ機嫌や秋高し 村上鬼城
上掲の句のそれぞれについて、細かく解説を加えてお話いただきました。詳細は省略します。
次にプリントとして、「季語がどれだけ読めますか」が配布されましたが、これは「春の季語」です。そのプリントの一部をご紹介します。どれだけ読めるか挑戦してみてください。すべて歳時記に掲載されているもので、答は歳時記で確かめてください。
「料峭」「長閑」「貝寄風」「涅槃西風」「斑雪」「末黒野」「青饅」「慈姑掘る」「鶏合」「鞦韆」「厩出し」「囀」「細魚」「海猫渡る」「鮊子」「公魚」「蜷」「望潮」「海胆」「寄居虫」「紫荊」「連翹」「満天星の花」「山桜桃の花」「躑躅」「馬酔木の花」「山査子の花」「蘖」「菠薐草」「独活」「小粉団の花」「枳殻の花」「黄楊の花」「接骨木の花」「樒の花」「白茅の花」「勿忘草」「花木五倍子」「苜蓿」「土筆」「苧環の花」「虎杖」「鹿尾菜」「海雲」「石蓴」「海髪」「桜蝦」
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2月17日、定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。本日の講義のテーマは「俳句の基本」です。
本日は、沢木先生の著書『俳句の基本』から、「風」の俳句、即ち「伊吹嶺」の俳句の基本ということをお話したいと思います。「風」・「伊吹嶺」の俳句は即物具象の俳句であると何度も繰り返して説いているところですが、では、どうしたら即物具象の句を作ることが出来るかということに関心があると思います。自分では努力をしているつもりであるのだけれど、どうも即物具象の句が出来ない、うまく作れないということを聞くことがあります。このことについて、沢木先生はその著書の中で、次のように言われています。
「どの芸術でも基礎がしっかり出来ていないとあやふやなものになる。俳句は文学の中でもかなり特殊な性質を持ったものであるから、その特性を知っていないと、長い間作っていてもなかなかよいレベルに達しない。十年、二十年句作している人で、いくらやっていても上達しないと嘆いたり、迷ったりする場合が多いが、そういう人はたいてい基礎がおろそかになっている。俳句の基礎はいったい何であるのか。われわれ実作者は句を作りながら、いつでも考えておかねばならない」
そして、具体的には次のように言われています。まず第一に俳句は定型詩であるということです。単なる短詩ではないということです。一七音定型を厳格に守らねばならないのです。これがあやふやであると、散文の切れ端のようなものになってしまいます。次には、季語が一句の中で生きて働いておらねばならないのです。これには、日頃から歳時記に親しんで、季語の本情を理解する努力が求められます。次に、句作の態度・方法として、写生が重要であるということです。写生を古臭いなどと思ったり、軽んずる人はたいてい途中で停滞し、進歩が止まってしまいます。小主観(芭蕉のいう私意)に狭く固定して、心が新しくならないからです。ただ、写生と言っても、日常生活の断片をナマに報告することではありません。詩因、すなわち、感動があっての写生であることを忘れてはいけません。
それと同時に忘れてならないことがあります。その一つは、良い句を読むことです。読むべき句集はたくさんあります。低いレベルにありながら、自己本位になって、人の句を読んで覚えようとしない人がいます。自分の句を努力して作ることはもちろん大切ですが、それと併行して、他人の句を多く読み、佳句を自分で捜し、覚えることに熱心でなければなりません。他人の句を多く読むということは、狭い自分を越えることになり、一歩前に進む早道なのです。作ることと読むことは車の両輪と心得てください。
もう一つ大切なことは、良い鑑賞文を読むことです。その良い鑑賞文はすぐ近くにあります。自分の手の届く所にあると、何故か有難みが少なくなるような気がするのですが、別に本屋へ走って行って特別な本を買わなくても、すぐ手許にあるのです。伊吹嶺をしっかり読むことです。伊吹嶺の中の伊吹集には、毎号私が選後評を書いています。それをしっかり読んでください。句のどこに着目して選んだのかを簡潔に述べています。そこから、伊吹嶺の目指す俳句はどのようなものかを読み取ることが出来るはずです。
さて次に、沢木先生が『俳句の基本』の中の「写生の俳句」という章で、「風」の目指す俳句とはこのような句であるとして、「風」に投句された多くの句の中から歳時記風に600句を選んで一つ一つに句評を付けて掲載されています。その中から、みなさんの御存知の人の句を見てゆくことにします。
◇犬の目に写りをるなり鰯雲 加藤百世(この句の作者加藤さんは、今日のこの場に見えています)
人間の目でなく、犬の目に写った鰯雲、何となくもの悲しい。鰯雲など犬はもちろん何の関心も示さない。犬の目に写っているのは秋の自然、鰯雲がその代表。犬も秋意を感じているにちがいない。写真のクローズアップに似た効果で意外なおかしみが出ている。
◇廃業を告ぐる銭湯柳の芽 松本恵子(松本さんは静岡在住の伊吹嶺同人です)
銭湯に行く人が少なくなり営業が成り立たなくなって廃業するわけだが、わびしいことだ。時代の変遷というものか。柳の芽の鮮やかなみどりが生きているのが効果をあげている。
◇春嶺にまつすぐの道歩き初め 中川幸子(名古屋在住の伊吹嶺同人です)
誕生後の赤ん坊が歩き始めた。親の感激はもちろんであるが、赤子自身の驚きはくらべるべきものもないくらいである。春の天地もこの子供の歩き始めの第一歩を祝福してやまない。行手に芽の色を含み始めた山がそびえ、一本の真直な道が走っている。親は子供の未来を光明に満ちたものとして祈らずにおられない。さわやかに生命を讃える佳句である。
◇桶屋から割竹走る五月路地 田島和生(「雉」主宰。伊吹嶺の新年大会で講演をしていただきました)
ズバリと一瞬をとらえた句で迫力がある。桶のたがにする青竹が弾力をもって路地に走り出す。桶屋の動作はきびきびした力がこもっている。いかにも働く者の躍動感に溢れている。五月にふさわしい状景である。
◇早苗饗や湿りマッチに執着す 宮沢房良(もと「風」同人)
正直率直な気持ちの句である。田植の終った喜びの気持ちである。マッチが湿っていてなかなか発火しなかったという些事のなかに、百姓生活の哀歓が深くこもっている。
生活俳句といっても、故意に自分の生活を素材の上で意識的に強調する必要はない。言葉の表面に出してしまうと、大事なものが抜けてしまうことが多い。さりげなく、ひかえ目に、言葉の内にたたえることがよいと思うのである。
◇鐘つかば砂崩るべし蟻地獄 夏目隆夫(伊吹嶺静岡支部長さんです)
蟻地獄というものは恐ろしくて不気味であるが、一方はかなく、もの悲しい気分を誘う。擂鉢状の穴の砂が鐘の音にも崩れそうだという感じ方は鋭敏であわれである。
◇稲妻を浴びては痩地汽車走る 林 徹(前「雉」主宰。昨年お亡くなりになりました)
北陸の凶作地を旅行している句と思うが、夜汽車がごうごうと真黒い獣のように走って行き、稲妻がしきりにそれを射るように照らすのである。
痩せ地、日本の現在であってみれば、痩せ地といっても非常に複雑な悲しみをもたらすのだが、作者はそういう悲しみを背負っている一人として夜汽車の稲妻に打たれたのである。一句の中に、そういう感慨がよく表れている。句の調子の一本に引き緊まっているのも適切である。
(即物具象の句は寡黙ですが、そのものを言わないところを読みとる力が必要となります。)
◇岸壁の蟹はがしたり秋の波 中根多子(伊吹嶺の同人です)
秋になってうねりも大きく、荒くなった波のさまをとらえてある。波が防波堤にしがみついている蟹をはがしたというところ、写生の目がしっかりしている。
◇瓢箪の尻に集まる雨雫 棚山波朗(「春耕」主宰)
この句も瓢箪そのものを生かしている。そして物自体の持つおかしみが出ている。
◇朧夜や待針でぬく指のとげ 篠田法子(伊吹嶺の同人です)
待針というのは縫ってゆく途中の目印につける針だが、それで指のとげを抜いたのがおかしい。
◇鳩翔つや図書館裏の雪残る (最後は私の句です)
図書館裏の残雪が印象的である。作者の勤める学校の図書館であろう。自分には親しみ深い図書館の心地よい静けさが描かれている。鳩の飛ぶのと残雪は何の関係もないが、静中動あり、春の生命の息吹きを感じさせる。冬から春へ転換する季節の微妙な折り目のもの悲しさが表現されていると思うが、どうであろうか。
このような鑑賞文を読むことは、俳句の上達には欠かすことの出来ないものなのです。良い句を読むと同時に、優れた鑑賞文をたくさん読んでほしいと思います。
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1月20日、本年最初の定例の伊吹嶺中日俳句教室が開かれました。第一部は栗田主宰の講義、第二部は句会です。本日の講義のテーマは「俳句と私」です。
本日は新年最初の俳句教室でもありますので、「俳句と私」という題で話をしてゆこうと思いますが、写生をどのように学んだのかということが話の中心となると思います。私が俳句を始めたのは、学生時代で今から五十年も前のことになります。その当時の句として次のような句があります。
朝刊を掠める春の鳥の影
青芝の議論のあとの独りかな
最初の俳人との出会いといいますか、最初には子規を学びました。また、次には秋元不死男に関心を持ち、不死男の句を読むようになりました。この秋元不死男は、鷹羽狩行氏の先生にあたる俳人です。そして、次には山口誓子に憧れて「天狼」に投句するようになりました。ここに当時の「天狼」を持っていますが、投句用紙がありませんので、投句したことは確かなのですが、ところが「天狼」のこの号には私の句は載っていません。投句はしたけれども、ボツになってしまったということです。誓子の選はほんとうに厳しいもので、四句選ばれた人は十二・三人あるのですが、その一方で一句だけという人が三百人ほどもいるわけです。本格的に俳句に取り組むようになったのは、「風」に入会して、沢木先生のご指導を受けるようになってからです。「風」に入会した当時は、岐阜風句会に所属していて、そこで句会報を出していました。みなさん方もそれぞれの句会で句会報を出してみえるようですが、句会報を作るということは、その句会のレベルを上げるのに大いに役立つものと思います。岐阜風句会での活動を通して、「風」の即物具象の俳句を学ぶのですが、しかし、一番最初に子規を知った時から、一貫して、写生の重要性ということは学んできたのです。岐阜風句会の句会報第一号に、私は「「風」俳句のめざすもの」という題で、次のような沢木先生の言葉を掲載しました。
「写生を深めること、そのためには真剣にものを見ることが必要である。目移りしないで、身体全体でみることが大切である。忍耐力をもって自分の心を真実燃やしきり、心を感動で一杯にすることである。そして押えに押え、選び抜かれた言葉で表現する。写生の技術と一致したときに良い俳句が生まれる」
第三号には、総合誌「俳句」の「現代俳句月評」を担当されるようになった沢木先生の文章を掲載し、これを熟読玩味してこれからの句作に大いに精進したいものと書いています。この月評で、沢木先生は、天野莫秋子の「草の穂を巻き込む曼珠沙華の蕊」という句を取り上げ、写生の重要性を次のように述べておられます。
「雄勁な線描写生の句である。たがねで鋭く彫り込んだ線の強さがある。.....大言壮語する俳人に限って写生を蔑視する傾向が強い。そしてそういう人の作品はおおむね粗枝大葉、荒っぽくてみすぼらしさに気の毒なくらいである。俳句において初心に帰れということは、殆ど写生に帰れという言葉と同意義である。戦後写生を浅薄なもののように誤解している人が多いようであるので、特にここに記して置きたい野である。現代の俳句の停滞が最近言われているようだが、原因の大半は写生軽視によるものであると言っても過言ではない。写生を軽視するならば、必ず小主観のナマな露出に止まってしまう。そういうものは近代の個性でも何でもない。作品以前のものである.....」
即物具象について、上にあげた俳人から多くを学んでいますが、今そのことばをここで紹介しようと思います。まず、正岡子規のことばから始めますが、子規は次のように言います。
「初めは自己の美と感じたる事物を現さんとすると共に自己の感じたる結果をも現さんとしたるを終には自己の感じたる結果を現すことの蛇足なるを知り単に美と感ぜしめたる客観の事物ばかりを現すに至りたるなり」(「我が俳句」明治29年 世界の日本)
自分が美しいと感じた事物を現すことが大切なことで、感じた結果をあれこれ言うのは蛇足であると、子規は断言しています。美と感じた事物のみを現せばよいというのは子規の即物具象の宣言と取ってもよいでしょう。
次には秋元不死男のことばです。
「私は俳句は抒情を「物」に寄せて表現する詩、短歌は抒情を「事」に寄せて表現する詩、だと思っている」(『俳句への招き』昭和50年 永田書房)
俳句と短歌の違いを的確に指摘したことばです。短歌は語ることは出来ても、俳句は語るものではないのです。秋元不死男には次のような有名な句があります。
鳥わたるこきこきこきと罐切れば
隆々と一流木の焚火かな
山口誓子は次のように言います。
「物は感性で、物と物とは知性で現はす。俳句は感性と知性の美しい融合である」(「飛躍法」昭和45年 俳句)
誓子のこの言葉は、俳句は写生とは言っても、それは単純な写生ではないということを強調しているのです。 誓子には次のような句があります。
蟋蟀が深き地中を覗き込む
秋の暮道にしゃがんで子がひとり
山窪は蜜柑の花の匂ひ壷
沢木先生は次のように言われています。
「俳句にあっては物に即し、ものを通すことによって感動が定着する。これが俳句の大原則である。即物をおろそかにしては骨格の弱いふやけた俳句しかできない」(「俳句作法」昭和51年 毎日新聞)
即物具象は「風」俳句の目指すものであることは、皆さんも承知のことですが、写生を深め、物を真剣に見るという姿勢を徹底したいものです。
先生の句です。
塩田に百日筋目つけ通し
炎天に黒富士として瘤あらは
以上、四人の俳人のことばを紹介したのですが、この短いことばに、俳句は即物具象を目指すものということがよく理解されると思います。さてここで、昭和36年発行の「天狼」に載っている西東三鬼の句評を紹介しようと思います。私たちが岐阜風句会で指導を受けていた安田健司さんの句ですが、これは特別作品として「天狼」に掲載された「瀬戸」という十三句からなる作品についての評です。実に鋭い評です。
「「極暑の中窯場に男の短き語」「短夜の窯火を焚きて立ち徹す」「寒陶房粘土の塊を手塩にかけ」が特にすぐれている。ということは、他の十句はそれぞれによく描写されているが、まだ見物の句の感じがするのだ。この三句は窯場で働く人の生活のうたを代弁していて、しかも代弁の感じがしない。見学、見物の俳句はかくあるべきものだ。.....「寒き陶房轆轤の回転同速度」は、十三句中珍しいメカニズムだが、「同速度」は小ざかしい。近来本誌の新鋭作家の中に、小ざかしい把握を知的として誇る傾向が見えるのはなげかわしい。俳句はおのれの存在のうら返し。それが小ざかしくては困るではないか。ただし、健司氏の場合は十三句中、一句に過ぎないが」
本日は、「俳句と私」ということでの話ですが、それにことよせて、写生・即物具象ということをお話することになりました。新年のこの時期に、もう一度このことをよく考えていただきたいと思ったからです。
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