俳句についての独り言(平成27年)
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環境と俳句(雷鳥) | 27.12.1 |
現代俳句評(伊吹嶺11月号) | 27.11.1 |
現代俳句評(伊吹嶺9月号) | 27.9.1 |
俳句を考える(再度即物具象(二) | 27.8.1 |
現代俳句評(伊吹嶺7月号) | 27.7.1 |
俳句を考える(再度即物具象) | 27.6.1 |
現代俳句評(伊吹嶺5月号) | 27.5.1 |
ネット仲間の俳句散歩ー御在所岳の四季 | 27.4.1 |
現代俳句評(伊吹嶺3月号) | 27.3.1 |
伊吹嶺岐阜支部句会報(12月号) | 27.1.1 |
現代俳句評(伊吹嶺1月号) | 27.1.1 |
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環境と俳句(「伊吹嶺」12月号)
雷鳥
そして今年の九月に信州大学から驚くべき報告がなされた。それは北アルプス南部の二八〇〇米付近でニホンザルが雷鳥のヒナを補食しているのを研究者が直接確認したという。温暖化の影響によってニホンザルもこんな高地まで上がってきたのである。一方雷鳥の人工飼育に取り組んでいる報道もあり、今年富山市ファミリーパークと上野動物園で抱卵時期の卵から孵化させて飼育してきたが、上野動物園では雛が全滅し、富山市では三羽が無事育っているという。
日本では古来、雷鳥は神の使いとして神聖視してきたが、それが人を恐れることもなく、私達俳人も雷鳥を間近に見て、句材として詠むことが出来、自然の恩恵に感謝してきた。
雷鳥の種の保存は今後極めて厳しい状況に置かれているが、今後とも山に登るたびに雷鳥を見ることが出来ることを願っている。
雷鳥の霧より出でて霧に消ゆ 隆生
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浮世より一寸浮きて梅雨籠 西村 和子
(『俳句』九月号)
『俳句』での企画「日本の俳人」シリーズで西村和子氏の第六句集『椅子ひとつ』が紹介されている。句集のあとがきに「家にあっても旅先でも、今は私にひとつの椅子があれば足りる。」とあるように御夫君を亡くされた以降、俳句も椅子も西村氏のつれあいということになろう。『椅子ひとつ』では次の二句に注目した。
春暖炉見つめるための椅子ひとつ 西村 和子
目に残るとは消ゆること春の雪 〃
どちらも見ることに着目した句で、一句目は、何をするにも〈椅子ひとつ〉でよいということは、そこには孤愁があると言ってもつれあいの椅子を前向きに捉えている。
二句目の〈春の雪〉は消える運命にあるものの〈目に残る〉ことに帰結することは、最後は何事も己に恃むことを〈春の雪〉に託したのではと思う。
こうして見ると『椅子ひとつ』は、第一句集『夏帽子』にある〈囀りに色あらば今瑠璃色に 和子〉のような向日性に富んだ句だけでなく、自分を見つめる句が多い。
そして掲句に戻って読めば、〈浮世より一寸浮きて〉には屈折した心情が見えるが、このような心情を持ちつつも〈梅雨籠〉するときも結局は己一人に恃むしかない覚悟が見えて、句集『椅子ひとつ』の心情を引き継いでいる。
水占の水うしなはれ敗戦忌 櫂 未知子
(『俳句』八月号)
麨や七十年も一昔 西嶋あさ子
(『俳句』九月号)
八月は原爆忌、敗戦忌など祈りの多い月である。今年は戦後七十年と言うこともあってことさら八月を意識した。
櫂氏の句、「敗戦忌」という本来普遍性のある季語に対して、自分の日常生活の中から、忌日に思いを馳せて詠んでいる。私達が学ぶべき態度である。掲句は水占いを行っている神社の一齣であろうが、干からびた水占いに八月十五日の暑さを思いやっているのである。
西嶋氏の句、「麨」は終戦直後の食べものであり、なつかしい響きを持つ。その戦後体験から〈七十年も一昔〉とさらりと詠んでいるが、「麨」に始まる七十年間の食べものにかくも長き平和をかみしめている句である。
しんしんと夕かなかなに耳ぬらし 栗原 公子
(『俳壇』九月号)
いずれも蟬の句を抜いてみた。安部氏の句、みんみん蟬の生態を正確についた句である。確かにみんみん蟬は最後に「ジー」と鳴いて終わる。その鳴く様子を〈音階下げて〉と意識したところに作者の発見がある。
栗原氏の句、蜩を主情的に捉えた句である。〈しんしん〉は蜩の鳴き声に対する作者の胸の内の響きであり、その鳴き声に〈耳ぬらし〉と収めたのもまた作者の身の内に受け取った感性である。
(「運河」[茨木和生主宰]八月号)
現在、オオサンショウウオは環境省のレッドリストでは絶滅危惧種Ⅱ類に指定されている。
ところで涅槃図にはあらゆる動物が描かれている。掲句はここに山椒魚が入っていないことを残念がっているのである。〈をらざるもの〉の断定には絶滅に瀕している山椒魚への愛情を持つことが作者の使命とも思える。今まで「涅槃図」と「山椒魚」の取り合わせの句はあっただろうか。それだけ茨木氏が山椒魚を愛している証左である。
(「若葉」[鈴木貞雄主宰八月号)
掲句の花火は大掛かりな仕掛花火であろうか。これを〈燃ゆる都〉と認識したことに鈴木氏の豊かな発想力が見え、具体性のある生き生きとした花火となった。
私は何故か〈いつせいに柱の燃ゆる都かな 三橋敏雄〉を連想した。戦火と花火は目的が違うとは言え、紙一重の違いである。燃えるのは花火だけにしてほしいものだ。
(「沖」[能村研三主宰八月号)
掲句は、蜘蛛の囲を即物的に観察した句である。蜘蛛の囲が撓んでいるのは、雨滴を包んだためであり、その撓みに自然の造型の美しさを見たのである。ここには一物を凝視した写生の強さがある。
(『俳句四季』九月号)
螢のイメージからはかない運命を連想しがちであるが、掲載された十六句を読むと、忠実な写生に基づいた現実の螢を詠んでいる。そして掉尾の掲句もその一連の写生句として捉えたと考えてよいだろう。〈葬り来て〉という非日常性の儀式を終えて、日常生活の眠りについた場面展開であるが、中七の〈螢の闇に〉には非日常性と日常性のつなぎとして亡くなった人への万感の思いが詰まっている。
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汚れなき空の青さよ梅は実に 栗田 やすし
(『俳句』六月号)
「帰郷」と題する十二句の掉尾の句。久しぶりに故郷の岐阜へ帰った時は、丁度梅が実る時期であった。掲句は師である細見綾子との岐阜での思い出を踏まえた句である。
昭和45年、岐阜で「風」東海大会が行われ、大会後不破の関で、綾子は〈青梅の最も青き時の旅〉と詠んだ。この時、栗田主宰も吟行に同行していた。
そして現在栗田主宰は、梅が実る時期に帰郷して師を偲ぶ挨拶句として、掲句の〈梅は実に〉と詠んだ。さらに〈汚れなき〉は〈蕗の薹喰べる空気を汚さずに 綾子〉を念頭に置いたもので、綾子はこの句について「生きるということは空気を汚すことに外ならないのだが、蕗の薹を食べた日はその日一日空気を汚さずに生きていたような気がする。」と発言していたことから、掲句の〈汚れなき〉と詠んだのは綾子の生き方に、自身の願望も入った句ではないだろうか。こうして掲句は綾子への憧憬の句となった。
九十九折登り切りたる汗涼し 後藤 比奈夫
(「諷詠」[後藤立夫主宰]六月号)
後藤比奈夫氏は今年白寿を迎えるとともに、第14回山本健吉賞を受賞された。掲句は白寿の誕生日を迎えた時のもので、人生のこれまでの紆余曲折を九十九折りに喩えて詠まれたものである。この白寿に達した実感が〈汗涼し〉と清々しい気分を詠んでいる。現在も月々の自作発表をはじめ、多くの句の選を次々とこなしている。俳壇の高齢化を憂いている現在、九十歳代の活躍に、私自身、年齢を重ねても俳句まで老いてはならぬと思っている。
湖へ網広げたる山桜 関森 勝夫
(『俳句』六月号)
関森氏が主宰である「蜻蛉」が今年創刊30周年記念を迎えた。この記念大会で関森氏は「一日一句、多作多捨。この積み重ねにより生きた足跡を残す。」と発言され、「蜻蛉」には毎月多数の句を発表し続けている。
掲句の湖は「山桜」の季語からひなびた湖であろうか。〈網広げたる〉の描写から湖一面に山桜が映っている情景が見えてくる。あたかも湖へピンクの投網を打つような色合いが鮮明である。
手の冷えて心の冷えて今日のあり 江崎 成則
足温く心の温く明日の来る
(「栴檀」[辻恵美子主宰]六月号)
「栴檀」同人の江崎氏が五月七日に逝去された。江崎氏とは私が初心時代、よく吟行にご一緒させて頂き、御教示も受けた。掲句二句が六月号の最後に並べられている。いずれも上五、中七の〈手の冷えて心の冷えて〉や〈足温く心の温く〉は作者の日常生活の中で、ある時は冷えた心地のする日であり、あるときは心温かく感じた日の実感である。その実感から、下五の〈今日のあり〉や〈明日の来る〉が生きようとする願望である。しかしこの願望もついにかなわなかった。 合掌
梅雨晴間忽ち打鋲再開す 辻田 克巳
(「幡」[辻田克巳主宰]六月号)
「幡」はこの六月号で創刊25周年を迎えた。創刊時の俳句観である「俳句は詩」はぶれることなく続いているようである。今月号の句はすべて日常吟であり、掲句もその一句。鉄骨で建物でも組み立てているのだろうか。雨が降っている間の静けさと〈梅雨晴間〉に始まった打鋲音の対比の切り替えが鮮明である。現在も硬質な写生を貫く姿勢から、誓子・不死男の師系は健在であるようだ。
山藤のなだれ咲くとも咲き登るとも 高橋 悦男
(『俳壇』七月号)
掲句、山藤の実態を捉えた一物把握の句である。この句の眼目は〈なだれ咲くとも〉〈咲き登るとも〉の二面性を持ったリフレインで下七音も気にならない。確かに山藤は高木に絡みついて咲くことから、登りつつ咲くことは理解出来る。さらに作者は山藤が高みから連なって、なだれて咲くとも理解したのである。その結果、山藤の持つ二面性に説得力を持つことになった。
鯉のぼり降ろされどつと息吐きぬ 北原 昭子
(『俳句界』七月号)
鯉幟影のじたばたしてゐたり 山田真砂年
(『俳句』七月号)
俳句総合誌を見ていたら、掲句の「鯉のぼり」の二句が目にとまり、しかも二人とも同じ結社の方と知って、偶然の一致に驚いた。
北原氏の「鯉のぼり」は幟竿から降ろされた時の〈どつと息吐きぬ〉の把握に臨場感がある。また山田氏の「鯉幟」は竿に掲げられている時の影に着目して、これも〈じたばたしてゐたり〉の写生に臨場感がある。両句を見ると物をよく凝視しており、しかもそれぞれ擬人化法で詠んでいることの一致にまた驚いた。
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再度即物具象(二)
前回、栗田主宰の実作にふれて、即物具象とは何かを考えたが、今回は沢木欣一先生の即物具象の原点を探ってみたい。結論的には私は句集『地聲』が即物具象を最も具現化したものであると思う。
以下順を追って見ると、沢木先生は「風」誌の対談(昭和62年)で、即物具象をいつ唱えたかの質問を受けて、楸邨、波郷、草田男の写生を重んじる態度に当初から写生、即物具象を意識していたと発言されて、例句として〈梨売りの頰照らし過ぐ市電の燈 昭和14〉を紹介されている。
次に句集『地聲』(昭和48)のあとがきに「地声は日常性、具体性に根を深く据ゑ、現実の事物にねんごろに触れ、物自体の声を響かせたいという気持からこの題名を選んだ。」と現実の事物の重要性から即物性をはっきりと私たちに提示された。私が即物具象を実感している句として、
黒土にひかりあつめて冬の蜂 欣一(昭和31)
魚減りし海に花火を打ちに打つ 〃 (昭和39)
棺かつぐときの顔ぶれ荒神輿 〃 (昭和41)
啓蟄の土へ太鼓を滅多打ち 〃 (昭和42)
などが見られ、今でも私たちに物の写生の重要性を説かれているような気がする。
そして具体的な理論として『俳句』(昭和45年3月号)に発表された「即境俳句論」がある。沢木先生は俳句性を〈即境〉として理解し、〈即境〉の三つの要素の中の一つに〈即物〉があると述べられている。丁度この頃の実作である句集『赤富士』にも即物具象の句を多く見ることが出来、
鳥帰る水と空とのけじめ失せ 欣一(昭和44)
流燈の月光をさかのぼりたり 〃 (昭和45)
お降りの地に近づきて雪となり 〃 (昭和46)
など今読んでも沢木先生の即物具象は新鮮であると思う。
また「風」同人の林徹氏句集『直路』(昭和50)を評して、「『直路』では可能な限り物を削り落として、単純化の極地に達しようとしている。(中略)象徴とか内面の表現とか気の利いた言葉を吐かないで即物具象一本で貫いているのがいさぎよい。」と林徹氏の俳句を即物具象そのものであると断定明確にしている。次の一句が『直路』を象徴した代表句ではないかと思う。
種蒔ける影も歩みて種を蒔く 林徹(昭和39)
以上を整理すると、①当初からの物の意識、②『地聲』での物自体の声、③「即境俳句論」での「即物」の持論、④『直路』評での即物具象の断定、などと時系列的に即物具象の形成、発言を見ることが出来る。
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土の声聞かむと雪間のぞきけり 若井 新一
ぜんまいを揉むや手の皺消ゆるまで
(『俳壇』五月号)
若井氏は句集『雪形』にて第五十四回俳人協会賞を受賞された。受賞の言葉として『俳壇』誌に「俳句は『もの』に即して詠む文芸であり、一句の中に必ず『もの』を入れるようにしたい。(中略)不器用で愚直であることは承知しているが、故郷の風土の未開拓の素材を掘り起こし、深く詠みたい。」と控え目ながら風土性のある句を作りたいとの強いメッセージを発信している。『雪形』から共感した句はあまりにも多いが、三句に絞って抜いてみた。
かすかなる風かたかごの花にこそ
雪形の朝の風に嘶かむ
人界は霧の底なり立石寺
このように風土性を土台に即物を基本に写生している句が全編に流れている。
一句目は、あくまで物を詠んでいるが、かたかごの生き様はかすかな風にふさわしいと納得している。〈花にこそ〉の下五の表現に工夫の跡が見られる。
二句目は、本句集の象徴的とも言うべき一句で、早春にいつも見ている雪形に愛情を注いだ結果、雪形に擬人化手法を使うことが効果的であることを発見している。
三句目は、即物を突き抜けてさらに深く写生することによりやや固い〈人界〉の言葉を使いながらも山寺の実態に迫った言葉探しに成功している。このように深い写生に心がけることにより物の根幹に迫った句が多かった。
そこで冒頭句に戻って読むと、一句目の雪間を通して聞く声は作者の土着とも言うべき、ふるさとそのものであり、それを象徴化させる物の一つとして〈土の声〉で代弁させて詠んでいる。
二句目は、極めて即物的写生に忠実な句である。ぜんまいは揉んでは干す作業を何度も繰りかえして出来上がる。その作業を〈手の皺消ゆるまで〉と把握するには、ふるさとへの愛情なくしては詠めない。今後、若井氏の言う未開拓の素材発掘に期待したい。
野うさぎの跡に砂つぶ斑雪 田島 和生
金縷梅の咲いて日輪近くなる
(『俳句』四月号)
田島氏はこの三月に第三句集『天つ白山』を上梓された。
作者にとって第一句集『青霞』は沢木欣一氏に師事、第二句集『鳰の海』は林徹に師事されていた時期にも重なる。そして今回の『天つ白山』は「雉」主宰を継承した時期と重なる。言わばこの句集は誰にも凭れることなく、主宰としての責任と自負を持って上梓されたものである。
これを念頭に句集のあとがきにある「学生時代から『風』俳句に親しみ、俳句の基本として即物具象と写生を念頭に、ようやく俳句固有の面白さが判ったような気がする。」を読むと、この句集は即物具象を師系として貫く姿勢を堅持し、さらに自身の境地を開拓しつつある句集と言えよう。『天つ白山』から三句抜いてみた。
絹光りしては淡海の初燕
暁光を寸鉄帯びし雉のこゑ
うかうかと昼酒の利き鮎膾
一句目、〈絹光りしては〉の写生には沢木欣一の即物具象を継承しつつ、さらに写生を深めようと自分の言葉を発見したいとの姿勢が見える。
二句目も即物具象の句そのものであるが、〈寸鉄帯びし〉の鋭い把握は林徹に通じる硬質な写生を彷彿させる。
三句目に少し異質な句を抜いてみたが、この句は〈スコッチのお湯割にこそ蕪鮨 欣一〉に通じる自由闊達な句で、欣一の側面も身につけていたことが分かる。
これは「雉」三月号の「風鳥園雑記」に「欣一の句は天衣無縫で親しみやすく、徹の句はひんやりとした抒情性が魅力と言える。」と発言していることから、二人の師をよく知っている田島氏ならではの至言であろう。
そこで冒頭の句に戻って見ると、
一句目は、〈跡に砂つぶ〉から春の雪の特質をよく観察しており、微細な即物的把握に衰えはない。
二句目、金縷梅のちぢれ気味の花弁から日差しが透きとおっている情景を〈日輪近くなる〉と作者の実感を大事にした写生に田島氏らしさが見られる。
雪解雫音に頭韻ありにけり 平野 貴
満天は紺の極みやどんど果つ 今瀬 一博
讃美歌の折りかさなりて白き息 寺田陽二郎
(「対岸」[今瀬剛一主宰]三月号)
俳壇の高齢化が進むなか、着実に若手が育っている結社もある。「対岸」三月号では「次世代競詠特集」として十二名の作品が掲載されている。いずれも俳句の骨格がしっかりしている。三名の句を抜いてみたが、平野氏の雪解雫の音に〈頭韻〉を感じたこと、今瀬氏の、どんどあとの青空を〈紺の極みや〉と発見したこと、寺田氏の讃美歌の合唱を〈折りかさなりて〉と実感したことなどいずれも感動の言葉探しに若さが感じられる。
私たち「伊吹嶺」に依る者も「日本の伝統詩としての俳句を若い世代に伝える」ことの重要性を改めて確認したい。
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再度即物具象
私達、「伊吹嶺」で俳句を学ぶ者にとって、即物具象に基づく写生が基本であることは言うまでもない。ただ私自身への自戒も含めて、今の「伊吹嶺」では即物具象に忠実であろうかと思っていた矢先、栗田主宰は「伊吹嶺」(平成二十六年十一月号)の「伊吹山房雑記」にて次のように述べられている。
沢木欣一先生が俳句の基本として繰りかえし説かれた即物具象の俳句をめざして私達は句作に励んでいるが、句会で安易な事柄俳句、言い換えれば、月並俳句を良しとすることがあるのではなかろうか。ここでもう一度、即物具象は何かを確認する必要がありそうだ。
そこで私自身、再度即物具象とは何かを振り返ってみたい。栗田主宰の講義録をまとめた『やすし俳句教室―実作への手引』には、即物具象を沢木先生の発言(「私の句作法」(昭51・12毎日新聞))を引用して、「感動はナマのままの言葉で表しても俳句にはならない。(中略)感動はもやもやとして形を成さない混沌の状態である。形を成さないものを形に成すためには、物という核が必要で、物に即し、物を通すことによって感動が定着する。」と説明されている。
これを踏まえて栗田主宰の次の句を考えてみたい。
滝凍てて全山音を音を失へり やすし
この句は数年前の平湯大滝での吟行句である。ここには凍滝が登場するだけの一物俳句である。全面凍結した滝を見て、〈全山音を失へり〉という物に即した眼前の写生を研ぎすまされた感覚で完成されたのである。このように物に即して、物の本質を具体的に詠むことにより、感動が伝わる。これが即物具象である。
ところが最近よく見かけるものに、ある季語に続いて「何々して何何した」という狙いを持った事柄俳句が多いことに、栗田主宰は懸念されていると思った。ただ栗田主宰は事柄俳句であっても真に感動を与える「事」の俳句を否定している訳ではない。「事」の俳句では、季語が効いているかどうかがポイントであると述べられている。
木瓜咲くや怠け教師として終る やすし
この句は一種の事柄を詠んでいるが、〈木瓜咲くや〉という季語は〈木瓜咲くや漱石拙を守るべく 漱石〉を踏まえたものであり、漱石を思いやって、主宰と漱石が時代を超えて二人の心情を重ね合わせた句であると思う。
なお私は沢木先生の即物具象を本格的に著した句集は『地聲』『赤富士』ではないかと思っている。特に『地聲』がその即物具象を説くに至った原点であることにも触れたかったが、字数が尽きたので次の機会にしたい。
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発掘のやうにも見えて冬耕す 伊藤伊那男
(『俳句』三月号)
「奈良晩冬」とある旅吟。明日香では今も新たな史跡が発見されることが多く、その発掘作業に出くわすこともある。掲句も同様で、遠くに動く人が見えると、思わず発掘作業と思ったのだが、それは冬耕であった。「冬耕」など耕しは古来営々と続けられてきた農作業である。そしていにしえの歴史に触れる「発掘」と取り合わせたこの句はともに日本の原点に関わる一つの生活であると感じた。歴史に裏打ちされた土地だからこそ、この句は生きてくる。
(『俳句』三月号)
掲句から日本海の海岸を想像した。シベリア高気圧から押し寄せる寒波はもちろん風雪が主体である。しかし作者は押し寄せるのはあくまで「波」であり、その「波」が海岸で砕け散って、「風」に変化した。寒さには「波」にも「風」にも内在しており、同じ寒さの存在が形を変えたことを実感したのである。
(『俳壇』三月号)
近年、里山の崩壊などに伴い、猪、鹿などの獣害が深刻な問題となっており、それに比して猟師の数が高齢化などから減少している。掲句は重要な役目を担っている猟師の心情を覗き見た句である。銃口の先は狙いを定めた獲物である。しかし作者は銃を構えている猟師の目に思いを重ねて〈悲しき目〉と直截的な感情表現で詠んだ。作者は猟師が生き物に愛情を注いだ〈悲しき目〉に感動したのである。
(『俳句四季』二月号)
馬籠宿での句。吟行句は旅人の視線だけでなく、いかにその土地で見たものに思いを込めるかが重要である。そういう点でこの句には生活感が感じられる。今なお噴煙を上げてつつも、神の山ともあがめられている御嶽と〈大根干す〉の生活感のある取り合わせに作者の温かい視線を感じる。かって作者が詠んだ〈滝水を使ふくらしや種浸す〉も同じ生活感のある句である。
(『俳句四季』三月号)
この句も生活感に溢れた句である。陶工の日常生活は毎日同じ作業を続けていくものであろう。その生活の中から陶工は「桜草」を育てているのである。その桜草の発見と寡黙な陶工に出会ったことに詩心が動かされ、この取り合わせから陶工の温かい人柄をおのずと感じたのである。〈陶工の寡黙や〉が効果的である。
(「風港」[千田一路主宰]二月号)
今月号の千田氏は心筋梗塞で入院した経緯を発表している。そして掉尾にこの句を据えた。これら一連の句を読んで、この句に出くわすと改めて作者の覚悟を見たような気がする。ようやく回復して今後の人生を〈新たな余白〉と断定することにより、今は何もないが、今後とも自分自身の歴史を刻んでいきたいとの思いであろう。〈返り花〉の季語からこれまでと同様に生き様を残したいとの気持ちが切々と伝わってくる。
(「貂」[星野恒彦代表]二月号)
同じ物を見ても二面的な見え方がすることがよくある。例えば〈一対か一対一か枯野人 狩行〉という句があるが、この句もその一例である。そして掲句も同じ情景に二面性があることを詠みあてている。熟れきって大きく裂けた石榴を人間の表情のように〈怒か笑か〉と思いきった比喩を並べている。そもそも石榴を人面として見ること自身、着想が豊かで、さらにここには〈裂けはうだい〉という極端な表現に滑稽も含んでいる。
(「辛夷」[中坪達哉主宰]二月号)
掲句は、ビル群が密集している中での一齣である。目的地へ行くのに、勝手知ったるビルを通って行くいわゆる抜け道を利用することが多い。この抜け道と気ぜわしい時期である〈十二月〉との取り合わせが現代的な世相の句となり、季語が適切に生かされている。
(「栴檀」[辻恵美子主宰]二月号)
掲句、現実と心象風景が混在した不思議な句である。人間の脳裏は強烈な印象を受けると眼前の現実より残像の方が強いのであろうか。この日、作者は吟行などで外出した。それは枯野道を歩き続けた一日であった。この句は枯野道が〈家の中までつづきをり〉が眼目である。この枯野道が脳裏にあるまま帰宅した結果、冒頭で述べた残像効果が脳裏の心象風景として残る結果となった。
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御在所岳は名古屋から一時間あまりで行ける親しみやすい山である。登山ルートも初心者向けの裏道ルートや中、上級者向けの中道、新道ルート、そして上級者向けのロッククライミングが出来る藤内壁など多様性を持った山である。一時は台風被害により裏道ルートが崩落していたが、今は復旧され、以前より登り易くなっている。また幼児から家族向けにはロープウエィで山頂まで行ける。
春はツツジの高木であるアカヤシオ、シロヤシオの明るい花が楽しめる。なおアカヤシオは三重県のレッドリストによる準絶滅危惧種に指定されている。
夏は涼しさを求めて、子供達のグループも多く訪れている。特に夏休み後半ともなると、どこを歩いてもぶつかってくる赤トンボが群落している。そしてトンボにマーキングして、赤トンボがどこまで飛んでいくか、調べることを子供達の宿題として取り組んでいるグループ活動もある。
秋は楓やドウダンの紅葉の他、アカヤシオ、シロヤシオの紅葉が有名で平地の紅葉とは違った鮮やかさである。澄みきった山頂からは伊勢湾や琵琶湖の両方が臨める。
冬は三重県で唯一スキーが可能で、自然の樹氷や人工の氷瀑も楽しめる。
このように御在所岳は四季を通じて楽しめる山で、私は年に三、四回は出かけている。この二月には樹氷、氷瀑を見に行こうと思っている。
山頂には〈雪嶺の大三角を鎌といふ〉の誓子句碑もあり、皆さんも帰りに「御在所岳俳句ing」に投句して下さい。入選者には思った以上の景品が届きますよ。
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晩節や洗ひ晒しの鶏頭花 鍵和田秞子
戦時下の日記は一行からすうり
(「未来図」[鍵和田秞子主宰]十二月号)
この一月、鍵和田氏は句集『濤無限』にて第五十六回毎日芸術賞を受賞された。『濤無限』は多様性を持った句集である。句集のあとがきの「老いから逃げずに真摯に老境の思いを作品にしたいと思っている。」とか「東日本大震災は予想外の深い傷跡を心の中に残した。現在も澱のように心の底によどむものがある。」の発言から二つのテーマが見え、さらに戦争を詠んだ句が多いことにも気づかされる。
この三つのテーマに代表される句を抽出してみた。
紅梅のおづおづと咲き未知の老
夢に舞ふ幾千の蝶津波跡
敗戦日陽に溶けさうな白木槿
一句目、八十歳代に入った現在、「紅梅」は作者自身であり、老いを未知と認識したところが作者独特の感性である。
二句目の死者の魂を〈幾千の蝶〉で象徴化している。「夢に舞ふ蝶」は無限に悼むべきものとして位置付けている
三句目の敗戦日は陽に溶けるほどの暑さであったとの記憶から、「白木槿」は記憶の中のみならず、現在の日常の中にも七十年前の痕跡は残っているとの認識が示されている。
以上を踏まえて掲句を読むと、老いと戦争はいずれも現在進行形で詠んで行きたいとの覚悟が見える。 冒頭の句に戻れば、一句目、〈洗ひ晒し〉と認識した「鶏頭花」は自分を代弁する象徴であり、老いとは色褪せた存在としてでなく、句集のまえがきにあるように前向きに老いを捉えている。
二句目は『濤無限』でもそうであったように、戦争への回想もまた現在進行形で差し出されている。この句は〈月指してからすつらなる敗戦日 秞子〉(20.8.15)を踏まえたものであり、〈日記は一行〉と突き放しながら、からすうりを通して、戦争の記憶を今日にとどめているのである。
それは以前『俳句四季』(平成五年八月号)における「俳句は究極は自己表現の道である。いかに生き生きと自己を表現するか、いかに新しくあるべきかに全力をかける他はない。」との発言とも重なる。再整理すると「紅梅」「蝶」「白木槿」「鶏頭花」「からすうり」などはいずれも物に託して、それを象徴的に取り込み、自己表現の道を歩んでいる。老いを自覚しながらのこの覚悟に敬意を表したい。
(『俳壇』一月号)
各俳句総合誌では毎年一月号に新年詠を掲載している。作句時期と掲載時期のずれはあるものの、読者としては各誌の新年詠に何かしら心重ね合う句に出会えることが一つの喜びである。掲句、〈衣ずれ〉というわずか五音だけでこの句は生き生きとした句となっている。読者は初詣の晴着の女性の年齢は?着物の装いは?とすれ違うときの想像がふくらんでくる。まこと新年らしい淑気である。
(『俳壇』一月号)
掲句の年用意する船は漁船であろうか。年用意のの中味より〈流木を重しに〉と観察したところに臨場感の満ちた句となった。しかも自然界の流木が人間の生活である年用意に使用されている取り合わせの妙に作者の漁民への優しい眼差しが見えてくる。
(『俳句』一月号)
掲句には日本海の怒濤を想像した。冬の日本海はまさに「怒号」というべき波の荒さがふさわしい。表現のポイントとして、「怒号」だけで十分佳句に値する内容であるが、さらに荒波にも静まる時がある。その一瞬を捉えて〈強き黙あり〉と断定したところに生き物のごとき日本海の生態を見たようで、もう一つの日本海の真実を突いた句である。
(『俳句』一月号)
掲句はこの句の前に「美濃瑞浪」とあるから、岐阜県の山奥を旅行した時の句である。岐阜県では今でも猪鍋など食べられるところが多く、「へぼ」はとりわけ珍味として人気がある。作者は猪鍋以上につきだしの「へぼ」に驚喜しているのである。「ぞ」の強調の副詞が効果的に働いている。
(「山繭」[宮田正和主宰]十二月号)
掲句の鷹の渡りの現場は伊良湖岬であろう。「海峡」というのは伊良湖水道であって、これを踏まえて掲句は〈渦なすときを〉の激しい潮流の写生をポイントとして、鷹の渡りの厳しさを〈海峡の渦〉でもって代弁させている。
(「煌星」[石井いさお主宰]十二月号)
「水中花」は昔懐かしい季語である。コップに入れた水中花は泡を立てながら開く。そして夏の間、水中花自身はしおれることなく、咲き続けるのである。その咲き続けることを〈水疲れして〉と擬人化表現することにより、水中花への思いやりが出てきた。
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「伊吹嶺」11月号の「伊吹山房雑記」に「即物具象」について栗田主宰は次のように述べられている。
沢木欣一先生が俳句の基本として繰り返し説かれた即物具象の俳句をめざして私たちは句作に励んでいるが、句会では安易な事柄俳句、言い換えれば月並俳句を良しとすることがあるのではなかろうか。
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角川俳句賞は今年で六十年目となる。「角川俳句賞の60年」を読むと、受賞者の大きな流れとして風土俳句から若手の台頭もあって、平淡な生活詠に移っているという。今年の受賞作「エンドロール」も平明な生活詠である。 一句目、映画が終わった瞬間、我に返った場面転換が印象的である。映画のエンドロールを見ていても、余韻を味わうようにいつまでも座席に座っていたい。しかし館内が明るくなって、現実の〈膝の外套〉に気付いた取り合わせが若々しい。
二句目、この句は「お紅の渡し」などどこの渡しでもよい。渡し舟が戻ってくるまでの束の間を詠んでいる。〈土筆摘む〉のさりげない季語と下五の言いさした表現に駘蕩とした気分がよく出ている。
残鶯や豆腐の角のすつきりと 伊藤 敬子
(『俳句』十一月号)
掲句、秋が近くなった時期の清々しさを感じた。豆腐を切るのは主婦の日常作業であろうが、豆腐の角がシャープに切れた時、聞こえてきた〈残鶯〉の声と相まってなごんだのであろう。〈角のすつきりと〉にその気分がうかがえ、この豆腐は冷奴に違いないと確信した。
『俳壇』十一月号)
牛膝の実は棘があって、服のどこにもくっつく。掲句の〈ゐのこづち〉から遊んでばかりいた子供時代の思い出につながってくる。それはふるさとへの思い出そのものである。〈飛び付いてくるゐのこづち〉は現実の景であるとともに、郷愁にも似た過去の自分がオーバーラップしている。上五の〈ふるさとや〉がそれを物語る詩因である。
(『俳壇』十一月号)
曼珠沙華はその強烈な朱色の印象から、詠む者にとってはそれぞれの思い出につながってくる。掲句の〈あの人にこの人に〉は現実の人と解釈することも出来るが、既に亡くなっている「あの人この人」と解釈した。それは作者自身の両親など近親者でも、親しい友人でもよいが、作者が決して忘れられない人に対して、心の中で曼珠沙華を手向けているのだろう。掲句は芭蕉の〈さまざまの事おもひ出す桜かな〉や〈父母のしきりに恋ひし雉子の声〉に通じる心情を持っているが、芭蕉は「正述心緒」で述べているに対し、掲句は現代の「寄物陳思」とも言うべき即物的な詠みの中に死者への強い思いが込められている。
(『俳句四季』十一月号)
掲句は夫婦二人暮しの句であろう。二人だけでいると黙っていても何事も通じてしまう。〈寡黙は水入らずの証し〉は事柄俳句であるが、その句を成功させるのは季語の選択にかかっている。〈秋灯〉はありふれた季語であるが、この季語の効果により、秋の夜長に夫婦が互いに沈黙したまま読書でもしているのではないかと想像が次々と膨らむ。
(『俳句四季』十一月号)
「キツネノマゴ」はれっきとした学名の野草で二、三センチの小さな花を付ける。名前の由来は諸説あるが、花が咲いたあとの花序が狐の尾に似ているからと言われている。そして「俳祖忌」は前後の句から荒木田守武のことで、毎年九月十五日頃伊勢神宮内宮にある宇治神社で守武祭が行われる。その守武祭に作者はおよそ供華ともならない〈狐の孫〉を摘んで参集したというのである。〈俳祖忌〉と〈狐の孫〉の取り合わせがユニークで、読む者にとってつい笑ってしまうが、作者は真面目に摘んで参集しているのである。そのことがますます俳諧味を豊かにしている。
(「運河」[茨木和生主宰]十月号)
鮎は様々な障害を乗り越えてふるさとの川へ遡上する。他の句に〈鮎たまりゐたり堰堤上れずに〉もあることから、かなり高い堰を越えようとしているのだろう。掲句の〈堰に差す日差強まり〉は実に向日性を帯びた写生である。作者は鮎が高い堰を越えることが出来たのは、強い日差しのおかげであると思いやっているのである。このような生態を通じて生物の多様性は維持されていくのである。
(「りいの」[檜山哲彦主宰]十月号)
〈蓮稚きうてな〉とは蓮の花が咲き終わってまだ黄緑色の花托であろうか。掲句はその〈うてな〉の一点に絞った一句一章の句である。花が散ったあとの〈うてな〉は次第に緑色を深めて蓮の実が飛ぶまで営みを続ける。その結実までの期間を思いを馳せて〈天にかかげたり〉と詠むことにより力強さが確定した。
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