俳句についての独り言(平成28年)

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 特定外来生物と山椒魚 28.12.1 
 天の川 28.9.1 
 句集『蒲郡』出版前後 28.9.1 
 思いの深い即物具象(伊吹嶺8月号) 28.8.1 
 再度即物具象(4)(伊吹嶺5月号) 28.5.1 
再度即物具象(3)(伊吹嶺1月号) 28.1.1


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    特定外来生物と山椒魚(伊吹嶺12月号)

  外来生物というと動物、植物の違い、歴史的に古くから日本に棲みついているもの、特定外来種に指定されているものなど様々あるが、ここでは最近愛知県で話題になっている二つの特定外来種について述べたい。

一つ目は、名古屋城の濠に生息している肉食性のアリゲーターガーというワニのような鋭い歯を持った魚である。数年前に目撃されてから、どんどん巨大化して、駆除も試みられているが、未だ成功していない。そしてこの魚は今年特定外来種に指定され、二年後には規制対象になる。今後の動きに注目したい。

 次にやっかいな特定外来種にアライグマがいる。もともとペットなどに輸入されたものが野生化したもので、愛知県では一九六三年から生息確認されて、現在は愛知県全域に広がっている。アライグマは雑食性で、その被害は農作物ばかりでなく、愛知県北西部に生息している特定記念物であるオオサンショウウオにも被害が及んでいる。このまま行けばオオサンショウウオの絶滅も視野に入れなければならず、胸を痛めている。

また伊吹嶺連衆、特に瀬戸の皆さんが積極的に「山椒魚」「はんざき」として詠まれていることに応援したい。

  岩穴に戻すはんざき頭から  玉井美智子


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          天の川(伊吹嶺9月号) 

 沢木欣一先生が師である加藤楸邨と金沢から佐渡へ一週間ばかり旅行したのは、昭和十七年八月のことであった。この旅行の目的は楸邨が芭蕉の奥の細道の足跡を辿ることにあった。この紀行については先生が書かれた『昭和俳句の青春』に詳しく述べられている。

  天の川柱のごとく見て眠る    欣一

 掲句は「出雲崎」の前書きがあり、芭蕉の〈荒海や佐渡によこたふ天の河〉のように天の川を見るために出雲崎に宿泊したものである。ここで先生は、

天の川は陸から佐渡の方に向かって懸かっていた。佐渡の上に横たわっているのではないことを知ってちょっとがっかりしたが、陸から佐渡方向へ横たうと解釈しておかしいことはない。陸から佐渡方向へのかささぎの橋と解釈した方が天の川にふさわしい。

と述べられている。私は掲句の〈柱のごとく〉と詠まれたのは一つのイメージとして把握して詠まれたのであろうと思っていたが、実景であったのだ。

 本ページに掲載した天の川の写真は星愛好家であるTさんが丸山千枚田で撮影されたもので、確かに立ち上がっているように映っているし、Tさんによれば、越後から日本海方面に見ても佐渡には立ち上がったようにしか見えないとのことである。改めて〈柱のごとく〉には写生の強さに基づく比喩表現であることが分かる。

 なおこの旅行では先生は当時出版されたばかりの中野重治の『斎藤茂吉ノオト』を持ち歩いており、この書に啓蒙されたことを同行の楸邨に熱っぽく語っていたという。その先生の熱意に楸邨は「沢木欣一に」の前書きで、

  青蚊帳に茂吉論などもう寝ねよ   楸邨

と詠んでおり、いかにも先生の文学への傾倒が強いか読み取れる。茂吉の写生の追究について、後において先生は「写生」は古びたものでなく、「写生」はまだまだ大事にされるべきものであると述べられている。 この頃、戦局は悪化を辿りつつある中で、先生は精一杯文学に打ち込んでいらっしゃったのだ。


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    鈴木みや子さんを偲んで(句集『蒲郡』出版前後)(伊吹嶺9月号)

 鈴木みや子さんから当時新宿の鉄道病院に入院中の沢木先生のお見舞いに行きましょうと誘われたのは平成十二年三月のことであった。私を誘ったのは前月の「風」二月号の「風作品」の巻頭にして頂いたお礼のためであったが、丁度当時みや子さんは句集上梓のため、句稿を沢木先生に預けられていたからでもある。これには「風」同人の内藤恵子さんの擬人力も大きかった。
 結局沢木先生からは翌年の十月に句集『蒲郡』として題簽と序文を頂いている。沢木先生が亡くなられるわずか一ヶ月前の日付であった。句集出版後、翌年の二月に再びみや子さんは私を誘って、句集を沢木先生の御霊前にお供えになった。
 そしてその年の五月に『蒲郡』出版会が行われた。みや子さんのご葬儀の時、息子さんの「句集出版会の時が母の一番輝いていたときでした。」との言葉に私は胸を詰まらせて聞いた。


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           思いの深い即物具象(伊吹嶺8月号)(一部加筆)

          句集『向日葵』を読んで

磯田なつえさんとは私にとってメル友であり、小学校の俳句出前講座などを通して「伊吹嶺ジュニア俳句」で大変お世話になっている。
 この度の句集『向日葵』の上梓は金婚式の節目にふさわしいことではないかと思っている。『向日葵』を鑑賞するに当たっては栗田主宰の序文が系統的に整理されており、非常に分かり易く、この流れに沿って私なりの鑑賞手がかりとしたい。

 まず初期の作品に登山の句が多いことに気づく。

  青林檎穂高の水に冷やしをり    平成3

は初期の「風」投句で沢木先生選に入ったものであり、その後は静岡県芸術祭に投句するなどして、準奨励賞などを受賞した句として、

  雷鳥が一歩先行く尾根の道     平成3
  雪渓を潜りてオコジョ跳び出せり  平成3

などがあり、「雷鳥」も「オコジョ」も現場を見た登山者でなくしては出来ない写生である。一句目の〈一歩先行く尾根の道〉や2句目の〈雪渓を潜りて〉には臨場感のある写生となっている。そしてその登山の句は、

  雲海に大槍の穂の写りけり     平成12

 が沢木先生の最晩年に採られた句で、雲霞に浮いている槍ヶ岳の大景が山の句として高みに到達した句であり、実に印象深い。
 またなつえさんとはチングルマ句会とも縁があり、私達の山行に参加して頂いたことも思い出す。

  釣忍赤き鼻緒のねずこ下駄     平成18

がチングルマ句会連衆と入笠山に吟行した折、馬籠で作られた句である。宿場町らしい下駄屋の釣忍に着目した即物具象で〈赤き鼻緒〉が印象的である。

 次になつえさんと言えば保育園勤務時代の句に惹かれる。私はこの句集を見て始めて銀行勤務後、独力で保母資格を取得されて、最後は保育園長を勤められたことに敬服する。この三十年余の間、園児を見つづけられてきた句には優しい眼差しが見える。この句集の題名となった、

  向日葵の開く園児の目の高さ    平成20

には園児とともに向日葵の成長を見届ける態度として〈園児の目の高さ〉の表現を得たことは園児に対する優しさがなくては出来ない。

  居残りの子とじやんけんや冬茜   平成3
  ざりがにを川に戻して卒園す    平成6

 これらの句にも園児の観察が的確で子供に寄り添った句である。後はほいいく縁を退職する一連の句に惹かれる。

  職退く日を決めて黄砂の町に出づ  平成21
  園児等の野の花束に送らるる    平成21

 一句目、保育園を退職する安らぎとともに〈黄砂の街〉に哀切の混じった複雑な心境が見える。そして二句目には勤め上げた満足感とともに園児等とともに歩いた感謝の念も見えてくる。

 現役時代には吟行のままならぬ時、必然的に日常吟が多くなる。その対象にはご主人や家族が登場する。

  留守番の夫に作れり雛の寿司    平成16
  五加木飯さらりと夫の誕生日    平成24

などご主人が登場するが、ご主人の秀治さんはカンツォーネも歌うダンディーとは違い、ここには二人の静かな生活が見える。

  消えかけし命戻れる雨水かな    平成15
  納棺の兄に野良着と山の百合    平成17
  夢で逢ふ野良着の母やほととぎす  平成19

 同様に家族を詠まれた句に哀切のこもった句が多い。即物的に詠みながら、しみじみとしたなつえさんの心情が伝わってくる。これらの句は付け焼き刃的には出来ないことであり、ここにはなつえさん本来の人を慈しむ気持ちが自ずと出てきたのであろう。

  紅ひけば鏡の奥の花ざくろ     平成3
  うすく溶く吉野の葛や花疲れ    平成20
  初日受くとんがり帽子ほどの富士  平成25

 さらに日常吟を抜いてみたが、初期より最近まで一貫して日常の些事を写生力により説得力のあるものとしている。なお三句目のように富士山麓に住んでいる娘さんを訪問することが日常吟であり、吟行句でもある。

 現役時代から吟行には出かけていたが、退職後はますます吟行に力を注がれているようである。

  石蕗の花摩文仁の丘の断崖に    平成14
  遅れ来し二羽加はり鷹渡る     平成22
  鵜篝の一つがついと走り出づ    平成26

一句目の摩文仁の丘に発見した石蕗の花、2句目の〈遅れ来し〉の発見、三句目の〈ついと走り出づ〉を発見した鵜篝の存在などいずれも写生力に基づく把握が的確な詩因の発見がしっかりしている。日常吟の写生に徹してきた原動力が吟行にも発揮されているのである。

 最後に時期を問わず特に物の写生がしっかりしている句を見ていきたい。

  忽ちに片栗の花反り返る      平成14
  能果てて立待の月海照らす     平成18
  翅は陽に紛れて飛べり糸蜻蛉    平成21
  行く秋の漁網干し場に鼠捕り    平成23

 いずれの句も物をよく観察している。一句目、〈片栗〉の咲くときの本質を言い止めている。二句目、能のあとの〈立待の月〉の立ち位置がしっかりしている。三句目のひ弱な糸蜻蛉を〈陽に紛れて〉の繊細な措辞が物の本質を捉えている。四句目も吟行先の些細な〈鼠捕り〉の発見が写生力の源となっている。そしてこれらの写生が近年変化を見せてきている。

  雨となる指の先より冬来たる    平成25
  水底の石透けゐたり冬の凪     平成25
  半熟のやうな日の出梅雨兆す    平成26

 いずれも一つの物を凝視しており、その凝視から研ぎすまされた感覚が垣間見える。一句目の指先に冬を感じる感性の冴え、二句目の透徹した写生の感性、そして三句目は特筆する必要がある。この句は『俳句四季』の「四季吟詠」において今瀬剛一氏の特選句である。今瀬氏は〈半熟の〉を半熟卵と考えるとより情景的な句となっていると選評されている。まさに日の出が赤く潰された半熟卵のように表れ、その色から湿りを帯びた太陽を把握したことが梅雨が近いことの感受性を色濃くしている。今後なつえさんが進むべき感性豊かな写生の方向ではないかと思っている。

 以上の鑑賞からまとめて言えば「思いの深い即物具象」がこの句集を成したのではないかと思っている。

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      俳句を考える (「伊吹嶺」5月号)
  
       
              再度即物具象()

 これまで「風」先人の即物具象の句を見てきたが、最後に「風」で学ばれた「伊吹嶺」の先輩の句に触れて、再度即物具象を考えて見たい。

  鍬洗ふ濁りひとすぢ夕河鹿  清水 弓月(昭和54)

 〈鍬洗ふ〉の写生として〈濁りひとすぢ〉とものに基づいた把握が繊細な情景描写となっており、「伊吹嶺」の即物具象の先駆者として忘れてはならない。その他〈鮎跳んで山の影来る川面かな〉〈柿若葉より洗はれて農夫出づ〉などはいずれも清水さんの俳句工房とも言える揖斐川近辺における生活感に溢れた俳句が写生の力で発揮している。

  刈草にあざみも混るぶだう棚  梅田 葵(昭和53)

 この句は昭和五十三年に沢木欣一先生が瀬戸、多治見を訪れた時、葵さんが吟行句会で、沢木先生の特選を取られた句である。沢木先生は「刈草の中にあざみを見つけたやさしい心が好ましい」と評されており、即物具象を説かれている『俳句の基本』に掲載されている。他に〈皿干せば皿に影置く桃の花〉〈絵付場の一人一燈時雨来る〉など瀬戸の窯場の句を多く詠まれたことから、現在の瀬戸勢の活躍につながっている。

  かきつばた紺とも紫ともいへず 鈴木みや子(平成5)

 鈴木みや子さんは名古屋での私の初めての指導者で、私達の見本となる即物具象を教えて頂いた。掲句の杜若の微妙な色合いを感覚的な写生で捉えられ、中八のリズムがゆったりと響いてくる。他に〈石蕗咲いて身になじみたる黄八丈〉のはんなりとしたたたずまい、そして〈終戦日黙禱すべく家にあり〉の凛とした信念に敬服してきた。

  冬の水飲むももいろの鹿の舌  下里美恵子(昭和57)

 下里さんは感性の豊かな写生句を得意となさっている。掲句は「風」新人賞を受賞された時の一句で、〈ももいろの鹿の舌〉を発見した感性は即物具象にふさわしい。他に〈雨となる空が明るし芽木の山〉〈かきつばた降り出しの雨大粒に〉〈榠樝の実傷深くして空青む〉など好んで使われている空、雨などに美しさを追求する感覚が優れている。

  昏れゆくや白木蓮に富士近し  栗田せつ子(平成元)

 掲句は沢木先生が句集『富士近し』の題名としてつけられた句で、本来遠近の位置にある富士と木蓮を夕暮れの中では〈富士近し〉と見えた写生に基づいた発見が適切である。他に〈小豆煮て啓蟄の空曇りたり〉〈山葵田を抜け来し水に桑浸す〉〈滝水を使ふ暮しや種浸す〉など生活に内蔵されている写生把握が私達のお手本となっている。

 以上「伊吹嶺」の先輩の句を見て、事柄俳句でなく、即物具象が「伊吹嶺」の神髄であることを理解してほしい。

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   俳句を考える (「伊吹嶺」1月号)
  
        再度即物具象(三)

 「再度即物具象」について、今回は沢木先生が実践されてきた即物具象句とその頃の「風」同人の句を学んでみたい。
 以前より私は句集『地聲』が即物具象の具現化に最もふさわしい句集だと思っている。

  棺かつぐときの顔ぶれ荒神輿   沢木欣一(昭41
  天心にゆらぎのぼりの藤の花    〃  (昭43

 いずれも有名な句である。一句目は佐久山の夏祭の嘱目であるが、今神輿を担いでいる顔ぶれは棺を担ぐときの顔ぶれと同じだと意外な発想で詠み、ここの住民の強固な連帯を物に即して詠んだものである。
 二句目は、白河の関で詠んだもので、ここには余計なものを一切削ぎ落として、一物写生の力強さが伝わってくる。この山藤には新しい蔓が天を目がけて駈けのぼろうとする勢いがあり、物で写生した句の強靱さがある。

 丁度その昭和40年代に飴山實氏の句集『少長集』に、

  曽々木村いちごの箱に厠紙    飴山 實

がある。この句には素朴な味わいを持っており、物だけの写生句である。〈いちごの箱に厠紙〉という措辞から能登地方の風土性を色濃く残しており、〈厠紙〉のキーワードから物の描写に徹している姿勢が見える。

 また「風」の代表的女流俳人である中山純子氏にも女性特有の柔軟で抒情のある句とともに、句集『沙羅』には、

  立春のまだ垂れつけぬ白だんご  中山純子(昭45

という句があり、物に忠実な日常生活の写生句で、この句集の序文で沢木先生は「この白だんごにはこの世にあるがままの姿を以て人間と同じ生命感に満ちている。」と評し、生命感を詠むにも物の写生から入っていることが分かる。

 次に林徹氏は表現手法として、終生即物具象を貫き通され、私達には学ぶべき点が多い。その頂点をなす句集に『群青』があると思う。ことに有名な句として〈鶏頭の影地に倒れ壁に立つ〉があるが、ここでは次の句を紹介したい。

  炎天や生き物に眼が二つづつ   林 徹(昭50

 先ずこの句の「生き物」には具体的な動物名を提示しないで、〈眼が二つづつ〉という即物的把握が強烈で、生き物の象徴として切り取っている。そして〈炎天〉との二物衝撃により、「生き物」に生命を吹き込んでいる。沢木先生は「風木舎俳話」の中で「林徹さんの俳句の神髄は原型把握という言葉が最も当たっている。」と書き、『群青』五句選のトップにこの句を掲げておられている。

 以上即物具象にふさわしいと思う句を紹介したが、私達は即物具象の大切さをもう一度勉強し直す必要があるのではないかと思っている。

 
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