俳句についての独り言(平成22年)

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生物多様性から思うこと 2010.12.1
現代俳句評(11月号) 2010.11.1
自註句集『田島和生集』所感 2010.9.13
困ったときの明日香 2010.9.1
現代俳句評(9月号) 2010.9.1
中根多子句集『母の鍬』を読んで 2010.8.7
現代俳句評(7月号) 2010.7.1
現代俳句評(5月号) 2010.5.1
現代俳句評(3月号) 2010.3.1
現代俳句評(1月号) 2010.1.1

 生物多様性から思うこと(「伊吹嶺」12月号 「俳句を考える」)

 生物多様性と言うと今年十月に行われたCOP10までは聞き慣れない言葉であったが、「生物の生態系は文化や精神面での豊かさを与えてくれる文化的効用」があり、その恩恵のおかげで私達は俳句を作ることが出来、生物多様性がなければ俳句も成り立たないことを強調したい。

  蜻蛉を翅ごと呑めり燕の子    沢木 欣一
 生物多様性を維持する自然の摂理として生物の食物連鎖がありこれにより自然界の生物が循環している。欣一先生の句は、まさにこの自然の摂理を詠んでいる。生物多様性が豊かであればあるほど、このような句が輝きを持つ。いつまでもこのような俳句を作ることが出来る環境であってほしい。

  緋目高に朝日溢るる彼岸入り   栗田やすし
  赤目高針のごとき子生まれたり  細見 綾子

 しかし現在、生物多様性はいろいろなリスクに侵されており、その一つに外来生物放流による希少生物の生態系が侵されていることがある。 
 皆さんは池や小川で今なお目高を見たことがありますか。メダカは既に絶滅危惧種に分類されている。その原因はメダカにそっくりなアメリカ原産のカダヤシが池に放流されたためで、小型の魚卵を食性としていることから、メダカがいなくなってしまった。カダヤシは蚊のボウフラを食べることから日本に放流されたが、メダカまで絶滅に追いやってしまっている。今や目高は自然界でなく、水槽などに飼われているものしか詠めなくなっている。綾子先生のような繊細は句が詠める時代は終わったのであろうか。

  ハリヨ棲む水に影濃き石蕗の花  栗田やすし
 もう一つの生物多様性を乱すものとして人間が原因を作っている種の交雑がある。 
 一例として清流で知られている醒ヶ井の地蔵川に生息しているハリヨの中へよく似たイトヨが人為的に放流され、これにより種の交雑が進み、今や醒ヶ井には純粋のハリヨはほぼ姿を消したという。
 現在直面している生物多様性の危機に対して俳人としてどのような行動を取るべきか私はまだ答を持っていないが、私達俳人が考えなければならない時代に入っていると思う。

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  現代俳句評(「伊吹嶺」11月号)

  玉苗に雨きらきらと羽黒道       皆川 盤水
  飛び来たる木つ端を護符に御柱祭    棚山 波朗

                    (「春耕」[棚山波朗主宰]八月号)
 「春耕」名誉主宰の皆川盤水氏が九十二歳で八月二十九日にご逝去された。皆川氏は「かびれ」同人から「風」に同人参加され、以来「風」で活躍されるとともに、昭和四十一年に「春耕」を創刊された。第二句集『銀山』で詠まれている昭和四十年代からみちのく志向が強くなり、「奥の細道」をたどるなど、旅の俳人と言われてきた。
 掲出の皆川氏の句、前後の句が日常吟であるに対してこの句は羽黒道の句となっているが、病床にあっての回想句だと解釈した。田植時のある日、氏の眼裏にかってのみちのくへ出かけた際の田植風景がよみがえったのではないか。中七の〈雨きらきらと〉と一点に焦点を絞った簡明な表現に、氏には走馬灯のようにかって見た風景が過ぎったのではなかろうか。  合掌
 棚山氏の句、七年ごとに行われる勇壮な御柱祭を詠んだものである。この句、御柱が周辺の木をなぎ倒して斜面を滑っていくとき、作者のところに飛んできた木端を祭の土産とし、それをお守りとした。〈木端を護符に〉の描写が作者の心の動きを詠み、リズムに勢いのある句となった。
 ところで八月号の「俳句時評」において棚山氏は蛍の発光周期の異変から蛍の交雑に警鐘を鳴らしている。私も全く同感で、観光のための蛍観賞が種の交雑をもたらし、生物の多様性を破壊している一因となっている。COP10が終了しても我々は生物多様性の維持に努力していくべきであると思う。

 春潮の崩れて瀬戸を落ちにけり     茨木 和生
                    (「運河」[茨木和生主宰]八月号)
 「俳句研究 夏の号」で「茨木和生の世界」として特集組まれ、それぞれ多くの俳人が茨木氏の人となりを発言されているが、一例として伊吹嶺栗田主宰は「茨木氏は古季語や伝統的風習、山村文化を現代に蘇らせるべく精力的に活動されていて、そのあふれるバイタリティに畏敬の念を抱く。」と評されている。私も実体験に基づいた古季語、希少季語を駆使した句に敬服している。
 掲出句はそのような句ではなく、春の力強さが伝わってくる句である。場所としては壇ノ浦のような海峡を想定した。干満の激しい時間帯において瀬戸の海峡が狭まっている場所は潮流も激しく、春潮が崩れるときは、滝を連想させるほど潮が落ちていくというのが作者の実感であり、一句一章の骨太の句となっている。

  腹芸の腹泣いてをり万愚節       加古 宗也
  空蝉の生きているかに木を抱けり    富田 潮児

                 (「若竹」[加古宗也主宰]八月号)
 加古氏の句、「腹芸」とは役者が言葉、所作以外による思い入れを心理的表現をすることと解釈してよいだろう。今、作者が見ている芝居は腹で泣いているように見せるペーソスのある上五、中七である。それに「万愚節」を配したのはまさにペーソスのある最適の取り合わせである。
 富田氏は今年百歳になられた。今もお元気に句会に出かけられ、TVでその活躍ぶりを拝見させていただいた。富田氏の句、句意は簡明である。空蝉は脱皮したあとも眼が生き生きと見える。作者もそれを詠むとともに、下五を単に「樹に止まる」と表現するのでなく、〈樹を抱けり〉と詠むことにより空蝉に生命を吹き込むことに成功した。

  胸許へ夏潮の香のふくれ寄す      加藤 耕子
                       (「耕」[加藤耕子主宰]八月号)
 今年の猛暑は耐え難いほどであったが、掲出句を読むと、真の夏らしい句にほっとする。場所は太平洋を一望にする岬がふさわしい句に思えた。今作者は崖に立って夏潮の香を胸一杯に吸い込んでいる。〈胸許へ・・ふくれ寄す〉により色彩が濃く、明るい夏潮を感じさせる。〈しんしんと肺碧きまで海のたび 鳳作〉のような清浄さを感じる句である。

  上の学校下の学校みな若葉       伊藤 政美
           (「菜の花」[伊藤政美主宰]八月号)
 掲出句を読み、思わず私の住んでいる団地を想像した。ひな壇状の団地内には小学校、中学校が上下に並んでいる。この句からは、上の学校からも下の学校からも生徒たちの声が聞こえ、その生徒の声は周辺の豊かな若葉に吸い込まれていくようだ。あたかも若葉が子供たちを包み込んで森が生きているようだ。七・七・五のリズムも違和感がなく、向光性に満ちた句である。

鵜篝のあと新しき闇生まれ       辻 恵美子
              (「栴檀」[辻恵美子主宰]八月号)
 辻氏にとって鵜飼が俳句工房の一つであろう。ただ鵜飼をテーマに詠み続けることは常に新しい感動の発見が重要である。掲出句、作者は鵜篝を乗せた鵜舟を詠むのではなく、篝火のあとの暗闇の世界を〈新しき闇生まれ〉と詠んで、闇に注目し、その闇は生まれたばかりの新しい闇であるとした新鮮な発見がある。それはこの句に次いで〈鵜篝や太古の闇を引き連れて〉も同様の類型のない新鮮さを持った句を読んでも分かる。

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   自註句集『田島和生集』所感

 『自註現代俳句シリーズ田島和生集』(俳人協会発行)を読み、感想を書かせていただいた。自註句集は俳句とともに註を読むことにより、作者の半生から俳句に対する態度、思いも見えてきて作者を理解する上で最適である。

青葡萄がつと白壁崩れ落つ     昭和30

高校三年生の時の一句。福井地震の時の句とあるが、「青葡萄」の勢いと壁が崩れ落ちた白との対比が見事である。既にこの頃から的確な写生力を身につけておられた。

  雁渡りきるまで空の広さかな     昭和39

 朝日新聞社に入社後の初の赴任地が輪島であることをこの自註句集で知った。まだ俳句を始めたばかりの私は昭和四十一年に輪島の田島さんを訪問したことがあった。随分と無礼な訪問だったと、汗顔ものである。しかしその後、田島さんには包容力のある態度で接していただき、拙句集『鈴鹿嶺』の書評も書いていただいた。
 この句、能登の先は日本海。その日本海を渡っていく雁を見ると〈空の広さ〉としか言いようのない広さが伝わってくる。気分のよい句である。

  春寒く書かねばこぶし握りゐし    昭和51
  虎落笛日々稿継ぎてゐたりけり    昭和51

 新聞記者の仕事は厳しく、毎日書き続けることが大事なのであろう。〈書かねばこぶし握りゐし〉や〈日々稿継ぎて〉の実態に、その時々の季語の斡旋は作者しか実感できないと想像できる。在職中十二回転勤されたとあるから、単身赴任も含めてその生活は大変だったろう。いずれも新聞記者の心情に共感できる句ばかりである。〈涼しさに百の鉛筆削らむや〉〈秋黴雨記者に訂正記事一つ〉〈記事書けよ書けよと鳴けり行々子〉などにも共感した。

  白梅の空透きとほり穴師坂    昭和48

 田島さんは学生時代より風金沢句会で沢木欣一先生・細見綾子先生に師事されていた。この句は昭和四十八年、綾子先生と山の辺を歩いた折の句で、青空に真白な梅が咲いている青と白の対比がよく見える。穴師周辺は坂が多かったことも思い出される。

  秋嶺の晴の極みを逝きたまふ     平成9

 金沢時代からの長年おつきあいのあった綾子先生とのお別れはひときわ強い悲しみがあったと思う。この山々は金沢から見える山であろうか。秋晴の山はさわやかな印象を与えるものであるが、〈晴の極みを〉と突き抜けた晴から逆に深い悲しみが伝わってくる。

  鳰鳥の(かず)き先生逝き給     平成13

 沢木先生が亡くなられたことは私達「風」メンバーもそうであったが、田島さんにとってもショックを受けられたことであろう。「鳰鳥」が潜るときはしばらく浮かんでこない。その湖上の情景は寒々とした波以外何も見えない。この句、潜ったままの鳰を思うことにより沢木先生に対する悲しみを託している。

  特高史読みをれば鳴き初蚊かな     平成12
  戦争を語らふ六林男日短か      平成12

 田島さんは平成十七年に第二十回俳人協会評論賞を受賞された。それは『新興俳人の群像「京大俳句」の光と影』で、十数年に渡った書き下ろしの評論である。評論は俳誌等に書いたものをまとめるものと違って、書き下ろしはその長年の努力と忍耐力が必要である。 一句目、集中して「特高史」を読んでいるものの蚊の鳴き声がうるさくつきまとう。ただ「初蚊」により心優しい作者の眼が感じられる。 二句目、鈴木六林男と共同で講演なさったときの句。この句では「日短か」の季語がポイントであり、若干の安らぎがあると感じた、六林男の戦争体験は酷烈そのものであったと思うが、その戦争体験を語ることが出来るのは、今が平和であるからこその安らぎであり、それは〈日短か〉の斡旋の効果であると思った。

  身に入むや阿修羅臂張り臂を折り     平成17

阿修羅像はいつ見ても、その愁いに満ちた表情に釘付けになる。この句は阿修羅像の表情でなく、〈臂張り臂を折り〉と別の視点で写生することにより、結果的に阿修羅の愁いを表現している。「身に入む」の季語が効いている。
 その他、家族を詠んだ句、純粋な即物具象に徹した句の多くに惹かれた。代表としてこの句を取り上げた。

  逝きし師の額秀づる花の冷     平成20

自註句集の掉尾を林徹先生の逝去の句で締めくくっている。この句、〈師の額秀づる〉と徹先生の最後の面影を詠むことによるおだやかで静かな悲しみの追悼句である。〈花の冷〉により作者の心情が痛々しく伝わってくる。「即物具象俳句の第一人者とされる先生に長く師事できたのも幸せと思う。」とあとがきで述べられた言葉に徹先生への追慕がうかがえる。
 その後、伝統ある「雉」主宰を継承された今、私達にお手本となる句を発表していただきたい。

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困ったときの明日香(「伊吹嶺」9月号)

十二、三年前に三重県に引っ越しして以来、心理的に奈良を近く感じるようになった。なかなか俳句が出来なくて困ったときは度々奈良に出かけるようになった。思い立った日が晴れているときはその日、思いつきのように妻と出かける。ある時は山の辺であり、ある時は明日香である。
 特に明日香は歴史と自然が豊かで、お気に入りの吟行地である。飛鳥川、甘樫の丘、石舞台周辺など季節に関係なく楽しめる。また甘樫の丘は桜、合歓の花、紅葉など、どの季節でも心が落ち着く。ここから見える夕暮れの二上山の色合いの変化も好きな場所である。 とりわけ飛鳥川上流が気に入っている。石舞台からゆっくり歩き、稲淵の男綱、栢森の女綱まで約三十分である。また稲淵の苗床のそばで行われる水口祭を知ったのもこの明日香である。一面の棚田は春の菜の花、夏の時鳥もよいが、一番の圧巻は秋の曼珠沙華である。棚田の畦すべてが真っ赤に彩られる。この時期に、案山子祭りも行われ、一つ一つが手作りで明日香人の思いが伝わってくる。丁度九月の秋分の日あたりが最高のお勧めである。

 寂光といふあらば見せよ曼珠沙華  綾子

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  現代俳句評(「伊吹嶺」9月号)

  頰を打つ一片痛し花吹雪        今瀬 剛一
                         (対岸」[今瀬剛一主宰]六月号)
 以前、今瀬氏には「伊吹嶺」全国俳句大会でご講演をしていただいたことがあり、その講演で「作者が見える俳句を作ることが重要である。」というような趣旨のお話を伺った。これが今瀬氏の俳句に対する態度であり、それを念頭に掲出句を読むと、この花吹雪の感覚は今瀬氏独自のものであろう。次々と桜が降り注ぐ花吹雪の中に立っていると、あまりの落花のすばらしさに花びらを痛いとまで感じた。本来花びらはやわらかいのは当然で、それを逆説的に〈一片痛し〉と詠むことにより絶え間なく降り続ける花びらの美しさが強調された。その花吹雪の余韻は次につづく〈桜咲く何を言ひても上の空〉のように花びらに浸っているのを〈上の空〉と詠んだことにも今瀬氏独自の感覚が伝わってくる。

 春夕焼雲を遊ばす湖の底        加藤 憲曠
   鮭の稚魚目玉より生れ渦となる     蛯名 晶子

                       (「薫風」[加藤憲曠主宰]六月号)

 加藤氏の句、春らしいゆったりと味わえる句である。まず背景としての〈春夕焼〉の季語の出だしが柔らかく、淡い空が見えてくる。中七の〈雲を遊ばす〉の擬人化による写生が秀抜である。この〈遊ばす〉の主語は〈湖の底〉であろう。実際に雲が写っているのは湖面であるのだが、それは湖底が雲を湖面に遊ばせているという作者の認識である。そして最後に読者には湖面に赤く色づいた夕暮れの雲が写っている情景が焼き付けられる。
 蛯名氏の句、養殖などで生まれたところを見たのだろうか、深い観察力で鮭の生態を詠んでいる。私は実際に鮭の稚魚は見たことはないが、生まれたばかりの稚魚は頭が大きく、その中でも目玉がことに大きく見える。そして見ている目をズームアウトさせると無数の稚魚が渦となってひしめいている。このような一句一章の句は、写生力が深くなければ作れない。中七の〈目玉より生れ〉の写生により生き生きとした鮭の句となった。

  水は泡生みつぎ峡はさくらどき     宮田 正和
  田にあふれ田の畦越えて土筆生ふ    北村  保

                  (「山繭」[宮田正和主宰]六月号)

 宮田氏の句、甲斐路吟行の一句。私は源流に近い谷川の句と見た。この句は水と桜の二つのポイントに注目する必要がある。〈水は泡生みつぎ〉は源流近くの伏流水を思わせる。次々と泡のように静謐な水が湧き出ている。またこの桜は山桜であろう。透きとおった谷川から山へ視点を移すとそこには生命力に溢れた山桜が見える。この泡を噴く水と山桜の取り合わせに自然の力強さが伝わってくる。 北村氏の句、外出がままならない身でありながら束の間の外出で自然の移り変わりをよく観察している。この句は春を迎えた自然の力強さを詠んでいる。土筆はどこにもたくましく生える。この土筆は田んぼ一面を埋め尽くしたかと思えば、さらに畦を超えて他の田にも生えていく。〈田にあふれ田の畦越えて〉の言葉のたたみかけと快適なリズムに力強い土筆が見えてくる。

  刻を糧牡丹は珠解きはじむ       伊藤 敬子
                           (「笹」[伊藤敬子主宰]六月号)

 「笹」は五月号が創刊三十周年記念号となっている。今月の伊藤氏の作品はすべて牡丹を詠んでいる。その中で掲出句に着目した。作者は牡丹の咲き始めから、崩れ散るまでの一連の牡丹の様を観察しているうちに、刻のうつろいの中に牡丹の表情が変わっていくのを発見した。その刻の流れを〈刻を糧〉という措辞によって牡丹の表情の変化を詠むことに成功した。まさに牡丹の蕾の珠が解き始める力は刻の力によるものであろう。次の句の〈ここ三日ばかりは牡丹長者めく〉と牡丹の盛りの刻は三日であるとやはり刻の流れを詠んでいる。

  電車いま輪中と言えり花菜満ち     増田河郎子
                (「南風」[増田河郎子主宰]六月号)

 この情景は一読して養老鉄道であることが分かる。桑名から北へ進むに従い、輪中集落を突き抜けていく。またこの菜の花は田起しが始まったばかりの畦と解釈できるが、〈輪中と言えり〉と詠んだ作者の視点は輪中を高囲いした土手を見ていると解釈することもできる。菜の花の位置を高くすることにより〈電車いま〉の上五が効果的で点在する輪中囲いを描写している。

筍の迂闊にこの世へ出てしまふ     早川 翠風
               (「林苑」[早川翠風代表]六月号)

 筍というと、土から頭を出した時が最も春を実感する時であり、私達にとってなじみ深い食材である。ところがこの句のように筍の立場に立つと、全く違う視点があることを見せてくれる。本来筍は自然の摂理より頭を出すものであるが、作者は〈迂闊にこの世へ〉頭を出してしまったことは筍の本心ではないと言っている。筍にとって間違って人間の世界に出てしまった筍のつぶやきが聞こえてくる。

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中根多子句集『母の鍬』を読んで
     素直な写生

 中根多子さんが句集『母の鍬』を上梓された。昭和56年に「風」入会以来30年のキャリアを275句にまとめられた厳選の句集である。日頃チングルマ句会でご一緒させていただいているが、物静かな発言と同様、静かさに満ちた句集である。
 以下思いついたことを年代順にたどってみたい。  

  大甕にぼうふら踊る大暑かな      昭和56

 「風」入会直後の句で、純粋にかつ素直な写生に忠実でぼうふらの動きを詠んだ句。誰しもそうであるべきであろうが、まず素直な写生に徹した句であることがよいと思った。

  母来たる落ち葉の匂ひ身にまとひ    昭和58

 この頃母上も元気で、時には名古屋まで来られたのであろう。〈落ち葉の匂ひ身にまとひ〉には、母の匂いと名古屋にはない実家の山の匂いをかぎ取ったのであろう。〈身にまとひ〉が的確な写生である。  

  岸壁の蟹はがしたり秋の波    昭和59

 この句の巧みさは上五、中七の写生を読んでいる読者から思わぬ〈秋の波〉の下五に至る読む者の心理のプロセス変化を感じずにはいられない。蟹をはがした主役が〈秋の波〉と理解することが下五で初めて分かる。この句が擬人化法の手法による意外性に気付く。徹底した写生の産物である所以である。

  流燈の一つは炎出し流る    昭和60

 前句と同様に写生に忠実な句で、丁寧な観察眼が見える。この頃より沢木先生の選句眼にかなう句を発表されるようになったと思う。  

  雪解水山葵田へ出てきらめけり    昭和61

 栗田主宰の序文に紹介されているように、「風」愛知支部鍛錬会で沢木・細見両先生の選に入ったこともうべなう好句である。この頃が中根さんの素直で忠実な写生力が身についてきた頃ではなかろうか。  

  畦草に神酒こぼしつつ虫送り   平成2

 私は今年初めて祖父江の虫送り行事を見た。虫送り行事にはいろいろな素材があるが、〈神酒こぼしつつ〉の写生は虫送り行事を知らない人にとってもよく分かり、共感できる句である。

  一本は水漬きて咲けり杜若    平成4

 この頃、二年続けて細見先生が小堤西池を訪問された。私は平成5年の二回目にいらっしゃったとき、初めて中根さんの面識を得た。そしてお互いの自宅が向陽高校を挟んで正門前と裏門前にあることを知った。以来中根さんの俳句を注目するようになった。
 この句は〈一本は水漬きて咲けり〉が焦点を絞った的確な写生である。

  冬耕の鍬の柄に来る尉鶲    平成9

 日常の体験に根ざした者としての観察眼が優れている句である。春近い冬耕している時に来た尉鶲との取り合わせが心休まる気分にしてくれる。中根さんの実家は瀬戸の定光寺とお聞きしているが、農業を経験した者としての生活感がよく表れている。同様の句としては、
  母の鍬手になじみたり畑返す   平成11
   案山子先づ畦に横たへ稲刈れり  平成11
  雪解水芹の芽吹きをうながせり  平成12
  田植終へ流れにさらす代掻棒   平成12
  大根ひき母の遺愛のもんぺ穿き  平成13
などに共感を得た。特に平成11年、12年頃が中根さんの句歴の前半のピークに達していたのであろう。
 「母の鍬」の句を例で言うと、〈母の鍬手になじみたり〉とは実感のこもった表現である。こうした生活感に溢れた一連の句が平成11年に「風」同人となられた成果である。

  菜の花をねこそぎにして耕せり   平成14

 中根さんの特徴づけるものとして、一句一章(一物俳句)で作られた句が多いことである。この句の場合、句意は菜の花もろとも一緒に耕した情景で極めて単純であるが、〈根こそぎにして〉の中七の写生の力により一物俳句でありながら印象鮮明に残る。一物俳句は簡単そうに見えて、ややもすれば説明的な句に落ち入りやすい。それに反して二物配合の句は一つの物あるいは事柄に一寸離れた「季語」をくっつけることにより、いかにもうまくなった錯覚を起こす。中根さんはそういう技巧に落ち入ることなく、体験と観察力により一句の中で写生を深くすることにより、成功している。既に触れた〈流燈の一つは炎出し流る〉〈一本は水漬きて咲けり杜若〉などがそうであり、次の句なども一句一章とからさらに深い写生にプラスするものもある。

  冴返るこはれさうなる朝の月    平成15
   春蘭の和紙のごとくに花芽透く   平成17
  春の雪一直線に海へ落つ      平成19
など素直な写生の句の中に感覚の鋭さを見せる句である。この〈こはれさうなる朝の月〉〈春蘭の和紙のごとくに〉と捉えたところに中根さん自身の感覚が見える。

  濡れ草鞋並ぶ滝垢離行者小屋    平成19

 中根さんは一時体調を崩されたが、今では元気に回復され、最近はチングルマ句会吟行にいつもご一緒させていただいている。毎年のように御岳休暇村に出かけ、この句はそのときの清滝での情景である。〈日に透きてこはれさくなる銀竜草〉もその折りの句である。これからもお元気で私達に参考になる句を見せていただきたい。

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  現代俳句評(「伊吹嶺」7月号)

  発掘の土の香にむせ山桜        鍵和田秞子
                (「未来図」[鍵和田秞子主宰]四月号)
 この句の〈土の香にむせ〉の強い描写の高揚感に注目した。作者は郊外の遺跡発掘現場を見ている。その掘りかえされた土にむせかえるような匂いを感じとった。現場の空気の臨場感を表現する〈土の香にむせ〉が的確である。そして下五の「山桜」の季語により広々とした遺跡が見え、この山桜が遺跡時代からの悠久の時代を見ているかのようである。

 渦潮の吸ひ込まれゆく奈落かな     鈴木 貞雄
   ()ちよりも()ちの渦潮定かなる       〃

                     (「若葉」[鈴木貞雄主宰]四月号)
 「渦潮」と題した淡路島での一連の句の最後の二句。
 一句目、〈渦潮の吸ひ込まれゆく〉が渦潮の特性をよく言い当てている。渦潮が吸い込まれ、さらに渦が渦を追いかける絶え間なき渦潮の営みが伝わってくる。そして渦が吸い込まれゆく先を奈落と把握したのである。
 二句目の渦潮は一転して視点を鳴門海峡全体に移している。海峡では渦潮は一つのみならず、複数の渦が見られる。作者はその渦の輪郭がよく見えるのは近くよりも遠くの方であると発見した。〈近ちよりも遠ちの〉との対比により広々とした無数の渦潮が見えてくる。

  帰る日の近き白鳥こゑを研ぐ      大串 章
                (「百鳥」[大串章主宰]四月号)
 日本で冬を越し、北方へ帰る日が近くなった白鳥の一こまである。掲出句の作者独特の感性に共感した。作者は白鳥が北方へ帰る日を眼前の所作から感じとっている。白鳥の鳴き声の微妙な変化を〈こゑを研ぐ〉という表現を得て、白鳥の生態に迫った作者独自の発見の句となった。

  遠くより近くより花散つている     倉田 紘文
                      (「蕗」[倉田紘文主宰]四月号)
 古来、桜、花の句はおびただしく詠まれてきた。「不易」なものとしての桜の句を写生することは常に新しい感性を磨く表現技術が必要であろう。この句は〈遠くより近くより〉が眼目である。何も難しい言葉は述べていないが、この措辞により、作者の眼前一面に花が散っている様が浮かび、この情景はまさに不易なる花の本質を言い当てたものであろう。確かに桜は遠くでも近くでも散っているのが最も美しい花の瞬間である。

  雪山の神のはだへのうねりとも     中坪 達哉
            (「辛夷」[中坪達哉主宰]四月号
 
前田普羅によって創刊された「辛夷」がこの二月号で一千号に達した。
 掲出句、雪山を〈神のはだへのうねりとも〉と詠んだところに作者の感性がある。この雪山は日頃見慣れている立山連峰と解釈した。その連峰のつらなるうねりを見ていると、神秘的なものを感じる。作者はそれを神そのものの肌が重なったものと認識した。〈うねりとも〉と大景として詠んだところに畏怖のようなものを感じとった句である。

大根の土より出でゝ肌白し       野崎ゆり香
    傷み初む白の極みの白椿        飛高 隆夫

            (「堅香子」[野崎ゆり香主宰]四月号)
 野崎氏の句、日常に見つけたささやかな感動が瑞々しい。作者は大根引き作業を見ている。引き抜かれた大根は多分泥にまみれていると予想していたのであろう。ところが抜かれた瞬間、大根のあまりの白さに驚き、その感動を〈肌白し〉と人肌を連想した比喩として表現した大根の白さが印象的である。
 飛高氏の句、同じ白を題材としているが、「白椿」の白の移り変わりを詠んでいる。〈白の極みの白椿〉により白椿が咲くにつれ、その白さの極限が傷み始める瞬間であると発見した。〈傷み初む〉と〈白の極みに〉と対比的に詠んだところに白椿の生態が見事に詠まれている。

  初鏡笑へば笑ひ返しけり        村上喜代子
                 (「いには」[村上喜代子主宰]四月号)
 初鏡となれば格別な気持で見るのだろうか。この句はある種の人の習性を捉えていると思った。まず〈笑へば〉は作者が初鏡に向かって笑みを発し、〈笑ひ返しけり〉は鏡の中の自分というより、鏡そのものが笑みを返しているのである。二つの笑みには主語が違うことに着目することでユーモアが発生する。そしておもむろに新年における目出度さがにじみ出てくる句である。

  自動ドア開けて追儺の豆を撒く     若原 康行
                     (「樹」[若原康行代表]四月号)
 近年、追儺会の豆撒きも時代とともに変わりつつあるのだろう。掲出句、追儺会の場所は特定していないが、玄関に自動ドアを備えた寺と解釈した。いよいよ追儺会が始まる時刻に寺の自動ドアが開いて豆撒きが始まった。〈自動ドア開けて〉という現代風物と古来よりの追儺会との対比が現代にふさわしい句となり、類型のない佳句となった。

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  現代俳句評(「伊吹嶺」5月号)

  地球儀のどこかに戦火去年今年     澤田 緑生
                     (「鯱」[澤田緑生主宰]一月号)
 前回に引き続き、澤田氏の句を取り上げたい。というのもこの二月九日に氏は急逝された。この一月号の作品が最後の発表となった。掲出句は一年の来し方を振り返り戦火が絶えることはなかったという思いを地球でなく、〈地球儀のどこか〉と捉えたことに注目する必要がある。地球儀の国名の中に作者は戦火を読み取り、この句は止むことのない戦火に対するメッセージである。

 煙突にいつもの煙道枯れて       加藤かな文
                    (「家」[児玉輝代代表]二月号)
 加藤かな文氏は今年の俳人協会新人賞を受賞された高校教諭である。受賞した句集『家』は日常生活の中から力みのない季節感の表現に徹した句集である。氏は眼前の物のどれに対しても季節に対する感受性が豊かである。〈春の山好きなところに並べ置く〉〈蜂の巣や水の色から暮れてゆき〉〈こぼすもの多くて鳥の巣は光〉〈いつしんに降る雪のなか遊ぶ雪〉などどれをとっても物を介した季節の捉え方が秀抜である。
 掲出句、日常的に見る季感のない煙突に対して〈道枯れて〉を組み合わせることにより、俄然この煙突は冬のものでなければならないと納得してしまう。これも物に即して季節感をすくい取ろうとした態度の表れではないかと思う。

  熱燗や波郷を言へば泣きし翔      鈴木 鷹夫
                 (「門」[鈴木鷹夫主宰]二月号)
 まえがきに「悼林翔先生」とあり、「林翔先生とのお別れ」と題した追悼文も掲載されている。ここで「私はこれで直接の師、石田波郷・能村登四郎・林翔と三人の師に永別したことになる。長い間俳句に携わってきたが、もうこれで先生という存在をすべて失った。」と哀しみとともに、三人の師に慈しみを受けた感謝の文章となっている。
 掲出句は〈熱燗や人が波郷を言へば泣き 翔〉を踏まえた句で当意即妙。林翔氏の人となりを知り尽くした作者ならではの哀しみに溢れた句である。波郷・翔から鈴木氏への師弟のつながりの強さがうかがえる追悼句である。

  手鏡の夕日をたたむ寒露かな      角川 春樹
                        (「河」[角川春樹主宰]一月号)
 普段、男性は手鏡を持ち歩くだろうか。この句は作者でなく女性の所作を詠んだ句であろう。女性の手鏡には夕日が映っていたが、使い終わっておもむろ手鏡をたたんだのである。夕日が手鏡の中に消えたとき、作者は鏡の中の夕日をたたんだと認識した。下五に〈寒露かな〉と据えることにより、そのあとには晩秋の澄みきった空一面がイメージされる。中七の〈夕日にたたむ〉とゆったりとした詠み振りが一層美しい句となった。

  伐採の後の里山眠りけり        石井  保
            (「保」[石井保主宰]一・二月号)
 今年、名古屋で開催されるCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)において、名古屋から発信するテーマの一つに里山保全がある。里山とは「人里離れた奥山でなく、集落の近くにあって地域住民の生活と密接に結びついた森や田んぼ」のことを指している。この里山保全は人間活動によって二次的な自然を保護するといってもよいだろう。
 以上を踏まえて掲出句を読むと、「伐採」をどのように解釈するかが問題となってくるが、この句は人間が里山と共生のため、木の間伐を行っていると解釈したい。人間によって手入れされた里山は今深い眠りに入り、〈伐採の後の〉から冬の日差しをあまねく受け入れている里山の眠りの心地よさが伝わってくる。シンプルで分かり易い句であるが、自然を敬う心情からこのような句が生まれてくるのだろう。同時作の〈池水の眠るやうなる冬紅葉〉にも同様に自然に向けた優しい眼差しが見えてくる。

落人村牙を揃へて軒氷柱        塚腰 杜尚
               (「森」[塚腰杜尚主宰]二月号)
 この句、「落人村」から連想されることは、外界とのつながりを断絶した厳寒の集落が見えてくる。その集落の家の軒すべてに氷柱が垂れ下がっている。しかもそれは中七の〈牙を揃へて〉という把握により、落人村の過去、現在そして未来にも続くであろう生活の厳しさも見えてくる。

  木の実落つ山に一つの音加へ      石井いさお
                   (「煌星」[石井いさお主宰]二月号)
 この句の解釈の眼目は〈山に一つの音加へ〉にある。秋の山は静かに過ぎて冬を迎えようとしている。その静かな山で作者は木の実が一つ落ちた音を聞いた。それを〈一つの音加へ〉と捉えた感性は繊細であり、その表現による詩心が魅力的である。そしてその後は静寂な山となることも予感させる。

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  現代俳句評(「伊吹嶺」3月号)

  林より不意に出てきし雪女郎      滝沢伊代次
  つなぐ掌の思はぬ熱さ秋夕焼      大坪 景章

                    (「万象」[大坪景章主宰]十二月号)

 「万象」名誉主宰の滝沢伊代次氏、大分健康を回復されたようで、昨年の「万象」全国俳句大会にも出席された由、今後とも元気で骨太な俳句を期待したい。滝沢氏の句は回想句であろうか、幼い頃の雪深い信州での炉話の思い出かもしれない。上五、中七の写生が極めて現実的であるに対し、下五の〈雪女郎〉により読者は一気に幻想の世界に追いやられる。この組合せは滝沢氏の遊び心とともに、上五、中七の現実体験から〈雪女郎〉に一度でも出会いたかったという願望の句であろうか。
 大坪氏の句、八十五歳となった作者を知らなければ、二十歳代の句と見てもおかしくない。作者が手をつないだとき、奥さんの思いがけない温もりに実感した句である。それを〈熱さ〉とまで言い切ったところに実感の強さと妻への思いが伝わってくる句である。〈秋夕焼〉の季語が句の印象を穏やかなものとしている効果も大きい。

 蕎麦咲くや月山厚き雲かづき      水原 春郎
   龍淵に潜みてこぼす山の音       徳田千鶴子

                      (「馬酔木」[水原春郎主宰]十一月号)

水原氏の句、まず〈蕎麦咲くや〉の上五が句の感動の中心で一面の蕎麦畑を目にしていることに留意する必要がある。そして視点を山の方に向けた〈月山厚き雲かづき〉がその背景となっている。月山には雲が被さっているが、蕎麦の花により、明るさと広さのある句になっている。特に上五に切れを入れて明るさを強調しているところが外光的な句となっている。
 徳田氏の句、『角川俳句大歳時記』によれば、「龍淵に潜む」は中国の『説文解字』にある「龍は春分にして天に昇り、秋分にして淵に潜む」とあるのを典拠としている想像上の季語である。
 この句、〈こぼす山の音〉が眼目である。作者は「山の音」が聞こえたと感じ、それは淵に潜んだ竜がもたらせたものと把握した。この季語は水神信仰に基づくものと思われるが、それが「山の音」につなげたことに類型のない感覚的な句となった。ただ私はこの句から川端康成の小説『山の音』にある主人公信吾が山の音に死期の予告を感じた部分を連想して、心の奥にせまる心理的な効果もあると思った。

  縁先に掛けて上がらず衣被       山崎ひさを
                    (「青山」[山崎ひさを主宰]十二月号)

 昔懐かしい映画に出てくるような一場面である。作者は訪問した家の縁先で衣被のもてなしを受けた。衣被により話題は世間話であり、〈掛けて上がらず〉により長居もしないささやかな訪問であることが分かる。その縁先は日溜まりに溢れた旧家であり、私の思いは冒頭に述べた映画の一場面につながっていった。このような平明で味わいのある句は氏と接したときの穏やかな話しぶりからも分かる。

  どの道を行くも飛鳥は曼珠沙華     松村 昌弘
                      (「天弓」[松村昌弘主宰]十二月号)

 「天弓」が創刊されて昨年はもう五周年を迎えた。氏の一連の作品は飛鳥を詠んでいる。掲出句はその一句目。誰も経験することであるが、飛鳥を曼珠沙華の時期に訪れるとそれ以外のものは目に入らない。特に石舞台から稲淵、栢森にかけて歩くと、見渡す限り棚田を曼珠沙華が赤く染める。句意は極めて明瞭で〈どの道を行くも〉が実感である。この道は〈飛鳥は曼珠沙華〉と詠んでいるように、飛鳥時代から変わっていない道である。その道の曼珠沙華も毎年、変わらずに咲いているのである。「どの道」だけでなく「どの時代」も変わらぬ飛鳥を詠んでいる。

  葡萄をむく爪黒ずみて長崎忌      岡崎 光魚
              (「年輪」[岡崎光魚代表]十二月号)

 毎年、原爆忌の季節になると、広島忌、長崎忌を問わず、俳人として被爆を悼んで詠まざるを得ない感情に突き上げられることがある。掲出句はそういう一句であろうし、作者はいつものように葡萄をむいて食べている。そのうち爪が黒ずむほどになっているのに気づき、あわせて今日は長崎忌であったことに感慨を込めている。長崎忌など原爆忌の句を詠むことは生半可な気持で詠むことは出来ないが、作者は葡萄をむいているという日常的な所作から、一種非日常的な長崎忌に思いをはせている。〈爪黒ずみて〉により重苦しい作者の心情が見えてくる。

日の暈の岳に被さり雪を待つ      澤田 緑生
            (「鯱」[澤田緑生主宰]十二月号)

 この句はどの山だろうか、「岳」というからかなり高い山と思われる。「日の暈」とは太陽の回りに薄い雲がかかった際にその周囲に光の輪が現れる現象で、日暈、彩雲などともいわれている。この暈がかかったときは雨が近いとの言い伝えもある。この句は極めてリズムが滑らかで一気に読める。山の上に日暈がかかる雄大な景で〈雪を待つ〉により雪が降る前の静けさが空いっぱいに広がっている句となった。

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   現代俳句評(「伊吹嶺」10年1月号)

  日の暮れの日のあるうちの酔芙蓉    鷹羽 狩行
  サングラス己れ欺くこと易し      片山由美子

                        (「狩」[鷹羽狩行主宰]九月号)

 酔芙蓉をよく観察すると、朝、昼、夕べの色の推移は見事であるとともに、はかなさを伴った色のうつろいが見える。鷹羽氏の句、夕方の酔芙蓉を詠んだ句である。但し氏の詠んでいるのは単なる夕方でない。〈日の暮れの日のあるうちの〉のように夕方にもいろいろなステップがあり、日暮れでありながらまだ日射しのある一刻である。その奥には微妙な酔芙蓉の色づきも見える。たった夕方の一刻を詠むのに、上五、中七と十二音を費やしている。読者はこの十二音を読んでいくうちに、氏の言いたい夕暮れの一瞬に引きずり込まれる。
 片山氏の句、サングラスをかける時、不思議な気分にさせられることがある。この句、サングラスをかけたとき日常からの変身願望に気付いた句である。〈己れ欺くこと易し〉は時に平常の自分から離れたいときの気分であり、たやすく己れを欺くことが出来ることを発見した句である。この句はサングラスを題材に現代人の内面に持つ複雑な行動意識を表現している。

  爆心の底に根を張る茂りかな      田島 和生
                    (「雉」[田島和生主宰]九月号)

 先師林徹氏が行ってきたように、田島氏は「雉」主宰となって以来、毎年広島で行われる平和祈念俳句大会で選者を担当している。今年は「広島を詠む」と題して講演もされた。掲出句、爆心地の公園にある木々の茂りを詠んだものである。そこには被爆した青桐も入っているかもしれない。ただ作者は木の茂りを詠みながら、〈底に根を張る〉と視点を地中に根を張っている目に見えぬものに移している。読者は目に見えぬものを提示されると、読み手の発想は膨らむ。私は中七の写生から被爆にもめげない木々の力強さを感じとった。
 一方、「雉」同人の鈴木厚子氏の最近の句集『紙雛』の中に、〈爆心地の青桐あおき実を結ぶ〉と目に見える青桐の力強さを詠んでいる句がある。原爆を題材にしながら、見えぬところの力強さを写生するか、眼前の力強さを詠むかの違いはあるが、作者の原爆に対する態度は、ともに被爆樹に対する愛おしさを詠んでいるところは同じである。

  古墳より逸れ万緑の獣道        千田 一路
  古墳山重なり合うて梅雨に入る     下谷 行人

                       (「風港」[千田一路主宰]八月号)

 千田氏の句、この古墳はどこの古墳であってもかまわない。古代の人々が築き上げたものはある程度、不変のものとして残っている。しかし一歩山に入るとそこはもう人が入るのを拒んでいる獣道である。いにしえから続いている緑に囲まれた古墳に対し、人間とは関連がない緑に覆われた獣道の二つの対比は「万緑」により見事統合されて完成された佳句となった。〈万緑の獣道〉が鮮明である。
 下谷氏の句、同じ古墳であっても趣が違う。重なり合った古墳山に梅雨が始まったことから、千田氏とは違った穏やかさを詠んでいる。〈重なり合うて〉というゆったりした中七の写生により、丸みを帯びた穏やかな古墳が想像され、この古墳は鈍色の緑であることも読み取れる。

  白雲の涼しお釜の上を飛ぶ       岡田 日郎
            (「山火」[岡田日郎主宰]九月号)

 この句は標題にあるように蔵王山のお釜を詠んだものである。ただこの句における作者の視点はどこにあるか考察が必要だと思った。お釜は山頂の火口湖であり、頂上からやや斜め下に見える。この句を表現どおり読めば、「涼しい白雲がお釜の上を飛んでいった」となるが、〈白雲の涼し〉とここに切れを入れたことにより、作者の用意周到な視点に興味をそそられる。この切れの効果により、白雲の涼しさとは別に〈お釜の上を飛ぶ〉には、作者自身が白雲となって、お釜の頂上を飛んでいるようにも解釈できる。否この解釈によってお釜を真上から見る広さと作者の高揚感まで感じ取れると思った。これは次の句に〈雲中にお釜見下ろす涼しさよ〉があり、この句もあたかも雲の中よりお釜を見ている作者の視点を感じることが出来る。視点を雲に移すことにより雄大な句となった。

  中辺路の梅雨の日照雨はたたきつけ   山口超心鬼
             (「鉾」[山口超心鬼主宰]八月号)
 中辺路とは熊野三山へ向かう和歌山側からの熊野古道である。古来、熊野信仰は幾重もの峠を越え、難所を越えたあとに達成できる信仰の証しとなっていたのであろう。この句、作者は中辺路を歩いていたとき、梅雨に出くわした。しかしそれは日差しがありながら降る雨はたたきつけるような強さである。信仰心を試されるような強さである。〈たたきつけ〉という座五が力強い表現であり、熊野古道を歩くときの覚悟も見える。最近の熊野古道ではこんな梅雨が普通になってしまったのであろうか。
 最近の地球温暖化進行により、梅雨もしとしという印象ではなく、集中豪雨のような梅雨も多くなった。この句もそのような今後の梅雨を先取りしたような句であろうか。

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