俳句についての独り言(平成19年)

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平松公代『今日の色』を読んで 19.9.12
森の悲しみ
(岐阜支部句会報6月)
19.8.1
『塩田』1句鑑賞(川口重美) 19.7.8
里山から俳句を考える 19.3.28
3ヵ月連続競詠評(第1回) 19.3.6
中山純子句集を読んで 19.1.11

   平松公代句集『今日の色』を読んで
     ―――色彩感覚と発見の句―――

 平松公代さんが句集『今日の色』を上梓なさった。当初の予定より遅れたが、よい句集が読めてよかった。句集の題名の『今日の色』は次の句によっている。
  かきつばた湿原に湧く今日の色  平成5
 細見綾子先生をお迎えした時、小堤西池吟行の句で、綾子先生も採られ、評判が良かった句ということである。かきつばたの紺色を直接的に言わず、〈今日の色〉と感じられたところに、公代さんの感性の良さを感じる。栗田主宰がこの句をもって句集の題名となさったのは、まさにこの題名しかないという印象である。句集のセクション毎の見出しにもさまざまな色をタイトルとしているだけあって、色彩感覚に優れた句が多い。

  初秋の蝶の卵のレモン色    昭和62
  引き絞る肘さくら色弓始    平成2
  浮かび来て朽葉の色や山椒魚  平成10
  指の先灯す螢火うすみどり   平成13
  稲扱くや穂先に残るうすみどり 平成13

 いずれの句も色を出すことにより、具体的で分かり易い。「弓始」の句では、成人式を迎えた女性が想像され、肘がさくら色を発見したところが類型のない写生句となっている。また「浮かび来て」の句のように山椒魚を朽葉色と捉えたところがくすんだ色であるにもかかわらず、山椒魚の肌が生き生きと浮かんでくる。
 句集のよいところは一人の作者に絞って、初期から現在までの句の変遷が一目で分かることである。私の感じたところでは、まず初期の句は沢木先生の選を経ただけあって、基本に忠実な写生句となっている。初期の句で

  針供養豆腐に移る針の錆    昭和56
  刈伏せの草突き抜けて曼珠沙華 平成3
  筵ごと巻きて仕舞へり干若布  平成5
  野焼あと細き流れの現れし   平成6
  板干しの漉き紙はがす竹の篦  平成8

 などが写生力に感心した句である。「針供養」の針の錆が豆腐に移るという発見は、物をよく凝視した結果の句であると思う。まだ初めて四年目にこんな繊細な写生力があることに公代さんの才能がうかがえる。「刈伏せ」の句は情景がまざまざと浮かぶ写生であり、しかも公代さんの特徴である色彩感覚も豊かである。「野焼きあと」の句などは何でもない日常風景に見えて、野焼き跡と流れの組合せの発見が鮮明である。また「板干し」の句も観察力が行き届いている。
 一方、後半の最近の句は私自身の好みもあるが、即物具象に公代カラーが遺憾なく発揮されている好きな句が多かった。

  金魚生れ埃のごとく泳ぎけり  平成11
  郭公の声山霧の濃きあたり   平成11
  揚雲雀すとんと落ちて歩き出す 平成14
  小綬鶏や黒き砂噴く富士の水  平成15
  樹氷林風音耳に突き刺さる   平成17

 「金魚」の句、比喩の句でありながら、埃のように泳ぎ出すと感じた感覚を感覚だけにとどまらず、単純だけど、しっかりとした写生力に基づいていると思った。「郭公」の句、郭公の声が具体的に霧の濃いところで鳴いたというこれも発見力にすぐれた句だと思う。「樹氷林」の句も風音が突き刺さるという感覚の発見の句であると思った。
 これまでの句でよく発見の句であると私の感想を述べてさせているが、発見と言っても私などはただ吟行していても平凡で、類型的なものの見方しか出来ないが、公代さんはものを凝視した中から具象的なものへの表現に切り替える写生力があるからである。また声、音など目に見えないものを感覚力によって具象化しているのも感心した。
 他に家族を詠んだ句は少ないが、

  物言はぬ父に寄り添ふ余寒かな  平成15
 のようにお父上の死去に対して余寒という季語に公代さんの心情がよく伝わってくる。また、

  病葉や出し抜けに癌告げらるる  平成18
 の句の場合、作者の悲しみを病葉に託して表現しているが、ご主人の病気に対する悲しみが〈出し抜けに〉の表現に直裁的に伝わってくる。最後に、

  師を偲ぶ野にあるやうに芒活け  平成18
 の句は昨年の沢木・細見先生を偲ぶ会の折りの句で、句会で評判になったものである。これらを見ると平凡な言葉を使いながら表現力が豊かなため、格調が高くなっている。ご主人を亡くされた今、公代さんには、今後とも俳句に研鑽して豊かに生きていただきたい。

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  森の悲しみ

岐阜支部句会報6月号

今月(07年6月)の愛知同人句会で感動的な句に出会った。

  芽吹きつつ森が伐られてしまひけり

 句柄としては決して滑らかな句ではないが、作者の思いがストレートに伝わってきた。この芽吹きはブナ、ナラのような広葉樹林であろうか。毎年春になると実生の芽吹きが美しい。しかし今、里山のあちこちで木が伐られ、森がなくなっていく時代である。作者はこういう荒廃した森にあるブナなどの芽吹きを見ている。しかしこれをけなげだと感じているのではない。森が伐られたあとの春の芽吹きを悲しみの目で見ており、怒りの句である。
 現在、俳句が日本人に親しまれているのは、日本に四季があり、その四季の営みが守られることにより、毎年新鮮な目で自然を見ることが出来る恩恵から来ている。
 近年、地球規模で進んでいる温暖化問題、環境問題にようやく目が向けられるようになってきたが、その道のりは険しい。私達俳句を作る者にとって、自然を詠み、その詠む態度から身近な自然を環境問題として関心を持っていくことが大事であると思う。三年前に、この作者が山彦集に発表した次の句も思い出される。

  芽吹く森息するやうにふくらめり

 この句は環境破壊を告発したレイチェル・カーソンの『沈黙の春』とは対極的な目で見た自然讃歌の句である。いつまでもこういう自然讃歌が詠めるような時代であってほしい。
 この時、私は次のように評した。
 芽吹きを森全体として捉えたスケールの大きさを感じる。確かに森は生きており、春になると膨らんでくるような印象を受ける。この句を読むと、既に四十年前に化学物質による環境破壊を警告していたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』を対極的に思い出す。この句のように春になると森は生きているという実感が持てる地球を大切にしたい。

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 『塩田』1句鑑賞

「伊吹嶺」07年7月号転載補筆

      川口重美自殺
  横顔遠し蟻窓枠をのぼりつめ

 初出は昭和24年「風」7・8月合併号。この年の三月に川口重美は自殺している。沢木先生は一度重美に会いたいとの手紙を出した直後の訃報であったという。この句は蟻が窓枠を登っているのを見て、ふと重美の横顔を見たのだろう。いやそれは現実でなくついに会うことの出来なかった幻の横顔だったのだろう。上七の字余りが先生の無念さを直裁的に出している。

 以上が「伊吹嶺」07年7月号に掲載した内容であるが、沢木先生が川口重美のことを詳しく触れて書いているものとして、『俳の風景』(昭和61年刊)及び『昭和俳句の青春』(平成7年刊)がある。前者は「風」昭和40年4月号に「川口重美聞き書」として掲載した記事である。この記事には重美が自死した前後の経緯が詳しく述べられている。昭和24年の新同人として重美他4名(ちなみにこの年滝沢伊代次さんも同人推薦されている)を決定し、昭和24年3月号に新同人推薦の記事を載せている。その直前に重美が東大を卒業するにあたり、沢木先生は重美が実家の山口に帰る途中金沢によってはどうかと手紙を出したが、手紙が着くのと入れ違いに、重美は下宿を出てそのまま自死してしまい、先生は重美に会わずじまいとなってしまった。
 その10数年後にご令兄による『川口重美句集』が発行された。そのことが朝日新聞に紹介され、39年4月号に「風」で重美小特集が行われている。三重県の宮田正和さんはこの頃の記事を読んで俳句をするなら「風」と決められて入会されたそうである。
 詳しい記事は『俳の風景』を見ていただくとして、私は丁度この頃、「風」に入会したばかりで、翌年沢木先生にご無理をお願いして『川口重美句集』をお借りして、好きな句を抜き書きした覚えがある。今から思うと抜き書きでなく、何故全句を筆写しなかったかと悔やまれる。

 以下は私が抜き書きした句の中から好きな句を紹介します。
  晩夏薄暮旅にたづさふ書を選ぶ
  帰心定まる寮の銀杏の散り果てて
  単衣帯きりきり巻いて人を恋ふ
  叫ばんとして握る冬木に手がすべる
  離愁あらたつんつん生るる冬の波
  二者択一夜寒の時計すぐ巻き終ふ
  寒さは若さ朝のミルクに膜生れて
  生きたかり埋火割れば濃むらさき
  梅雨茫々切手をなめる舌を出す
  餓鬼の忌や水に漬けたる眼を開く
  パラソルのひとつ外れゆき喪の家へ
  耳に手をおほへばひびく秋の雨
  炎天下穴に沈めり穴掘りつつ
  渡り鳥はるかなるとき光りけり
  野火を見てきて椅子が持ち去られし
  みぎひだり下駄履き換ふや土ぬくし
     遺句
   春風が打つ汝を抱きくぼみし胸

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   里山から俳句を考える(いぶきネット句会報 19.3.28

 私は10年ほど前、まだ自然が残っている現在の地に引っ越しした。しかしそんな田舎にも環境破壊には腹立たしいものがある。自動車も通らないような農道も舗装され、菫などの野花はアスファルトの下で死滅した。また団地の外れには大きな池があり、入居した頃は小魚が豊富な池であったが、いつの間にかブルーギル、それにメダカを攻撃するメダカもどきのカダヤシなどが放流され、今は従来の魚はもちろんこれらの魚もいなくなり、毎年数多く飛来していた鴨も時に数羽しか見なくなってしまった。まさにレイチェル・カーソンの言うような「沈黙の池」になってしまった。また近くにはグロテスクな長良川の河口堰が鮎の遡上を激減させている。

 最近、京都議定書発効によりようやく、産業界では環境に目を向けるようになってきたが、市民の意識はまだまだである。ここまで環境を破壊し尽くして、もう戻らない自然が多い。

 その中でようやく里山を軸とした循環型生態系に目が向けられるようになってきた。この里山というのは人里近くの小川、田んぼを含めた里山による動植物の循環型生態系を戻そうというものである。

一例として佐渡で現在人工飼育で管理されている朱鷺が将来自然に放たれる時に対応するためにも不耕起田運動が行われている。これによりかえって米の収穫が増えるとともに田んぼに小魚、ミジンコ、トンボなどが増えている。

 宇多喜代子は『里山歳時記』で里山は「地域住民の生活に関わる雑木林に小川、田んぼ、湖沼などを加えてひとつながりにした場と景観」と定義としている。そしてこの著書の中で自然と自然につながる日本人の生活様式を大事にし、俳句とのつながりの重要性を説いている。

 私も仕事の一部として環境も携わっている立場上、我々俳人、せめて私個人だけでも里山という日本の原風景の中から、俳句を作り、それを発表し続けることが環境を守っていく一つの責務だと思っている。今私が発表している俳句がそれに添ったものであるかどうかは自信はないが、せめて里山から俳句を考える姿勢だけは残していきたいと思っている。

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3ヵ月連続競詠評(第1回)
    −−−江口ひろし、河原地英武−−−

「伊吹嶺」07年3月号転載

 三ヶ月連続競詠の第二弾が始まった。今回は江口ひろしさん、河原地英武さんである。ともに教壇に立つ男性実力派である。今回、ひろしさんは吟行句に、英武さんは都会の日常吟に嘱目を求められたことは対照的であるが、両氏の二十句を読んで気づいたことの一つに、季語の役割をどのように働かせ、一句の中で効果的な季語の斡旋となっているかどうかについて注目し、また考えさせられた。
 まずはひろしさんの句を見ていきたい。秋たけなわの中馬街道の吟行句と思われる。ただ吟行句と言ってもこの一連の句にはその土地の生活感に溢れた句が多いことに気づく。それは日常、作者が常に生活を通した目で見、それを即物具象化により忠実に表現した成果であると思う。

  それぞれの風それぞれに秋桜
 「それぞれ」のたたみ掛けの言葉が効果的な写生になっている。風にはそれぞれの風があり、そのそれぞれの風が秋桜を揺らしている。秋桜だけを凝視、写生した印象鮮明な句で、秋桜のそれぞれの色も見えてくる。

  景品の大根提げて秋祭
 田舎の秋祭らしい情景を大根という物に託して秋祭を具象化している。この句の奥には今夜は景品の大根で夕飯のおかずにしたいという田舎の生活風景も見えてくる。

  青空をすべり堕ちたる秋の蝶
 「すべり堕ちたる」という写生が眼目である。また「秋の蝶」の季語の本意は何であろうかと読者に問いかけているようである。作者は晴れきった空に白いものがすべり堕ちるように見えたもの、それが秋の蝶であると主張している。確かにすべり堕ちる印象は春の蝶でも、夏の蝶でもなく、秋の蝶しかないと納得させられる。そういう問いかけが伝わってくるようである。

  色鳥や木々の匂ひの山の霧
 この句の場合、「色鳥」「霧」の季重なりは気にならない。もちろん季語は「色鳥」で、私は尉鶲の鮮やかなオレンジ色の腹を想像した。その色鳥を見かけた場所に、山霧が木の匂いを運んできたという視覚と嗅覚を見事に結合させたところに感心した。

  秋うらら観音様に顔三つ
 冒頭に述べたようにこの句を例に、季語の斡旋が効果的かについて考えてみたい。この句の骨格は「秋うらら」という季語の持つ本意を具象化する手法として「観音様に顔三つ」と即物的に表現していることである。そういう点では即物具象の句となっているが、果たして「秋うらら」が具象化させるための効果的な季語の斡旋となっているかというと、私はもっと効果的な季語があるように思われた。いわゆる季語が動くという印象を受けた。それは〈馬つなぐ石は真ん丸草紅葉〉などの季語の斡旋についても同様な印象を受けた。

 次に英武さんの句を見ていきたい。第一に感じたことは素材が新しいことである。これは決して奇をてらって素材を選んだわけでない。作者の日常の生活がまさに新しい素材と不即不離になっているからである。ただ基本はあくまで即物具象であり、その句柄に若さが溢れている。今後さらに大成の可能性を秘めた句が多いことに感銘した。

  椅子の背に冬服掛けてより講義
 この句は作者の日常のありのままを映し出しており、私もよくこういう経験がある。これから講義しようという意気込みを冬服を脱いで掛けるという行為で表現し、私も一読して感動を共有化できた。また中七、下五の句またがりもリズムに新鮮さを感じる。

  机より物よく落つる寒さかな
 何でもないことがらにささやかな感動を発見したところに感心した。前句と同様誰でもこういう経験はよくあり、作者はものが落ちるという発見から寒さを感じたのである。日常の些事に感動を発見しようとする作者の態度に賛同したい。

  立食ひのワッフル寒き脚だして
 表題にした句だけあって、作者の意気込みが感じられる。今の世相というか風俗を表面的には、写生に徹しながら、冷ややかに見ている作者の眼がするどい。「ワッフル」と「寒き脚」の組み合わせがユニークで、類型のない好句である。

  京都駅0番ホーム雪しまく
 京都駅の0番ホームは主に北陸方面の長距離ホームである。その吹きさらしのホームに雪が舞い込んでいる。0番ホームという素材が意表をついて新鮮である。いかにも現代的な風景であり、北陸方面への出発点であることに対する寒さが作者の思いとして伝わってくる。

  客死せる画家の手紙や暮早し
 英武さんについても一句の中で季語の斡旋が適切かどうか一部疑問に感じたところがあった。この句の場合、「客死せる画家の手紙」という物に対してその具象化を手助けする季語として「暮早し」が最適か、動かない季語であるかまだ推敲の余地があると思った。季語一つにも作者の思いと読者の思いにずれがあると感動の共有化が出来ないことになるだろう。
英武さんの新しい素材(即物)を求め、類型のない新鮮な表現(具象化)を心がけている態度は、新しい素材に的確な季語の組み合せを成功させることにより、「伊吹嶺」の目指す即物具象の新しい領域を拓かれるのではないかと思う。今後を期待したい。

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    中山純子句集を読んで
      
――身辺の些事に詩情を――

 中山純子先生がこれまで上梓なさった5句集より、300句を精選されて『中山純子句集』をまとめられた。これまでの句集は『茜』、『紗羅』、『瑤珞』、『華鬘』、『晩晴』の5句集である。
 純子先生とのおつきあいは「伊吹嶺」で昨年の沢木・細見先生を偲ぶ「風」の会をお世話することに決まって以来、たびたび会の運営についてご指導を頂くようになってからである。
 私が「伊吹嶺」に入会して以来、勉強のため時々「風」同人の句集を読むようになり、純子先生の句集では『華鬘』、『晩晴』を栗田先生からお借りして好きな句を抜き書きしたノートが残っている。
 今回精選された300句を読んで思ったことは日常の身辺の中から感動を発見し、それを詩情まで高めた句が多いという印象を受けた。この素質は細見綾子先生から受け継いだものであろうか。むしろそのような言い方は純子先生に失礼に当たるかもしれないが、綾子先生の句を読むのと同じような印象を受けた句も多い。純子先生は「5句集はいわば自分の生きてきた日月を垣間見ての感慨を持たせるものがあった。」とおっしゃっており、まさに私も300句の中に純子先生の足跡を見た感じをした。
 以下5句集の順に私個人的に好きな句を中心に抜いてみたい。まず『茜』から、

   雉若し春の彼岸をかきわけて

 初期の句で最も印象に残っている句である。私は一時、「伊吹嶺」表紙裏に、私の好きな毎月の句を5句掲載させていただいていたが、この句が好きで早速掲載したことがある。「彼岸をかきわけて」という把握に文字どおり若さを感じた。純子先生の俳人協会での講演録(「風」H111月号)を読むと、この頃肺結核を病んでおられたときの句だと知った。しかしそういう背景を知ってもなおこの句は若々しい。

   火を焚けばただ一色にうれしかり

 ただ一つの火の色を見てうれしくなる。こういう感覚の捉え方は綾子先生に通じるものがあると思った。
 
 第
2句集『紗羅』では二子を生み上げ、お父上、ご主人を亡くされた人生の哀歓が凝縮された時期の句集である。この句集により昭和50年に俳人協会賞を受賞なさっている。

   胎の子と寝足りし手足わらび山
   一子得てわかき灯洩らす雪の寺
   夜道たのし子を持ち金魚玉を買ひ

 いずれも日常生活の中にお子さんを得た喜びが素直に伝わってくる。これらの句こそが身辺の些事から詩情を見つけ、子との関わりがさらに詩情を高め、読者に説得力を持たせている。一方、

   山晴れて父の死にとぶ大やんま
   若死のあとさき大暑変らざる
   鍋の底まで小春死後五十日
   人肌のごと小春日が墓を抱く

などお父上、ご主人を亡くされた悲しみの気持を日常生活に目にする対象物、季語に託して、読者に報告というか、話しかけているような印象を受けた。
 特に4句目、ご主人の墓の前に立ち、作者と墓が一緒になって小春日の暖かさに抱かれている。そこではご主人と対話しながら日向ぼこしている印象を受けた。

 第3句集の『瑤珞』では
   
初秋や飯粒を踏むあしのうら
   春そこに戸をしめる音あける音
   栗拾ふことを墓参のなかに入れ
   青葉して針箱の中貝釦

 など次第に日常生活を自在に詠んでいる心境が伝わってきた。これらの句は私達に日常生活のどこにも、どの所作にも詩情が転がっていることを教えてくれる。また、
   
西行堂うすももいろの芽立ちかな
   持国天おん臍に吹く植田かぜ
   鈴振つて海わたり来る秋遍路

など、吟行句に心安らかな純子先生がいることを見せていただいた印象から、純子先生の重ねてきた年輪を感じた。

 第4句集『華鬘』にはますます句境自在という感じを受ける。

   
てのひらに包みて母へ初ぼたる
   かりがねや明日につながることをして
   冬が来る木綿一枚着古して
   三月の日記びつしり生きること
   身一つの祷りは小さし小鳥来る

 これらの句は自在な心境に作者のつぶやきが聞こえてくる。そのつぶやきは生活と俳句が一体化した作者の自然体の観察が見えてくる。第3句目も「伊吹嶺」表紙裏に掲載させていただいた。

   かほを撫で死出の旅路の足袋はかす
   雪二日晴れ二日もう母居らず

 1句目、お母上の死に対して「死出の旅路の足袋」などの表現は思いがこもっていなければ出来ない表現である。2句目、「雪二日晴れ二日」には静かな表現であるが、母上に対する悲しみが次第に深まる様を簡明な表現に込めている。

5句集『晩晴』はつい最近読ませていただいた記憶がある。
   
母おくりたるあと春はゆつくりと
   一粒の大粒の艶丹波栗
   喪の冬よ古九谷の黄もむらさきも
   白山の初冠雪を逝れけり

 2、3句目は綾子先生への追悼句。丹波栗、古九谷どれも綾子先生につながる思い出ばかりである。特に3句目の「喪の冬よ」と直情的に詠んだ上5に綾子先生のいない寒さが切実にひびく。4句目の大景を詠んだ句は欣一先生への気持を初冠雪の白山に託しているのだろう。

   生涯のおほかた終へぬ春一番
 「風」終刊の時に詠まれた句であるが、純子先生の生涯はまだまだ長い。
 純子先生と私達「伊吹嶺」とのつながりは深く、毎年の伊吹嶺賞の選者を務めていただいているし、昨年の綾子句碑除幕式のご参列、「伊吹嶺」創刊3周年記念大会には講演にも来ていただいている。この3周年記念講演の時は、私達の知らない大西秋路雨、川口重美の俳句などを紹介していただいたことも覚えている。今後とも「風」の伝道者、語り部として私達の知らない「風」の歴史を伝えていただきたいと思っている。

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