俳句についての独り言(平成21年)

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現代俳句評(11月号) 2009.11.1
季語と環境(2) 2009.10.1
現代俳句評(9月号) 2009.9.1
現代俳句評(7月号) 2009.7.1
栗田やすし句集『海光』鑑賞 2009.5.23
現代俳句評(5月号) 2009.5.1
現代俳句評(3月号) 2009.3.1
季語と温暖化 2009.2.1
現代俳句評(1月号) 2009.1.1

   現代俳句評(「伊吹嶺」09年11月号)

  風に乗り風を捉へて鳥帰る       加藤 憲曠
  我が影をきしきし踏みて深雪晴     山谷 文子

                        (「薫風」[加藤憲曠主宰]七月号)

 「薫風」は今年創刊二十五周年を迎え、この七月号が二十五周年記念号である。一句目、句意は明瞭である。東北地方では春に帰る鳥は何だろうか。鴨か雁にしても〈風に乗り風を捉へて〉が写生の眼目である。長距離を飛ぶには効率よく風を捉えなければ、シベリア方面まで帰ることが出来ない。この〈風に乗り風を捉へて〉と風をリフレインさせてリズムのよさを出し、風をしっかりと捉える鳥の習性を描くことにより、風に乗る様子が臨場感をもって見えてくる。そしてその風の奥には広々とした空も見えてくる。
 二句目、二十五周年記念の薫風賞受賞作「遠辛夷」の冒頭句である。東北地方は今でも真冬は相当冷え込むのであろう。冷え切った朝は、雪はさらさらとして、結晶が崩れていない。晴れた日に雪の上を歩く様子を〈きしきし踏みて〉と表現した感覚が秀抜である。雪を踏むときの靴音をオノマトペとして得た〈きしきし〉は的確である。また〈我が影を〉の上五が雪の感覚を身近なものとしているのも見逃せない。

  貝殻を寄せて引く波浜薄暑       棚山 波朗
                 (「春耕」[棚山波朗主宰]八月号)
 私は仕事帰りに誓子が住んでいた白子海岸に寄ることが多く、人気のない砂浜を貝殻を踏みながら歩くことが好きである。この句、作者は何もない浜辺に立って、一定のリズムを持った波を見ており、貝殻を浜辺に寄せてはまた海中に引き込むその繰り返しを見ている。〈寄せて引く波〉と簡明な写生に浜辺の動きとそれに伴う貝殻の動きがリズムよく読者の心に入ってくる。〈浜薄暑〉からまだ人気のない砂浜であることも見えて、静かな調べとなっている。

  新幹線ナイターの灯の街を過ぐ     柏原 眠雨
                   (「きたごち」[柏原眠雨主宰]八月号)
 この句は新幹線、ナイターという現代的な組合せにより新しい時代の写生句となった。私はかって東京から出張の帰り、ナゴヤ球場の脇を通過するとき、名古屋に帰ってきた実感がしたものである。〈ナイターの灯の街を過ぐ〉には瞬間的な情景を捉えたスピード感のある表現となっている。またナイターの灯の周りにビルが密集している現代世相も如実に表現されている。

  野に出でて伸びる葬列麦の秋      宮田 正和
            (「山繭」[宮田正和主宰]八月号)
 いまでも地方によっては葬儀の際、野辺送りをするところがあるのだろう。この句はその野辺送りの一こまである。作者も野辺送りに参加しているのであるが、作者の眼は客観的である。遺族の家から葬列が出発したのであるが、広野に出るに従い、葬列の間隔が伸びていくその様子を客観的な視点で発見している。〈野に出でて伸びる〉が写生の眼目で、折しも麦秋の眩しい時期であることから、この句からは明るさの中に静けさが見えてくる。

  麦秋や村ひと色に暮れなづむ      早川 翠風
   手帳の字いつか大きく去年今年     江川恵美子

           (「林苑」[早川翠風代表]七月号)
 早川氏の句、麦秋の色は熟れ具合によって若干違うが熟れ一色の麦畑は眩しく郷愁を感じる風景である。そういう時期の村の夕暮れを詠んだ句である。この句の発見は〈村ひと色に〉である。一色の麦秋の前景に対し、その奥に集落が寄り添っているが、麦秋色と重ねてその村もひと色に輝いて暮れようとしている。さらに〈暮れなづむ〉と詠むことにより、まだ集落一帯が麦秋色に染まっていることが分かり、この句の風景を明るくさせている。
 江川氏の句、特別作品からの一句。面白い発見であり、自分の癖に驚いている句である。〈去年今年〉とあるから、一年分記録を書き終えた手帳を見ているのであろう。ただ鑑賞する側から見ると、〈手帳の字いつか大きく〉に二通りの解釈が出来る。まず手帳というのは一年分の記録であるから年初に書いた文字と年末に書いた文字を比較して次第に大きくなったと、平常時と年末のあわただしい時期によって、字の大きさに違いを発見したのが一番目の解釈である。二番目の解釈としては、手帳は毎年書き続けるものであるが、手帳の字が年々大きくなっていることに驚いているのである。どちらの解釈をとるかは、〈去年今年〉の季語の解釈によって左右され、今年一年の感慨であれば前者の解釈であろうし、〈去年今年〉を毎年の年末年始の感慨を思っているのであれば、後者の解釈であろう。どのように解釈するかは読者の感性にゆだねる問題であろう。

  日を孕み翳をはらみて白牡丹      雨宮きぬよ
           (「百磴」[雨宮きぬよ主宰]七月号)
 この句、白牡丹の瞬間を捉えている。その瞬間は〈日を孕み翳をはらみて〉に読み取れる。咲き開いた白牡丹にはあるところは日を孕んでいるようにみえ、あるところは翳を孕んでいるように見える。それを日が差した時の瞬間に、白一色の牡丹にも明暗があることを発見した句である。

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俳句を考える
     季語と環境(2)

わが余白雄島の蝉の鳴き埋む  細見綾子
 蝉は古今、俳句の題材として広く詠まれてきている。春蝉(松蝉)に始まり、にいにい蝉、油蝉、みんみん蝉と続いて夏を賑わせてくれる。蝉時雨という季語も盛夏の印象が強くよく使われている季語である。そして法師蝉、蜩に移り、秋も深まる。
 しかし最近の温暖化の進展により蝉を取り巻く様相が一変してきた。その顕著なものとしてクマゼミが西日本から押し寄せてきていることである。クマゼミはもともと南方に多い生態種で、高温と乾燥を好み、現在の日本の都市のヒートアイランド現象によりクマゼミの繁殖を加速させている。さらに困ったことにクマゼミは強力な産卵針を持っており、木の幹だけでなく、光ケーブルのような硬質プラスチックにも穴を開け、光ファイバを切断するほどである。俳句を作る者にとって蝉時雨はやはり油蝉であってほしいし、蜩の哀調を帯びた鳴き声はなくならないでほしい。

奥能登に来て星しぐれ虫時雨  沢木欣一
虫の声 残暑も治まってくると、盛んに庭で虫が鳴き出す。澄んだ虫の声を聞くとしみじみとした感慨または郷愁も感じる。蟋蟀、鈴虫、草雲雀、鉦叩とそれぞれ違ったおもむきがある。虫時雨で秋が深まり、鉦叩で秋の終わりを告げる。ところが二、三年前から我が家においてもすざまじい虫の声で興ざめする。真夜中に道路工事の削岩機のような音が聞こえてくる。最初は原因が分からなかったが、まもなくアオマツムシの声だと言うことが分かった。このアオマツムシが近年急激に増えたのも温暖化の影響だと言われている。アオマツムシはもともと中国より帰化した外来種で、温暖化のため、日本を北上中である。アオマツムシの声を聞くと情緒のある虫時雨はどこかへ追いやられ、俳句にすることも出来ない。こんな秋がこれから続くのだろうか。

  つちふる日空港で買ふ文庫本  栗田やすし
黄砂 黄砂の季語を使った俳句が多くなったのはつい最近のことではなかろうか。黄砂は中国大陸の砂漠から巻き上げられた砂塵が春の乾燥期に日本に押し寄せてくるものである。日本の黄砂の歴史を見ると江戸時代頃から書物に「泥雨」「紅雨」「黄雪」との記述が見られている。また私の手許にある昭和三九年発刊の「図説俳句代歳時記」(角川書店)を見ると、主季語は「霾」で黄砂の例句はほとんどない。黄砂は地球環境悪化による砂漠化が広がり、次第に多く詠まれるようになってきている。俳句を作るときはせめて優しい響きの「つちふる」であってほしいし、ましてや中国で言われている「砂塵暴」では俳句は作りたくない。

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  現代俳句評(「伊吹嶺」09年9月号)

  なやらひの鬼悪茶利を尽しけり     茨木 和生
                    (「運河」[茨木和生主宰]五月号)
 歳時記の「追儺」の項で「なやらい」とは、もともとは大晦日の夜に鬼を追い払うための儀式から始まったもので、民間に広まるにつれ、節分に豆を撒くだけの儀式と古式に則って鬼を払う儀式に分かれた。この句は後者の儀式と思われ、鬼が追われるとき、悪ふざけを「悪茶利」という耳慣れない言葉を使って、古式の儀式を連想させるところが茨木氏の巧みなところであろう。〈悪茶利を尽し〉て鬼が逃げる表現に古式に則りながらユーモアも含めているところに古式の儀式が現代に息づいていると納得できる。

  風のかたちにひとひらの竹落葉     倉田 紘文
  風追うてゆくひとひらの竹落葉     倉田 紘文

                   (「蕗」[倉田紘文主宰]五月号)
 「竹落葉」は初夏に音もなく散る様に風情がある。一句目、竹落葉の一瞬の風情を比喩的にうまく捉えている。今作者は竹落葉が散っているのを見ている。風によって竹落葉は様々な散り方をするが、作者は〈風のかたちに〉散っていると認識した。竹落葉の中に風のかたちを発見したこの句はまさに竹落葉の一つの生態を描写している。
 二句目も風と竹落葉の組合せであるが、作者は竹落葉がひとひらずつ散る様は風が追いかけていると感じた認識の句である。〈風のかたち〉とか〈風追うてゆく〉の表現を得て、竹落葉の一つの真実に迫った句となった。
 表紙裏に「蕗」の主張である「自然を大切にする。写生を重んずる」があるが、これらの句は竹落葉のようなありふれたものも自然の中の大切なものであり、大切に思う目で見ることにより写生が深化していくのである。

  白梅の末まで満ちてしづもれる     辻 恵美子
                   (「栴檀」[辻恵美子主宰]五月号)
 この句、桜もそうであるが、梅の開花も枝の根元から枝先へ咲いていく。〈末まで満ちて〉とあるから丁度満開になったのであろう。その時作者は梅の木そのものが静まったと感じた。ということは梅が咲き満ちていく過程は生命力のある動きを感じ、それが満開になって静寂の時に入った。しばらくは静寂の中の梅の生命に浸っている様子がうかがえる。
 梅の句は多くあるが、〈紅梅や枝枝は空奪ひあひ 鷹羽狩行〉の句は対照的である。鷹羽氏の句は枝がいろいろな方向に伸びていく時の動きを詠んだ動的な句である。それに対し、辻氏の掲出句は静的な美しさを詠んでいる。紅梅と白梅のそれぞれの特徴を端的に示しているのであろう。

  傾きて針目明らか針供養        斎藤 夏風
  待針に風の円光針納め         斎藤 夏風

                   (「屋根」[斎藤夏風主宰]五月号)
 針供養三句のうちの二句。一句目は一本の針に着目した発見の句である。針供養に刺す針は様々であろう。たまたま作者は斜めに刺さっている針を見つけ、そこに針目をはっきりと見たのである。針の傾きに針目がよく見えたという些細な感動に針供養の実態を見た気がした。
 二句目、〈風の円光〉が眼目である。辞書によると「円光」は仏の頭から放つ円輪の光明と出ている。作者は前句に引き続き、待針に目を移した。その時、待針に風が吹くと、風が待針を包むように舞っている感覚を捉えた。そしてその風が円光のように感じた。待針の頭を一つの仏と見、包み込んでいる風を円光と見た。作者の思いが昇華された待針を感じとった。

  古雛の調度に土の重さあり       伊藤 敬子
             (「笹」[伊藤敬子主宰]五月号)
 雛祭では内裏雛以外に箪笥、鏡台、茶道具等々の多くの調度品も飾られる。この句、古雛と言っても作者は明らかに土雛と分かった。この句の眼目は調度に焦点を合わせ〈土の重さあり〉と表現したところにある。土で作られた調度は手にしなくてもその重さは目だけで類推できる。重さと言いながら視覚で見ている句である。「笹」四月号には月刊に切り替えた際の「巻頭言」が再録されているが、そこで伊藤氏は「俳句は・・・対象の“もの”の命の中に生きている世界であり、その“もの”の命を言葉としてうつす・・・」と述べている。この句の〈調度に重さあり〉と断定したのは調度に土の重さという俳句の命を吹き込んだのであろう。

  春を待つ渕にたまさか風の筋      関森 勝夫
             (「蜻蛉」[関森勝夫主宰]五月号)
 川をよく観察すると、流れの早いところも淀んでいる渕もある。この句、作者は川の渕を見ているが、そこには流れは見えず、水面が滑らかなままである。そこにたまたま風が吹いてきた時、さざ波が立ったのを発見した。作者はその波を〈風の筋〉と捉えた。さらにその渕は〈春を待つ〉渕であることから、鈍色一色でなく、かすかに緑めいたものを発見したのであろう。渕に見えた風の筋にかすかな色合いも発見した待春の気持を込めた句である。

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  現代俳句評(「伊吹嶺」09年7月号)

  冬帽子被るは旅に出づるとき      大串  章
  郭公の鳴き止みてより歩き出す     高木加津子

                  (「百鳥」[大串章主宰]三月号)
 「百鳥」が創刊十五周年を迎え、この三月号が記念号となっている。大串氏は「十五周年を迎えて」の中で、「この五年間俳句・和歌の歴史の場をしばしばたずねた。」と切り出し、「百鳥」の連衆と多くの古典の現場に触れている。旅に出るということは心が日常生活から非日常へ切り替わることである。氏が前述の歴史の場を訪ねることは心を非日常に切り替えることではなかろうか。そういう観点で一句目を読むと、この句の場合〈冬帽子〉が非日常へ切り替えるキーワードになっていると思った。シンプルであるが、旅へ踏みだす弾む心が見えてくるようである。
 二句目、創刊十五周年記念コンクール・俳句の部で最優秀賞として受賞している。掲出句は受賞作の一句目で気負いのない平明な句である。選考座談会で大串氏はこの句について「誠に素朴な句なんですが、説得力は確かにあるように思います。」と評しておられる。よくあることだが、登山などでひたすら歩いていることに専念していると、鳥の鳴き声があまり耳に入ってこない。だから郭公などが鳴いていることに気付いた時には、立ち止まって聞く。そして鳴き止んだ時、またおもむろに歩き出す。そういう人の行動をうまく捉えていると思った。同受賞作の〈ひとしきり笑ひし後の団扇かな〉の上五中七と下五との落差の表現に高木氏のうまさを感じた。

  遠足のいつも間の空く子供かな     鈴木 貞雄
  鞦韆を漕ぎあげ天に横たはる      鈴木 貞雄

               (「若葉」[鈴木貞雄主宰]三月号)
 鈴木氏の句でこの子供を詠んだ二句に惹かれた。
 一句目、遠足の列が目に浮かぶ。遠足の列はよく観察すると等間隔になっていない。ある部分は固まり、ある部分は間隔が空く。〈いつも間の空く〉が子供の気ままな行動を真実として捉えた句である。
 二句目、ブランコもだんだん慣れてくると、子供は思いきって漕ぐ。氏は今ブランコを漕いでいる子供を見ている。そして漕ぎ上げた極限に達するとブランコの子が天に向かって横たわっているように感じた。この句の〈天に横たはる〉と瞬間を把握し、それを断定したところがいさぎよい。

  海風を得て左義長の倒れたる      今瀬 剛一
               (「対岸」[今瀬剛一主宰]三月号)
 この句、海岸近くの左義長であろう。私は師崎の左義長を思い出した。この左義長は竹を櫓のように組んでいるのであろう。作者は左義長の燃えさかるのをじっと見ている。そして火が最高潮に達した後、左義長の櫓は倒れる。しかし作者は倒れるきっかけは海風のせいだと認識した。〈海風を得て〉という把握が左義長の倒れざまを生き生きと写生した。分かり易く力強い句である。

  街閉ざし木立を閉ざし冬の霧      加藤 耕子
  冬の霧滲みて遠き物の影        加藤 耕子

                   (「耕」[加藤耕子主宰]三月号)

 国際俳句交流協会で活躍され、英文俳誌「」も発行している加藤耕子氏は積極的に海外詠にも力を入れていらっしゃる。掲出句はウクライナのキエフでの十六句の内の二句である。海外詠は季語が現地での情景に的確であり、我々読者にも納得できることが必要であろう。一句目、〈冬の霧〉と言われてみると、北国の情景を彷彿するものであり、〈街閉ざし木立を閉ざし〉というたたみかけにより街全体が単調でしかも荒涼としたものが見えてくるようである。
 二句目も冬の霧の中に建物などの影が滲んで見えたという異国ならではの風景が見えてくる。〈滲みて遠き〉の写生が無音の街でこの世ではない世界を見たような気がした。

  芽吹く木の心音を聴く爆心地      福島せいぎ
         (「なると」[福島せいぎ主宰]三月号)
 福島せいぎ氏と言えば住職の傍ら日台の俳句交流に尽力されていることに敬服していたし、随筆『狸の燭台』を読むと、時にはユーモアに溢れ、時には戦争に対する怒り、悲しみが書かれ、親しみやすい随筆である。
 この句は広島を詠んだ六句の内の一句である。作者は爆心地の公園に来て、今年も芽吹き始めた木に触れている。やがて芽吹きの一樹と対話すべく、樹皮に耳を当てた。その時作者は確かに木の心音を聴いたのである。〈心音を聴く〉という動作に被爆を乗り越えて生き続ける木に対するいとおしさの気持ちがこもった句である。

  大鷲を点と捉へし遠眼鏡        高橋 克郎
           (「松籟」[高橋克郎主宰]三月号)
 この句、探鳥会のような時の句であろう。遠景の大鷲を見るには望遠鏡などが必須である。大鷲は遙か遠くにいる。しかし遠眼鏡でもってしても十分な大きさには見えない。中七の〈点と捉へし〉の写生が眼目であり、遠眼鏡の中の点を大鷲と認識したのである。〈大鷲〉の大と点との対比に巧者の俳句を見た感じである。

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  栗田やすし句集『海光』鑑賞

 栗田主宰の待望の第4句集『海光』が上梓された。栗田先生はあとがきで
 『海光』は沢木先生が能登・大和とともに自らの母郷の一つとされた沖縄の海をイメージして付けた。私たちはあの澄み切った七彩の輝きと明るさの裡に秘められた沖縄の苦難の歴史を忘れてはならない。
と述べて、基本テーマを明確にしておられる。
 第三句集『霜華』では「沢木・細見両先生と父母の霊にささげたい。」述べているように、第三句集から第四句集の基本テーマは大きく変わっている。私はそのテーマが変わる先駆けとなるきっかけとして、『霜華』一句鑑賞連載最後に〈仏桑花生き延びて修羅語り継ぐ〉を取り上げたことがあった。その時、
 この句集の位置づけを考えると、何か忘れ物をしてきたような気がする。(中略)これまで『霜華』鑑賞で誰も触れなかったテーマに沖縄との関わりがある。『沖縄吟遊集』への共感に加え、(中略)沖縄との関わりが深まったことに注目すべきであった。
と書いたことがあった。それを明確なテーマとして据えたのが『海光』であろう。そのつながりの句として取り上げたいのが次の句である。

  甘蔗畑に痛恨の碑や旱梅雨      (平成16
 痛恨の碑とは久米島で敗戦直後、日本軍が島民を虐殺したすさまじい事実を忘れないための碑で、先生はその碑の前で「旱梅雨」と詠んだ。上五、中七に据えた物と「旱梅雨」との配合に痛ましさを感じる。久米島には泡盛工場などがあり、普段は水が豊富な島であろう、その恵みの雨が降らない旱梅雨に哀しみが伝わってくる。この句のように『海光』全編には苦難の歴史を現地現物に立ち会って詠まれている句が多い。大まかに数えたところ、句集に収められている344句のうち、沖縄での句が71句もあり、20%以上を占める。それだけ沖縄への想いが噴き出した句集であるといえよう。あわせて他のテーマを数えてみたところ、沢木・細見両師を詠んだ句が17句、母上を詠まれた句が15句あり、『霜華』に表れている想いも続いていることが分かる。
 前句に続いて主に沖縄を詠んだ句から、先生の思いを私なりの感想を述べてみたい。

  赤土に幾万の霊甘蔗青む  (平成17
 赤土は亜熱帯地域によく見られる粘土分の多い緻密な土壌で、川も少ないことから甘蔗が生産の中心ともなっている。沖縄の至るところを掘っても沖縄戦の遺品が出てくるという。もしかすると作者の見ている青々とした甘蔗畑の下にも戦禍の跡が残っていると感じているのだろう。現在の平和もこれら過去の忌まわしい歴史の上に立っていることを〈幾万の霊〉と言わずにはいられなかったのであろう。

  蜥蜴這ふ砲火に焦げし洞窟の口   (平成20
  滴れる洞窟の凹みは隔離の間     (〃)
  語り部となりし老爺に蝉時雨     (〃)
 平成20年に栗田先生と沖縄へ同行させていただいたことがあった。この三句は南城市糸数のアブチラガマを見学させていただいた時の句である。アブチラガマというのは沖縄戦の時、地上攻撃から避けるため、自然の洞窟を野戦病院、司令部などに利用したものである。
 一句目、そのガマに入るに際し、先生は蜥蜴を発見した。砲火にただれたガマと蜥蜴の組合せが緊張感を生み、戦争への怒りとも言うべき作者の嘆きが出てくる。
 その嘆きは二句目の、重症患者のベットとしてガマの凹みを利用しているのを発見して、さらに増幅されていく。ガマの中の滴りから作者の身体の中を抜けていく寒々とした嘆きとしても表現されている。
 三句目は、ガマの見学を終えて、沖縄戦の悲惨さを伝えていく案内人の話を聞いていると蝉時雨が呼応するようにかぶさってくる。三句とも現地で見た現物しか詠んでいないが、そこには先生の戦争に対する悲しみが伝わり、それは先師沢木先生と共有する思いにつながっている。
 このように沖縄戦に思いをはせた句以外に、沖縄で詠んだ句に共感するものも多く感じた。

  暁光やはぐれ鷹舞ふ辺戸岬      (平成15
  辺戸の春また来ましたと句碑撫づる  (平成18
 みやらび句碑のある辺戸岬はいつ行っても沢木先生への思いは尽きない。一句目も栗田先生と日の出前の辺戸岬へご一緒した時のものである。丁度日の出にさしかかると、鷹が一羽舞っているのを先生は発見し、それをはぐれ鷹と認識した。はぐれ鷹は自分自身のことだろうか。先生はいつも辺戸岬を訪れる度に沢木先師と心の中で語らいを行って、自分の進むべき道に迷いが生じたとき、沢木先生の叱咤激励を受けているのだろうか。この句の〈はぐれ鷹〉にそんな作者の思いが見える句と感じた。
 二句目はもっと句意は明確で、心の中で沢木先生に話しかけることを習いとしているのであろう。〈句碑撫づる〉に端的に沢木先生への思いを表現している。

  海光やこぼれて白き花月桃    (平成17
 月桃の花は白が基調でピンクの色も付ける。この句は明るさに満ちた句である。しかしあとがきで述べているように、句集の題名となった海光を沖縄を代表するイメージとし、それに花月桃を配して、これは明るいがその光の中に沖縄の悲惨な歴史につなげるためのキーワードとなっている。

  草萌ゆる予科練生の夢見し地   (平成17
  散華てふ哀しき言葉朴の花     (〃)
 沖縄の歴史に思いをはせた先生は香良洲での若桜会館にも訪れて、戦争のため若くして海に散った若者にも悲しみの目を向けられている。
一句目、若桜会館で詠んだ句である。かって予科練生が見た夢は何であったのだろうか。私達は歴史から、彼らは無惨な死に至ったことを知っているが、当時の若者の見たものはこうありたいという日本の未来だったかもしれない。それは〈草萌ゆる〉という春の息吹から、先生は予科練生が見た夢に託したものを〈草萌ゆる〉と象徴して詠んだのであろう。
二句目、朴散華という仏教用語で、美しい言葉があるが、先生は「散華」という言葉にこそ、若者が散っていった歴史から哀しい意味を持っていると感じているのである。この句集のテーマである沖縄の「海光」と、沖縄にしろ香良洲にしろ歴史に翻弄された若者が散った象徴的な言葉が「散華」であり、「散華」がこの句集を貫くテーマでもあろう。
 以上沖縄、香良洲を結ぶこの句集のもう一つのテーマである「散華」について述べてきたが、それは日常吟においても過去の歴史を決して忘れないために詠んでいる句もある。

  亡き父の母への便り敗戦忌   (平成17
  ふち焦げし原爆の日の目玉焼  (平成19
 先生は八月十五日を決して「終戦日」とは詠まない。必ず「敗戦忌」なのである。それだけ幼くして失った父に対する思い、戦後の母の苦労に対する思いを忘れないための覚悟であろう。
一句目、極めてシンプルな句である。父から母への便りには先生の無念さと両親への感謝の混じったものであろう。それは二句目の原爆忌の句でも同様である。上五の〈ふち焦げし〉と詠むことにより原爆の忌まわしさを思い出しているのである。しかしあくまで物を詠む即物具象により感情を押さえた、しかし確実に戦争への怒りが伝わってくるのである。
以上『海光』の思いのテーマについて述べてきたが、随所に即物具象のお手本とも言うべき佳句が並んでいる。

 滝凍てて全山音を失へり       (平成18
 この句が「伊吹嶺」に発表されたとき、私も当然そうであるが、誰もが写生の強さに感動した。詠まれたのは平湯の大滝で、夏は轟音を立てるし、冬でもその流れは雄大である。しかし滝が全凍結したときは、まさに全山が静まりかえるのである。〈音を失へり〉が迫力のある表現である。この句に続くものとして

  山の月凍りて青き滝照らす      (平成19
も滝と月の呼応した表現の中に極寒の中の美しさを感じる。

  漉小屋へ石一枚の橋渡る       (平成15
  目を閉づる柚子湯に癒えし身を沈め  (平成16
  師と並び反故焚きし庭冬に入る    (平成19
 これら三句はいずれも穏やかで滑らかな表現を使い、安らぎが伝わってくる。特に二句目は大病したにもかかわらず快癒した気持が柚子湯を託して静かに伝わってくる。
 三句目には、いつも綾子先生の面影が先生の身の内のものとなっていることがよく分かる。〈冬に入る〉という穏やかな季語が綾子先生への措辞として適切である。
他に家族を詠んだ句、身辺句などはいずれも静かで慈愛に満ちた句が多い。

  母残し来て束の間の磯遊び   (平成16
  紅椿妻と壺屋で待ち会へり   (平成17
  剃り残しある顎なでて御慶かな (平成18
 いずれも句集のテーマとなった沖縄などの句と違って心暖まる家族愛に満ちている。
 最後にこの句集の最後の句に注目したい。

  靖国の靖は我が名敗戦忌    (平成20
 この句を句集の最後に据えたことが先生の一つの思いであろう。
第四句集『海光』を上梓し、さらに次の句集につなげるにしても自分の名前に刻み込まれたご両親の思いは永遠に消えるものではない。〈敗戦忌〉でこの句集を締めくくったことはこの句集のテーマから次に上梓されるであろう句集のテーマの繋ぎとなろう。

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    現代俳句評(「伊吹嶺」09年5月号)

  大初日厩の埃燃え立たす        大坪 景章
  銃眼のある尼僧院鴨泳ぐ        木暮 剛平

                  (「万象」[大坪景章主宰]一月号)

 「万象」一、二月号に「大坪景章主宰に聞く」の記事があり、大坪氏の俳句に対する態度、主宰としての態度が語られているが、基本的には沢木欣一先師、滝沢伊代次前主宰と目指すところは同じで、「即物具象、写実を深める」ことに尽きるようである。
 大坪氏の句、元旦から厩で作業しているのだろうか、そこに初日が差し込んだ瞬間、厩作業の埃が浮き立った。作者は、それは初日が燃え立たせたと把握したのである。また私は〈燃え立たす〉には日の出直後の太陽による茜色の埃を見た感じがした。
 「万象」顧問、俳人協会顧問の木暮剛平氏が昨年の十二月十四日に急逝された。国際俳句交流協会の会長も八年間務められ、俳句界の発展に尽された。木暮氏の俳句は、句集『飛天』を上梓されたとき、先師沢木欣一は「柔軟でしかも揺るぎのない「平常心の俳句」である。」と評されたように、平常心の中に、自在の境地を築かれ、誰にでも分かる即物具象を貫かれた。『飛天』の題名となった〈笛吹いて涼し壁画の飛天仏〉も印象的であるが、〈大嚔ぎつくり腰に響きけり〉はまさに日常生活を自在に詠んでいる句である。
 冒頭の木暮氏の句、前後の句からロシアでの吟行句であることが分かる。かって厳格な戒律の中、修道女が共同生活を営んでいた尼僧院は歴史に翻弄された時代もあるのだろう。〈銃眼のある〉が作者の発見である。そういう過去の戦火の舞台にもなった尼僧院にそれを知らぬ鴨が泳いでいる平和な現代と対比させて詠んだと解釈した。 

  茎の石家系危ぶみゐたりけり      後藤比奈夫
               (「諷詠」[後藤比奈夫主宰]一月号)

 後藤氏の句、「茎の石」が象徴的に使われている句だと思った。茎の石は野沢菜など主に葉物をつける漬物石である。〈家系危ぶみゐたりけり〉は一般的な日本の家系を考えてもよいが、「諷詠」の継承のことを想定していると理解することも出来る。その家系をつないでいく象徴例として〈茎の石〉を上五に据えて、家系を守っていきたいとの意志も〈危ぶみゐたりけり〉と過去形にしたことにより「危ぶんでいた」ことも杞憂であったと解釈でき、夜半から比奈夫、立夫への継承ができた安堵感も含まれていると思った。

  裏側はさみしい貌か焼秋刀魚      鈴木 鷹夫
                      (「門」[鈴木鷹夫主宰]一月号)

 鈴木氏の句、秋刀魚の裏側に着目したところに俳諧味がある。作者は秋刀魚を焼いているとき、ふと上から見えない裏側の秋刀魚を思った。意外性があり、洒脱な句となった。では〈さみしい貌〉と表現したのは何故だろうか。察するに上面の貌と裏面の貌を対比させて、裏面の貌はさぞさみしく思っているのだろうという秋刀魚に対するいとおしさがこのような表現となり、洒脱といとおしさの含まれた句となった。

  夕日より深き沈黙くわりんの実     鍵和田
               (「未来図」[鍵和田秞子主宰]一月号)

 鍵和田氏の句、〈夕日より深き沈黙〉が比喩としての眼目である。夕日は沈むに従い、大きく、赤く染まって音もなく沈む。当たり前のことであるが、作者はそれに〈深き沈黙〉という表現を与えた。そして下五に〈くわりんの実〉と対比させた。作者は榠樝の実を見て、榠樝の実が沈黙を保っていると感じとった。それは沈む夕日より深い沈黙であることを発見した。〈くわりんの実〉の実態は一つの存在であるが、そこに実態では推し量れない抽象的な沈黙を詠んだユニークな句となった。

  虫の夜の耳の追ひゐる救急車      千田 一路
  鳩に豆ことばが育つ小六月       中山 純子
  天心に坐るオリオン年移る       岸川素粒子

           (「風港」[千田一路主宰]一月号)

 千田氏の句、作者は庭の虫の音を聞いていたと思われる。そこに割り込んできた音は救急車であった。つい耳は虫の音から救急車へ移る。そしてその救急車の行方へ耳で追いかけている。よく経験することであるが、人間の習性をうまく捉えた句である。さらに救急車の音の中に虫の音の残響が残っている印象である。
 中山氏の句、この句には〈鳩に豆〉に切れがあることに留意する必要がある。ある日作者は鳩に豆を与えているか、それを見ていた。それを凝視しているうちに、心の中にふつふつと言葉が生まれ、育っていった。その言葉は詩心の言葉か、何でもない言葉かもしれない。作者はそれについて何も語らない。読者はそれを〈小六月〉の季語から感じとるしかない。私は小六月という穏やかな日和の中に、穏やかな詩心が湧いてきたのではないかと思った。
 岸川氏の句、まず〈天心に坐るオリオン〉と、この宇宙における変わらぬものの一例としてオリオンを置き、〈年移る〉と一年の節目の動きを表現した。〈年移る〉には人間の小さな存在、移ろい易さが内蔵されており、永遠に続くオリオンとの比較が大景の中にうまく取り込んでいる。

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  現代俳句評(「伊吹嶺」09年3月号)

  地球てふ病む星に住み露けしや     鷹羽 狩行
  コスモスや濃く淡く山たたなはる    宮沢 房良

                (「狩」[鷹羽狩行主宰]十月号)

 鷹羽氏は「狩」主宰、俳人協会会長他に数多くの選者をこなし、超多忙な日々を過ごしておられる。また俳人協会会長として、昨年から俳人の知恵を結集して地球環境問題に役立たせることを協会の活動として捉え、協会内部に委員会をスタートさせた。
 以上を踏まえて読むと、鷹羽氏のこの句は極めてメッセージ性の強い句である。この地球において、露けき水の地球に住みたいとの意志の句であるが、現在地球はまさに病んでいる。四季の変化に恵まれた日本においても温暖化の影響は着実に、しかも目に見える形で進んでいる。環境保全を本来業務としている私自身が思うことは、俳人は傍観者であってはいけないが、俳人としての立場で直接環境問題をどのように取り組むかは非常に難しい課題である。ただ一市民として行動できる余地があると思うのである。
 宮沢氏は今年度の俳人協会俳句大賞を受賞され、長年ひたむきに俳句に対峙されてきた成果であると思う。宮沢氏とは昔二十才代の時、一度お会いした記憶がある。宮沢氏の句、こういう情景は私が住んでいる町でも経験する。眼前の色とりどりのコスモス、そしてその奥に、ある峰は濃く、ある峰は淡く重なり合っている。その色どりの原色と墨彩画的な取り合わせが絶妙である。〈たたなはる〉と滑らかな古語で座五を締めくくっているのも効果的である。

  赤とんぼ風と遊べり山の湖       水原 春郎
           (「馬酔木」[水原春郎主宰]十一月号)
 水原氏の句、穏やかな情景を穏やかなリズムで詠んでいる。まず赤とんぼが飛び交っている様子を水原氏は「風と遊んでいる」と認識した。言われてみるとそのとおりで、水原氏の長年培ってきた俳句感性が自ずと穏やかな表現として表現されている。そして下五の〈山の湖〉から空へ大きく広がった湖のある花野を感じさせる。そこを飛んでいる赤とんぼはまさに風に遊んでいるのであり、それを発見した結果、的確な表現を得たのである。

  鳥渡る黒き一縷を波打たせ       鈴木 貞雄
            (「若葉」[鈴木貞雄主宰]十一月号)
 鈴木氏の句、「鞆の浦」という表題を示すとおり、吟行の一句である。同月号の〈花鳥雑記〉の中で「吟行の心得」を説いている。これによれば「吟行において対象と親しくなるには、辛抱と時間そして心の眼が必要である。(中略)対象にじっと向き合っていると、おのずから心が通い合い、親しさが湧いてくるものだ。」と述べている。そういう眼でこの句を読むと〈鳥渡る〉が眼前の風景であり、その対象物をじっと見つめていると、鳥の群が竿状になる刻を発見し、その群を〈黒き一縷〉と把握し、それが波打っていることを発見したのである。この波打つ黒き一縷がこの句の眼目である。そういう意味でこの句は対象物にじっと向き合った成果である。

  星も(するど)や霜降の夜となれば       辻田 克巳
           (「幡」[辻田克巳主宰]十一月号)
 二十四節季の句は難しい。特に霜降の季節感は捉えにくい。霜降は旧暦九月の中、太陽暦では十月二十三日頃とある。しかし地球温暖化が進んでいる現在、この時期に霜降の季節感を実感するのはますます難しい世の中になっている。辻田氏の句、読者に伝わりにくい霜降の季節感を〈星も鋭や〉と時代に変わらぬものの一例として、星が鋭く感じる時期を持ってくることにより、霜降らしさが伝わった句となった。 

  露草を蹴り突進の相撲牛        山崎 羅春
       (「あきつ」[山崎羅春主宰]十一月号)
 山崎氏の句、新潟県山古志地区の闘牛であろう。震災を乗り越えて闘牛が再開されたことは非常に喜ばしいことである。この句、〈露草を蹴り突進の〉が躍動感の溢れた描写となっている。吟行記によれば、初句の上五は、〈八千草を〉となっており、「八千草」という漠然とした秋草から「露草」と焦点を絞ることにより、句の色彩感が明確になり、より臨場感のある句となった。 

 尺蠖のときどき風を読むやうに      加古 宗也
 小面に秋思の口のゆるびかな       高橋 冬竹

            (「若竹」[加古宗也主宰]十一月号)
 加古氏の句、私も経験したことがあるが、尺蠖虫の生態を見ていると結構面白い。例えば、手のひらに載せてみると尺蠖虫は時々行方を失って、頭をもたげて、進む方向を考えているようである。加古氏は〈風を読むやうに〉という表現を得て、尺蠖虫の生態を的確に捉えることに成功した。また〈ときどき〉から作者は長時間、尺蠖虫を観察した結果であることも分かる。
 高橋氏の句、なるほどと共感する。小面は若い女の能面で、その能面の口がかすかに開いているのを見て、そこに秋思を感じたのである。〈口のゆるび〉という表現が秋思につながっていることを発見したのである。

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   季語と温暖化

 俳人協会では、自然破壊等の深刻化を受けて、環境問題の委員会が創設され、「俳句文学館」新聞では自然保護、環境問題をテーマとした記事が見られるようになった。
 日頃、環境問題に関心を持っている私も俳人として行動すべき点は何かと問われると回答はない。ただ一市民として活動できることを模索している程度である。
 今回は、環境変化によって、季語の位置付けはどのように変わってきたかを身近な季語を取り上げて考えてみたい。

啓蟄 二十四節気の一つで陽暦の三月六日頃、冬眠していた蟻、地虫、蛇、蛙等が穴から出てくる時期であるが、以前は三月上旬と言っても寒くて、地虫が出てくる陽気にはほど遠かった。しかし最近、二月中旬頃、我が家の庭に蜥蜴がいるのを見かけ、びっくりしたことがあった。これら地虫は地中温度上昇により、春を感じているのだろうが、近年、温暖化促進により地熱上昇時期が早まっているのだろう。〈毎年よ彼岸の入りに寒いのは〉と詠んだのは子規であったが、以来現在では啓蟄前に蜥蜴が餌を探す温暖化の時代になってしまった。
  啓蟄の土へ太鼓の滅多打ち  欣一

田植 三重県に住まいを移してから、驚きだったのは田植時期が非常に早いことだった。三重県で田植えが早まったのは、伊勢湾台風の影響が大きく、以来、台風シーズン前に稲刈りを行うようになり、十数年前、三重県に勤務していた頃、既に五月連休に田植が行われていた。ところが近年は、田植時期が四月中旬、稲刈が八月上旬になっている。温暖化が加速させているのだろう。最近、ある環境学者の予測によれば、田植は三月、稲刈は七月になるだろうと発言していた。そうすると田植は春の季語、稲刈は夏の季語になってしまう。更に温暖化が進むとついに臨界点に達し、逆に田植えは七月、稲刈りは十一月になる夏飛ばし現象が起きるそうで、こういう日本の四季は見たくない。
  山間のおそき田植えを見て来たる  綾子

残暑 立秋が過ぎると、挨拶は「残暑見舞」であるが、立秋後でも依然暑い時期であることは承知していたが、昨今の暑さは異常である。気象用語では気温によって、夏日、真夏日と暑さを定義していたが、最近、最高気温が三十五度を超えた日を猛暑日と新たな定義が出来てしまった。今に立秋以降に猛暑日が何日あったとか、その年の最高気温が立秋以降に記録されるのは時間の問題であろう。今の立秋前に秋を感じさせる「夜の秋」、立秋後の爽やかな「新涼」、暑さも和らぐ「処暑」という情緒ある季語も死語となるのであろうか。
  帰国してまづ母を問ふ残暑かな  やすし

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  現代俳句評(「伊吹嶺」09年1月号)

  蝉の穴深く沈みて広島忌        田島 和生
  水かけて洗ふ眼鏡や夜の秋       河野 照子

         (「雉」[田島和生主宰]九月号)

 「雉」も先師林徹氏が亡くなられて、半年あまり過ぎた。新主宰となられた田島氏の最初の仕事は六月号の「林徹追悼特集号」を出すことであったし、九月には京都で世話人として「風」の会を開催し、元「風」連衆と、沢木欣一・細見綾子先生を偲ぶと共に、元「風」連衆のきずなを深める役割を果たされた。「雉」発行も今後とも順調に進められていくことを期待している。主宰雑記である「風鳥園雑記」も三回目を迎え、田島主宰の意気込みが感じられる。
 毎年、広島の八月というと、原爆忌とは切っても切れない宿命がある。八月号の「風鳥園雑記」では先師の句〈釘打ちて炎天に音遺しける 林徹〉などを取り上げ、時には被爆者を診察したこともある先師にとって、「被爆」は重い意味を持ち、俳句に大きな影響を与えていたことだろう、と述べている。
 このような思いを持っている田島氏の句、広島忌に蝉の穴を見たのであろう。しかしその蝉の穴をただ見ただけでなく、〈深く沈みて〉と写生することにより、原爆の持つ根強い怒り、悲しみを即物的に詠んでいる。先師林徹氏とともに新主宰田島氏にとっても八月の広島は永遠のテーマとなる素材であろう。
 河野氏の句、何でもない日常生活の一コマである。地球温暖化が進んでいる近頃は「夜の秋」の時期と言っても、まだ日中の熱気がこもっており、秋のさきがけを感じるまで至っていない。ただこの句は、〈水かけて洗ふ〉という作者の行動に涼しさを感じる工夫が見られる。地球温暖化が進んでも季語の持つ感性を大事に、四季折々にふさわしい句を詠んでいきたいものである。

  川波に夕日散りばめ麦熟るる      斎藤 夏風
               (「屋根」[斎藤夏風主宰]九月号)
 同時作に〈鳶の輪の桑名に近く麦の秋〉があることから、桑名周辺で作られた句であろう。私の住んでいる桑名周辺はまだ麦畑が多い地域で、麦秋を見ると何となく実りの安堵感とともに、やや物憂い季節の移ろいを感じさせる季語であると思う。この句の川波は揖斐川であろう。この大河にはさざ波が立ち、そこには夕日が散りばめた美しさが大河一面に広がっている。その美しさの向こうに熟れ麦の色が重なっている大景詠み上げている。

  蟻地獄見つめゐし眼を野に戻す      大串 章
          (「百鳥」
[大串章主宰]九月号)
 この句は下五が〈野に戻す〉とあるから作者は最初、前書きにあるように青梅地方の緑濃い夏野を見ていたのであろう。そこから作者は足元の蟻地獄を見つけた。蟻地獄は見続けるとなかなか見飽きないものである。しかしやがて蟻地獄から夏野に眼を戻す。その眼の動きから近景から遠景への動き、さらに蟻地獄の乾いた土から夏野の緑の対比が読者に伝わってくる。蟻地獄を詠みながら作者の見た眼の動き、色の動きに読者は納得する。

  ほうたるの明滅漂ふ音楽堂       関森 勝夫
  手のほたる哀訴のごとき息遣ひ      〃

                (「蜻蛉」[関森勝夫主宰]九月号)
 私達「風」に在籍していた者にとって、この句からすぐに〈螢火の明滅滅の深かりき 綾子〉を連想するが、この一句目も深みのある句である。蛍は常に明滅しながら飛んでいるが、作者は蛍が飛んでいるのではなく、明滅が一個所で漂っていると発見したのである。その明滅の場所が「音楽堂」であることが示唆的である。詠んでいる対象は即物的であるが、近代的で歴史的なニュアンスを持った音楽堂を舞台として、蛍と対比させたことは蛍の持つはかなさを一層漂わせている。
 二句目は、〈哀訴のごとき〉が眼目である。この句は物に即した写生ではない。蛍が明滅している息遣いを哀訴と見たのである。蛍の本質は常に哀訴を持っていると作者は感じている。同時作の〈膝元に直訴のごとく蛍の火〉と続けて詠んでいることも同様の感慨である。季語の持つ意味合いは即物的なものの意味合いだけでなく、季語の持つ想像力が抽象的なものへの広がりも大事にすることから、二句目のような季語「ほたる」が持っている哀訴の表現につながった結果だと思う。

  風に任せて捩花のねじれをり      倉田 紘文
                (「蕗」[倉田紘文主宰]九月号)
 倉田氏は師の高野素十の教えである「写生は志向であり、実践」であることを遵守されている。氏の俳句は常に平明であるが、平明を心がければ心がけるほど物を見る写生の眼は常に鋭く深くなければならないであろう。
 この句、倉田氏のどの句でもそうであるが、極めて平易な句意である。ただこの句の眼目は〈風に任せて〉である。作者は実は捩花がねじれてしまったのは捩花が風に任せたせいだと認識した。自然界の造形の美しさが風に任せた結果であるという視点は作者のものを深く凝視することから裏付けされた結果である。

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