俳句についての独り言(平成20年)

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現代俳句評(11月号) 2008.11.1
現代俳句評(9月号) 2008.9.1
現代俳句評(7月号) 2008.7.1
現代俳句評(5月号) 2008.5.1
名句を読もう 2008.5.1
歳時記を読もう 2008.4.1
入門書を読もう 2008.3.1
句集『清夜』を読んで 2008.2.3
辻江けい小論
ー地域に根ざした抒情ー
2008.1.13

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  現代俳句評(「伊吹嶺」08年11月号)

  妻の肩叩けば藤のかをりかな     大坪 景章
  夏布団干し神楽坂裏に住む      大西八洲雄

          (「万象」[大坪景章主宰]八月号)

 「万象」八月号にて主宰であった滝沢伊代次氏が体調を崩され、主宰交代の公告が掲載されている。滝沢氏は「風」時代に五十年の長きに亘り、沢木欣一先師を支えるとともに「万象」創刊以来、即物写実を心情として立ち上げ、八百名を超える組織を束ねられてきた。一日も早く回復されまた豪快な句を見せていただきたい。
 主宰を継承された大坪氏は「万象」創刊以来、会員対象の「万象作品」の選者を担当され、精力的に活動なさって来た。これからますます多忙になる折、持ち前の元気さで沢木欣一、滝沢伊代次の師系を継いでいかれることを期待したい。
 大坪氏の句、極めて若々しい句である。夫婦で藤の花を見に行った句であろう。〈妻の肩叩けば〉という動作が、藤の香を引き起こすきっかけとしている分かりやすい写生法を使い、その奥にある藤の真実に迫っている。
 今月より「万象」は四人の顧問制となっている。そのうちの一人、大西氏の句、なんでもない布団干しの句に見えるが、「神楽坂」という固有名詞から極めて庶民的な裏路地が想像され、夏の「布団干し」から涼しげな裏路地が想像される。
 ところで今月より大坪氏は「万象とともに」のコラムを始めておられるが、その始めとして沢木先生の言葉を引用なさっている。六十二年前の「風」誌での発言であるが、ごく一部を引用すると、
  「悪い意味で俳句的な「ねらい」、表現、内容、句の匂い、そういうものが確かにあるようだ。(中略)われわれは第一に、欺かない感動、実感の上に俳句を打ち立てたい。そして技巧の問題は、その感動を如何に自分流に正確に具象化するかということにあるので、小手先の技巧や他人の表現形式を無批判に借受けることは馬鹿々々しい。(以下略)」
とあり、大坪氏は目指すべき俳句のあり方がこの文にあり、これが大坪氏のこれからの覚悟であると思った。

  痩せ畦の流れに洗ひ野蒜摘       柏原 眠雨
  稚児舞の高きひと跳ね春近し      近藤 文子

              (「きたごち」[柏原眠雨主宰]七月号)
 「きたごち」も既に創刊二十年を迎えた。も第十二回目の「きたごち賞」が七月号に発表されている。
 柏原氏の句、野蒜摘を出来るようになった春の喜びを詠んでいる。それは〈痩せ畦の流れに洗ひ〉から分かる。春まだ浅い時期の野蒜摘であろうことから、野蒜摘で汚れた手を洗う水の静謐な冷たさも感じられる。そしてその流れがすぐに澄んだ流れに戻ることも想像される。
 近藤氏の句、今年のきたごち賞受賞作品「延年の舞」の一句である。毛越寺の二十日夜祭だけに絞った集中力の二十句が受賞のインパクトになったのであろう。この句の〈高きひと跳ね〉が春を待つ期待感の現われとして力強く詠まれている。〈しばれるや御堂をもるる試し笛〉など他の句も合わせて読むと感動が濃縮された作品群であることが分かる。

  便追や男体山は靄の中        山崎 ひさを
              (「青山」[山崎ひさを主宰]八月号)
 便追はセキレイ科の鳥で山に登る時よく聴く。鳴き声は雲雀によく似ているが、雲雀と違うのは木の梢に止まって鳴いているのでよく分かり、キヒバリとも言われている。
この句、〈男体山は靄の中〉とあるから作者は便追の声だけを聴いているのであろう。句意は極めて簡明で、靄の真っ只中で何も見えないところにいきなり便追を聴いたことの驚きが体言ばかりの句仕立てによる引き締まった表現から読み取れる。同時作の〈一雨後のさみどりことに?若葉〉も体言ばかりの句で引締まり、?若葉の色の印象が強く響いてくる。

  新緑の山の膨らむ母のくに       加藤 憲曠
                  (「薫風」[加藤憲曠主宰]八月号)
 私の出身の岐阜県も山に囲まれているが、春になると山の木々の芽吹きにより緑が濃くなる過程はまさに山が膨らむ実感がする。下五を〈母のくに〉と詠んだところに作者の思いがある。ふるさとでなく、今は亡き〈母のくに〉ということはふるさとには違いがないが、かって作者が育った安らぎの「くに」なのである。これが〈母のくに〉を使った効果である。

  薪能影も演じてゐたりけり       石井いさお
               (「煌星」[石井いさお主宰]八月号)
 「煌星」は天狼誌系「天佰」廃刊後に創刊されてはや五年目を迎え、今秋には五周年記念大会が行われる。
薪能の句はこれまで数多く作られてきていると思われるが、この句、作者が薪能を演じているシテを凝視していると、次第に作者の視点は演じているシテより、演じているその影に移るのである。そして一体となって影も演じているのを発見する。影を詠むことにより、薪能を詠むという発見の句である。

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  現代俳句評(「伊吹嶺」08年9月号)

   風の日の白さひしめく梨の花     皆川 盤水
  日時計の針より溶ける春の雪     棚山 波朗

            (「春耕」[皆川盤水主宰]五月号)

 「春耕」五月号に皆川氏による「主宰交代のご挨拶」が掲載されている。皆川氏は私達の先師沢木欣一先生より一年年長で、「風」誌の重鎮として終刊まで沢木先生を支えてこられた。この度の主宰交代は今年卒寿を迎えられる皆川氏の覚悟である。主宰を継ぐ棚山氏は長く副主宰を務められ、俳人協会理事長として、多忙を極めている中での継承で、六月号より「耕人集」の選を始められている。
 一句目の皆川氏の句、「梨の花」の白さが際だつ句である。〈白さひしめく〉と分かり易い表現であるが、〈風の日の〉の措辞を得て、混み合っている梨の花が意志あるかの如く風に動いているのが見える。平易な写生の中の梨の花にある種の明るい田園風景が浮かんでくる。
 二句目の棚山氏の句、「春の雪」と「日時計」の組合せにより、都会的な春の雪であることが分かり〈針より溶ける〉の表現から、春の雪が積もっている無機質な針も生き生きと蘇り、〈針より溶ける〉が感動の中心としてクローズアップされる。
 ところで当月号の棚山氏の俳句時評は「花と緑に親しむ」と題して、俳人協会の「花と緑の吟行会」のことに触れられている。今年の吟行会は昭和五年、第一回武蔵野探勝会の地で、高浜虚子の句碑のあるところだそうだ。ここで棚山氏が強調されているのは、「花と緑」を取り巻く環境が悪くなるばかりで、危機的な状態を迎えていると発言されていることである。さらに世界各地の生態悪化に触れ、地球温暖化防止に参画することは難しいが、ただ傍観しているだけで済む時代でないと締めくくられている。
 棚山氏の発言に共感しながら、私達俳人としては四季折々の自然の豊かさ、生態系の多様性を詠み続けていくことにより、地球を大切にするという気持を持ち、かつ広げて行くことが大事であると実感した。

  かげらふやちちははが見え山がみえ   宮田 正和
              (「山繭」[宮田正和主宰]六月号)
 宮田氏は今年、三重県文化大賞を受賞なさった。三重県が芸術、学術、伝統芸能などの分野で活躍している個人、団体を表彰しているもので、その中で最高の文化大賞に選ばれたものである。
 この句、具体的な物で表現しながら、非常に心象的な句である。同じ三重県人で日常的に山に囲まれて生活している者とって、共感できる陽炎である。春になると山は薄墨色から、芽吹き色そして春本番と次々と色彩豊かに変わる。そういう時期の芽吹きに促されるように、山に陽炎が立つ頃、作者はその揺らぎの中に父母の面影を見たのである。ひらがなを多用したことにより、ちちははの面影が陽炎のように見える効果も持っており、優しさに満ちた句である。

  涸渓のいづこ一水奏でけり       岡田 日郎
               (「山日」[岡田日郎主宰]六月号)
 岡田氏の月々の俳句に「山を行く」の題名をつけて発表なさっていることが多く、「徹底写生」を信条に俳句工房を山に求めている。山への傾倒というより、山が身辺の感動の場になっていると言えよう。岡田氏の第二エッセイである『四季折々の山』で氏は、「私の俳句が長年、山と関わってきたのは山においてこそ、自然の循環現象は規則正しく展開し、美しさに充ち、今日なお神秘的な自然現象は少しも失われていないことによる。」と述べ、山にこそ感動を発見できるとの意気込みを示されている。
 この句、山が枯れ、渓川が涸れ、どこにも水のない渓にかすかな流れの音を捉えたものである。この句の感動の中心は〈いづこ一水奏でけり〉と見えない情景を音の情景で表現したところにある。

  本流が引つ張つており花筏       今瀬 剛一
                           (「対岸」[今瀬剛一主宰]六月号)
 この句、「花筏」の本質の一側面をついた句である。作者は小さな川に浮かんでいる花筏に気づき、その花筏が徐々に流されているのを見ている。さらにその川は支流であることを作者は発見し、その先には大きな本流があった。花筏が少しずつ流されているのは本流が引っ張っていると認識したのである。〈引つ張つている〉が感動の中心で、花筏そのものを写生しないで、周辺の情景描写から花筏の本質を見抜いた一句である。

  蠢くものありて伊吹の山笑ふ      若原 康行
                 (「樹」[若原康行代表]六月号)
 山口誓子、村上冬燕より引き継いだ「樹」はこの六月号で創刊十周年記念号となった。
 一般的に「山笑ふ」という季語は、芽吹き始めた頃の山の色として捉えることが多く、明るさから「山笑ふ」を実感している。しかしこの句は、まず山に〈蠢くものありて〉と色でなく何か動物的なものを感じたのであろう。その蠢きに春を感じているのである。そして伊吹山に伝わる大和神話などの神秘性も相まって、蠢きへと発展させている。〈伊吹の〉動物的な「山笑ふ」としてユニークな句である。

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  現代俳句評(「伊吹嶺」08年7月号)

  長良川けふ黒々と寒々と    辻 恵美子
                      (「栴檀」[辻恵美子主宰]三月号)
  岩魚酒回して呑めり生身魂   長村 雄作
                        (句集『岩魚酒』(平成14)より)

 元「風」岐阜支部長の長村雄作氏が昨年十二月に亡くなられた。本号が長村氏の追悼号となった。一句目の辻主宰の句、前書きに「長村雄作氏逝く」とある追悼句である。長村氏の訃報を聞いたあと、辻氏の俳句工房である長良川に立ったのであろう。冬の長良川は水量も少なく、曇った日は清流でありながら、黒い清浄さである。〈黒々と寒々と〉と畳み掛けたリズムが軽やかというより、重々しくのしかかってくる。この句には、辻氏にとって、長村氏が亡くなられた無念さが重い畳み掛けの表現に象徴されている。
 当月号に長村氏の二十句が掲載されているが、掲出句の岩魚酒の句は生身魂である父上のことを詠んだものである。岩魚酒は一種独特な臭みを持った好きな者にはたまらない酒である。〈回して呑めり〉に生身魂である父上の動作を子としての目より、俳人の目として客観的に観察している。本号をきっかけに久しぶりに『岩魚酒』を開いてみた。記憶が定かでないが、私は学生時代に一度お会いしている。「風」に再入会して以来、「風」東海新年大会でお会いしたとき、当時の若造である私のことを覚えていたただいていた。以来、会うたびにいつも心暖かく声をかけていただきことも記憶に残っている。長村氏は、人情厚く、沢木欣一先生を始め、岐阜を訪れた「風」連衆を随分と案内されていたと聞く。長村氏の人柄が偲ばれる逸話である。最後に長村氏らしい豪快な性格を如実に感じる次の句が大好きである。
  すててこで行き諍ををさめけり   (昭和62)

手が知るといふ塩加減苦うるか(魚偏に逐)   茨木 和生
                  (「運河」[茨木和生主宰]三月号)

 宇多喜代子氏が執筆した『古季語を遊ぶ』(角川選書)は古い季語、珍しい季語の実作体験をまとめたものである。その体験グループに茨木氏も加わっており、特に茨木氏は古季語、珍しい季語を詠むにしても、ただ席題として想像して詠むのでなく、現物の「現場持ち込み」を非常に大切にされ、古季語、珍しい季語の本意に迫ろうと努力なさっていた。極力現物を持ち込むということは生半可なことでは出来なく、季語に対し、非常に誠実に対峙なさっている証拠である。これは『季語の現場』(富士見書簿)の季語の実作体験を読むとさらに納得がいく。
 うるかは一般に魚の塩辛を意味するが、この苦うるかは鮎の塩辛(うるか)であろう。この句で〈手が知るといふ塩加減〉と詠んでいるのは作者がうるかを作っているのでなく、作った人の体験を聞いているのであろう。うるかの製法において、最も重要な塩加減は何よりも手の感覚が知っているのである。〈手が知る〉という表現を得て、うるかの存在感が確としたものとなった。
 同時作に〈山塩の熟れよかりけれ苦うるか〉もあり、塩も山塩が最も熟成することも作者は体験的に知っている。このように解釈していくと、珍しい季語も深耕することにより現代に生き生きとよみがえってくる気がする。

  笑ひしが泣きし貌なる冬鏡    鍵和田 ゆう子
                         (「未来図」[鍵和田ゆう子主宰]三月号)

 この句は自画像と判断した。女性が鏡を見るときはどういう心境の時であろうか。たぶん鏡を見ると、今日一日の気力レベルが分かるのであろう。作者はいつものように鏡の前に立ち、笑った表情を作ったはずが、鏡の顔は泣いている。鏡の中の泣き顔が独り歩きしているのである。前後の句からこの鏡は寒明けが近い朝の鏡である。「初鏡」、「春鏡」ほどの華やぎはないが、春がまた巡ってくる直前のときめきを感じるものの、再び季節が繰り返す不安の入り交じった哀しみを感じる鏡であると鑑賞した。作者の不安な心情を鏡を通してかいま見た気がした。

  春袷いつ忍びゐしわが病ひ     岡本  眸
                         (「朝」[岡本眸主宰]三月号)

 岡本氏は今年、句集『午後の椅子』にて第四十九回毎日芸術賞を受賞され、蛇笏賞に続くダブル受賞である。ただ最近体調が優れないのだろう。代理出席の受賞であった。
 受賞の言葉にある「俳句は日記のように」を信条に常に日常身辺を詠んでいるという発言は、八十年に「朝」の創刊以来、毎月発表の句には常に「身辺抄」の題名を掲げていることからも分かる。俳句は常に身辺些事の日記のように作ることが作者の人生であり、身辺些事に感動を見つけているのである。
 この句の「春袷」は本来色、柄とも明るい袷という心浮き立つような季語である。しかし毎年着ていた春袷を今年も着てみたら、思いのほか、着痩せしていることを発見した。それは〈いつ忍びゐしわが病ひ〉が如実に語っている。実は内心気づきつつも知りたくない体調を〈いつ忍びゐし〉と結果的に自分の哀しみとして認識している。日常身辺句でありながら、このような内面的な句を発表するところに作者の覚悟が見えてくる。同時発表の〈春来ると病みつつ無念仕方なし〉と直裁的に詠んだのはまさに作者の真情の吐露そのものである。

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  現代俳句評(「伊吹嶺」08年5月号)

  凭れあふことなく枯れぬ鶏頭花     林  徹
  寒卵坐れり己が重みにて        林  徹

                                  (「雉」[林徹主宰]一、二月号)

 悲しい訃報が入った。「雉」主宰の林徹先生が三月二十日に八十二歳で亡くなられた。
 「風」主宰沢木欣一先生が終生、強調されていた「即物具象」については広く知られているところである。そして即物具象を最も実践して、自家薬籠中のものとされていたのが林先生であった。頑固なまでの即物具象に対峙する態度は最後までぶれなかった。「風」最後の同人会長として折に触れ、即物具象の重要性を強調されていたことが思い出される。それは『雉山房雑記』(平成十四年)を読むと随所に出てくる。例えば、
「寄物陳思」という項では、「『万葉集』の表現手法による部立に、寄物陳思(物に寄せて思いをぶ)というものがある。それは事物に託して心情を述べる意である。俳句は正述心緒ではなく、寄物陳思であると言ったのは沢木先生であるが、〈闘鶏や勝つも負けるもあはれなり〉は正述心緒、〈闘鶏の眼つぶれて飼はれけり〉は寄物陳思ということになろう。」
と物に託した具体的な写生により感動を述べる必要性を易しい例で紹介されている。

 掲出の一句目は一月号から。〈凭れあふことなく〉と鶏頭花の生態を即物的な写生で詠んでいる。まさに鶏頭花という物の本質は自らの意志で立ち、そして枯れるときも立ったままであるという。これは林先生の生き様の最後のメッセージとも読める。沢木先生の〈塔二つ鶏頭枯れて立つ如し〉の句も連想され、ともに鶏頭が枯れる時、意志を持つごとく立っている様子から、ともに作者の意志も伝わってくる。鶏頭の句と言えば、句集『群青』に〈鶏頭の影地に倒れ壁に立つ〉もあるが、この句こそ究極の即物具象の句ではなかろうか。

 二句目は二月号から。この句は〈寒卵坐れり〉から、寒卵が自ら意志があるごとく捉え、〈己が重みもて〉という発見により寒卵の本質が客観的な視点から読み取れる。寒卵の本質はその重さにあると作者は感じとっているのである。それは取りも直さず寒卵の意志と作者の意志が一致している証拠である。この二句とも「寄物陳思」をそのまま実践している作者の態度でもある。

 また一月号の「雉山房雑記」の「師の胸を借りよ」の中の片言隻語にも林先生の覚悟が強烈なメッセージとして伝わってくる。「私などは沢木先生に一句でも多く、何とか四句、五句採ってもらえないか、沢木先生が採らないではいられないような句を作ってみせようと必死であった。」などと終生沢木先生を師として仰いでぶつかっていったことに心を打たれる。

一方、沢木先生が「風」誌に書いておられる句集『直路』評では、
「『直路』では可能な限り雑物を削り落して、単純化の極地に達しようとするいさぎよさが特徴となっている。信条とする即物具象ということは弱い精神には堪えられない。象徴とか内面の表現とか気の利いた言葉を吐かないで、即物具象一本で貫いているのが、いさぎよい。」
とあり、師弟の絆が即物具象というキーワードでつながっていることが分かる。

また同雑記には「師事する先生の作品をしっかり読んで理解し、分からぬものは先輩に尋ねるなどして感銘を受けたものがあれば、書き止めて覚えることである。」とあり、沢木先生が亡くなられたあとも、常に向上心を持ち続けた林先生の心の中には永遠に師の叱咤激励の言葉が聞こえていたに違いない。
 また最後の「私は沢木欣一の句も細見綾子の句も上五を聞けば、完璧な形で思い出される句が、それぞれ少なくとも百や二百は胸中にある。」との言葉に林先生が師の胸を借りていた恐ろしいまでの覚悟の発言に感動を覚える。

寂しめば晩秋の山幾重にも      中山 純子
   マラソンのしんがり喘ぐ枯岬     千田 一路

                                  (「風港」[千田一路主宰]一月号)

 「風港」は今年創刊五周年記念を迎えるという。早いものである。一句目、名誉主宰中山氏の句境はますます内面へ深化されていくようである。〈寂しめば〉と冒頭に切り出しているが、寂しさ、喜びは誰にも季節の移り変わりとともに募ってくる。中七、下五の〈晩秋の山幾重にも〉と華やかだった紅葉の色がさめ、その山の重なりに思いを重ねているのが、内面の深化を物に託して述べている。また下五の〈幾重にも〉が上五へリフレインされて、幾重にもの寂しさへとつながる。寂しさの中味は読者には推し量るべくもないが、この句には普遍性を持った寂しさに思い至り、そこに共感を持つものである。

 二句目、主宰千田氏の句。このマラソンはたぶん市民マラソンであろう。それは〈枯岬〉という下五に、観客のいない岬を次々と折り返すマラソンの列が見えてくる。〈しんがり喘ぐ〉は観客としての視線であろうが、実体験している私にとっては、喘ぐ以上に頭が真っ白になって走る情景が過去の思い出とオーバーラップして浮かんでくる。〈枯岬〉の季語がマラソン走者の心情を表すものとして的確である。懐かしさの思い出として鑑賞させていただいた。

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  若い人の俳句入門3
        名句を読もう

 俳句がうまくなるためには、ただ俳句を作るのでなく、日頃、名句に慣れ親しむことも必要であろう。特にインターネットから「伊吹嶺」に入会なさった皆さんの場合、身近に俳句仲間がいないこともあり、俳句を作るだけでなく、たとえ一人であっても名句と言われる俳句に接することが必要である。具体的には「伊吹嶺」同人、会員の作品、十周年記念として発刊された『伊吹嶺俳句集』を読むことも勉強になる。ただ俳句を読むだけでは、名句たる所以のポイントをつかむことは難しい。そういう意味で、鑑賞文の付いた俳句を読むことが手っ取り早い。
 ここでは私の初心者時代に読んだ名句鑑賞のうち、一つの本を紹介したい。それは山本健吉の『現代俳句』である。私の手元には初期の角川新書、角川文庫そして定本となった角川選書がある。角川選書なら容易に買うことが出来る。健吉の鑑賞文は現代の名句を一字ずつ解きほぐすように鑑賞し、季語、切れ字などの表現に独自の考えを述べ、俳句の本質に触れた鑑賞は、私たちに考える糸口と鑑賞の手がかりとなっている。
 次に皆さんに名句を味わうための格好の鑑賞本としてお勧めしたいのが、『欣一俳句鑑賞』(東京新聞出版局、平成三年)である。この本は現在でもインターネットで購入できる。これは「伊吹嶺」の原点である「風」主宰の沢木欣一先生の句を当時の「風」同人が一ページ、一句ずつ担当して鑑賞したものである。どれも懇切丁寧な鑑賞文である。沢木先生の作句態度、作句現場を知らない私達にとって、この鑑賞文は大いに参考になる。当時の私もこれらの句から即物具象を一生懸命に読み取ろうとしたことが、沢木先生の名句とともに思い出される。またこの本には、栗田主宰らの主要同人の欣一俳句研究も掲載されており、欣一俳句の背景を知る上にも役立つ。
 同様な趣旨で編纂された『細見綾子俳句鑑賞』(東京新聞出版局、平成四年)もそれぞれ有名な句の鑑賞文から綾子ワールドを知ることが出来る。
 話は前後するが、私が長い中断後に俳句を再開し、片端から俳句の本を乱読したとき、私は名句と思われる句をノートに転記していた時期があった。また当時の「風」同人の句集をお借りして、感銘句を抜き書きしていたことも思い出す。皆さんもこのような方法で、自分の好きな句を抜き書きするという意志を持って、句集などを読めば、より名句に出会える機会が多くなると思う。
 さしずめ栗田主宰の自註俳句シリーズの『栗田やすし集』(俳人協会)から好きな句を抜くことは、「伊吹嶺」会員にとって勉強になること請合いである。

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  若い人の俳句入門2
     歳時記を読もう

 皆さんは歳時記をどのように利用なさっているのだろうか。最近は、電子辞書に歳時記が丸ごと入っているものもあり、吟行、句会に利用しやすく、便利な世の中になっている。また歳時記は利用するものか、読むものかと問われれば、ほとんどは俳句を作るときに利用するというのが大多数であろう。そういう意味で、最近刊行された『角川俳句大歳時記』は最新の例句も多く、座右に置きたい一書である。
 ここで私は歳時記を利用する以外に、読み物として読むことをおすすめしたい。読む目的の第一点として、作句上の季語の働き、効果を知ること、二点目として歳時記に書いてある季語に対する考察、本意を知ることなどが皆さんの作句に大いに役立つと思うからである。
 私自身の体験から、前者の場合、山本健吉の『鑑賞俳句歳時記』(文藝春秋社、今は角川ソフィア文庫にある)をお勧めしたい。この歳時記はすべての句に対して鑑賞を加えており、名句を味わうとともに、季語のポイントを教えてくれる。また講談社の『カラー図説日本大歳時記』には主要季語の中でそれぞれ一句を取り上げて著名俳人の鑑賞文が載っており、これらを作句上の季語を利用する観点から見ると、非常に参考になる。ただこの歳時記は分厚くて重いので持ち歩くことは出来ないが、夜ひとり靜かにこの鑑賞文だけを拾い読みすることも一つの勉強法であろう。
 後者の目的で読む場合は、やはり山本健吉の『基本季語五〇〇選』(講談社学術文庫)を紹介したい。これは前述の『カラー図説日本大歳時記』において、山本健吉が監修者の一人として、五百の基本季語を選定して、歴史的展望に立った詳しい解題を加えたものである。ここには季語の起源から、江戸時代の例句も取り上げながら季語の本意を解説している。また季語がどんな意義を持ち、生活に根付いているかを探る試みとして述べている書として、櫂未知子の『季語の底力』(NHK生活人新書)も参考になるであろう。この本は俳人協会評論新人賞を受賞したものであるが、読み続けていくと、目から鱗が落ちるように季語の持っているエネルギーを感じるであろう。
 以上述べた季語に関する本のうち、文庫本、新書はいずれも手ごろな価格で、手に入れることが出来る。ひとつ歳時記を読むという立場からどれかをお読みいただければ、季語に対する理解も深まり、皆さんの作句にきっと役立つと思っている。
 最後に、入門書でないが、宇多喜代子の『古季語に遊ぶ』(角川選書)にも触れたかったが、紙数の関係上、題名だけ紹介して終わりたい。

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  若い人の俳句入門
    俳句入門書を読もう

 皆さん、俳句を始めたとき、どのような俳句入門書を読まれましたか。インターネットから「伊吹嶺」に入会したが、入門書とは関係なく、いきなり句作に臨んだ方もいらっしゃるでしょう。俳句入門書と言っても、どれを読んだらよいか分かりません。それぞれ皆さんが書店で気に入った本を買って読むのも間違いではありません。
 ここでは私の初学時代に読んだ入門書を思い出しながら、入門書のつきあい方を述べてみたい。当時は現在ほど俳句関係の本がなかったが、たまたま古本屋で手に入れたのが、角川新書として出されていた秋元不死男の『俳句入門』であった。今は角川選書として購入することが出来る。まず〈冬の水一枝の影も欺かず 草田男〉の句を例に不死男が俳句独特の良さを知る力を養うため、この句を七つのステップごとに俳句例を提示して俳句はありのまま写すと言いながら、理屈、感情でなく、俳句に感覚と生命把握を取り入れた句の見抜き方を詳しく解説した導入部は極めてユニークであった。そして「俳人の決意とは何か」など不死男独特の俳句に対する態度に接することが出来た。もちろん俳句の形式としての定型、リズム、切れ字、季のことなども入門書的に書かれ、初学の私にとって大いに参考になった。
 ただ基本はあくまで「風」会員として沢木欣一先生の「風作品の佳句」、「風木舎俳話」がかっこうの入門書であった。
 そこでなんと言っても皆さんにお勧めしたいのが、前記の記事をまとめた『俳句の基本』(平成七年、東京新聞出版局)である。
 章立ては「俳句実作のポイント」「写生の佳句」「現代俳句の問題点」などとなっているが、特に沢木先生が強調なさっているのが、“俳句は瞬間の感動が最も大切で、その感動は主観、抽象的な表現でなく、ものに託して、具象的な写生で自分の感動を詠むことに尽きる。”というものである。この精神は「風」から「伊吹嶺」に受け継がれ、栗田主宰の「伊吹嶺選後評」「やすし俳句教室」における俳句の基本的態度として明らかである。そういう意味で毎月のこの二つの記事が最適な入門書にあたるだろう。
 ちなみに『俳句の基本』には現在の「伊吹嶺」の同人・会員の作品も紹介されている。この本を是非皆さんの入門書として読んでいただきたい。なおこの本はインターネットから簡単に購入できる。
 紙数が尽きたが、入門書というわけではないが、山本健吉の『現代俳句』についても初学時代の入門として俳句を鑑賞するというポイントに大いに参考になった。この点についてはまた別の機会に述べてみたい。

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  格調の高い俳句
   ――清水弓月句集『清夜』を読んで――

 清水弓月さんの句集『清夜』を頂いてから随分と日が過ぎてしまったが、遅ればせながら、『清夜』の感想を述べてみたい。
 弓月さんは栗田主宰と大学が同期で、櫻井さん、丹羽さん等とともに、俳句を始めておられ、卒論テーマは万葉集だったと聞いている。私が大学生の頃、「青炎」に参加させていただいた頃は既に弓月さんは俳句から遠ざかっておられたため、十二、三年前頃、「風」新年俳句大会でお会いしたのが、初対面である。
 句集のあとがきによれば、弓月さんは昭和四十七年に「風」入会で、昭和五十五年に「風」同人になられているが、初期の俳句は既に自註句集『夕河鹿』で読ませていただいている。今回の『清夜』には一部『夕河鹿』と重なっているが、改めて初期の句を読むと冒頭の句に惹かれる。
  薬師寺の鴟尾ほの見ゆる夏木立   昭和32
 自註によれば、栗田主宰、丹羽さんと奈良での旅吟とある。この句は静かな情景で、既に成熟された表現である。既に学生時代にこんなに落ち着いた句を作られたことに驚かされる。この頃、卒論の万葉集研究に取り組んでおられたのであろう。
 『清夜』を通して感じたことは写生の確かさである。特に弓月さんの俳句工房と言うべき、揖斐の里山近辺を詠んだ日常吟に惹かれた。主に初期の作品から抜けば
  鍬洗ふ濁りひとすぢ夕河鹿   昭和54
  眼帯の紐のゆるみや栗の花   昭和54
  柿若葉より洗はれて農夫出づ  昭和54

 一句目、自註句集の題名となった句で、〈濁りひとすぢ〉に小川本来の清流を感じさせる。二句目、眼帯の紐のゆるみが栗が咲く頃のものうい季節を感じさせ、表現が若々しい句である。三句目の〈柿若葉より洗はれて〉の措辞が他の追従を許さない感覚把握で素晴らしい。この頃は丁度、「風」同人に推薦される直前で、脂ののりきった時期だったと推察される。
 同様に日常吟から最近の句を抜いてみると
  
鮎跳んで山の影来る川面かな   平成9
  雪代に汲むしろがねの鮎二寸   平成12
  清夜かな枕にかよふ河鹿笛    平成18

 一句目の鮎が跳んだあとの川面に山影を発見した写生の確かさ、二句目の雪代の濁った川より透きとおった稚鮎を汲むことの生命のいとおしさなど的確な表現で、作者の優しさがうかがえる。また三句目、清夜とは弓月さんが住んでいるような里山に感じることがうべなえるところだが、それを表現させることは難しいが、〈枕にかよふ河鹿笛〉という写生によって、清夜らしさの説得力が強くなっている。この初期と最近の日常吟を見ると、写生に忠実なことは終始一貫している。
 次に、毎月の「伊吹嶺」作品から弓月さんの句を読んでいる段階ではあまり意識していなかったが、まとめて句集として読むと、折々出てくる家族を詠んだ句に弓月さんらしい慈愛に満ちた思いが伝わってくる。
  逃げ水のかなたに吾子の大試験   昭和58
  降誕祭いつよりか子は遠くなり   平成元
  赤子の尻宙に持ちあげ天瓜粉    平成9
   花冷のピアノに触れて嫁ぎけり   平成8
  子は遠く妻とふたりの零余子飯   平成11

 一句目、逃げ水のような難季語をきっちと詠んでいる。入試のあとの子の巣立ちを逃げ水が暗示しているようで、季語の選択が句柄を高めている。二句目、五句目、子と離れた夫婦二人の哀しみを詠んでいるようで、二人の静かな安らぎも伝わってくる。三句目、嫁いでいく娘さんが弾いたピアノの曲は何だったのだろうか。そんなことを考えながら読みたくなる静かな父娘の情が伝わってくる。三句目、赤子と天瓜粉というと鷹羽狩行の〈天瓜粉しんじつ吾子は無一物〉がすぐ浮かぶが、この句は〈尻宙にもちあげ〉と物に即した写生から赤子の具体的な様子が目に浮かぶ。これこそ即物具象に忠実な力である。
 弓月さんは卒論に万葉集を選んだだけあって、吟行句の中では俄然、奈良の吟行句が精彩を放つ。巻頭の一句もそうだったが、他に、
  月光仏見し目に揺るる柳の芽   平成3
  神籬のひらめく空や桜の芽    平成4
  雄略の妻問ひの丘耕せり     平成
12
  麦刈りし田に火を放つ明日香人  平成12
  老鶯の間遠に鳴けり石舞台    平成14

 一句目、東大寺三月堂の月光仏だろうか。仏を見たあと、芽柳を見た感動と重ねている。二句目、万葉集には「神奈備に神籬・・・」と出てくるので、明日香の三諸山あたりだろうか。紙垂がひらめいている空に桜の芽が重なる明るい句に仕上げている。三句目〜五句目の固有名詞がよく効いている。万葉集を舞台に詠んだ句はいずれも格調が高く、写生がおおらかである。
 これまで日常吟、家族の句、吟行句を見てきたが、いずれも基本になすものは弓月さんしか発見できない確かな写生句である。それが、日常吟であれ、吟行句であれ、写生の目はぶれていない。
 もっと多くの句に触れるべきだが、弓月さんの俳句工房である里山、近隣の西濃の風土に触れた好きな句を並べて、鑑賞を終わりたい。
  荒神輿繰り込みて森息づけり   昭和55
  伊吹颪とんどの火焔奪ひさる   昭和57
  梁丸太組む草深く身を沈め    昭和57
  早苗晴伊吹に雲のひとつまみ   昭和60
  左義長の灰の舞ひ込む種物屋   平成元
  三味の音にひばり加はる野文楽  平成2
  古墳山鳴き潜みゐる夕笹子    平成2
  的外れし矢の滑りゆく雪の上   平成6
  天高し大太鼓より手足出づ    平成6
  猿楽の舞台濡らせり余花の雨   平成10

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   辻江けい小論
     ―――地域に根ざした抒情―――

「伊吹嶺」20年1月号より 

  残雪といへども五尺国境       平成16
 皆さん、この句を覚えておられるだろうか。「伊吹嶺」七周年記念として会員対象の「青嶺賞」を受賞なさった辻江けいさんの十五句の巻頭句である。
 この平成十六年の夏、けいさんにミニ吟行で倶利伽羅峠に案内して頂いたことがあった。その記憶があったため、この受賞作品を読んで、その時の情景がすぐよみがえった。この倶利伽羅峠にこだわって十五句にまとめられた熱気が評価を受けたものと思った。特に掲出句は春になってもなお雪深い峠を中七の〈いへども五尺〉という断定的な写生が小気味よい。
 ではけいさんが青嶺賞を受賞するまでの足跡を簡単に振り返ってみたい。平成四年、ご主人の母上が亡くなられ、息子さんの東京への大学進学もあり、自分を見つめ直す機会を得たかったのだろう。平成五年に北国新聞俳句教室に入門後、金沢の結社「あらうみ」に入会し、平成十一年に同人になっている。その後、家庭の都合で退会されたが、「伊吹嶺」ホームページの縁で、平成十五年に「伊吹嶺」に入会している。入会後の「伊吹集」の初出は
  雪焼けて無線基地より戻り来る    平成15
 などいきなり三句入選である。後日、お聞きしたところ、弟さんの仕事帰りの様子を詠んだもので、同業の私としても懐かしい情景である。
 入会後のけいさんと私の接点はインターネット句会、山彦集などを通し、折々特選、秀逸で選ばせていただいた記憶もある。単なる初心者からの入会でなく、句作の経験とこれまでの俳句に物足りなさを感じていた思いからスタートし、「伊吹嶺」の即物具象の句に出会ってめきめき頭角を現したのである。そしてあっという間の青嶺賞受賞、平成十八年に同人に推薦されている。あとは皆さんご存じの活躍である。
 私が初めてけいさんにお会いしたのは平成十五年三月のインターネット部の京都吟行(オフ句会)の時である。その時、評判の良かった句に、
  へそ石の賽銭光る花の下       平成15
 があり、「伊吹集」で栗田主宰からも採られている。
 けいさんの句の特徴をあえて一言で言うと、地域に根ざした抒情を込めた句が多いということだと思う。自宅から倶利伽羅峠が近いということもあって、度々ここを舞台に詠んでいる。青嶺賞の一連の句は慣れ親しんだ現場を訪れ、深い写生による抒情に満ちた句が多いことに共感した。
  熊笹に名残の雪の滑り落つ      平成16
  榠櫨照る不揃ひなれど古戦場     平成16
 など、誰にでも情景がよく分かり、しかもやさしさに満ちた観察力に裏付けされた写生である。その後の句では、
  県境を跨ぎてブナ(木偏に無)の実を拾ふ 平成17
  霧に霧覆ひかぶさる峠越え      平成18
 など度々倶利伽羅峠を訪れている。また地元の風土を詠んだものとして
  雪吊師空より縄を振り分くる     平成15
  松手入二度確かむる命綱       平成18
  春水を揺すり友禅流しけり      平成19
 など金沢の風土に対し、写生の眼が確かである。一句目の〈空より縄を振り分くる〉、二句目の〈二度確かむる〉、三句目の〈春水を揺すり〉など働く人の躍動感が溢れる写生である。またけいさんには家族、特に息子さん、母上を詠んだ句に惹かれる。
  改札を出でし帰省子ふりむかず    平成15
  子の任地遠くなりたり雲の峰     平成16
 いずれも東京に就職した息子さんを詠んだ句で、これらには母親としての哀しさというより、期待を込めたペーソスで詠み上げている。一句目、母親の実感であろう。〈帰省子ふりむかず〉と、あっけらかんとした表現に逆に子を思う心が伝わってくる。二句目、山彦集での選評で、この句には子の離れていく寂しさも感じられるが、「雲の峰」という季語により、子の自立を願う気持を明るく詠んでいると評したことがあった。一方、母上を詠んだ句では、
  日盛を来て病む母にいたはらるる   平成17
  冬帽子ちぎれるほどに母振れり    平成18
 など病気の母上に対する思いやりが痛いほど伝わってくる。特に一句目について、母を見舞ったつもりが逆に〈いたはるる〉と詠んだ事実に心打たれる。二句目も母上の気持ちを〈ちぎれるほどに〉の中七の動作によく表現されている。
 これまで風土を詠んでも家族を詠んでも深い観察力に裏打ちされた写生句に作者の気持、思いやりが感じられると述べたが、純粋に対象物を見つめた即物具象句にも優れた観察力が働いている。
  紋白蝶光となりて庭過ぎる      平成17
  夏足袋の一歩迫り出す弓構へ     平成18
 などいずれも写生の眼がしっかりしている。一句目の〈光となりて〉という把握力の新鮮さ、二句目、「夏足袋」だけを詠んでいるが、私はこの句から、若い女性のきりっとした弓構えが浮かんでくる。写生力の強さである。
 最後に最新の句として、

  春深し地震の大地に足湯して     平成19
 能登地震のときの句であろうか。地震が来ても悠然と足湯している様を〈春深し〉の季語に託しているところから、案外どっしりとした神経をお持ちと推察した。このような面の俳句もたまには見せていただきたいとの願望も含めてこの小論を終えたい。

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